型月に苦労人ぶち込んでみた   作:ノボットMK-42

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話を進める為にやっつけな感じのする箇所がいくつかあります。あと長いです


第3話 王様のはなし

 何故、アルトリアという女の自分が“アルトリウス”という男と偽って暮らしているのか、何故物心ついて間もない頃から国を学び、剣を習い、人としての自身の望みを打ち消した生き方を己に課したのか?

 それは養父であるエクターと、魔術師マーリンから『そうなれ』と言われて育ち、自身の宿命というものを薄々と感じ取っていたからなのだろう。

 混迷の只中にあるブリテンを救う“理想の王”となる事。それこそが私に与えられた役割だった。

 ひたすら誰かの為にと、多くの人々の為に身を粉にする生き様は幼心にして何処までも正しく、気高いものなのだろうという漠然とした思いがあった。それはある程度心身ともに成長した後も変わらない。

 養父も魔術師も、その生き方が何よりも必要なものであると、求められるものであると言い、その為に生を受けたのだと私自身も納得していた。

 

 私は本当の両親の顔を知らない。

 理想の王という目的の為に計画され生まれて来た。しかし実際の所、私はその目的を託した亡き父であるウーサー王の無念とか願いとか、そういったものに感情移入は出来なかった。

 それが正しいものだと思いながらも、魔術師の教えに特別な使命感も抱かなかったし感動もしなかった。ただそれが正しい道であり、自分の生きる理由なのだという漠然とした思いに従ってきた。

 周囲にいる人々はその為の助力を惜しまなかったし、私もそうされるのが当たり前だと考えていた。そうされることが私の常識だったのだ。

 そんな時、私の常識の外にいる人物は唐突に現れた。

 否、『現れた』と言うのは誤りかもしれない。その人物は以前から私の周りにいた人物の一人である義兄ケイだったのだから。

いつも養父から厳しい鍛錬を言い渡され、苦痛を感じる様子はあれども弱音や文句の一つも漏らさず黙々と己を磨く姿勢を何度か目にしたことがある。きっと立派な人なのだろうと思っていた。

 しかし、いつも勉学や鍛錬で忙しそうにしている義兄と、養父が付きっ切りの私との間に交流という交流は驚くべき程に少なかった。同じ家に居る者同士でありながら私達は限りなく他人に近い程に互いを知らなかった。

 

 その関係が変わったのは、私が剣を振れる年齢になった頃の事。

 私は養父に義兄に剣の稽古をつけてもらうように言われ、訓練用の木剣を抱えて義兄のいる修練場に向かった。

 そこにはいつものように黙して剣を振るう義兄の姿がある。

 若くして鍛え上げられた鋼のような身体に汗を滲ませる彼の姿に気圧されながらも、極めて真面目で誠実な人物である義兄が親身になって稽古をつけてくれる。そんな未来の絵図を思い浮かべていた私はただ期待を膨らませた。

 まさかその期待が、稽古を頼み込んだ瞬間に裏切られようとは思いもしなかったが。

 

 

「やなこった」

 

 

 ただ一言。それは予想だにしなかった拒否の言葉。私は義兄が口にした言葉の意味が呑み込めずに硬直し、しばしの間を置いて頼みごとを断られたのを理解するや盛大に動揺した。

 そんな私の内心を知ってか知らずか、義兄は先程の短い否定の言葉の続きをつらつらと語り始める。

 

 

「ド阿呆が。何たって俺がお前の稽古なんぞ見なきゃならんのだ。自分の稽古で手一杯だってのに息の仕方も分からんようなお前のお守りまで出来るわきゃねぇだろ」

 

 

 これまであまり会話をすることも無く、義父の口から語られた程度の人間性しか知り得なかった義兄。

 彼の放つ言葉は、これまで周りの人間が私にかけて来た敬意や優しさを感じさせるものとは一転してぶっきらぼうで冷たいものだった。

 そんな言葉を掛けられたのは生まれてこのかた初めての経験だった。私はその時、生まれて初めて他人に邪険に扱われたのだ。それも義兄である目の前の人物に。

 彼は未だに衝撃から立ち直れずにいる私に畳みかけるような言葉を浴びせて来る。

 

 

「見ての通り俺は自分の鍛錬で忙しいんだ。お前に構ってる余裕は無い。

今こうして一々話してる時間すら惜しい。現に十秒近く無駄遣いしちまってんだぞ?どうしてくれる」

 

 

 そういって自分の稽古を再開しようとする義兄だが、私としてもそう言われて引き下がるわけにもいかない。

 何せ養父から、これから先は義兄に剣を習うように申し付けられていたのだ。その言いつけを破る事は私には出来ない。

 こちらから稽古をつけてもらおうと言っておいて、一度断られたからとはいえ黙って引き下がるのも個人的に癪に障った。剣の鍛錬への意欲にも未だ揺らぎはない。

 故に父の申し付けを無視することは義兄にも出来ないだろうと食い下がった私だったが、彼はどうやら私がそう返してくることも予想の内だったらしく、一切の動揺も無く言い放った。

 

 

「なら最初の指示をくれてやる。そこに木があるだろ?次にそいつに背中を預けて座ったまま目を閉じるだろ?そのまま羊やら馬やら牛やらの数を数えるんだ。要するに寝ろってことだ言わせんな面倒くせぇ」

 

 

 『さぁ始めろ』と、実に淡々とした口調で言われてしまった。思わず頬が真っ赤になる程に怒気を募らせた私は義兄に詰め寄った。稽古をつけてくれと言ったのに惰眠を貪れとはどういうことなのか。

しかし、義兄が私の追及に対して至極真面目な表情を返してきたことに戸惑った私は二の句を告げる気勢をそがれてしまう。

 発しようとした言葉を出すべきか否か迷っている私に、義兄はゆっくりと向き直って膝を折る。片膝を立てた姿勢で目線の高さを私と同じにした彼の顔を見た時、私は更に戸惑った。

 何せ、ぶっきらぼうな言葉と思いやりの欠片も感じられないような態度からは考えられない程に、彼は曇りの無い真っ直ぐな目で私を見ていたのだ。

 

 

「お前、いつもどれくらい寝てんだ?」

 

 

 突然の問いかけだった。私は動揺を抑え込んで答えを返す。日が昇り始める直前から朝になるまでしっかり眠っていると。

 そう答えた直後、私の額に衝撃が走った。義兄が弾いた指で私を小突いたのだ。

 突然の痛みに思わず額を抑えて呻く。

 下手人に抗議の視線を向けるが、当人はまったく悪びれる素振りも無く、寧ろ心底呆れた様子で嘆息を洩らしていた。

 

 

「ド阿呆、馬鹿チン、ボケナスが。そんなだからお前は息の仕方も分からねぇって言ってんだコラ。

碌な休憩の仕方も分からんヒョロヒョロのお前が剣何ぞ振り回し始めてみろ?三日と経たずにくたばるのが関の山だ」

 

 

 だからまずは基本的な事から覚えろと言う義兄は修練場の端に生えている痩せた木の方を指差す。其処で言った通りに睡眠を取れというのだろうか?

 義兄と木に何度か視線を行き来させていると、焦れたのか義兄が素早く立ち上がる。そして言葉も無く私の手を取ると木の傍まで引っ張っていき、半ば強引に腰を下ろさせて自身も続いて腰掛けた。

 

 

「俺も丁度休憩する所だったんだよ。お前も寝ろ」

 

 

 そうは言われても眠気など欠片も無く、目を閉じた所で眠れたものではない。

 義兄の言っていたことも分かるには分かるがやはり剣の稽古をちゃんとつけて欲しい気持ちもあった。しかし稽古後で疲れているというのであれば、このまま義兄を酷使するのも忍びない。

 養父の言いつけを破る事は出来ないにせよ、全身汗まみれになるほど真剣に鍛錬に励んでいた義兄に迷惑を掛ける事は決して良い事ではない。そんな考えが私の中で生じ始めていた。それは恐らく言葉遣いは乱暴にせよ、義兄が自分なりに私の事を気にかけてくれていることは察せられたからだ。

 

 

「お前はどうしたい?俺の言うこと聞かずに剣振るか?それとも親父殿の言いつけ無視して休むことから覚えるか?好きな方を選べ。お前の“好きな方”をな」

 

 

 木に身体の体重を預けてすっかり休みの姿勢に入っている義兄が、判断に迷う私の心中を見透かすかのように選択肢を投げかけた。

 それはそれで私にとっては難しいことだった。何せ私は生まれながらに私心を殺し、自分の欲に蓋をして生きていくことを決めた身だ。

 どちらにも正しさがある選択肢ならば自分の好き嫌い、即ち欲求に従って義兄と養父の何れかの言いつけを破り、迷惑を掛けるというのは憚られた。

 

 

「ガキが一丁前に気遣いなんぞしてんな。こんなもんは衝動で決めちまえばいいんだよ。お前はまだ子供なんだから物事の是非何ぞ気にしてられるもんでもねぇんだ。

少なくとも俺は仕方なしにやってる奴とか、そうするべきだからとか宙ぶらりんな理由で人殺しの技術習おうとしてるド阿呆の思い通りにさせる気はねぇからな。分かったら五秒以内に答えろやコラ。ひと~つ…ふた~つ………」

 

 

 考える時間すら与えず秒読みを始めた兄に、私は大慌てでどちらを選ぶべきか必死に考え、そして残り二秒になっても正しい答えが見出せない事に更に焦る。

 最後の一秒の時点で考えてもどうしようもなくなった私はついに“何となく”で『剣の鍛錬をしてほしい』と答えた。

 結果的に養父に従う形になったが、此方の選択を選んだ時には既にそんな事を考える余裕など無く、義兄の言っていた通り衝動的な選択をとってしまった。

 義兄は『そうか』とだけ呟くと、木から身を起こして木剣を手に修練場の中央に向かって歩いて行く。休憩はしなくても良いのだろうか?

 とはいえ、色々と予想外の事はあったものの何とか稽古をつけてもらえることに一先ず安堵する。私は立ち上がり、木剣を拾って兄の下まで駆け寄ると改めて指導を願った。だがしかし………。

 

「やだって言ってんだろうがバカ」

 

 

 まさかの拒否である。

 よもや再び断られるとは。思わず素っ頓狂な声を上げてしまう。

 兄は可笑しそうな様子で私を見ていて、私は小恥ずかしさのあまり先程とは違う理由で顔を染めた。

 

 

「そんなに驚くことか?俺はどっちがやりたいとは聞いたが指導してやるなんて一言も言った覚え無かったりするんだが」

 

 

 からかうようにして言われたことに腹を立てた私は真っ赤になったまま義兄を睨み付ける。先程と全く同じ事を繰り返しているのも承知で私は捲し立てた。

 しかし義兄には私の喚き声にも等しき追及など一切通じていないようで、実に涼しげな態度で再び弾いた指で額を小突いた。

 痛みと衝撃で思わず仰け反り、そのまま足を滑らせて後ろへ倒れ込みそうになる。しかし直前で義兄が片手で私の顔を鷲掴みにして支えることにより事なきを得た。

 

 

「騒がしい奴だなぁオイ。おまけに頭の巡りも悪いと来た。

俺に教えて貰えないことがそっくりそのまま稽古が出来ない事に繋がるってか?

そんなだから学の方面が残念なことになってるんだよ」

 

 

 ではどういうことなのか?

 頼みを断られ、意地の悪い選択肢を投げかけられ、やっと稽古をつけてもらえると思ったらまた屁理屈のような言葉であしらわれた。

 散々に翻弄されて私は頭に血が上ってしまい、頼み込む立場にある事実さえ忘れて怒気の籠った声を吐き出す。

 

 

「教えてはやらんと言ったが鍛錬するなとはいってねぇよ。例え親父殿にしてもらってるみたいに一から十まで面倒見てもらうような指導が受けられなくても、俺の動きを見て技術を盗むことは出来るだろうが。

騎士になりたいとか言うならジジイみたく介護してもらうんじゃなくてテメェで努力しないんじゃ話にならんぞ。それが無理ならとっとと止めちまうことだな」

 

 

 教えを乞うのは間違いではない。

 他人を頼ること自体は決して誤ったことではない。

 しかし、それだけでは教えられた事柄の範疇を超える事は出来ないし、教えられたやり方が自分に合っているとも限らない。

 だから単純な指導で身につけられない部分を自主的な努力と工夫で補うしかない。つまりこの場に於いては、ただ教えを乞うのではなく見稽古にて義兄の技術から有用な技術を盗み取るように努力することこそが自分の為すべきことなのだ。

 義兄が言いたいことを要約すればそういうことになる。

 直接的な表現こそ避けたものの、義兄が言わんとしている事は当時の幼かった私にも理解出来た。

 それが義兄から受けた最初の教えであり“自ら求める意志”の発露を促すものだった。

 

 言いたいことを言い終えた兄は剣の鍛錬を再開した。

 当時こそ分からなかったが、今思えば義兄は発言とは裏腹に私のことに配慮してくれていたのだと思う。

 何せ、剣の握り方から足運びまで、義兄にとっては不必要なほどに基本的なことを何度も反復して行っていたのだ。更に剣を振るにしても横目に私の剣筋を見て、肩の動きが悪ければ度々自分の肩を摩り、腰が入っていなければ自分の腰を叩くなど、無言の仕草で何処に誤りがあるのかを知らせていた。

 決して難しい事はせず、基礎の部分から私が見やすい配慮が節々に見られた。私はつい先ほどまでの憤りなどすっかり忘れて義兄を見て真似て、彼の技術を少しでも我が物にしようと励んだ。

 

 そうして二人並んで言葉も無く只管に身体を動かし剣を振るう内に時間はあっという間に過ぎて行った。日も傾き、空が黄昏色に染まりかけた頃で義兄は鍛錬を止めた。続いて私も手を止める。

 夢中で木剣を振るい続けていた私は息も絶え絶えで、最早木剣を持っていることすら辛い有り様だ。

 乱れた呼吸を整える事すら困難な私は、義兄に抱え上げられた事を認識するのに僅かに時間を要し、気づいた時には既に先程義兄が背を預けていた木の畔に座らされていた。

 

 

「鍛錬は終わりだ。という訳で昼頃に言った通り休憩の仕方を教えてやる。

まぁ、やり方とか言っても難しい事をしなくても良い。こうして背中を預けて、目を瞑って動物の数を数えんだ。

今日は、そうだな……牛か、犬か、馬か……やっぱり狐にするか」

 

 

 狐が一匹、狐が二匹、狐が三匹――…………

 既にうつらうつらとしていた私は、義兄が狐の数を数え始めた直後には凄まじい眠気に襲われて意識を手放した。

 身体から力が抜けて、倒れ込んでいく私が眠りにつく直前に感じたのは冷たい地面ではなく温かい人肌の感触だった。

 

 その日、私は物心ついた頃から考えると初めて長く、深い眠りについた。

 眠りの最中、いつも夢の中で王の在り方について説く魔術師は現れず、ただ穏やかな眠りの世界だけがあった。

 時間にしてみれば半日にも満たない出来事。

 それでも私と義兄の関係に変化を及ぼすには十分だった。次の日からも私は義兄の鍛錬に着いて行き、黙々と剣を振るうようになった。

 彼の剣筋や体捌きを目で盗み、疲れが溜まればいつもの木の畔で共に身を休めた。一通りの鍛錬が終われば近場の川で身を清め、家に帰って義兄と同じ食卓に着く。

 因みに義兄が作る料理は美味しい。今まで食べたものが酷く雑に思える程に繊細な味付けや丁寧な調理が為されていた。

 調理を始める直前でこそ、やれ『面倒』だの『不味くても知らんぞ』だの言ってはいるものの、出される料理にはどれも心が籠っていた。

 

 一連の出来事や義兄の行動を思い返す内に、私は彼がどのような人物であるのか理解していった。

 絶対に生の感情を表には出さない…ように見えてその実、内面が行動や言葉の節々に現れる。窺い知れる内心は優しさに満ちていて、私の事を心から思い遣ってくれている事が良く分かった。だが、同じくらいに私の事を心配しているようでもあった。

 そんな義兄と過ごす何でもない日常。私が彼と過ごす日々が好きになるのに時間は掛からなかった。

 

 更に時は流れ、私達は一回り大きく成長した。

 兄は晴れて騎士となり、“弟”である私は彼の従者として馬の世話等を行うようになった。身支度やその他の世話は一向に任せてはもらえなかったが。

 私も幼い少女の域は超えて一応騎士の見習いと言うことで世間に知られるようになったが、周囲からの風当たりは強かった。

 それを実感したのは私が初めて他の騎士の家の息子達と対面した時のことだ。

 三人の若者が私を取り囲み、『女のようなか細い手足で騎士が務まるか』だのと冷やかした。

 私は努めて冷静に務めたが、返ってそれが三人の気に障ってしまったらしく、更に興奮した様子で詰め寄って来きた。

 口で言ってもどうにか出来る気配はない。しかし腕づくで退けるのは家の評判を貶めてしまう恐れがある。平和的に場を収めたかったが、私には良い方法が思いつかなかった。

 そこへ義兄が割って入った。

 すっかり頭に血が上った三人は義兄に罵倒を飛ばす。

 しかし義兄は何処吹く風といった様子だ。

 

 

「非常に不本意ながら此奴の兄をやっている者だ。何やら盛りのついた野良犬みたく騒ぎ立てていたようだが、俺の弟がどうかしたのか?

だとしても白昼堂々とギャンギャン吼えるのは頂けない。騒ぐならもっと品のある鳴き声を上げるべきだろうよ。これじゃぁ近所の飼い犬の方が耳当たりの良い声をしてる。お前達には此奴に寄って集る前に遠吠えの練習をしてくることを薦めるが、どうかな?」

 

 

 相手の罵倒に静かな暴言で応戦する義兄。当然のように頭に血が上っていた三人は更に顔を赤く染める勢いで怒りを露わにした。恐らく初めの鍛錬の時の私も同じような顔をしていたのだろう。

 そんな場違いな事を脳裏に浮かべていると、兄が目の前の三人と向き合ったまま『今の内に向こうへ行け』と手で促した。

 しかし私が治められなかった不始末を義兄に押し付ける訳にもいかず、加えて私だけが尻尾を巻いて退散するのも認められなかった。

 だが義兄を押し退けて三人と口論することも出来そうにない。目の前で私に背を向ける義兄は前からも後ろからも誰かを通すような隙を見せず、巨大な壁のように立ち塞がって正面から叩きつけられる罵詈雑言も、背後から前に出ようとする私の意志も静かに跳ね返す。

 そんな中、義兄を罵っても意味が無いと考えた三人は再び私の事を引き合いに出し始めた。曰く『女のような細い腕では剣も碌に持てまい。しかも兄の背に庇われるばかりの臆病の卑怯者と来ている。出来の悪い弟を持って哀れなことだ』と笑い混じりに口にした途端、場の空気が一瞬で凍り付いた。

 背中越しにでも分かる冷ややかな怒り。真正面からそれを浴びせられた三人の若い騎士は思わず竦み上がり、血の気の引いていく顔を引き攣らせた。

 義兄の一回り大きな体が更に巨大になったような錯覚を覚えたのはきっと私だけではないだろう。彼は小さな者達を持ち前の鋭い目つきで見下ろした。

 

 

「確かに此奴は手足も細く独りでに圧し折れちまいそうなくらいのヒョロヒョロだ。

だが少なくとも他人を冷やかして回ることに精を出す貴様らよりかは遥かに腕が立つ。肝の太さに至っては貴様らなんぞとは比べるまでも無いだろう。

現に俺に睨まれた程度で小便洩らしかけている貴様らと違って此奴は日頃から俺の怒気に晒されても恐れなど抱かない。

それ以前に、その臆病者とやらに三人で寄って集ってやがる時点で貴様らの方が肝も度胸も股座にぶら下げてる○○も粗末で極小な臆病者の群れだろうが。

確かに此奴は出来が悪い。頭は固くて融通が利かず、何かとしくじるごとに大袈裟に落ち込むきらいがある。面倒なことこの上ない能無し野郎だ。

だがそんな此奴には貴様らでは何度生まれ変わったところで手に入れる事の出来ない根性がある。他人の出来が悪いだのと言う暇があるのならば自分を高める事を考えろ。それをせずに餓鬼みたいな真似をしてるんじゃぁ貴様らの方が余程の出来損ないだろうよ。

そう思うと、こうして貴様らド低能共と会話しているこの時間すら惜しい。何せ学ぶべきことも盗むべき長所も何も無い無益な時間を消費するだけなんだからな。

もう散々吼えただろう?口からクソを吐き散らかし終えたならとっとと何処ぞかへ消え失せてくれると助かる。貴様らと違って此方は忙しいんだ」

 

 

 息継ぎも挟まずに次々と飛び出す暴言の嵐。三人は顔色を二転三転させ、義兄の話が終わった頃には捨て台詞を残して去っていった。

 義兄は遠ざかっていく背を見送るまでも無く踵を返して歩き出す。そして私と擦れ違う間際に『とっとと帰るぞ』と、いつもの調子で言い放つ。

 義兄の後を着いて行く途中、私は自分の揉め事に義兄を巻き込んでしまった事を詫びた。

 

 

「お前は学だけじゃなく礼儀も残念な事になってるみたいだな。こういう時には詫び入れるよりも先に言うことがあるだろうが。

鳥頭でもあるまいに親父殿に習ったこと忘れちまったのかコラ」

 

 

 振り返る事無く告げられた言葉に、慌てて先程の言葉を訂正し、感謝を述べる。義兄は小さく鼻を鳴らして歩調を速めた。

 

 

「まぁ好きで割って入ったんじゃぁないがな。親父殿からお前のこと任されてる身としては、あの場で放っておいたら後で俺の方が嬉し懐かし空中コンボの制裁を喰らう羽目になる。

だから街の見回りとか言って自分から絡まれにいくような真似するんじゃねぇ。お前が面倒事に巻き込まれた分だけ俺が更に面倒を被ることになるんだからな」

 

 

 すっかり慣れてしまった義兄の憎まれ口の節々から、私は彼なりの気遣いと優しさを垣間見た。そのせいか場違いにも温かい心境に浸り、表情を緩めてしまう。

 『お前の為にやっているのではない』と必死に取り繕う姿に強面の外見からは考えられない彼の人柄を表しているようだった。

 

 こんなことがあったのはその時だけではない。

 私が何か問題に巻き込まれたことを聞きつけた義兄は必ず駆けつけては私の代わりに場を収め、私に憎まれ口を吐いてから去っていく。

 世間から私への風当たりは決して良くはなかったが、私は幸せだった。

 いつも気にかけてくれて、嫌な顔をしながらも鍛錬に付き合ってくれる。分からないことがあれば面倒そうにしながらも事細かに教えてくれる。空腹を覚えたら文句を言いながらも美味しい料理を出してくれる。

 王としての過酷な運命の到来を前にした私の心を慰めてくれたのは、そんな義兄との何でも無い日常だった。

 穏やかで幸せな日々。その中で、私が義兄の事を『兄君』でなく『兄さん』と親愛を込めて呼ぶようになるのに時間は掛からなかった。そして私がそう呼ぶようになると彼もまた私の事をアルトリアやアルトリウスではなく『アル』とだけ呼ぶようになった。

 当人は名前が長くて呼ぶのが面倒だと言っていたが、その時の表情が初々しい少年の様で少し可笑しかったのを今でも覚えている。その直後に額に撃ち込まれた衝撃の重さも含めて。

 優しくて大きくて、誇らしい兄と過ごす日々は、永遠に続くようにも思えたが、その実あっという間の出来事だった。

 実際の所“あの日”がやってくるまで何年もかからない時間の中での出来事だったのだから。

 

 運命の日。前日に何時になく鍛錬に熱を入れていた兄に付き合って遅くまで稽古をしていた私は、情けないことに久方ぶりの寝坊という失態を犯した。いつもより少し遅れて兄と養父の馬の世話をしていると、馬上試合に出るべく朝早くから家を発った兄が、試合で使う槍を忘れていったと養父から告げられた。

 初めこそしっかり者の彼がそのような失態を演じるのか訝しんだが、確かに兄の使う槍は家に残されていた。ならばきっと事実なのだろう。

 養父の言葉を何の疑いも無しに受け入れた私は、兄がいる試合場へと足を運んだ。

 試合場のある場所には老若男女問わず大勢の人間で溢れかえっており、大変な賑わいを見せていた。しかし馬上試合にしては些か大袈裟な気もする。

 察するに、試合とは別の何かが目当てで集まって来た人々と試合目当てでやって来た人物とが合流したのではないだろうか。

 果たしてその予想は的を射ていた。道行く人々が、口々に『マーリンが来た』『ウーサーの跡取りを決めるらしい』と言っていたのが聞こえたのだ。

 岩に刺さった選定の剣を抜いた者が次代の王となる。

 その噂を聞きつけて、大勢の騎士が国中から集まって来ていた。

 嘗てマーリンが告げた予言が現実となろうとしている。その瞬間を目にすべく、新たな王の誕生を祝うべく皆集まってきたというわけだ。

 私が一人納得していると、周囲の人々の声が一際大きくなった。王を決める儀式が始まったのである。

 人々が集まった広間の中央には岩に刺さった見たことも無いほどに美しい剣が神々しく輝いている。資格を持つ者だけがその剣を抜くことが出来、ウーサーの跡取りとして、つまり次の王として認められるのだ。さながら“選定の剣”といったところか。

 一人、また一人と、選定の剣を握り、全力を込めて引き抜かんとするが叶わない。最後には皆一様に消沈した様子で人混みの中に戻っていく。

 若い騎士も壮年の騎士も関係なく選定に挑むが、剣は彼等を嘲笑うかのように岩に突き立ったまま毛ほども動かなかった。

 暫く経っても剣は抜けず、人々の中で王の誕生を疑う声が上がり始める。一度浮き上がった不安は徐々に広がっていき、歓声に包まれていた広場には暗い空気が漂い始めていた。

 

 そんな中、少しずつ密度を減らしつつある人混みの中で、私は探していた人物の姿を見つけた。

 周囲の人間よりも一回り大きな体躯、鍛え抜かれた肉体に質素な甲冑を纏い、背中まで届く髪を一つに結んだ姿は周りの人々の中に在っても良く目立っていた。

 腕を組み、いつも以上に険しい顔つきで、選定の剣と傍らに立つ一人の男を睨み付けるようにして見つめている兄は何処か近寄り難い雰囲気を放っていた。

 その為か、周囲の人間もほんの僅かだが兄から距離をとり、大勢の中に在って彼の周囲には小さく誰も居ない空間が出来上がっている。彼を呼ぶ私の声は、周りの声に掻き消される事無く兄の耳にしっかりと届いた。

 

 

「ああ、来たか…来ちまったか………」

 

 

 兄は此方を振り返り、微かに溜息を吐いた。

 私は兄の隣に立ち、選定の剣に挑む騎士達に再び目を向けた。

 恐らく別の街からやって来たと思しき若い騎士は決意の籠った目で聖剣と向き合い、柄に手を掛け唱えた『聖剣よ、我に応えよ』と。

 覇気の籠った良い声だった。もしやと人々が騒めいたが、どれだけ力を込めても騎士が聖剣を岩から抜くことはなかった。

 その次の騎士も、その次も、そのまた次の騎士も終ぞ剣を抜くことは出来ない。

 あれほど立派な騎士達ですら抜くことが出来ないとは。やはり王は現れないのか。

 最早広間には落胆の空気が渦巻き、遂に名乗りを上げる者は極僅かとなった。

 

 

「どいつもこいつもご苦労な事だ。誰にも抜けない剣なんぞ、あるだけ傍迷惑な置き物だ。それみろ、結局王は騎士達が試合を交えて決める運びになっちまった。このまま最後まで勝ち残った奴が王になった日にはあの魔術師の予言が嘘っぱちだったことが証明されるわけだ」

 

 

 これが丁度良い落としどころだろう。

 兄が聖剣に背を向け、私に着いて来るよう促した。

 だが私には王が選ばれなかったのにこのまま勝手に話を進める事が正しいこととは思えなかった。誰にも抜けなかったとは言え、あの剣を抜くことが王の証となる事は確かだろう。理屈を抜きにしてソレは人々にも、兄にも分かっていることだと思う。

 まだ資格を持つ者をアレは待っているのではないか。ならば騎士達が腕前を競い合う事が果たしてあるべき選定の姿なのか。私には納得がいかなかった。

 

 

「あんなガラクタ引っこ抜いた所で何だってんだ。目に見えない不確かな証よりも手勢や金、力で図る方が余程人間的だ。利害目的でつるむ方が気楽で良いしな。

何よりも、ブリテンの全てを救う王なんぞ、全てを救う神の代弁者みたいな得体の知れない代物だ。そんなモノ、誰だって見たくもなければなりたいとも思わんだろうさ」

 

 

 吐き捨てるような言葉。兄は忌々しさも露わにただでさえ鋭い目つきを更に尖らせていた。

 ならば兄もそうなのか。全てを救う使命を帯びた存在になどなりたくもなければ見たくもないと、そう思っているのか。

 

 

「当たり前だ。誰が予言の通りになる事なんぞ望むものかよ。

さぁ話は終わりだ。趣旨こそ変わっちまったがこれから馬上試合が始まる。お前は早く親父殿のいる家に帰れ。他の騎士連中に見つかったらまたつまらん揉め事になっちまう。良いか?これが最後のチャンスだ。

お前は、大人しく家に帰れ」

 

 

 静かな声で、それでいて此方の心の奥深くへ語り掛けるように、兄はそう促した。

 兄の意図することは分かっていた。今までの事から私がどのように行動すべきかも。兄がそれを望んでいないことも。

 

 兄は言った。見たくもなりたくもないと。

 思えば兄は王というものに対して、以前から良い考えを持っていなかった。

 曰く『碌なものではない』『この国で王になった奴は絶対に後悔する』『憧れるのも馬鹿げている』と、散々な言いようだった。

 そして私が人知れず王になる為の教育を受けていることにも彼は良い顔をしなかった。

 騎士としての修行すら、今でこそ許容されたが鍛錬を始めた当初には難色を示していたくらいだ。恐らくこのブリテンに於いて王座に就くことの意味を、彼は僅かながらに掴んでいたのだろう。

 そして私が次代の王として計画され、生み出されたことも誰かに教えられるまでもなく気づいていた。だから兄はいつも私を止めようとしてくれていたのだと思う。

 普通の人間として、せめてただの騎士として、王にだけはならないでくれと彼はいつも願って止まなかった。

 

 兄の思いは素直に嬉しく思う。彼が私を一人の人間として愛してくれていることは今更確かめる事も無く分かっていたから。

 だけど私はそんな彼の思いにすら背を向けなければならなかった。

 何故なら私はこの日の為に生を受けたのだから。王の剣を抜く為に、次の王となる為に。

 だから今まで私心を封じ込め、漠然と良いものだと思っていた人々の賑わいとか幸福に感情移入すらせず、客観的な立場であり続ける為に、至って冷静に心に蓋をして生きて来た。

 そうでなければ何もかも取りこぼしてしまうから、それだけは出来ないからと、幼い頃から自分に言い聞かせて来た。

 人が人として生まれるように、竜には竜の役割がある。そういうものとして生まれた私には、自分に与えられた役目を果たす義務があった。

 それが私をこれまで育てて来てくれた兄との日常と、この国の人々に私が出来る唯一の事だから。

 

 私は兄の言葉には従わなかった。

 広間から背を向けた兄とは逆の方向へと足を進める。即ち選定の剣の下へと。

 他の人々はもう馬上試合を見物しに行っており、広間の中央には未だ岩に突き立った聖剣と、傍らに立つ魔術師の姿の身がある。

 誰にも見られることなく私は聖剣の前へ立とうとして、直前で後ろから肩を掴まれた。そして一言、これまでに聞いた事が無い程に弱々しい兄の声を聞いた。

 

 

「行くな…頼む………」

 

 

 ただ一言、生の感情を露にすることもなければ私に直接頼み事もしたことが無い兄が、口にした言葉。普段の日常の中で聞けば槍が降って来る心配の一つもしただろうが、今は違う。

 驚くこともせず、私をこれ以上進ませまいとしていた手を静かに払い除けて振り返る。

 そこにはやはり兄がいて、とても悲しそうな顔をしていた彼に私も一言だけ、今の心境を言葉にした。

 

 

「兄さん、ありがとう」

 

 

 そして、私は選定の剣に手を掛けた。

 


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