やめてっ、蹴らないでっ、次回出すから、きっと出すからあ!
冬木市の郊外に広がる広大な森―――森中に張り巡らされた重層の結界と幻惑によって市民の目から隠蔽されたその地に、アインツベルンの城はあった。
以前の戦いで使われてから六〇年ものの間放置されていた筈だったが、それにも関わらず老朽化した様子は一切見受けられない。事前に出入りし準備を整えたメイド達の腕前には計り知れないものがあった。
既に夜も明け、朝の陽射しに照らされる城内に―――血を滴らせながら、黒髪の男が訪れる。
倉庫街での戦いが収束し合流した舞弥に支えられる形で移動していた彼は、門を開いた直後に慌ただしい足音を耳にした。
「―――切嗣!?」
「マスター……!」
己の掌握する結界で彼の帰還を察知したアイリスフィール達が駆け寄る中、切嗣は己のサーヴァントに視線を向け―――微かに目元を歪めた後に、アイリスフィールに声をかける。
「アイリ、治癒をお願いできるかな……。 応急処置はして貰ったけれど、もう全身がボロボロでね」
「えぇ、勿論……! 最寄りの部屋で処置を行うわ。私が案内するから、無理をしないようにして―――」
「アイリスフィール、私も……!」
冗談めかしたような言い方だったが、負った傷がそう軽くはないことは傍から見ずとも明らかだった。血と硝煙の臭いに色を失いながらも舞弥に替わって夫を支えるアイリスフィールに己も手を貸そうとしたセイバーだったが、振り向いた彼女の目に動きを止める。
―――ごめんなさい、セイバー。
「……!」
唇だけを動かしてそう告げた彼女に目を見開いたセイバーは、やがて僅かに首肯する。切嗣が重傷を負って帰還した今、治癒魔術の心得を持っている訳でもない自分がいては施術の邪魔になりかねないとの判断からだった。
足を止めた彼女に申し訳なく思いながら目を伏せたアイリスフィールは、手入れの行き届いた一室に足を踏み入れた切嗣を寝台の上に座らせる。
焼け焦げたコートや血に染まった衣服を脱ぎ捨てた夫の姿に、整った顔立ちを歪めた。
「……っ」
酷い有様だった。
各所に見受けられる火傷は勿論のこと、固有時制御の反動は至る所で血管を断裂させ、内出血を起こした身体は至る所が痛々しい傷跡を残していた。あらぬところに向いた右腕は特に酷く、まるで大型車両にでも押し潰されたかのような様相を醸し出すそれは最早原型を留めているのが不思議な位であった。
「アイリ」
「……えぇ」
ここまでの損傷にもなると、並みの治癒魔術では全快させるのは不可能に近いだろう。そもそもアインツベルンの魔術による治癒は、大本が錬金術であるだけに被術者の負担が非常に大きい。魔力によって練成した新たな組織を移植し馴染ませるという手段は臓器移植も同然の大手術にも等しく、これ程の重傷を負った切嗣に対して使うにはあまりにも場違いであるからだ。
だが―――二人には、『切り札』があった。
「―――」
祈るように瞑目し胸元に手を当てた彼女から溢れるのは、現代の魔術師では考えられない規模の黄金の魔力。金色の輝きを伴って現れたのは、金と蒼に彩られた鞘―――アインツベルンによってコーンウォールから発掘された、現存する宝具。
セイバーのサーヴァントとして騎士王を召喚するにあたって聖遺物として用意された聖剣の鞘を手に取ったアイリスフィールが腕を伸ばすと、切嗣の胸部に宛がわれたそれが光粒を散らしつつ埋め込まれていった。
「……」
本来の持ち主であるセイバーからの魔力が供給されることで、アーサー王の伝承において持ち主に不老不死の恩恵を与えるとされた鞘は速やかにその力を発揮する。
そこで、先程から気になっていたことを問いかける。
「―――切嗣、あの戦いからかなり遅くなったようだけれど……一体、どうしてこんなに時間がかかったの?」
ひとまず安全圏へと撤退した後、彼女の持っていた携帯にかかってきた連絡を聞く限り―――近代技術の扱いに不慣れであったアイリスフィールをセイバーが四苦八苦しながら補助する場面もあったが―――彼が襲撃者によって重傷を負わされたのは、倉庫街での戦いの最中であった筈だ。
それからすぐにアインツベルンの城へ向かったのであれば、どう見積もっても夜が明けるまでにはここに到着する筈であったのだが―――、
肩で息をする切嗣にしか聞こえないような小さい声で問いかけると、間を置くことなく返事が返ってきた。
ただしそれは、彼女の予想していた範疇を超えたものだったが。
「……ランサーのマスターが拠点とする建物へ、襲撃に向かった」
「え……!?」
聞けばランサーのマスター、ロード・エルメロイの宿泊する場所を掴んだ彼等は即座に行動へ移り、乱戦の消耗を押してランサー陣営が拠点とする建物の破壊工作へ赴いたという。
「流石に、僕が直接動くことはできなかったけれどね……実際の行動は舞弥にやってもらったよ。ロード・エルメロイの宿泊するホテルは彼女も何度か利用していたらしかったしね」
今は扉の前で待機しているだろう舞弥を引き合いに出す切嗣は苦笑を浮かべ、腕を曲げ伸ばししては調子を確かめる。
彼の言葉に思わず絶句していたアイリスフィールだったが、そこで気付いた。
ランサーの魔槍によって傷付けられたセイバーの腕は、未だに癒えていないという事実に。
「でも、切嗣。ランサーは、まだ―――」
「……あぁ、彼等は、未だ健在だ」
「―――切、嗣?」
アイリスフィールは、悟る。
冷静な思考を維持する為、彼女達をできる限り安心させる為、自分の夫がこれまで保ち続けていた
決して寒い訳でもないのに己の肩をかき抱いて全身を震えさせる切嗣の顔は、かつてないような焦燥に彩られていた。
―――失敗した。
―――最悪の予想が、当たってしまった。
「ぇ―――?」
その発言の意味を推し量ることもできぬまま困惑するアイリスフィールの目の前で―――、
「言峰、綺礼に……僕達の動きが、完全に把握されている」
「―――切嗣。こちらの準備は終わりました」
『……分かった。タイミングはそちらに任せる』
―――その、数刻前。
離れた場所で潜伏しているだろう切嗣と携帯電話で連絡を取る舞弥は、眼前にそびえ立つ建物に目を留める。
時刻は十一時に近付こうとしているか。住宅街の方は静寂に包まれている頃合いなのだろうが、開発が今も進むここ新都では、時刻が日を跨ぐ頃になっても人工的な光源が絶える事はない。
ランサーのマスター、ロード・エルメロイが陣取る拠点を突き止めた舞弥は、彼等の宿泊する冬木ハイアットホテルの敷地内にある屋外駐車場で佇んでいた。
「―――」
深夜の街を行き交う人々の喧噪に暫し身を委ねながらも、切れ長の瞳をさらに細める彼女は速やかに、かつ冷徹に己が役目を全うする。短く息をつき、携帯電話に一連の番号を打ち込んだ。
冬木市に既存の建物で、魔術師が根城に選びそうなものは全て切嗣の破壊対象としてリストアップされている。この冬木ハイアットもその一つ、予め建設図面は取り寄せてあったし爆物設置のポイントも見定めておいた。準備は簡単。実作業には小一時間もかからなかった。
呼び出されるのは、架空名義で登録されたポケットベル―――しかしそれは、振動も呼び出し音も発しはしない。着信は改造された回路を通して、C4プラスチック爆弾に接続された起爆信管に送られる。
ケイネス達が居るハイアットホテル三二階は爆破解体の連鎖的破壊によって支えを失い、最終的には地上一五〇メートルの高みから自由落下して地面に叩き付けられる。どんな魔術結界で防備を固めていたとしても、そのような破滅的な状況から室内の人間を保護する術はない。
その筈だった。
なのに。
どうして、爆発が起こらない―――?
「―――っ」
あらん限りに目を見開いた彼女は、直後にその背を翻す。
(一体何が、何があった―――?)
携帯電話からの発信に異常はない、であれば本命―――ホテルに設置された爆物の方に異常があったと考えるのが妥当か。
『舞弥、この作戦には邪魔が入る可能性がある―――くれぐれも、気を付けてくれ』
となれば作戦の実行前予想されていた通り、何者かによって妨害を受けたのだろうが―――、
しかしどこまでも典型的な魔術師であるロード・エルメロイが科学に精通している可能性は皆無、ディルムッドの伝承に近代技術に対して影響を及ぼすようなものはない以上彼等には爆弾の解除は不可能。
聖堂教会の人員がこの動きを察知していた場合は確かに自分達を妨害しにかかる可能性が高いが、仮に彼等が舞弥を追跡していたとしたら確実に気付けた筈、プラスチック爆弾の設置場所の隠蔽にも最大限の注意を払った以上僅かな時間でその全てに対処できるとは到底考えられない。
であれば。
同じ英霊すらも欺く『
だがこの行動についてはセイバーはおろか、アイリスフィールにすらも伝えていない。たとえ
『……これが失敗すれば、僕の予想が的中したということになる―――。アサシンの尾行に、気を付けろ』
(―――まさか)
切嗣が強引にでもこの作戦を強行したのも、奴がどの程度こちらを把握しているかを確かめる為、なのか。
であればあの代行者は……どうやって、我々の動きを―――?
この作戦を行動に移す直前に切嗣の言っていたことを思い出しながらも、焦りを自覚する彼女はあくまで冷静であらんと心がける。人ごみの中に紛れる形で、舞弥はその姿を消した。
「―――しっかし。現代の技術には侮れんものがあるねぇ」
そして。
新都の雑踏から離れた路地裏、静寂に包まれた暗闇に―――声が、響く。
高く昇った月が雲に隠れ、周囲もまた暗く染まる中浮かび上がったのは、白い白い髑髏の面であった。
中肉中背、短い髪を逆立てたアサシンの発した感嘆の言葉。どこか軽薄なものを感じさせる声音に、何もないように思われた虚空から応答が返る。
「―――然り。まさかこのような小道具であれ程の建築物を倒壊させようとは、我々と同じ時代を生きた者達は誰も思わなんだ」
「弓兵の兄貴にも感謝だよなあ。俺等の中にもこういった破壊工作に特化した奴はいるけどよ、とてもじゃあないが聖杯から与えられた知識だけじゃあここまで対応し切れんかった」
この戦いに向け、数週間程前から
「おっ……他の面子も来たか」
「うむ、無事爆物を処理したようじゃな」
ゴト、ガタ、ゴトゴトと、金属を落とす音が―――尤も、常人ではそうそう聞き取れないような微弱なものだったが―――周囲の至る所から響き渡る。信管を抜かれたC4プラスチック爆弾の数々を詰め込まれた袋が、次々と地面に下ろされる音であった。
「後はセイバーのマスターと、その助手の女を捕えられれば上々なんだが……まあ、無理がある」
「うむ、向こうは必要とあらば部外者である民を巻き込むことすら辞さんからのぅ。集団に紛れる形で逃走されてしまえば、住民は勿論他の魔術師共からも身を隠さねばならぬ我々では少々厳しい」
「まあ、アルナさえいりゃあ、まだやりようがあったんだが……」
「……キャスターの主に焼かれたらしいな。残念なことではあったが、居ないものは仕方がなかろうよ」
『あ、戻ったか。どうだ―――いや、無理だったか。まあ仕方ないわね、「向こう」に人員も回されている以上やれる手は限られてくる訳だし……』
『……』
『まあマスターの方もそう拘泥する必要はないとか言っていたから良いんじゃないの? さて、そろそろ教会に報告行かないと―――』
『……っ』
『ん、どした?』
『―――あの女、結構あった……何だってあんな、セイバーの偽マスターといいランサーの魔力供給者といいキャスターといいよぉ、どいつもこいつも何であんなあるんだよ、駄肉共め! 無駄だろ、絶対あんな脂肪無駄だろ!』
『……うわー、持たざる者のひがみって怖いわー』
『あぁん!? おま、何揺らして……! 当てつけかアンタ! つかセイバーよりかはあるし、あるんだからな!!』
『必死ねぇ。つぅか率直に言って団栗の背比べ―――』
『OK、死ねぇぇえええええええええええええええええええええええ!!』
「……何やってんだかね」
暗闇から聞こえた喧噪―――声を潜めながら怒鳴るという想定外の絶技に声を失っていたアサシンの一人は、やれやれと息を吐くと立ち上がった。
足元の袋を拾って、仮面の奥に隠れた無貌の唇を歪ませる。
「さぁて、『証拠』はある訳だし……とっとと教会に行ってきますかね」
数秒後、何も知らぬ一般人―――遊び歩く不良めいた青年達がその場に足を踏み入れる。
彼等が見たのは誰もいない、いつもと何も変わらぬ路地裏であった。
―――さて、正義の味方。多くの
何、いつもお前がしてきたことだ。慣れっこだろう?