たとえ全てを忘れても 作:五朗
やっぱり感想があると力になります。
おかげで久しぶりに早めに書き上がりました。
……でも、ちと勢いで書いた所があるので、可笑しなところがあるかも……。
もしかしたら、後で訂正するかもしれません。
変な所があればご指摘をばお願いします。
『―――アイズさんは、どうして僕に手を貸してくれたんですか?』
『それは……』
『……それに、アイズさんだけじゃない。他の【ロキ・ファミリア】の皆さんもどうして、あんなに……自分で言うのも変ですが、普通なら追い返されても仕方がないことを僕は頼んだと思うんですけど……』
『……私―――達は、助けられたから』
『え?』
『詳しくは、話せないけど……私達は何度もあの人に助けてもらったから』
『あの、人? それって、もしかして』
『……ねぇ、ベルにとってあの人は―――シロさんはどんな人なの?』
『シロ、さんが、僕にとって、ですか?』
『うん』
『レフィーヤさんにも最近聞かれたんですが……』
『レフィーヤに?』
『は、はい。今みたいに、以前特訓をつけてくれた時がありましたよね。それが終わった後の帰りに、レフィーヤさんに同じような話を』
『そう、なんだ』
『はい。今思うと、何だか恥ずかしい事を言ったなぁって思いますけど……でも、やっぱり変わりません』
『変わらない?』
『はいっ! シロさんがどうして、何を考えて【ファミリア】に戻ってこないかは、今でも分からないけど。でも、絶対に【ファミリア】が嫌で戻ってこないわけじゃないと思います』
『……』
『何か理由があって、考えがあっても、どうしようもない理由があるから戻りたくないんじゃなくて、戻れないんだと思います』
『……信じてるんだ』
『はいっ! 勿論ですっ!』
『それは、どうして? どうして、そんなに信じていられるの? だって、ベルはまだ
『あはは、確かにそうですね。僕がシロさんと出会って、まだそんなに経ってはいません。半年どころか、実際に一緒にいたのはほんの数ヵ月程度しかないんですよね……どうしてだろう……もう、ずっと一緒にいたような気がするのは……』
『ベル……』
『アイズさん、僕にとって、【ファミリア】は―――【ヘスティア・ファミリア】は家族のような……違う……『家族』そのものなんです』
『かぞ、く?』
『ヘスティア様や、シロさんがどう思っているのかは、分からないけど……少なくとも僕にとっては、【ヘスティア・ファミリア】は『家族』なんです』
『そ、っか……『家族』か……』
『だから、僕にとって、シロさんは、その……』
『ベル?』
『あの……お兄ちゃん、みたいな、その、感じで……』
『そう』
『……だから、負けられないんです』
『負けちゃ、絶対に駄目なんです。勝たなくちゃいけない』
『だって、【ヘスティア・ファミリア】が無くなってしまえば、シロさんが、帰ってこれなくなってしまうから』
『だから、僕は負けられない―――負けちゃいけない』
『絶対に、勝たなくちゃいけない』
『強く、ならなくてはいけない』
『ベル……』
『強く、なりたい―――っ、もう二度とっ、『家族』をなくさないようにッ』
『僕は―――ッ』
絶叫のような金属がぶつかり合う衝突音と共に、火花と衝撃が周囲に散った。線香花火のような小さな火が消えてしまう前に、更なる
「「ああああああああ―――ッッ!!」」
裂帛の咆哮と共に振るわれる二振りの短剣と、それを迎え撃つ
手を伸ばせば触れてしまうほどの超至近距離による近接戦闘。長物である
「馬鹿ッ、な?!」
ほんの数週間前に相手をした時とは違う。
別人のような速さと、何よりもこの戦いの手際。モンスター相手ならば十分だろうが、対人相手では隙だらけな戦いは、一体何をしてきたのかこの僅かな期間で見間違えるほどまでに洗練されていた。
まだまだ粗削りではあるが、それでもその視線が、振る腕が、体の動かし方が、足捌きが文字通り別人の如き
「ふざけるなぁあああ!!?」
「ッ!?」
体ごとぶつけるような勢いでもって
ヒュアキントスが失策を悟った時には、既にベルは手に掴んだ短剣を振り切っていた。
その朱色に染まった短剣が、更に赤いモノで染まる。
「がっ、ああああッ!?!」
「ッ―――はあああああっ!!」
更なる追撃を図ろうと刀身を濡らす赤を振り払う勢いで、ベルは切り裂かれた衝撃で体を揺らすヒュアキントスにその切っ先を進める。遮るものはなく、このまま決定的な一撃が突き立つものだと思われた、が、それは―――
「舐めるなぁッ!!」
「ぁっ?!」
波状剣により防がれた。
ベルの一撃により崩れた態勢を、ヒュアキントスは無理に戻すことはなく、逆に自ら進んで倒れ込むように勢いを付けることにより、無理矢理にであるが波状剣を振るってみせたのだ。
予想外の迎撃に、一瞬ベルの思考と動きが停滞する。
そしてそれは、致命的なまでの隙きをヒュアキントスに晒している事を意味していた。
「フッ!」
「ゴっ!?」
だが、無理矢理な迎撃のため、更に態勢を崩していたヒュアキントスに力を乗せた一撃を入れることは難しく。地面に倒れ込むギリギリに放たれた蹴りでベルの体を蹴り飛ばすのが精々であった。
しかし、ヒュアキントスにとってそれでも十分であった。
「【我が名は愛、光の寵児。我が太陽にこの身を捧ぐ】!」
迫り上がってくる嘔吐感にも似た疲労と痛みを飲み込みながら、ヒュアキントスが詠唱を始める。
それを目に耳にしたベルが、慌てて立ち上がり駆け出す。
あっと言う間に目の前まで迫ってきたベルを波状剣で受け止めながら、刃同士が交じり、散る火花を眩しげに細めた瞳で見つめながら、何時しかヒュアキントスは心の中で自嘲染みた笑い声を上げていた。
そして、愚直なまでのその姿を、何処か羨ましいものを見るかのような目で、それでいて遠い昔を懐かしむかのような目で見つめていることに、ヒュアキントスは気付いてはいない。
苛立ちはある。
憎しみに近い感情ですらある。
なのに、何故か自分を打ち倒そうとするこの
「【我が名は罪、風の悋気。一陣の突風をこの身に呼ぶ】!」
振るわれる二刀の短剣の刃を波状剣を持って迎撃する。
詠唱に気が取られる事や、振るわれる速度が
その事に、ヒュアキントス自身も、そして攻め立てる事に集中するベルも気付いてはいない。
(―――気に入らない)
「【放つ火輪の一投―――】」
(アポロン様の寵愛を向けられるベル・クラネルが。私に向けられていたあの視線を奪ったこのガキが、苛立ち憎らしいっ!)
「【―――来れ、西方の風】!」
(突然現れ、私を叩きのめしただけでなく、アポロン様の心を奪い、団員達の尊敬を奪った佐々木小次郎が。神の恩恵を得ていないにも関わらず、どれだけ私が挑もうとも、飄々とした態度を少しも崩すこともなく幾度となく私を地べたに叩き伏せるあの男が、【ファミリア】同士の決闘にも関わらず、団長の私ではなく選ばれたあの男が苛立たしくて気に入らないっ!)
奇襲を受け、魔法の一撃に巻き込まれ階下へと叩きつけられた上に、予想外のラッシュによるダメージを受けながらも、それでも戦闘と平行しながら続けられる詠唱には乱れがない。少し前までは―――数週間前の自分からは考えられない程にまで、自らの技量は高められていた。以前の自分ならば―――
あの飄々とした態度を、一度でもいいから崩してやりたいと何度も挑戦した。
結果として、一度もそれを崩すことは出来はしかったが、予想以上に自分の技量は高められた。
ここ最近、停滞気味だったステイタスすら大きく動くほどまでに、それこそ平行詠唱が出来るまでに、気付けば己の技量は高められていたのだ。
最後まで、あの余裕な態度を崩すどころか、服にかすらせる事すら出来はしなかったが。
わざわざ
明らかに常人を越えた速さに、絶技としか言い様のない技量。
神の恩恵によらないその姿は、まるで―――ああ、幼い頃に聞いた伝説の英雄達のようで。
何度も、幾度も挑む内に、認めたくはないが、そうだ、認めたくはないが、憧憬すら抱いてしまっていたのだ、この私が……。
モンスターが地上を闊歩し、世界が滅亡の足音を耳にしていたというあの暗黒の時代において。
神の力を頼る事なく、己の肉体と技量だけを持って、絶望と戦った
寝物語に聞かされ、憧れ夢見たあの英雄達に……。
きっと、あの時の私は―――あの男に挑んでいた時の私は、
昔の―――そう、ずっと昔、まだまだ弱かったあの頃の自分のように。
ただひたすらに強くなろうとしていたあの時のように。
認められたくて、守りたくて、望まれたくて―――ただ、ひたすらに突き進んでいたあの頃の私に……。
苦しいのだろう、体が、心が悲鳴を上げている筈だ。
いくら
だから、別に戦いに拘らず、この場から脇目も振らず逃げ出せば、こいつは勝手に倒れる事になる。
そうすれば、この
私の面子よりも、それをアポロン様は望む事を、理解はしている。
それが分かっているのに、戦いの中、冷静になった思考がそう告げているにも関わらず、未だに退かないこの足は、この身体は、意思は、何なのだろうか。
いや、そんな事は分かりきっている。
逃げたくないのだ。
戦いたいのだ。
この―――
いや、変わった―――ではないか……思い、出したのかもしれない。
遠い昔。
アポロン様と出会った時……いや、それよりも前かもしれない。
唄われ語られる英雄達の物語に憧れていた頃の私を―――。
何も知らない、愚かで世間知らずで馬鹿な……それでいて、純粋な時の己を……。
それを思えば、もう逃げられない。
逃げたくはない。
ただ、今は、こいつと―――ベル・クラネルと戦いたいッ!!
「【アロ・ゼフュロス】ッ!!」
太陽の光が凝縮されたかの様な大円盤が生まれ。振り抜かれた右腕に従いベルへと向かい高速で進んでいく。
「っ【ファイアボルト】?!」
反射的にベルが、向かってくる円盤に向かって魔法を放つ。炎を纏った雷が狙い違わず円盤に突き刺さり爆発を起こす。
「なっ?!」
しかし、円盤は揺るがず、爆煙の中を切り裂きながらベルへと迫って行く。飛び込むようにして、ぎりぎりのところで迫りくる円盤を回避したベルが、再びヒュアキントスへ向かい駆けようとした瞬間。
ベルの背中に氷柱が突き刺さったかの様な鋭くも冷たい感覚が襲い。ベルはその直感に逆らわずそれに身を委ねた。
地面に倒れるようにして身体を下げたベルの背を、光熱と風が叩きつける。
(な―――んでっ!? 完全に避けたはずなのに!? どうして!?)
動揺に揺れる思考と視線を、足を止めればやられると無理矢理振り払う。
転がるようにして駆け出したベルの視界の端に、先程躱したヒュアキントスの放った魔法が、大きく旋回するかのように回りながら再度襲いかかろうとしていることに気付いた。
(自動追尾!?)
脳裏に過ったものは正答を得ていたが、だからといって現状を打破できるものではない。威力はベルの【
レベル3にも匹敵しかねないベルの速度ならば、避ける事だけならばそう難しくはないだろう。
だが―――
「何処を見ているっ!」
「く―――そっ!?」
大きく飛び退き避けた瞬間、ベルへと振り下ろされる波状剣。
足が石畳へと着いた瞬間を狙った避けられないタイミングによる一撃を、ベルは慌てて両手に掴む二振りの短剣を十字に交差させ受け止める。が、踏ん張ることが出来ず吹き飛ばされてしまう。
「っ、が、はっ?!」
吹き飛ばされ床の上を転がりながら、ベルはその勢いを利用し跳ね上がるように立ち上がると共に、直ぐにその場から離れる。同時に、つい先程までベルがいた場所に大円盤がめり込む。
周囲に散らばる石畳の破片を、顔の前まで上げた片手で防ぎながら、細めた目でその結果を睨み付ける。
若干の期待は、しかしやはり実ることはなく。
石畳を破壊した大円盤は、そこで消えることなく床を削りながらベルの方へと向かって来た。
「無駄だっ!
「―――っ!?」
願望混じりの期待は、ヒュアキントスの言葉と目の前の光景で儚く散ってしまう。立ち止まりかける足を無理矢理動かしながら、しかしベルの目は決して諦めに曇ることはなかった。
「ふんっ! だが、良くもまあ食い下がるものだ。ここまで耐えるとは流石に予想は出来なかったぞ」
「あなたを―――倒しさえすればっ!」
先程のヒュアキントスからの直接的な攻撃を警戒し、ベルの目は襲いかかる大円盤だけに集中する事ができない。迫る魔法を跳び跳ね転がり避けながらも、その目は魔法だけでなくヒュアキントスにも向けられていた。追い詰められながらも、その目からは諦めは欠片も感じられない。一発逆転を狙い、その目は微かな勝機を探し鋭く周囲を見回していた。
油断なく向けられるベルからの視線を受けながら、ヒュアキントスは薄く笑みを浮かべる。
「馬鹿が、例え私を倒したとしても、我らのこの
「な、にを?」
ヒュアキントスのその言葉に、ベルが今の状態を忘れたかのように一瞬呆けたような顔を浮かべる。
その間抜けにも見える顔を見て、ヒュアキントスは嘲笑うかのような笑みを、薄い笑みの上に被せた。
「『ルール』を確認していないのか愚か者め。私の指の何処に、城主を示す『指輪』があるように見えるのだ」
「あっ!!?」
見せつけるようにベルに向け手を掲げるヒュアキントスの指に、この『
それはつまり、【アポロン・ファミリア】の団長である筈のヒュアキントスが、この『
と、言うことは―――
「万が一、貴様が私を倒したとしても、この『
「そん―――っ!?」
ベルの悲鳴染みた声はしかし、背後から襲いかかってきた魔法を咄嗟に避わした事で途切れてしまう。
驚愕の事実に、気付くのが遅れたベルであったが、ぎりぎりの所で避ける事が出来た。それでも幾らかの負傷は避けらず、小さく咳き込みながら立ち上がると、改めてヒュアキントスを、その手を見つめる。
そこには、やはり『城主』を示す指輪の姿はない。
「なら、一体誰が……」
「……決まっているだろう」
ベルの戸惑いを含んで揺れる声に、溜め息が混じったヒュアキントスの声が答える。
そしてそれに応じるかのように、城壁の方から何の前触れもなく竜巻が生まれた。
「―――なっ、え!? まさか、アイズ、さん?」
「こちら側で、一番強い者が、だ」
周囲にある全てを吸い込み砕き切り裂く強大な竜巻が。
およそ人の手では生み出せない天災が如き力の発露。
それが生まれ―――散った。
「―――え?」
「―――ふん、つくづくあの男は……」
到底人によるものとは思えない
「づぁ!?」
運良く。本当に幸運なタイミングで、ベルの疲労が溜まった足が、目の前で起きた光景のショックと合わさり力が抜け。体勢が崩れた瞬間に背後から迫ってきていた『魔法』が通り抜けた。
たまたま上手く避けるような形になったが、やはり衝撃までは避わす事が出来ずベルは地面へと叩きつけられてしまう。
強制的に、先程見てしまった光景から意識を逸らされたベルが、震えそうになる唇を噛み締めながらも立ち上がる。
「今、のは……」
「
詠唱魔法すら越えかねない規格外の風の行使。
オラリオ広しとはいえ、そんな常識外が出来るのは、アイズしかいないことを、ベルもわかっている。
しかし、それがまるで強制的に消されたかのような光景は―――それを示す事が理解
「つまり、あの女が負けたのだろう」
「っ!? 嘘だぁ! アイズさんが負ける筈が―――」
「あの男には、誰も勝てはしない」
「な―――」
反射的に否定の言葉を上げようとしたベルの頬に、何かが当たった。
無意識にそれに触れ、指先に視線を向けたベルの目が、思考が、身体が凍りついた。
その、先程の竜巻が消え去る前に、巻き込み舞い上げ、周囲へと撒き散らされたものは、遠く離れたここまで届き。
ナニかを知らせるかのようにベルの頬へと届けられた。
その、赤い―――紅い、己の瞳のような色のそれは―――。
「ああ、全くあの男は……風流とか言うものを口にする癖に。こんな
ナニカの―――誰かの血、で。
「っ、あ―――」
否定しようとする言葉は形にならず。
認めようとしない意思は、『直感』がそれを否定し。
悲鳴は喉の奥で唸り声にしかなからず。
「―――やはり、貴様は弱いな、ベル・クラネル」
「ッッ!!?」
そうして、今度こそ棒立ちとなったベルの前に、避けきれない距離まで大円盤が間近に迫り。
「【
「ッぎ!!?」
直前で起きた大爆発に、ベルの身体は包み込まれてしまった。
悲鳴すら飲み込む大爆発に噛み砕かれるベル。
上級冒険者であっても戦闘不能に追い込まれかねない威力をまともに喰らってしまったベルに、意識どころか、その命すらあるかどうか。
爆炎の中から吹き飛ばされ転がるベルの体は焼き焦げており。手足は吹き飛ばされてはいないが、遠目で見る限りではもはや意識はなく、息すら危ぶむほどで。
ぴくりとも動かないその姿に、ヒュアキントスは嘲りの目を向けずに、小さく鼻を鳴らすとそのまま目を伏せた。
「何とも、つまらない決着だったな」
そう、口にし、ベルに背を向―――
―――リン、と小さく、鈴が。
いや、違う。
小さな、
「ッ!?」
咄嗟に足を止め、振り返った先。
そこに見た光景に、ヒュアキントスは驚きのあまり今度は彼の方がその思考と身体を凍りつかせた。
ベル・クラネルが、立っていた。
上級冒険者ですら打倒しかねない威力の魔法をまともに受けながら、それでも立ち上がったベルの姿を見て、ヒュアキントスはその目を見開き身体を固めてしまっていた。
「な、ば、そん―――」
何を言おうとしたのか、それは形になりかわる直前に何度も狼狽えるように途切れ。
結局形となることはなかった。
そうしている間も、リン、リンッ、と確かに耳に届く音は次第に大きく、はっきりと強くなっていく。
その音色が何を意味しているのかは、ベル・クラネルの事を調べた時に耳にした。
迷宮街に現れたというイレギュラーのゴライアス。
その変異種たる黒いゴライアスとの決着の要因となった一撃に、ベル・クラネルから奏でられた鐘の音色が関係していることを。
「っは、はは!」
それが頭に浮かぶも、沸き上がったのは焦燥でも苛立ちでもなく。
笑い、だった。
何故なのか。
どうしてそんなものが出ているのか自分の事でありながら分からないまま、ヒュアキントスは胸の奥から沸き上がる熱に急き立てられるように、波状剣を構えた。
鐘の音色を響かせながら、しかしベルは未だ立ち上がったまま動かない。
二振りの内、一本は何処かへ飛んでいったのか、だらりと垂れ下がった両手の内、左手に握った短剣の姿しか確認できない。
まるで立ったまま気絶しているかのようなベルの姿に、しかしヒュアキントスは口許に笑みを浮かべながらも、油断のない眼差しのまま駆け出そうとする。
両者の距離は20Mもない。
ヒュアキントスならば数秒もあれば踏破できるその距離。
俯いたままのベルの身体は、未だ動かない。
そして、ヒュアキントスの足が前へと――――――
『―――ベル、どうした? もう終わりか?』
『っ、は―――も、もう少しも身体が動きませ、ん……』
『まだまだだな、ベルは』
『シロさんも僕と同じレベル1なのに、どうしてこんなに違うんですか?』
『さて、な?』
『う~……このまま一生追い付けない気がします』
『馬鹿を言うな。素直なお前なら、オレなんかには直ぐに追い付けるさ』
『はは……そんな、でもやっぱり、どうしても勝てそうにないですよ』
『素直すぎるんだベルは、それに周りを良く見ていない』
『周り、ですか?』
『そうだ。ベル、お前は自分の事を弱い弱いと言うが、冒険者となることを目指しているのならば、基本お前が挑むだろうモンスターは全てお前より強いものばかりだ』
『それは―――』
『確かに、『レベル』と言うものがあり、それを上げていけば単純な真っ向勝負でも圧倒できるようになるかもしれない。しかし、『階層主』という集団で倒す事を前提とするモンスターもいる』
『強大なモンスターに対し、集団で戦うのは基本だ。だが、まさかの事態は唐突に襲ってくる。もしかしたらお前がたった一人でそんな相手と戦う時があるかもしれない。それが『モンスター』か他の冒険者かは分からないがな』
『そ、そんな事になったらもう駄目じゃないですか……』
『そうだな。基本はそうならないように立ち回らなければならないが、もしそうなった時は、あらゆる事に気を配れ』
『あらゆること、ですか?』
『そうだ。自分や敵の状態だけでなく、周囲の地形や環境を把握し、理解し、利用して、少しでも優位に立ち回れ』
『だけど、そんな事で本当に大丈夫なんですか?』
『それはその時にならなければわからないだろうな。だから、一番大事なのは』
『一番大事なのは?』
『折れない事だ』
『折れない、こと?』
『実力で負けていても、どれだけ不利な状況であっても、決して最後まで諦めないことだ』
『例え比べ物にならない程の実力差があったとしても、可能性が0にどれだけ近くとも、
『まあ、お前なら何となくだが、大丈夫だとは思うが、な』
『え、っと……何が、ですか?』
『―――負けられない戦いでは、お前の
―――ッッ!!!!
「【ファイアボルト】ッッ!!!!」
その瞬間、幾つもの事態が同時に起きた。
ヒュアキントスは駆け出すための一歩を踏み出し。
ベルは【
そして―――先程アイズによるものだと思われる竜巻が発生していた位置から、数百Mも離れた場所で対峙していたベルとヒュアキントスへと衝撃を伴う爆音が轟いた。
内臓を震わせるその目に見えぬ不可視の衝撃に対し、両者それぞれの対応は違った。
歴戦の冒険者であるヒュアキントスは、突然の爆音に対しベルから意識を外すことなく、しかし咄嗟に視界の端に微かに見える音が聞こえてきた方へ意識の欠片を向けた。それは決して油断でもなく、隙を晒した訳ではなく。イレギュラーに対する対処のため、最低限の情報収集を得るための行動だった。
ベルに向けた注意は僅かに減り、駆け出すための足にコンマ程度の遅れはでたが、それはナニかを見落とす程のものではなく。また、駆け出す速度も距離を詰めるための時も、誤差程度のものでしかなく。影響は無いと言っても問題ない程であった。
それに対し、ベルの意識は―――完全にヒュアキントスだけに向けられていた。
極限にまで極まった集中力により、鼓膜を破きかねない先程の爆音すらその意識を欠片も揺らす事は出来ず。コンマの停滞すらなく、ベルの手から炎の雷が放たれた。
ヒュアキントスは駆け出しながら、放たれた
「な―――っ!?」
咄嗟に立ち止まろうと、足に力を込めて踏ん張ろうとする―――が、その時には、既にそのために必要な
流石、無限に沸きだすモンスターへ対処するために築かれた暗黒時代の城塞と言うべきか。あれだけの戦闘を繰り広げながらも、未だ崩れずに不動を見せていたため、ついヒュアキントスも意識から外してしまっていた。
あれだけ魔法を使って暴れていたここは、城塞の上であり。
つまり、今自分達が立つ場所は、何処かの広間か、それとも廊下かなにかの
それが砕ければ、つまり―――落ちるしかなく。
「っ、なに、を―――?!」
内蔵が浮き上がる不快感と、空中に放り出され自由に動きが取れないことに対する恐れに、一瞬だが確かにヒュアキントスの意識からベルの姿が消えた。
そして、次の瞬間慌ててベルに意識を向け直した時には、既に遅かった。
「ッ―――あああああああああああああぁぁあああッ!!!!」
そこには左手に掴んだ短剣を大きく振りかぶるベルの姿が。
「ッ、く!?」
咄嗟に落下しようとも手放さなかった
ベルの左手には、今だ短剣が掴まれている。
しかし、ヒュアキントスの波状剣を弾き飛ばした影響のためか、その握りは甘くなっていた。
それを前に、反射的にヒュアキントスの手が、腰の後ろに収めている短剣へと伸び。
「ッお、おお―――雄々ォオオオオオッ!!!!」
魔法を放った際の影響が残っているのか、微かに雷を纏ったベルの右の手が、固く、硬く握りしめられた拳が、ヒュアキントスの顔面へと向かっていく。
ヒュアキントスは、腰の後ろに納めた短剣の柄を握る手に一瞬力を込め―――緩めた後。
その幼さが残る顔を赤く染めながら、血を吐くような咆哮を上げて迫るベルを睨み付け。
ふっ、とその口許に緩い、似合わない笑みを浮かべ。
「―――ッ!!!」
ベルの拳を受け止めた。
直後、下の階へと墜落、同時に叩きつけられた二人が落ちた先で、砕けた床から大量の砂煙が上がり周囲を覆い隠していく。
もうもうと煙幕のように立ち込め、視界を防ぐ茶色いベールの向こうに、ふらつきながら立ち上がる影が一つ。
それは、今にも倒れそうになりながらも確かにその両の足で立ち。
ゆっくりと、ふらつきながらも右手を掲げるかのように持ち上げ。
その握りしめられた拳が、震えながらも持ち上がりきった瞬間、それを待っていたかのように砂埃が薄れていき。
その少年は、白い頭髪を己の血と砂埃で汚しながらも、拳を突きつけるかのように、天井に開いた穴から除く太陽へと伸ばし。
「僕の―――勝ちだッ!!」
ベル・クラネルは勝利の咆哮を上げた。
感想ご指摘お待ちしています。
感想大変美味しゅうございました。