インフィニット・ストラトス Re:Dead《完結》 作:ひわたり
織斑永時は自分を天才と思ったことはない。
医者として仕事をしている間、そんな人間は沢山いた。
政界の人間から、スポーツ界の人間、研究者など、多種多様な人間がいた。自分もまたそんな中の一人なのだという自覚はあり、天才だの何だのと持て囃されようと、人など所詮そんなものだと考えていた。
「わざわざご足労ありがとうございます」
永時の前に座った男は篠ノ之柳韻。
篠ノ之道場の後継ぎであり、剣の腕前は素人の永時が見ても凄いと分かる程である。
彼もまた、その世界の中では天才の部類に入るのだろう。
「妹の夫である君は、もう私達は家族だ。そこまで畏まらなくて良いさ」
「そう言って頂けるとありがたいですが、今からお願いすることを考えると、少しばかり気が引けるもので」
柳韻は出された緑茶を一口含んだ。
「空の病気に関することか?」
「ええ、その事に関して、協力を仰ぎたいのです」
コトリと湯のみが机の上に置かれ、僅かな波紋が広がった。
「ならば答えるまでもない。私は喜んで協力をするさ」
「いえ、これに関しては、そう言った単純な話でもないのです。僕はその家族の縁を切られる覚悟で頼み事をするので。付け加えて、貴方の奥様にも関係あることです」
「ほう」
永時も緑茶を少しだけ飲んだ。喉を潤し、小さく息を吐く。
「まず前提として、僕が空さんを助ける事にどんな手段でも使おうとしていることを考えて下さい。そして、僕の考えを聞いた上で、貴方の判断をお聞かせ下さい」
そして、永時は語る。
その思考を。
その数式を。
その解を。
彼の言葉に、語りに、思想に、柳韻はただ驚きを持って迎えた。
「……如何ですか?」
永時の最後の質問に、柳韻は眉を寄せたまま暫く黙り込んでいた。
「それは……」
やがて、その口を開いて小さく問い掛ける。
「それは、可能なのか?」
柳韻の心の内は決まっていた。
しかし、可能か不可能か。
それが最大の問題であり、最大の障壁だ。
「理論上は」
故に、永時は素直に答える。
「だからこそ、実験は不可欠ですし、すぐに実行出来る案でもない。下手をすればそこに犠牲が生まれる」
如何しますかと、再度永時が問う。
駄目なら別にそれで構わない。柳韻抜きにして実行するだけの話だ。
「…………」
柳韻は再び口を閉じて瞑目する。
カチカチと無機質な時計の針の音だけが鳴っていた。
「……分かった、良いだろう。少なくとも私は了承する」
ただ、と続ける。
「妻の許可も得てからだ。そしてやるなら、成功させてくれ」
「ありがとうございます」
柳韻の苦渋の決断に、永時は深々と頭を下げた。
▽
空はお腹に子供を宿し、無事出産にまで至った。
赤子を腹に抱えている間、また、出産は周りを緊張に走らせはしたが、何事もなく終えることが出来た。
生まれた子供は女の子であり、彼女は織斑千冬と名付けられた。
「それで、出産後に話してくれると言っていたものは何?」
ベッドに座り、千冬を腕に抱えた状態で空は尋ねた。
永時から重要な話があると告げられていたが、下手に興奮して空の体に影響があってはいけないと、出産後に話すと言われていた。それが空の夢に関わることであることは想像がついていた。
何故かと言えば、永時が偶に空の研究資料や数式を見ていたもしており、こちらの分野も齧っていたからである。
「君が悩んでいたエネルギーの問題だ」
永時の言葉に、千冬を撫でていた手が止まる。
科学者としての目が光った。
「……解決したの?」
「まだ試していないし、理論上だ。仮説の域を出ない」
だから落ち着いて聞いてくれと、身を乗り出した空を宥める。
永時は一本の指を立てた。
「初めに言っておく。僕は冗談も言わないし、嘘も言わない。これから言うことは突拍子もないことだけど、真剣に聞いてくれ」
「……分かった」
まずエネルギー問題に関して話をする。
「現状、発見されてるエネルギーではパワードスーツの機能を全て補えない。だから、空はエネルギーの削減の方法を駆使していた」
「うん、そうだね」
「だけど、僕が考えたのは逆だ。正確に言うのならば、新しいエネルギーを発見した」
「……成程」
永時が事前に突拍子もないと言っていたのはこの事かと、空は理解する。
いきなり既存のエネルギーよりも強力なエネルギーを発見したと言われても、誰もそんなことは信じないだろう。
「ねぇ、空」
永時は空の目を真っ直ぐに見つめた。
「君は魂の存在を信じるか?」
魂。
科学者や医者とはまるで無縁な言葉。
夢物語のようなファンタジー。
「……取り敢えず、続きを」
信じるか信じまいか。
それは後回しにして、永時の理論を聞くことにする。
「僕は魂の方程式を解いた」
永時は淡々と冷静に語る。それは彼が本気になっている証だ。
「魂は人の体に備わっている巨大なエネルギーの塊。それは人生で使い切れない程に大きい。形も質量も持たないそれは、元から肉体の中にある上に、パワードスーツの邪魔になることもない」
問題なのは、別のこと。
「魂を引き出す、或いは魂をパワードスーツに繋ぐ機能が必要となる。後は、巨大過ぎるエネルギーの出力の問題だ。理論は完成しているが、現実的に何処まで可能かは分からない。魂、エネルギーの理論は僕が組み立て、パワードスーツの理論を君が組み立てる。それが繋がれば、恐らくエネルギー問題は解消されるだろう」
言うのは簡単だが、事はそう単純ではない。
魂という不明瞭なモノ。他者からすれば、実際に存在するかどうかも怪しい。
そんなモノを理論立てて組み立てた者などいないだろうし、ましてや証明まで持って行った人は存在しない。だが、永時はそれを導いた。
しかし、その理論は永時にしか理解不能な理論。それを空がパワードスーツのエネルギーとして組み込むように仕上げなくてはならない。
まるで異なる物質の組み合わせ。
それは青空を覆い隠す雲のように見えていても掴めない。
「それは、私が永時を完全に信用しなければ成り立たないね」
証明一つに穴があれば破綻する。魂というあやふやな存在を、科学者である空は信じ切れない。
だけど、永時のことは。
永時なら。
「分かったよ、永時」
どちらにしろ、もう長い時間は残されていない。
なら、彼を信じてみよう。
そう心に決めた。
「私は貴方を信じる」
例えそれが間違いであっても、後悔などないように。
「……だけど、これは危険な理論だ」
直接魂に作用する理論。
非常に危険な証明。
「元々世に出すつもりなんてないもの。あくまで私の夢。それに、あくまでエネルギーとして使用するだけだし、それ以上の理論は作らないよ」
永時以外に魂の証明を出来るとも思えなかった。少なくとも、今の人類では無理だろうと、空は思った。
「……それで、発見と言ったけれど」
つまりそれは、エネルギーは副産物だったわけだ。
ならば、永時が本当に探していたものは何か。
「……ああ、そうだ。僕は空に聞かなくてはならないことがある」
これには、まだ続きがあるのだ。
「空は、その体を捨てても、生きたいと願うか?」
永時の静かな問い掛け。
先程、彼は魂の話をした。
魂の証明をした。
なら、考え尽く先は。
「……別の体に、魂を移し替える、と?」
弱った体はこれ以上どうしようもない。抗えようもなく、死に向かっていくだけの体。それを治すことは最早不可能に近い。
なら、身体を丸ごと入れ替えたならばどうか。
「そうだ。そこで必要な物は二つ」
二つの指を立てて示す。
「一つは魂を移し替える装置。だけど、これは」
「私の分野ね」
空が永時の言葉を引き継ぎ、更に付け足す。
「エネルギーの応用で、パワードスーツは、それが可能に出来るかもしれないと」
「そうだ」
そして、残りのもう一つ。
「二つ目は、別の肉体。魂の無い空っぽの肉体が必須だ。望ましいのは元の体と近しい体だ。仕組みは子供を作るのと変わらない。そこに魂を組み込まないように作る」
「だけど、私の両親は亡くなってる」
「そう。だからこの場合、僕と空を掛け合わせた体。或いは柳韻さんと奥さんを掛け合わせた体」
どうせ永時のことだから、事前に根回しはしているのだろうと察する。
そうなると問題なのは戸籍の方になるが、恐らくはそこも十蔵に掛け合っているのだろうと判断した。
「だけど、永時」
それだけでなく、寧ろそれ以上の問題がある。
「それは、自然の摂理に反することよ」
自然の摂理に反し、人間の倫理を犯す。
体の移し替え。
それは不老不死に近く、魂のエネルギーが尽きるまで生き長らえることを可能としている。
人口の問題に加え、生死観の崩壊。
人が人である為の理を崩壊しかねない危険な行い。
死があるから人は生きられる。
死がなければ人は生きられない。
生とは、それ程危ういものなのに。
「そんなものはどうでも良い」
それでも永時は手を伸ばした。
空が生を望むのならば悪魔と取引だってしてみせる。
「体を変えれば周りは別人として扱うだろう。もう誰も君を道具として見ることはない」
それは何よりも、永時の願いでもあるのだから。
「僕は空に生きて欲しい」
生きて、側にいて。
今度こそ、生を全うして欲しいと、そう願って。
「だから、空」
君にいて欲しいと、そう願った。
願ってしまった。
それが誤ちだと分かっていたのに。