というか、これ長くしたら読むのも書くのもしんどいと思うの。
本番は次回。たぶん、皆さん勘が鋭いからわかってた気がする。
落ちていくーー
重力に引かれることもなく、風が肌を撫でることもない。無重力の空間でただふわふわとしながら、落下していく感覚だけがそこにあった。
正しくは沈んでいく、といった方が良いのだろうか。
比企谷八幡というちっぽけなヒト型の何かが、
ここはどこだろうか。
俺は確かに死んだはずである。
何度も何度も巨大な十字架に潰され、指一本動かすこともできず、無様に死を繰り返し、殺された。
そして、気付けばこの空間にいた。いや、まぁ、「死んでる」って言ってるのに「気がつけば」って表現はどうかとは思うが、そうとしか言えないのだからしょうがない。決して俺の語彙力がないわけではない。
底が見えず、壁も見えない。もしかすると光という概念すらないのかもしれない。空気という概念がないのか音すらない。
だというのに、自分という概念は嫌というほどはっきり感じられる。
例えるならそう、某錬金術士の真理の扉のあるあの空間だ。
まぁ、扉があるわけでもないし、真っ黒な人型が目の前で話しかけてくれるわけでもなく、真っ白な空間でもない。どちらかというと混沌としている。
青と赤と言った様々な色の光の流れが混ざり合い、黒に近い様相を見せている。
そしてそれが誰かの人生であるということはすぐに理解出来た。
古今東西の老若男女問わず、様々な人間の様々な成功、様々な失敗、様々な幸福、様々な不幸、様々な生い立ち、そして様々な死。
それらが渦のようにせめぎ合っていた。
そしてそれらが落ちれば落ちるほど、死の経験が多くなっていく。これではまるで、人生というドラマ見せられているというよりは、人がどのようにして死ぬかという死の博物館を歩いているようであった。
そしていつしか”死”という概念だけが残っていた。
ああ、そうか。
ここは人間の終着点。
すべての人間が早かれ遅かれ向かうべき到達点。
死者しか到達しえない世界。生者では観測できない世界。
天国でも地獄でもない。
『 』だ。
けれどそこに辿り着いたとして、俺自身に何があるわけでもなかった。
この意識が途絶えるわけでも、何かが見えるわけでも、ラノベのように転生するわけでも何でもない。ましてや、『 』に君臨する神様になったわけでもない。
ただ人の死を観測していくだけ。
そんな退屈な時間がどのくらい経っただろうか。
『 』から体が浮かんでいく。
ああ、やっぱり俺はここにいるのは間違っていたのだろう。
ーーーだって、まだ俺は死ねていないのだから。