―――キンッ、と。
目の前の男の執る黒鍵が振り鳴らされ、暗闇の中で半霊体の刀身を煌めかせる。
周囲にはただただ延々と広がる闇、どこまでも続く漆黒の世界。この世界でただ一人黒衣の長身と対峙する青年が緊張に息を呑む中、何の前触れもなく男が飛び出した。
攻撃。
振るうはキャスターによって作成された短剣、輝きを放つ刃先によって描かれたルーンは間を置くことなくその力を発揮する。回避も許すことなく広範囲を焼き尽くす紅蓮の業火が、災害の如く全てを呑み込む濁流が、城壁をも切り崩しかねない規模で顕現する幾筋ものの風刃が。
神代の聖遺物を加工して創られた礼装によって巻き起こされる災厄の数々はその全てが英霊をも屠り得る領域の魔術行使。生身の人間が直撃すれば死骸すらも残すことなく消し飛ばされるような代物であったが―――相対する男はその全てをすり抜けるようにして踏破、直後に繰り出された回し蹴りは目標を違えることなく死徒に突き刺さり、薙ぎ払う。
回避。
ルーンによる身体能力の上昇、一時的に
後方へ跳躍し距離を取った直後神父の腕がかき消え、
防御。
鋼の剛拳は保護に特化した
いつの間にか構え直されていた拳が突き出され、遠慮容赦なく無防備な顔面を捉えて打ちのめした。それに気付くまでの僅かな空白に付け入られ打ち込まれる数多の拳蹴、肉を潰し骨を砕く音が相次ぐ。
特攻。
蘇生能力を頼りにした正面からの突貫。いざとなれば魔力の暴走に巻き込まんと最短最速で突っ込む中、死徒の突撃を前に神父は何事かを呟くと―――殴打殴打殴打殴打殴打殴打殴打殴打殴打殴打殴打殴打殴打殴打殴打殴打殴打殴打殴打殴打殴打殴打殴打殴打殴打殴打殴打殴打。
血溜まりの中に崩れ落ちる青年を見下し、引き裂いたように嗤う神父は瀕死の死徒に止めを刺すべくその足を振り下ろし――――――――――――――、
「…………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………夢、か」
真っ青になって目を覚ましたオーウェン・トワイライトは、やがて安堵したように息を吐いた。
倉庫街での戦いが終わってから―――ざっと、三時間程度か。彼が寝転がっていたのは、拠点として利用している双子館の広間に備え付けられた本革のソファだった。本来は上の階にある寝室で過ごしていたのだが、瀕死同然の状態で戻りキャスターやバーサーカーと最低限の情報交換を終えた後はソファに倒れると階段を上るのも鬱陶しいままに眠りについていた。
蘇生のルーンによって体の傷は完全に消えたものの、あの戦いの傷跡は深々と心に刻まれたらしい。現実でも散々味わわされた代行者の恐ろしさに肩を震わせる中、上体をゆっくりと起こす。
(まさかたった一人の男……仮にも人間に、六回殺されるとは思わなかったな。ストックは後二回、さて本当にどうしようか)
恐らくはバーサーカーの掛けてくれたものだろう毛布を剥ぎ取った青年は、屋敷に満ちる仄かな香りに気付く。厨房の方から漂うどこか香ばしいそれは、ひどく食欲をそそられるものだった。
「……」
バーサーカー……はないか。となると自身と契約を結んだ女帝によるものなのだろうが……まさか、皇帝特権が調理にまで作用するとはとてもとても―――、
「―――思えなかったんだけどなぁ」
食卓で美味しそうにカルボナーラをぱくついている金髪の少女と、その向かいに座っては心なしかがっつくようににして料理を口に運ぶ騎士に思わず唖然としたような呟きを漏らしてしまった自分は、決して悪くないだろう。
「む? おぉ、奏者か! 戦で腹を空かせたのでな。厨房を借りたぞ!」
「あぁ、うん。それは良いんだけどさ……。よくそれを作れたね。少なくとも一世紀には存在しなかった料理だったと思うけど」
―――加えて言えば、かつて皇帝として君臨した人物が料理についての心得を有しているとはまず考えられなかったのだが。それについての疑問も、誇らしげに胸を張った彼女によって解決された。
「うむ、皇帝特権だ!」
「……うん。何となく分かってた」
そういえば事前に行った話し合いにおいても、生前では一切の関係がなかった筈の魔術行使すらも理論を無視して行使していたような気もしないではない。もう彼女に出来ないことを挙げさせた方が早いのかも知れなかった。
「流石は
「いえ。最初は彼女も、貴方を起こそうとしていたのですが……」
「先程帰ってきた時もひどく疲れていたようだったからな。何、マスターに気を遣うのも、余のサーヴァントとしての務めよ」
「……そうか。ありがとう」
寧ろ、起こしておいてくれた方が割と本気でありがたかったのだが―――、悪夢の内容を思い出しては殴られた辺りを疼かせるオーウェンは、辟易したように息を吐く。
「それにしても顔色が悪いですね……。如何なされましたか?」
「……ちょっと、いやかなり酷い夢を見てね。いやほんと、暫くは夢見が悪くなりそうだなぁ」
「真っ青だぞ、奏者。これでも食べて英気を養うが良い」
「そうさせて貰うよ、割と本気で美味しそうだし――――――づぅっっ!!??」
己を気遣う二人の言葉に苦笑を浮かべては席に着こうとした直後、全身を襲った途方もない激痛に体をくの字に折る。
「!?」
「奏者!?」
「っ……」
間を置くことなく叩き込まれた幾度ものフィードバック、焼かれるような苦痛に膝をつく。動揺も露わに駆け寄るサーヴァントを手で制し、口を覆った手からぼたぼたと紅い液体が零れ落ちる中―――あらん限りまで見開かれた彼の目は、驚愕に染まっていた。
「嘘、だろ」
「
特殊霊地、冬木。
人類史に名を残した七もの英霊の召喚などというどこまでも壮大な『前準備』を経て、ありとあらゆる願いを叶える願望器、聖杯を降霊・顕現させる―――。そんな馬鹿げた大儀式を執り行うことができるという時点で、その地の特異性は言うまでもないだろう。
霊脈に蓄えられた莫大な神秘が何らかの要因によって悪用・暴走してしまえば周辺に多大なる被害を与えることは確実―――だからこそ魔術協会は遠坂の一族にセカンドオーナーとしての権限を与え、地脈を適切に管理・運営させているのだから。
そんな冬木に存在する、聖杯戦争において特に重要視される聖杯降霊の地が一つ―――柳洞寺。
建物の裏手に存在する霊園の片隅にかがみこむアーチャーは、敷石に刻み込まれた刻印に目を細めた。
そもオーウェン・トワイライトは、ルーンの隠蔽には最大限の注意を払っていた。それこそ、時臣による召喚が行われてからこの時まで、解析能力に秀でていたアーチャーが感知できなかった程に。
そしてだからこそ、彼等は考えなければならなかった―――オーウェンによって巧妙に隠されていた筈のルーンが突如盤面に現れたのは、一体何故かを。
(―――考えてみれば、倉庫街周辺に刻まれたもの以外のルーンを活性化させたということ自体には何のメリットも存在しない)
そう。
何しろ綺礼と争った死徒が操るのは神代の聖遺物を媒介した宝具級のルーン魔術だ。幾ら蘇生などという奇跡を行使しなければならないような事態に陥ったとしても、操る神秘の強大さを考えれば街中に刻んだ万単位のルーンを利用する必要などはない。それこそ倉庫街で発見された数百のルーンを利用するだけで十分事足りただろう。
(つまり―――街中で活性化したルーンは、魔術師達に対してのフェイクだったと言う訳だ。この地をはじめとした強大な霊脈から注目を逸らし、そこで密かに構築されていた工房を隠匿する為の)
固有時制御を駆使する代行者との戦闘において倉庫街に刻んだルーンによるバックアップを要したオーウェンはその周辺のルーンを活性化、隠蔽術式に綻びを生じさせてしまった。
何しろ一流の魔術師やサーヴァントの目すらも欺く程の隠蔽能力だ、それを見てしまえば多くの魔術師が勘付く―――聖杯降霊の要所となる地を、誰にも悟られることなく工房に変容させている可能性に。
だからこそ彼は、街中に刻んでいたルーンを利用することを思いついたのだろう。幾つかの地脈すらも掌握していた無数のルーンを活性化させて各陣営の視線を集め、対処させることで彼等の目を柳洞寺から逸らすことを。
(冬木中にルーンを刻み込んでいるのであれば、柳洞寺にも手を伸ばしている可能性が高いと踏んだが……主要な霊地だけは巧妙に隠されているときた。やはり推測は間違っていなかったようだな)
「―――アーチャー」
その時だった。
彼の背後で虚空が揺らめき、一切の気配を感じさせぬままに髑髏の暗殺者が現れる。
振り向いたアーチャーの無言の問いかけに、霊体化を解いたアサシンは低い声で応じた。
「建物の内部で、ノウル達がルーンを発見した。間もなく、お前の用意した宝具で対処を行う」
「そうか―――向こうの方は?」
「結界を潜り抜け何事もなく侵入したらしい。今頃は発見された工房でルーンを洗い出している頃だろうよ」
「了解した」
ここ以外にも、主要な霊地はその全てにアサシン達が侵入し、各々の役割を全うしていることだろう。この上なく順調に進みつつある状況に静かな笑みを浮かべ、アーチャーは一振りの短剣を投影する。
確かな神秘を内包したそれは紛れもなく英霊の所有する宝具―――しかしその形状は剣としては異常といえる様相を醸し出しており、剣身はまるで稲妻のようになっていた。
「―――それでは、こちらも始めるとしようか」
―――ゆらり、と。
風景が蜃気楼のように揺らめく中、音もなく姿を現したのはローブを身に纏う二メートル近くの長身を持った仮面の男であった。
長く細い指に歪な短剣を握る彼は、闇の奥で同胞の気配を感じ取る。
一拍を置いてその場に現れたのは、彼と同じく髑髏の面で顔を覆った小太りの少年。彼の手の中でもまた、長身のアサシンが渡されたものと同じ宝具がその切っ先を輝かせていた。
「ようやく来たか。結界を抜けるのに随分と手間取ったみたいだな?」
「……僕の性質が現場に向いていないことは知っているだろう、ノウル。全く、幾ら爆弾解体や円蔵山の方に人員が裂かれているとは言え、まさか僕みたいなデスクワーク派まで駆り出されるなんてね……あぁくそ、面倒臭い。早く終わらせて戻ろう」
「……それについては異論ないんだがね。つーかオスラさぁ、最近、時間の空きを見つけては妙な所に入り浸ってるだろ。何だっけ、漫画喫茶?」
「何でそれを知ってるし……」
「……」
うんざりしたような声を漏らすオスラ、その仮面から除く眼が若干濁っているように見えたのは決して気のせいではないだろう。
ここだけの話、彼のように現代社会に色々と染まってきているような者は
―――もしかしなくても、あれってかなり不味いよなぁ。嫌だよ、
寧ろ下手をすればアーチャーに殺されそうな気がする。嫌な予感に背筋を震わせながらも、咳払いをして意識を切り替えた彼は焼き払われた跡の痛々しく残る屋敷―――かつて悠久の時を生きた蟲使いの魔人が工房として利用していた洋館地下に足を踏み入れる。
「さて……」
アーチャーが投影し、今も尚冬木を駆けずり回っていることだろうアサシン達に譲り渡したのは対魔術宝具。ギリシャ神話において魔術の神ヘカテに神秘を教授され、後に『裏切りの魔女』とされた魔術師の生涯を形にした概念宝具、
神代を生きた大英雄すらも束縛し得る令呪すらも無力化する、魔術に対する絶対の切り札。オーウェン・トワイライトが街中に刻んだルーンと引き換えにしてでも隠し切ろうとしていた『本命』を、徹底的に食い潰す。
目を細めたアーチャーは、手にした短剣を強く握り―――
「―――これだな」
如何なる隠匿を施されていたとしても、そこにヒトの手が介入している以上はどうしても綻びのようなものが生まれる。
どうすればより効率よく効果を発揮し、誰にも気付かれてはならないものを隠せるか―――、それを想定して捜索を行えば、探し出すのは決して難しくはなかった。
成程この空間に刻まれたルーンの有する神秘は決して尋常なものではない。万一円蔵山を利用できない事態に陥ってしまったとしても小聖杯さえあれば儀式を執り行えるよう全力を尽くしてこの邸宅を整えなおしたのであろう。
発見したルーンの数々を前に、ノウルをはじめとしたアサシンは短剣を振り上げ―――、
その夜。
柳洞寺、間桐邸を中心に魔力の奔流が吹き荒れ―――直後に、何事もなかったかのように霧散し、掻き消えた。
剣スロットの宝具がビームじゃねぇ……光ってるから判定としてはセーフなのか……?
かなり微妙だったからマスターを苦しめる。(理不尽)