たとえ全てを忘れても 作:五朗
分割しようと思いましたが、一気に読んで欲しかったのでそのまま投稿しました。
今回の章を考えていたときから特に書きたかった部分なのですが、力量が足りず完全に納得いく出来ではないのが、自分の事ながら情けなく……。
拙い文章ですが、楽しんでいただければ幸いです。
で、もし良ければ評価と感想の方をお願いしますm(_ _)m
返信が出来てはおりませんが、皆さんの感想や評価が色々と力となっておりますので、頂ければ大変嬉しく思います。
―――
従って、
あの男との戦いにおいて、唯一の正解と言える方法である遠距離からの一方的な攻撃。
幸いにも、自分にはその方法を取る事が出来る。
そして奴にはそれに応戦する方法はない。
一方的な戦いになる―――筈ではあるが、
もし、これが奴一人だけを相手にする場合であるのならば、迷いなく
避ける事も防ぐ事も出来ない広範囲高威力の一撃を、奴の感知外から放てば良いだけなのだから。
しかし、周囲にはあの男
だから、
代替案である奴の感知外から放つ
【
血の臭いを嗅ぎ付けるという逸話から派生したのか、矢として投影して放つ際は、射手が健在かつ狙い続ける限り、標的を襲い続けるという自動追尾の能力をみせる。だが、これを選んだ理由はそれではなく。
その速度。
40秒のチャージを条件とするが、それを満たせばマッハ6以上という規格外の速度を持って標的に襲いかかる。
この速度であれば、例えあのセイバーといえ迎撃どころか反応すら出来ず射抜く事すら可能とするだろう。
問題は、奴が姿を現すかどうかということと、チャージをする際に感知されてしまわないかという恐れであったが、幸いと言っていいのか、アイズが助っ人として出てきたことから、それらの心配はなくなった。
そして、あの瞬間。
アイズが追い詰められ、竜巻を剣に纏わせ振るうことで、周囲ごと奴を凪ぎ払うという方法を取った。その選択自体は間違いではなかったが、それを成功させる為には致命的にまで速度と間合いが足りなかった。
その方法を取るとするのならば、せめて距離だけでも最低1
少なくとも、奴の間合いの外からの攻撃ではなくては、大技は致命的な隙となってしまう。
思わず飛び出しそうになったが、それを何とか抑え、矢尻を握る手に一層の力を込め。
そしてあの瞬間。
奴が間合いを詰め、あの秘剣を放った瞬間を狙い―――撃った。
必中の確信があった。
必中必殺の秘剣―――燕返し。
その考えは―――しかし、ただの甘えた思考出しかないことを、次の瞬間オレは突き付けられることとなる。
「―――ッ!!?」
赤い残光が雷の線を描く先に、確かに奴の姿はあった。
だが、手に感じる筈の手応えは、しかし何処にもなく。
直感的に
思考よりも先に放たれた矢の数は1秒に十にも迫り。どれもただの矢ではなく、『魔剣』を元に作り上げた特別製の矢を。
十を数える間もなく放った矢の数は百にも迫り、雨あられと降り注ぐそれは、ただの一つすら尋常なるものではなく。
嘗て数多のモンスターの襲撃を潜り抜け、未だその威容を残していた城壁を、脆い焼き菓子のように砕き、抉り破壊しながら、その向こうにいる標的へと襲いかかる。
一辺百数十Mはあるだろう城壁が、一瞬にして吹き飛び。砕けた城壁の破片が火山岩のように周囲へと飛来していく。
中級冒険者であっても、巻き込まれればただではすまないだろう、その瓦礫の雨の中、動く影さえ残さず駆ける者が一人。
それを追うように、幾つもの矢が飛んでいく。
風を纏い加速を続けながら飛ぶ矢。
炎を纏いながら、周囲を焼き尽くしつつ迫る矢。
しかし、当たるその直前、駆ける影は時にはひらりと避わし、時にはその手に持つ長い刀身の刀を持ってその尽くを受け流していく。
雨のように降り注ぎながら、それでいながら正確無比に迫る矢を、しかしその全てを避け続けるのは、赤い光に飲み込まれたかと思われた佐々木小次郎であった。
砕け巨大な砲弾となった城壁を、抉れ吹き飛ぶ散弾となって迫る大地を避け、時にはそれを足場にしながら避わし続け。そして執拗に襲いかかる目視不可の速度で襲いかかる
まるで天地がかき混ぜられているかのような、そんな回避も防御も考えられない地獄の真っ只中にいながら、佐々木小次郎の顔には焦りの欠片も浮かんでおらず。それどころか面白気にその口許を緩めていた。
「「「―――…………」」」
神々が
目の前に浮かぶ魔法の鏡が映す光景を前に、先程までアイズと小次郎との戦いをかぶりつくように見ていた神々が、大魔法の如き破壊を目に言葉を失っている。
轟音、爆音、破砕音。
城塞から1~2K程は離れている位置から放たれる
だが、それが完全に破壊されるまでの光景は、これまで様々な『奇跡』『魔法』を目にしてきた神々から見ても、現実離れした光景であった。
間断なく飛来する矢の群れは、城壁の下部をまるで何かを追いかけるかのように、横一列に順番に着弾し。隙間なく城壁に突き刺さったことからも、着弾した際の音が、まるで一つの巨大な爆発の音のようにも聞こえる程で。
まず、最初の数秒で百数十Mはあるだろう城壁の一辺の下部部分が弾け飛ぶように吹き飛び。
横一列に着弾した矢の破壊の
瞬く間もなく歪ながらも巨大な長方形を保っていた城壁? が、僅かに滞空していた間に突き立った矢の数は一体幾つだったのか。数える間もなく次々に突き進む矢は、その度に城壁を微塵に砕いていく。
しかし、矢の本来の目標には、それでも服の端すらも届いてはいなかった。
「こ、小次郎ぉおおお!?」
アポロンの、掠れた悲鳴染みた歓声の声が上がる。
小次郎が赤い光に飲み込まれた瞬間、凍りついたかのようにその動きを止めていたアポロンだったが、鏡に一瞬映り込んだその姿を目にし、反射的にその者の名を口にしていた。
そう、あの男―――小次郎は未だ健在であった。
一体どのように回避してのけたのか。
小次郎はあの回避不可と思われた攻撃を見事に潜り抜け、今もまた、城壁を容易に砕く矢で、雨のように放たれ狙われながらも、それでもその口許に笑みを称えながらその尽くを避け続けていた。
「一体、これは……」
不意に、会場の中から誰かの疑問の声が上がる。
その疑問の声が向けられる先は、雨のように降り注ぐ矢の群れを避け続ける小次郎ではなく、それを放つ者に向けられたものであった。
飛んでくる矢の尽くが尋常のそれではなく。
風を纏うもの、炎を吹き出すもの、水の刃を形成するもの等、どれ一つをとっても詠唱を必要とする『魔法』に匹敵する力を感じさせる矢が、次々に飛んでくる様は、『魔法』というものを知る
魔力や代償を必要とせずに、魔法を行使することが出来る『魔剣』という存在はある。
だが、一部の例外を除き、それらはオリジナルの魔法には程遠い力しかなく。その一部であれども、それが作り上げられるまでの資金や労力からそう数を用意できる出来るものではなく。
ましてや、
そもそも、『剣』ではなく『矢』である。
魔法を放つ『魔剣』は知るが、魔法を放つ『矢』等といった物は、
ざわざわと会場に声が戻り始めた頃、それを待っていたかのように、魔法の鏡が新たな映像を映し出した。
神々の目が、その新たに現れた映像に目を向ける中、大きな変化を見せる者が数名おり。その中の一人が、思わずといった声音で歓喜の声を上げた。
「―――シロくんっ!!」
「―――はぁ……」
薄暗い一室の中で、深く、長い溜め息が溢れる音が響いた。
そこは、とあるファミリアの中にある一室。
固く頑丈な素材に囲まれ、これといった家具の姿がないことから、一見すればまるで何処かの牢のようにも見えるが、見る者が見ればそこが何処なのかは直ぐにわかるような所であった。
その一室の奥にある器材の一式と、そこで造り上げられただろうもの、そして炎が揺らめく炉を見れば、そこが鍛冶場であることは直ぐにわかったであろう。
薄暗い―――炉の炎しか明かりのないそこで、ゴミ箱代わりに使用していた木箱をひっくり返した上に座り込み、主神に頼んでわざわざここに出してくれた【鏡】を前にしたその者は、ようやく姿を現した男を目にすると、その長い溜め息を吐いたのであった。
「―――全くもって、度しがたい……」
凄まじい速度で矢を放つ男―――死んだと言われていたシロの姿を前にしても、驚きや歓喜を見せず―――そんな気持ちも無くはないが、それ以上に感じる
恐ろしい戦いだ。
不可思議な戦いだ。
まるで神話や伝説で語られるような戦いだ。
驚きはある。
感動もある。
動揺や恐れ、恐怖もまたある。
しかし、それ以上に感じるものが、あった。
椿は、ふと【鏡】から目を離すと、足元に転がっていた自身が打ち上げた剣の一つに目を落とし―――あの日の記憶を思い出した。
『―――むぅ、一足遅かったか』
『どう、してあなたが?』
『まあ、お主と同じよ。少しばかり手を貸そうかと思ってきたのだが……』
『え? で、でも大丈夫、なの?』
『許可は―――……何とかなるだろう。一応話はしたからの』
『…………』
『な、何だその目はっ! いやまあ確かに、いい顔はされんかったが……もういい。お主が行くのだろ?』
『あ―――うん……その―――』
『ああ構わん構わん。手前よりもよっぽどお主の方が戦力になるだろうからな。ただ、代わりとは言ってなんだが、一つ
頼みがある』
『頼み?』
『頼みというか、まあ伝言だ』
『えっと、誰に?』
『あの男―――シロだ』
『っ』
『伝言と言っても仰々しいものでもない。ただ手前の―――そう、手前のただの……』
―――あの日、主神にあれだけ啖呵を切った後、【ヘスティア・ファミリア】に助っ人として乗り込んだところで、先に来ていたアイズと出くわした時の事を思い出す。
出会った瞬間、まさかとは思ったが、話してみればやはりというか、先にアイズが『助人』枠として【ヘスティア・ファミリア】から承諾されたとのことであった。
それを聞いた時、手前の胸に浮かんだのは、先を越された事に対する焦りや不満ではなく―――ただ、さてどうしようかと言う思いだけであった。
助っ人として参加する目的は、【ヘスティア・ファミリア】の力になりたいと言う気持ちもないわけではなかったが、それ以上のものが大半を占めていた。
そしてそれは、無理にでも『助っ人』枠に入らなければならないようなモノではなかった。
だから、申し訳なさそうにするアイズに対し、それを頼んだ。
それを―――『伝言』という名の、我ながらおぞましいほどの自己中心的な
それを自覚したのは何時だっただろうか。
ダンジョンの深層において、あの男が―――シロが殿として残った時だっただろうか。
無数の剣を―――それも、自身が打ったと思われる、もうこの世には存在しない筈の剣を数々を目にした時だろうか?
そうだと思っていた。
己が全身全霊を込めて打ち上げた剣を。
試行錯誤し、長い時を掛けてようやく打ち上げた剣の数々を、その寸分変わらない姿のままのそれを投げ捨てるかのように使うあの姿を見た時に、【
しかし、あの後幾度も思いを巡らせ、剣を鍛え続けているうちに、
それは何とも身勝手極まりなく、おぞましく人として決して褒められるようなものではなく。
ただただ―――己の欲望に満ちた勝手極まりない願望であった。
それは―――
「シロよ―――まだ迷っているか、悩んでいるのか」
『鏡』に映り込む男の顔を見て、その戦う姿を前に、椿は不満気に眉をひそめながら、何かを期待するかのような熱の籠った声で話しかけるかのように言葉を放つ。
「それでは駄目だ。ああ、全然駄目だ」
何時しか椿の口許は、ひきつったような歪んだ笑みを浮かべていた。
自分がどんな顔をして、どんな声で呟いているのか理解しているのか、それとも理解しているのか、椿は『鏡』に映るその光景を目に焼き付けるかのように見つめ。
「
まるで、小さな子供が、無邪気が故に、残酷さを理解できな幼子のような顔で、声で、椿は囁くように己の願望を口にした。
笑いながら―――それでいて―――
「―――『剣』のお前を魅せてくれ」
―――何処か、泣きそうな顔で。
『
【ファミリア】同士の戦い故に、そう名付けられたその戦いは、しかし、一対一の決闘から、様々なルールを前提とした競技染みたものもあることから、『戦争』と名付けられながら、そう派手なものは多くはなかった。
しかし、今、オラリオから離れた位置にある、古戦場である古の城塞で行われた『
「「「―――っ―――ッ!!!!???」」」
レベル1や2の冒険者達が、まるで
その、たった二人による戦い―――否、『戦争』を。
地響きが轟く。
吹き飛んだ城壁が、次々に飛んでくる矢によって打ち砕かれた破片の最後の一つが地上に落ちた音が響いた。
もうもうと立ち込める砂埃の中、一人立つ人影が一つ。
長い刀身の刀を片手にぶら下げながら、惨憺たる有り様の周囲の様子からは余りにもそぐわない余裕を持った姿で立つその男は、不意に何の前触れもなくその立っていた位置を変えた。
瞬間、衝撃波が周囲を漂っていた砂埃を吹き飛ばし、男の姿を露にする。
男―――小次郎が赤い残光を残して飛び去った矢の方へ、まるで何かを鑑賞するかのように細めた目で、その矢が向かう先を眺めていると。
「―――ッ!!?」
「芸がないな」
頭上から振り下ろされた二振りの剣をゆらりと体を揺らすような動きで避わしてのけた小次郎は、空振りながらも体勢を崩さず地面に降り立ったシロへと視線を向ける。
細めたその目には、何処か落胆めいた光が宿っていた。
「まだ、あのまま矢を射かけ続けていた方が勝算があっただろうに」
「かもしれないな。こちらとしても、あれで決着が着いてほしかったのだが。これ以上はただ消耗するだけだからな……まさかあれを避けてしまうとは……」
小さく溜め息を着きながら双剣の柄を握り直しながら、シロが血の一滴すら流さず、変わらず涼しげな姿を見せる小次郎を忌々しげに睨み付ける。その鋭い視線を向けられながらも、飄々とした雰囲気を欠片も崩さずに受け止める小次郎に、シロは両手に掴んだ双剣を構え。
「さて―――今回は、最後まで付き合ってもらおう」
「はっ―――貴様がそれを口にするか」
互いに笑みを向け合うと同時に、それぞれが持つ剣を振りかぶった。
「っ―――何、が……」
「そん、な―――城壁が」
「有り得ねぇだろうこんなの……」
【アポロン・ファミリア】の団長を辛くも打倒したベルが、これもまた格上である筈の相手を下したヴェルフとリリと何とか合流した後、城塞が崩れるのではないかと思うほどの振動や衝撃を感じた事から、ポーションを何本か飲む程度の応急処置をした後、完治とは程遠い体のまま慌てて城から脱出した先で目にした光景に、ただ三人は呆けたように立ち尽くしていた。
三人の目の前に広がっていた光景は、遠く岩肌が広がる荒野が、
そう、自分達が侵入してきた時には確かにあった筈の、巨大で強大な筈の城壁の姿が、そこには何処にもなかったのだ。
いや、その痕跡はある。
視界のあちらこちらに転がる大小様々な岩のような欠片のそれが、きっとそうなのだろう。
しかし、あれだけ長大で巨大な城壁が、こうまで無惨な姿になるのは、自らの目で見てもそうそう受け入れられるようなものではなかった。
そのあまりの光景を前に、ただ固まるしかなかった三人であったが、それも長くは続かなかった。
何故ならば、その目を向ける先。城壁があったであろう場所の前で、戦う二人のその姿が、それ以上の衝撃を三人に与えたからだった。
特にその内の一人―――ベルには、その衝撃は更に増して大きかった。
遠く、数百Mは先であるにも関わらず、そして最早常人の目では影すら捕らえられない程の攻防を目にしながらも、しかしベルは確かにその姿を捕られていた。攻防の刹那、僅かに立ち止まった時に見えたその姿。
一瞬でも見間違える筈はなかった。
夢にもみていたから。
どれだけ周りが否定しても、何時までも信じていたからこそ、その姿の端だけでも、見間違える事はなかった。
だからこそ、ベルは歓喜に震える声で、呼吸するだけでも響くような痛みをその瞬間だけでも忘れ、その者の名を叫んだ。
「―――シロさんッ!!!!」
「―――ッオオオオオオオオ!!」
縦二線、横二線―――右斜め、左斜め―――上段、下段―――あらゆる方向、強弱遅速を行使し剣を振るう。
全力で思考を回し、本能と理性を混ぜ合わせ掛け合わせ、まるで目隠しをしたまま綱渡りをするかのような心情で剣を振るう。
常に『死』を連想させる剣線から逃れるために、必死に剣を回す。
既に振るう剣は相手の打倒のためではなく、守勢のためのもので。
少しでも攻勢に意識を向ければ、その僅かな意識のずれに剣を差し込まれてしまう。
息する事すらままならぬ緊張感と恐怖がブレンドされた酸素を何とか肺へと送り込みながら、必死に
しかし、それでも、そうであっても―――
「ッッ!!?」
「この程度か?」
差し込まれる。
隙とも呼べない僅かな間隙に、滑り込むようにして銀線が入り込む。
咄嗟に持ち上げた刀身に響く衝撃が、斬激となって掲げ持った腕を震わせる。
重くは無いが軽くも無い。
だが、ただただ鋭い。
それこそ、受けた衝撃すら斬撃と感じる程までに。
その肉に染み込み骨を震わせる衝撃に、苦痛の吐息が強制的に吐き出されるのを、歯を噛み締め耐えながら、少しでも迫り来る『死』を遠ざけんと剣を振るう。
振るった剣の先に掠りもせずに、音もなく音よりも速い速度で背後へと下がった小次郎が、落胆を隠さない眼差しを向けてくる。
「貴様の事だから、何やら策があるのだろうと警戒していたのだが、これでは以前と全く代わり映えしないではないか」
「っ―――そう思うかっ!!」
大地を蹴りつけ前へ出る。
両手に持った双剣を小次郎を挟み込むようにして振るう。
体を二つに切り裂かんと振るわれる双剣を前に、剣を構えもせずに待ち構えていた小次郎の体が薄らいで―――。
「っ!?」
無人の空間に斜め十字の剣線を描くと同時、上空から襲いかかってきた赤い閃光が突き抜けた。
最早悔しさに漏れる声もない。
目視不可、回避不能の筈の超高速の
最初は惜しくも感じられたそれは、回数を重ねる毎に最早影さえ切り裂くには至らなくなり。
今では完全に見切られてしまっていた。
小次郎があの呆れたような顔をするのも仕方のないほどに。
それを前に、不安や苛立ちは―――なかった。
最初から分かっていたことであった。
あの小次郎に対し、最初の一射で仕留めきれなかったのならば、こうなることは十分に予想が出来ていた。
だからこそ、現状に対し動揺はない。
分かっていたことだ。
そう、だからこそ、
改めて双剣を構え、覚悟を決める。
どうやって避わしているのか理解不能なまでの領域の歩法をもって、これまでの攻撃の悉くを避わしてのけた小次郎に双剣の先を向け、深く―――深く息を吐く。
心の奥底で震えるそれを誤魔化すように、見ないふりをするかのように息を吐き終えると同時―――前へと出る。
実力差を考えれば悪手でしかない。
小次郎と己との差は明らかであり、これまで耐えていられたのも守勢に力を向けていたからこそ。
時折出た攻勢のそれは、自動的に小次郎を襲う
これでは今振るうおうとする剣に合わせられはしないだろう。
小次郎もそれがわかっているためか、何処かその飄々とした顔に、訝しげなものが浮かんでいる。
だが、これで良い。
元々対小次郎戦において、長期戦は考えられなかった。
完全な一対一であったとしても、本気で隠れられた場合逃げられてしまうため、例え周囲を巻き込まない遠距離での戦いが可能であったとしても、最初の一撃で決めるしかない超短期決戦しか作戦はなく。
また、最悪近距離での戦いとなった場合もまた、時間をかければかけるほど、間合いや技、癖を見抜かれ把握され、加速度的に勝機が減っていくことから、これもまた時間をかけるのは悪手でしかなかった。
だからこそ、これ以上は時間が掛けられなかった。
これ以上時間を小次郎に与えれば、何も出来ないうちに切り捨てられてしまう可能性が高かったからだ。
故に、今―――前へ出た。
逡巡する暇など一瞬たりともない。
例え今から実行しようとする策が、策とも呼べないそれであったとしても。
もう、これ以外に小次郎を倒せる可能性はないのだから。
「ッオオオオオオオオォォ!!!」
「勝負を捨てたか?」
雄叫びと言うよりも、猛獣の咆哮のような声を上げ迫り来るシロを前に、先程までの冷静で緻密な動きから考えられない蛮勇的な攻撃に、小次郎が内心で首を傾げながらも、何かを探るような思いで剣を振るった。
左へ凪ぐ形の剣。
その一線はシロの左首へと進む。
それは、牽制の一撃であり、だが受け損ねれば命を断つ一撃でもあった。
避けねば死ぬし、例え受けれたとしても相手の動きを狭めるような、そんな一撃であり。
小次郎は、これまでの攻防の中から、弾かれるか逸らされるだろうと悟りながら、次に繋げるための剣の動きを考え―――
「―――な?!」
その動揺の声は、小次郎の口から漏れていた。
振るった剣。
確殺の意のなかった筈の剣先から感じたのは、肉を裂き骨を断つ手応えであり―――小次郎の、動きが止まった。
小次郎の剣に対し、確かにシロは防御の為に左手に掴んだ剣を対応させていた。
そして、それは確かに小次郎の剣を防いだ筈であった。
事実、小次郎の剣線をシロの掲げた剣の刀身が受け止めたのであったが、問題は
無論の事小次郎には斬鉄は可能であり。
これまでも対峙した相手の剣を断ち切った事も多々あった。
しかし、これまでの攻防から、シロの振るう双剣を斬るのは容易ではないと小次郎は考えており。
だからこそ、その瞬間小次郎の意識は疑問と戸惑いにより揺れてしまっていた。
断ち切れぬ筈の剣を断ち切った小次郎の剣は、しかし狙いの首へと向かう事はなく。意識してか、それとも偶然か、進む先が首から左肩へと進み。そのまま斜めに左の肩に差し込まれ、肉と骨を切り裂き殆ど左腕を切り落とすぐらいにまでその刀身を進ませていた。
その深さは、もしかしたら肺にまで到達しているのかも知れなく。
それを示すかのように、物干し竿を体から生やしたかのような形のシロの口許から、多量の血反吐が溢れ落ちていた。
「―――っ、言った、筈だッ」
物干し竿が深く身体に差し込まれたまま、シロが口を開く。
その時、もしもシロが攻撃のために動こうとしたのならば、小次郎は間違いなく一瞬で引き抜いた剣をもって
しかし、その時のシロの行動はそれの反対の事であり。
左手に掴んでいた刀身が半分となった双剣の片割れが力なく落ちるのに合わせるかのように、右手に掴んでいた剣を小次郎に向け振るうのではなく、放り捨てるように手を離し。
「何、を―――?」
まるで降参するかのように武装を放棄するシロの姿に、戸惑いつつも距離を取ろうと後ろへ飛ぼうとする小次郎が、違和感を感じ眉根を寄せた直後、驚愕の声を上げる。
向ける先は物干し竿が突き刺さったままのシロの姿で。
「貴様ッ!!?」
そこでは、剣を投棄して無手となった右手で諸刃の刀身を掴みながら、シロが物干し竿が刺さったままの身体の肉を締め上げていた。
肉を裂かれ骨を絶たれ、肺まで到達したであろう傷口に、更に未だ刀身が突き刺さったままの身体の肉を締め上げる等と、常人ならば狂い死にかねない程の痛みがあるだろうに。流石に驚きを隠せない小次郎を睨みつけるシロの口からは悲鳴や苦痛の声の一つさえ聞こえず。
「―――最後まで付き合ってもらうとッ!!!」
「―――ッッ!!?」
シロの、その血反吐を撒き散らしながら叫んだ声が響いた直後、
―――もしも、その光の向かう先が小次郎の真上だったのならば、確実に彼は物干し竿を何らかの方法でシロから引き抜くか、又は柄から手を離し回避をしていただろう。
だが、
直撃と言うには些か距離があった。
だからこそ、小次郎はそれが落ちてくるまで気付く事が出来なかった。
そうして、小次郎が口から血を流しながら、歪んだ笑みを口元に湛えるシロを見て、何かを悟った時には、もう手遅れであった。
―――
魔力が、渦を巻いた。
フルンディングが地面へと突き刺さる直前、空中においてその矢へと作り替えられた刀身に罅が入り―――爆発した。
それは、長文詠唱の魔法ですら比べ物にならないほどの破壊を渦を産み出した。
荒れ狂う魔力の渦は、巨人が振るう大剣を思わせるかのような、硬く巨大な風の刃を生み出し周囲を破壊していく。岩場のように、大小散らばっていた城壁の欠片がミキサーに掛けられたかのように粉微塵に砕け散っていった。
たった数秒程度の魔力の嵐は、しかし小さな丘のように積み重なっていた城壁の残骸を根こそぎ砕き、後には更地となった大地が広がり―――ただ、城壁の残骸が名残惜しむかのように、砂煙となって周囲を覆い尽くしていた。
「っ―――ぁ、ぇ……し、ろ―――さん?」
震えた―――掠れた声が、巨大な魔力の嵐の残跡が強風となって吹き付けてくる中に紛れて消えていった。
無意識のまま呟かれたその声は、誰かに向けられたものではなく。
ただ、その心情を表すかのように弱々しくただ、口から出て形となる前に消えてしまいそうなほどに小さかった。
ベルは見た。
あの瞬間を。
爆発が起きる直前の光景を。
小次郎の剣がシロの身体を貫いたその瞬間―――その直後に起きた爆発。
爆発の中心に、シロの姿があったことを。
その、意味するところは―――。
「あ―――そん、な―――うそ、だ―――そんなのっ」
自分の目で見たことを否定するために、ベルが首を横に降りながらその否定の言葉を口にしようとした―――その時であった。
破壊の顕現かのような魔力の嵐が消える間際、破壊を惜しむかのように最後に吹き寄せた強風の一陣が、分厚い幕を下ろしたかのように視界を塞いでいた砂煙を吹き飛ばし。
その下に隠されていた光景を露にした。
「―――ぇ」
あれだけの爆発。
物理的な現象と化した魔力の爆発のそれは、長文詠唱の魔法にも勝りかねない威力であり。その中心に立っていたとすれば、命の保証などないことは明白で。
だからこそ、
そこには。
砂煙が晴れたそこには、一人の男が立っていた。
一見すればボロボロの満身創痍に見える。
だが、そうではない。
確かにその身に纏う服は、最早その肌を隠すといった目的を遂げられないほどに破れ、千切れ見る影もないが、その下にある身体には、目立った外傷は見られなかった。
多少血が滲んでいるようには見えるが、それだけだ。
血を垂れ流すような負傷はなく、精々軽傷にしか見えない。
直近であれだけの爆発が起きて、大した怪我が見えないなど、一体どんな手を使って―――。
そう、ベルが現実逃避気味にそんな事を考えていたが。
「―――あ?」
その男の視線の先に、
それは、ただの塊のようにしか見えなかった。
いや、違う。
ただ、それが
しかし、そんな否定をしている余裕など、ベルには与えられなかった。
男が、歩き出したのだ。
一歩、二歩と、瓦礫が綺麗に吹き飛ばされ、まっさらになった上を歩きながら、あれだけの爆発の中であっても、手放さなかった
その男―――佐々木小次郎は歩いていく。
地面に転がったまま動かない、赤黒い塊に向かって。
かた、まり?
―――違う。
それを認め、理解した時には、ベルの身体は動いていた。
背後から自分を呼び止める声を振り払いながら、ベルの足は、無意識のまま動き出していた。
完全に、不意を突かれた。
否、完全に策に嵌まっていた。
あの一手に、全てを賭けたのだろう。
その賭けは、確かに間違いなく己の隙を突いた。
防がれた筈の一撃が刺さった事に対する不信に一瞬とも言えない迷いが生まれ。続いて武器を手放した事に対する戸惑いにより、動きが乱れ。警戒していた『矢』の殺気がなかった事から、背後に現れた時もその『目的』が見えず。
何をするつもりかと思考を回そうとした時には、既に相手の手は動いてしまっていた。
己の身諸ともの自爆攻撃。
あの魔力の嵐をまともに受ければ、耐久力といった点において、そこらの常人とそう変わらないこの体では、耐える事は出来なかったであろう。
しかしそれでも、多少の負傷はあるが、現状この身が無事であるのは、運が良かったのも多分にあるが、この身に刻まれた修練によるもの。
自爆という答えが頭に浮かぶ前に、自然と身体は動いていた。
あの瞬間、回避のためにこの身体は動かなかった。
刀が突き刺さったままの、あの男の身体を
爆発の盾とした。
投げ飛ばされ、魔力の嵐が吹き荒れる中心地と己の間に挟むと同時、その身体を蹴りつけながら刀を引き抜き逃げ出した。
幸いにも、吹き寄せる破壊の嵐の速度は、己の足には若干足らなかったようで、多少は巻き込まれはしたが、大した怪我を負うことはなかった。
代わりと言ってはなんだが、盾にされた挙げ句、足場にもされたあの男は―――……。
驚いた事に、未だ人の形をしていた。
殆ど切断されていた筈の左腕も、ただ繋がっているという様相ではあるが、いまだ胴体から離れてはいないように見える。
だが、その姿は最早見るに耐えない姿であった。
全身あらゆる箇所が刻まれ砕かれ。
その姿は、誰が見ても最早―――っ!?
死んでいる―――と思った所で、その赤黒い塊が、ぴくりと動いたのを目にした。
誰もが『死』を連想するかのような姿でありながら、未だ生きている。
その事に驚きながらも、何処と無く納得するのを感じていた。
以前の戦いでも、殆ど致命傷を受けながらも、この戦いに参加するまでに至ったのだ。
この男を確実に殺すためには、それこそ首を切らなくてはならないだろう。
そう思った時には、足が動いていた。
既に決着は着いた。
これ以上は戦いなどではない。
そう、頭で理解はしていたが、身体は動いていた。
ならば、止める理由はなかった。
だから、最早死に体となった、抵抗するどころか、呼吸すら今にも止めかねない男に向かって歩く足を止めるつもりはなかったのだ。
―――その声が、
「待てッ!!!」
聞こえる迄は。
―――もう、何度目だろうか、と、可笑しな程に冷静な思考でそう、思った。
死にかけるのは、何度目だろうか、と。
既に、痛みなど感じてはいなかった。
痛み処か、何もかもが、遠く、離れて―――消えていて。
思考すら、飛沫の泡のように、弾けて消えて、その度に浮かび上がり。
生と死の狭間ではなく、既に九割方は向こうへと落ちているだろうことを、誰にも言われずともわかっていた。
まるで、崖の下へと落ちる間際、微かに飛び出た岩肌に引っ掛かって宙吊りになったかのような。
何時
ゆっくりと、端から溶け落ちていくかのような、そんな思いで思考が削れていくのを感じる中―――ただ、望洋とした瞳で清々しいまでの青い空と、そこに浮かぶ朧月を映していると。
「……―――っ―――」
それを遮る者が現れた。
あれだけの戦いを経た後であるというのに、艶あるその金の髪を輝かせながら、アイズがその美しい顔を歪ませながら自分を見下ろしていた。
必死に何かを呼び掛けようとしているが、とっくに耳はその用を成さなくなっており。
微かに空気が震えているのを伝えているような気がするだけで。
ただ、その口の動きから、反射的に何を言っているのかを理解した。
途切れがちの思考と視界では、何を言っているのか完璧に把握することは出来なかったが、それでも何となくは、その言葉を知ることが出来た。
そして、その言葉を
アイズが、口にしたのは、心配する言葉でも、何とか出来ないのかという助けを求めるような言葉でもなく。
それは、伝言で。
椿からの、
それは―――
もう、駄目だと思っていた。
遠目から見ても、その姿は無惨の一言で。到底生きているようには見えなかった。
それでも、知らず私の足は動いていて。傍まで近付いた私の耳に微かな呼吸音が聞こえて、慌てて顔を寄せると、聞き間違いではなく。
確かに彼は生きていた。
だけど、あの男から受けた傷を押さえながら必死に声を掛けても、彼の―――シロさんの目は茫洋と空をただ見上げるだけで。
何の反応も無く。
その瞳からは、意思も意識も感じられなくて。
微かに聞こえるその呼吸音が無ければ、どう見てもその姿はまるで……。
だから、それを振り払うかのように、私は必死に声を張り上げて。
そんな時に、私の目は見てしまった。
あの子の、姿を。
あの子の、声を―――聞いてしまった。
あの男の前に立ち塞がる男の子の―――ベルの背中を見てしまったから。
彼から離れる事を―――目を離せば残り火のように弱々しい彼の命が掻き消えてしまいそうな恐れを感じながらも、それでも迷いを振り払って私はあの子の下へと行こうとして。
―――椿から託されたモノを思い出した。
その託されたモノが、どういうモノなのか結局わからなかったけれど、それを伝える機会がもう無いかもしれないという思いもあって、彼女から託された言葉をそのまま―――聞こえているか分からないまま―――彼に伝えた
あの時、彼女が私にシロさんに伝えてくれと託した言葉を。
其れは―――
『シロさんに、伝えて欲しいって……何を?』
『ああ―――そう、あ奴に会ったら言っといてくれ』
『……お前は、初めて会った時から随分と変わったがな。まぁ、其れの是非を問うつもりは無いが……』
『一つだけ、今のお前にどうしても不満があってな―――』
『其れは―――』
「シロ、さん―――椿さん、が、伝えてくれって……っ―――」
……かつて、椿はアイズに対し口にした言葉があった。
『剣』を見た、と。
唾棄するのではなく、嫌うのではなく。
まるで、焦がれるように、眩いものをみるかのように。
「『何を悩んでいる、何を迷っている―――悩むのは良い、迷うのも構わない。だが、自分を騙すのだけは止めろ』」
一人の
そんな人が、伝えてくれと言った言葉の意味は、自分では理解できなくても、もしかしたら―――。
「『逃げずに―――答えを出せ』」
そんな思いと共に、絞り出すように椿から渡された言葉を口にした後、今にも崩折れそうな身体に鞭を打ち、アイズは歩き出した。
今もまだ、震えながら立ちふさがり続ける少年の下へと向かって。
―――悩んでいる……?
―――迷っている……?
―――オレ、が……?
―――そんな、事は―――
『―――ヒヒ』
―――……
『無いっていうのかい?』
―――ああ……そんな
『いんやぁ~……あるんじゃねぇの?』
―――何故、そう言い切れる……?
『あん? そんなの決まってんじゃねぇか』
―――決まって、いる?
『今のあんたを見れば一目瞭然じゃねぇか』
―――そんな、訳が
『いいやぁ、あるねぇ』
―――あるわけが、ない。
―――そうだ、あるわけがないのだ。
―――この身も、心さえも……所詮は偽物でしかない。
―――肉体に僅かに残っていた記憶も、既にその全ては『記録』へと置き換わり……最早何の感慨も沸くこともない……
―――そんな……虚ろな人形に……『悩み』……『迷い』……そんなモノなど―――
『―――だな』
―――っ
『ああ、そうさ、その通り。あんたの身体にこべり着いていた『
―――なら
『だけどなぁ、おい? じゃあ、なんであんた―――』
―――?
『―――泣いてんだ?』
「―――ぁ?」
『何もねぇ奴が、泣くわけねぇだろ』
―――っ、これは、ただの
『―――もう、あんたもわかってんだろ』
…………
『自分の事だしな、もうとっくの前から分かってただろ』
それは……
『確かにあんたは『
…………
『
…………
『そしてあんたの中にゃあ、欠片もそんな
……
『……なぁ、何か言えよ』
……なら、オレの中に、何があると―――
『『衛宮士郎』の『記憶』はなくても、『シロ』の記憶は変わり無くある筈だろ』
―――っッ!!!
『あんたがこれまで支払ってきたモノは、全部『衛宮士郎』のものでしかなかった。『シロ』の
それ、は―――
『自分の事だ、よ~く分かってんじゃねぇのか?』
―――ああ……そうだ、な
『
……
『そう、
ああ―――そうだ、な……
『共に、ずっといたい、と』
一緒にいたい、と……
『……認めやがったな』
ああ、認めよう。その通りだ。確かにオレは、『迷って』いた。『悩んで』いた。あの二人と、共に―――ずっと一緒にいたいと……
『はぁ……馬鹿だなぁあんたは、結局結末なんて、
―――ああ、そうだな。
『で、それを認めたあんたは、どうする?』
決まっている。
『何が?』
奴を、倒す。
『……いいのか? 別に逃げてもいいんじゃねぇのか? あんたが本気になれば、あのガキや女神とやらも一緒に連れて逃げることも出来るだろ』
そうだな。確かにやろうと思えば出来るだろうな。
『じゃあ、なんでやらねぇ?』
それは……何で、だろうなぁ……
『おいおい』
―――まあ、何だ。オレはどうやら『兄』のようだからな、少しは格好をつけた所を見せたいだけかもしれん……
『っ―――は、ヒヒヒ……そんなんで、いいのかい?』
ああ、構わない。
命を賭けるのには―――十分だ。
「―――それ以上進めば、敵と見なすぞ―――小僧」
「――――――」
その声は、まだ30M近くも距離があるにも関わらず、不思議なことに良く耳に届いた。
しかし、もしその声が届かなくても、僕の足はあれだけの決意を固めていたのに、きっと止まってしまっていただろう。
見た、だけでわかった。
ああ、無理だって。
初めてミノタウロスに襲われた時よりも、初めて階層主を前にした時よりも、『死』を感じた。
体だけじゃない。心も思考も凍りついて、一歩どころか指先すら動かない。
呼吸すら、止まって。
意識も、少しずつ、揺れて、薄らいで―――だけど。
気絶する事は出来ない。
だって、予感がするから。
ここで倒れれば、もう二度とシロさんに会えないって。
だから、もう、どうにも出来ないけど、何も出来ないけど―――それでも。
「それ、は―――私も?」
「っ―――ぁっげほっ!」
後ろから聞こえてきた声に、動けなかった筈の体が、首だけでも後ろへと動いたけれど、開いた口からは言葉ではなく必死に息を吸うだけ音と咳き込む声しかでなかった。
「ベル、大丈夫?」
「ぼ、くは―――アイズさんこそ」
そう言いながら、アイズさんの姿を見て、僕は絶句してしまった。
あれだけ綺麗な鎧はそこにはなく。残骸としか言い様のないものが名残のように体に着いていて、その身体からも、破いた布を使った応急措置はしてあるけれど、どうも上手くいっておらないようで、両の脇腹からの出血により滴る程の血が滲んでいた。
顔色も青白く、呼吸も明らかに可笑しくて、咄嗟に下がってと言いそうになったけれど、そう言う自分も大して変わらないと言い澱んでしまう。数本ポーションを飲んだだけ、まだ自分の方がましかもしれないと言う思い返し、アイズに向かって口を開こうとしたが、それよりも先に、あの人が口を開いた。
「そうだな。どちらでも、そこからあと一歩でもすすめば、同時にその首を落としてやろう」
「「―――っ」」
まるで天気の様子を口にするかのような何気ない言葉に、しかし僕とアイズさんは氷柱を背骨の代わりに入れ込まれたかのような寒気と言う名の『死』を感じた。
僕だけじゃなく、アイズさんの動きさえ押し止めてしまう―――静かな、静かすぎる『殺気』に。
動かなければいけないのに。
なのに、そのための足が―――一歩も―――。
「っ―――っぅ!!!」
必死に、動かそうとする意識はしかし、『死』から離れようとする本能が支配する肉体には勝てず。
悔しげに動かない足を見下ろしながら、唸るような声しか漏らすことしか出来なくて。
「―――まさか」
「―――うそ」
反射的に上げた僕の視線が、アイズさんの顔が向けられた方向へ―――
「な、んで―――シロ、さん?」
そこに、死に体の筈だったシロさんが、立っていた。
「貴様―――不死身か?」
呆れたような小次郎の声はしかし、何処か若干ひきつっているようにも聞こえた。
だが、それも仕方のないことだろう。
満身創痍という言葉ですら生ぬるいほどなのだ。
骨など、数えるのも馬鹿らしいほどまで折れている筈だ。
なのに、立っている。
それどころか、小次郎の声が聞こえたのか、立つどころか、息することも儘ならないような状態だったシロが、ゆっくりとその足を前へと動かし始め。
4、50Mはあるだろう距離を、一歩ずつ、ゆっくりとだが、確かに前へと。
それを、小次郎は止めるでもなく待ち。
そして、互いに距離が20M程―――小次郎の間合いの一歩手前程の位置で、その動きが止まり。
「なん、ど―――言わせる、つもりだ……さい、後まで、付き合ってもらうと、言ったはず、だ」
「……その様で、それを口にするか。最早剣など振れんだろうに」
「ああ……確かに、そう、だな」
「ならば―――」
続けて言葉を放とうとした小次郎だったが、それが口から出る前に、シロの言葉がそれを遮った。
文字通り血を滲ませ声を溢していたシロが、赤いあぶくを口の端に残しながら、それでも言葉を放ち。
「だが、まだ―――出来る事も、ある」
「……何が出来ると言うつもりだ」
出来る事があると言う。
それに対し、何時からか小次郎の顔には困惑から何かを期待するかのような色が浮かび始めた。
まさか、まだ何かあるのかという期待を滲ませた小次郎の言葉に、シロは掠れた瞳をそっと動かし、微かに感覚が残る右手を見下ろした。
「そう、だな―――刀を一本、用意することぐらいは」
「ほぅ……で、用意できたとして、それで何が出来る? 貴様に、何が出来ると言う」
何が出来るのかという問いに対し、刀を一本用意できると言ったシロに、小次郎が疑問を呈する。
目を離せば、その隙で死にかねない姿を晒しているのだ、どれ程の剣を用意したとしても、何が出来るわけではないという小次郎の考えは―――
「お前を斬る」
―――ある意味期待通りであり、予想外でもあった。
「―――よくぞ口にした。其ほどまでの大言、貴様が用意すると言う刀に、俄然興味が沸いたぞ」
笑みを浮かべながらシロを睨み付けるのではなく見つめる小次郎に対し、シロも何処か苦笑染みた笑みをその口に湛え。
「そう言うのならば、もう少しだけ付き合ってもらおうか」
小さく、意思を整えるかのように息を吐き。
「それで、貴様が用意すると言う『刀』とは、一体どんな代物なのだ?」
疑問の声を小次郎が向けると、直ぐには応える事はせず、シロは小さく顔を上げ空を見上げた後、ゆっくりと瞼を閉じた。
閉じた視界には、ただ、闇が広がっている。
それは不自然な程に暗く。
まるで底の無い井戸の奥のような闇で。
その、奥で―――奥底にて、キラリ、と何かが光り―――シロの口から言葉が紡がれ始めた。
「―――その『刀』を打った刀鍛冶は、何時の頃からか、とある物語に語られる『剣』に至る事を目指し、数多もの刀を打ち続けた。生涯を掛け刀を打ち続けるも、その頂きにはしかし届かず。命を終え、その魂が『世界』に召し上げられてからも、また目指す頂へと至らんと『刀』を打ち続けた」
闇の向こうに見える光は、一度だけでなく、二度、三度と輝き。
一定の頻度で見えるそれは―――光ではなく、赤く燃えては消える火花であり。
それが見える度に、口から言葉が零れていた。
「その果てに、とある世界において、その刀鍛冶は呼び出され。何時ものように、刀を打ち―――そうして打ち上がった『モノ』があった」
火花に照らされ、闇の中で何かが浮かび上がる。
―――老人だ。
―――いや、青年だ。
―――白髪の―――赤髪の―――
うっすらと、火花が散る度に微かに浮かぶ人影。
何かをもって、それを振り下ろし―――火花が散る。
音も―――聞こえる。
鉄を打つ音だ。
鋼を鍛える音だ。
火花が散る度に―――鉄を打つ音が響く度に―――ゆっくりと、唯一感覚が感じられる右の掌に、ナニかが集まっていく。
それは次第に熱を帯び、形を成していき。
「
闇が、裂けた。
光が見えた。
鋼を鍛える音が止み。
火花が散ることがなくなった時に、代わりに覗いた光が、闇を割いた。
それが何なのかは闇に沈んで見えはしないが、それでも其が何なのかはわかる。
その本身を見ることすら出来ないというのにも関わらず、その一端を目にしただけで震えてしまう。
だがそれを、それを打ち上げた者は―――
「故に失敗作と断じられ、打ち捨てられた」
其れを投げ捨てた。
振るえぬ『刀』など、『刀』ではないとでも言うかのように、捨てられて。
滔々と語るシロの口調は変わらず、その様から感じられる弱々しさすらなく。
平常であるが故に異常ではあるが、それを指摘する者はいなかった。
それ以上の、目に見える異常があったからだ。
それは右の手。
何もない筈の中空から、幾つもの紫雷が走っていた。
それは次第に大きく激しくなり。
「
闇の中、沈んでいく捨てられた『其れ』は、ゆっくりと下へ下へと落ちていく。
誰も受けての無い底へと沈み行き。
最後は朽ちて消えてしまう筈が、其れを掴む者がいた。
―――一際強い雷が走った。
目映い光に、声もなくその光景を見つめていた者達が咄嗟に顔の前に手を翳し―――。
「『龍』が雲を得て空へと昇るように、其れもまた、『担い手』を得て―――」
ゆっくりと、閉じた瞼を開いていく。
闇の中に光が差し込み。
光と闇の狭間において、二つの人影を見た。
背を向け立つ二人の人影。
「ようやく『其れ』は『刀』と成った」
その一人の姿を捉える。
赤銅色の髪に、若々しい背中。
しかし、その身に纏う雰囲気は、年経た者のそれでいて。
それが誰なのかと疑問を抱くよりも前に、自然とその名を口にしていた。
「その『刀』を打ち上げた刀鍛冶の名は―――千子村正」
そして、その男の傍に立つ。
もう一人の剣士が握る刀こそ―――
「そして、その刀の銘は―――」
小次郎に勝つための最後の欠片の一つである刀。
その銘こそ―――
誰かが息を飲む音がした。
意識すら刈り取られたかのように引き寄せられた。
シロの右手。
何も掴んでなかったそこには、いつの間にか一振りの刀があった。
オラリオの冒険者も神々も見慣れぬその『剣』。
刃に浮かぶ波紋は、まるで極上の女人の艶肌のように美しく―――妖しく。
誰もが―――神々さえも見惚れる―――見蕩れるその『刀』の銘こそは―――
「【明神切村正】」
「―――そんなまさかっ!? いや、でも……」
オラリオにおいて、その『刀』を目にした神々の中でも、特に大きな反応を示した者達がいた。
それは鍛冶を司る神であり、武を司る神でもあった。
共通するのは『剣』を良く知ること。
神界において、数多の神匠が打った神剣を見てきた者達である。
故に、その『剣』を見た瞬間、見惚れると同時に驚愕がその心を支配した。
神であるからこそわかった。
数多の神剣を見てきたからこそわかった。
其れが、神によって打たれたモノではないことを。
人が打ち上げしモノであることを。
それでありながら、神でさえ見間違える程にそれは極まっていた。
「明神切村正……
其れを目にした時、流石の小次郎も驚きにその身を固めたが、しかし直ぐに吐息のような笑い声を上げ始めた。
「妖しいほどの美しさ―――見ればわかる。其れが途方もない業物であると。期待通り―――いやそれ以上だ。それは認めよう」
眩いモノを見るかのように目を細目ながら、シロが握る刀を見つめていた小次郎だったが、浮かべていた笑みをすっと消え去ると同時、首を傾げた。
「だが、それがどうした?」
そうして、刀を持ったまま動かないシロを改めて見た。
その目は何処までも冷たく、冷静で。
恐ろしい程の力を感じさせる刀を目にしながらも、気にする様子は最早なく。
淡々とした口調でシロに問いかけた。
「どれだけのものを用意しようとも、振るう事が出来ねば刀などそこらの棒切れの方がまだましよ」
「―――ああ、その通りだ」
小次郎の言葉を、小さな呟きのような声でシロは肯定した。
「で、それで終わりか?」
「いや、もう少しだけ、付き合ってもらおうか」
「ほう……」
ピクリと、小次郎の眉が動いた。
これ以上、まだナニかあるのかと言うような眼差しを受けたシロは、もう頭を動かすことも出来ないのか、身体を微動だにすることなく、視線だけを造り上げた『刀』に向けて。
「ああ、お前の言う通り。どれだけ優れた剣があっても、それが振るえなければそこらの棒切れにも劣るだろう」
ぽつり、ぽつりと小次郎の言葉を肯定していたシロの口許に、笑うというには何処か歪んだものが浮かび。
「この身体では、どんなモノであろうと宝の持ち腐れでしかない……まあ、この刀に限れば、それ以前の問題だが、な」
「何を―――っ!?」
その笑みに、疑問の声を上げようとした小次郎の口が息を飲む。
雷が走り―――血潮が舞った。
「「―――ッ!!??」」
その光景を目にしたベル達から声無き悲鳴が上がった。
「言っただろ。
吹き出た血の量、走った雷の勢いからして、表面だけ炙ったようなものではない事は一目瞭然であった。
腕が吹き飛びかねない程の威力のそれを受けながら、しかしシロは平然としたままで。
その様子から、既に痛覚は無いものと思われて。
刀から走る雷は、一度だけではなく、二度、三度と続いて走り。
その様は、まるで刀がシロを拒絶するかのように見えて。
「これを振るえるのは、ただ一人だけ」
オラリオで、そしてこの場で、その姿を目にする者から悲鳴が上がる中、その中心にいる筈のシロだけが平然とした様子で、言葉を紡いでいた。
それは、一人の剣士の物語であった。
「たった一人の剣士のみ」
極点へと到った、一人の剣士の物語。
「―――さあ、
全身の骨は折れ砕け、ただ立っていることが奇跡のような状態でありながら、シロの声からは最早弱々しさは感じられず。
「
それどころか、声をあげる度にシロから感じられる気配が濃く、強くなっていき。
「行き詰まりの世界に生まれしその者は、剪定のおりに世界から零れ落ち―――」
されど刀から走る雷は止まず、それどころか時間が経つにつれその勢いは増して。
「数多の世界を渡り歩いた」
『刀』から生じた無数の雷が、シロの身体を切り裂き貫いていく。
「戻る場所はなく、行く先もなく」
だが、シロの身体は不動のように揺るぎなく。
雷の雨に打たれながらも、未だその身を崩すことはなかった。
それどころか―――
「しかし―――目指すべき高みはあった」
逆に、『力』が凝縮されるかのように、生じる熱量が上がっていくかのように見えて。
余計なものを削っているかのように、削ぎ落としているかのように―――いや、
「無二たる一のその先へ―――極点たる頂きに至るため、その剣士は歩み続け」
何時からだ。
刀から生じた雷が、シロの身体を貫いてはいなかった。
何時しか雷は、シロの身体を貫ぬくのではなく―――
「その果てに、剣士は一振りの
そう―――その通り。
撃ち込まれていたのだ。
刀からシロへ。
あらゆるモノが撃ち込まれていた。
「そして挑みしは七つの地獄―――七騎の剣豪ッ!!」
それは『明神切村正』の記憶。
『記録』ではなく―――『
「その悉くを踏破し、斬り伏せしその先で―――ッ!!!」
何も為せず、何にも成れず―――ただ消え去る筈の運命から救い上げられ。
共に駆け抜けた『
「剣士は遂に「 」へと至り、一のその先―――【零】へと到った!!!」
だが、シロの身体はその度に確実に削られていく。
身体の外と内を雷に焼き焦がされながら、しかしそれでも上げる声には弱さはなく。
「やがて【虚空】すら斬り伏せるその剣士こそ―――天下一の剣士にして―――」
武士の名乗り上げのように、高らかに、誇らしげにその者を語っていく。
「
血反吐を吐き散らしながら、声をあげる度に喉を裂きながら。
内蔵を撹拌される違和感を感じつつも、それを受け入れ吠え猛る。
「彼の者と貴様が相対するというのならば―――」
既に視界は断絶し。
その瞳は何も映してはいない。
身体の感覚も、何もなく。
ただ、衝動のままに声をあげ。
最後の瞬間を待っていた。
「この時こそ決闘の時―――ッ!!」
そして、遂にその時が来た。
「此処こそがッ―――
散々に撃ち込まれた
それを弾倉に詰め。
ゆっくりと、撃鉄を引き下ろしていく。
銃口の向ける先は―――
「
―――後は、頼んだぞ―――ベル
―――達者でな―――ヘスティア
引き金が下ろされ―――夢想の弾丸が飛んでいく。
その先にあるのは、己の根底―――
狙い違わず―――弾丸は霊基を打ち貫き。
霊基の全てを砕いた。
そして―――砕けた霊基が、
―――光の柱が空を貫いた。
黄金の柱。
地上から天へ。
まるで龍が空へと翔け昇ったかのような光景。
神聖ささえ感じさせるその光景は、やがて溶けるように消え失せて。
そして、数多の視線が向けられる先。
光の中心に、未だ光の残光が残るその場所に、その者は立っていた。
シロが立っていた筈のそこへ、見知らぬ者が立っていた。
誰も見覚えのない者だ。
だが、見覚えのあるモノがあった。
その者が右手に握るモノだ。
『明神切村正』―――シロが掴んでいたそれを、何故か突然現れたその者が握っていた。
共通点はただそれだけ。
それ以外は全く繋がりがない。
何せ
その者―――薄紅色の髪を一つに縛り、藍色の短丈の服を着たその女は、眠っているかのように、顔を俯かせたまま微動だにしない。
垂れた髪の向こうに見える顏は、端正で美しく。
事態が把握出来ず呆然と固まっていた者達も、目を奪われる程に神聖さを感じさせる程に美しく。
静寂が周囲を包むなか。
それを最初に破るのは、やはり一人しかおらず。
「―――――――――ぁぁ……」
それは、万感の想いが籠った声であった。
悲鳴のような声であり。
歓喜の声のようであり。
何十もの感情が入り交じった、正に万感の声を上げ。
小次郎はわらった。
笑って―――嗤って―――その名を呼んだ。
物語の如く。
その名を呼んだ。
待ち続けたその者の―――己の片割れが如き者の名を―――
「
その、
そして隠されていた瞳が露となって―――その焦点が、相対する小次郎に定まると。
純粋ささえ感じられたその顔を、応じるかのようにゆっくりと歪ませていき。
笑って―――嗤って―――その名を呼んだ。
物語の如く。
その名を呼んだ。
「
そうして、異なる世界において剣士は漸く己の運命と出会った。
一を越えし零を極めたその剣に、男は己の剣をもって挑む。
交差する二つの剣を見つめるのは、一人の女。
定められた物語を知るその者の瞳は、何を映すのか。
次回、たとえ全てを忘れても
第二部 外典 聖杯戦争編
第三章 瞬撃の巌流島
最終話 瞬撃の巌流島