たとえ全てを忘れても   作:五朗

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第四話 歓楽街

 

 不意に風が吹いた。

 吹き寄せた風に反射的に目を細め、逃げるように顔を上に向けると、薄雲の上に輝く月明かりが目につく。

 その陽炎のように揺らめく、幻のような明かりに、思わず今のこの瞬間が夢のように感じてしまい。

 

「―――夢、か……」

 

 ぽつりと、呟く。

 何処か呆れたような、ため息のような独り言。

 本当ならば、今ここに自分がいる筈はなかった。

 それは、『ヘスティア・ファミリア』に戻る筈がなかったという意味ではなく。

 ただ単純に、()()()()()()()()()()()という意味であった。

 あの時、己自身を材料に、燃料にして成した『投影』は、不可逆的なモノであり、死を前提としたものであった。

 あの男(佐々木小次郎)を前にして、勝つためにはあの方法しか手段がなかった。

 ただ技の冴えのみで英雄の頂きに至ったあの男に、僅かでも勝利する可能性があるとしたら、あの場ではあれしかなく……。

 負けるわけにはいかなかった。

 逃げ出すわけにはいかなかった。

 死にたくはなかった。

 だが、それでも、と。

 その結果が、確定された終わり()であったとしても。

 なのに、今、自分はここにいる。

 材料とした肉体は今も、ここに確としてあり。

 燃料とした霊基()もまた、確かにある。

 目覚めてから今まで、特にこれといった問題は感じられず。

 診断したミアハもまた、異常は見られないと言う。

 有り得ない事態だ。

 ある筈のない事態だ。

 落ちて砕けた筈の器が、一つ瞬きした後、罅一つもなく全て元通りになっているような奇跡(理不尽)―――否、気味悪さ。

 理解出来ない。

 納得出来ない。

 だが、現実として、自分は確かにここにいる。

 ここに―――いられる。

 まるで、夢のようだ。

 もう一度、空を仰ぎ見る。

 月はまだ、薄い雲の上で輝いている。

 地上よりも高い位置。

 三階建ての石造りの豪邸。

 その屋上―――屋根の上にオレは立っていた。

 午後八時前。

 夜の闇が広がり、それに対抗するように街に灯りが点り始める時間帯である。

 元は【アポロン・ファミリア】のホームであったそこを、戦争遊戯(ウォーゲーム)で勝利した【ヘスティア・ファミリア】が接収し、【ゴブニュ・ファミリア】に依頼して改装した新たな自分達の本拠(ホーム)

 リホームが終わったのは、オレが目覚める少し前であったそうだ。

 どうやらオレが目を覚ます前は、色々と騒ぎがあったそうで。

 特に凄かったらしいのは、戦争遊戯(ウォーゲーム)に勝利したのがきっかけでかなりの数の入団希望者が来た時のことで、ヘスティア達は、これでやっと弱小ギルドから抜け出せると喜んだらしいのだが、そこでヘスティアの借金がバレたらしい。

 流石に金額が金額だ。

 見つけたのが命だったのも悪かった。

 リリならば、驚愕しながらも後でヘスティアを一人問い詰めただろう。

 ヴェルフならば、もしかしたら事情をヘファイストスから聞いていたかも知れず、そうでなくとも、あの男なら、何か言うだろうが、そう騒ぎ立てる事もなかっただろう。

 その【ヘスティア・ファミリア】宛の借金の借用書を片手に、入団希望者の前に命が出てきたのも何と言うか、らしいと言えばいいのか。

 結果として、集まった入団希望者は全員がそのまま退散。

 まあ、確かに二億ヴァリスの借金は、それだけの衝撃(インパクト)がある。

 その後随分と問い詰められ、結局ヘスティアはその借金がベルに渡した『神様のナイフ』によるものだとバレてしまったらしい。

 リリには随分と搾られたらしいが、まあ、遊びや何らかの失敗で負った借金ではない事もあり、最後は仕方ないと言うことで終わったという。

 その事について、ベルからも謝られたが―――まあ、その借金とやらは実のところ既に完済しているのだが。

 その事は今のところ、借金相手であるヘファイストスしか知ってはいない。

 オレが『ヘスティア・ファミリア』から離れている間、色々と依頼を受けたりなんだりして、その際の依頼料で一応全ての借金は完済しているのだ。

 とは言え、借金という重石は、ヘスティアの過去のあれこれを知るヘファイストスや、脇の甘い所を見ているオレにとって都合の良いものであったことから、話し合った結果、暫くの間、借金の完済については黙っていようということになったのである。

 何となく、そんな事を思い返していると、視界の隅に人影が過った。

 それは、二階の廊下にある窓から飛び出してくると、そのまま着地の音を猫のように消して裏庭に下りてきた。

 そして、チラリと顔だけを後ろに向け、館の居室(リビング)に灯りがあるのを確認すると、直ぐに物音を立てないよう注意しながら、裏門から外へと出ていってしまう。

 その後ろ姿が薄闇に消えていった瞬間、館の脇からにゅっと顔を出し、姿を表したのは三つの人影。

 

「追うぞ」

「久々の尾行は、やっぱりドキドキしますね」

「ね、ねぇ、やっぱりシロさんにも声を掛けた方が」

「だからそれは、一度確かめてからにって決めた筈だろ」

「ええ、あの人はちょっと……いや、色々と怖いですからね」

 

 こそこそと話しをしながら、消えた人影を追って駆け出すのは、ヴェルフとリリ、そしてベルの三人であった。

 

「だけど―――」

「つい先日まで寝込んでたとは思えないほどであるのは、身をもって理解はしてはいますが、それでも昏睡状態だったのは間違いではないですからね。変に負担は掛けたくないのはベル様もですよね」

「そう、だね」

「ま、何にも問題ないかもしれねぇしな。まずは一回確かめてからだ」

 

 ベル達三人が追うのは、もう一人の仲間である命の姿であった。

 今朝に前に所属していた【タケミカヅチ・ファミリア】の仲間であった千草と会った命の様子が、明らかに挙動不審となったのである。何やら街の様子をずっと気にしており、何処と無く焦りというか不穏な気配を漂わせていた。

 直ぐにベル達もその事に気付き、直接、間接と話しを聞いてはみたものの、はぐらかされてしまい結局のところその理由は全くの不明。

 しかし、その何処か切迫している様子からして、今日にでも何かするのではないかと思ったベル達三人は、シロとヘスティアに色々と言い訳をし、タイミングを見計らって外に出て様子を窺っていた結果、やはり命はこそこそと隠れるように街へと向かっていった。

 命を追う三人の尾行の技術は、過去に色々と経験のあるリリがいるとは言え、決して良いと言えるものではなかったが、調子が悪いのか、それとも他に気を取られる事があるのか、命がそれに気付いている様子は見られなかった。

 そうして、そんな一人を追いかける三人の様子を、本拠(ホーム)の上から見下ろしていたオレは、小さく苦笑いを口元に浮かべると共に、屋根の上から灯りが点る街へと向かって飛び出していった。

 

 

 

 

 

「―――ベル、今すぐ帰れ」

「ベル様は帰ってください」

「へ?」

 

 追跡を続けていた俺達は、その途中【タケミカヅチ・ファミリア】の千草と命が合流した後、向かった先を見て何処へ行くのかを理解すると同時、気付けばリリ助とまるで示し会わせたかのように声を合わせて忠告の声を上げた。

 突然の言葉に、当然の如くベルが困惑の様子を見せるが、構ってなどいられない。

 一体何が目的なのか、【タケミカヅチ・ファミリア】の千草と合流した命の行き先は、俺の予想が間違いなければ、ベルには色々と早すぎる場所であった。

 俺も一度だけ【ヘファイストス・ファミリア】の所の男達に連れられて来ただけであるが、今、この位置に居ても感じられる音や雰囲気からして、まず間違いないだろう。

 隣のリリと視線だけで会話しながら何とかベルを追い返そうとするが、やはり無理があった。

 視界の端で、命と千草が予想通りの場所へ続く通りへと向かう姿を確認した俺は、このままでは見失うと考え、慌てて後を追いかけ始めた。

 そんな状況でありながら、未だ何やら文句を口にして渋るリリを押さえつけながら走る俺の後ろを、困惑顔のままベルがついてくる。

 そんなどたばたな自分達の姿を思い、命達の後を追う俺の顔に苦笑いが浮かぶ。

 

 ―――と、同時に、後ろめたい思いも感じる。

 

 それは、ここにいない男が理由であった。

 シロ―――そう呼ばれる男。

 ベルやヘスティア様から良く耳にした名前であり。

 同時に、以前から噂で聞いたことのある男であった。

 良くも悪くも色々と言われていた男であり、この都市の中心とも言えるトップの【ファミリア】に所属する団員以上に、人の口―――特に冒険者の間で噂される男であった。

 そんな名前や噂だけしか知らない男だと思っていた奴の姿を初めて目にした時、だけどそれが初めてではないと俺は知った。

 その事は、ベルにも―――誰にも言ってはいない。

 それに、あいつ自身、覚えているかも分からない。

 一度だけ、少しだけ話したことがあるだけ。

 名前も言わず、聞かず、ただ話をしただけ。

 その会話により、何かが変わったわけでも、逆に変えられなかったわけでもない。

 それでも、たった数分程度の僅かな時間の会話を今でも覚えているのは、それだけ何かが俺の中に刻まれているからだろうか。

 ……あの男が目が覚めてからも、まともに話したことはない。

 話す機会はいくらでもあった。

 だけど、結局あいつと何かを話した事はない。

 精々、ヘスティア様に紹介された時に、軽く自己紹介をしたくらいで、それ以外は顔を見た時に挨拶をするか、訓練の時に何かアドバイスを貰うぐらいで。

 よそよそしいのは自覚している。

 まあ、それは俺だけではなく、リリ助もどうやらあいつが苦手らしく、話している姿を見ていないのだが。

 その事に対して、ベルやヘスティア様に何か言いたげな視線を向けられている事にも気付いている。

 だが、どうしてもやはり無理なんだ。

 理由はやはり、はっきりとはしない。

 色々と、自分なりに思い浮かぶのはあるのだ。

 単純に意味の分からない奴だと気後れしているのはある。

 噂でも色々と信じられない様なことは聞いてはいたが、あの『戦争遊戯(ウォーゲーム)』で見た戦いは、そんな噂など比較にならない程の光景だった。

 その強さや、戦い方もそうだが、やはり一番俺が気にしているのは―――あの『()』だ。

 見た瞬間、分かった。

 理解した。

 アレは違うものだと。

 俺が今まで見てきたどの刀剣とも違う。

 未知のモノであると。

 言葉では説明できない。

 理解できていないのだから当たり前だ。

 あの後、【ヘファイストス・ファミリア】の仲間にも聞いたが、やはりあいつらもアレが自分達の知るモノとは違うとは感じてはいたが、それがどう具体的に違うのかは分かってはいなかった。

 そしてそれは、ヘファイストス様(神様)でも同じだった。

 

『―――さぁね』

 

 アレが何かを聞いた俺に、ヘファイストス様はただ、小さく肩をすくめて見せただけだった。

 なのに―――ただそれだけの姿に、俺は圧倒された。

 苛立ち、高揚、焦燥、好奇、不満、憧れ―――ただ一言、ただ一動作。

 その中に凝縮された感情の一撫でだけで、俺は押し潰された。

 それ以上、話を聞くのは無理だった。

 意味が、分からない。

 勿論、ヘスティア様にも、ベルにも話を聞いた。

 あいつが一体何者なのかを。

 だけどやはり、俺の知りたい事は何もわからなかった。

 あいつが目を覚ましてからも、話を聞くことが出来ず、今もまだ、ずるずると心にしこりを残したまま過ごしている。

 いつか聞ける時が来るのだろうか。

 そんな期待と、恐れと、不満を持ちながら。

 あいつを避けるようにして過ごす日々。

 この追跡劇にあいつを呼ばなかったのも、あいつの身体を心配してなんて事ではない。

 昏睡の原因は分かってはいないが、それでも最近の訓練で体には問題がないことを身をもって理解している。

 だから、呼ばなかったのは、ただ自分の心情が理由だ。

 それは、リリ助も同じだろう。

 顔や態度には出してはいないが、何処か無理をしている様子を感じているのは、自分の気のせいではないと思うのは、その理由が同じだからだろうか。

 そんな事を頭の片隅で考えながらも、視線を巡らせていると命達の姿を見つけた。

 だが、どうやら厄介な事になっているらしい。

 何処ぞの神様だと思われる男神達に囲まれている。

 こんな場所で、女だけで、特に絡まれやすいタイプの命がいれば、男神が寄ってこない筈はなく。

 どうしようかという逡巡は、頭の片隅で未だ渦を巻いている感情を振り切り。

 周囲の光景にまだ心の整理が着かず、あわあわとしているベルをその場に置いて、取り敢えずまずは、命達の救出だと歩き出した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「たたたたたっ―――助けてぇええええッッッ!!!?」

 

 嬌声と喚声で沸く歓楽街の一角で、少年の悲鳴が響き渡る。

 鼻をすすりながら、涙で滲む声を上げ走るのは、白い一人の少年。

 ファミリアの仲間達と共に、怪しい動きをする仲間の後を追いかけた所、なんと歓楽街に辿り着き。

 予想外で未知なる場所を前に、慌て戸惑っているうちに仲間とはぐれてしまったベル・クラネル少年は、そこで【イシュタル・ファミリア】のアマゾネスに捕まり、狩られた兎よろしく本拠(ホーム)まで連れ去られてしまっていた。

 あわやそこで美味しく頂かれ、少年は一つ大人に成ってしまうのかというところで、流石の幸運と言うべきか、何とかそこを抜け出すことに成功する。

 しかし、例え【イシュタル・ファミリア】の本拠(ホーム)を逃げ出したとしても、そこは彼女達が支配する『歓楽街』だ。

 【戦争遊戯(ウォーゲーム)】で活躍したベル・クラネルが歓楽街にいて、最初に身柄を押さえた者が、好きにしていいという噂が広まるのは一瞬であった。

 客を探していた者も、客の相手をしていた者も、その噂を耳にしたアマゾネス達はいきり立った。

 獲物が獲物である。

 是非とも食べてやろうと、歓楽街は一瞬にして狩り場へと変わった。

 並みの男では数分で捕まってしまいかねない、そんな女達の狩り場の中で、しかし、流石と言えばよいのか、何とかベルは未だその身は清いままであった。

 少し前までは、まだ悲鳴を上げる元気はあったが、今ではもう、声を上げる元気も余裕もない。

 屋根の上を跳び跳ねるようにして逃げた先は、歓楽街の中でも一際異彩を放つ一画だった。赤と朱色の派手な色で染められた極東式の建物が立ち並ぶ区画に逃げ込んだベルは、そこでも逃げ回ってはいたが、流石に運も体力も尽きてしまったのか、追っ手の攻撃を避け切れず、遂には立ち並ぶ極東式の建物の中でも一際巨大で目立つ建物へと窓を破壊し飛び込んでしまう。

 しかし、流石はこれまで幾つもの修羅場を潜り抜けてきたのは伊達ではなく、直ぐに体勢を整えると、今度は建物の中を所せましと駆け巡る。

 幸い飛び込んだ建物は、その巨大さに似合う複雑さを抱えており、隠れる場所や逃げ込む場所には欠かず。這う這うの体で、とある廊下の死角となる曲がり角へと逃げ込んだベルは、追っ手の気配に息を潜めた。

 

「っち! ここにもいないっ!」

「白い影が確かに見えんたんだけどねぇ?」

 

 曲がり角の向こうから聞こえる舌舐めずりをする声に、ベルは口を両手で塞ぎながら、自身の存在感を出来るだけ薄めるように体を小さく縮こませ震えていた。

 何時間にも感じる数秒が過ぎ、女達の声と気配が遠退くのを察したベルは、ゆっくりと口から両手を離し―――

 

「おい」

「ぴぃ!!」

 

 中途半端に両手で塞いだ口から、鋭い笛のような悲鳴が上がった。

 反射的に飛び離れようとする体は、上から押さえつけられその場に留まる中、絶望に染まった目で自分を捕まえた()を伺うように見上げると、そこには。

 

「落ち着け。オレだ、ベル」

「し―――しろ、さん?」

 

 涙で滲んだ視界の先にいたのは、自身がもっとも頼りにしている人物であるが、ここにいない筈の者の姿であった。

 疑問も戸惑いもあるが、追い詰められた先に見た希望(シロ)に、先程までの緊張も合わさって、ベルは腰を抜かしてしまっていた。

 

「全く、【イシュタル・ファミリア】の本拠(ホーム)に連れ去られるのを見た時は、どうしようかと思ったが。上手く抜け出したものだな。実のところ、最悪の可能性が過ったが―――」

「ししっ―――シロさぁああんっ!!」

「落ち着け、静かにしろ。まだ周囲に気配はあるんだぞ」

「ッッ?!」

 

 感極まったベルが、抱きつこうと飛びかかるも、それを片手で押さえ込みながらシロは、周囲を見回した。

 

「……ふぅ、しかしここからどうするか」

「えっと」

 

 問題がないことを確認したシロが、じっと疑問に満ちた視線を向けてくるベルに気付くと、合点がいったかのように、一つ小さく頷いて見せた。

 

「ああ、オレがここにいるのは、まぁ、お前達と同じ理由だ。命の様子を伺っていたんだが……まさかこんな事になるとは思わなかったがな」

「ご、ごめんなさい」

「謝るような事じゃないだろ」

「は、はい……」

 

 反射的に頭を下げるベルに、苦笑を浮かべたシロが軽くその頭の上に自身の手を乗せると、小さく恥ずかしそうな声が上がった。

 

「とは言え、厄介な事態だ。ベルを連れて逃げるのは不可能ではないが、そうすると、少し騒ぎが大きくなりすぎる、か」

「し、しろさぁ~ん……」

「情けない声を上げるな」

 

 自分一人ならばどうとでもなるだろうが、いくらレベルが3となり、常人とは比べ物にならない身体能力があったとしても、ベルには色々と経験が足りない。

 急激に力を着けた弊害とも言えるが、様々な事態に対する手段が少ないのである。

 

「仕方ない、少し手荒だが、まあ、お前を連れて大立回りをするよりかはましか」

「な、何をするんでしょうか?」

 

 ベルとの会話を続けながらも、思案を巡らせていたシロが一応の策を考え付くと、自分を見上げてくる不安に揺れる瞳を見返し、これからの方針を口にした。

 

「なに、そう難しい事じゃない。少し騒ぎを起こすだけだ。今からオレは向こうに行って少しばかり騒ぎを起こす。騒ぎが起きて向こうに意識が集中する間に、ベルはここから出て、この館の裏にある裏道を道なりに進んでいけ。暫く行けば『ダイダロス通り』に出られる筈だ」

 

 そう説明した後、さらに細々とした指示を付け加える。

 今いる館から裏口へのルートや、裏口から『ダイダロス通り』へと繋がる道行き。そのための目印の色や形など。

 かつて【ヘスティア・ファミリア】から姿を消している間、シロは色々と請け負った依頼の関係で、この歓楽街にも精通していた。

 どの館にどんな娼婦がいるのか、区画の割り方に大通りの位置、そして忘れられたかのような、ここで働く娼婦ですら知らない裏道等も、シロは把握していた。

 まさか、自身のために把握していたそんな知識が、こんな事に役立てられる事になるとはと、内心でため息を吐きながらもベルに必要な情報を伝えていく。

 

「シロさんは?」

「オレはある程度時間を稼いだらさっさと逃げる。だが、お前が逃げなければ何時までも逃げられないからな。出来るだけ早くここ(歓楽街)から抜け出せ」

 

 何処か期待するような視線を向けてくるベルに、シロは視線と言葉で切りつける。

 

「わっ、分かりましたッ!」

「ほら、分かったならさっさと行け」

 

 怒られた猫のように、勢いよくびしっと背筋を伸ばして返事をしたベルの背中を押して前へ進ませると、シロはその反対方向へと足を向けた。

 

「はいっ、シロさんも無事でっ!」

「だから静かにしろと―――はぁ……全く仕方のない奴め」

 

 背後からあれだけ静かにしろと注意をしても、まだ声を上げるベルに溜め息を着きながらも、口元に笑みを浮かべながら、シロはどんな騒ぎを起こすかと思案しながら歩き始めた。

 

 

 

 

 

「……行ったな」

 

 悲鳴のような、怒声のような、女性が上げて良いのかわからない声を上げて走っていく足音が遠ざかるのを慎重に確認していたシロは、完全に音が聞こえなくなったのを確信すると共に、僅かに身体に入っていた緊張を吐息と共に吐き出した。

 

「しかし、思ったよりも騒ぎが大きくなったか。少し何処かに隠れて様子見をするか」

 

 少しでもベルの脱出の力になればと、周囲への物的被害や、後遺症のない、更に証拠や物証も残らない、適当な騒ぎを、それなりの数を起こしたのだが、色々な偶然と必然が重なってしまい。

 結果、連鎖的に騒動が大きくなってしまった。

 幸いにも、負傷者は出ていないようではあったが、色々と心的外傷(トラウマ)を負ってしまった者も出てしまったかもしれない。

 不幸にも、騒動にまともにぶち当たってしまい、結果意識を失ってしまった客と思われる男達や、追跡していた女達について、心の中で頭を下げながら、人気のない方向へとシロが足を進めていると、いつの間にか敷地内の最も隅に位置する別館の中にいた。

 そこで、一番上まで上がって様子を見るかと、最上階である5階まで上ったシロは、窓は何処にあるかと、幾つもの扉が並ぶ廊下を見回した後、一番近い扉を開いた。

 その時、微かに騒動から逃げ切ったと思われる女の声が、外から微かに聞こえ。

 一瞬、そちらに意識と視線を向けたシロが、無意識のままそこから離れるように、閉ざされた襖を開いた。

 その向こうから、微かに光が差し込んでいる事に気付かなかったのは、油断―――していたのかどうか。

 

 そうして、シロは出会った。

 

「―――御待ちしておりました、旦那様」

 

 一人の―――少女(娼婦)に。

 

 

 

 

 




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