たとえ全てを忘れても   作:五朗

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第六話 山中の月〜とある剣士の物語

 

「―――きれいな、つき……」

 

 深い深い―――山の奥。

 闇の奥底にでもいるかのように感じる暗闇はしかし、天に輝く大きな丸い満月の光によって、ぽっかりと木々の空いた少女の立つそこを、まるでスポットライトの照らし出されていた。

 眩しげに細めた目で夜空を仰ぎ見た少女は、ぼんやりとした口調でそう呟く。

 手入れのされていない木々が生い茂る、人の足を踏み入れない秘境の奥地で一人黄金の光を放つ月を見上げる少女は、泣きそうな程に美しいその空を、ただ、何時までも見続けていた。

 どうして、自分がここにいるのか。

 一体、ここが何処なのか。

 何もわからないまま。

 ただ、その美しさだけを見つめていた。

 ……どれだけの間、そうしていたのか。

 ()()だけで満たされた世界を映す瞳に、思考に、脳裏に―――ふと、過るものがあった。

 それは、一人の男の姿。

 異国の服を身に纏い。

 とらえどころのない心と身体を持つ一人の男。

 長い、長い刀身を持つ剣を背負い、飄々と日々を過ごす、男の姿。

 出会いはまるで物語のようで。

 其れからの日々も、これまでの全てが色褪せて見える程に色めいて。

 初めて感じた気持ち。

 知らない感情。

 景色に楽しさ。

 有り得ないと―――何時かはと思いながらも、決して叶わないと思っていた筈の言葉。

 『信じる』と、言ってくれた。

 嬉しい時に、泣いてしまうなんて、初めて知った。

 高鳴る胸の痛みと心地よさ。

 震えるほどの、喜び。

 何もかもが、煌めいて……。

 

「―――ねぇ……小次郎さん」

 

 小さく、あの人の名前を口にする。

 

「きっと、あなたは……知らない、ね……どれだけ、私が貴方の事を……」

 

 瞼を閉じる。

 ツゥ、と目尻から溢れた滴が、頬を伝う。

 月の光に照らされて、一つキラリと光った滴は顎先で玉となって、ぽとりと地面へと落ちていく。

 目を閉じれば、今でも鮮明に思い出せる。

 それは、光。

 (カサンドラ)にとっての、輝き。

 『神の宴』が開かれる直前にみた『(予言)』。

 殴られ、斬られ、何度も叩き伏せられながらも、遂には月を飛び越え太陽を落とす兎の『(予言)』。

 それが、明確に何を意味しているのかは、戯画的なその夢からは読み取れなかった。 

 だけど、あの子(ベル・クラネル)に手を出してはいけないことだけはわかった。

 だから、何時ものように口にした。

 ……その結果がどうなるのか、内心で悟っていながらも。

 そうして、結局何時ものように否定された。

 信じてくれず、笑われ怒鳴られ、項垂れることになるだけ……。

 でも―――。

 

『ほう、それは面白い』

『……え? え、あの? おも、しろい?』

 

 口にされるだろう否定の言葉を想像し、耐えるように俯き唇を噛み締めていた私に向けられたのは、何処か弾んだような口調での小次郎さんの言葉だった。

 そうして、ゆっくりと、初めての事に戸惑いながら顔を上げた私の前では、顎に手を当てた小次郎さんが何やら考えていた。

 

『つまりは、このままでは、その『兎』とやらが現れて、『太陽』だろう【アポロン・ファミリア】がどうにかなってしまうと言うことなのだろう?』

『え、あ、は、はい……たぶん、そんな感じかと……』

 

 頭が回らず、ただ、反射的に向けられる言葉に頷く私を他所に、小次郎さんは楽しげに笑っていた。

 

『カサンドラの話だけでは、具体的にどうなるかは分からんが、それでもふむ、楽しみだ』

 

 苛立ちではなく。

 怒りでもなく。

 不満でもなく。

 からかうのでも、蔑むのでもなく。

 ただ、楽しげに。

 その口にした言葉と同じように、楽しげに笑う小次郎さんに、ただ、私はすがるような声で問いかけた。

 

『……信じ、て、くれるん、です、か?』

『信じるとも』

 

 震えた、途切れ途切れの私の言葉に、小次郎さんは何でもないように頷いた。

 目の前で、自らの質問に答えたというにも関わらず、それでも信じられず。

 問い返した私に、小次郎さんは。 

 

『っ―――な、んで……どうし、て』

『何で、と言われてもな……カサンドラはどうしてだと思う?』

 

 逆に問いかけられて。

 そんなの、少しもわからない。

 何度も、何度も何度も考えてた。

 どうして、信じてくれないのだろう、と。

 頭が、それで一杯になるぐらいに、何度も何度も考えてきた。

 でも、それでもわからなかった。

 だから、小次郎さんが、その答えを教えてくれるのではないかと、期待したのだけど……。

 

『そんなことっ―――わか……んない……だから―――』

『ふ―――まあ、その方が面白いと言うのもあるな』

『おも、しろい?』

 

 なのに、小次郎さんははぐらかすような言葉を口にして。

 

『月を飛び越え太陽すら落とす兎が出ると言うのだ。そんなモノが相手になるというのならば、新たな秘剣を開眼できるやもしれん』

『新しい、秘剣?』

 

 からかうような、話をして。

 

『かつては飛ぶ燕を落とそうと躍起になってな。ようやく落とせた時には、秘剣を開眼していた』

『……小次郎さんが、秘剣に開眼するほどまで躍起になる燕って……それ、どんなモンスターなの?』

『ただの鳥だが?』

『絶対に嘘』

 

 何時しか、ぐるぐると、胸の奥でざわめいていた気持ちは落ち着いていて。

 自然と、口許には笑みが浮かんでて。

 震えていた身体は、何かに包み込まれているみたいに暖かくて。

 

『……皆そう言うがな』

 

 さっきまでの、心を占めていた不安は、別のナニかに置き換わってしまっていて。

 ただ、小次郎さんだけを見つめていた。 

 

『まあなに、先の言葉通り。そちらの方が面白いからといった単純なものよ』

 

 誤魔化すように、そう口にして笑った小次郎さん。

 だけど、それは別に、私の予言()を信じていないからじゃない。

 それは、わかる。

 何度も、何度も何度も見てきたから、聞いてきたから。

 私の(予言)を聞いた人の目を、声を。

 だから、わかる。

 小次郎さんは、本当に私の予言()を信じてくれていた。

 その、理由が―――根拠はわからなかったけれど。

 でも、それで十分だった。

 その時は、それで十分だと、これ以上はいらない、と―――そう、思ってた。

 けど―――……。

 小次郎さん……あなたは……。

 瞼を開く。

 映るのは夜空に輝く大きな丸い月。

 ―――ああ、そう。

 あの、夜のように、綺麗な月が浮かんでいる。

 【戦争遊戯(ウォー・ゲーム)】が決定し、その準備のために、試合会場となった廃墟の砦に赴いて。崩れた城壁の修復や、休むための部屋の設置等がある程度一段落した日の夜。

 ふと夜空を見上げて、そこに輝く大きな月にまるで誘われるように外へ出ると、城壁の向こうに広がっていた名も知れない花畑の中に、あなたはいた。

 まるで日の光を浴びるかのように、月光をその満開に花開いた白い花びらで受け止める花畑の中心で、あなたは一人佇み空を、月を見上げていた。

 

『―――どうして。信じて、くれたの』

 

 その背中を見て、何故か私の口からは、そんな言葉が出ていた。

 その答えは、聞いていた。

 けど、それが嘘じゃないけど、本当でもない事は、聞いたあの時から感じていた。

 それでもいいと。

 それでも十分だと思っていた。

 だけど、気付けば私の口からは、そんな問いかけが小次郎さんの背中へと向けられていた。

 何時ものように、はぐらかされるか、それとも同じような事を口にされるだろうと思っていた。

 だけど、その時、小次郎さんが口にしたのは―――。

 

『『予言()』―――そのものは信じてはおらなかったな』

『……』

 

 『信じていなかった』―――小次郎さんのその言葉を耳にして。

 だけど、何故か私はそんなに傷ついてはいなかった。

 何故なら、それは……きっと、私が小次郎さんを信じていたから。

 だから、その言葉に私は傷付かなかった。

 だって、私は知っていた。

 『信じる』と言った小次郎さんの言葉に嘘はなかった事を。

 

『信じたのは―――カサンドラだ』

『それは、どういう?』

『―――言葉通り』

 

 ゆらり、と小次郎さんの身体が、風に揺られる花のように揺れた。

 それはまるで、恥ずかしがるかのような仕草に見えて、それが何故か、私にはとても可愛らしく思えて……。

 

『『予言()』は信じられずとも、お前(カサンドラ)は信じられる……ただ、それだけの事だ』

『……わた、しが、口にした予言()が、どれだけ、荒唐無稽な事でも?』

 

 私の声が、あの時震えていたのは、どうしてだろう。

 驚き?

 嬉しさ?

 悲しさ?

 どれ、だろう?

 なん、だろう?

 

『カサンドラが口にするのならば、信じよう』

『―――』

 

 声なく。

 私は泣いた。

 滲む視界。

 流れる涙の熱さと冷たさ。

 小次郎さんは、『予言』を信じてはいなかった。

 だけど、『(カサンドラ)』を信じてくれていた。

 それが―――それが何よりも。

 『予言』を信じてくれた時よりも、比べられないほどに、嬉しくて。

 全身が、熱くなった。

 胸を打つ鼓動が、痛いほど高鳴って。

 震えていたのは、身体なのか、それとも心?

 その両方?

 心と身体が歓喜に震えるなか、信じられない程の幸福に反発するかのように、震える喉から、心の奥に仕舞っていた筈の不安が、こぼれ落ちてしまう。

 言葉が喉にひっかかりながらも、それは言葉を形作る。

 それが、口にしてはならないことだとわかっていても。

 

『おかしな、『予言()』を、見た―――の』

『……』

 

 時折、見る白昼夢のような予言()

 砂嵐のように黒い影が視界を妨げる中、不意に見える光景。

 小次郎さんと、誰かが相対している。

 見ようとしても、どうしても見えない相手。

 ただ、その相手が、一振りの剣を手にしていたのは見えた。 

 良くは見えなかった。

 だけど、あの形は、小次郎さんの持つ剣と、どことなく似ていた気がした。

 そして、小次郎さんは―――……笑っていた。

 まるで、ずっと恋い焦がれていた相手と出会ったかのように。

 夢見ていた相手から、誘われたかのように嬉しげに。

 (殺意)を向け合い。

 笑っていた。

 

『初めて、見るような、『夢』、で……それが、どうしても不安で』

 

 (カサンドラ)が見る『(予言)』は、その全てが悪夢であった。

 何が『悪夢』なのか。

 それは、残酷な結末となるからか?

 いいや、違う。

 そんな事ではない。

 そんな、単純な話じゃ、ないのだ。

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 どれだけ知恵を捻っても、声を上げても、策を労しても、全てを擲っても―――変えることが出来ない。

 だから、『悪夢』なのだ。

 まるで、結末が決まった物語のようだ。

 私は、そこに登場する脇役で、だけど時折読者として覗き見ることができる。

 だけど、登場人物であることは変わりがない。

 決まってしまっている『物語』を書き換える事など出来はしない。

 ただ、覗き見ることしかできない。

 既に決まってしまっている『結末(悪夢)』を、覗き見ることしか……。

 

『―――むかし、むかし……』

『……ぇ?』

 

 そう、ぽつり、ぽつりと私が独白するように口を動かしていた時だった。

 唐突に小次郎さんが声を上げたのは。

 反射的に顔を上げた私の前で、小次郎さんは月を見上げながら、とある『物語』を口にした。

 それは、とある国で起きた『決闘の物語』。

 天下一の剣士を決める、『物語』。

 むかし、むかしに起きた、とある戦いの物語。

 二人の剣士の物語。

 

 むかし、むかし、とある国に一人の剣士がいた。

 二振りの剣を操り、名だたる剣士を悉く打ち倒した剣士。

 やがてその剣士は、国にいる高名な剣士の殆どを一度も負けずに倒してしまい、何時しか人々から天下一の剣士と唄われるようになる。

 しかし、それに異を唱える人々がいた。

 彼らは言った。

 いや、天下一の剣士は他にいる。あの者こそが天下一の剣士である、と。

 それは、もう一人の剣士。

 飛ぶ鳥すら斬り落とすと唄われる、長い、長い剣を振るう剣士。

 まるで定められた運命のように、その二人の剣士は戦うことになる。

 決闘の舞台となったのは、『巌流島』。

 島一つを舞台にした決闘場。

 先にその島に到着したのは、長い剣を振るう剣士だった。

 一人、相手を待つその剣士であったが、いくら待てども相手は来ず。

 苛立ち、しびれを切らす剣士の前に、遅れに遅れて、ようやく相手が現れた。

 二振りの剣を振るいし剣士は、しかし手元には木で出来た長く大きな剣を手にしていた。

 長い時を待たされ苛立ち気が流行っていた剣士はそれを気にする余裕はなく、我慢できずとばかりに鞘を投げ捨て剣を構える。

 そして、それを見た遅れてきた剣士が口を開く。

 

「小次郎破れたり」

 

 勝つ者が、剣を納めるべき鞘を捨てる筈はないと、告げられた長い剣を振るう剣士は、ただただ激昂し木刀を持つ剣士に襲いかかった。

 しかし、長い時を待たされた上に、挑発された事によるものか、振るわれた剣に冴えはなく。

 逆に満を持して振るわれた相手の剣士の木刀は鋭く重く。

 見事、長い剣を振るう剣士―――小次郎の頭を打ち砕いた。

 そうして、天下一の剣士は決まった。

 その、唯一の天下一の剣士となった者の名は―――

 

 

 

『―――宮本武蔵』

 

 

 

 それを、聞いて、私は何を思ったのか。

 意味がわからなくて、何も考えつかなかったのか。

 色々と聞きたいことが多すぎて、言葉に詰まっていたのか。

 それが本当に、ただの『物語』なのか、それとも誰かの『過去』の『お話』なのか。

 あの時の私は、一体何を思い、何を考え、何を口にしようとしたのかは、結局く自分の事なのにわからなかった。

 何故なら、小次郎さんの話しはそこで終わらなかったから。

 

『―――私は、な。田舎の農民の小倅だった』

 

 あの日、あの時月を見上げたままに語り続ける小次郎さんの目には、一体何が映っていたのだろうか。

 

『貧しい家で、呼ばれる時には『おい』やら『お前』やらで、幼い頃の名などとうに忘れた……そもそも名を付けられていたのかすら忘れた』

 

 農民の生まれ。

 それは、直ぐには信じられなかった。

 だって、小次郎さんの立ち居振舞いは、優雅とさえ見えていて。それなりの生まれだった私から見ても、どこぞの貴族だったと言われても納得するほどだったから。

 だから、農民の子だったと言われても、何処か違和感を感じるほどだった。

 でも、重要なのはそこじゃない。

 重要なのは―――『名前を知らない』というところ。

 じゃあ、『佐々木小次郎』とは、一体?

 そう疑問を抱く私の視線に答えるように、小次郎さんの話しは続いた。

 

『物心が着くか着かんかの頃だったか。ある日、一人の老人が現れた。長い、長い刀身の―――物干し竿のように長い刀身の刀を持ったその老いた剣士は、山奥に居を構え住み始めた。そんなある日だ』

 

 月を見上げる小次郎さんの目が、懐かしげに細められた。

 

『老いた剣士が剣を振るう姿を見た』

 

 そう口にした小次郎さんの目は、まるで宝物を自慢する幼い子供のような目をしていて。

 

『その美しさに見惚れ、憧れ―――気付けば弟子入りしていた』

 

 ほぅ、と吐息を漏らした小次郎さんは、しかしそこで小さく苦笑するように口許を歪めた。

 

『だが弟子入りしてから一月もせず内に、その者は亡くなってな。辿るべき、目指すべき道しるべを失ったが、それでもあの日見た美しさを諦めきれず、私はそれからもただ剣を振るい続けた―――』

 

 月を仰ぎ、小次郎さんは語り続ける。

 己の軌跡を。

 

『ただ―――ただ剣を振るうだけの日々。何かを成すためではなく、ただ目蓋に、脳裏に焼き付いたあの美しさだけを求め、ただ剣を振り続ける日々が続き……いつの間にか、長い年月が過ぎ、気付けば『秘剣』が己の手にはあった』

 

 月から目を離した小次郎さんは、まるで月の光を掬い取るように持ち上げた自身の両の手のひらに目を落として。

 

『―――それで、十分……満足していた。後悔などありはしなかった』

 

 おのが掌を見下ろす小次郎さんは、一体何を胸に抱いているのか。

 その姿からは―――声や目からは何も読み取れない。

 何時もの、何時もと変わらない。

 だけど―――私には何か―――。

 だから―――

 

『それが、何の因果か……とある剣士の持つ剣に良く似た刀を持ち、同じような技を使うということで、『佐々木小次郎』の名を与えられる事になるとは』

『いや―――なんですか?』

 

 気付けば、問いかけが、口から出ていた。

 

『それは、ない』

 

 唐突な私の疑問を、小次郎さんは視線を向けることなく言葉で否定した。

 

『存外―――『佐々木小次郎』の名は身に染み入るようにしっくりとくる。だから、別に与えられた(押し付けられた)(佐々木小次郎)』を嫌ってはおらん』

『じゃあ、何が()()()()()()()?』

『―――』

 

 そう、私には、小次郎さんが何か不満を感じているように見えた。

 でもそれは、小次郎さんが口にしたように、嫌とか負の感情によるものじゃないような気がして。

 だから、良くわからなくて。

 

『私は、『佐々木小次郎』としてここにいる。『技』も『武器』も『佐々木小次郎』として申し分はないだろう。だがな、一つだけ足りないものがあるのだ』

『……それは、なんですか』

 

 何となく、その答えを私は気付いていた。

 だけど、無意識の内に、それを考えないようにしていた。

 だけど、私の思いとは別に、私の口は問いとしてその答えを求めていた。

 

『未だ『(佐々木小次郎)』は、『宮本武蔵』と戦ってはいない』

『―――っ』

 

 その、言葉は私にとって、とても、不吉な言葉だった。

 だって、ついさっき聞いたお話。

 とある剣士二人の決闘の『物語』。

 語られた『物語』で、『小次郎』はどうなった?

 『物語』の中の『佐々木小次郎』は、どんな結末を迎えた?

 

『『佐々木小次郎』は『宮本武蔵』の宿敵であり、語れば切り離せぬ存在。だがそれは『佐々木小次郎』だけの話だ。『宮本武蔵』は数多の逸話を持つが、『佐々木小次郎』にはそれがない。『宮本武蔵』とは違い、『佐々木小次郎』は『宮本武蔵』あってこその『佐々木小次郎』』

 

 視線を再び上げ、月を見上げる小次郎さんは、笑っていた。

 

『なのに、私は未だ『宮本武蔵』と戦ってはおらん。そんな者が、『佐々木小次郎』と言えるの―――』

『―――言えるっ!!』

 

 私の手は、垂らされていた小次郎さんの両手をしっかりと、まるですがるように掴んでいた。

 

『私にはっ―――私はここにいる『小次郎』さんしか知らない! 『物語』の『佐々木小次郎』なんか知らないっ!!?』

『カサンドラ……』

 

 自分がその時どんな顔をしていたのか、それはわからない。

 ただ、すがるように小次郎さんの腕を掴み、頭を垂れていたあの時の私の顔は、きっと酷い(自分勝手な)顔をしていただろう。

 

『『宮本武蔵』なんか知らないっ! そんな人と戦わなくても『小次郎』さんは小次郎さんですっ!!』

『……』

 

 私の、悲鳴のような声と思いを代弁するかのように、その時、一瞬吹いた強い風が周囲の花弁を撒き散らして。

 暫く、その雪のように舞い散る花弁を、小次郎さんは無言のまま見つめていた。

 そして―――

 

『―――だが、それでも私は『佐々木小次郎』なのだ』

『ッ!?』

『故に―――いずれ、必ず何処かで私は『宮本武蔵』と死合う事となる』

 

 それは、確信に満ちた声だった。

 既に決まっていた事を言うように、そう小次郎さんは口にして。

 だけど、いずれ必ず来るだろうその時を口にした小次郎さんは、私とは違ってそれを楽しみにしているようで。

 

『っ―――何で、どうしてっ―――だって! 『佐々木小次郎』は『宮本武蔵』に負けてしまうのにっ!?』

 

 私の目には、あの不可思議な『(予言)』の姿が映っていた。

 小次郎さんと対峙する誰か。

 それを見つめる小次郎さんは、楽しげに笑っていたけど。

 それは、だけど戦士の笑みで。

 だから、きっとその相手は凄く強い相手で。

 私の中で、何かが告げていた。

 それは、目の前の、この人の―――『佐々木小次郎』の―――

 

『私はっ―――』

『だがな、カサンドラ』

 

 ぐるぐると、焦りと恐怖で濁っていた思考と視界は、だけど次に小次郎さんが口にした言葉で一瞬で凪ぎ払われてしまった。

 

『私は、『佐々木小次郎』の『敗北』までは受け入れてはいない』

『―――……え?』

 

 思わず、顔を上げた私を、目を細めて笑いながら、小次郎さんは言った。

 

『例え『物語』の『佐々木小次郎』が、『宮本武蔵』のやられ役であっとしても、その『敗北』が定められたものであったとしても……だが、それでも私は『敗北』までは受け入れはしない』

 

 静かな声音で、でも強く―――強い声でそう小次郎さんは告げて、私の両頬をその大きな両手で包み込んで。

 

お前(カサンドラ)がどのような『(予言)』を見たのかは知らん。だがな、泣くな、カサンドラ』

 

 私の頬を包み込みながら、指先で何時しか流れていた涙を拭ってくれながら、小次郎さんは私に笑いかけて。

 

(佐々木小次郎)は勝とう』

 

 月明かりに照らされて、笑いながら小次郎さんは言ってくれた。

 (予言者)に―――

 カサンドラ(敗北を告げる者)に―――  

 

『『物語の敗北』も、『未来の敗北(予言)』も―――そして『宮本武蔵』をも、同時に斬り捨ててやろう』

 

 そう、言って。

 私の頬から手を離して、そう告げてくれた。

 

『だから、泣くなカサンドラ』

 

 何時ものように、優雅で、自然そのままな姿で、私を見て、笑いかけて。

 

『美しい()には、やはり涙よりも笑みの方が似合う』

 

 そう、言えば。

 私は、あの時、ちゃんと笑えたのだろうか。

 そして、私は、あの後―――どうし、て……。

 

 過去と今が近付き。

 繋がろうとした―――その時だった。

 

「―――ぇ?」

 

 私の、前に、誰かが立っていた。

 その人? は、何時からそこにいたのか。

 気付けば、そこに立っていた。

 五M程離れた私の前に、一人の老いた男の人が、立っていた。

 微かに聞こえる虫の音や風に揺れる草葉の音以外には聞こえない静寂が満ちる中、草を踏みしめる音の欠片すら聞こえなかった。

 そして、不思議な事に、目の前で、自身の目で確かに見ているのに、意識から抜けてしまいかねない程に、その気配は薄いにも関わらず。

 まるで、何百年、何千年も生き続けていた巨木のような、存在感すら感じられる。

 あまりに、自然だからこそ目に留まらず、あまりに、自然ゆえに圧倒された。

 簡素な、東から来た異国の冒険者が良く来ている服に似た、粗末な服を身に纏ったその老人。

 まるで鉄芯が入ったかのように伸びた背中からは、老いは全く感じられないけれど、背に流れる髪は、月明かりでもわかる程に老いて白く艶がなく。服から伸びた腕には、長い年月を過ごした樹木のような深い皺が刻まれていて、それらが、その男の人が歳経た老人であることを示していた。

 

「あの、剣」

 

 幽霊か何かのように存在感が薄く、それでいて巨木の如く気配も感じさせるその老人を、私は精霊ではないかと思い至るも、その手にあるモノに気付いた瞬間、頭と意識にハンマーで殴られたような衝撃を感じた。

 そこには、長い、長すぎる刀身を鞘に納めた剣があった。

 そんな奇妙な剣を持つ人を、私はあらゆる人種、武器を振るう者が集うオラリオの中でさえ、たった一人しか知らなかった。

 そして、その人と、今、目の前にいる老人が―――

 

 ―――月が―――斬れた―――

 

 何時、剣を抜いたのか。

 どう、振るったのか。

 まるで、見えなかった。

 それ、どころか気付けさえ、出来なかった。

 ただ、振り終えた、抜き身の剣に、気付いたから()()()()()()()()()()()()

 でも、何よりも可笑しな事は、振るった先がわからなかったのに、斬ったのは()()()()()()()()()()()()()()()

 そらに輝く月は未だ天にある。

 だけど、私は確信を持って言えた。

 あの人は、今、確かに『月』を斬った、と。

 

 剣を納め―――振り返る、その老人の目が、一瞬、私と合ったような気がして。 

 そして、その老いた剣士の顔が、誰かと重なって見えて。

 

 私は――――――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 決闘の時来たる。

 

 避ける事は出来ず、有り得ず。定められた運命は、遂に剣士に追い付いた。

 

 泥に落ちた杯に祈りしは、偽りの贋作者。

 

 数多に別たれた結末に手を伸ばし。指先に触れるは断絶の先に輝く光。

 

 遂には善悪正邪問わず斬り伏せる、打ち捨てられた誤ちをその手に掴んだ愚者は咆哮を上げる。

 

 己の血肉と魂を焼べ、打ち上げしは一時の夢幻。

 

 切り落とされた枝先から溢れ落ち、数多の枝上へと転がり落ちた先にて虚空へと消え去りし泡沫の影。

 

 相対するは、歪なる役者。与えられた命題に身を委ね心のままに舞い躍る。

 

 されど物語の結末は既に終点を描かれ、演者は外れる事なく、ただ時は過ぎ。

 

 一つ、二つ、三つ。彼方より振るいし閃光も、無二の先に至りしものには届かず。

 

 鋼は折れ、紅き華を散らし、ここに運命は決定する。

 

 残されし予言者の嗚咽は消えることなく高く響き。

 

 悔恨と後悔に彩られた声は、裂かれた空に虚しく吸い込まれ消えていく。

 

 『物語』は変わらず、『予言』は覆らず、全ては定められたままに終わった。  

 

 されど、待ち続けた男は今こそ偽りから脱却する。 

 

 剣士、相対せしは、虚空の彼方より来る待ち人。

 

 其は―――天元の華。

 

 

 

 

 

 

 

 




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