吸血鬼は紅い血を吐いた   作:個人宇宙

20 / 33
【17】

 

 

 今回の決勝戦も、予想通りの組み合わせとなった。

 巨大な四角形に描かれた線の中で、ハルとナツは向かい合っていた。特にナツは矯正器を外しての参戦だったので、その気合いの入れ様は半端ではなかった。

 四角形の線の外では、多くの妖精メイドたちがこれからの戦いを見守ろうとしている。小悪魔の合図で戦いが始まるが、すでに場の緊張はかなり高まっていた。

 

「いいわね、あの緊張感。たまらないわ」

 卓郎の横で、カップを持ちながらレミリアがつぶやく。

 レミリアと卓郎は、時計台から庭の状況を見下ろしていた。

 紅魔館は二階建ての建物だが、中央には三階の高さに相当する時計台が建てられており、そこから庭全体を見渡しているのだ。レミリアの横にはパチュリーもおり、彼女にしては珍しく本を持たずに庭に視線を落としていた。

 

 現在、紅魔館では一ヶ月に一度開かれる、『弾飛ばし大会』の真っ最中だった。

 ハルが最初に考案したこの催しごとは、今や刺激的なことを好む輩が多いこの館の中では、もはや欠かせない催しごとになっていた。

 小悪魔が腕を振り上げて、ついに決勝戦が始まった。

 

「いくわよ、ナツ!」

 先に仕掛けたのはハルだった。

 両腕を真っすぐに伸ばした直後、彼女の周囲に桃色の弾が一気に発生した。

 一瞬で弾を作り上げる速さと、その量は妖精メイドの中では他を圧倒している。

 ハルが声を張り上げたと同時に、その弾が一斉にナツに襲いかかってきた。ナツは多少の反撃をしながらも、桃色の弾を避けていく。

 ほとんどの弾はうまく避けられたが、いくつかの弾が命中してしまい、彼女の体は何度か後ろに吹き飛ばされてしまうが、枠の外側には出ていないので勝負は続く。

 

 人間の卓郎にとって、あの弾は一つの不思議な現象である。

 原理は分からないが、妖精という種族は何の道具もなしに『弾』を作ることができるらしい。例外はなく、能力を持っていないユキでさえ弾を作ることはできる。

 弾の原料は固体ではないせいか、当たっても痛くはない。以前、余興で卓郎はユキの作った弾に当たってみたが、本当に痛みは感じなかった。

 ただ、妖精の弾に当たると何故か後ろに吹き飛ばされるという奇妙な特徴を持っており、吹き飛ばされた卓郎は、そのまま後ろの壁に激突して、違った意味で痛い思いをしてしまった。

 

『弾飛ばし大会』も、この吹き飛ばされる原理を利用した戦いを行っている。

 内容は至極単純で、とにかく相手を枠の外に飛ばすのである。

 弾を使って、相手を先に外に吹き飛ばした方の勝ち。枠の中でなら何をしても自由であり、メイドたちはそれぞれの個性を出しながら戦っているのだ。

 

 ハルの場合は持ち前の力を使って、とにかく数で押しまくる戦術をしている。

 対するナツは不意打ちなどを駆使して、相手の裏をかく戦術を得意としている。

 序盤は、ハルが圧倒的物量でナツを押しているようだった。

「ほらほら、どうしたのナツ! 攻撃してきなさいよ」

 生き生きとした表情で、ハルは引っ切りなしに弾を繰り出してくる。

 

 だが、いくら体力に自信のあるハルとはいえ、常に大量の弾を出せるはずもなく、次第にその数を減らしていった。

 数分後、ついにハルは弾を出すことを止めた。

 その様子を見て、ナツが微笑む。

「あら。さっきまでの威勢の良さはどうしたのかしら」

「う、うるさいわね!」疲れたような声でハルは返す。

「それじゃあ、私もそろそろ反撃を始めましょうか」

 どうやら、ナツは先にハルの体力を削りにかかったようだ。そして狙い通り、ハルは序盤の攻勢でかなり体力を消耗してしまったようだ。

 

 今まで弾を避けることに重点を置いていたナツが、ついに反撃を開始した。

 先ほどよりも遥かに多い量の弾を、一気にハルに向けて発射していく。

 一転して、戦いの主導権がナツに変わった。ナツが繰り出す弾を、今度はハルがひたすら避けていく。時折、弾を受けて吹き飛ばされることがあったが、羽根を上手に使って勢いを殺し、枠から体が出ないように調節していた。

 

 ナツは大きく息を吐いた。

「意外としぶといわね……。避けるのうまくなったじゃない」

「ふん。あたしだって、いつも闇雲に戦ってるわけじゃないんだからね」

 両者、だいぶ体力も少なくなってきたようだ。いよいよ戦いも終盤である。

 ここでナツが腕を前に突きだした。

「これで決めるわ!」

 すると、ナツは周囲に一気に青い弾を発生させる。

 

 その量は、周囲の景色が見えなくなるほどの圧倒的なものだった。まさに『弾幕』と呼べる光景であり、ナツはこれで勝負を決めるつもりのようだ。

 ハルはわずかに顔をひきつらせながら、後方に弾を発射する。

「何をしても無駄よ!」

 彼女の声と共に、弾幕がハルに向けて一斉に移動する。

 

 まるで、大きな壁がハルに迫っているようだった。

 ハルは諦めたように空中で体を止めたまま、ナツの弾幕攻撃を受けた。ハルは桃色の髪を大きく揺らしながら、勢いよく後ろに吹き飛ばされる。

 勝負ありかな、と思った直後だった。

 ちょうど枠の手前で発生している、桃色の弾に卓郎の目が留まった。

 ナツが攻撃をする直前に、ハルが発生させた弾である。そして吹き飛ばされたハルの体が、ちょうどその弾の方に向かっていく。

 

 ――卓郎がその意図を理解した瞬間、ハルの体が桃色の弾に激突した。

 妖精が発生させる弾は例外なく、当たった者を吹き飛ばす特性を持っている。

 ハルの体は一気に前方に方向転換して、枠の中心へと吹き飛ばされていった。ただ、空中で勢いを止めることはできなかったようで、そのまま体から地面に激突してしまった。

 

 この光景には、卓郎だけでなく横のレミリアも目を見開いた。ハルは自分の作った弾にわざと当たることで、ナツの攻撃を乗り越えることに成功したのだ。

 渾身の弾幕攻撃を防がれ、さすがのナツも呆然とした様子で地面に着地した。

「む、無茶すぎるわ……。自分の作った弾に当たりにいくなんて」

「これしか防ぐ手段がなかったのよ。どうやら、うまくいったみたいね」

 ハルはメイド服に付いた土を払いながら、立ち上がる。

 

 満身創痍の体ではあるが、まだ戦う気力は残っているようだ。

 対するナツは先ほどの攻撃で、すっかり体力を使い果たしてしまったようで、そのまま観念するように地面に膝を折った。

「もう、弾を出せる気力もないわ……。枠からはまだ出てないけど、私の負けよ」

 周囲の妖精メイドから、大きな歓声があがった。

 

 ※

 

 今回の『弾飛ばし大会』は、ハルの優勝で幕が閉じた。

 前々回はハル、前回はナツの優勝だったので、今回は見事に返り咲いたことになる。

「ねえ、ねえ、あたしの活躍ちゃんと見てた?」

 卓郎が庭のところまでやってくると、早速ハルが駆けつけてきた。

 

 すでにほとんどのメイドは館に戻っており、庭には十人ほどのメイドがいるだけだった。

「ああ、見てたよ。おめでとう」

「へへん。前回、ナツに負けちゃった時はどうしようか思ったけど、これでまたあたしの強さが他のメイドたちにも伝わったみたいね」

「うん。ごり押しでやっていた頃のお前とは全然違ったと思うよ」

「これで改めて、あたしが紅魔館一の最強メイドになったというわけね!」

 ハルは機嫌が良さそうに、大きく口を開けて笑う。

 

『弾飛ばし大会』に優勝した場合、賞品として人里で売られている高級菓子が渡される。

 嬉しいことに費用は全てレミリアが負担してくれる。

 大会ができた当初は、ユキの手作りお菓子が賞品として渡されていたが、大会が盛り上がっていくにつれ、ついにレミリアが賞品の費用を出してくれるようになったのだ。

 

 また、この大会の良いところは、単にメイドたちを楽しませるだけでなく、メイドたち全体の戦闘力向上に繋がるという利点もあった。

 そもそも、紅魔館には吸血鬼のレミリアやフランに加えて、美鈴やパチュリーといった確かな実力を備えた者もいる。たいがいの敵は、彼女たちだけでも十分に対処できるが、いつまでも彼女たちに頼るわけにはいかない。

 万が一、館に不届き者がやってこようと、レミリアたちの手を煩わせることなく、メイドたちで対処できるほどの戦闘力が欲しかったのだ。卓郎自身は全く戦闘力を持っていないので論外だが、メイドたちを強くさせることなら可能である。

 

 実際、『弾飛ばし大会』が始まった直後から、メイドたちは暇な時間ができると積極的に庭に出て、戦いの練習をするようになった。特にハルとナツの成長ぶりは目覚ましく、気付いたら妖精メイドの中でも飛び抜けた戦闘力を持つようになっていた。

 下手したら、湖のチルノとも対等に渡り合える強さを持っているかもしれない。

 

 ハルと話しているうちに、周囲のメイドが二人のもとに集まってきた。

「ハルちゃん、決勝見たよー。すごかったわねー」と、アキ。

「まっ、あたしの実力にかかれば当然ね」

「その割には、だいぶ苦戦しているようだったけどねー」と、別の妖精メイド。

「そ、そうかもしれないけど、勝ったんだから別にいいじゃない! 今回は大接戦になったけど、次の大会は必ずあたしが圧勝してみせるわよ!」

「おい、みんな。聞いたか。ハルは次の大会、余裕で優勝するつもりらしいぞ。こう言われちゃ、お前たちも負けてられないな」

「ちょっと、余裕で優勝なんて一言も言ってないわよ!」

 ハルの突っ込みに、卓郎と妖精メイドたちは一緒に笑い合う。

 

 すっかり大人になってしまったが、メイドたちの卓郎に対する態度は八年前から全く変わっていなかった。八年も経つと何かしらの変化があるものだが、メイドたちは全くそれに当てはまらなかった。信頼されている証拠だと、彼の中では捉えている。

 しばらく、メイドたちと駄弁っていた矢先だった。

「楽しんでいる途中で悪いわね」

 突然、後ろから発せられた声に、メイドたちの表情が一斉に固まる。

 

 日傘をさしたレミリアが、卓郎たちのもとにやってきたのだ。

「お嬢様? どうかしましたか」卓郎が問う。

「卓郎。今日の夜、ちょっと出かけるわよ」

 思わず卓郎の顔に緊張が走る。夜にレミリアが出かける場合といったら、たいてい血生臭いことが発生するからだ。

 

 だが、その思考を見抜いたかのように、レミリアは首を横に振った。

「安心しなさい。別に血を吸いに行くわけじゃないわ」

 そして、日傘を持ち直してから続けた。

「今日の夜、あなたを『ある場所』に連れて行きたいのよ。夜の七時、門の前で待っていなさい。これは命令よ」

 

 ※

 

 夜、レミリアが約束した時間に、卓郎は門の前にやってきた。

 すると、門には美鈴、ユキ、ハル、アキの四人がいた。メイドの三人はティーセットや組み立て式のテーブルや椅子など、明らかにお茶を飲むための道具を持っていた。

 どうして、こんな時間にそんなものが必要なのか。

「分かりませんが、お嬢様から命令されましたので」

 卓郎の問いに対し、ユキは困惑した様子で答えた。ハルも同様なことを答えたので、おそらくレミリアにしかその意図は分からないのだろう。

 

 ほどなくして、そのレミリアも門に到着した。

「全員いるようね。それじゃ行くわよ」

「こんな夜遅くの時間に、どちらまで行かれるんですか」

「来れば分かる。今は黙ってついてきなさい」

 卓郎は美鈴に背負ってもらい、一行は夜の空を飛び出した。

 今日の天気はやや悪く、上空のほとんどは雲に覆われていた。月や星を観察するには、あまりよろしくない環境である。

 

「ここよ。みんなついてらっしゃい」

 しばらく飛んでいるうちに、レミリアはいきなり急降下を始めた。美鈴やユキたちも慌てた様子で、その後ろについていく。

 美鈴の背中から下の景色を眺めて、卓郎は首を傾げる。

 暗くてよく見えないが、どうやら川辺に降りようとしているらしい。周囲は木々に囲まれており、ちょうど川と森の境目にある平らな土地にレミリアは着地した。

 

 そこは自然と生物の音が聞こえる、とても静かな場所だった。水の流れる音と木々のざわめく音、昆虫の鳴き声などがやかましくない程度に混ざり合っている。

 レミリアは地面を叩き、この場所がぬかるんでないことを確認した。

「うん。ここなら良さそうね。早速、準備を始めましょ」

 レミリアの命令を受けて、メイドたちはテーブルと椅子の組み立てを始めた。さすがに準備を始めるには周りが暗すぎたので、用意してきた発光草を点灯させた。卓郎も手持ち無沙汰だったので、ついでに手伝うことにした。

 

 ものの数分で、二人分のくつろげる空間が完成した。

「お疲れ様。それじゃあ、卓郎以外の者は二時間後にここにやってくるのよ」

 メイドたちと美鈴がその場を去り、卓郎はレミリアと二人きりになった。

 こうして外で彼女と二人きりになるのは、初めてのことだった。

「さあ、座りなさい」

 彼女の意図が分からないまま、卓郎は椅子に腰掛ける。川からやや遠い距離にテーブルを設置したのは、おそらく吸血鬼の苦手な流れる水があるからだろう。

 

 では、どうしてわざわざ苦手な場所にやってきたのか。

 小さな丸テーブルには紅茶をお菓子、ワインが用意されてあった。紅茶とワインは相性が悪すぎるのではないかと思ったが、先にレミリアはワインの方を開けた。

「一体、どういうつもりですか。こんな所で飲むんですか」

「そんなに警戒しなくてもいいわよ。じきに分かるわ」

 レミリアの命令を受けて、卓郎はワインを二つのグラスに注いだ。血のように紅いワインである。卓郎はワインに限らず、酒類は苦手な方であった。

 

「明かりを消してちょうだい」

「あっ……はい」

 発光草の明かりを消すと、辺りは一瞬にして暗闇に包まれた。

「静かにしてなさい。もうすぐここに来客がやってくるわよ」

 小声でささやくレミリアの言葉を受けて、卓郎は無言で川の方を眺める。

 変化が起こったのは、それから数分後のことだった。

 

 川辺の草むらから、小さな発行体が出てきたのだ。

 それを見て、ようやく卓郎はレミリアの意図に気付いた。さらに待っていると、小さな発行体は徐々に数を増やしていき、ついに川辺を覆うほどまでになった。

 蛍の大群だった。

 まるで、空に浮かぶ銀河が地上に降り立ったような光景だった。

「そうでした。今はちょうど蛍の季節でしたね」納得したように卓郎は頷く。

「卓郎。グラスを持ちなさい」

 蛍の光でおぼろげに映るレミリアは、グラスを持ちながら小さく口を開いた。

 

「誕生日、おめでとう。これは私のささやかな贈り物よ」

 

 かちん、とグラスの重なる音が響いた。

 ――明後日は、卓郎の二十三歳の誕生日だった。

 幻想的な光景を眺めながら、彼はワインを口に含む。ぶどうの風味を舌と鼻で味わってから、卓郎は小さく息を吐いた。

 

 いつもは苦手なワインが、今はとてもうまく感じられた。

「ありがとうございます。まさか、こんな贈り物をいただけるとは……」

「ありがたく思いなさい。この私がここまで準備をして、あなたに対して贈り物をしたんだからね。その事実だけでも生涯の自慢になるわよ」

「はい。非常に光栄です」

 ワインの後味を堪能しながら、蛍の飛び交う景色を眺める。

 

 この八年間、卓郎はレミリアから誕生日の贈り物を受け取ったことがなかった。

 毎年、メイドたちから盛大に祝福されるので、特に意識したことはなかったが、まさかこのような形で主人から贈られるとは夢にも思わなかった。

「でも、どうして今日にしたんですか? 僕の誕生日は明後日ですのに」

「あまり晴れすぎると、星と月が邪魔しちゃうからよ。外が明るすぎると蛍の光もその分、見えにくくなっちゃうからね」

「なるほど。だから、曇りの日を選んだというわけですね」

 蛍の大群は鮮やかな光を放ちながら、それぞれ川辺をさまよっている。一瞬、絵が描きたい衝動に駆られるが、何とかそれを抑える。

 

「あれから、もう八年が経つのね」

 ふと、レミリアがしみじみとした口調で呟いた。

「あなたが紅魔館で働き始めてから。ついこの間まで、妖精メイドと同じくらいの身長までしかなかった男が、もう門番と同じくらいまで成長しているんだからね」

「この八年間、本当にあっという間だったと思います」

「ふん。二十年そこらしか生きてない奴に、そんなこと言われたくないわね」

「ああ……。お嬢様はもうすぐで五百歳を迎えるんでしたね」

「これでも、あなたの二十倍近くは生きてきたのよ。時間の過ぎていく感覚は、圧倒的に私の方が早いわよ」

 卓郎は苦笑いをする。

 幼い見た目が災いして、つい五百年近く生きているということを忘れてしまうのだ。

 

 レミリアは、グラスを小さく振り回しながら言った。

「ねえ、あの時のことを覚えているかしら」

「なんですか」

「あなたが初めて、私に『ここで働かせてください』と土下座してきた時のことよ。あの時、生意気にもあなたは私のことを睨みつけてきたじゃない」

「ああ、それは今でも覚えています」

「フランを除けば、他人に正面から睨みつけられるのは何百年ぶりだったわ。その時のあなたの顔、今でもよく覚えているわよ」

 レミリアに首を絞められながらも、視線だけは彼女の目から離さなかった時のことだ。今、振り返ると、あの時の自分はかなり無茶なことをやっていたと思う。

 

「今だから言えるけど、あの時は正直、あなたのような人間はすぐに出ていくと思っていたわ。妖精メイドがうまく機能してなかった時期だったし、それなら適当に使用人の地位に放り投げとけば、勝手に潰れて出ていくだろうとね」

「まあ、なかなかうまくいかなくて潰れかけたのは確かですね……」

「でも、あなたは私の予想を遥かに超える成果を出してくれた」

 レミリアは、ぱっちりとした目を卓郎に合わせてくる。

 

「出ていくどころか、逆に紅魔館の環境を良くしてくれたわ。見かけはあまり変わってないけど、あなたが来てから確実に館の中身は良い方向に変わったと思うわ」

「いえいえ。がむしゃらに働いたら、結果的にうまくいっただけですって」

「普通の人間が多くの妖精を束ねている時点で、かなりすごいことだと思うけどね。きっと、あなたには見えない能力が備わっているんでしょうね」

「勘弁してください。能力という言葉で括られるのは、あまり好きではないんです」

「そう? じゃあ、才能という言葉で括っておこうかしら」

「それも勘弁してください……」

 困ったように返す卓郎に、レミリアは機嫌が良さそうにワインを飲む。

 

 そろそろワインも飽きてきたので、半分ほど残して栓をすることにした。まだ約束の時間までかなりあるので、卓郎は二人分の紅茶を用意して、再び椅子に腰掛けた。

「ねえ、卓郎」

「はい」

「最低でも二十年は紅魔館にいなければいけない約束、覚えているかしら」

 突然の問いに驚いたが、その約束に関してはすぐに思い出せた。

 

「ええ、もちろんです。僕が正式に館の使用人になった時のことですね」

「実を言うとね。その約束をして、少し後悔しているのよ」

「どういうことですか?」

「だって、あと十二年しかあなたを所有できないことになるじゃない」

 卓郎の体が固まる。

 レミリアは目を細めて、紅茶の入ったカップに錠剤を入れた。

 

「残念だわ。あなたのような優秀な人間が、あと十二年もしたら紅魔館からいなくなっちゃうなんて。もし、あなたがいなくなったら、きっと部下の妖精メイドたちも悲しむでしょうね。もちろん、門番やパチェ、私だって悲しむだろうね」

「お嬢様。何が言いたいんでしょうか」

 するとレミリアは立ち上がり、卓郎のすぐ目の前までやってきた。背景の蛍の柔らかな光に対し、彼女の瞳は不気味に紅く光っているように見えた。

 

「卓郎。私のために死ぬことはできないかしら?」

 そう言って、彼女はそっと卓郎の唇に指を置いた。

 この瞬間、レミリアから同じような質問を八年前に受けたことを思い出した。卓郎を雇ってくれることを許可してくれた直後のことである。

 

「あなたはすでに紅魔館になくてはならない存在よ。そのような存在を簡単に手放してしまうほど、私はお人よしの主人ではないわ」

 唇から手を離して、レミリアは断言した。

「命令よ。あなたは生涯、この館で働き続けることを誓いなさい」

 あまりのことに、卓郎は返す言葉が見つからなかった。

 

 生涯、紅魔館で働き続ける――。

 つまり、自分はレミリアのために一生を捧げることになるのだ。

 レミリアはふっ、と笑って再び椅子に腰掛けた。

「いきなりのことだから動揺するのも仕方ないわね。その意思確認は、また後日にしましょう。まあ、あなたのことだから誓ってくれると信じているけどね」

 紅茶を口に含んでから、レミリアは続けた。

「念のため言っておくけど、これは命令だからね。もし、その誓いが立てられなかったら、それは私の命令に背くという意味になるからね。私の命令に背くということは何なのか、聡明なあなたならすぐに分かるんじゃないかしら」

 ――つまり、紅魔館を出ていくことを意味する。

 

 レミリアは川辺の方に体を向けた。

「さて、おしゃべりはこれくらいにして、もうしばらく蛍の風景を堪能しましょ。この景色をじーっと眺めていたら、嫌なことだってすぐに忘れられるわよ」

「はい」と頷いて、卓郎も川辺の蛍を見ることにした。

 

 だが、先ほどまでの感動はほとんど無くなっていた。

 今、彼の中で駆け巡っているのは、自分は死ぬまで紅魔館で働き続けなければいけないのかという戸惑いだった。

 仕事自体は概ね順調で大きな不満はないのだが、いざ一生に関わる問題になると、自分はそれでもいいのかという思いが湧きあがってくるのだ。

 気持ちとは裏腹に、蛍の大群は煩わしいくらい鮮やかに輝き続けていた。

 

 


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。