たとえ全てを忘れても   作:五朗

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 遅れに遅れすみませんm(_ _)m

 色々と……本当に色々とありましたが、何とか終わりましたので投稿を再開します。
 


エピローグⅠ 晴れ渡る空の下、あなたへ送る一輪の華

 祈るように握りしめた両手を胸元に抱いた少女(カサンドラ)が、止めどなく流れる涙を拭うことなく、目の前にたつ(小次郎)を見上げていた。

 あれだけの激戦を潜り抜けたにも関わらず、その身に纏う最早ぼろ切れのようになった鮮やかだった服とは反対に、その身体には大きな傷は見られない。

 一見すれば、何時もと変わらぬその飄々とした姿から、先程までの激戦は夢か幻のように思えてしまうが、崩れ落ちた城や城壁等の、まるで大地が引っくり返ったかのような荒れ果てた光景は確とした現実であり。何よりも、身体の端から零れるように落ちている黄金の砂のような光が―――時と共にその姿を―――存在感を薄れさせていく小次郎の様子が、男の終わりを伝えていた。

 それを、小次郎を見上げるカサンドラは、分かっていた。

 ただ、その(小次郎の終わり)を信じられないのか、それとも信じたくないのか。

 カサンドラは流れ続ける涙に気付いていないかのように、向けられた言葉に対する返事を返さずに、ただ濡れた瞳で何の言葉もその口から発することなく、ただ小次郎を無言のまま見上げ続け―――。

 

「―――カサンドラ」

「―――」

 

 困ったような、苦笑いするような、そんな雰囲気を纏う声で、言葉で、小次郎がカサンドラの名を呼んだ。

 小次郎に名を呼ばれたカサンドラは、肩をびくりと震わせると、まるで何から逃げるかのようにその足を一歩後ろに下げようと動かそうとして―――……力なく離れかけた足裏を地面へと戻した。

 その様を見た小次郎は、一瞬浮かんだ寂しげな笑みを、ただの笑みへと変えると、ちらりと自身から零れていく光を目線で追いかけた。

 

「―――残念な事ではあるが、どうやらここまでのようだ」

「っ、なっ……なにが、です、か……?」

 

 答えなどわかりきっているだろうにも関わらず、目の前の現実から逃げるかのように、カサンドラは小次郎から零れ落ちていく光を濡れた目で追いかけた。濡れた瞳で見る小次郎から零れる光は、滲み広がり、瞬きの度にまるで万華鏡のようにその姿を変えていく。

 ただ、その光も直ぐに空に溶けていくかのように消えてしまう。

 風に吹かれ、淡雪が空へと戻るかの如く、舞い上がる光に誘われるかのようにカサンドラの視線が無意識のまま空へと向かい―――その先で、再び小次郎と視線が交わった。

 一秒もない視線の交わりは、カサンドラが何かを言う前に、小次郎が空を見上げた事で途切れてしまう。

 城どころか空すら断ち斬る戦いの余波によるものか、幾つか見えた筈の白い雲の姿は跡形もなく。

 ただただ、澄み渡った青い空が広がり。

 その中心で、朧月が浮かんでいた。

 目を細め、高く遠い空の向こうの月を見上げながら、小次郎がポツリと小さく、呟くように言葉を口にする。

 

「最後に一つだけ、願っても良いか……」

「な―――にを、最後って……そんな―――」

 

 小次郎の言葉に、反射的に上げたカサンドラの声は、嗚咽のように、しゃくり上げるかのような声で。

 悲鳴のようなそれを耳にしながら、小次郎は言葉を重ねた。

 

「もう、わかっているだろう」

「な―――に、が……」

「私は―――間もなく消える(死ぬ)

 

 撫でるかのようなその優しげな声に、カサンドラの言葉は形にならず崩れていき霧散してしまう。

 その残滓が途切れるのを見計らうかのように、小次郎は言葉を告げた。

 誤魔化すことなく、真っ直ぐに。

 底の抜けた箱の中の砂が落ちきる迄の、僅かな時が過ぎた後に訪れる。

 避けようのない結末を。

 

「いやッ―――嫌だっ、いやだよぉう……」

 

 幼子のように、いやだ、いやだと叫びながら、まとわりついてくる現実を振り払うかのように顔を必死に左右に振るカサンドラを止めたのは、頬に触れた小次郎の手であった。

 ぶんぶんと振るわれていたカサンドラの左の頬に、添えるように当てられた小次郎の右の掌は、まるで女性のように細く長いけれど、厚く固いその感触は、確かに男の―――武人のそれであり。

 暖かく、確かなその指先の感触は、カサンドラの胸の奥を痛いまでに締め付けて、息苦しささえ感じさせる感情の嵐から逃れるように。考えるよりも先に、カサンドラは頬と左手で挟むようにして小次郎の右手を包み込んだ。

 

「―――……本当に、もう―――だめ、なんですか……」 

「……流石に、この終わりを覆すのは出来そうにないな」

 

 何時もと変わらない。飄々とした口調で、しかし、その中に感じられる、彼に似合わない申し訳なさそうな、悲しい声に、カサンドラは胸を突かれるかのような思いを受けた。

 (小次郎)の戦いを最後まで見て、避けようのない筈の未来(予言)を覆したみせたこの人の僅かに残された時間を無為にしようとする己を自覚し。

 カサンドラは己の愚かさ加減に唇を血が滲む程に噛み締めると、ゆっくりと、しかし確りとした動きで顔を上げ、小次郎としっかりと視線を合わせた。

 

「カサンドラ」

「―――はい」

 

 自分を見上げるカサンドラの、未だ濡れる瞳に何を見たのか、小次郎は吐息を吐くような小さな笑みと共に彼女の名を呼んだ。

 見つめ合う二人。

 短くも、長くもない時を、何かを交わすかのように互いに視線を混じり合わせた。

 

「―――一つ、心残りがあってな」

「はい」

 

 今度は、受け止めた。

 カサンドラは、真っ直ぐに、小次郎の言葉を受け止めて、その続きを待っていた。

 何時しか離れていた掌と頬。

 一人立ち、見上げてくるカサンドラの姿は、初めて出会ったあの時とは違い。

 凛とした姿で。

 小次郎は、まるで夢を見ているかのように、最早遠くなった感覚の中、右手に僅かに感じるカサンドラの頬の柔らかさと温もり、そして涙の暖かさを寄る辺にしながら、最後の時を出来るだけ遠ざける。

 

「見て―――いなかった、とな」

「え?」

 

 何処か、夢心地の声音と口調で、呟かれた小次郎の言葉の意味が図れず、反射的に疑問の声を上げたカサンドラの声を聞こえたのかのように、小次郎は直ぐに言葉を続けていた。

 

「お前が―――笑うところを―――日の下で、笑う―――姿、を……」

「そんな―――」

 

 否定しようとした言葉は、途中で切れた。

 確かであった。

 小次郎と出会ってからこれまで、確かにカサンドラは何度も笑った。

 嬉しくて。

 楽しくて。

 

 ―――何よりも、幸せで。

 

 知らずに思わず笑みが溢れた。

 何度も。

 何度も。

 でも、何故だろうか。

 ただ、時が悪かったのか、どうなのか。

 何時も、そんな時は夜だった。

 勿論、昼に小次郎と何処かへと行った事はある。

 その時に、笑った時は、あったかもしれない。

 でも、目を閉じれば思い出せる。

 本当に、心から幸いだと、笑っていたと思い出せる時は、全部夜の事で。

 

「―――本当、ですね」

「そう―――だ、ろ」

 

 小さく、苦笑しながら頷くカサンドラに、小次郎も同じく笑いながら頷いた。

 互いに視線を交わし、小さな笑みを交わし合う。

 じっと、見上げてくるカサンドラの瞳。

 涙は既に流れておらず、僅かに潤んだ瞳は赤く充血している。

 その瞳の美しさは、出会った時から変わらず。

 しかし、比べることも出来ないほどに、強くなっていた。

 確かな強さを感じるその光に誘われるように、導かれるように―――遠く虚ろになりかけた感覚の奥から出ようとした言葉は―――

 

「「――――――」」

 

 重ねられた唇により押し止められてしまった。

 触れて、初めて小次郎はそこにカサンドラがいることに気付いた。

 達人の中の達人ともいえる小次郎には考えられない事である。

 武の片鱗もない少女に、文字通り唇を奪われた。

 瀕死であることなど言い訳にもならない。

 事実、この状態であっても、例えアイズに襲いかかられたとしてもその全てを捌く自信があった。

 にも関わらず、触れるまでカサンドラの動きに気付けなかったのは、それは―――

 

「――――――」

 

 ゆっくりと、つま先立ちした姿勢から元へと戻り、一歩後ろへと下がるカサンドラ。

 離れ、見上げてくるカサンドラの瞳は、淡く、まるで誘うかのように揺れていて。

 言葉なく、息を飲み、目を丸くしている小次郎を前に、カサンドラの口許が―――頬が、ゆっくりと―――

 

「隙あり、ですね小次郎さん」

 

 ―――ふわりと、綻ぶように。

 悪戯っ子のような目で見上げながら、カサンドラは囁いて。

 

「私―――もっと綺麗になります。もっと素敵な人になります」

 

 満を持して、開き満ちる華のように―――

 

「だから、楽しみにしてください」

 

 別れの言葉ではなく。

 再開の約束でもなく。

 それは、挑発のような言葉。

 これからもっと綺麗に、素敵な花を咲かせるのに、放っておけば誰かに手折られるかもしれないと―――枯れてしまうかもしれないと。

 そう、脅しつけるかのような可愛くも恐ろしい脅迫をしながら。

 カサンドラは、陽の当たる青空が広がる下で、満開に咲く華のような満面の笑みを広げながらそう告げた。

 

「―――ぁぁ」

 

 そして、それを眩しげに見つめながら、もう、薄く、透けてしまう身体を何とか崩さずに保っていた小次郎は、呆気に取られたように言葉をなくした後、小さく吹き出し―――笑った。

 

「それは―――見逃せないな」

 

 

 

 

 




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