まるまると膨らみ始めた十三夜の月を背後に、薄紅の花弁が空を舞う。酒飲みどもが寝静まれば、本丸は昼間の喧騒が嘘のように静かだった。秋ならば虫の十や二十も鳴くだろうが、春は桜の季節であれば鳴くは真昼の鳥ばかり。
縁側にどっかりと座り込んで、昼からちびちびともう一升半も開けたのは金の眼の打刀。傍らに二、三重ねた杯は、先だって幾振りかの刀剣が飲みに立ち止まった跡である。先頃尽きた肴を、あと半刻ばかりのうちに手に入れられなければ止めにしようと思った矢先、隠そうともしない重くうるさい足音がした。日本号や長曽祢虎徹はとうの昔に夢の中。後の図体の大きな連中はよほどのことがなければ下手な短刀よりもずっと静かに歩を進める。となればこれは、一等背の低い(それでも同田貫自身よりは七寸ばかりも高いが)槍だろう。
黒髪の刀の思ったとおり、
「まさくにー、一緒に飲もーぜー。今まで不動に捕まってたんだよ」
つい数週間前に来たばかりの不動行光という短刀は甘酒でも酔う癖に絡み上戸という、非常に面倒な
「あ?なんで俺なんだよ。日本号......は潰れてるか」
「ん。蜻蛉切は片付け組だし、脇差し連中も潰れたやつらの面倒みてる。......いやー助かった。ほんと薬研様々だ」
「ああ、薬研が連れていったのか。新入りたぁ織田の家で一緒だったんだっけ?」
「そーそー」
「ほい」
軽く頷いた茶髪の青年が焼酎の瓶を差し出す。代わりにと傷だらけの手が猪口を渡すと、緑の影は高さ半分以下に縮んだ。大きな手がスルメの袋を豪快に開き、一掴みほども取って隣の刀に渡すと、元々が肉の身ですら七、八寸も違う二振りのこと、スルメはばらばらと同田貫の手の内から溢れて落ちた。もったいないもったいないと言いながら結局は汚れなど気にとめず、つまみは木張りの床に積み上げられる。
スルメの本来の持ち主、呑み取りの槍と称される黒髪の男が万が一にも通りかかったならどうしようか、などと言いながら武器が二つ、酒を飲む。人ではなく、神でもなく、ただ武器として呼び掛けに応えた二振が。これではまるで、人のやうだと笑いながら。
深々としずまりかえった平屋の中庭を眺めて一刻半、いや二刻も経ったろうか。月もすっかり天を渡って、瓶の中味は清酒も焼酎ももう直ぐに空になる。あれほどあったスルメはほとんどがたれ目の槍の腹の中。
ぐるりと開いた金の蛇の目、血でないものに酔って
「ああ、良かった。あんたまで過去に未練があるようならどうしようかと」
その後に続くべきは果たして、「それなら我ら共に往こう」と「なら裏切る前に斬ってやるよ」の、どちらだったのだろう。
───嗚呼。殺すは、未来と言った。それは、そう。いつかこの戦いが終わると知っているのだ。けれどそんなことは、終わってから考えれば良い。彼ら同田貫は、幾らでもいるのだから。
量産刀は、自らが価値のあるのは
愛された槍は、それ故に死を怖れない。一度二度焼けたくらいで忘れられはしないと、知っている。だから彼の一等怖れるは忘却で、そして何もないことはそれに繋がるのだった。
ひらりひらりとはなびらの、薄闇に紛れて消えていくのは長柄の槍の榛の瞳には見えやしない。微かに色づいた花弁が浮かぶ手の杯に目を落としてその槍は不意に、弱い弱い声でないた。
「......このまま、散らなきゃいいのにな」
それは彼ら自身のことだろうか。けれどそんな人間のようなことを、同田貫は言ってほしくはなかった。ひらいた
「桜がか?」
違うと分かっているだろうに無理にも断定の色をまぜたその言葉に手杵の槍は、何を言うこともできなかった。
「散るゆえによりて咲く頃あればめづらしきなり、じゃねえのか」
それは、いずれの花か散らで残るべき、と始まる。
「たぬきもそうゆうの分かるんだ」
「あんま馬鹿にすんな」
陸奥守ではないが、いずれ消えるべきなのだ。刀も、槍も。この戦いが終われば無用の長物。飾るだけなら使い潰せ、それも叶わぬならいっそ折ってくれ、と。平穏を厭う大身の槍と戦場に生きる肉厚の打刀はたった二振り、皆が皆自分等をヒトと称すぬるま湯の煉獄でそんなことをひっそり謳うのだった。
そう告げればそう願えば叶うのかと言われれば、それは誰も知らないけれど、けれども彼らは祈るしかできない。八百万の神々のはしくれは、やはりはしくれに過ぎないから。
───まだ、まだ折らなくてすむね。
三十八人斬りには、ならずにいられるだろうか。障子一枚、柱一つを隔てた向こうでそんなふうに思う初期刀を、二振りは知らない。