たとえ全てを忘れても 作:五朗
炉の中で炎が上がり、そこで熱せられた鋼を引き出しては手に掴む鎚にて叩き、鍛える。
幾度も幾度も鍛える打ちに、鋼に沈む淀みにも似た不純を叩きだし。
やがてただの鋼の塊を、強く、硬く、粘りのある刃へと変じさせていく。
鋼を鍛える音がする。
鎚を振るう音がする。
炎の明かりと、鋼を打つ音が響くだけの世界。
何時までも続くばかりと思われたその小さな閉じた世界は、しかしやがて一際高く響き渡った鋼を打つ音を終わりに静まり返った。
炉の炎だけが
「―――流石は、と言ったところか」
「……何処がだ」
何時からそこにいたのか、ずっとそこにいたのか、それともつい先ほど来たばかりなのか、鍛冶場の片隅、光の届かない位置に、壁を背にして立つ人影が一つ。炉の光に照らされ出来た影でもわかる曲線から、それが女であることはわかる。
その女はゆっくりと壁から背を離すと、炉の前で今まさに剣を打ち上げたばかりの男へと近付いていく。
「こと『魔剣』に限れば、そこらの『
「っ、何が言いたいんだよ」
何処か笑っているような声音を背に受けた男は、剣を台に置くと振り返り、苛立ちも露に顔を険しく歪め、近付いてきた女を睨み付けた。
「久々に姿を見せたかと思えば、からかいに来たのか」
「……いや、なに」
女にしては背の高いその者は、炉の前で腰を下ろしながら睨み上げてくる男から視線を外し、その側に置かれた剣へと視線を転じた。
「ただの―――そう……ただの気まぐれだな」
「? ……何か、あったのか団長?」
炉の炎に照らされたその顔、片目を眼帯で隠した自分が所属する【ファミリア】の団長である椿に、先程の非難するような視線から戸惑いへと変えた男―――ヴェルフが問いかけた。
「何か、か……」
「そうだぜ。他の奴等も言っていたぞ。【ロキ・ファミリア】との遠征から帰ってから様子がおかしいってな。鍛冶場に籠りっきりってのはこれまでも珍しくはなかったけどよ。流石に最近は度が過ぎてるぜ。それに何より―――」
【ヘファイストス・ファミリア】団長である椿が、一月程前に【ロキ・ファミリア】とのダンジョンからの遠征から戻ってから様子がおかしくなっていると言うのは、団員の間では周知の事実であった。おかしくなったと言っても、何か奇行をしたり問題を起こしたりとかではない。元々鍛冶場に籠りがちではあったが、それもただ目につくぐらいになった程度であり、今すぐにどうにかしなければならないと心配するほどではない。だが、それでも皆が口を揃えて『おかしい』と言うのは、その身に纏う雰囲気からであろう。
良く言えばおおらか、悪く言えば大雑把な、言ってしまえば常に余裕を持った姿を見せていた椿と言う【ヘファイストス・ファミリア】の団長であったが、最近はまるで追い詰められた獣のような、余裕のない気配を身に纏っていた。
声をかけるどころか、近づくことさえ躊躇するほどの苛立ちにもにた気配を漂わせる姿は、まるで手負いの獣であった。
「なぁ、団長。あんたに何があったんだ?」
「……なぁ、ヴェル吉」
「あ、ああ?」
「お前はどうして『鍛冶師』に成りたいと思った?」
「はぁっ!?」
何処か弱々しい口調に、思わず身構えていたヴェルフであったが、まるで子供のような椿の質問に、戸惑った声を上げてしまう。
「なぁ、どうしてだ?」
「……そりゃぁ」
炉の炎から視線を動かさず、ヴェルフにではなく、まるで己自身に問いかけるかのような椿の言葉。それを感じ、咄嗟に文句を口にしようとしていたヴェルフは、暫くの間黙り込んだ後、躊躇うようにしながらも、その口を開いた。
「―――俺は口が上手いほうじゃねえから、色々と言えねえけど。まあ、単純に好き、だからじゃねぇかな」
「好き、か……」
視線を感じてはいないが、ヴェルフは反射的に椿から顔を背けると、誤魔化すように頭を片手でかき始めた。
「ああ、理由なんて、大概がそんなもんだろ。結局好きか嫌いか―――それだけだろ」
「そんなもの、か……―――」
チラリ、と僅かに顔を振り向かせ、覗き見るようにヴェルフは椿を見る。
椿はヴェルフの視線に気付いているのかいないのか、その一つの瞳は炎を映したまま動いてはいない。
しかし、その何処か焦点が合っていないように見えたその瞳が、不意にナニかを捉えたかのように何処かへとその視点が合ったように見えた。
そして、椿の口から、思わず、と言ったような様子で言葉が溢れた。
「―――ああ、だからか」
「何が、だから何だ?」
気付けば、ヴェルフの口はそう動いていた。反射的なその問いに、口にしたヴェルフ自身も返事を期待した訳ではなかったのだが、予想に反し、椿は微かな自嘲じみた笑いと共に返事を返してきた。
「手前は、な。鍛冶師である己に誇りを持っておるし。神が打ち上げた剣に迫り、追い越そうと挑む日々に充実を感じておる」
「それは……」
独白に似た椿の言葉に、何かを口にしようとしたヴェルフだったが、結局それは形になる事はなくたち消えてしまう。それに椿は気付いた様子を見せる事なく、変わらず自嘲染みた笑みを口元にたたえたまま話を続けていた。
「かつて見た
揺らめく炎を目に灯し、椿は笑みの形をした口から言葉を紡ぐ。
「しかし、始まりは、ただ、『好き』だったからだ」
ヴェルフに向けた
それは自分に対し、話しかけるような、笑いかけるような声で。
そう、始まりはただ、『好き』だったから。
何時か、ああ、そうだ、あの遠征の最中、【剣姫】に言ったではないか。
『本物の『剣』を見た』―――と。
あの男の戦う姿を。
何処までも削ぎ落とされた研ぎ澄まされた。
『遠征』から戻ってきてからこれまで、自分の様子がおかしいのは自分でもわかっていた。
団員や主神から何も言われずとも、その視線が、雰囲気が、何より己の内から沸き上がる名状し難い感情が明確に告げていたからだ。
最初、それはあの日見た光景。
己の打ち上げた『魔剣』と寸分違わない『魔剣』をあの男が、造り上げたか何処かからか呼び寄せたかはわからないが、もう一振り目にしたことが原因だと思っていた。
いや、実際にそれもあるのだろう。
ただ似たような、真似たそれではないのは絶対に断言できた。
自らの手で打ち上げた
だから、そんな自身の目であっても
己の、この名状し難い感情を。
だが、違った。
違うのだ。
手前は、ただ、悲しんでいただけだったのだ。
あの『剣』が。
あの、何処までも研ぎ澄まされた、ただ一つの目的だけに真っ直ぐに進むあの『
まだ、見ていたかった。
もっと、見ていたかった。
あの『
これが、巷で聞くような『愛』とか『恋』とかそんな綺麗なものでは無いことを、己は理解している。
そんな綺麗なものではなく。
もっと身勝手な、我が儘で自分勝手な、そんな醜い感情。
幼子が無邪気に、悪気なく虫の手足をバラバラにするかのように。
『剣』を好きになり。
鍛冶師となる前に、興味をもった剣をバラバラに砕き、それが何を素材として打ち上げられたかを時間を忘れ調べていたあの頃のように。
あの『
それが奪われた事に対し、無意識のまま身勝手な不満を抱いていたのだろう。
「―――はは、手前もまだまだ未熟よな」
炉の炎から逃げるかのように、瞼を閉じた椿が、その顔を硬くなった大きな手で覆う。
閉じた瞼の裏に、ついこの間やってきたフィンの姿が浮かぶ。
そして、その時口にした言葉を。
つい先日の事だった。
突然押し掛けてきたあの男が、珍しいことに何か言い渋った後、確定ではないがと前置きをした後に口にした言葉。
『あの男の姿が目撃された』―――という言葉を。
口許が、歪んだ。
近くにいるヴェルフの身が固まった気配を感じる。
ああ、自分でもわかっている。
今、己がどのような笑みを口にしているのか、を。
それに構わず、ゆっくりと手を顔から離すと、ヴェルフに背を向ける。
何か言いたげな雰囲気と視線を背中に感じながらも、無言のまま足を外へと向ける。
己の中にわだかまっていたものの、明確ではないがある程度の形を知った。
なら、どうするか。
いや、もう既にどうするかは決めている。
その判断を、己の立場が許す筈がない事はわかってはいる。
理解している。
だが―――ああ、だが、だ。
そんな事は知るか、だ。
もう決めた。
決めたのだ。
それに、借りがあるのだ。
それも、大きなモノが二つ。
ならば、行くしかあるまい。
それが、ただの言い訳であることはわかっている。
本当の理由が、ただ特等席で見たいという身勝手なそれであることをわかって、理解して、それでもと笑みを浮かべて、足を前に動かす。
久しぶりに感じる視界の広さ。
体を軽く感じながら、前を歩く。
向かう先は主神のいるだろう部屋だ。
何を言われるだろうか。
久々に雷が落ちるかもしれん。
いや、ただ呆れられるだけかもしれん。
だが、構うことはない。
もう決めたのだ。
進むべき方向は定めた。
ならば、後は進むだけ。
まあ、何時もの事だ。
なんとかなるだろう―――。
「―――ヘスティア様」
「ん? ああ君か」
手にしていた瓦礫を放り投げるようにして下に落としたヘスティアが、後ろから声を掛けてきたリリへと向かって振り返る。手の甲で浮かんだ汗を拭きながら笑いかけるヘスティアの視線の先には、両手を後ろに組み、所在無さげに立つリリの姿がそこにはあった。
ヘスティアは両手についた砂埃を手で叩き落としながら、声を掛けてきながら視線を逸らしたまま何も言わないリリへと向かって声をかけた。
「何か用かい? まだ体の方は万全じゃないだろう。もう少し休んでおきなよ。君にはこれから大一番があるんだし」
「それは―――」
気を使ったヘスティアの声に、ようやく向けたリリの顔には、何処か叱られる前の子供のような表情が浮かんでいた。
「リリは―――出来るでしょうか……」
一瞬向けた顔を、直ぐに項垂れるように下へと下げ、肩を落とし、今にも小さく消え失せてしまいそうな雰囲気を漂わせながら、リリが呟くように、すがるような声でヘスティアに向かって声を向けた。
その、怯えるような声を聞いたヘスティアは、一度視線をリリから外し、ゆっくりと彼方へと沈み始め、黄昏色に染まり始めた空を見上げると、小さく一つため息を吐きながら、地面に落ちている腰ほどの高さがある瓦礫の一つに腰を掛けた。
「助けてくれと言ったのは、こちら何だけどね」
苦笑を浮かべ、俯いたまま顔を上げないリリへと目を向ける。
まさに怒濤のような日々であった。
襲撃を受けながら【アポロン・ファミリア】の拠点まで向かい宣戦布告。保護していたリリが【ソーマ・ファミリア】に連れ去られ、逆転の目を狙った【
しかし、そんな中でも、そんな逆境の中でも決して諦めず、足を止めずに前へと動いた。
ベルは戦いに向け、【ロキ・ファミリア】の下へと向かい。
連れ去られたリリを救うため、ヴェルフや【タケミカヅチ・ファミリア】の団員達と共に【ソーマ・ファミリア】に襲撃に向かって。
根本的で致命的な要因である数を補うため、他の【ファミリア】から命とヴェルフがあらたに【ヘスティア・ファミリア】として加わって。
どれもこれもが、一つだけでも重大事件である。
それが僅か数日の内に連続して続いて。
そして、もう間もなくその結果が結実するだろう日が目の前にまで来ている。
それを成功させるか失敗に陥るかを決める重大な一手を、このリリが担っている。
目前にして、不安がその小さな体を、心を蝕んだのだろう。
「サポーター君なら出来るさ。何せあのソーマの酒を飲みながら啖呵をきった程なんだ」
「それは―――」
鼓舞するように、一際明るい調子で声を掛ける。実際、ヘスティアの言葉に嘘はなかった。ソーマの酒は、事実それだけの力が、魔力といっても良いほどの力があった。例え高レベルの冒険者であっても、抗う事ができない程の力がソーマの酒にはあり。それをレベル1でありながら、はね除けたリリの意思の力は、それだけで十分偉業と言っても過言ではなかった。
しかし、ヘスティアの言葉に対し、ゆっくりと顔を上げたリリに浮かんでいた表情は、期待していたような不安が払拭されたものではなく。何処までも自信が感じられない。卑屈と言っても良いほどに、未だ不安に揺れる目をしていた。
それを目にし、ヘスティアは浮かべていた笑みをほどくと、先ほどまで自分が片付けていた瓦礫の山に視線を向けた。
「そういえば、サポーター君は会ってなかったな」
「え? 誰のことですか?」
唐突とも言えるヘスティアの言葉に、リリがびっくりしたように目を丸くしながら首を傾げる。
「―――シロ君とだよ」
「シロ、様ですか?」
首を傾げながら顎に手を当てたリリは、直ぐにそれが誰かであるか思い至ると、小さくその頭を頷かせた。
「ああっ―――あの【最強のレベル0】と言われた」
「そうだね」
「……噂やベル様から聞いたことはありましたが、会ったことはまだ……それに、その人は確か―――」
【最強のレベル0】―――そう呼ばれた異端の冒険者がいることをリリは勿論知っていた。それが、自分が身を寄せていた【ヘスティア・ファミリア】の団員であることも、ベルに近付いた時から既に知っていた。が、当の本人と直接会ったことはなく。リリの知る『シロ』と言う男は、噂でしか知らない良く知らない男でしかなかった。
しかし、その男が、シロと呼ばれる男が、ヘスティアやベルにとって欠けがえのない人物であることは、その男について話す彼らの姿から容易に想像がついた。
だが、その男も、最近は姿を見せず。
情報屋の中には既に死亡したという情報も流れていることを、リリは耳にしていた。
だから、ヘスティアの口からその男の名が出た時、リリの顔は思わず強ばってしまっていた。しかし、それを目にしたヘスティアは、リリが何を思っているのかを察しながらも、小さく口許に笑みを浮かべた。
「そんな顔をしなくても、シロ君は死んでいないよ」
「っ、その、ですが」
「大丈夫」
シロという男の死を否定するヘスティアに対し、リリが懇意にしている情報屋の姿が思い返される。オラリオに数多くいる情報屋の中でも、それなりの情報通の者であるが、その情報屋でさえ、『シロ』の生存に疑問を抱いている事を。『シロ』も、その情報屋を何度か利用した事があるそうだが、最近は全く姿を見せないことも、その理由であるそうだが。
主神とその契約者である団員には、不思議な繋がりがあると聞く。
ならばヘスティアには、何らかの確信があるのだろう。
「そう、なんですか……」
そう思い頷くリリ。
「あの、それでその人が、何か?」
「サポーター君。君はつまり、自信がないんだよね」
「―――っ……そう、です」
端的に言ってしまえば、そう言うことになる。
リリにとって、これまでの人生は挫折と失敗が全てであった。
小さな成功はあるが、結局は最後では全てを奪われてしまう。
【ソーマ・ファミリア】から逃げ出し、出自を隠し小さなお店で働いていた時も、結局見つけ出され連れ返されてしまい。始めてサポーターである自分に親切にしてくれたベルさえも騙してまで、脱退のための資金を貯めようとしながら、最後の最後で全てを奪われ捨てられてしまい。
つい最近もそうだ。
死んだと見せて、【ヘスティア・ファミリア】に身を寄せていたら、そこも見つけ出され連れ返されて。ソーマの酒を飲みながらも啖呵を切って見せたとは言え、ヘスティア達の力がなければ、そもそもその切っ掛けさえ掴めなかったかもしれない。
つまり、リリが自分一人で何かを成し遂げたり、手に入れた事は今まで一度もなく。
これから始まる大一番において、重要な役目を与えられた自分が、それをきちんと成し遂げられる自信が、それを裏付けられる事のできる過去が、リリにはなかったのだ。
だから、今もまだ、踏ん切りがつかないでいた。
【
それには絶対に参加するつもりではある。
つもりではある―――が、なのに、今をもってそもそもの前提である筈の【ヘスティア・ファミリア】への入団を尻込みする自分が、ここにいる。
失敗してしまう。
期待に応えられない。
自分のせいで全てが終わってしまうのではないか。
嫌な考え、最悪な想像が、二の足を踏ませていた。
前へと、未来へと進もうと決めた自分の足掴むのは、これまでの自分の人生。
失望ばかりの自分の過去。
これまでは、最後は自分だけに降りかかった最悪が、もし、【ヘスティア・ファミリア】に入った事で、【ファミリア】にまで及んでしまえば、という考えが、どうしてもこべりついたように離れない。
だから―――。
「リリがやることは、重要です。もし、失敗してしまったらと考えてしまうと、体が震えて、動け、なくなるのです。だって、リリは知っています。自分の力を……自分の程度を……何時も何時も、最後の最後で駄目になってしまう。リリだけでは駄目だった。何時も最後は助けられてばかり。ベル様に、それにヘスティア様達にも……だから―――」
―――だから、と続く言葉は、
「―――シロ君は、ね」
ヘスティアのポツリと呟かれた言葉により遮られた。
「え?」
思わず俯かせていた顔を上げたリリの視線の先では、ヘスティアが茜色に染まった空を見上げていた。
「記憶がないんだ」
「……記憶が、ない?」
突然のヘスティアの語りに、思わず言葉を返すリリに構う事はなく。
ヘスティアの独り言のような言葉はポツリ、ポツリと続いていた。
「
「それは……」
「始めて会った時は凄かったよ。ここからちょっと離れたところでね。大雨が降ってたときだった。ずたぼろで、パッと見はもう死人と間違えてしまう程だったよ」
ヘスティアの視線が上から前へ。
遠い場所を、過去を見るかのように、その目が細められていた。
「何とかしてここまで連れてきて、何日も世話をして、漸く目を覚ましたかと思えば、記憶がなくて、こちらの問いかけにはきちんと答えてくれるけど、自発的には何もしなくて、まるで『人形』だったよ」
「そう、なんですか? 噂やベル様に聞いたかぎりだと、全然違うように聞いていますが」
「だね。本当に今じゃ別人のようにも思えるよ。だけど本当さ。言えば動いてくれる、聞けば答えてくれる。だけど、自分からは全く動こうとしない」
そう、本当に、あの起きたばかりの頃のシロは、目覚めたばかりの彼は、精巧な人形のようだった、とヘスティアは思い返す。何の感情も浮かばない顔に、意思すら感じられない瞳。体からは生気を全く感じられず、まるで死を間近に控えた老人のような雰囲気さえ感じられた。
そんな老人のような、人形のようなシロとの日々が数日続き。
変わったのは、そう、あの日のこと。
その時の事を、きっとヘスティアは忘れないだろう。
全てが始まったあの日の、あの時の事を。
「そんな彼が始めて自発的に動いてくれたのは、ボクを助けてくれた時だったんだ」
「それは……」
「ちょっと厄介な神の奴が絡んできてね。レベル2を含んだ子供達がちょっかいを掛けてきたんだ。それをたまたま一緒に歩いていたシロ君があっという間に叩きのめしてしまったんだよ」
「【最強のレベル0】」
リリの脳裏に、『シロ』と呼ばれる冒険者の二つ名が思い起こされる。
普通ならば、レベル2になった際に、神々から名付けられるそれではあるが。
シロのその二つ名は、そうではなく、自然と周囲がそう呼び始めたそうだ。
「そう言われるようになった事件だね」
こくりと一つ頷いたヘスティアが、一度目を閉じると、開くと同時に息を吸い込んだ。
それは何処か照れ臭い話を、一気に言ってしまおうするような、そんな意気込みを感じるような勢いで。
「その日の事だよ。ボクがシロ君を【ファミリア】に誘ったのは」
「そう、なんですか。目が覚めた日とかじゃ。ああ、何か考えがあって―――」
「いや、単純にその日までど忘れしてただけだよ」
シロが最初の団員であると聞いているリリは、ヘスティアの性格から、目が覚めた瞬間に勧誘したのではと思っていたため、不思議に思い尋ねると。それに対しヘスティアは、何かを誤魔化すように後頭部を一つ掻くと、ぷいっと明後日の方向に顔を向けて答えた。
「そ、そうなんですか」
何と言えば良いのか。
らしいと言えばらしいヘスティアの姿を思い浮かんだリリは、ぎこちなく頷く。
ヘスティアはそんなリリから意識を逸らすためか、少し早口に話の続きを口にした。
「でね。その時シロ君が何て言ったかわかるかい?」
「えっと、ただ承諾しただけじゃ、ないんですか?」
「いや、『止めておけ』だって」
「え?」
「『俺にはここに来るまでの記憶はない。これまで何をしてきたかもわからない。そんな得たいの知れない男を誘うような馬鹿な事は止めろ』ってね」
「それは、まあ、確かに……」
最初は驚きに声を上げたリリではあったが、シロの言い分に最もだなと思い内心で頷く。しかし、それを口にするのが、第三者ではなく当の言われた本人が口にするところに、隠せない人の良さを感じ心の中で思わず小さく笑ってしまう。
ベルから良く話に聞いた通り、その話す本人と同じように、それとも似ているのか、人が良い―――いや、優しいのだろうと、リリが思っていると。
「だから、ボクは言ってやったんだよサポーター君」
言葉の中に笑みを含めたヘスティアの声に意識を向けた瞬間、リリの耳にその言葉が飛び込んできた。
「『知るか』ッ! てね」
「は、あ?」
怒っているような、笑っているようなそんなヘスティアの声に、リリは思わず気圧されてしまう。
戸惑う姿を見せるリリに構わず、ヘスティアの言葉はどんどんと続いていく。
「過去かどうとか、昔はなんだったのか、そんな事を言われてもね。確かに大事かもしれない、重要なのかもしれない。だけどねサポーター君」
「は、はい」
過去を語っていた言葉は、何時しか目の前のリリに向けられていた。
それに気付いたリリが、知らず背を伸ばしながら、真っ直ぐに自分を見つめるヘスティアの目を見返すと、その神秘的な光を宿す瞳に自分の緊張に強ばっている顔が映っていた。
そんなリリに向かって、ヘスティアは柔らかな笑みを向けた。
「ボクはね、昔の
「っ」
日が落ち始め、黄昏時の時間により、顔に影が差しその表情が見えずらくなってきている。
しかし、不思議なことにそのヘスティアの瞳は、そこに浮かぶ感情はリリの目にはハッキリと見えていた、感じていた。
「短い間かもしれない。だけど、その間に話して、笑って、怒って、一緒に食事して。ああ、楽しい、もっと一緒にいたいと思った。今、目の前にいる
「へす、ティア様……」
「今、君が抱えている不安を消してしまえるような、上手いことは言えないし、力にもなれない。だけど、一緒に考えて、悩むことはできる。同じ方向を向いて、歩いていくことはできる」
いつの間にか、瓦礫から腰を離し立ち上がっていたヘスティアが、リリの目の前に立っていた。
そして、ヘスティアの手が、ゆっくりとリリへと向かって伸ばされた。
「だから、サポーター君」
「―――ぁ」
広げられた掌が、リリへと向けられていた。
「ボクの、新しい家族になってくれるかい?」
「ヘスティア様―――リリは……」
「昔は、過去は捨てられないし、変えられない。そしてそれが今の君を形作っているのもわかる。だけど、ね。サポーター君。それでもボクは言うよ」
手を伸ばし、掌を向け、笑いかけ。
ヘスティアは望む。
「ボクの、家族にならないかい」
「りり、は……」
「ここから、始めよう。頼りないけど、ボクもいるし。君とってはベル君もいるだろう。それに最近は命君達も入ってくれたし、少し前に比べたら大分賑やかになった。何よりシロ君がいる」
「でも……その、人は―――」
「会えるよ」
自分とは違う理由で、だけど、根本的な思いは同じ理由で、入団を避けた人は、今はここにいない。
それに対し、ヘスティアは確信に満ちた声を、言葉を口にする。
断言する。
「きっと、君も直ぐに会える。落ち着いているかと思えば、思いっきりがよくて。冷静かと思えば感情的で。酷く冷めていると思えば、情が厚すぎたり。本当に目が離せない子でね」
笑いながらそう言うヘスティアの声は明るく、楽しげで。
「だけど、一つだけはっきりと言えるのは」
本当にその人が大事であると言うことを、リリに感じさせて。
「シロ君は、絶対に諦めないし見捨てないって事だよ」
真っ直ぐに自身を見つめるヘスティアの瞳が、自然と伸ばされたリリの手を、背中を押して。
「そして、それは君も同じだろ。ね、サポーター君」
太陽が沈む間際、細い糸のような黄金の光が、その最後、結ばれた掌の間で小さく暖かな光を灯した。
無事、リリの『
「やあ、ヘスティア」
「……何だヘルメスか」
魔導灯の明かりがぎりぎり届く位置に、微かに見える口元に何時もの胡散臭い笑みを浮かべたヘルメスがそこにはいた。
もう一頑張りと気合いを入れていた所に水を差されたヘスティアは、不機嫌な顔をしてヘルメスを睨み付ける。
「はは―――何だとは酷いな」
「で、何かようかい?」
小さくため息を吐きながら、ヘルメスに向かい合うとヘスティアは、胸の前で両腕を組むと鼻息も荒く話を促す。
私は機嫌が悪いですと言外に伝えるヘスティアの姿に、苦笑を浮かべながらヘルメスがここにきた理由を口にしようとしたが、ふと思い直すように周囲を見回す。
「まあ、ちょっと君に用事があってね。けど、その前に一ついいかな?」
「何だい?」
むすっとした顔のまま、ヘスティアが問いかけると、ヘルメスは建物部分がほぼ全て吹き飛んでしまった、かつての【ヘスティア・ファミリア】の拠点であった廃教会跡をぐるりと見回した。
「ヘスティア、君は一体ここで何してるんだい?」
「見て分かんないかい?」
「……何か探してる?」
ヘルメスにはそれぐらいしか思い付かなかったが、事実ヘスティアの用事とはそのまま探し物であった。
突然の襲撃により取るものも取らず逃げ出してしまったことから、ここにはまだ貴重なものや大切なものがまだ置きっぱなしであり。その中でも特に万が一盗まれてはいけないものも、まだここにはあった。
だから、ヘスティアは『
「まあね」
「まあ、襲撃は突然だったしね」
「そういうこと、殆どは別に無くても困らないものばかりなんだけどね。一つだけ、どうしても回収しなくちゃならないのがあってね」
それを保管しているのは、それなりに頑丈な所なので、潰れてしまっていると言う事はないだろう。しかし、そこまで辿り着くまで、まだまだ時間が掛かってしまうのは、容易に想像がついた。
何とか地下への通路の入り口まで辿り着けたが、安全を確保しながら作業しているため、未だ地下への階段を一歩足りとも進めていない現状であった。
「へぇ、で、見つかりそうかい?」
「見当は付いてるけど、そこまで辿り着くのがね」
ヘルメスの問いに、小さく肩をすくませて応える。
他の団員達が『
「それは―――」
「別に、君に言う必要はないよね」
「ケチだね」
それを事前に察したヘスティアが鋭い声で拒否を示すと、ヘルメスはつまらなそうに息を着いた。
「日頃の行いだね」
「それは仕方ないか」
自身のこれまでを顧みて、ヘルメスは小さく肩を落とす。
そんなヘルメスに呆れた目を向けた後、ヘスティアは小さく頭を振ると、小さく喉を鳴らし、そもそも何の要件でここにきたのかを問いかけた。
「で、結局ボクに用って何の要件だい?」
「助っ人の枠について推薦にね。腕前は十分以上だから安心してくれ。それに、君もその目で見たから知ってるか。どうだい、彼じ―――」
ヘスティアの言葉に、ここにきた理由を思い出したヘルメスは、どこぞのセールスマンのように今回の『
その人物は、ヘスティアも面識があり、その戦闘力も間近に見た経験もあることから、ヘルメスは話ながらも断ることはないだろうという確信があったのだが。
「ああ助っ人か、それ、実はもう決まったんだ」
「―――ヘ?」
あっけらかんとした、ヘスティアの言葉により水のように流れていた言葉が途切れた。
ぽかんと口と目が丸く開いたヘルメスの様子に気付いているのか、それとも気付いていないのか。
ヘスティアはにやにやとした悪戯な笑みを口元に浮かべながら、驚き固まるヘルメスを見ていた。
「ボクも驚いたけど、君も―――いや、皆驚くだろうね」
「えっと……それは―――」
「勿論、言わないけどね」
「ッ」
期待してはいなかったが、ヘスティアの何処か笑いを含んだ拒否の言葉に、ヘルメスは顔がひきつるのを自覚した。
「試合開始までもう間もなくだし。君も楽しみにして待っておいでよ」
「ちょ―――ヘスティア」
話は終わりだとヘルメスに背を向けたヘスティアに、反射的に手を伸ばそうとするが、拒否するように後ろ手でぱたぱたと左右に振られるのを見ると、伸ばされかけた手は力なく下へと下ろされることとなった。
「ほらほら行った行った。時間がないんだから邪魔だよ邪魔」
「はぁ、あまり緊張してないんだね君は」
その普段と変わらないヘスティアの様子からは、初めて『
すると、ヘスティアは肩越しにヘルメスに振り替えると、その魔導灯で照らされた顔に満面の笑みを浮かべ見返すと、自信満々な声で言い放つ。
「信じているからね」
「―――誰かと聞いても?」
「決まっているだろ」
一度、目を閉じ何かを、誰かを思い、次に開いたその瞳に、満天の星空のような煌めきを灯したヘスティアは、宣言するかのようにその言葉を口にした。
「―――【
感想ご指摘お待ちしています。