インフィニット・ストラトス Re:Dead《完結》 作:ひわたり
家族二人
一足先に病院に着いたシャルル。
病室のドアをノックして入ると、ベッドの上にセリーヌが寝かされていた。
「セリーヌさん」
「シャルル、ごめんね。ベッドの上からで」
別に構いませんよと返し、シャルルは簡易椅子に座った。暫くの間、何も会話がなく、静かな空気だけが流れる。
その空気を壊したのは、シャルルの一言だった。
「……最初から?」
セリーヌは顔を上げてシャルルを見る。シャルルの目は窓の外に向けられていた。
「……ええ、そうよ。貴方と最初に出会った時から、いつかこうなることは分かってたわ」
「原因は?」
「癌よ」
質問にあっさり答えるセリーヌ。シャルルは一度顔を俯かせ、長い息を吐いた。
「……もう無理?」
「そうね。あちこちに転移してしまったようだし、手術をして延命治療法しても、精々数ヶ月が限界だそうよ」
「成程」
シャルルは余計なことを一切聞いてこなかった。それがセリーヌにとっては有難いことである。
「……なら、僕の本当の役割は、これからということだ」
シャルロットを一人残さない為に、セリーヌはシャルルを家族にした。
その打算があったことに間違いはない。
セリーヌは積極的にシャルルとシャルロットが仲良くなるように努めた。そして、二人きりにして自分が極力関わらないように心掛けてきた。
だが、それでも。
「役割、だなんて言わないで。貴方は私達の家族よ」
確かに、シャルルにはそれを期待した。それは変えようもない事実だし、実際にそれをお願いすることになる。
でも、家族として支えて欲しい。
役割や仕事ではなく、自分の思いとして。
「身勝手なことだとは、分かっているけど……」
ごめんなさいと言おうとして、シャルルがそれを手で制した。
「良いんだ、僕も助けられた」
それで充分だと、シャルルは笑う。
感謝こそすれ恨む筋などない。
「シャルル……」
セリーヌはシャルルの笑顔を見て悟る。
シャルルは最初から薄々感付いていたのだと。
シャルルの入院中、不必要な程にシャルロットが病院に来た。勿論一人の行動ではなく、セリーヌが病院に連れて来ていたからだ。
助けたとはいえ、見知らぬ人間の見舞いだけに頻繁に病院を訪れたりはしないだろう。
話していたシャルロットは病院に通院している様子ではなかったし、医者と話していることもなかった。
ならば、病院に来る理由があるのは母親のセリーヌの方にある。
そして、シャルルに家族になる話を最初に持ちかけてきたのはセリーヌだ。
「だから」
シャルルは笑う。
心の底から笑ってみせる。
「ありがとう、母さん」
家族であることを、彼は伝えた。
その後、顔を真っ青にしたシャルロットが飛び込んできて、場がやや乱れた。
シャルロットは学校帰りには必ず病院にお見舞いへ行き、シャルルも働きながらも暇を見つけては訪れた。
▽
「ただいま……」
シャルロットは病院から家へ帰宅した。
既にシャルルが帰って来ている筈だと居間を覗いてみるが、そこには誰も居なかった。
「シャルル?」
鍵は開いていたから家の中にいるのは確実だ。手を洗い、荷物を置いてから彼の部屋へと行ってみる。
「シャルル、いる?」
ノックをしてみるが返事がない。
気配はあるので、開けるよと声を掛けてからドアを開く。もしかしたら寝ているかもしれないと配慮し、なるべく音を立てないように隙間から覗くように中を見た。
本の山がそこにあった。
それは比喩ではなく、部屋中を本が埋め尽くしている程である。床から天井へ、端から端へ本が積まれている。
目の前に広がった光景にシャルロットは唖然とした。少なくとも数日前までは、こんなに大量の本などなかった。
よく見てみると、図書館であったり、大学であったり、様々な公共機関から借りてきた物であるようだ。本の中には論文なども含まれており、そしてその全てが、医療技術などに関わるものであった。
「……シャルル?」
シャルロットが小さく声を掛けてみるが、やはり反応がない。
ドアをもう少し開けてみると、部屋の中央の方にシャルルの背中が見えた。
「………………」
シャルルは本を読んでいた。
一切の瞬きをせず、視線だけが動き、尋常でないスピードで本を読み進めていく。口は小さく、何かの単語を紡ぎ出す。
それは異常だった。
シャルルでない何者かがそこにいるようで、シャルロットは心の底から凍えた。
これは誰だと。
今目の前で本を読んでいるのは何者なのかと。
「……肉体……い……脳……し……魂…………精神……」
その目は、何を見ている。
「………………死を」
いったい、何を。
「シャルル!」
シャルロットは叫んだ。
本能的な行動だった。シャルルが戻って来ないのではないか、消えてしまうのではないかと。それが何よりも怖かった。
彼が振り返る。
「…………」
シャルロットと彼の目が合った。
「ぁ……」
……貴方は、誰?
シャルロットが口を開く前に、彼が微笑んだ。
「ああ、おかえり。シャルロット」
彼は、シャルルが、微笑んだ。
「……何してるの?」
シャルロットは安堵を気付かれないようにしながら、状況の説明を求めた。
「いや、病気と聞いて、ちょっと気になってね。色々調べてみたんだ」
「……ちょっと?」
これがちょっとのレベルだろうか。
「分かってるよ、シャルロット」
シャルルはそう言って本を閉じた。
「これが異常なのは分かってる」
そんなことは途中から気付いていた。
最初は単純に、癌の病気を調べていただけだった。それがいつの間にか、様々なものにまで範囲を広げ、没頭した。ここにあるのは本が主だが、外のパソコンからも膨大な情報を得ている。
途中で異常だと気付いて、それを忘れる程に、知識の中に身を沈めてしまった。
「その中に……知識の中に、記憶を失う前の『貴方』がいるの?」
「さあ、分からない。分からないけど……」
閉じた本の表紙をジッと見つめた。
「『僕』はこれ以上、余計な知識を身に付けない方が良い」
「……何で?」
「理由はないよ。そう思えるだけだ」
知識の果てに、何かとんでもないものをみてしまいそうな、そんな気がした。
「シャルル……」
シャルルの浮かべた笑みは、どこか儚げで。
シャルロットはそれに対して、何かを答えることはできなかった。
無力な自分が嫌になる程に。
そして、ある日の夜中。
いよいよ危ないと病院から連絡が入り、二人はタクシーで病院に行った。
人は死ぬ時、どんな気持ちになるのか。
それは生きているモノ達には分からないことだ。それでも、その顔は幸せそうだと、シャルルはそう思った。
シャルロットは母親の名を呼び続けたが、シャルルが静かに肩に手を置いて静めた。
「シャルロット」
シャルロットは縋るようにシャルルへと振り返る。しかし、シャルルは現実を突き付けるように首を振った。力を無くした彼女を廊下のソファーへと連れていき座らせる。
「…………」
分かっていたことだが、シャルロットのショックは相当なようで茫然自失としているシャルロットに今は何の言葉も届かない。
シャルルは小さく息を吐いて立ち上がる。
シャルルは医者からセリーヌの遺言を貰い、確認する。
そこには今までの礼や言いたかったことなどが綴られている。残りは葬儀を簡単な物にして欲しいとの要望と、お金に関することなどが記載されていた。
「…………」
本来ならシャルロットが確認し、相続などをしていくべきなのだろうが、今の彼女にそれを求めるのは酷である。
シャルルは相続や金の話は後回しにし、葬儀の手配や書類の整理、申請などに奔走した。
「…………」
酷く冷静に物事を処理していくシャルルの姿を、シャルロットは眺めているしかなかった。
無力だった。
どこまでも、無力でしかなかった。
▽
セリーヌさんの葬式は遺書通り、簡素なもので終わらせた。
僕とシャルロット、そして数人の友人のみで執り行われた。
死因は癌。
若い歳で発症するケースは少ないが、ないわけではない。僕が病院にいた時、セリーヌさんがシャルロットを連れてよく病院に来ていたのはその為だ。態々僕の所に来ていたわけではなく、持病が大元の理由だったのだ。
手術の後に再発、転移した上に発生箇所が多かった。その為、セリーヌさんは病院での生活ではなく、そのままの生活での死を受け入れた。
倒れたのは仕事中で、病院に搬送された。僕はその電話を受けて、シャルロットの通う学校へ連絡し、病院へと向かった。
そこからセリーヌさんは病院暮らしだったが、期間を考えれば随分と長く保った方だろう。
当然、セリーヌさん自身は死ぬのを覚悟していた。
セリーヌさんはずっと前から死ぬ日が迫っているのを感じていた。しかし、死ねばシャルロットが一人取り残される。デュノア社長がシャルロットを引き取った所で碌な目に合わないのは理解していたのだろう。
だから、セリーヌさんは僕を家族として迎えたのだ。
記憶をなくし、家族を持たず、そしてある程度成長している人間。
言い方はアレだが、取り込むのには良い素材だった。
それでも、セリーヌさんは家族として、僕を愛してくれた。
それだけで充分だ。
「ありがとう……母さん」
最後にセリーヌさんを母と呼んだ。
母さんは微笑んで、そして、他界した。
▽
シャルロットはお墓の前でしゃがみ込んでいる。
中学生になり、徐々に女性らしい体つきになってきたが、その背中は小さい子供のようだ。
これからの人生、時間は沢山ある。しかし、それが彼女の心の隙間を埋めることはないのかもしれない。
広い墓地の中で僕達しかいない。草原の広がる場所に、墓石がポツリポツリと等間隔に並んでいる。その中の一つに過ぎないという事実に、死は日常の物だとも思わされた。
「…………」
僕は黙ったままシャルロットの後ろに立ち続けた。
僕が家族となって過ごした期間はほんの数年だ。それに対し、シャルロットは産まれてからずっとセリーヌさんと過ごしてきた。長い期間、家族の愛も二人だけの物だった。
僕では計り知れない悲しみや想いがあるだろう。だから僕は何も言えないし、何も言わない。
そんな物は何の効果も持たないから。
だから、僕は待つ。
彼女が立ち上がるまで待ち続ける。
「……ん」
雨が降ってきた。
見上げると薄い雲が広がっている。すぐに通り過ぎると思うが、濡れては体が冷える。
僕は上着を脱いでシャルロットの頭へと被せた。そんなことさえ、彼女は気付かない様子だった。
雨が降る。
独特の匂いが立ち上り、着ていたシャツは濡れていき肌へと張り付く。自然に身を任せながら空を見上げた。
天国があるのなら、そこはどんな場所だろう。
雲の上や光を妄想するが、確か、砂漠の地方などでは雨が降り続けているとかあった。死も、死の先も、結局は生きている者の妄想想像でしかなく、言葉も妄言でしかないのだが。
魂があるのなら、それはどうなるのだろうか。
誰かに想い続けてもらうことが幸福なのか。
誰かを見守り続けることが幸いなのか。
それとも、消滅してしまうことが幸せなのか。
ならば、魂はこの肉体のどこにあるのだろう。
「シャルル」
声が聞こえた。
そんなことはないのに、久し振りにシャルロットの声を聞いた気がした。
「なんだい、シャルロット」
シャルロットはしゃがんだまま手を伸ばし、僕の袖を摘んだ。顔は伏せたままで、僕の上着で表情は窺えない。
「そのままだと、風邪を引いちゃう」
「そうだね」
こんな時までに、自分のことではなく僕のことを気遣うのが、なんとなく悲しかった。
「……行こう」
シャルロットは顔を上げる。
彼女が瞳に溜めていた涙が、その反動で一粒落ちた。
雨粒に紛れて落ちて消える。
「行こう、シャルル」
そう言って、シャルロットは下手くそに笑った。
全然笑えていないのに、無理矢理笑って見せた。
「私を連れて行って」
そうでなければ、ここから動けないから。
そう、聞こえた気がして。
「良いよ、シャルロット」
僕はシャルロットの手を取る。
「一緒に行こう」
この小さな手を、僕は守っていかなければならない。少なくとも、彼女が独り立ちできるその日まで。
もうその顔を悲しみに染めない為に守っていこう。
もう二度と、失わせはしない。
▽
家に帰ってきた。
電気を点けるが、どこか家の中が空虚な感じがする。それはただの心の持ちようで影響しているだけ。分かっていても、この感覚を完全に拭うことは出来ない。
「シャルロット、お風呂入ってきな」
「うん」
やや危なかっしい足取りで進んで行く。
雨で冷えた体を温めるのなら、バスタブに湯を張るべきなのだが、そこまで思考が回ってるだろうか。
シャルロットが入っている間にタオルで濡れた体を拭き、喪服をハンガーへ掛ける。
テレビを付けると笑い声が部屋に響いた。酷く空虚な笑いに、僕はスイッチを消した。再び静寂が訪れる。
「……ん?」
静か過ぎる。
何が足りないと考えると、シャワー音が聞こえないのだ。
僕は風呂場へと足を向けて扉をノックした。
「シャルロット、大丈夫?」
返事が返ってこない。
何度かノックしてから、開けるぞとドアを開く。
シャルロットは裸で立っていた。
魂の無い抜け殻のように立っていた。ただ呆然と、そこにいる。
「……シャルロット」
墓場での最後の反応から少しは戻ったかと思ったが勘違いだったようだ。自分の間抜けさに内心で舌打ちしつつ、出来るだけ優しく声を掛ける。
「シャルロット、聞いてる?」
シャルロットの顔に触れて僕に目線を合わせた。少しだけ光が戻る。
「…………?シャルル?」
「風邪引くよ」
触れた彼女の肌はとても冷たい。
そのくせ、額はヤケに熱かった。
もう既に風邪を引いていて、その所為で意識も朦朧としているのかもしれない。
どうするかと少し悩む。
「シャルロット、目を瞑ってて。髪を洗うから」
僕は袖を巻くって促した。
半身浴ですぐに上げれば大丈夫だろう。
「うん」
シャルロットは素直に頷いて言うことに従った。前にシャルロットに素直過ぎると言ったことがあるが、今の彼女はまるで従順な人形だ。抵抗することを諦めている本質が諸に出ている。
それを変えなければとも思うが、今はそれをするべきではないだろう。
バスタブに湯を入れながら、彼女の髪を丁寧に洗う。一本一本、大切に洗う。
「髪、伸びたな」
「うん」
「泡が目に入らないように気をつけて」
「うん」
僕に出来ることなんて限られている。
セリーヌさんの穴を埋められるわけがないのも分かっている。
でも、僕は。
「シャルル」
シャルロットの口から、囁くような、小さな声が漏れた。
「シャルルは……」
その後の言葉は続かない。
それでも、僕はシャルロットが何と言おうとしたのか分かった。
……シャルル、貴方は、悲しくないの?
「…………」
悲しくないわけではない。寂しいわけではない。
だけど、僕には、僕にとっては、思い出と呼ぶ時間は短過ぎた。全てにおいてシャルロットを上回ることはないだろう。
その程度なのだ。その程度でしかない。だから、シャルロットの想いも痛みも共感し切れない。
僕に彼女の痛みは分からない。
「………………」
だから、僕は答えない。
それが互いの為だ。
シャワーの音が大きく聞こえる。
泡を洗い流し、湯船に浸かるようにシャルロットに勧めた。
「……ん」
玄関の方から音が鳴る。
誰か尋ねてきたようだ。
葬儀屋とかかもしれない。まだお金関係で色々とある。
「シャルロット、少し行ってくるよ。少しだけ温まったら、出て体を拭きな」
立ち上がろうとした僕を、シャルロットの手が掴む。その手は少しだけ震えていた。
「何処へ行くの?」
不安がに揺れる瞳が僕を写す。
……ああ、どれだけ弱ってるんだ、君は。
「玄関だよ。離れないから、安心して」
やんわりと手を離して、振り返らずに風呂場から出た。
手を軽く拭いてから玄関へ向かい、ドアを開ける。
「どなたですか?」
「貴様こそ誰だ?」
そこに居たのは、大きな男。
金髪で髭を蓄えた不遜で尊大な態度。
新聞やテレビでしか見たことがないが、実物を見るのは初めてだ。
「はじめまして……デュノア社長」
シャルロットの父親が、そこにいた。
デュノア社長の後ろにはこの町に不釣り合いな高級車が止まっている。
運転手の他に、ガードマンと思わしき女性もいた。恐らくはISも所有している。
「私はシャルルと申します。数年前からセリーヌさんとシャルロットにご厄介になっています」
僕は言いながら一歩前に出て扉を閉める。
後ろ手で気付かれないように鍵を差し込んで締めた。
「本当か?コソ泥とかじゃあるまいな」
デュノア社長は僕を見下す。鋭い目線を笑顔で受け流した。
「コソ泥でしたら、この家ではなく貴方の所に直接行きますよ」
「……ふん」
この家に金がないのは彼も承知だろう。鼻息を荒く鳴らしただけだった。
「シャルロットは何処だ?」
「疲れて眠っています。こんな日ですし可能であれば、後日などにしていただきたいのですが」
「私は忙しい身だ。それは出来ん」
そうでしょうね。
セリーヌさんの葬儀に来ないほどだ。一応、連絡はしたのだが。
この反応を見る限り、やはり疾うに愛情を失っていたようだ。
「ご用件があれば私が承ります」
「お前に用はない。シャルロットを出せ」
「連れて行かれるおつもりですか?」
ピクリとデュノア社長の眉が動く。
……ビンゴか。
今まで会いもしなかった娘を引き取る理由は何か。身内が引き取ると考えた場合は不思議ではないが、愛人の子供だ。大っぴらにすることも出来ないだろう。捨てて養子施設にでも入れるのが妥当かもしれないけれど、引き取ることを目的とするならば……。
「暫くの間、シャルロットは私が責任を持って面倒をみます」
「馬鹿を抜かすな。何処ぞの男に任せられるか」
多分、デュノア夫妻の元で子供が産まれていないのだろう。つまり、後継人がいない。
「…………」
デュノア社のことは調べたが、特別家族経営というわけでもない。どうしても必要なら養子でも貰うに違いない。となれば、諦めさせる道はある。
……さて、どう切り返すか。
「デュノア社長……」
僕の思考の回転は玄関から鍵が開く音で中断された。
しまったと思う間に、ドアが開く。
「シャルル?」
顔を覗かせたシャルロットが僕を見て、そして相対する男を見て、目を見開いた。
「……お父さん」
「おお、久し振りだなシャルロット」
デュノア社長が笑う。
何とも軽薄な笑みだ。他人の僕ですらそう思うのだから、シャルロットは余計にそう感じるに違いない。
「葬儀に出られなくてすまなかったな。だが安心しろ。これからは私が君の面倒を見てやる」
不味い。今のシャルロットは状況に流されるだけになっている。シャルロットが行くと頷いてしまえばそれで終わりだ。
無論、デュノア社長の元に行って不幸になるかと言えば、必ずしもそうとは言えない。
少なくとも金に困ることはない。
愛人の子供という事実を隠すのなら、周りからも恩恵が受けられるだろう。
「…………」
そう、僕と一緒にいるよりも、良い生活が出来る。
シャルロットの事を思えば、寧ろデュノア社長の元に行くべきだ。
愛はなくとも生活水準は上がる。
僕と共にいることが幸せとも限らないのだから。
だから……
「嫌だ」
シャルロットの言葉が空気を打つ。
響かせた音色は否定の意思。
「私はここに居る」
彼女の手が僕の手を握る。
「彼と一緒にいる」
少女の宣言は高らかに、堂々と響いた。
その場にいた誰よりも僕が一番驚いたと断言出来る。驚いて、そして己を恥じた。
僕は多分シャルロットよりも、自分たちは家族なのだと、そう思っていなかったということなのだから。
「本気で言っているのか?」
デュノア社長の顔から表情が消える。
「本気だよ」
シャルロットは怯むことなく応じた。先程までの人形のようだった彼女はどこへ行ったのやら。
そのギャップの差と、そんな反抗的な口を利いていいのかとハラハラする。
「……分かった、もういい。お前への援助も打ち切らせてもらうぞ」
ああ、少しの金もなくなるのか。それは痛いかもしれない。
「どうぞ」
良いんですかシャルロットさん。
「……ふん」
デュノア社長は背を向けて車へと乗り込んだ。止まることなく道を走り去っていく。せめてそのままセリーヌさんの墓へ行くことでも祈ろう。
長丁場や激しい論争になるかもと覚悟していただけに、アッサリとした結末になった。
少し気が抜ける。
シャルロットが残り、ここの家を没収されなかっただけ上々か。
「…………」
シャルロットの手が震える。
今になって恐怖が襲ってきたのか。
「……家に入ろう、シャルロット」
「……うん」
シャルロットの背中を押して家の中へと戻った。リビングのソファーへと導き座らせる。
気付いたが、まだ髪を乾かしていないようだ。ドライヤーを持って来て乾かしてやることにする。
スイッチを入れ、温風を出した。
「頑張ったな」
「……うん」
先程までの覇気はなく、弱々しく頷く。
「だけど、良かったのか?」
デュノア社長は曲がりなりにも父親だ。金もあり地位もある。今一時の感情だけでなく、先を見据えれば、彼の元へ行った方が良かったのではないか。
「良いんだよ」
その返答だけは、しっかりしていて。
シャルロットは振り返って、僕の目を真っ直ぐ見た。
「今だけの考えじゃない。ずっとずっと、考えてきたことだから」
もしかしたら父親が迎えに来るかもしれない。
そう考えたのは、きっと小さな子供の頃からだろう。シャルロットは自分の立場を早い頃から理解していた。そして、父親のことも考慮に入れていた。
「私は、私の家族と一緒にいたい」
シャルロット一人だけなら。
独りぼっちだったら、恐らくは違っただろう。
子供である限界を感じて、デュノア社長の元へついて行ったに違いない。
だけど。
「シャルルと一緒に居たいよ」
僕の存在が、歯車を狂わせた。
それが良いことなのか悪いことなのかは分からないけれど。
それでも、シャルロットの運命はこの時に大きく変わってしまった。
「お母さんは、死んでしまったけど」
デュノア社長はシャルロットしか見ていなかった。見知らぬ僕など引き取る気はなかっただろう。僕は一人でいても構わなかった。それがシャルロットの選んだ道ならそれで良かった。
それをシャルロットは理解して。
そして、僕を選んだ。
「シャルル。私の側にいて」
だから、僕はそれを受け入れよう。
「分かったよ、シャルロット」
僕は彼女の手を取った。
「一緒に居よう」
側から見たら歪かもしれない関係。
親はいない。
歳の離れた、日本人の男とフランス人の女の子。
血筋はない。
それでも僕達は、家族として生きて行くことを誓った。