今回、思った以上に長くなった。自分の成長が一番実感できる作品だと思う。
昔の作品は酷かったからなぁ……。
架空元素・虚数。
神秘の薄れた現代において最上位の魔術素養と言っても過言ではないそれは、現状においては呪いと表現するのが最も適切なものであった。
そもそもにおいて、魔導の原則は一子相伝。かつてエーデルフェルトの一族は魔術刻印を分割、共有することで魔術師の双子を当主に仕立て上げていたとのことだが、その技術は第三次聖杯戦争と共に潰えている。かの一族とは遠縁でしかない時臣がそのノウハウを有している筈もなく、次女である桜には遠坂の加護を受けさせてやれない状況にあった。
そして架空元素の保有者ともなると、存在自体が封印指定クラス。門外漢である時臣では完全に手に負えず、しかし名門の魔道の庇護が受けられなければほぼ間違いなく少女は協会に『保護』の名目でホルマリン漬けの標本にされる。
平行世界の時臣にとっては、それを解決し、桜がおのれの道を切り拓いていけるようにする為の間桐であったのだが―――現実は言わずもがな。
「どうしたものか……」
机の上に広げられた多くの書類から視線をずらし、時臣は息を吐いた。
書類に掲載されているのは、彼の持ち得る伝手を最大限駆使して集めた魔術師の情報。平行世界の観測から約二年―――養子縁組の候補を探すのに全力を尽くしていた時臣だったが、ここで本格的に行き詰っていた。
臓硯から養子の相談が来たのが、ほんの数日前。架空元素にもなると、並大抵の魔術師にとっては専門外であり、とうとうここまで時間をかけることになってしまっていた。既にあの怪物からの話は断ったものの、いよいよ深刻な問題になってきたことは明らかであった。
(かくなる上は……
だがあの宝石翁は第二魔法でもって平行世界を放浪しており、協会に行ったところで会える可能性は限りなくゼロに近い。
苦渋の表情を浮かべて思考を重ねる、その時。
外からノックされた扉に、意識を呼び戻される。
「あ―――入ってくれ」
「失礼しますね」
扉を開いて足を踏み入れたのは、黒髪を背中まで伸ばした美しい女性。
突然訪れた妻に目を瞬かせた時臣は、彼女の持つ封筒に気付いて疑問符を浮かべた。
「葵……それは―――?」
「貴方宛てにお手紙が届いて。沙条さんからですよ」
「何……彼から?」
知人からの手紙を受け取った時臣は封を切り、中から一枚の手紙を取り出す。
「……!」
目の色を変えた時臣が読み進める中、手紙の最後にその魔術師の名を見つける。
それは、時計塔で名をはせた彼も何度か聞いたことのある名前だった。
「これは……!!」
「さて……」
その日。
件の魔術師が居るという街、御布子市の廃ビルを訪れた時臣は、緊張の面持ちを隠すことなく目の前の建物を見上げる。話に違わぬ実力を示すかのように、高いコンクリの塀で囲まれた建物の周囲には結界が張り巡らせられていた。
「……」
薄く息を吐いて首元のネクタイを締め直し、廃ビルに足を踏み入れる。階段をゆっくりと登って行くと二階、三階からは魔術工房らしき気配がしたものの、人のいる様子はなかった。恐らくは既に話が伝わっているのだろう、魔術的なトラップが動くこともなく四階に辿り着く。
曰く。
彼女は封印指定にされながらもこの地に隠遁する最上位の魔術師であり。
曰く。
作り出す人形に関しては、もはやオリジナルとなんら変わりのない
曰く。
その技術をものにせんと、現在に至るまで数多くの魔術師が彼女を襲撃し、撃破され。
曰く。
その多くが魔術刻印を奪われた上で、彼女の庇護下に置かれているという。
かつて、魔術協会に『赤』の称号を与えられた人形遣い―――蒼崎橙子。
それが、時臣が最後に頼った魔術師の名であった。
「……」
懐の宝石を意識しつつ、『事務所』とされる空間に足を踏み入れる。その場にいたのは魔力を感じられない黒髪の青年と、赤髪の魔術師であった。弟子らしき青年をぞんざいに扱う彼女の言動、立ち振る舞いは人形とは思えないほどに洗練されたものとなっており、その身体に尋常ならざる叡智と技術がつぎ込まれているのは明らかだった。
「―――お。話をすれば、だ。―――いらっしゃい、遠坂時臣。『伽藍の堂』へようこそ」
デスクに座っていた彼女は、来訪者の存在に眼鏡の奥から除く瞳を細める。時臣もまた畏怖の念を押し殺し、家訓を忘れることなく優雅に一礼した。
「お初にお目にかかる。既に沙条からは話を伺って居られるとは思いますが、ひとまずは名を名乗りましょう―――遠坂家五代目当主、遠坂時臣。以後、お見知りおきを」
「ん。蒼崎橙子、人形師だ。以後ご贔屓に―――ところで、堅苦しいのはやめてくれ。時計塔のジジイ共を思い出す」
本当に嫌そうな顔をしてぞんざいに片手を振った彼女は、さばさばとした口調で続ける。
「さて、それじゃあ―――始めるか」
空気が、変わった。
魔術師が対峙した今、彼等の交渉が始まる。
「本日はよい返事を頂き、至極感謝致します。それでは、また後日……」
「あぁ。こちらも優秀そうな弟子が来るのを楽しみにしているよ」
「……」
数秒前の歓喜が嘘のように表情を引き締めて背を翻した男性を見送り、黒桐幹也は首を傾げた。
「どうしたんでしょうか、あの人……娘さんの弟子入りが決まった時はあんなに喜んでいたのに……」
「やることが山積みだからだろうさ。何しろ半年後には聖杯戦争だ」
「えっと……セイ、ハイ……?」
煙草を吸っては煙を吐く橙子から飛び出した神話にでも出てきそうな単語に、青年は疑問符を浮かべる。
「万能の願望器を巡り合う魔術師と英霊の殺し合い……まぁ、式の奴が斬りたがるような連中がごろごろしてるような大儀式だよ。お前達に関係あることじゃないから気にすることはないが」
「あ、成程……」
自分の妻を引き合いに出した上司の言葉にその危険性を察し、こくこくと頷く。少なくとも式には教えられないな、と心の中で決める彼を尻目に、何かを思い出したように橙子は黒い笑みを浮かべた。
「それなりの魔術師でもないとマスターには選ばれない筈だが、下手をすれば鮮花辺りも首を突っ込みかねないな……待てよ? そういえばアインツベルンは『
「一稼ぎって……桜ちゃん、でしたっけ? あの人の娘さんを預かるのに随分とぼったくっていたじゃないですか」
少女を預かるにあたって要求された金額に半ば呆然としていた時臣の顔を思い浮かべて青年が反論すると、心外だと言わんばかりに目を細められた。
「何を言っている、あれは最大限良心的な値段だったぞ?」
「へ?」
「執行者……協会の狗が私みたいな封印指定級の魔術師の身柄とその刻印を売って稼ぐのが、提示した奴の数倍くらいの額だったかな。架空元素持ちの娘に対する魔術の指導及び適した刻印の譲渡、及び保護費……同じことを協会に要求すればどれだけのコストがかかるかは、まあ察しろ」
何でもないように語る彼女に目を点にする幹也。いや確かにそういった金銭面においては疎いというか適当というか、まあ何というか無頓着なところのある上司にしてはそう珍しい出費でもないような気がするが……それでも、今回の件は珍しく、こう……そう、人間らしい面が露わになっているような気がした。
「橙子さん……」
「―――それに、子供の面倒を見るのはお前と式だからな」
「…………………………………………………………………はい?」
「なんだ、
「え、えぇー……?」
困り切ったように声を上げる幹也を気にすることなく煙草の煙を吐いた魔術師は、窓から外を見上げる。
「さてさて、あの男は生き残れるかな……心に傷を負った娘の世話は面倒だぞ」
窓から見上げた空は暗雲が立ち込め、今にも雨が降りそうな状態だった。
かつて父から問われた言葉を思い出す時臣は、御布子市からも冬木市からも離れた見知らぬ街を一人歩いていた。
『家督を継ぐか否か』
頭首となるべく教育を受け、幼き頃から培われた誇りは魔導以外の道など夢想すらさせなかった。しかし、時が経つにつれてあの問いは父からの最大の贈り物だったことを悟る、
問われたということは―――選択の余地が、あったということなのだ。
しかし―――現実は、そんな甘えを決して良しとはしなかった。
彼の妻、葵は母体としてあまりにも優秀だった。優秀過ぎたといってもいい。配偶者の血統における潜在能力を最大限引き出した子を産むという特異体質は、二人の娘に天災めいた素質を与えた。魔導を理解して身を修めるしかその魔性に処する術を持たない。例えその先にどのような困難が待っていようと、凛と桜には魔導の道に足を踏み入れるしか生き残る手立てはない。
だが……それでも、思う。娘達には―――より幸せに、なってもらいたいと。
魔術師としては、あまりにも凡俗な願いだというのは百も承知だった。
だが、それでも―――。
「……」
そして彼は、住宅街の一角で立ち止まる。『雨生』の表札を確認した時臣は、透視の魔術で中にいる者達を把握した。
目の前の扉を規則正しいリズムでノックすると、数秒の間を置いて内側から開かれる。
姿を現したのは、幸運にも目当てであった青年だった。
「えぇと、どちらさまでしょう、か―――……」
時臣の碧眼と目を合わせた青年―――雨生龍之介は、速やかに己の意識を奪われた。
「……」
虚ろな目になった目の前の青年を無感動に見やり、暗示が問題なく作用したことを確認した時臣はゆっくりとした口調で囁きかける。
「―――深夜ご両親が寝静まったら、すぐに警察署へ行きたまえ。自首をして、これまで己の犯した罪を償うように」
「……」
無言でこっくりと頷いた彼に目を細め、続ける。
「自分のしたことを問われたら、全て、詳細に白状するんだ。君の姉の死体を埋めた土蔵のことを教えたら向こうも顔色を変えることだろう……あぁそう、ここで起きたことは全て忘れなさい。良いね?」
「……」
最後に頷いた青年に背を向け、その場を立ち去る。路地に身を隠した所で振り返ると、きょろきょろと忙しなく辺りを見回した彼が釈然としない顔で家に戻った所だった。
暗示は完璧の手応えだった。夜になれば、あの殺人鬼は警察署に出頭することだろう。確実な戦果に笑みを浮かべ、背を翻す。
―――もし、どんなに恐ろしい運命が待ち受けていたとしても。
父として、あの世界で果たすことのできなかったことを、今度こそ成し遂げよう。
誓いも新たに、決意を固め、家族の待つ冬木へ帰る。
―――一つの、致命的な誤算を残して。
七人目のマスターとなる筈だった青年、雨生龍之介の手には令呪がなかった。
だがそれについて時臣が問題視することはなかった。
彼の『知識』によれば龍之介の令呪が発現したのは冬木で三度目の儀式殺人をしている真っ最中。彼がこの実家に帰省したのはほんの数時間前であり、恐らくは土蔵にあった魔術師の書物も読んでいなかっただろうから令呪を得たところで何も理解することはできず、間違っても英霊を召喚するような真似にはならないだろうと判断したからだ。
―――だが。
この時点で、彼は一つ失念していた。
龍之介はあくまで、集まることのなかった七人目の枠を埋める為に聖杯に選ばれた、言わばイレギュラーなマスターであり。
そして。
そして。
そして。
「……これが、令呪か」
雨がしきりに降りしきる中、深夜になって誰もいなくなった大通りに独り佇む青年がいた。
雨にその身が打たれるのも意に介することなく、青年は右手を掲げる。
「―――聖杯は、僕が貰う」
確たる意思と共に見つめたそれには、三画の聖痕が刻み込まれていた。
ウッカリカラハニゲラレナカッタヨ・・・・・・
はいそんな訳で七人目登場。オリキャラ入ります。青髭さんと龍ちゃんはごめんなさい、でも貴方じゃあ先読みトッキー陣営には勝てないから……。
それと思わぬ高評価に感激。本当にありがとうございます。