“時計兎”それは美羽の能力につけられた名前である。誰にも話したことがない美羽しか知らない情報であり、つまりガーデルは何かしらの能力で美羽の力を見抜いたという証だった。
(相手の心を読む力? いや、そうだとしても“時計兎”の名前は出てこないはずです。なら一体……?)
再び高速に動き出しつつ、美羽は能力を整理しはじめる。
美羽の力“時計兎”。ガーデルが口にした通り、時間を加速、停滞させることができる力。
時間を操る、といっても全ての時間ではなく対象を選ぶ必要があるが、使用者の時間を加速させ速度を手にしたり、瞬間的に移動先の時間を停滞させ空気でさえ足の踏み場にすることが可能である。それらを用いて美羽は多次元的高機動を可能とし、紅音を翻弄していた。
時間を操る、と聞くぶんにはそんなことしなくても強力な力だが欠点もある。まず、時間を操作する場合、操作する時間の所有者の許可が必要となる。所有者がいない時間や所有者が明確な意思を持たない場合は操作可能であるが、人間相手には基本的に使えないのが一つ目の欠点。そしてもう一つはその使用範囲だ。広範囲には使えず、使えて精々美羽を中心として半径二メートル程度。距離が短いため、受け身でしか使えない場合が多い。
非常に使い勝手の悪い力に感じられるが、美羽はそれほど不便だとは思っていなかった。それを抜きにしても自分の時間を操作できるという時点でガーデルの言う通り、人の身に余る力だからだ。
その証拠にガーデルの攻撃も美羽に届くことはない。放たれた飛び道具の数々は美羽の前では停滞してしまい使い物にならず、干渉されまいと手に握って武器を振るっても彼女の速度についてこれない。
美羽を倒すには彼女よりも速くなるか、紅音が無意識的にやってのけた何かしら干渉できない方法での広範囲攻撃しかない。
――――そう、能力の正体がばれた時点で倒し方さえもわかってしまうのだ。
「ふむ、追いつけない鬼ごっこも存外つまらないものだな。そろそろ私も楽しませてもらうとするかね」
そう言って不敵に笑ったガーデルが指を鳴らした瞬間、周囲に無数の鎖が現れた。拷問器具の一種だと思われる血錆びで汚れた鎖に群れは高速で動き続ける美羽を追って、獲物を狙う蛇のように動き出した。
どれだけ美羽が速くても数で確実に追い詰める鎖、しかし飛び道具である限り美羽の前ではただの木偶になりさがる……――――はずだった。
「……っ!?」
しかし鎖は美羽の能力範囲内に入っても止まらない。そのまま追尾し美羽を捕えようと迫る。
慌てて後退して回避する美羽だが鎖の追撃は止まらず端へ端へと追い詰められつつあった。
どういうこと? どうして力が作用しない? と、焦りを隠せない美羽を嘲笑うかのようにガーデルは口をひらく。
「君の力は強力だが他人の時間には干渉できないのだろう? それなら、私がその気になればこの空間ではその能力は無力に等しいことになるな。言っただろう、君は既に私の術中にはまっているのだと」
ガーデルが指を鳴らすと美羽の背後に先ほどはなかった壁が突然現れ退路を断たれてしまう。
美羽は迫る鎖を短剣でいくつか弾くが圧倒的な数を前に捌ききれず両手両足を拘束され、そのまま伏せるようにして地に叩きつけられた。
「私の力は“自由の箱庭”といってね、小規模ながら私が望むように形を成す世界を作り出すことができるのだ。
勝利を確信したガーデルは流暢に自身の能力を語り始める。
“自由の箱庭”――――小規模に限定されるが、文字通り能力者が望むまま自由にできる
今現在、美羽たちを隔離している箱庭はガーデルが優希を監禁する目的で作ったため、捕縛、情報開示に特化していた。それ故に美羽の能力はこの箱部屋に入った時点で知られてしまい、どれだけ速くなろうとも捕縛されてしまう。そのうえ、この箱庭の中ではガーデルさえ望めば全範囲が彼の所有状態になってしまうため周囲の時間操作さえ叶わないと、美羽にとって天敵に等しい条件が揃っていた。
さらにガーデルの口にしたことに偽りはなく、彼の箱庭にいる限り箱庭が持ち主を守ろうとするので傷一つ負うことさえない。使用場所を限定されてしまうにしても、一度箱庭に引き摺りこんでしまえば圧倒的有利に立ててしまうのがこの力の恐ろしいところだ。
ガーデルの力を把握しつつある美羽に焦りの色が見え始める。――――マズイ、このままじゃ勝ち目はないです、と。
相性が悪いだけでも厄介なのに、そもそもこの能力は嵌まってしまった時点でかなり不利になってしまうトラップ型。頭に血が上って周囲の状況確認を怠ってしまったのが現在の状況を生んでしまった。……といっても、たとえ状況確認できたとしても見破れたのかは怪しいところではあるが。
魔術師でもこんなに強力な力は不可能に近い。何十名を動員し時間をかけて真似事が限度だ。しかし護り手ならば一人で可能であり、護り手という者たちがいかに規格外かわかる
どうする? どうする? と必死に打開策を考える美羽の元へガーデルはゆっくりと歩み寄る。
「チェックメイトだ、時計兎。本来ならこのまま殺した方が楽なのだがね、運がいいことに君もまた可憐な少女ではないか」
「……っ、何をする気ですか?」
ガーデルが人差し指を上げると鎖は美羽を吊るし上げた。晒されるように宙吊りにされる美羽をガーデルは口元を歪ませながら舐めるような視線で見つめる。
「決まっているだろう、君もまた私のコレクションにしてあげようと思ったのだよ。見れば見るほどに美しい少女だな君は! その整った顔にどれだけの者が惹かれただろうか? その豊満な胸や美しい肢体にどれだけの者が欲情しただろうか? だが今日から君は私のモノになる、その顔も、身体も、全て私のモノにな、くっくっく」
「この変態……私の身体に気安く触らないでください……ッ!!」
美羽の胸に触れ高らかに笑うガーデル。抵抗できない美羽はただひたすらに悔しそうに唇を噛み、不快感に耐える。
冷静になれ、冷静になれ、まだ諦めるな私。名波くんを助けるためなら我慢できる。美羽はひたすら策を思考する。
そのとき、動けずにいたはずの優希が立ち上がった。まだ痛みが残っているであろうフラフラした足取りでガーデルに一矢報いるため――――美羽を助けるためにと駆ける。
「白兎さんを放せ」
優希は散らばっていた短剣を手に取り、握りしめて突き立てようとするが見えない壁がそれを阻む。
楽しんでいたところを邪魔されたガーデルは美羽から手を離し、ゆっくりと振り向いて優希を見た。まるで虫でも見るかのような見下す視線を前にしても優希は怯まなかった。
「怖くないのかい名波優希君。君は絶対的強者に刃向っているのだ、このあと自分がどうなるのかと考えないのかね?」
「白兎さんを放せ!!」
「ふむ、恐怖で錯乱してるのかね、話にならないな。――――ああ、それともこの少女は君の恋人か何かか? そこまでして助けたい相手なのか? くっくっく、それならば余興だ。君の目の前でこの少女を犯そう。嘆き苦しむ君の目の前で身も心も私のモノにしてしまうとしよう! ここは私の世界だ、そうするための方法などいくらでも用意できる。快楽に堕ちるか、恐怖に堕ちるのか、君が嫌がる方を選んであげるよ、さぁ選びたまえ!!」
「そんなことさせない……させてたまるものか。白兎さんを放せ! これ以上、僕の大事な人に触れるな!!」
ガーデルの不快な笑い声を優希の絶叫が打ち消す。――――それは美羽がはじめてみる優希の姿だった。優しい名波くんが私のために必死になってくれている。私のために怒ってくれている。私のためにボロボロになってでも立ち上がってくれている。
なのにどうして私は捕まっているの? 白兎美羽、お前の想いはその程度なのか? 美羽は自身に問う、そして返答する。“そんなわけがない、私の名波くんへの思いはこんなものじゃない!!” そして美羽は覚悟した。命に代えても優希をこの変態《ガーデル》から救ってみせると。
一方のガーデルは流石に優希が鬱陶しくなってきたのか、払うように優希を蹴飛ばした。腹部を強打された優希は地面を転がり地に這いつくばるが、それでも立とうと震える足に力を込める。
……付き合ってられないな。と優希の無意味な行動を鼻で笑ったあと、美羽を拘束しているものと同じ鎖で優希を縛り吊し上げた。
ではさっそく楽しい時間を始めよう。まずはどのようにして時計兎を犯してやろうか? と、下衆な笑みを作り、美羽の方に振り返ったガーデルの眼前に、
「私の処女は名波くんのものです!! 貴方みたいな変態にくれてやるものなんて一片もありませんからッ!!」
鎖を解いた美羽が短剣を振り下ろす。が、しかし見えない壁に阻まれてしまい傷一つ負わすことができない。
それでも美羽は二、三、四、と連続して短剣を叩き込む。予想していなかった反撃に一瞬だけ怯むガーデルだったが、すぐに自身の優位さを再確認し、無駄な行動をとる美羽を冷ややかな視線を向けた。
「諦めが悪いぞ時計兎。君にはもう少しお仕置きが必要だな、さっさと大人しくなった方が楽だと思うがね」
ガーデルが払うように腕を振ると美羽は見えない力に吹き飛ばされ、そのまま壁に激突した。苦痛の声を漏らしす美羽は地に膝をつきつつも、凛とした瞳で敵を見ることをやめない。
「言いましたよね、私は名波くんのものです。貴方にくれてやるくらいなら、刺し違えても貴方を倒します。そして何よりも――――これ以上、名波くんを傷つけさせはしない! 私の命に代えてもッ!!」
美羽が叫ぶと共に現れた純白のサークル。その白き円からとてつもない力を感じたガーデルはそれを阻止するために再び鎖の群れを放った。
美羽が早いか、ガーデルの妨害が早いか……――――結果として美羽の命をかけた攻勢は止められる。だが、それを止めたのは攻勢を恐れたガーデルではなく、此処にはいないはずの別の声によって。