優雅は運命を知ってしまったそうです   作:風剣

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佳境の手前

 

 

 状況は、とても楽観できるものではなかった。

 

 己の主が拠点とするアインツベルンの館において会議の場に選ばれたサロン、その壁に背を預ける少女―――此度の聖杯戦争にてセイバーのクラスを得て召喚された騎士王、アルトリア・ペンドラゴンは透き通るような碧眼を険しくして虚空を見据える。

 

 彼女の身に纏うダークスーツ、アイリスフィールによって宛がわれた衣装に包まれた片腕で拳を作るが、五本の内特に肝心である親指が動かず、碌な力を籠めることができない。

 

 ランサーの有した二槍の片割れ、必滅の黄薔薇(ゲイ・ボウ)。ひとたび穿てばその傷を決して癒さないとされる呪槍により負った傷は、最優の英霊(セイバー)の有する回復能力、アインツベルンの施術を以てしても処置しきれぬままに尾を引いていた。これでは渾身の振り抜き(聖剣の開帳)もままならず、常に腕一本での戦闘を余儀なくされるであろう。

 

 加え、片腕の損失に追い打ちをかけるように放たれた監督役からの討伐命令。セイバーとそのマスター、衛宮切嗣を屠った陣営に令呪を与えるという告知は、彼女を動揺させるのに十分なものがあった。この儀式に参戦する英霊達は、その全てが並々ならぬ猛者―――万一複数の敵に囲まれでもしたら、如何に最優の英霊といえど宝具の真名解放なしで切り抜けるのは絶望的といえるものがあった。

 

 そして、もう一つの問題が―――、

 

「彼は神代の聖遺物を加工させて特製の礼装を用意していたようだった。キャスター、ネロ・クラウディウスのマスターはほぼ間違いなく死徒オーウェン・トワイライトだ。大規模なルーン魔術を使いこなすといえど、セイバー程の対魔力を持っていれば無力化は容易い筈だ。……だが、ルーンを駆使したあの身体強化はそれこそサーヴァントにすら匹敵する。もし交戦するような事態になればセイバーに留意させてくれ」

 

「……」

 

 ―――これである。

 

 そういった注意事項であれば直接言えばいいものを、セイバーのマスターである衛宮切嗣は、仮にも己のサーヴァントである彼女に対してただの一瞥すらも与えない。召喚されてから感じていた、切嗣のセイバーに対する拒絶の姿勢はこの窮地にあっても尚改善の兆しを見せなかった。

 

「……それで、今後の方針についてけれど―――切嗣、他のマスターも全員がセイバーを狙うと見ていいのかしら?」

 

「まあ、間違いないだろうね。監督役が提示した褒賞は確かに旨味がある」

 

 背後のセイバーが漏らした不服げな気配に、居心地悪そうに身じろぎするアイリスフィール。口を開いた彼女に対しては明瞭に返した切嗣は、付け加えるようにして続けた。

 

「僕等を狙う英霊が攻め込んだとしても、君は無理にセイバーを戦わせる必要はないよ。適当に時間稼ぎをさせた後は、地の利を活かしてセイバーを逃げ回らせ、敵をかく乱してくれればいい」

 

「―――っ」

 

「セイバーを……戦わせないの?」

 

 迫る敵を前に逃げ回れと告げた主の言葉に、怒りのあまり瞠目するセイバー。彼女の憤りをひしひしと感じながらも問い質すアイリスフィールに、切嗣はあっさりと頷いた。

 

「セイバーの命は他のマスター全員が狙っている。であればそれを逆手に取るのが妥当だろう? 万一仕留められるようなことになっても、それまでにサーヴァントをある程度引きつけて貰えば問題ない」

 

「寧ろセイバーを追って血眼になっている連中こそ、格好の獲物なんだよ。恐らくは今夜にでも、セイバーを目当てにここまで踏み込んでくるサーヴァントと共にマスターも一人や二人は訪れる筈だ。僕はそいつらを側面から襲って叩く。……例の代行者と死徒に関しては、令呪を使った空間転移でセイバーに潰させることになるけれどね。狩る側から狩られる側に廻ることを予想する奴が、一体何人いるかは見物だ」

 

 成程衛宮切嗣らしい発想だった。もしセイバーを前に同盟を組んで屠ろうとするような陣営がいたとしても、互いを信用し切れぬ面々の連携などたかが知れている。追加令呪の独占を目当てに足を引っ張り合うような事態にまで陥っていればなおのこと彼の戦略は効果を発揮することだろう。

 

「マスター、貴方という人は……一体どこまで卑劣に成り果てる気だ!?」

 

 激昂し声を荒げるセイバーに、そこで初めて、切嗣は冷やかな視線を彼女に向ける。

 

 普段妻子に向けるものとはあまりにも違う冷淡な眼差しに胸を痛めていたアイリスフィールは―――その瞬間、僅かな違和感を抱いた。

 

「(―――?)」

 

 自分でも把握し切れない程に微かな違和感。それについて深く思考する間もなく、憤りも露わにセイバーが切嗣に噛みつく。

 

「貴方は英霊を侮辱している。私は、いや私達は流血の代行の為に招かれた。聖杯を求めて無用な血が流れぬよう、犠牲を最小限に留めるよう、万軍に代わる一騎として命運を背負い勝敗を競う……それが我らサーヴァントの筈だ。なのに何故戦いを私に委ねてくれない! 監督役から討伐命令を出される要因にもなったというランサー襲撃の手口もそうだ、一歩間違えれば大惨事になっていた! あんな真似をしなくても、私とランサーは再戦を誓っていたというのに! それを―――」

 

 

「―――黙れよ(・・・)使い魔風情が(・・・・・・)

 

 

「「!?」」

 

 セイバーが、アイリスフィールが目を見張る中、声を発した切嗣はその眼を険しく細め、口元を小さく歪める。

 

「卑劣、ねぇ……言ってくれるじゃないか、高潔な英雄様。騎士道? そんなものを頼りにして勝てるとでも思っているのか、君は」

 

「貴方、は―――!」

 

「やれやれ、流石騎士王様は言うことが違うよ。なら聞かせて貰えるかい? 腕を削られて宝具の使用もできず、霊体化すらもできない最優の英霊(セイバー)は一体どうやって六騎の英霊に狙われたこの修羅場を乗り切るつもりなのか。きっと僕も恐れ入るような素晴らしい策を提示してくれるんだろうね?」

 

「……!」

 

 甚だ不本意ではあったものの、切嗣の策の有効性はこの場において最も現実的なものだった。ブリテンを治め、数多の戦いを切り抜けてきた騎士王はその経験と持ち前の直感からその事実を悟り、口を閉ざす。

 

 あらかさまな侮辱に憤慨する間もなく投げかけられた言葉に黙り込んだ彼女を見咎めた切嗣は、その眼に侮蔑の色をありありと見せては鼻を鳴らした。

 

「ふん。所詮こんなものか―――、良いかい、セイバー。騎士道なんぞではこの戦いを乗り越えられやしない。道具は道具らしく、大人しく従っているんだ」

 

「……」

 

「切、嗣……」

 

 セイバーは怒りと無念に震え、アイリスフィールは複雑な想いに囚われたまま、共に語るべき言葉を失って沈黙する。

 

「それじゃあ解散としよう。僕とアイリは暫くこの城に留まって他陣営の襲来に備える。舞弥は何体かの使い魔を飛ばして情報収集に当たってくれ。異変があったら逐一報告を」

 

「分かりました」

 

 そんな停滞を、切嗣は会議の終結と見て取ったらしい。淀みなく頷いた舞弥がサロンを後にすると、遅れて席を立った切嗣も会議時に並べたテーブルの上の地図や資料をかき集めてから退出した。

 

 倉庫街から戻ってから、未だ頼りなく見える彼の背中。翻る黒衣を見つめるアイリスフィールは、その紅い瞳を僅かに揺らす。

 

 ―――まさか。

 

 彼は、切嗣は―――、

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「―――」

 

 かつ、かつ、と。無人の回廊で、男の足音が響く。

 

 決して愛娘(イリヤ)には見せられないような形相で歩みを進める切嗣は、令呪を宿した右手で拳を作ると力任せに真横の壁を叩いた。

 

 重く響いた鈍い音。当然その程度で気が晴れるようなことはなく、その鋭い眼をより険しく細める。

 

「……ちっ」

 

 どこまでも忌々し気な舌打ち。やがて壁に背を預けた彼は、ひどく苦々しい顔になって顔を片手で覆う。

 

 どうして道具(アレ)と言葉を交わす気になったのか、切嗣自身にも理解し切れぬものがあった。

 

 率直に言って、セイバーとどんな内容の問答を行ったのかは思い出すのも憚られる。会話をしている途中は致死性の拒絶反応(アナフィラキシーショック)に等しい不快感を感じさせられていたのは鮮明に覚えていたのだが。

 

 ―――結局。

 

 自分と英雄(アレ)が、相容れることなどは絶対にない。

 

 分かっていた。分かっていた筈だった。召喚した彼女をアイリスフィールに預け、自身は可能な限り離れて行動したのもそういう要因があったからだ。

 

 言葉を尽くすだけ無駄、当たり前だ。そもそも価値観、考え方、行動理念からして完全に違うのだから。

 

 相手は所詮使い魔、ただの道具でしかない。最低限必要な会話を行うことこそあれど―――実際は言葉一つ交わすことなく徹底的な拒絶をしていた訳だが―――必要以上の会話など不要。例えセイバーがマスターの策に異議を申し立てようと一切取り合う必要はなかった。実際、先程見せたセイバーの剣幕も本来ならば完全に黙殺、万一何かしらの言葉で応じるとしてもあそこまで感情的になることはなかっただろう。絶対にだ。

 

 であれば何故―――自分は彼女の言葉に応じる気になったのか。

 

 冷徹な魔術師殺し(メイガスマーダー)としての仮面を纏い直し、彼はどこまでも客観的に己の行動を見つめ直す。

 

 やがて、彼はあることに思い当たった。

 

 

 

 あぁ、成程―――、

 

 

 

 馬鹿らしいといえばあまりにも馬鹿らしい答えに、軽く嘆息する。

 

 もしかしたならば、あの時。彼も与り知らない程の深層意識で、切嗣はこう思ったのかも知れない。

 

 本来ならば絶対にしないこと。

 

 それをしたならば―――あるいは奴を、あの代行者を欺けるのかも知れない、と。

 

「……くだらない」

 

 そうぼやいた彼は、コートを翻しては歩き出していく。

 

 

 

 

 

 

「…………なんて、くだらない」

 

 

 

 

 

 

 

 闘いの時は、近い。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「人払い、警報、幻惑……術式はざっとそんなものか。―――ひとまずはここからが、アインツベルンの領域になるね」

 

 ―――そして。

 

 冬木郊外、森中に張り巡らされた、アインツベルンの掌握する結界――その、ほんの僅か手前に佇むオーウェンは薄く口元を歪め、傍らのキャスターもまた敵陣を前に臆する様子もなく笑みを浮かべる。

 

 魔術師の領土である以上は相応の結界や備えがあり、部外者が有利に戦いを運ぶには些か難しいもののある場所だ。だが、ここまで遠征してきた二人は一切の迷いも躊躇いもなく段取りを進めていく。

 

「この付近で探索のルーンに引っかかった魔力の反応は魔術師とサーヴァントが一つずつ……僕達の他にももう一つの陣営が既に侵入している。決して難敵ではないだろうけれど、アーチャーの遠距離からの介入にはどうか気を付けて」

 

「任せよ。いざとなれば無理にでも戦場を塗り替えて見せよう」

 

「なるほど、文字通りの意味か。……さて、それじゃあ手筈通りに」

 

「うむ!」

 

 意気揚々と頷いては己のサーヴァントが霊体化する直後、片手を伸ばした彼はアインツベルンの展開する結界に触れた指先を、更に押し込み。

 

 風穴(・・)を、開いた。

 

 常人からすれば、蜃気楼のように風景が揺らいだだけで周囲には何事の変化もなかったように見えただろうが―――実際に起こった現象は、魔術師が見れば一目瞭然であった。結界の森に施された幻惑、魔力経路……その全てが強引な介入によって消し飛ばされ、敵の本拠であるアインツベルンの城までの道を確保する。

 

 これが、人類史の否定者―――死徒。強力な礼装に頼らずとも彼の有する力は人間に推し量れる領域を超え、並大抵の魔術師用意した備えなどそれこそ塵芥(ちりあくた)の如く吹き散らす。

 

「……さて」

 

 既にキャスターは征った、演出も兼ねた宣戦布告(・・・・)にはこれで十分。

 

 短剣を付近の樹木に突き立てる青年は、着々と準備を整えながら笑った。

 

「―――存分に殺し合おうか、魔術師殺し(メイガスマーダー)

 

 


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