「いつまでもちょこまかと……遊びはもう終わりだ!」
いつまでも抵抗を続ける祐巳たちに、ピーサードの怒りは頂点に達したらしい。ピーサードは憤怒で声を荒げ、両手を天に翳した。けれども、それに構っていたらこちらの命が危ない。とにかく走って走って走らなくては。祐巳はともかく、祥子さまはそう考えているようだった。
逃げながらも、ふと、祐巳は追っ手の様子を確かめようと背後に目を向けて――その有り得ない光景に驚愕した。
浮いていたのだ。
ベンチ、ゴミ箱、看板、のぼり。道中に在る、浮くはずのない数々の物が。
「な、なにこれ……」
呆然と、そう呟くしかない。自分は夢でも見ているのだろうか。そう思ってしまうくらい受け入れがたい光景だった。
「な……」
祐巳の様子に気づいて、祥子さまも遅ればせながらこの非現実的な光景を目にしたらしい。
数々の物が宙に浮き、その下でピーサードが下卑た笑みを浮かべて立っている。彼が操っているのだということは、流石の祐巳でもわかった。彼が普通の人ではないと、祐巳は今この時ようやく悟った。
「きゃあっ!」
ついに、宙に浮いていたそれらが、祐巳と祥子さまを目掛けて襲いかかってきた。直撃すればもちろん無事ではいられないであろう攻撃に、祐巳は右へ、祥子さまは左へ慌てて飛び退る。人間死ぬ気になれば限界以上の力が発揮できるもので、奇跡的にも祐巳はその攻撃を回避した。祥子さまもなんとか無事のようだ。
しかし、それだけで終わる訳もなく、一切攻撃は緩まなかった。こちらは抵抗の手段を持っていないし、相手の攻撃が物を操り遠距離に飛ばすというものだから逃げることもほぼ不可能。一発、二発と回避することは出来たが、祐巳たちが力尽きるのは時間の問題だった。
「っ――」
そしてついに限界が訪れる。前にも下にも注意が回らずひたすら回避に専念していたために、段差に躓いてしまい、祐巳は転んでしまった。声にならない声が洩れ、痛みに顔を顰める。
まずい。非常にまずい。
「二人とも! 早く変身するメポ!」
その時、祐巳が落とさないよう懸命に手に掴んでいたメップルが独特の甲高い声で叫んだ。
「「――変身?」」
その言葉の意味が理解できず、祐巳はメップルの言葉をそのまま繰り返す。そこに祥子さまの声も重なった。この状況で耳にする「ヘンシンする」という言葉の意味が、祐巳には理解できなかった。祥子さまも同じ気持ちらしい。
「こんな時に、貴方は何を言っているの!」
ついに祥子さまがお怒りになった。空気を読まずに非現実的な言葉を口にしたメップルに、祥子さまの落ち着いてはいるものの冷たい言葉の刃が迫る。祐巳だったら恐ろしくて反論出来そうにないけれど、しかしメップルは一切引かなかった。
「いいから早くプリキュアカードを出すメポ!」
「ぷ、プリキュアカード?」
メップルの言う「カード」の心当たりは、祐巳にはひとつしかない。祐麒を部屋から追い出して戻ってきたとき、床に散乱していた数枚のあのカードのことだろう。
そう思い立った祐巳は、急いで制服の内ポケットにしまっていたカードを取り出した。祥子さまも、ミップルさんに言われて半信半疑ながらカードを取り出している。
「カードをどうしたらいいの!?」
「クイーンのカードを出すメポ!」
言われて祐巳は手元のカードから、「クイーン」と思しきものを探し――そしてすぐに発見した。一際存在感を放つ金色の光を背景に、荘厳な女王が描かれているカードがあった。
「それをココにスラッシュするメポ!」
ココ、とはつまりメップル――正確には彼が存在するこの携帯電話のようなモノ――の下部に在るカードをスキャンするようなリーダ部分のことを指しているのだろう。藁にも縋る想いで、祐巳はクイーンのカードをスラッシュした。
「祥子も早くするミポ!」
「え、ええ」
ワンテンポ遅れて、祥子さまもカードをスラッシュした。
すると。
メップルさんとミップルさん、その二つ共が其々の手中で眩い光を放ちはじめた。不快なものではない。むしろ心地良くすらある。やがて祐巳はメップルが放つ光に包まれ、祥子さまはミップルの放つ光に包まれた。
そして胸の奥から湧き上がってくる激情のままに、祐巳はほとんど無意識にメップルを天に掲げて叫んでいた。
「「デュアル・オーロラ・ウェーブッ!」」
同時に隣では祥子さまも叫んでおり、二人の声が重なってこの場に響き渡る。
数秒の沈黙の後互いに顔を見合わせるが、この状況を理解するにはいたらなかった。
「……わ、私何を言って……」
真っ先に祥子さまが顔を朱に染めて、恥ずかしそうにつぶやく。学園では滅多に見ることのできない、祥子さまの恥じらい。それを見て祐巳も顔を赤らめた。
二者の戸惑いをよそに、メップルたちが放つ光量は増していく。
やはり自分の意思ではなく――というより、しなければならないという義務感のようなものが胸の内に溢れ、祐巳は不敬にも祥子さまに手を差し出していた。それはもちろん、手を繋ぐため。
はたと気づき頬を染めるも、そこには祥子さまの手があった。
ぎゅっと二人の手が固く結ばれる。その手のぬくもりからは祥子さまの思いが伝わってくるようだ。手を繋いだことで、祐巳は祥子さまと一つになれたような、そんな一体感と共に、ふわりと宙に浮くような高揚感を覚えた。
二人を包む光は、ピーサードをも恐れさせる神聖な虹色へと色を変え、その場に君臨する。
瞬き一つで状況が一変する非現実の中、祐巳は自分の服装が、着慣れた深い色の制服から全く別の物へと変化しはじめていることに気づいた。
全体的に黒を基調とし、補色として桃色が使われている――スカート丈の短い黒のドレスとスパッツを組み合わせた動きやすそうな衣装。胸元には桃色のリボンが設えられ、腕にはやはり黒がメインで桃色のハートの装飾が施された篭手。耳には今まで着けたこともないハートのイヤリングが装着される。
こうした変化は隣の祥子さまにも見られた。
リリアンの制服から、黒色を基調とした祐巳の衣装とは対をなすように、白色の衣装へと変容している。
動きやすさを重視している祐巳のそれとは真逆だ。パラソルのようなスカートを基調とした純白のドレスは、白のコスチュームと補色の水色が相まって全体的に柔らかい印象を醸し出している。
最たる変化は髪型だった。普段の枝毛一つない流麗なロングヘアーからは打って変わって、青色のハートがついた水色のリボンで髪を頭頂部で結ったポニーテールになっている。普段目にすることのないその髪型は、どこか新鮮な趣を感じさせる。
そしてその耳には、祐巳と同じお揃いのハートイヤリングもしっかり装着していた。
やがて二人を抱擁する虹色の光は天へと迸り、より一層眩い光の渦が世界を覆い尽くす。同時に、祐巳は自分の足が地についたことを知覚した。光が収まるのと同時に沸き起こる使命感に突き動かされ、祐巳は華麗にポーズを決めて叫ぶ。
「光の使者、キュアブラック!」
続いて祥子さまも美しい黒髪をきらきらと靡かせながら、右手を胸に当てて優雅にポーズを決めた。
「光の使者、キュアホワイト!」
祐巳――もといキュアブラックは、祥子さま――もといキュアホワイトと背中合わせになり、視線の先に立ち尽くしているピーサードを睨めつける。そして同時に声を揃えて声を上げた。
「「ふたりはプリキュア!」」
「闇の力のしもべ達よ!」
毅然とした態度で悪を見据え、凛とした声で断罪の始まりを告げるホワイト。そこにブラックも続く。
「とっととお家に帰りなさい!」
決まった。
と、ここまでお約束の変身およびその口上をしたところで、祐巳はようやく我に返った。自分の意思によるものでないにしても、これはないだろう。再び羞恥に顔を赤らめる祐巳だったが、ふとあることに気がつき、自分の身体を見つめる。
そう、問題はこの身に纏う衣装だ。
――おへそが出ている。
――スパッツがあるとは言っても、とっても丈の短いスカート。
な、なんて破廉恥な!
遊園地という公共の場に居るのに、なんてはしたない格好をしているのだろう。なんという羞恥プレイ。そんな穴があったら埋まりたい気分になったけれど、視界に祥子さまの御姿が目に入り、その思いは一気に吹き飛んだ。
祥子さまの衣装の美しさときたら。
純白のドレスは見目麗しい祥子さまに引けをとらない優美さを有している。また、ポニーテールとなった髪が、普段学園で目にする祥子さまとはまた違った新たな魅力を引き出していた。ハートのイヤリング、なんて素敵なアクセサリーがまた祥子さまに似合っている。
まあ要するに、祥子さまは祐巳とは違って何を着たって似合う美貌がある。そこに素敵な衣装があれば、綺麗になるのも当然だ。元がいいんだもの。
「な、何なんだお前らは!」
彼にとって単なる弱者でしかない存在が、目の前で変身し立ちはだかってきた。その事実に多少の驚きを見せ、ピーサードは少しばかりの不安をその顔に湛えている。
我慢の限界に達したか、怒りにまかせてとびかかってきた。
「わわっ」
「きゃっ」
二人は慌てて大きく跳躍し回避する。今の祐巳と祥子さまは、プリキュアに変身したことで身体能力が大幅に向上している。故にその跳躍は常人には不可能なほどの高距離に達していた。眼下のアトラクション群が小さく見えるほどに。
その後、二人は慣れないながらなんとかメリーゴーランドの屋根に着地した。
「なに!?」
あっさり回避してのけた二人の戦士に驚愕するピーサード。しかし、この偉業に驚いているのは彼だけではなかった。
「え、ええええ! な、なにこれっ」
「この身体……どうなっているの?」
変身したばかりの二人は、自分たちががどれほどの力をその身に有しているのか身をもって知ったのだった。
「これがプリキュアのパワーメポ!」
自信満々に語るメップルさんだったが、ミップルさんは冷静だった。場の状況を正確に把握し、二人に危機を告げる。
「ーーあっ、来るミポ!」
「この……舐めるな!」
ピーサードの怒りの追撃が始まった。屋根の上での激しい戦いが繰り広げられる。ピーサードの身体能力も並々ならないものがあり、その肉体から繰り出される力に任せた拳の連打は、直撃すればプリキュアとて無事ではすまない。
「わわっ!」
「はっ!」
祐巳は異様に向上した身体能力を駆使し、飛んだり跳ねたりと不格好に回避を続け、とにかく殴り対応する。
対して祥子さまは舞のような優雅な身のこなしで華麗にピーサードの攻撃を避け切り、隙を見てキックで応戦する。
元々人数で言えば2対1でこちらが有利なのだ。つまり、戦えるだけの力があれば立場は逆転する。
そう、今追い詰められているのはピーサードの方だった。
「はっ!」
祥子さまに殴り掛かるピーサードだが、その動きは隙だらけだ。祥子さまは後方へ飛び退り、空中で一回転してそのまま跳び蹴りをかます。
「この……クソが!」
しかし、だ。
祥子さまの御御足がピーサードの体に直撃した時だった。いや、彼はあえて蹴りをその身に受けたのだ。
直後、ピーサードは祥子さまの足首を掴んでいた。
「きゃああああっ!」
祥子さまはそのまま力任せに振り回され、屋根下ーー数メートル下まで投擲される。
「さ、祥子さまっ!」
祐巳は慌てて追いかけるが、祥子さまは無事だった。再び空中で一回転し、そのまま優雅に地面へ着地する。
「大丈夫よ、心配いらないわ!」
「よ、良かった……」
ほっと一安心。
しかし敵は未だ健在。もちろん油断はできない。