たとえ全てを忘れても   作:五朗

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第一話 家路

 

 『退屈』

 

 それが、理由だった。

 

 それが、切っ掛けだった。

 

 それが、ボクの『下界』に下りたいと思った、始まりだった。

 

 ―――……。

 

 ……そう、思っていたんだ。

 

 でも、違った。

 

 そうじゃなかった。

 

 そんな理由(退屈)じゃなかった。

 

 それを、君が教えてくれた。

 

 違うって、教えてくれた。

 

 君との、出会いが。

 

 君と過ごした僅かな時間が。

 

 たった一日。

 

 ボクにとって、瞬きよりも短いそんな時で。

 

 君は教えてくれた。

 

 ボクがどうして、下界(ここ)へ来たのか。

 

 その、本当の理由を。

 

 君が教えてくれた。

 

 あの日。

 

 あの時。

 

 昼と夜の境。

 

 太陽が沈む間際。

 

 世界が赤く染まるその時に。

 

 君が口にしたあの言葉が、ボクに教えてくれたんだ。

 

 ボクが、本当は何を求めていたのかを。

 

 君はきっと、何も考えずに言ったのだろうけど。

 

 もう、忘れてしまっているのかもしれないけど。

 

 だけど、ボクは忘れない。

 

 例え永遠とも呼べる時が過ぎたとしても。

 

 何もかも時の流れに消えてしまったとしても。

 

 ボクだけは、絶対に忘れない。

 

 黄昏色に染まる世界の中、ボクと君だけが取り残されたかのようなあの時を。

 

 きっと、何時までも色褪せる事なく、この胸に抱き締めている。

 

 君が言ってくれたあの言葉を胸に抱いて。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 どうしよう?

 これは、困ったことになってしまった。

 困ったぞと首を傾げるが、やはりいい考えなど浮かびはしない。

 対面では、ぎこちない動きでベッドから起き上がったヒューマンの男が、渋面を浮かべた顔を同じように捻っている。

 年代物のベッドの耐久力では、どうやらこのヒューマンの男の身体を支えるのはぎりぎりらしく、時おりミシリミシリという音を耳が拾ってしまう。

 それも仕方がないだろう。

 ヘファイストスからこの拠点(廃教会の地下室)を斡旋された時に、餞別代わりに置いていかれたこの中古のベッドは、小柄なボクならば全く問題はないけれど(寝心地は別として)、170C後半だと思われる大柄で筋肉質なこのヒューマンの男には耐えられそうにない。

 今更ながら、昨日の大雨の中よくここまで引きずってこれたものだと自分の事ながら誉めてやりたいものである。

 そう、今ボクの目の前で首を傾げているヒューマンの男は、昨日の夜の大雨の時に、倒れているのをボクが発見して連れてきた男である。

 何とかかんとかここ(廃教会の地下室)まで引きずってきた後、原型を留めていないぼろぼろの服の様子から、大怪我をしているものだと慌てて手当てをしなければと服を脱がせて(破って)みると、どういうわけか怪我という怪我はなく。せいぜいが引きずってきた際に出来たと思われる擦過傷と、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()だけで。

 不思議なことに、ぱっと見はまるで集団でリンチを受けたかのような姿なのに、剥いてみれば褐色の肌には傷一つなく、白とも灰色にも見える髪を持つ頭にも怪我の跡はなかった。

 とは言え、濡れたままでは風邪をひいてしまうと、地下室に何故かあった男物の服の中で、大きなものを何とか目を瞑りながらも着せてベッドに寝かせたのは良いが、朝になっても起きる様子はなくて。

 もう一日待っても目を覚まさなかったらミアハを連れてこようか思っていたところ、夜になって帰って見ると、目を覚ましていて。

 第一声が肝心だと、慎重に尚且つ格好をつけながら自己紹介と共に名前を聞いてみたところ―――。

 

 ―――な、まえ……?

 

 ―――わた―――おれ、は―――だれ、だ?

 

 と、どうやら記憶がないようで。

 

「本当に、どうしようか?」

 

 思わず思考が口から出てしまう。

 

「……すまない」

「え? あっ、そ、そうじゃないんだ。謝らなくていいっ」

 

 知らず口に出していた言葉を聞いて、目の前の男が申し訳なさそうに頭を下げてきた。

 ベッドの上で身体を縮込ませながら謝るヒューマンの男の姿に、慌てて両手を振って気にするなと示すが、どうやら真面目な性格らしく、身体全体から申し訳なさげな様子が見てとれる。

 その姿に、思わず苦笑を浮かべていると、ヒューマンの男はゆっくりと顔を上げながら、やっぱり未だ申し訳なさそうな目を向けてきた。

 

「いや、知り合いでもない男をここまで介抱してくれたんだ。本当に感謝をしているのだが……」

「ん?」

「何も、本当に覚えていないんだ」

「何もって、本当に何もかい?」

 

 眉間に皺を寄せながら唸るように言葉を漏らす彼に、ボクも思わず唸るような声で尋ねてしまう。

 

「ああ、自分の事もそうだが、そもそもここが何処なのかもわかっていない」

「ここがどこって……ここはオラリオだよ」

「おら、りお?」

 

 こてんと、首を傾げながらボクが彼の疑問に答えると、あちらも同じように首を傾げて返された答えを口にするが、どうも納得の様子は見られなくて。

 と、言うよりも、そんな名前(都市)等聞いたことがないとでも言うかのような様子で。

 だからボクは思わず驚きの声を上げてしまう。

 

「え? 本当にわからないのかい? オラリオだよオラリオ! 世界の中心とも呼ばれている。ダンジョンがある『冒険者の街』だよっ!?」

「世界の中心? 『冒険者の街』オラリオ?」

 

 ますます眉間の皺に力が籠り、更にその峡谷が深くなってしまう。

 このままだと跡が付いて取れなくなってしまうのではないかと思わず心配してしまいそうになる程で。

 獣ややたら長くないその耳や、身長やらからして、まず間違いなくヒューマンだと思われるから、年齢は見たところ大体二十代前半くらいに見えるけれど、何だか苦労してそうな雰囲気からもう少し年上にも見える。

 何となくそんな事を頭の片隅で考えながらも、何か思い出せないかと必死な様子を見せる彼の姿から、ああ、本当に何もわからないんだと自然と納得していた。

 

「……本当に知らない―――わからないんだね」

「あ、ああ……わからない」

 

 項垂れるようにして頷いた彼の姿からは、『嘘』を言っているようには感じない。

 

「どうやら本当にわからないみたいだ」

「……信じてくれるのか?」

 

 項垂れた姿勢のまま、見上げるように視線を向けてくる彼に、小さく笑みを向けて頷いて見せる。

 

「まぁ、子供達の嘘を言っているのか本当の事を言っているのかぐらいはわかるよ」

「そう、なのか? ……いや、子供達って?」

「そりゃ、『下界』に下りて『神の力(アルカナム)』を封じられてるけど、それでも子供達が嘘を言っているかどうかぐらいはわかるよ」

 

 困惑の声を上げる彼に、肩を竦めてみせる。

 そりゃ、『神の力(アルカナム)』を封じられて、無力な存在になっているとは言え、子供達(人間)が本当の事を言っているのか、嘘を言っているのか見破るぐらいは『神の力(アルカナム)』がなくてもわかる。

 別に特別に何かしているわけでもなく、秘密でもないし。

 そこらの子供達も、神に嘘が通じないことぐらい知っている筈なのに。

 この彼は『記憶喪失』だからだろうか、何か納得のいかない顔をしていた。  

 

「『下界』? 『神の力(アルカナム)』? はは……その言い方だとまるで自分が神だとでも言うようだな」

「え? そりゃボクは神様だし」

「は?」

「え?」

 

 ……いや、そもそも彼はどうやらボクが神様だって気付いていないかったようだ。

 

「神、様? 誰がだ?」

「ボク」

「……ああ、そうか、そうだな」

 

 可笑しい、確かにぱっと見はヒューマンの人間のように見えるけれど、今までは、特にボクが神様だって事は、何も言わなくても話しているうちに察してくれてたんだけど。

 どうやらこの彼は相当勘が悪いのか、ボクの事を未だ神だと気付いておらず、何か可哀想なものを見るかのような目を向けてくる。

 

「何だいその目は、まるで可哀想な者を見るかのような目で見て」

「いや、なに。確かに目を見張るような美人だしな君は。うん、それこそまるで女神のような美しさだ」

 

 うんうんと頷きながら明らかに信じていない彼に、ボクは思わず「うが~!」と叫びながら立ち上がってしまう。

 

「美人と言われて悪い気はしないけど。女神のような、じゃなくてボクは本当に女神様なんだよっ!」

「いや、女神と言われてもな」

 

 苦笑を浮かべながら、ベッドに座ったままボクを見上げてくる彼に、ずびしと指先を突きつける。

 

「どうして信じてくれないんだっ!? 確かに色々と封じられてはいるけどっ! そこらの田舎じゃないんだっ! このオラリオにいるんだぞ。君だってボク以外の神の一()や二()見たことがある筈だよっ!!」

「いや、いくら記憶がなくとも神がそこらへんを彷徨いている筈がないことぐらい知っているぞ」

 

 呆れた声を上げる彼に、なおもボクが詰め寄ろうとしたところで、ボクは漸く彼が本当に()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

「君は本当に何を言っ―――あれ? もしかして本当にわかっていない?」

「? いや、だからさっきから本当に―――」

 

 はてな? と頭に疑問符が浮かぶ姿を幻視出来るような姿を見せる彼に、ボクは前傾姿勢になりかけていた身体を元に戻した。

 

「確かにちょっと前(数百~数千年前)までは、僕たち(神々)は地上にはいなかったけど。今の時代は結構大きな都市なら一()ぐらいいる筈だけど。どうやら君はそういう常識(知識)も忘れてしまっているようだね」

「……どう、いうことだ?」

 

 ボクが本気だと気付いたのだろう。

 何処か余裕を見せていた彼の様子に、真剣身が加わった。

 

「そうだね。じゃあ、何も知らない小さな子供に教えるような常識を一から説明してあげようか。もし何か思い出したら教えてくれよ」

「あ、ああ」

 

 戸惑う彼を尻目に、ボクは右手の指を一本立てると、本当に何もしらない子供に教えるように、最初からこの世界について説明を始めた。

 

「さて、じゃあ本当に最初から。『英雄の時代』の終わりから『神時代』の始まりを話そうか―――」

 

 

 

 

 

 そうして、ボクが最初から。

 本当に一から順に歴史や常識について話し出したのだけれど、何処かで何か思い出すか、それとも聞き覚えがあると話を遮られるかと思ったのだけれど。

 本当に彼は何も覚えていないようで、自分の事だけじゃなく、歴史や常識―――『下界』に下りた神々や、ヒューマン以外のエルフや獣人の事、神から与えられる恩恵についても何も知らなかった。

 お陰で程ほどの所で大丈夫だと思っていた話しは、想定以上に長くなり。

 ジャガ丸くんを食べつつの話しは夜遅くまで続く結果となって。

 大体の事を話し終えた時には、もう半分ぐらい眠くて意識がなかった。

 

「あ~……その、無理せず最後まで話さなくとも、明日でも良かったんじゃないのか?」

「ん~……いや、もう最後の方は意地になってて」

 

 うつらうつらとしながらも答えるボクに、彼は苦笑を浮かべながら頭を下げてくる。

 

「すまなかった。どうやら自分の事だけでなく常識もなにもかも忘れていたみたいだった。まあ、正直に言えば、未だ本当に納得はしていないのだが、外に出ればわかることだしな」

「……それは、まあ、朝になって外に出ればわかることだし―――ふぁ、ねぇ……」

 

 欠伸を噛み殺しながら答えるボクに、彼はますます顔に浮かべる苦笑を深めてみせる。

 

「すまない―――いや、ありがとう。本当に色々と助かった」

「ううん。それはいいんだ。目が覚めた、ならはいさようならとは流石に言えないしね。特に君は記憶がないときた」

「……本当に助かった」

 

 しみじみと礼を言う彼に、ボクも思わず苦笑が浮かんでしまう。

 

「それに君は―――って、流石にずっと君君と言うのは何だね」

「そうか? とは言え、本当に自分の名前の欠片すら浮かばなくてな」

「そっか……なら、そうだね―――……」

 

 ゆらゆらと頭を意識を揺らしながら、寝ぼけ眼で彼を何とはなしに見ていると、彼のその灰色とも白にも見える髪の色が目について。

 思わずそれを口にしていた。

 

「―――シロくんって言うのはどうだろう?」

「……ぇ?」

 

 小さな、戸惑うような声が聞こえたような気がしたけれど、それに構うことなく眠気で色々と遮るもののなくなったボクの言葉は、とろとろと話を続けてしまう。

 

「君の髪の色って、灰色のようにも白にも見えるからさ。だからまあ、シロくんって。安直過ぎるかな? って言うか嫌かな?」

「いや……そんなことは、ない、な……」

 

 犬や猫等のペットに名前を付けるのでももう少しこう、何か考えるだろうにも、その安直すぎる名前を、しかし彼は断ることなく。何処か複雑な表情を見せながらも頷いて受け入れて。

 

「なら、君が自分の名前を思い出すまでは、君の事をボクは『シロ』くんって呼ぶからね」

「……ああ」

 

 小さく頷く彼を―――シロくんを意識が飛びがちになりながら横目で見ながら、ボクは話しはこれで一旦終了と示すように、椅子に座ってて固くなった身体の背を伸ばす。

 

「それじゃあ、まあ、話の続きは起きてからでもいいかな?」

「勿論だ。だが、俺はこのままここに居てもいいのか?」

「別に構わないよ」

 

 ぷらぷらと手を振って彼の滞在を許可して、倒れるような勢いで椅子の背もたれに寄りかかって意識を手放そうとしたところで、シロくんが慌ててベットから立ち上がってきた。

 

「まて、家主を椅子に寝かせられるか」

「ん~……怪我人にベッドを譲られても……」

 

 むにゃむにゃともはや半分どころか3分の2は意識が飛んだまま応えていると、シロくんはボクを促してベッドへと誘導し始めてきた。

 

「怪我なんて何処にもない。痛みもないしさっきまで寝ていたからな。寝ようにも眠気がないし。だから大丈夫だ」

「まぁ……そこまで言うなら……」

 

 断ろうにも頭が働かず、シロくんが促すままそのままベッドに倒れ込むように転がった。

 うつ伏せに倒れたボクの鼻先に、知らない匂いが触れる。

 自分とは違う。

 意識が殆どないまま、それでも何もかも違うとわかるその不快に感じない匂いが付いたベッドに包まれながら、意識を手放そうとしていると。 

 

「ああ、そうだヘスティア。ここにある物は触っても大丈夫か?」

「え」

 

 ぽん、と。

 投げ渡されたその言葉に、思わず眠気が一瞬吹き飛んでしまう。

 何気ないその言葉。

 他の神から何度も呼ばれたその名前を、だけど、初めて聞いたかのような気持ちで受け止めて。

 そうして思わずベッドから顔を上げたボクと視線があったシロくんは、罰が悪そうに頭を掻いて小さく頭を下げてきた。 

 

「何だ―――って、ああ、女神様だったな。なら、呼び捨ては不味いか」

「いっ、いや、大丈夫だよ。そのままで……うん、大丈夫」

「そうか? で、触っても大丈夫なのか?」

 

 自然と口元に浮かぶ笑みが、何故か恥ずかしく感じてきて。思わずベッドに顔を飛び込ませながらシロくんの質問に応える。

 

「私物という私物は何もないから、好きにしても良いけど……何か探しているのかい?」

「いや、眠気が出るまで少し動こうかと思ってな。ああ、静かにするから安心してくれ」

「……ま、いいか。好きにしてくれていいよ。ボクも最近ここに来たばかりだしね」

 

 ごろりと彼に背を向けながら、背中に彼の―――シロくんの気配を感じながら、瞼を閉じて。

 

「そうか、なら御休みヘスティア」

「―――……うん、御休みシロくん」

 

 シロくんの、撫でるようなそんな暖かい声で聞きながら、ボクはそうして眠りに付いた。

 胸に灯った、暖かい気持ちを抱き締めながら。

 どうして、そんな思いを抱いているのかわからないまま。

 そうして、(シロくん)と初めて話した夜は終わった。

 次にボクが目を覚ました時に、彼が言ってくれる言葉を無意識のまま期待しながら。

 『下界』に下りてきて―――ううん、違う。

 生まれてきて初めて感じるその思いを抱きながら、そうしてボクは眠りに落ちた。

 

 

 

 

 

「―――何これ?」

 

 そうして、次に目を覚ました時、目に飛び込んできた光景にボクは思わず声を漏らした。

 それもその筈だ。

 何ということでしょう。

 床の隅には埃が溜まり、用途不明の容器が崩れた戸棚に置かれたまるで廃墟(元から廃墟)のようだった教会の地下室に、家具を適当に置いただけの部屋が、目を覚ますと何と。

 床は綺麗に掃かれているだけでなく、まるで鏡面のように磨き抜かれ。

 壁沿いに置かれていた(ほったらかしにされていた)戸棚や机、椅子は綺麗に修復されているだけでなく、何度も拭くことでアンティーク染みた雰囲気を漂わせています。

 地下室を照らすには光量が足りない筈の魔石製品の周囲には、何処かから手に入れたのだろう鏡を使った細工で、隅々まで照らせるように工夫がされており。

 掃除というよりも完全に改造(リフォーム)された部屋を前にして、寝起きで呆けていた意識はぶん殴られたかのような衝撃により、逆にふらふらと揺れてしまっていた。

 そんな魔法で幻覚を見せられているような状態で呆然としていたボクの耳に、地下室へと降りてくる足音が聞こえてきた。

 はっと意識を取り戻した時には、もう一人いる筈の人物が階段からその姿を現していた。

 

「っ―――シロ、くん?」

「ん? ああ起きたのかヘスティア」

 

 彼は、シロくんはボクがベッドの上で呆然と周囲を見渡しているのを見ると、特に表情が動いているわけでもないのに、何処か得意気である事を感じさせる顔で生まれ変わったかのような地下室を見渡した。

 

「少しばかり片付けたが、問題はなかったか?」

「これが―――少し?」

 

 ぽけっと口を開けたまま漏らすように呟かれたボクの声に、シロくんはそこで漸く目を細めて笑う様子を見せると、地下室にある胸を張って台所とは言えない少しだけ火と水が使えるだけの魔石製品が置かれた場所へと足を向けた。

 

「掃除している時に、食べられそうなモノが幾つか見つけてな。すまないが勝手に使わせてもらったぞ。まあ、材料が少なすぎて簡単なスープしか出来なかったがな」

「え? そんなモノ(食材)あったかな?」

 

 と、言いながらも、シロくんの話を聞いているうちに目覚めてきた意識と共に通常運転を始めた五感が、何とも言えない美味しそうな香りを捕らえてお腹が盛大な抗議を鳴らし始めた。

 

「―――っ」

「どうやら期待には応えられそうだな」

 

 思わず真っ赤になってお腹を押さえるボクを、シロくんは肩越しに顔だけ振り向かせると、口元にニヤリとした笑みを浮かべてきた。

 反射的にベッドから立ち上がったボクが、抗議の声を上げようとしたところ―――

 

「ああ、言い忘れていたが―――おはようヘスティア」 

 

 口元を緩めてそう口にしたシロくんを前に、ボクの抗議のための勢いは一瞬で消え去ってしまって。

 その代わり。

 その向けられた笑みに応えるように、ボクの顔にも自然と笑みが浮かんで。

 

「うん―――おはよう、シロくん」

 

 

 

 

 

 

 

 

 太陽が空へと昇り青空が広がる中、通りを歩く人の雑踏の中を、ボクとシロくんは歩いていた。

 ボクが住んでいる廃教会のある辺りは、殆ど人が住んでいなかったから、外へと出た時にシロくんは特にこれといった反応を見せてはいなかったけれど、流石に街の中心へと向かうにつれて、増えてくる人と喧騒に次第に周囲へと意識を向け始めていた。

 だけど、それは珍しいものをみたという反応であり。

 何かしら見覚えがあるものに対する反応ではなかったことから、シロくんは街の住民ではないか、もしくは最近来たばかり者なのかもしれない。

 そんな事を考えながら歩いていると、ボクの少し後ろを歩いていたシロくんが、隣にまで足を進めてくると質問を投げ掛けてきた。

 

「それで、今から何処へ行くんだ?」

「ん? 言わなかったかい? ギルド本部だよ」

「ギルド本部?」

 

 この都市(オラリオ)に住むのならば、いや、辺鄙な田舎か山奥にでも住んでいない限り、ある程度年をとれば自然と耳にしている筈の知識を、シロくんは知らないようだ。

 それは元々から知らなかったのか、それとも忘れてしまったのかわからないけれど、ボクはそれを頭の片隅に考えながら街の外からでも見えるだろう都市の中心から天へと伸びる巨大な塔を指差した。

 

「そう。ほら、見えるだろあのおっきな塔が。あそこが世界の中心の更に中心。ダンジョンの蓋であり、この都市にいる冒険者の管理を行うギルドの本部がある場所だよ」

「あれが……」

 

 シロくんも元々から意識をしていたのだろう。

 実際、ボクと外へと出た時から、気にしている風も見せていたし、何か聞きたそうな雰囲気も感じてた。

 

「もしかしたら、シロくんに仲間がいて、その人たちが捜索の届けを出しているかもしれないし。そうじゃなくても、何か情報があるかもしれないからね。行ってみて損はないと思うよ」

「まあ、記憶どころか常識すら忘れてしまっているからな。その辺の事は任せる」

 

 うんと一つ頷いてボクを頼るシロくん。

 その様子に少しばつが悪い気になって、思わずそれを誤魔化すように自然と手で頭を掻いてしまう。

 

「……とは言っても、ボクも少し前にここ(下界)に来たばかりだから偉そうな事は言えないんだけどね」

「そうなのか?」

「そうなんだよ。あそこ(教会の地下室)にいる前は、(天界)にいた知り合いの所で世話になっていたんだけど」

 

 空を見上げる。

 こことは違う空の上。

 例えバベルの塔を更に伸ばしても届かない()()()()の事を思い出す。

 戦いがあった。

 争いがあった。

 憎み、殺し、愛し、多くの出来事があった。

 だけど、何時しかそれは遠く。

 次第に停滞という退屈が満ちていき。

 やがて、それに飽いた神々は下界(地上)へと降りていって。

 そして、それはボクも同じで。

 希望を出して、長い長い時が過ぎて。

 漸く自分の番が来た時に、ボクが思った(願った)のは―――

 

「と言うことは、その知り合いとやらも神なのか?」

「え? あ、うん、そうだよ。鍛冶の神様で、ヘファイストスって言うんだけど」

 

 シロくんの言葉で現実(地上)に意識が戻り、何とも言えない表情で頷いてバベルの塔へと視線を向ける。

 あそこ(バベルの塔)の中に、その彼女の店がある。

 地上に降りたはいいが、どうすれば良いかわからず、先に降りていた彼女のところを頼って、受け入れてもらったのは良かったけれど。

 想像以上に地上の世界には楽しいことがありすぎて。

 気付けば何もせずに(引きこもって遊んでばかりで)数ヵ月が過ぎており。

 遂には彼女に追い出されてしまった。

 

「ヘファイストス、か……」

「数ヵ月程世話になっていたんだけど、まあ、色々(引きこもっていただけ)とあって追い出されてしまってね」

 

 何かを確かめるかのように、彼女の名を呟くシロくんを横に歩きながら、ヘファイストスの下にいた時の事を思い出して肩をすくめる。

 

「追い出され―――……一体何をしたんだ?」

「うっ―――いや、その、何というか何かしたというか、何もしていないというか……って、その話しはどうでもいいんだろっ!」

 

 余計な事を口にしたと、何とか話題を逸らそうと「ガーッ!」とシロくんを威嚇するも、どうも効果はないようで、ぺしっ、とばかりに叩き伏せられてしまう。

 

「いや、確かに今は特に関係はないが。だが、追い出された先があそこ(教会の地下室)とは、少し厳しすぎではないのか?」

「う~……まあ、ちょっとボクも少しは文句は言いたいけど、でも、中古とはいえ家具もくれたし、バイト先も紹介してくれたし」

 

 痛くはないが、頭を叩くというあまりにも軽い扱いに、両手で頭を押さえながらシロくんを見上げて抗議の視線を向けるが、当の視線を向けられる本人は何処吹く風だ。

 とは言え、このままではあまりヘファイストスの印象が悪くなってしまうと意識を切り替える。

 確かに追い出されて後に、あの廃教会を押し付けられたと聞かされれば、まるで悪いことのようには思えるが、引きこもっていたボクも悪いし、住んでみれば中々悪くない場所な上に、バイトも紹介してくれたし。

 

「ああ、廃墟にあるにしては使える家具だと思ったが、そういうわけ―――……まて、バイトだと?」

 

 そんな事を説明してみれば、何が引っ掛かったのか、シロくんが奇妙な顔でボクを見下ろしてくる。

 

「ん? そうだよ。君も昨日の夜に食べたよねジャガ丸くん。そこの屋台のバイト」

「神が、バイト?」

 

 言葉が不自由な人のような、片言で質問してくるシロくんに、ボクは立ち止まり互いに向き合う。

 

「シロくん」

「何だヘスティア」

 

 同じく足を止めたシロくんの目をしっかりと見て、ボクはあの日(追い出された時のヘファイストスの顔)を思い出しながら万感の思いを込めてその言葉を口にした。

 

「働かざる者食うべからずだよ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「どうだいっ! ここがバベルの塔のお膝元にしてギルド本部。そしてダンジョンの入り口だよっ!」

「これは、また……」

 

 バベルの塔。

 その地上の入り口にあるダンジョンへと降りるための場所に、ギルドはある。

 多くの職員が忙しそうに走り回る中、それ以上の武装した冒険者たちが受け付けに赴いたりダンジョンに降りたり、逆にダンジョンから出てきたりして、そこはお祭りの会場のような独特な熱気が渦巻いていた。

 

「やっぱりここは何時も賑やかだねぇ」

「聞くと見るとではやはり違うな。百聞は一見にしかずと言うが。正にそれだ」

 

 田舎に住んでいたら圧倒されるような街の中を歩いていた時は、驚いた様子をみせながらも、賑わい自体には何処か余裕を見せていたシロくんも、流石にここ(ギルド)の雰囲気に圧されているのか、感嘆の声を漏らしている。

 ふふ~っ、と笑って、ぼうっと入り口付近に立ちすくむ彼の手を掴むと、どんどんとギルドの中へと進んでいく。

 

「ほらほら、おのぼりさんみたいに突っ立てないで行くよ」

「いや、行くと言っても何処に?」

「言っただろ、別にここにはダンジョンに潜りに来たんじゃないんだ。用があるのはダンジョンじゃなくて本部そのもの―――って、丁度良い。お~いっ! そこの君っ、ちょっと良いかな!?」

 

 シロくんの手を引きながらギルドの中へと周囲を見渡しながら入っていくと、丁度手すきの眼鏡をかけたハーフエルフの女の子が目にとまった。

 反射的に空いた手を振り上げてその子を呼び止めると、反応良くその子は立ち止まってこちらに振り向いてくれた。

 

「え? あ、はい。大丈夫ですよ」

「うんうん、少し尋ねたい事があるんだが」

 

 立ち止まった彼女の下へとシロくんを引っ張りながら駆け寄って立ち止まり。シロくんを背中にハーフエルフの職員へと向き直る。

 その眼鏡をかけたハーフエルフの職員は、生真面目な性格をしているのか背を伸ばしてボクに対応してくれている。

 

「はい。何でしょうか?」

「後ろのいるシロくん―――えっと、シロくんっていうのは、ボクが仮に付けた名前でね。本当の名前はわかっていないヒューマン何だけどね」

「はい―――え?」

 

 前を向きながら、後ろに立つシロくんを指差す。

 職員さんの目が一瞬シロくんへと向けられた後、疑問を示すように首を傾げてくる。

 

「この間拾ったんだけど、どうやら記憶喪失らしくて、自分の名前もどうしてここ(オラリオ)にいるのかわからないそうなんだ。何か知らないかい?」

「―――……は?」

 

 接客スマイルを浮かべていた彼女の笑みがぴきりと凍った音を、ボクははっきりと聞こえた気がした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「えっと、すみません手伝ってもらって」

「全然だよ。こっちが頼んでいるんだし」

「そうは言っても神様に手伝ってもらうなんて」

「はは―――君は今時珍しい子だね。ここ(ギルド本部)で働いていたら色々な馬鹿ども(神々)を目にしているだろうに」

「は、はぁ、それは……」

 

 恐縮して何度も頭を下げてくる「エイナ・チュール」と名乗ってくれた普段は受付嬢をしているという職員の子―――に笑って首を横にふって見せた。

 これは謙遜ではなく本当のことだ。

 実際この子は通常業務である受付を同期の子に代わってもらってまで、ボクのお願いを手伝ってくれているのだ。

 あの後、混乱で固まってしまった子に、シロくんと一緒に事情を説明したところ、ある程度状況を理解してくれると、少し考える姿を見せると直ぐに頷いてくれたのだ。

 そして同期らしい桃色の髪をした女の職員に受け付け勤務を代わってもらうと、犬人(シアンスロープ)の上司らしい男の職員に許可をもらって行方不明者や捜索願いがまとめられた資料室へと向かっていった。

 その一人資料室へと向かう姿を見て、この都市の事だから大量の資料を確認するだろうと協力を申し出てみたところ、最初は遠慮していた彼女であったけれど、それを見ていた上司の犬人の人が許可を出してくれたのだった。

 ただ、同じく協力を申し出ていたシロくんは、素性が明らかではないと遠慮してもらうことになったけども。

 そんな事を思い出しながら、ボクは手元に残っていた最後の資料を読み終える。

 

「残念。それらしい資料はないね。そっちはどうだい?」

「少なくともここ数年では該当する人はいませんね」

 

 同じくらいのタイミングで読み終わった彼女が、資料を閉じながら首を横に振った。

 集中して調べていたからか、気付けば窓の外から見えていた太陽の光はかなり弱まっていた。

 どうやらかなりの時間が過ぎているらしい。

 それだけの時間を二人して調べては見たけれど、どうもシロくんらしい情報は見つからなかった。

 

「こっちもだよ。あの体つきや雰囲気から、冒険者に関わっていたんじゃないかと思ったんだけど」

「でも、あの人には『ステイタス』がないんですよね」

 

 自身の肩を自分で揉みながらこちらへと視線を向ける彼女に、ボクは彼に服を着せている時を思い出す。

 神が与える『神の恩恵(ファルナ)』は、それを示す跡が残る。

 ステイタスとも呼ばれるそれは、眷族を示す証でもある。

 だけど、彼を着替えさせたときに、そういった跡はみられなかった。

 あの時は、色々と焦っていたから余計な事をそんなに考えていなかったけれど、思い返せば随分大胆な事をしたものだと、自然と赤く熱くなる顔を誤魔化すように頭を振る。

 

「ヘスティア様?」

「あ、ああ、それは確認したから間違いないよ。ただ、まあ不思議なのは……シロくんは、って言うか、まだ子供達(人間)の年齢は、見ただけで直ぐにはわからないけど、多分20代ぐらいだと思うけど」

 

 疑問の声をあげる彼女に、誤魔化すように話題を向ける。

 彼女は疑問に思わず、ボクの質問に頷いて答えてくれた。

 

「そうですね。それぐらいだと思います」

「まだ、シロくんとちゃんと話し出して一日もないけどさ。工作も掃除も、料理も全部凄くてさ。只者じゃないのは分かるんだよ」

「工作? 掃除? 料理? え? ええ??」

 

 戸惑う声を上げる彼女を尻目に、ボクは改めてシロくんの事を頭に浮かべる。

 かなり痛んでいた筈の、運び込まれたヘファイストスからの餞別の家具ではない、元からあった壊れたそれを、たった一日―――正確には数時間で綺麗に作り直すだけでなく。あれだけ(掃除をしていないのは自分自身であるが)汚かった部屋を綺麗にして、食材と呼べるものがないにも関わらず、僅かな材料だけで朝食を作り出す技術。

 ―――そして、何よりもあの雰囲気。

 天界にいた時に見たことがある。

 下界や天界にいた『戦士』のそれのような雰囲気からして、多分腕も相当立つのだろう。

 だけど、それだからこそ疑問に思う。

 おかしなことだと考えてしまう。

 

「ボクも神だからわかるけど。もしあんな子が手元にいたら、絶対に眷族にする筈なんだよ」

「つまり、そうじゃないと言うことは、何処かの『ファミリア』には入っていないと?」

「うん。それか―――」

 

 あれだけの能力がある子供(人間)がいれば、それを見た神は絶対に手元に置こう(眷族)とするだろう。

 だけど、彼にはその(ステイタス)は確認できなかった。

 だけど、それはシロくんが今まで何処かの『ファミリア』にいなかったと証明するものではない。

 何故なら―――

 

「脱退したか、させられた、か」

 

 『ステイタス』は消すことが出来る。

 その『ファミリア』の主神の意向次第だけど、何らかの理由で『ファミリア』から脱退する際、そこの主神には『ステイタス』を残すことも消すことも選択できる。

 じゃあ、もしシロくんが過去に何処かの『ファミリア』にいたとしたら。

 何らかの理由で脱退して、『ステイタス』を消されていたとしたら。

 その理由は。

 もしかして、とんでもない理由があって、それを隠すために記憶喪失だと騙っているのかもしれない。

 

「「…………」」

 

 そんな考えが互いに浮かんだのか、彼女とボクは固い笑みを向けあってしまう。

 そうしてつのる沈黙に耐えきれなくなったボクが、その雰囲気を壊すように椅子から勢い良く立ち上がった。

 

「ああ~っ!! やめやめっ!! ごめんね手伝ってもらって」

「え? あの?」

「もう大丈夫だよ。結局今のところ何もわからないってわかったし」

「それで良いんですか?」

 

 色々と含んだ声を向けてくる彼女に、うんとボクは頷いて答えた。

 

「構わないよ。まだ、少ししか関わっていないけど、それでも彼が―――シロくんが悪い人とは思えないしね」

「でも、彼には記憶が―――」

「それも含めて、だよ」

 

 心配そうな視線を向けてくる彼女に、安心させるような笑みを向ける。

 そんなボクに、彼女は一瞬何か言おうと口を開いたけれど、諦めたように小さな吐息を漏らして一つこくりと頷いて見せた。

 

「っ―――そう、ですか……」

「ありがとう。色々と手伝ってもらって。また何かあれば話を聞いてもらえるかい? それと、もしシロくんに関する情報が手に入ったら……そうだね。ヘファイストスに伝えてもらえたら助かるよ」

 

 彼女の優しさと気配りに感謝しながらも、もう少しだけ甘えて見せる。

 ボクのお願いに彼女は少し考えた素振りを見せたけれど、直ぐに頷いて了承してくれた。

 

「ヘファイストス様ですか?」

「うん。友達でね。ちょこちょこ顔を出しているし。あまりここに顔を出して君に迷惑をかけるのもね」

「それなら……わかりました」

「うん。じゃあ、よろしく」

 

 最後まで手伝ってくれた彼女にお礼を言って、資料室の出口へと足を向けながら、ふともう日が陰り始めた時を思いだし。その間ずっと放りっぱなしだったシロくんの事を思い、今更ながら不安な声を上げてしまう。

 

「……随分時間が掛かってしまったけど。シロくんは大丈夫かな?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「―――まさか、あんな事になっているとは」

「どうしたヘスティア? 変な顔をして」

 

 太陽がもう都市を囲む壁の向こうに消えていく頃、ボクは太陽の残り火のような光を背にしながら歩いていた。

 頭に浮かぶのは、あのエイナという名のハーフエルフのギルド職員と共に資料室から出た時の事だ。

 それが頭に浮かぶ度に、自分でもどんな顔をしているのかわからない変な気持ちとなってしまう。 

 

「はぁ……そりゃ変な顔にもなるよ。君は一体何をして―――と言うか、どうしてあんな事に?」

「ん? 説明しただろ? 特にやることもなく暇な中、ギルドの職員が忙しそうだったんでな。『何か手伝える事はあるか?』と聞いただけだ」

 

 そんなボクを気にしてか、隣を歩くシロくんが戸惑った様子で声を掛けてくるのを、何処か不貞腐れた気持ちで睨むような視線を向ける。

 確かに説明は聞いた。

 あの時―――資料室から出た際、シロくんの姿が何処にもなくて、もしかしていなくなってしまったのではと焦って探し回っていると、ギルド内部を見渡した視線の中に奇妙なものを見つけてしまった。

 それは、違和感というか、間違い探しと言えば良いのか。

 ギルドの看板とでも言えば良いのか、基本美人な受付嬢がいる筈の冒険者の対応をする受付に、何故か黒一点と言うか―――シロくんが座っていた。

 そう、冒険者がいる位置ではなく、その向かい。

 受付嬢であるギルドの職員が座っている筈の場所に、何故かシロくんが座っていたのだ。

 ギルドの綺麗所が座る受付の中に、たった一人だけ何処から手に入れたのか、男性用のギルドの服を着たシロくんが、受付に座って何故か冒険者の対応をしていたのだ。

 混乱して暫く立ちすくんでいても仕方のないことだろう。

 何とか再起動(気を取り直し)して、並ぶ冒険者達(何故か女性の冒険者ばかり)を押し退けてシロくんに突撃して事情を聞いてみたところ……。

 

『いや、最初はただ単に荷物を運んでいたギルドの職員に声を掛けてその手伝いをしただけなんだが―――』

『で、その荷物運びを手伝っていたら、それを見ていた別の職員が書類を纏めるのを手伝ってくれと頼んできてな』

『それが終わったら、どうやら臨時のバイトか何かだと勘違いしたのか、奥で書類の整理を頼むと言われてな』

『流石に部外者がそんな所へは入れないと断ろうとしたんだが、特にみられて困るような重要な書類はないからと言われてしまえばな』

『その整理も粗方終わった頃に、何やら冒険者がタイミング悪く一斉に出てきたらしくて、受付に手が回らなくなり始めたようでな』

『手伝うなかで、色々と受付について耳にしたり、質問していたりで、ある程度なら手伝えるかもと口にしたら、この服(ギルド職員の制服)を投げ渡されてな。着替えたらここに強制的に座らされて現状に至るということだ』

 

 と、何でもないことのように、苦笑を浮かべながらそんなことをのたまったのだこのシロくんは。

 

「それで、あんな事に?」

「いや、流石にああなるとは思わなかったが」

 

 受付でぎゃあぎゃあとボクが暴れているのを見て、更にエイナ君に色々話を聞いたらしい犬人の上司らしい者によれば、何だか知らないが、見知らぬ男でもベテランの働きをしている事から、何処かの支部からの応援だと勝手に勘違いされ、色々と仕事を回されていたそうだった。

 なんの関係もない一般人だと判明した後は、色々と騒ぎが起きたけど、シロくんは特に怒られる事はなく、逆に謝られた上に結構な額のバイト代を支給されていた。

 

「……本当に君って一体何者だったんだか」

 

 工作に掃除に料理、それに加えて事務処理まで完璧ときた。

 一体何者なのか、知れば知るほどわけがわからなくなってしまう。

 

「それは俺も知りたいな。昨日に地下室を掃除していた時から疑問に思っていたんだが、勝手に体が動くような感じで。体に動きが染み付いていると言うか……」

「壊れた戸棚を綺麗に修復できたり、プロも顔負けの掃除に料理。更には半日手伝っただけでギルド職員に引き留められるような八面六臂の活躍をして……」

 

 ため息のような呆れた笑いを漏らすボクに、シロくんも苦笑を向けてくる。

 

「さて、大工か掃除夫か、それとも料理人か、どこぞの職員だったかもしれないな」

「何もわからなくてわからないんじゃなくて、色々出来るからわからないって……」

 

 呆れれば良いのか、驚けばよいのか。

 

「まあ、考えてもわからないことは、今は考えなくても良いんじゃないか?」

「それを君が言うのかい? はぁ……でも、良いバイトにはなったんじゃないか。それこそ、本当にギルドに勤めてみたらどうだい?」

 

 シロくんがこの半日で稼いだバイト代はボクも見せてもらったけれど、時間の割に結構な額があった。

 迷惑料を含んでいたとしても、十分なものである。

 

「雇われたわけじゃないからと断ったんだがな」

 

 何と言うか、シロくんは一言で言えばお人好しだ。

 ほっとけば良いことも、口を出さなくとも良いことも、放っておかず、自分から声を掛けて自ら苦労を背負い込もうとしている。

 お節介と言えば良いのか、お人好しとでも言えば良いのか。

 ただ、何となくそんなシロくんの姿は、何処か危うく感じるのはボクの気のせいだろうか。 

 

「貰えるものは貰っておきな。それにしても、たった半日でボクの一日の働きの数倍なんて、君が凄いのか、ボクの給料が安いのか……」

「具体的には、これはどれぐらい価値があるんだ?」

 

 ギルドでのバイト代が入った袋を、シロくんは自分の目の前まで持ち上げた。

 具体的に言えばボクのバイト代の三日分はあるだろう金額が入った袋である。

 

「え? それもわからないのかい?」

「恥ずかしながら、な」

 

 ボクの稼ぎの何日分かは言えないけれど、まあ、他に例えようなら幾らでもある。

 少し頭でシロくんが持つ袋に入った金額を思い返す。

 

「そうだね。まあ、一週間の食費にはなるかな。宿に泊まるなら平均的な所なら二、三日ってとこかな」

「ほう、結構な額だな」

 

 顎に手を当て感心したような声を上げるシロくんを横目に、歩きながらボクは頭のなかでもう少し考える。

 既に街の中心からは大分離れて、瓦礫が目立つ光景が広がり始めている。

 喧騒は遠く、微かに風のような騒ぎ声が背中に当たるだけ。

 そんな中、ボクは歩きながら自分が口にした言葉について考えを進ませていた。

 二、三日と言ったけれど、探せば一週間は泊まれる所もあるかもしれない。

 そして、それだけの時間があれば、色々と高スペックのシロくんならば、割りの良いバイトに勤めるどころか、ギルドみたいな所に就職できるかもしれない。

 実際に、ギルドから離れる際には、色んな人から呼び止められていたし。

 そうじゃなくても、有名な『ファミリア』に勧誘されて―――

 

「―――」

「ヘスティア?」

 

 そこまで考えたところで、ボクの思考が一瞬止まってしまう。

 それと同時に、歩いていた足が止まる。

 ボクを置いて数歩程前を行ったシロくんが、立ち止まったボクに気付いて足を止めて振り返った。

 振り返ったシロくんの視線から、ボクは何故か咄嗟に俯いて逃げてしまっていた。

 

 どう、して?

 

 戸惑いが、疑問が、段々と思考を埋めていく。

 

 何を、ボクはそんなに戸惑っている?

 どうして、ボクはこんなに不安に思っている?

 何故、ボクはシロくんの視線から逃げようとしている?

 ボクは、何を、怖がっている?

 

「っ、その、シロくん、は―――」

「どうした?」

 

 突然、前触れもなく立ち止まったボクを前に、シロくんはただ、静かに声を掛けてくる。

 咄嗟に口が開いた先から出た言葉は、喘ぎのような声で、上手く形となっていなかった。

 ボクは、一体何を言おうとしていたのか。

 ボクは、どうして今、こんなにも不安を抱いているのか、戸惑っているのか、怖がっているのだろうか?

 それは―――それは……。

 俯き、何時しか目を閉じていたボクの目蓋に、脳裏に、シロくんが起きてから今までの一日にも満たない僅かな時の光景が過ぎていった。

 笑って、怒って、戸惑って、驚いて、話して、一緒にご飯を食べて―――ほんの僅かな時でしかない。

 それこそ、関わった時間を言うのならば、バイト先の店長との時間の方がずっと長い筈だ。

 なのに、どうして―――。 

 

「っ―――ぁ……」

 

 こんなにも、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 シロくんの事だ。

 自分でももう気付いている筈だ。

 もうボクと一緒にいなくても大丈夫なことを。

 色々と一般常識すら忘れてしまっていたシロくんだけど、今日だけでもう大抵の知識を得てしまったし、廃教会の地下室で見せたあの家事スキルや、ギルドでの活躍からして、直ぐにでも一人立ちしても問題がないって。

 だから、もし、ここでボクが『これからどうするんだい?』なんて事を聞いたら。

 もし、『ああ、色々と世話になったな。後は自分で何とかする』とか言って何処かに行ってしまうかもしれない。

 それを、ボクは止められない。

 止める理由なんてない。

 だって、シロくんとはまだ目が覚めてから一日もまだ経っていないのだ。

 そんなボクが、友人でも知り合いでもない。

 ただの少しだけ関わった他人が、勝手に寂しがったからといってどうこう言える筈がない。

 

「もう直ぐ日が沈んでしまうぞ」

 

 ―――寂し、がって?

 

 ああ、そう、か……。

 

 ボクは、寂しかったのか。

 すとん、とその言葉が、感情が胸に収まった。

 ボクの体を、心をざわめかせるその理由が何なのかがわかって、奇妙な納得感を感じていた。

 この感覚は、思えば最初から―――それこそずっと昔。

 『下界』に下りて、ヘファイストスと、その『ファミリア(家族)』を見た時よりも前に。

 天界で、ヘファイストスとか知り合いの神がみんな『下界』に下りてしまった時よりも、前かもしれない。

 『下界』に下りた神が、人間達を『眷族』にして『ファミリア(家族)』を作っていると知った時?

 違う。

 もっと前だ。

 もっとずっと前。

 思い出すこと出来ないほどに、ずっとずっと前からボクはこの感情(寂しい)を胸に抱いていた。

 ずっと、ずっとだ。

 『天界』で、どれだけ時が過ぎたとしても、この気持ち(寂しさ)は消えなくて。

 それが『寂しい』というものだと、気付かない程で。

 それを、『退屈』だというもので誤魔化して。

 何時しかそれが本当に置き換わってしまって。

 そうして、ボクはここ(下界)までやってきた。

 この、欠落(寂しさ)を癒すために。

 それに、今、どうして気付けたのかは―――それは……寂しくなかったからだ。

 シロくんが目を覚まして、話して、一緒に歩いて、一日もない短い時間の中で色んな出来事があって。

 それにいちいち笑って、怒って、戸惑って―――まるで、それは『ファミリア(家族)』のようで。

 ほんの、僅かな時だけど、ボクの『退屈(寂しさ)』を忘れさせてくれた、そんなシロくんがいなくなってしまうかもしれないと考えて、ボクは―――

 

「シ―――」

 

 それでも、何時かは避けて通れない道だと、何処か自暴自棄のような気持ちでシロくんにこれからの事をどうするかと聞こうと彼の名を呼ぼうと、顔を上げたとき。

 太陽が都市の壁の向こうの、更に山の向こうへと落ちていき。

 空が青から赤く染まる時。

 世界に黄昏が満ちる中。

 夕日を背に立つシロくんが、ボクに笑いかけていた。

 それは、初めて見るシロくんの『笑顔』で。

 胸がほっとするような、そんな暖かな、優しい笑顔で。

 

「ヘスティア―――」

 

 何も言えず、阿呆のように口を開けたままのボクに向けて、シロくんはただ、当たり前のようにボクの名を呼んで、そして、その言葉を口にしてくれた。

 

 

 

「家に帰ろう」

 

 

 

 

 




 感想ご指摘お待ちしております。
 
 この話を読んでもしかしたらひっかかっている人もいるかもしれませんので、一応書いておきますが。以前にも書いている通り、この『シロ』は、神代の他の国の英霊が現代日本に聖杯で召喚された際に、日本の言語等をインストールされるみたいに、ダンまち世界の一般的な言葉と文字の読み書きが出来るように『■杯』により色々とインストールされています。
 しかし、それも言葉と文字だけで、一般常識的な事柄は対象外となっている結果、傍目から見ればかなりの世間知らずのような状態となっています。

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