アルトとイングリドとヘルミーナのアトリエ(あとオマケが一人)   作:四季マコト

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※一部、捏造設定が含まれます。今後も細かい部分で増えていくと予想されます。あらかじめ、ご了承下さい。


物語は動き出す

「――それでは、本日はこれで失礼します。何かとご迷惑をお掛けするかもしれませんが、どうぞ今後とも宜しくお願い致します」

「あははっ! いいんだよ、そんな畏まらなくて。困ったことがあったら、なんでもいいな!」

「また、いらしてくださいね」

「はい、ありがとうございます」

 

 最後にもう一度だけ頭を下げ、家主さん宅を後にする。

 俺が家主という響きから想像していた人物像よりも、実際の家主さん夫妻はずっと話せる人だった。親しみの持てる人柄と聞き上手な人であったせいで、当初の予定よりも随分と長居してしまった。さすがに、お茶を三杯も頂いたせいでお腹がたぷんたぷんしている。

 気になる家賃は先生から提示された額よりも、かなり安かった。異国から来た得体の知れない職業の人物達に貸すということで、多少ぼったくられるかと覚悟していただけに嬉しい誤算だ。

 錬金術士という職業は、やはりザールブルグでは知名度が低いようだ。夫妻に説明した時、微妙な表情で首を傾げていた。

 まあ、だからこそ俺達は遥々、海を越えてザールブルグまでやって来たのだ。

 錬金術を広めるために、アカデミーを作るために、イングリドとヘルミーナと親密になるために!

 船旅を終えてザールブルグに到着した俺達は、持ってきた荷物を停泊中の船に数日間置かせてもらい、その間に住居を探す手筈になっていた。調合に使う大鍋や各種錬金術の本、生活雑貨等、持って歩くには到底無理があるからだ。本来なら荷物は両手に持てる程度にするべきだが、錬金術が広まっていない以上、錬金術に扱う品物が揃えられるか分からなかったため、色々と持ち込んだ弊害だ。

 船自体は往復をアカデミーが貸しきってくれたので、スペースを間借りさせてもらう事は問題ない。それでもあまり長い間、停泊させるのは色々と好ましくない。早々に住居を決められたのは幸いだ。あとは人手を借りて荷物を運び入れれば、さっそく今夜からでも生活する事が出来るだろう。

 ドルニエ先生達と合流すべく、ひとまず契約してきた住居へと向かう。

 赤い屋根の二階建ての家だ。原作と同じ家なのかは分からない。そこまで細かい部分は覚えていない。

 職人通りにあるその家は、やはり以前に住んでいた人物も職人だったらしい。これが普通の家なら、錬金術に使用する大鍋を火に掛けるためとか、何箇所か大掛かりな施工をする必要があっただろう。間取り等を確認した感じ、そのまま流用出来そうだったので助かる。何より、多少の騒音程度なら気にしないで済むというのが都合が良い。錬金術は、必ずしも静かな作業ばかりではないからだ。

 職人通りというのは、錬金術士にとっても最適な場所のようだ。

 

「先生達も今頃、家に向かってる頃かな?」

 

 賃貸交渉の成否に関わらず、一度家の前で合流する予定になっている。

 先生と別れて結構時間が経っているし、さすがに国王との謁見は終わっているだろう。融資の申し入れをしてくるという事だったが、俺には結果がどうなるか予想がついている。大方、原作通りの展開で間違いないだろう。

 

「融資は断られる。その代わり、展覧会という行事に出品するために課題を毎年こなす。その出来次第で援助金をもらえる……だったっけ」

 

 一年目の課題は『薬』だったはず。展覧会に出す品は、今の俺の腕なら現時点でも特に問題なく最後の課題までクリアできるだろう。そう豪語出来るだけの努力を、日々積み重ねてきた。

 アカデミーで学ぶ際に原作での知識が随分と役に立ったのは確かだが、それだけではここまで腕を上げることは出来なかっただろう。なぜならば、原作と現実では細かい部分で異なる事が良くあったし、そもそも俺はそこまで原作の内容を細かに覚えていなかったからだ。これは俺のプレイスタイルのせいでもあるし、転生してからの月日のせいでもある。十年以上前にやったゲームの記憶なのだから仕方がない。

 原作と現実の違いとして一例を挙げると、原作ではMPがマイナスになるまで一度に大量の調合を行う事が可能だったが、現実では不可能だ。調合品によって魔力の込め方や込めるタイミングが変わるので一概には言えないが、精神力が尽きた以降の調合は必ず失敗する。精神力が尽きると、気絶して何も出来なくなるので当然ともいえる。そして、魔力が自然回復するまで数日間、軽い寝たきりの状態に陥る。これは何度か繰り返し試して(気絶して)みたので、ほぼ間違いないだろう。

 精神力と魔力との違いだが、要は加工前と加工後だ。精神力は気力とも呼べるもので、多さに差はあれど誰しもが持つものだ。錬金術での調合を行う際には、精神力を魔力として込める必要がある。その結果、色々と不思議な物を作れたり、壊れにくかったり、ある程度鮮度を保てる代物が出来たりするわけだ。

 そんなわけで、原作での知識は『あれば便利』くらいに思っておかないと思わぬ場面で痛い目に遭う。世間には、ぷに相手なら楽勝と思って挑んだら、死闘を繰り広げるハメになったというイタイ男がいるくらいだ。

 ――俺の事だよ!

 今でこそ笑い話だが、当時はマジで死ぬかと思った。可愛い顔してても、やっぱ魔物は魔物なんだよな……。

 

「それにしても、平和な街だなぁ……」

 

 中世の西洋風めいた街並みを見渡しつつ、のんびりと石畳で出来た道を歩く。まだ明るいうちから飲んだくれてるオッサンもいれば、バカみたいに駆け回る子供達もいるし、井戸端会議するオバチャン連中も、世界が変わろうといつの時代も変わらず存在するものらしい。

 

「あら?」

 

 井戸水を汲みつつお喋りに花を咲かせていたオバチャン達が俺の視線に気づいたらしく、こちらを見つめてきた。まるで良い獲物を見つけた狩人のように一瞬ギラッと瞳が光った気がした。反射的に回れ右して逃げたくなる……が、ここはぐっと堪える!

 年増女と会話するのは苦行だが、今後の事を考えれば近所付き合いは大切にしなければならない。前世と違い、今は横の繋がりが密接な時代だから、うっかり村八分なんて状態になってしまったら目も当てられない。それでなくとも今後は客商売をする事になるのだから、人付き合いは大事にすべきだろう。

 

「ちょいと、そこのお兄さん。ここらじゃ、見掛けない顔だねえ?」

「こんにちは。はじめまして、私はアルトといいます。ケントニスから来た錬金術士です」

 

 足を止め、営業スマイルを浮かべて挨拶する。前世での経験に加え、現在に至るまでの貴族としての嗜みやらアカデミーでの生活といった様々な経験により、俺の面の皮は異常な程に厚くなっている。きっと今の俺の外面は、オバチャン達の瞳には紳士的な好青年として映っている事だろう。

 当然、好感触が得られるだろうと思っていたが……しかし、オバチャン達は予想に反して皆、戸惑ったような顔をした。

 

「れんきん……じゅつ、し?」

 

 ああ、なるほど。引っかかったのは、その部分か。

 本当に知られてないんだな、こっちでは。たまたま家主さん達だけが錬金術を知らなかったという可能性も考えないではなかったが、やはりこの辺りではそれが普通のようだ。自己紹介する度に説明の必要があるのは面倒だが、これも最初だけだと割り切るしかあるまい。

 

「ええ、錬金術士です。皆さん、ご存知ないですか?」

「聞いたことないねぇ……あんた知ってる?」

「いんや? 私も聞いたことないねぇ」

「あたしも知らんねえ」

「どんなものなんだい? その、れんきなんちゃらってのは」

「ええと、そうですね……一言で言えば、世の中の物質を変化させて新しい物質を作る技術、でしょうか」

「はあ、新しい物質ねえ。なんか難しそうだねぇ」

「いえ、そこまで難しいというほどでは。今までにない画期的な品物を作り出す事が可能なので、生活が色々と便利になったり、悩み事を解決出来たりすると思いますよ」

「ほう、そうなのかい!」

「ええ。例えば、暑さを和らげたりするアクセサリーとか、植物の成長を早めたりする栄養剤とかですね」

「それはすごいね! そんなものが本当に作れるのかい?」

「ええ、これはまだ一例ですけど。実際にアトリエを開いて経営する形になると思うので、その際にはぜひご利用下さい。アトリエの場所は、その突き当りの角の赤い屋根の家です」

 

 忘れずしっかりと営業をする。

 実際には酒場で請け負う形になると思うけれど、身元のしっかりしたご近所さんなら直接依頼を受けても問題ないと思うしな。常連になってもらえるなら、何よりだ。

 ――誰が依頼の品物を作るのかは、さておくとして。

 陽気すぎるオバチャン達と別れた後も、何度か街の人達に声を掛けられ、その都度、同じような会話を繰り返す。何度も何度も同じようなことを喋っているといい加減辟易してくるが、それも仕事のうちと割り切って我慢する。

 どうやら、この街の人たちは結構フレンドリーな感じらしい。閉鎖的な人達だったら馴染むまでに苦労するなと思ったが、原作内でも感じていた通りに気さくな人達ばかりだ。この分なら錬金術を広めるのもそう苦労はしなさそうだな。勿論、きちんと成功すれば、という大前提はあるが。

 ゲームと違ってセーブ・アンド・ロードなんて出来ない一発勝負。これが普通なんだけど、改めて実感すると少しばかり不安ではある。ケントニスで多少の経験は積んでいるが、実際に工房を構えて仕事を請けるというのは、また違う緊張感がある。

 俺が家の前にたどり着くと、そこには既に皆が集まっていた。ドルニエ先生と、イングリド、ヘルミーナ、あとオマケでリリーの合計四人だ。先生の話では、これに俺を加えた五人で共同生活を送る事になる予定らしい。

 

「すみません、遅くなりました。どうでしたか? 話し合いの結果は」

「やあ、おかえりアルト。それが……ちょっと困った事になってね」

 

 本当いつもアンタは困ってるな。

 ドルニエ先生から国王様との話し合いの詳細を聞いた所、やはり原作通りの展開だった。ちなみに課題は『薬』と、これまた原作通り。作るとしたら……まあ、フェニックス薬剤が無難なところか。提出する品物は一つでいいようなので、その辺りはリリーと相談しないとだな。どちらが作るのか、あるいは二人で作るのか、とか色々と。

 

「それで、そちらはどうだったかな? 首尾良く、家は借りられたかい?」

 

 ドルニエ先生が俺に尋ねた瞬間、他の三人も期待のこもった熱い眼差しで俺を見上げてきた。

 やっ、やばい! イングリドとヘルミーナの表情が可愛すぎて生きてるのが辛い!

 その上目遣いと赤らんだ頬は反則だ! くぅっ、興奮もとい感動のあまり鼻血が出てしまいそうッ!

 

「アルト?」

「……え? あっ、ああ……すみません、大丈夫です。ちょっと脳内に今の光景を保存していただけなので」

「ふ、ふむ?」

「で、この家は問題なく借りられましたよ。鍵と契約書類を預かってきたので、あとで確認しておいてください。井戸はこの先に共用のがあるので、それを利用して良いとの事でした。あまり騒がなければ、夜も活動していて問題ないようです。あと、前の住人が使っていた家具等が残っているのでそれは自由に使って良いそうです。処分する際の代金に関してはこちら持ちで、その分家賃は想定よりも安く済みました。そうそう、道すがら何人かと街で話してみたんですが、やはり錬金術は皆さん知らないようでしたね」

「ありがとう。相変わらずこういう事にはソツがないね、キミは。とても貴族とは思えないよ」

「褒め言葉として受け取っておきますよ。まあ、あとの細かい事は追々。さ、中にどうぞ」

 

 預かった鍵で玄関のドアを開け、皆を中に招き入れる。我先にと急いで入っていくイングリドとヘルミーナ。それに続いて、ドルニエ先生とリリー。最後に俺が入り、ドアを閉じる。

 

「わあ、ひっろーい!」

 

 イングリドが嬉しそうな声を上げながら、さっそく部屋の中をはしゃぎ回る。ヘルミーナはヘルミーナで、本棚から次々と本を取っては中身を確認しているようだ。

 それにしても、イングリド。そんなに元気良く動いたら危ないぞ? やれやれ、まったく。困ったなぁ、ああ困ったなぁ、本当に困った……怪我をしたらどうするんだ。仕方ないな、うん、仕方ない。ここは、大人である俺がきちんと見守ってあげなくてはならないよな。

 俺は慈愛に満ち溢れた笑みを浮かべ、ゆっくり床へと屈み込み……なっ、なんだリリー、その冷たい視線は!?

 ……ち、違うぞ。俺は別にわざとスカートの中身を覗こうとだなんてしていない。だから、無言で拳を振り上げるなッ!!

 

「アルト……それ以上、変な格好をし続けようとしたら、今すぐ追い出すわよ?」

「んぐぅッ!? お、お前は素晴らしい錬金術士の俺をもうちょっと尊敬すべきだと思うぞ?」

「人間性が異常すぎて、その一面だけでマイナス極めてるから無理ね」

 

 容赦ねえよ、この女!

 

「ねえねえ、先生! 今日から、ここに住むんですよね?」

「ああ、そうだ。今はまだ基本的な家具しかないけど、持ってきた器材とか色々運んだら結構手狭になるぞ?」

「アルトには聞いてないもん!」

 

 う……うん、イングリドはいつも通り平常運転だな。

 大丈夫、俺は泣いてないぞ。泣くもんか……ううっ。

 

「アルト先生、これって自由に読んでいいの?」

「ああ、大丈夫だ。前の人がもう読まないからと置いてった物らしいからな。好きにしていいぞ」

「ふ~ん……」

 

 シグザール王国の本が物珍しいのか、ヘルミーナは興味深そうに物色している。本当に、読書が好きなんだな。どこかのバカもこれくらい本を読まないと、彼女達に追いつけないと思うんだが。

 さて、ドルニエ先生はどうしているのかと探してみれば、早くも椅子に腰掛けて一息ついていた。今日は歩き回ってばかりいたし、王様との謁見は精神的に来るものがあっただろうしなぁ……年齢のせいだとは言わないでいてあげよう。

 

「へー、奥にも部屋があるのね」

「台所、風呂、トイレとかだな……って、なんで俺の腕をつかむんだお前は!?」

「放っとくと何をしでかすか分からないから。監視よ、監視」

「一流の錬金術士に向かってこの扱い! 先生、こんな不当を許すんですか!?」

「疲れたので私はちょっと休んでいるから、確認は君達に任せてもいいかね?」

「許しやがった! ドチクショー!」

 

 現実の理不尽さをかみ締めつつ、リリーに抵抗できないまま引きずられていく。抵抗してもいいのだが、そのための労力が惜しい。そして、命が惜しい。

 何が面白いのか、イングリドとヘルミーナも騒ぎながら俺達の後ろをついてきた。

 

「先生、お風呂ー!」

「ひっろーい!」

「へえ……本当ね。さっき見た台所もそうだけど、お風呂も結構、広いじゃない」

「元が職人の住居だからな。弟子とかが住む事を考えたら、多少は広く作らないとだろ」

「これならイングリドとヘルミーナも一緒に入れそうね?」

「ほんとー? 先生と一緒ー」

「やったー!」

「いやっふぉおおおおおお!!」

「何でどさくさに紛れて、あんたまで喜んでるのよ。誰が二人とあんたを一緒にさせるか。当然、アルトは一人よ」

「ですよねー」

 

 分かっていたけどな!

 しかし、惜しい。惜しすぎる。せっかくのチャンスだというのに、俺は一人で寂しく入らなければならないのか!?

 

「どうしても誰かと一緒に入りたいなら、ドルニエ先生と入れば?」

「お前はどうあっても俺を怒らせたいようだな!」

「あんたがあたしを怒らせてるのよ!!」

 

 フッ……まあ、いい。今はそうやって妨害するといいさ。

 同じ家に住むのだから、チャンスはまだまだこれからもたくさん訪れる。自然を装い、意図的にちょっとエッチなハプニング展開を起こしてやるぜ!

 ――と、本来なら並々ならぬ決意を胸に表明したい所なんだが……。

 うーむ……どうしたものかなぁ? 物語を変えると決意したけど、だからって変えなくてもいい部分まで変える必要はないんだよな。あくまで、俺は俺としてこの世界で生きるだけで、最低限で済ませるべきなんじゃないだろうか。特に、人生を俺に左右されかねない人間もいる事だし。

 

「……な、何よ。急に黙っちゃって……本当に怒ったの?」

「ん? いや、なんでもない。気にするな」

「そ、そう?」

 

 いつもみたいに口論にならなかったせいか、不審気な顔をするリリー。言い返したら言い返したで怒るくせに、黙っていても不満らしい。いったい俺に、どうしろというのか。

 

「アルト、二階はどうなってるの?」

「大きな部屋が一つだな。寝室にしてたみたいだから、ベッドとかタンスもあると思うぞ」

「そっか。じゃ、使える物はそのまま使うとして足りない物だけ買い足そうか。節約出来る部分はしないと」

「お前にしては、良い心掛けだな」

「お前にしては、っていうのは余計。まあ、お金はいくらあっても困らないし、無駄遣いのせいで破産なんて目も当てられないものね」

「いざとなったら、俺の実家に頼る手もあるけどな」

 

 それなりに由緒ある裕福な貴族なので、その程度のお金は余裕で出せる。俺が錬金術士として個人的に稼いだお金もあるしな。

 そんな思いで気軽に口にした途端、俺の腕をつかむリリーの手にギュッと力がこもった。

 

「それは絶対にダメ! あたし達の力で成し遂げないと意味は無いもの。錬金術を広めるのも、アカデミーを建てるのも、全部あたし達自身の手でやるのよ」

「…………」

 

 予想外の強い眼差しに、思わず面食らって言葉を失う。

 ……忘れていた。普段の会話の馬鹿らしさのせいで。

 リリーの本質は、錬金術に全てを捧げられるほどの情熱にある。拙いものとはいえ、独学で錬金術を学ぶというのは容易く誰にでも出来ることではない。人から教えられるのと、自ら学ぶのとには大きな隔たりがある。その錬金術に向ける貪欲なまでの姿勢は、俺にも真似が出来ないものだ。

 その一点において、こいつは誰よりも錬金術士だと言える。

 

「それに、あんたに貸しを作ると後で何を要求されるか分かったものじゃないし」

「その一言で全部台無しだッ!!」

 

 見直す必要なんてなかったな! 所詮、売れ残り女は売れ残り女だ!

 

「さ、二階も確認しに行くわよ」

 

 リリーが二階に向かおうとすると、ちびっ子二人組みが先を争うように勢い良く階段を上っていった。仲良しなんだか仲が悪いんだか。

 思わず、リリーと顔を見合わせ苦笑する。……って、なんでこいつと意気投合してるんだ俺は。

 ハッと我に変えると、リリーもなんだかバツが悪そうに顔を逸らした。

 

「二人とも、ちょっといいかな」

 

 なぜだか気まずい雰囲気になってしまい、黙ったまま二階へ向かおうとする俺達を、ドルニエ先生が呼び止めた。

 

「先に、相談しておきたいことがあるのだが」

「はい、なんです? ドルニエ先生」

「俺には今すぐあの子達を見守るという重要な義務があるのですが」

「うむ。これから我々はここで生活するわけだが……我々にはアカデミーを建てるという大いなる目的がある」

「また俺の発言無視だよ……」

 

 ケントニス出発してから、加速度的に俺の立場が低くなっていってる気がするぞ……。

 

「普通に生活する分には問題ないが、おそらく私達三人も目的のために何かと手一杯になるだろう。となると、今が一番はしゃぎたい盛りのイングリドとヘルミーナの二人を、同時に面倒を見るのは厳しいと思うのだ」

「そうですね。作業中は特に掛かりっきりになると思いますし」

「俺は二人とお留守番で一向に構いませんが。いえ、むしろそうしたいです」

「そこで思うのだが、私達三人のうち二人が、一人ずつあの子達の面倒を見るというのはどうだろうか」

「うーん、そうですねぇ」

「…………」

 

 なんかもう、俺の意見って大概流されるよな。出会った当初はもうちょっと取り合ってくれてたのに。先生も冷たくなったものだ。

 ……って感傷に浸るのは後にしよう。良い機会だし、俺の考えもそろそろ言っておいた方がいいだろう。

 考え込むリリーを尻目に、いつものように流されては困るので、きちんと挙手をしてからドルニエ先生に話しかける。

 

「ドルニエ先生、その前に実は俺から提案したい事がありまして」

「うん? なんだい、アルト」

「またなんか変な事言い出すんじゃないでしょうね?」

 

 半目でこちらを見遣るリリーを無視して、さらりと口にする。

 

「――俺は、この家とは別の場所で暮らそうと思います」

 

 

 

 

 

 

 一瞬、何を言われたのか理解出来なかった。

 

「別の場所で……かね。ふむ」

 

 アルトの発言に、ドルニエ先生も戸惑いを隠せない様子だ。

 この家とは別の場所で暮らす。アルトはそう言った。

 それはつまり、あたし達とは一緒に暮らさないということ。

 ……え?

 なんで?

 どうして?

 

「ちょっとアルト、何をいきなり――」

「仮に皆でここで暮らすとした場合、この家は普通の住居よりは広めですが、それでも五人だと若干手狭だと思います。特に錬金術を行う一階は、二人分ともなると機材も相当増えますし。イングリドとヘルミーナの分も置くとなると調合するのにも一苦労でしょう」

 

 言葉の真意を確かめようとアルトに問い詰めるも、まったくこちらを見ようともしない。

 あたしを無視して、あくまでドルニエ先生に提案という形で喋り続ける。

 なんで? どうして、あたしを見ないのよ。

 

「それに二人で調合となると、色々と軋轢も生じるかと。一人が静かに集中して作業をこなす工程なのに、もう一人がトンカチで叩くような作業をすると問題でしょう。素材に関しても、錬金術士二人分の物を置く場所を確保するとなると一苦労です。同じ錬金術士といっても技術は異なりますし、思いも寄らぬ事故を引き起こすかもしれません」

 

 理路整然と語るアルトに、苛立ちが募っていく。言っている事は正しいし、その通りだと納得出来る。

 でも、どうしてそんな大事なことを一人で全部決めてしまうのか。なぜ一言も相談してくれなかったのか。

 彼の考えには、あたしという存在は一切入り込む余地がなかった。あたしの考えなんて、考慮する必要がないってこと?

 あんたのことは気に食わないし、最低だし、大嫌いだけど……でも錬金術士として、一緒に頑張っていく仲間だと思っていたのに。だけど、あんたからしたらあたしなんてただうるさいだけの邪魔な人間でしかないの? あたしの勘違い?

 怒っているはずなのに、なぜだか無性に悲しくなってきた。

 ……ねえ、あたしってそんなにあんたにとってどうでもいい人間だったの?

 

「――仕事面だけでなく、共同生活という部分だけでも色々と揉め事は起きると思います。本人達の意思はともかく、世間一般でいえば、それなりの年頃の男女が同じ家に住むわけですから。俺はともかく、彼女達には相当の負担になると思います。そうでなくとも、他人と一つ屋根の下で暮らすわけです。ただでさえ慣れない異国での初めての仕事なのですから、負わせる必要のない負担は除くべきでしょう」

「あ……」

 

 知らず、声がもれてしまった。

 分かってしまったのだ、彼の言葉の裏側が。

 努めて冷静に、強調しないように平然と口にしたその内容。

 あえて目立たないように、最初に言わなかった理由。

 さっさと喋り終えて、すぐに次の話題に移ってしまったけど。

 でも、だからこそ、気付いてしまった。

 なんて事はない。色々と言葉を重ねてはいるけれど、言いたい事は一つだけ。

 あたし達の迷惑になるから、自分は違う所に行く。

 そう言いたいだけなんだ。

 ……そうか。先生がアルトを信頼している理由が、なんとなく分かった。

 彼は他人の事を思い遣れる人間で、だからこそ相手が本当に嫌がる行為は決してしない。

 イングリドやヘルミーナに対してもそうだ。彼が本当にそういう行為を目的として、それを遂げることを第一に考えるなら、誰にも告げずその真意は秘密にしておくはずだ。だって、その方が目的を遂げるのに好都合なのだから。彼だったら、誰にも警戒心を抱かせない演技くらいは平然とこなすだろう。実際、彼の態度が豹変するまで、誰も彼の嗜好に気づかなかったのだから。

 あたしみたいな二人の保護者相手にそういう態度を取れば、警戒されるに決まっている。それなのに隠さず、あっさり正体を晒した。それはそれでどうかと思うし、日常的な変態行為に心休まる日はないけど――

 それでも、それは彼なりの優しさなのだろう。

 今回に関しても、あたし達の……というか、たぶん、あたしの。うん、あたしの事を考えて、そうと気づかれないようにしているのだろう。

 誰があんたに、そんな事を頼んだのよ。

 誰があんたに、いつ迷惑だなんて言ったのよ。

 誰があんたに、傍にいて欲しくないだなんて言ったのよ。

 誰があんたに……。

 ――本当、バカなやつ。

 でも今回ばかりは、彼の優しさは的外れだ。根本的に間違えている。

 

「同じ場所で錬金術を広めるより、二人でそれぞれ違う場所で活動した方がより広範囲に広まるでしょう。まだ住居を見つけたわけではないですが、違う場所といっても同じ王国内です。連絡を取るのに、それほど困りはしないでしょう」

 

 提案というより最早、言い包めるというような感じで前のめりに熱く語るアルトに、ドルニエ先生は困ったようにアゴに当てた手をさする。その視線が、ちらっとあたしの方に向けられた。

 ……ええ、分かってますドルニエ先生。

 あたしはドルニエ先生の意図を察して、さっそく行動に移す事にした。

 まだまだ言い足りないと言うように口を動かし続けるアルト。

 その頬に――

 

「ふんッ!」

 

 容赦なく、ビンタをくれてやった。

 

「ッ痛ぁあああーーー!? えっ、ちょ、何してくれてんのお前ッ! 今、そういう場面じゃないだろ!?」

 

 アルトはあたしの攻撃が予想外だったのか、打たれた頬に手を当ててオカマっぽい姿勢で抗議した。本気で引っぱたいてやったので、少し涙目になっている。

 あー、すっきりした。まったく、バカも休み休み言って欲しいものよね。

 あたしに行動するよう視線を向けた先生はといえば当然……あれ? ちょっと過激だったせいか、目を白黒させていた。でもちょっと言葉だけで遮るには、あたしの感情が吹っ切れちゃってたから仕方ないと思うのよね。うん、これは仕方ないことだ。アルトの自業自得。

 

「お前、ちょっと空気読もうぜ!?」

「空気読めてないのはあんたの方よアルト。一人で突っ走っちゃってるバカを止めるっていう、そういう場面よ今は」

「はあ?」

 

 やだ、こいつ。まだ分かってないの?

 

「アルトが言ってるのは、自分がいるせいで生じるデメリットに関してだけじゃない」

「…………」

 

 やっとこちらが言いたい事を察したのか、瞳から怒りの色が消える。まあ、その非難めいた視線からすると、全然納得出来ていないみたいだけど。

 そんな分からず屋に、あたしはきっぱりと言ってあげる。

 

「あんたが居る事に対するメリットはどこにいったのよ?」

「……そんなの」

「あるわよ。――ありますよね、先生。だからアルトを連れてきたんですよね?」

 

 ドルニエ先生に水を向けると、同意するように深く頷いてくれた。ほら、あたしの言うことの方が正しかったじゃない。

 

「その通りだよ、リリー。君達が気を悪くするといけないと思って言わなかったが、アルトには表立って動くより、むしろ、リリーのフォローをしてもらいたいんだ」

「フォロー、ですか?」

 

 オウム返しに問うアルトに、ドルニエ先生が椅子から立ち上がりながら頷く。

 

「私は色々と交渉へ出かけなければならない都合上、ここを留守にしがちになる。けれど、リリーはまだ錬金術士としてその道を歩み始めたばかりだ。子供達だってまだまだ手の掛かる年頃だ。彼女達だけで生活していくには、いささか不安が残る」

「いや大丈夫ですって。実際、こいつら問題なかったし」

「アルトが言っているのはケントニスでの生活の事だろう? ここでの生活は、さっきキミが自分で言ったように大きく異なるものとなる。仕事だけでなく、環境もまた新たなものとなるのだから、負担は増えるだろう」

「いや、そういうわけじゃ……」

 

 ごにょごにょと言い訳にならない事を口の中で呟くアルト。本当、往生際の悪いやつめ。

 

「錬金術士としてのキミは、既に一流といって差し支えない。私の手が届かない域にまで達している部分さえある。そんなアルトになら、彼女達を導けるだけの資格は十分にあると私は思っているよ」

 

 性格に関しては問題しかないけどね。

 まあ、今はドルニエ先生が説得してる場面だから黙って見ていよう。

 

「仕事面だけでなく、生活面に関してもそうだ。アルトは色々と、その年齢にしては驚くほどに処世術に長けている。貴族というのが何かの冗談にしか思えないほどにだ。自活能力に関しても、寮生活をするリリーへ何度となくアドバイスしていたことだし、語るまでもないだろう」

「そりゃ俺は二度目なんだから当然……」

「二度目?」

「あ、いや。なんでもない。じゃない、です。ま、まあ、たしかに多少は物を知ってますけど、それにしたってそこまで大げさに言うほどでは」

 

 事態の不利を悟ってか、アルトはますます困った顔で頭をかく。そうしていると、ちょっとは同年代の男の子っぽく見えるんだけどね。

 

「イングリドやヘルミーナは言うに及ばず、リリーもまだまだ色々と悩み多き年頃だ。間違いだって犯すかもしれない。けれど、そんな時に頼れる大人が傍に居るのと居ないのとでは、大きな違いがあるだろう?」

「リリーは俺とそう大差ない年齢だと思いますが……」

 

 ふん、普段は年増年増って言ってくれるくせに!

 

「それに、だ。私が居ない時、女の子達だけでは何かと危ないだろう? やはり、こういうのは男性がいないと」

 

 アルトがいたらいたらで、また別の心配事は増えるけど。

 という事実もまた伏せておく。

 実際、あたし達だけで住むのは不安なのだ。それこそ、無意識でアルトが一緒に住むものだと決め付けて安心したがるほどに。

 普段のあたしなら、それこそアルトが一緒に住む事自体、大反対してもおかしくはないのに。

 アルトはすっかり意気消沈した様子で、それでもまだ降伏しないのか恨みがましい視線であたしを横目に睨んできた。

 でも、そんな目で見つめてきても無駄よ、無駄。だって、あたしも先生と同じ意見なのだから。

 あたしがアルトを無視していると、彼は小さく舌打ちしてから再度ドルニエ先生に向き直った。

 

「た、確かにドルニエ先生の言う通り、メリットもあるかもしれません。ですが、それでデメリットが消えるわけではありません。それらはどうするのですか?」

 

 こればかりは誤魔化されないぞ、とアルトが眉根に力を入れて抗議する。

 確かに、アルトの言う通り。今回は正しいことを言っている。メリットはあっても、デメリットが消えるわけではない。

 でも、残念。その質問こそ、きっとドルニエ先生が待ち望んでいたものだ。そして、あたしが望んだものでもある。

 ドルニエ先生は会心の笑みを浮かべて答えた。

 

「それなら問題ない。その大半はアルトとリリーの二人できちんと話し合えば、解決出来ることだろう。まずは、二人で良く相談しなさい」

 

 まったくもって、先生の言う通りだ。

 頭が良くて何でも自分で器用にこなせちゃうから、分からないんだ。そんな簡単なことが。

 他者と協力するということ。

 今まで自分一人で済ませてきたから、彼の頭には最初から思い浮かばなかったのだろう。処世術の延長としてなら問題なくても、信頼関係として頼り頼られる間柄というのは苦手なのかもしれない。信用ではなく、信頼。用いるのではなく、頼る関係。

 アカデミーでの彼は分け隔てなく誰にでも好かれていたが、アルトが特定の個人と親しく付き合う友人というのはあたしが知る限り一人もいなかった。神童として周囲に見られてしまう以上、彼がどう思おうと、友人という対等の立場に立てないのだ。

 アルトには、本当の意味での友人というものがいないのかもしれない。それは親友と呼ぶべき存在。その家柄、才能、容姿、性格、皆が知らずに遠慮してしまう。それは本当に寂しい事で、悲しい事だ。あたしにだって、故郷にも、アカデミーにも、数は多くないけど親友と呼べる人達はいる。でも、彼にはいない。

 ……もしかしたら、彼に一番近い位置にいるのがあたしなのかもしれない。

 打算のない、想いによって繋がる関係。

 アルトがあたしを頼り、あたしがアルトを頼る。

 あたしがアルトを頼り、アルトがあたしを頼る。

 そんな持ちつ持たれつな関係。

 ……いや、あたしもアルトを信頼するというのに、未だに根強い抵抗がないわけじゃないけど。ていうか、すごいあるけど。本気で悩むけど。

 まあでも、一部分を除けば確かにこれほど頼り甲斐のある男性というのはいないのだ。少なくとも、あたしの人生で同年代では初めてだし。うん、そう、いや、そうじゃなく。男性じゃなくて、錬金術士として頼るわけだから。そう、だから、問題はないはず。ないよね? ないと思う。ないんじゃない? ないってば!

 

「お前はそれでいいのかよ?」

 

 最後の抵抗とばかりに、ついにあたしへと言葉に出して聞いてくるアルト。

 でも、残念でした。あたしの答えは最初から決まってます。

 

「良いも悪いもないわ。最初からアルトと一緒に住むことになるって思ってたんだから」

 

 そうでなければ刻々と迫る期限を考え、船旅の最中に一人で顔を赤くして身悶えるなんてことをしていない。ベッドの中で唐突に苦しむあたしを、イングリドとヘルミーナが病気かと心配したほどだ。

 悩む様子のないアルトにあたしだけ戸惑っているのかと腹が立って言わなかったけど、まさかこんなバカげた事を考えていたとは思わなかった。

 

「それと、一つだけ訂正。あたしはあんたの事を、ただの他人だなんて思っていないわ」

 

 だからといって、じゃあ何なのかと聞かれると困るのだけど。

 だって、あたし自身にだって分かっていないのだから。でも、アルト以外の他のアカデミーの男子生徒だったら、あたしはたぶん一緒に暮らすことに反対したと思う。それだけは確かだろう。

 あたしの返答を聞いて観念したのか、アルトは長いため息と共に両手を上に広げた。

 

「分かった。俺もここで一緒に暮らす」

「ん。分かればよろしい」

 

 うんざりとした表情でつぶやくアルトを見て、あたしは胸が空く思いで頷きを返した。

 まさか初日からこんなことになるなんて思ってもいなかったけど、これはこれで良かったのかもね。もっとも、アルトにとっては不本意でしょうけど、今回ばかりは譲るわけには行かない。ドルニエ先生だってそう思ったからこそ、協力してくれたんだろうし。

 今回の件でちょっとだけ、今までよりアルトのことも理解出来た気がする。その不器用な優しさを。

 でも、イングリドとヘルミーナへの対応を改める気は絶対にないけどね。それとこれとは別問題だ。変態には甘い対応なんて不要。あの子達の安全はあたしが守る。今まで通り、容赦無くビシバシいくから覚悟するように。

 勝者と敗者といった正反対の表情で対峙するあたし達の腕を、ドルニエ先生が手に取る。

 

「私は立場上、キミ達のように表立って動く役割ではない。だがだからこそ、二人が錬金術士として自由に動けるように、全力で裏側から支えよう。これから三人で、協力して、この地に錬金術を広めていこうじゃないか」

 

 あたしとアルトの手を重ね合わせ、その上にドルニエ先生の手が置かれる。

 

「――ここから始めよう。錬金術を広めるための物語を」

 

 ドルニエ先生が仰々しく言うと、アルトが深い感銘を受けたかのように静かに頷いた。

 アルトも、さっきまでの会話で何かしら思う所があったのかもしれない。

 

「……分かりました。つまり、イングリドやヘルミーナが着替える際にうっかりドアを開けてしまうとか、お風呂に入っている時に間違えて入ってしまうとか、トイレのドアを鍵が掛かってないのに気づかず開けてしまうとか……そういうハプニングは認められる――そういう事ですね?」

「全然違うわ、このド変態がぁぁぁぁあああーーーッッ!!」

 

 アルトと一緒に同じ家で住む事に決まったけど……大失敗だったかもしれない。

 早くもあたしは後悔しつつあった。


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