吸血鬼は紅い血を吐いた   作:個人宇宙

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【10】

 

 

 十五日目の夜、卓郎の呼びかけで食堂に全ての妖精メイドが集まった。

 メイドだけでなく、レミリアとパチュリーもその場に居合わせていた。

 今回の案はレミリアも巻き込んでいることなので、彼女も同席させてもらうことにしたのだ。パチュリーは、レミリアに呼ばれてやってきたらしい。

 

「みんな。とりあえず、今日の仕事もお疲れさま」

 開口一番、卓郎はそう言った。

 妖精たちも一応「お疲れさまですー」と返してくれたが、みんな訝しげな様子だった。どうして夜に全員を集めさせたのか、その真意が分からないからだろう。

 いよいよだと思い、卓郎は口を開いた。

 

「僕の作った仕組みが始まって、今日で十日が経った。いきなりのことで最初はみんな戸惑ったと思うけど、今日まで無事にやってこれた。本当にありがとう」

 この瞬間、卓郎は横にいるユキに合図を送った。

「そこでみんなに僕からささやかだけど、お礼をしたいと思う」

 それを聞いて、妖精たちが一斉にどよめき始める。

 ユキはテーブルに置いてあった巨大なかごから、一つの小さな革袋を取り出した。

 

 それをゆっくりと開いて、ぱらぱらと中身を手のひらの上に落としていく。色とりどりの粒の輝きに、メイドたちのどよめきがさらに増した。

「うわーっ。金平糖だ!」

「やったー。あたし金平糖大好きなんだよね」

 それは人間だけでなく妖精の間でも人気のお菓子、金平糖だった。先日、美鈴が仲直りの印としてチルノにあげたお菓子でもあった。

「お礼はそれだけじゃない」

 そう言って、卓郎は再びユキに合図する。

 

 巨大なかごの横には、布をかぶせた皿が置いてあった。ユキはそれを剥がす。

「おおーっ」と、妖精たちの歓喜の声を漏らす。

 皿の上には、巨大なカステラが置いてあった。表面は鮮やかな焦げ茶色、中はふわりとした黄色い生地で出来ており、人里では高級品に指定されているお菓子である。

「これはユキ特製のカステラだ。僕もさっき食べてみたけど、すごくおいしかったよ」

 自信を持って、卓郎は断言する。先ほどユキから余った分のカステラを試食させてもらったのだが、あまりのおいしさについ涙が出てしまいそうになったのだ。

 

 本人は謙遜していたが、料理の腕は間違いなく紅魔館一であろうと確信した。

「卓郎さん。早く食べたいですよー」アキが急かす。

「まあ、慌てるな。今からこのお菓子をみんなに配っていこうと思うけど、たった一つ、お菓子を受け取るための条件があるんだ」

 期待の眼差しを向けていたメイドたちに、それぞれ疑問符を浮かぶ。

 

 卓郎はここで一冊の手帳を取り出した。

「この手帳には十日間、みんながしっかり仕事をしてくれたのかが記入してある。つまり、この十日間で誰がどの仕事をサボったのかも、これで全て分かるわけだ」

 手帳をぱらぱらとめくり、ある項を妖精たちに向ける。

 そこには大きく二桁の数字が書かれてあった。

 

「この十日間、一度もサボらずに仕事をやってくれた人数がここに書かれてある。僕はそのサボらずに仕事をしてくれたメイドだけに、お菓子を配ろうと思うんだ」

 メイドたちが一斉に「ええーっ!」と声をあげた。

「いやったーっ! 頑張った甲斐があったわ」と、はしゃぐメイドもいれば、

「うそ! それじゃあ、あたしはもらえないのー?」「あわわわわ! ど、どうしよう、カ、カステラ食べたいのにー」と、嘆くメイドもいた。

 

 これが、卓郎の考えた『お菓子の制度』であった。

 今回は十日間にしたが、次回からは一週間ごとにお菓子を配る予定でいた。

 個人的にうまくいったと思ったのは、真面目に働いている妖精たちに目を向けることができたことである。

 これまでの卓郎は、サボっているメイドだけに目を向けてきた。どうすれば、妖精に大きな不満を与えることなく、罰を与えられるのかを常に考えてきた。

 

 しかし、美鈴との会話で「サボった妖精に対して罰を与えること以外にも、他に良い方法があるのではないか」という言葉を受けて、初めて逆の発想が生まれたのだ。

 つまり、サボっているメイドではなく、真面目に働いているメイドに目を向けるのである。

 数字を集計して初めて分かったことだが、仕事をサボっているメイドより、真面目にやっているメイドの方が、数は圧倒的に多いのだ。そして、美鈴がチルノに金平糖をあげている場面を思い出して、初めてこの考えを思い付いたのだ。

 サボる妖精に罰を与えるのではなく、逆に真面目にやっている妖精にお礼を与えることで、妖精たちのわがままを抑えるのである。

 

「それじゃあ、今から配り始めるよ」

 卓郎がそう言ったところで、メイドの一人が手を挙げてきた。

 予想していたが、それはハルだった。普段はご丁寧に手など挙げないが、この場にレミリアがいることで、このような態度をとったのだろう。

「ちょっと、いいですか」

「どうしたんだ」

「なんで、サボっているメイドにはお菓子をあげないことにしたんですか」

「なんでって……。言わなくても分かるだろ。真面目に仕事をやってこなかったメイドに対して、お菓子をあげるほど僕は甘くはないよ」

「でもさ。あたしたちだって確かに何日かはサボってますけど、それ以外の日はちゃんと仕事してるんですよ。ほんの少しサボったからって、お菓子を全くもらえないのは不平等だと思いませんか?」

 かちん、と卓郎の中で何かが動きそうになる。

 

 だが、それを抑えて首を横に振った。

「だめなものはだめだ。もし、後悔してるんだったら、明日から真面目に仕事をすればいいじゃないか」

 卓郎はここで声を強めた。

「というか、ハル。お前は事あるごとに僕に対していろいろ言ってくるけど、正直あまり良くないと思うぞ。僕に対する意見とか批判なら受け入れるつもりだけど、ハルの言っていることは批判じゃない。今もそうだけど、お前の言っていることは単なる『わがまま』だと分からないのか?」

 何人かのメイドが、厳しい視線をハルに向ける。

 どれも、普段から真面目に仕事をやっているメイドたちであった。

 

 ハルは追い詰められたような表情になる。

「その様子だと、少しは自覚しているようだね」

「う、うるさいわね!」

 ここでハルは人差し指を立てた。

「じゃあ、こういうのはどうでしょうか。リーダーはサボったらお菓子は全くもらえないように決めましたけど、それだと不平等だと思いますので、サボった分だけ減らすってのはどうでしょうか」

 この意見に対して、よくサボる何人かのメイドがうんうんと頷いた。

 

 しかし、卓郎の答えは明白だった。

「それはだめだ」

「えっ? ちゃんと意見を言ったつもりですけど」

「じゃあ、僕がハルの意見を聞き入れたとしようか。もしそうなったら、みんな一日くらい仕事をサボってもいいんじゃないかな、って思わなくならないか?」

「あっ……」と、ハルは不意打ちを喰らったような顔になる。

「それじゃあ、だめなんだよ。僕はみんなに一日もサボらずに仕事をやってほしいんだ。もしハルの言う通りにしてしまったら、今以上にひどいことになってしまうよ。だから、わざわざこうしてユキにお菓子作りを頼んでまで、この制度を考えたんだ」

「ええーっ。でも、わたしだってカステラ食べたいですよー」

 ここで突然、口を開いたのはアキだった。

 

「卓郎さんのいじわる! こんなにおいしそうなカステラが目の前にあるのに、食べれないなんてひどいですよ。拷問ですよー」

 アキは二日サボってしまったので、お菓子はもらえない立場にいる。

 彼女に便乗して、同じくお菓子をもらえないナツも口を出してきた。

「わたしも、たった一日くらいサボっただけで、これはひどいと思います」

「一日くらい?」卓郎は眉をひそめる。

 

「ええ。別に一日くらい、サボったっていいじゃないですか」

「ちょっと、勝手なこと言わないでよ!」

 ナツに対して、今まで真面目にやってきたメイドが言い放つ。

「なに。文句でもあるの?」ナツは不機嫌そうに顔を歪める。

「あるに決まってるでしょ! この馬鹿!」

「いくらナツでも、今の言葉は聞き捨てならないわ!」

 あっという間に食堂は、メイドたちの言い争いで騒がしくなった。

 

 ユキが「みんなやめて!」と叫ぶが、彼女たちは止まらない。

 よほど日ごろの不満が溜まっていたのか、彼女たちは口ぐちに相手の勢力を罵り合った。中には取っ組み合いの喧嘩にまで及んでしまったメイドたちもいる。

 数は真面目にやってきたメイド側が多いが、サボっているメイド側には発言力のあるハルがいるせいか、言い争いは拮抗していた。

 こんな状況になってしまったにもかかわらず、レミリアとパチュリーは全く動く素振りを見せない。完全に卓郎に任せている様子だった。

「おい、やめろ!」

 声を張って注意したが、メイドたちは全く聞く耳を持たない。

 

「あんたのせいよ! あんたのせいでこうなってしまったのよ!」

 その時、別の妖精メイドが泣き顔で卓郎に向けて放った。

 そのメイドはハルと同様、サボりの常習犯として注意してきたメイドだった。

「あんたがリーダーにならなければ、こんな面倒なことにはならなかったのよ! 館の仕事くらい、あたしたちの好きにやってもいいじゃない!」

「おい、お前……」

「あんたなんか、とっとと辞めちまえ!」

 その言葉を聞いた瞬間、卓郎の中で何かが切れた。

 本来ならばリーダーとして理性的な態度をとらなければいけないが、湧きあがる感情を抑えることはできなかった。

 

 彼は手前の机に向けて、手帳を渾身の力で叩きつけた。

 その強烈な打撃音に一瞬、場が静まる。

「お前たち、いい加減にしろ!」

 食堂全体に響き渡る卓郎の叫び声に、妖精たちの誰もが動かなくなった。

「たった一日くらいサボったほうがいい? 自分たちの好きなように仕事をさせろ? ふざけるな! じゃあ、訊くけど、今日サボった分の仕事は誰がやるんだ? 誰もやらずにそのまま放置しておくのか? そんなわけないだろ。その分は全て、真面目に仕事をやっているメイドたちが代わりにやってるんだよ。お前たちのわがままでどれだけ他のメイドに迷惑をかけているのか、まだ気付かないのか!」

 あまりの剣幕にメイドたちは誰一人動こうとしない。

 

 卓郎はふうっと、一息ついてから言った。

「館の仕事は一人でやるんじゃない。みんなでやるものなんだ。お前たちは一日、二日サボってもいいじゃないかって言ってくるけど、それじゃだめなんだ。意味ないんだよ」

 ここで卓郎は視線を下げた。

「一日……たった一日サボっただけで、後で取り返しのつかないことになってしまうことだって、あり得るんだよ」

 その悲痛な口調に、今まで様子を見ていたレミリアが初めて口を開いた。

「あら。もしかして、実際に取り返しのつかない経験でもしたのかしら?」

「昔、一度だけありました」

 卓郎は、かいつまんで説明を始めた。

 

 まだ寺子屋を辞めたばかりで、本格的に農業をやり始めた頃のことだった。

 卓郎の家は、主に芋や野菜を中心とした作物を育てていた。

 ただ、近くに山がある影響で、そこからやってきた猪が農作物を食い荒らしてしまうなど、野生動物の被害が多く発生していたため、その対策も入念に行っていた。

 

 この日の夜、外は激しい雨と風に見舞われていた。

 今日は卓郎が夜の見回り当番だった。

 畑を回って怪しい動物がいないか、罠はきちんと機能しているか、この目で確認する仕事である。週の半分は母親もしくは兄がやってくれるが、どちらとも体を悪くしていたので、残りの半分は卓郎一人でやっていた。

 しかし、この日は全く見回りをする気力が湧いてこなかった。

 外は大雨なので、びしょ濡れになるのは確実である。とてもめんどくさい。

 猪もさすがにこんな荒れた天気では外に出る気力はないだろうと思い、つい卓郎はそのまま眠ってしまったのだ。

 

 翌日、慌てた様子の兄に起こされた卓郎は急いで畑に行き、唖然とした。

 作物のほとんどが、猪によって食い荒らされていたのだ。

 調べた結果、昨晩の嵐で畑に仕掛けていた罠の一部が破損してしまい、その隙に猪が入ってきてしまったようだった。天気も彼が寝た直後に回復したらしく、明らかに彼の怠惰が今回の動物被害を引き起こしてしまったのだ。

 

 母親にこっぴどく叱られ、卓郎の家族は三ヶ月ほどひもじい生活を強いられることになった。おかずが一品減らされ、飯も不味いものを食べざるを得なくなった。

 たった一日――しかも、ほんの軽い気持ちでやったことが、後に取り返しのつかない事態を引き起こしてしまったのだ。

 卓郎もこれには猛反省して、二度とこんなことはしないと誓った。

 

「なるほど。あなたの言いたいことはよく分かったわ」

 レミリアは納得したように言った。

 卓郎は妖精たちに向けて、再び口を開いた。

「もちろん、農業の仕事とメイドの仕事は全然違う。でも、だからといって、後で取り返しのつかないことが起こらないとは限らないよ。それに――」

 ここで彼は金平糖の方を指差した。

 

「まだ言ってなかったけど、ここにある金平糖とカステラの材料のお金は、全てお嬢様が用意してくれたんだ。せっかくお嬢様がお前たちのためにお金を出してくれたのに、サボったメイドにまでお菓子を配るのは、ちょっと失礼だと思わないか?」

 メイドたちは、黙ったまま卓郎の言葉に耳を傾けている。

 三日前の夜、お菓子の制度の考えをまとめた卓郎は、すぐレミリアの所に行った。

 

 多くのお金を必要とする内容だったので、最初はかなり説得に苦戦するだろうと思っていた。しかし、予想に反してレミリアはあっさり承諾してくれた。

 拍子抜けする卓郎に対し、レミリアは笑いながら言った。

「その程度のお金なら全然平気よ。たかがお菓子程度で、偉大なるスカーレット家の財産が無くなるわけないじゃない。雀の涙にもならないわ」

 

 後で聞いた話によると、スカーレット家が保有している財産は非常に多いらしく、主人のレミリアでさえ、あまりの金額の多さに数えるのを止めてしまったくらいである。噂によれば、何百人もの人間が一生遊んで暮らせるくらいのお金を保有しているらしい。

「これ以上、何か意見や反論はないかな?」

 卓郎は問いに対し、ついに妖精たちは何も言い返さなかった。

「じゃあ、最初に言った通り、一日もサボらなかったメイドにだけお菓子を配ることにするよ。名前を呼んでいくから、呼ばれたメイドだけ受け取ってくれ」

 

 ※

 

 全てのお菓子を配り終え、ようやく妖精たちが食堂からいなくなった後、卓郎は一人で中の片づけを始めた。お菓子を受け取った妖精たちが、そのまま食堂に残って夜のお茶会を始めてしまったからであり、その片づけだった。

 お茶会には卓郎も参加して、場はかなり盛り上がった。

 くだらない冗談で笑い合ったりと、久々に卓郎は楽しい時間を過ごすことができた。

 

 お茶会の終了後、何人かの妖精が掃除の手伝いをすると申し出てきたが、卓郎は丁寧に断った。何となく一人で掃除をしたい気分だったのだ。

 箒を使って、床に落ちた金平糖やごみなどを集めていく。

 卓郎自身も不思議に思っていることだが、最近、妙に掃除が楽しくなってきているのだ。掃除を終えてきれいになった部屋を見渡していると、とても清々しい気分になることを覚えたのだ。

 

 だいぶごみも溜まってきた頃、食堂の扉が開かれた。

「どうやら、みんな部屋に戻ったようね」

 やって来たのはパチュリーだった。

 レミリアとパチュリーはお茶会が始まった直後、すぐに食堂から出ていったのだ。

「パチュリー様。どうしたのですか」

「お茶会が終わる頃合いを見計らって、ここに戻ってきたのよ。とりあえず、さっきはお疲れさまと言っておきましょ」

「先ほどは見苦しいところを見せてしまい、申し訳ございませんでした」

「ふふっ。一丁前なことを言うようになったじゃない」

 パチュリーはわずかに口元を吊り上げた。

 

「まあ、合格点ね。時間割表の紙から正解に導いただけでなく、あなた独自の仕組みを考えたところは評価するわ。未熟な所もまだまだいっぱいあるけど、リーダーらしい所も垣間見れたし、これならメイドたちもあなたに従っていくでしょ」

「ありがとうございます」

 すると、ここでパチュリーが手を差し出してきた。

「光栄なことだと思いなさい。私がこの世界にやってきて、初めて普通の人間と握手するのよ。私が認めたからには、それ相応の活躍をしてちょうだい。分かったわね?」

 普段は無愛想なパチュリーだったが、今はいくぶん態度も柔らかい気がした。

 卓郎はパチュリーと握手を交わす。とても柔らかい手だった。

 

「それじゃあ、おやすみ」

 軽く手を振って、パチュリーは食堂を去っていった。

 自分より遥かに強大な力を持つ魔法使いに、初めて認められた。非常に嬉しいことであると同時に、卓郎の中で大きな自信にも繋がった。

 再び一人になった卓郎は、引き続き片づけを始める。

 片づけが終わったら、自分用に残しておいた金平糖を食べようと心に決めた。

 金平糖は卓郎の大好物だ。お茶会の時は、お菓子をあげる立場の自分がそれを食べることに抵抗があったので、紅茶以外は全く口にしなかったのだ。

 

 ようやく全てのごみを集め終え、大きく背伸びをした時だった。

 食堂の扉が、今度はゆっくりとした動きで開かれた。

 中に入ってきたのは、アキとナツだった。

「良かった。まだいたんですね……」アキが、ほっとしたように言う。

「二人とも。どうしたんだ」

「実は、卓郎さんに謝ろうと思いまして」

 ナツはそう言った後、いきなり深く頭を下げてきた。

 

「本当にごめんなさい。わたし、これまで卓郎さんのことを馬鹿にしていました。でも、今日の話を聞いて、この人間は違うって初めて思うようになりました」

 ナツは視線を下げたまま続けた。

「わたし、もともと人間が嫌いでした。大嫌いでした。たいした力もないくせに、無駄な意地を張ることだけは得意な間抜けな種族。そんなことを考えてました」

「……よっぽど人間が嫌いだったんだな」

「はい。昔、人間に住処を壊されたことがありまして、そこから紅魔館の方にやってきたんですが――まあ、これは関係ない話ですね」

 矯正器をいじりながら、ナツは小さく笑う。

 

「そういうこともありまして、人間の命令を受けたくなかったんです。できるなら卓郎さんには館から出ていってもらい、ユキがリーダーに復帰してもらいたかったんです。そんな感じで、今まで卓郎さんが何を言ってこようと仕事をサボってきました」

 確かに、ナツがサボった回数はハルに次いで多かった。

 

 普段から無愛想な感じの妖精で、なかなかその真意が掴めなかったが、ようやく卓郎は初めて彼女の気持ちを知ることができた。

「でも、卓郎さんのさっきの話を聞いて、初めて気付きました。この人は本気で紅魔館を良くしようとしている。必死で私たちやお嬢様のことを考えている。そう思った瞬間、急にわたしのやっていることが馬鹿らしく思ってきちゃいまして……」

 

 ナツは今にも泣きそうな顔で言った。

「ごめんなさい。卓郎さんのことを馬鹿にして、ごめんなさい……」

 ナツに続いて、アキも頭を下げてきた。

「わたしも、さっきは変なことを言ってごめんなさい。わたし、お菓子ばっかりに目が眩んでて、周りのことをぜんぜん考えてませんでした。本当にごめんなさい」

 普段は呑気なアキも、今はしっかりとした口調で言った。

 

 卓郎はふうっと一息ついて、机に置いてある革袋を手に取った。

「お前たちの言いたいことはよく分かったよ」

 そして、自分用に残していた最後の金平糖をナツに渡した。

「仲直りの印だ。一袋分しかないから、二人で分けてくれ」

「でも、わたしたちは……」

「いいんだ。どうせ、余りものだし、僕もどうしようか迷ってたところだったから」

 卓郎は笑いながら続けた。

「それに僕、金平糖は苦手だし」

 金平糖を受け取ったナツは、卓郎をじっと見た後、再び深く頭を下げた。

 妖精たちが食堂を出た後、卓郎は困ったように頭を掻いた。

 もう彼女たちの前では金平糖は食べられないな、と思いながら。

 

 ※

 

 お菓子の制度が始まって、半月が経った。

 あの日以来、メイドたちの卓郎に対する態度が変わった。

 彼の出す指示にほとんど従うようになり、彼に対するいたずらも劇的に減った。卓郎自身、最も気になっていた仕事をサボるメイドもほとんどいなくなり、一日の仕事も順調にこなせるようになってきた。

 

 そして、レミリアとの約束から一ヶ月が経ったこの日。

 命令を受けて、卓郎はレミリアの部屋にやってきた。

 彼女は部屋の小さな丸テーブルで、紅茶を飲んでいた。

「来たわね。一ヶ月前の約束は覚えてるかしら」

「もちろんです」

「ふん。だいぶ自信のこもった口調ね」

 レミリアは椅子に腰掛けたまま、紅茶に錠剤を入れてく。

 

「今さらメイドたちに問うまでもないでしょ。あなたは約束通り、彼女たちを従えるようになった。明日から、正式にスカーレット家の使用人として認めるわ」

 待ちに待った瞬間が、ついにやってきた。

「はい。ありがとうございます」

 勢いよく頭を下げる卓郎に、レミリアは紅茶をかき混ぜながら言った。

「で、ここから本題なんだけど、給料とかはどうするつもりなの?」

 えっ、と卓郎は顔を上げた。

 

「正直、私もどうしようかと迷っているのよね。だって、人間を雇うなんて初めてのことだし、妖精メイドと同じような待遇にさせるわけにはいかないでしょ」

「妖精メイドの待遇は、具体的にどんな感じなんですか?」

「給料がない代わりに、自由と紅茶を与えているわ。当然、衣食住も保障してるわよ」

「きゅ、給料がないんですか?」

 それは初耳だった。この一ヶ月間、何となく抵抗があったため、待遇に関する質問をユキたちに全くしなかったのだ。

 

「その気になれば、妖精と同じ扱いにしてもよかったんだけどね。でも、この一ヶ月間のあなたの成果を考慮して、特別に私と交渉する権利を与えることにしたのよ」

「あ、ありがとうございます」

「で、給料とかはどうするつもりなの?」

「そうですね……」

 卓郎は腕を組んで考える。

 

 一体どうすればいいのだろうか。農家時代も家計は全て母親がやってきたので、お金の管理は未だに経験したことがないのだ。

 しかし、卓郎は考えた末、ついに良い方法が頭に浮かんだ。

「あの、お嬢様」

「なにかしら」

「前借りでお金を出すことはできませんか?」

 その問いに、レミリアは紅茶を持つ手を止める。

 

 以前、スカーレット家は莫大な財産を持っていることを聞いた。これなら交渉次第で、一気に多くのお金を出してもらえるのではないかと思ったからだ。

 卓郎が多くのお金を必要とした理由――。

 それは、農業時代にやり残したことを清算するためだった。

 

 ◆

 

 この日の仕事を終えた少女は、一人で家に帰ってきた。

 最近は夕方になると、だいぶ冷え込んでくるようになってきた。火鉢でゆっくり暖をとった後、少女はもうすぐ帰ってくる義理の父のために夕食の準備を始めた。

 父はまだ店におり、着物を作る作業を続けている。最近はようやく少女も手伝いを許してもらえるくらいには上達していたが、まだまだ一人前には程遠いところにいる。

 

 少女の父は、人里で着物屋を営んでいた。

 だが、ここ最近の売れ行きは非常に良くなかった。このままの状態が続けば、店を閉めることも考えの一つに入れざるを得ないくらい、店の状況は悪化していた。

 

 原因の一つとして、今年に発生した食料不足があると少女は考えていた。

 昨年と今年の夏は、比較的気温の低い日が続いた。その影響で作物がなかなか育たず、備蓄していた食料も減っていき、ついに食料不足の事態が起こってしまったのだ。

 この影響で食料の物価が上昇した。

 食べることで精一杯な状況に追い込まれた里の人間は、みんな着物類にお金をかけにくくなったのだろう。実際、近所の人たちの話に耳を傾けてみると、「最近、お金が無くてなかなか新しい服が買えないのよね」という話をちらほら聞いた。

 

 もちろん、だからといって指をくわえて見ているわけにはいかない。

 父もお客が来るように値下げなど様々な策を行ったが、状況はあまり良くなっていなかった。食料不足さえ改善されれば、おのずと店の売り上げも良くなっていくと思うが、まだまだ状況が好転していない以上、少女も気が気で仕方なかった。

 

 そんなことを考えながら、夕食を作っている矢先だった。

 どんどんどん、と家の扉が叩かれた。

 一瞬、父が帰ってきたのかと思ったが、すぐにそれを否定する。身内がわざわざ扉を叩いてくるはずがない。となると、こんな遅い時間なのに客が来たのか。

「どなた様ですか」

 扉に向けて少女は言い放ったが、一向に返事の気配がない。どうしたのかと思い、包丁をいったん置いて少女は玄関に向かう。

 

 扉を引いてみると、外には誰も人はいなかった。

 代わりに、家の前に風呂敷が置いてあった。

 周囲を見回しながら、とりあえず風呂敷の中身を確認しようと開いた直後、少女は思わず「ひゃあっ!」と声をあげてしまった。

 

 風呂敷の中には、大量の現金が入っていたのだ。

 ざっと見ても、お店一年分の売り上げはありそうだ。これだけまとめられたお金を見るのは、初めてのことだった。

 現金の上には一枚の紙が添えられており、手書きでこう書かれてあった。

『このお金をお店のために使ってください。あなたの家族の幸せを願う者より』

 何が何だか分からず、少女はお金と紙を何度も交互に眺める。

 

 そして、これは夢ではないことを確認した。

 一体、誰がこんなことをしたのか――。

 風呂敷を玄関に置いて、少女は家の近くを走り回って探してみたが、すでにお金を置いた人はどこかに去ってしまったようだ。

 放心状態のまま、少女は自宅に戻る。

 この現金を見た瞬間、きっと父は腰を抜かしてしまうだろう。

 そう思いながら、少女は風呂敷に入っていた紙の文章を読む。これだけのお金があれば、きっとお店も良くなるに違いない。

 ふと、ここで少女は首を傾げた。

 この文字の書き方は、どこか遠い昔に見たことのあるような気がしたからだ。

 

 ◆

 

 数分もしないうちに、ユキは空から戻ってきた。

 目的の家からだいぶ離れた場所で待っていた卓郎は、すぐに言った。

「大丈夫だったか」

「はい。上から確認しましたが、無事に受け取ったようです」

「そうか。それは良かった」

 安堵のため息を吐く卓郎に、護衛としてついてきた美鈴が言った。

 

「でも、これで良かったんですか。卓郎さんが行かなくて」

「いいんです。行方不明の扱いになっている僕が出てきたら、お金を渡すだけで済まされなかったでしょうし」

 卓郎たちが行ったのは、人里にある伯父の家だった。

 

 目的は、農家時代に溜めていた借金を返すためだった。

 すでに母親と兄が死亡しているので、人間の定めた決まりごとに従うなら卓郎にお金を返す義務が生じてしまう。もちろん、卓郎はすでに行方不明の扱いになっているので、その気になれば雲隠れもできたはずだ。しかし、それをしなかったのは、伯父に小さいながらも恩を感じていたからである。

 現金を手に入れた卓郎はユキと美鈴に護衛をお願いして、夕方の人里にやってきた。そしてユキに頼んで、その現金を伯父の家の前に置いてもらったのだ。

 

 この現金が、卓郎が館の使用人として受け取る全ての給料だった。

 レミリアと交わした契約は、お金はその借金を返す分だけでいいから、一気にまとめて出してほしいという内容だった。

 レミリアは最低でも二十年は絶対に館で働くことを条件にして、この約束を受け入れてくれた。つまり、卓郎はこれから二度とお金を受け取らずに、最低でも二十年は紅魔館で働き続けなくてはならないのだ。

 

 お金を受け取れないので、実質的に待遇は妖精と同じものである。

 だが、お金が無くとも、卓郎にとっては今の生活に大きな不満はなかった。

 衣食住は保障されているし、嗜好品の紅茶はいつでも飲める。時間が空いた時は、パチュリーの図書館を利用して勉強や読書もできる。仕事は非常に大変だが、基盤となる館の環境がしっかりしているので、現金が発生しなくても普通に生きていけるのだ。

 農家時代の貧しい生活を体験してきたからこそ分かる、「普通」のありがたみだった。

「それじゃあ、館に戻りましょうか」

 美鈴の言葉に卓郎は頷き、一緒に歩き始めた。

 

 

 


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