本編が終わってから十年後の流子と皐月のオリジナル設定溢れるSSです。
(25話公開前に書いたものなので、公式と設定が食い違います。ご了承下さい)

※Pixivとのマルチ投稿です。初回投稿日:2014/04/10

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十年後の皐月

 あの時、姉・皐月からの『共に暮らさないか』という誘いを照れ半分に断ったのを、流子は今でも時々後悔することがある。

 

 生命戦維から人類を救い出して、もう十年になる。かつて共に闘った仲間たちは、各々の得意分野で活躍しているようだ。

 蒲郡苛は警察庁の要人警護任務官として、猿投山渦は世界記録を保持するトップアスリートとして、犬牟田宝火は地球全土を覆わんばかりに張り巡らされた検索エンジンのネットワークエンジニアとして、そして蛇崩乃音は若き天才指揮者として数多のコンサートホールを巡り歩いている。

 親友として最も近くで流子を支えてきた満艦飾マコは蒲郡家に嫁いだ後……驚くべきことに、蒲郡苛と共に警察署に務め、警務の職を全うしている。夫の傍にいたい、という一心で試験を通過したようだ。今では、喧嘩部で培った事務処理能力を遺憾なく発揮しているという。

 

 流子とマコの再会のきっかけは、あまり喜ばしいものではなかった。

 終電の発った後の深夜の繁華街で酔っ払いに絡まれている女性を見かけると、流子は考えるより先に身体で両者の間に割って入ってしまった。

 しかし、泥酔者相手に事が穏便に済むはずもなく、相手は病院送り、自分は警察送りとなる。そして、署内で偶然見かけた蒲郡苛を通じてマコの所在も知ることとなったのだった。

 最初、流子は昔のようにしばらく満艦飾家……今では蒲郡家だが、彼女の家に居候させてもらおうと考えていたのだが……

「ダメだよ流子ちゃん! 私たちもう大人なんだから! みんな誰かのために働いて、そのお金を受け取ってるの! だから、流子ちゃんも働こう!」

 と、蒲郡の伯父の鉄工所を紹介してもらったが……現場で理不尽な先輩と一悶着起こし、そのまま工場を飛び出してしまった。

 不器用で真っ直ぐな流子が生きていくには、社会は酷く醜く歪みきっていたのである。

 

 今、流子に残された最後の希望はポケットの中の紙切れ一枚だけだった。

 彼女は、蒲郡家のマコの部屋で机の上に無造作に置かれた住所録のような書類を見つけた。それは、かつて結婚式の招待状の宛先一覧として使われたものだった。

 流子への送付先として当時住んでいたアパートの住所が記されているのを見て……彼女は少し涙した。彼女にはもう家賃を払えるだけの収入はなかった。

 行くあてのない流子は『片っ端から訪ねていけば、誰か自分に力を貸してくれる』と信じて一人ひとり回っていくことに決めた。

 とはいえ、世界を股にかける著名人にいきなり面会できる筈もなく、最も頼れるマコの下へも流石もうに戻れない。

 そうなると、次に有力なのは……肉親だろうか。

 鬼龍院皐月。流子の生き別れの姉であり、鬼龍院財閥の令嬢である。

 しかし、その財閥も頭首を失って没落し、今では『かつて世間を賑わせた大企業』くらいの認識しか持たれていない。

 彼女を支えてきた四天王がこれだけ名を馳せているのに、その中心たるお嬢様が表舞台から姿を消したまま、というのも奇妙な話だが、とにかく、入手した住所を訪問してみることにした。

 街頭の地図を頼りに番地を探し回り、夜の八時を過ぎた頃、ようやく目当てのマンションに辿り着く。真っ白で新しく小奇麗ではあるが、周囲の建物に埋没してしまうような個性の欠片もない一般的な集合住宅だった。屹立しているだけで神々しいまでの存在感を放っていた皐月には不釣り合いだと流子は訝しささえ感じていた。

 フロントロビーのようなスペースは無く、階段で直接三階の二号室へと足を運ぶ。

 表札を見ると……『鈴木』……? 既に引っ越した後か? という不安がよぎるも、ダメで元々、と開き直ってインターホンを鳴らしてみる。

 室内からトントントン、と軽快な足音が玄関まで来ると、外の様子も伺わずに無警戒に扉の錠は開かれた。

「もォ~、鍵を忘れていくなんて、ウッカリさん❤」

「…………ハァ?」

 流子は事態が飲み込めずに立ち竦む。中から出てきたのは多分実の姉だ。表情は別人のように穏やかになっていたが、あの凛々しい顔立ちは十年前の面影を残している。髪は再び伸ばし始めたらしく、美しい漆黒の絹がうなじに垂れ下がっていた。

 突然の来訪だったため、姉は調理中だったようだ。フリルの付いた可愛らしいパステルピンクのエプロンを着用していたが、そこから伸びる、腕、首、胸元から足下に至るまで、下に何を着ているか判らないほど素肌を露出している。挙句に膨らみの頂点には二粒の小さな突起が内側からちょこんと押し出されているところまで見て取れる。

 事態を飲み込めなかったのは皐月も同じだった。少しくたびれているが目に宿した闘志には見覚えがあり、赤く染まった一房の前髪はかつてのままだ。名乗りはしなかったが、一目見て実の妹だと把握できた。

 二人固まったまま、しばらく見つめ合っていたが、それを遮るようにぎこちない動きで扉ゆっくりと閉まっていく。

 パタン、と二人が隔てられた後も、流子は激しく混乱したままだった。他人の空似だったのだろうか……?

 だが、日々喧嘩に明け暮れる流子は気付いていた。今の女性は牙の抜けた狼ではない。隠しているだけだ。巨象すら一噛みで食い千切りそうな鋭い牙を潜ませた主婦が、地球上にそう何人もいる筈がない。

 もう一度インターホンを鳴らすべきかと悩んでいたところで、再び扉が開かれた。出迎えてくれたのは、エプロンの代わりに白いニットのセーターとダークブラウンのレギンスを身に着けた皐月だった。

「流子か。いきなりだったので驚いたぞ」

 今の姿の彼女であれば、流子は確信を持てる。多少ラフな服装ではあるが、自分の姉に間違いない。

 だが、さっき一瞬だけ見せた別人は一体何者だったのだろうか……? それについては、脳が思考を拒否している。深く考えない方が良さそうだ。

 自分は初めて着いたばかりで、これが現在の姉の姿だ。そう思い込むことにして、流子は話を切り出した。

「姉さん……実は頼みが――」

「皐月、その人が妹さんかい?」

 背後からの声に驚いて振り向くと、スーツを着込んだ冴えない感じのサラリーマンが部屋に入りたがっていた。身嗜みは小奇麗に整えられているが、それ以上の特徴のない、真面目だけが取り柄の三流営業マンのような雰囲気だ。

 その男に声を掛けられると、皐月はソワソワと落ち着きを失っていく。

「流子、部屋に入って待っていてくれるか?」

「あ、ああ……うん……」

 流子は曖昧に返事をして、靴を脱いで玄関に上がる。短い廊下の奥には扉があるので、その中で待て、ということなのだろう。

 皐月が指し示した先はダイニングキッチンで、二人分の食事が並べられていた。やはり調理中だったのか、と思うと先ほどの記憶が蘇る。思わず閉じた扉にへばり付き、玄関の方に聞き耳を立てずにはいられなくなっていた。

(妹さんが来てくれたんだろう? 僕は少し外を出歩いてこようか)

(ごめんなさ~いアナタ。折角早く帰ってきてくれたのにぃ)

(喫茶店で一時間くらい潰して帰ってくるよ)

(うん、待ってる。休肝日なんだからお酒はダ・メ・よ?)

 皐月の声は、流子と接する時より一オクターブ高い。話は終わったというのに、ナニをしているのか、一向に出掛ける気配がないのも流子には気になった。

 しばらく静寂が続いた後、ようやく彼女らの間に出立の挨拶が交わされた。

(それじゃ、行ってくるよ)

(はい、アナタ。帰ってきたら続き、してね❤)

 何の続きなのか、面妖な所業を想像してしまい、流子はダイニングテーブルの奥のソファに慌てて腰掛けた。

 そこに何食わぬ顔の皐月が扉を開けて入ってくる。

「待たせたな。一時間位で良ければ話を聞こう」

 その声色は玄関でのものより一オクターブ下がっている。流子にとってはこちらの方が聞き慣れた口調なので落ち着くが、流石に二度も聞かされては、確かめずにはいられなかった。

「えーと、姉さん。今の男が……鈴木さん?」

「そうだ。私の夫だ…………何がおかしい?」

 黙って肩を震わせる妹の様子に、皐月は片眉を釣り上げる。

「いや……ゴメン……でも……鬼龍院皐月が鈴木皐月になったかと思うと……!」

 名は体を表すというだけに、極めて一般化した感は否めない。皐月お嬢様が、三丁目の皐月さんになってしまったようだ。

「らしくないかもしれないが、私は今の暮らしに満足しているよ」

 皐月はキッチンで淹れてきたお茶を流子の前に差し出した。自然な仕草ではあったが、あのお嬢様が自らお茶汲みというのも当時からは想像も出来ない対応だ。

「しっかし……意外だな。姉さんのことだからもっとデッカイことでもやってるかと思ってたのに」

 一学園の生徒会長に留まらず、近隣地域をも支配し、その勢力を日本全国にまで広げた鬼龍院皐月が、こんな一家庭に留まっていることが、流子には不思議でならなかった。

「私はもう十分成功したよ。鬼龍院一族としての責務からも開放された。これからは普通の女としての幸福を求めたいんだ」

 一度は人類を滅亡寸前まで陥れたリボックス社だったが、表向きはあくまで一アパレル企業。傘下企業や取引先との兼ね合いはあるが、それが一つ潰れたところで世界経済は揺るぎはしない。

「普通の女としての幸福、ねぇ……。それが結婚、てかァ?」

 皐月にしては随分古臭い発想だ、と流子は感じた。流子とて結婚に完全に無関心でいられるほど日々が充実しているわけではないが、どうもピンと来る相手と出会えなかった、というのが本音だ。

「違うな。愛する男を支え、育てることだ」

 皐月には自信があった。自分が尽力すれば、どんなことでも成し遂げられると。

 しかし、それに対して然程魅力を感じなかった。それでは今までの自分の生き方と何ら変わらない。鬼龍院家に縛られた自分のままだ。

 ゆえに、皐月は自分の成功ではなく、他者の成功を支えてみることにした。それによって自分の両親が成し遂げられなかった『夫婦の絆』を我が手で築きあげてやろう、と。

「……にしても、何であの男なんだ?」

 流子には、あの鬼龍院皐月の伴侶があのような地味な男であることが不釣合いだと感じていた。

「彼は優秀だ。自信の無さ、気の弱さゆえにその能力が表に出難いが、素晴らしい可能性を持っている」

 十年前の一件で落ちぶれてしまったが、それでも鬼龍院の名は伊達ではない。その手腕を期待され、名家の御曹司から言い寄られることは少なからずあった。

 しかし、最初から完成された男に興味はなかった。皐月が求めていたのは中流家庭の普通の男。しかし、大いなる野心と実行力を秘めた者を探していたのだ。その者の傍らで支え、潜在能力を引き出して成功させる。それが皐月の考える『女の幸せ』だった。

「嬉しいものだぞ。自分が女として求められ、男として返してもらえるのは」

 最初は、単に激励が目的だった。上から引っ張り上げるのではなく、下から持ち上げる身として、その目的のために羞恥心を抑えこんでいた。神衣を着ていたあの頃のように。

 だが、それはそんな単純なものではなかった。

 夫が妻の『女』に魅せられて『男』を魅せ、その『男』に『女』としての自分を求められる……。相手が『男』を魅せてくれるからこそ、自分が『女』であることを実感できるのだ。

 改めて子供の頃を思い出すと、皐月の父は研究者として母の下に嫁いできた。最初から『男女』ではなく『主従』の関係だったのかもしれない。故に袂を分かつこととなった。

 今までは自分の目的のために多くの人たちに支えられてきた。しかし、それはやはり『主従』としての関係だった。

 今、『男女』として、各々の性の役割を全うして初めて解る。

 普段は仕事の付き合いで飲酒の多い夫の身を案じて、週に一度の休肝日を設けた。自分との約束を守って飲まずに帰ってきたのなら、妻として、いや、『女』として、夫を労ってやりたいと思った。

 そこで、今日は裸の上からエプロン一枚だけ身に付ける、という滑稽な姿で夫の帰りを待っていたのだ。

 皐月には、男がこのような馬鹿げた姿のどこに魅力を感じるのか露ほども理解できない。しかし、男がこの姿に魅力を感じることは知っている。夫が自分の『女』である部分を求め、それを満たすことが夫の『男』を魅せる原動力となるなら、その羞恥心すら悦びに変わる。

 彼が良い夫であれば、私も良い妻であろう。その繰り返しが、いつの間にか皐月に『女』の部分を充足させていた。

 尤も、それを自覚するのに結婚から二年ほど掛かった。ある夕方の帰り道ベビーカーを押す女性を見て『自分も夫との間に子供が欲しい』と自然に思い浮かんだ時、自分の心境の変化に彼女は戸惑った。しかし、今ではそれも受け入れて、夫の前だけでは恥じらいを捨て、『女』として求めることに抵抗はなくなった。

 しかし……その姿を夫以外に見られてしまうとは……。あの『連絡網』が回ってきたというのに、妹に弱みを握られては強く押し返すことも出来ない。

『連絡網』……それは、蒲郡家の親族の工場から、妹が逃げ出した、という件だ。あのコには身寄りもないので、誰かを頼って訪れるはずだ、とは既に伝え聞いていた。そして、他の知り合いたちの社会的立場を考えると、先ずうちに来そうな気がする、と夫と話していたところで予想は見事に的中してしまった。

 先ほどの失態がなければ、姉の威厳を以って直ちに詫びを入れさせにいくところだが、今となってはそれも言い辛い。

 一方の流子は、そんな『連絡網』が張り巡らされていることなど知る由もないし、先ほどの姉の過失に付け込む気もなかった。ただ、純粋に、明日からの生活を危惧していた。

 流子は時計をチラリと見やる。話し始めてからもう五〇分を過ぎている。そろそろ本題を切り出す頃合いだ。

「姉さん、事情は追々話すけど、今は黙って二、三日泊めてもらえねぇかな……?」

 長期滞在を許すほど甘い姉ではないと、流子は知っている。とにかく、次の生活の足がかりを作るまでのつもりで、彼女は深々と頭を下げた。

 妹の事情は重々承知した上で、姉は嘆願を受け入れた。

「……いいだろう。しかし、近いうちにケジメはきちんとつけるのだぞ」

 この一言で、流子は自分の境遇が全て知れ渡っていることを朧げながら察した。だが、長く居座るつもりもないし、今は一宿一飯にありつけただけでも救われた気分だった。

 ここで、再びインターホンが鳴り始める。

「ふむ、帰ってきたようだな。夫に話をつけてくるから、流子はここで待っていろ」

 皐月はすっくと立ち上がると、伸ばした背筋にかつてのような美しい後ろ髪を靡かせながらダイニングを退室していった。

 待っていろ、とは言われれたが、皐月が扉を閉めると同時にそこに耳を付けて廊下の様子を伺う。

(ア・ナ・タ~❤ ごめんネ、折角早く帰ってきてくれたのにィ~)

 また一オクターブ上がった。流子は、本気で姉が多重人格者になったのかと疑い始めた。

(そりゃあ早く帰るさ。皐月に早く昇進のことを伝えたくてな)

 ここで会話が途切れる。流子は、扉の向こうにいるのが別人のように感じていた。さっきまで私と会話を交わしていた姉とは別の女がどこぞの男の対応をしているような。

(私からも伝えたいことがあるの……二ヶ月……ですって❤)

(やったなっ、皐月っ!)

 それを聞いた時……流子の中で何かが音を立てて崩れていくのを感じた。この家全体が別世界に飛ばされて、周りは自分とは違う生き物のような、そんな孤独感だ。

 流子は、力なく廊下への扉を開く。

「りゅっ……流子っ!? 部屋で待っていろと……!」

 玄関で靴も脱がずに身体を密着させて唇を合わせていた二人に、流子はさして驚きはしなかった。ただ、見てはいけない現場を見てしまったな、と自嘲しながら、二人の隣で黙って靴を履き直す。

「ここは私の居場所じゃねぇや。私の居場所は、私が自分で見つけるよ」

 マンションの廊下に下り立った流子が背中越しに手を振ると、鉄の扉が独りでに閉まるバタンという音が響き渡る。

「妹さん、どうしたんだい?」

「……流子……」

 最愛の夫の腕の中で、皐月は今の自分に彼女を支えることが出来ないことに気づく。

 だからこそ願う。いつか彼女にも支え合える相手に巡り逢えることを。

 

 

 

 更に時は過ぎ、五年が経った。

 流子は古い市営団地の一角で忙しい毎日を送っていた。

「母さん、今日は役所に寄ってくって言ってなかった?」

「っといけねぇ! 急がねぇと! あとは頼んだぜ!」

 小さな子どもに急かされて、流子は食卓の片付けにも手を付けずに出掛ける準備を始めた。

 付けっぱなしのテレビには、朝のニュースが流れている。とある大手の商社マンが独立して、海外で起業した、という話題だ。

「この人、ボクの伯父さん……だっけ?」

「ああ、私の姉さんの、旦那さんだ」

 仕事着に着替えながら、別室の流子は声を張り上げて息子に答える。

 あれから姉には会っていないが、順調に夫を育て上げ、ついにはここまで来た、ってことか、と流子は感慨深く思う。この新たな企業は、きっとかつて世界を席巻したリボックス社のように成長していくことだろう。しかし、今度は全ての人間を笑顔にできる。そんな企業になるはずだ。

 そこまで夫を育てたなら、これから、姉はどうするつもりだろう? ……と、そんな疑問が頭を過る。だが、それは愚問だったと一笑に付して、身支度を整えた流子は息子の頭をくちゃっと撫でた。

「それじゃ、行ってくるよ。いい子で待ってるんだぞ」

 流子はダイニングに隣接した玄関の暖簾を潜る。重い扉がギィと鳴ると、眩い朝日が差し込んできた。

 私も私なりに頑張ってるよ、姉さん。

 一時は遠く感じた姉だったが、今では少し近づけたような気がする流子だった。


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