アルトとイングリドとヘルミーナのアトリエ(あとオマケが一人) 作:四季マコト
「では二人には後程、相談してもらうとして……最初の話に戻ろう。イングリドとヘルミーナ、誰がどの子の面倒をみようか」
「ドルニエ先生、提案があります」
俺が挙手と共に発言すると、リリーがじとーっと半目で睨んできた。いつの間に持ってきたのか、鋼の杖を持つ右手をグッと握り締め、無言でこちらを威圧してくる。要約すると、『また変なこと言うようなら今度は本気で殴る』だろう。
……ついに発言の無視どころか、言論の弾圧まで始まったよ。なんて、ひどい世の中だ。
「俺とリリーで二人の面倒はみますので、先生は基本的に自由に動いて頂いて結構ですよ」
「ちょっと、アルト! また、そんな勝手に!」
「いいのかね? しかし、それではキミ達の負担が大きくなるのだが」
負担云々で言うのなら、今、俺の隣で膨れ上がる脅威の方が生命の危機を感じてなりません。
待て、落ち着け! 今から理由を説明してやるから、一先ずソレを静かに地面へ置くんだ!
「俺とリリーが調合する傍ら作業を手伝わせれば彼女達の勉強にもなりますし、俺達も助手がいれば作業の負担が減って助かります。採取に関しても同様のことは言えますし、実際に体験してみて分かることも少なくないでしょう。魔物との戦闘や野営の準備など、経験を積ませたいことは山ほどあります。それだけでも十分彼女達の面倒を見る理由にはなりますし、それに何より先生の行く場所は、子どもを連れて行くのに相応しい場所とは言えないでしょう?」
「それは確かに……アルトの言う通りだね」
「どういうこと?」
まともに話を聞く気になったのか、リリーが言葉の意味を尋ねてくる。
「今日みたいに、お城や貴族の屋敷に行く時にどうするのかって話だよ。その都度、交渉の邪魔にならないよう俺達に預けるなら、最初から俺達が世話した方が早いだろう?」
原作内ではドルニエ先生仕事しろよ引きこもりじゃねえかと、ともすれば思われがちだが(実際に俺は思っていた)、現実には地元の名士やら富豪やらに渡りをつけたり何なりとやるべき事は数多い。
錬金術を広めるには依頼をこなす必要があるが、ただ依頼が来るのを自然と待っているだけでは時間が掛かりすぎる。それに錬金術を広めるのも目的の一つだが、もう一つの目的であるアカデミーを建てるには知名度をあげるだけではダメだ。目的のために必要となる事柄は、数え上げたらキリが無いほどある。
錬金術の腕を磨いて周囲への知名度を上げ、資金を蓄えるだけの俺達は、ドルニエ先生と比べてむしろ気楽な方なのだ。
「納得したか?」
「納得はしたんだけど……」
だけど、なんだよ? 不満そうな顔しやがって。まさか、面倒を見るのが嫌だとでも言う気か?
よろしいっ! ならばいっそ、二人とも俺が面倒をみてあげようじゃないか! そして、恋愛フラグを多数発生させて見事に同時攻略してみせる!!
「あんたがそういうまともな意見を言うのが信じられなくて。特に、あの子達が関わってる事なら、変じゃない方が変なのよ」
「ギクッ!」
「……気のせいかしら。今、『ギクッ!』て言わなかった?」
「言ってません!」
「今、素直に白状するなら殴らないであげるわ」
「本当だな!? 本当に殴らないな? 絶対だな! 約束したからなッ!」
「そこまで必死に言われると、有無を言わさず今殴っておきたくなるけど……ていうか、やっぱ何か隠してるんじゃないの!」
「しまった!!」
リリーのくせに生意気な! この俺を誘導尋問にハメるとは!!
だが、甘いぞ。そう簡単に俺が降伏すると思ったら大間違いだ。さっきはドルニエ先生に言い含められた形になってしまったが、相手がお前だけなら問題はない。
「これを機会に、二人と仲良くなれればと思っただけだよ」
そう、ただそれだけの事だ。だから、俺は焦ることなくすんなりと答えを口にする。
両手を広げ、白状します、とポージング。表情は、内緒事がバレて残念といった程度のものに固定。
怪しまれることなんて何もない――そう、本音なんてバレるわけがないのだ。
「そしてあわよくば、あたしがいない隙に色々としよう、と?」
「やっ、やだなぁリリーさん! ぼ、僕がそんな事考えるわけないじゃないですかあ!」
バカなっ!? なぜバレた!!
必死に取り繕う俺に、リリーは頭に右手を遣ると頭痛を堪えるような仕草で長々と溜め息を吐いた。
「あんたがいかに演技しようと、その悪質な性癖知ってるから何も意味はないわよ?」
「なんてことだ!」
残念! 俺の画策はここで終わってしまった!
「警告しておくわ。今後もし二人に対していかがわしい行為をしたら――ちょん切るわよ?」
リリーがピースサインの人差し指と中指を、シャキンシャキンとハサミに見立てて動かす。
その言動が意味する物は……。
たらり、と冷や汗が不意にこめかみを伝う。
ごくり、と生唾を飲み込む音がやけに大きく響く。
眼前の光景からは、嫌な想像しか思い浮かばない。
「な、何を!?」
「うふっ」
慈愛に満ちた笑みを浮かべて、指を動かし続けるリリー。
黒い! 黒すぎる! 表情と発言のギャップが恐ろしすぎる!
そして、この女はやると言ったら絶対やる。容赦無くやる。俺が泣き喚こうが、無慈悲にやるに違いない。見える、見えるぞ。高笑いしながら楽しそうにハサミを握るリリーの姿がっ!
思わず、腰を引いた格好になって呻く。
「わ、分かった。仲良くなる程度で我慢する」
「あら、そう? 分かってくれて良かったわ」
この女は分かっていない。自分がどれだけ男にとって残酷極まりない事を口にしたかを。
同じ男性であるドルニエ先生を見遣ると、自分が対象でないにも関わらず、やっぱり強張った表情でちょっと腰を引いていた。分かる、分かります、その気持ち。この女マジ今のうちに処分しておいた方がいいと思います俺も。さっきといい今といい、本当に忌々しいやつだ。
このまま言い様にやり込められたままでは、男としての沽券に関わる。
一言くらい、やり返させてもらおうか。
「もっとも! 彼女達に教えるといったところで、実際には二人から教わる事になりそうなへっぽこ錬金術士もいるけどな。誰のこととは言わないが!」
「う、うるさい! いいのよ、これから挽回するんだから!」
「ほう、それはそれは! いつか、そんな日が来るのを楽しみにしているよ。い・つ・か!」
「ぐっ……! こいつ、ムカつく!!」
それはお互い様だっつーの!
ぐぬぬ、と唸り声を上げるリリーを見て少しばかり溜飲を下げる。
「ドルニエ先生、そういうわけなんで二人は俺達に任せてください」
「ふむ。二人がそう言うのなら、今回はお言葉に甘えさせてもらおう」
となると問題なのは……どちらの面倒を見るか、だな。
イングリドとはイマイチ良い関係が築けていないが、これを機に仲良くなるのもありだろう。アカデミーとは違い、四六時中一緒にいて面倒を見てあげれば、きっと俺の素晴らしさに気づくに違いない。
ヘルミーナとはすでに結構仲良しなので、上手く相手をする自信がある。今までよりも一緒にいる時間が増えるから、より親密になれるのは間違いない。
つまり、俺は二人のどちらになっても問題はない。
「リリー、どっちの面倒を見るかはお前が決めろ」
「え? いいの?」
「ああ。ちなみに、二人とも俺に任せるという素晴らしい手もあるぞ?」
「そうすると、あんた絶対働かないでしょうが」
「なにを馬鹿な。二人と過ごす時間より仕事を選ぶわけがないだろう?」
「馬鹿なのはあんたよ!!」
「で、どっちだ?」
さっさと決めろ、と急かす。ちなみに俺が選ばなかった一番の理由は、二人に順位をつけるなんてとんでもない!――という理由だ。俺がどちらかを選んだ場合、もう一方の耳にその事実が入ったら、嫉妬されてしまうかもしれないからな。平等に愛を注ぐのは当然のことだ。
これでリリーは選んだことにより、選ばなかった方に嫌われる。完璧だ。今回の勝負、俺の勝ちだ!!
リリーのバカはこちらの思惑など想像もつかない様子で考え込んだ後、やおら顔を上げて言った。
「……そうね。じゃあ、あたしはイングリドの面倒をみようかしら」
「てことは、俺がヘルミーナ担当か」
「何よ、意外そうな顔して」
「イングリドは俺のことを苦手にしてるようだから、これを機会に少し仲良くなってもらえれば、とか言い出すかと思ったんだが」
「それも考えなかったわけじゃないわよ? でも、イングリドがあんたと行動するのを納得してくれるとは思えなくてね。ヘルミーナなら、あんたとうまく付き合っていけそうだし。あと訂正しておくけど、イングリドはあんたのこと苦手じゃなくて嫌ってるのよ」
「その訂正は余計だ!」
事実を突きつけるだけが優しさだと思うなよ!?
「まあ、嫌うように差し向けたのはあたしだけど。変態とはいえ、好意持ってる相手に警戒するのは難しいだろうからね」
「お前と次に会うのは決闘場でだな!」
ドッと血涙が流れた(気がする)。
まさか、俺が地道に彼女達の好感度を上げようと努力する傍ら、それを無に帰そうとする人間がいるとは! 汚いな、さすが年増女汚い。彼女達に嫌われるように陰謀を巡らすとか、とても人間のすることとは思えない。そんな手段、常識のある人間ならば絶対に取らないだろう。
「それなのに、ヘルミーナはどうしてかあんたのこと気に入ってるみたいだし。優しい子達だから、自分に好意的に接してくる相手を、変態相手とはいえ嫌うのは難しいのかしらねぇ……。仲良くなる程度なら構わないけど、変態相手に警戒しなくなると厄介よね」
「俺の努力を厄介とか言われた! 二人に好かれようと日々精進しているのに!」
あまりにも無慈悲な言葉に、ついに俺は両膝をついて屈服してしまう。
あれ……おかしいな、なんだか目の前がぼやけて見えるよ。
「お前は結局どうしたいんだよ……二人が俺を憎むようにしたいのか? そうなのか!?」
「そ、そこまでは言ってないわよ。ただ、変態に対する警戒を怠らないようにして欲しいだけよ。二人ともまだ女の子としての自覚が足りないから、男がどういう生き物なのかっていうのを分かってないみたいだし」
困ったものね、と苦笑いをするリリーを見ていると、ふつふつと心の奥底から衝動がこみ上げてきた。熱を伴った衝動はどん底だった気分を強引に天へと押し上げ、俺を新たな感情に燃え上がらせた。今この瞬間、この身は理性の束縛から解放され、本能によって行動する荒ぶる獣と化す!
人はその感情をこう呼ぶ――怒り、と!!
……決して、逆ギレではない。
「変態……この俺が、変態……だとぉ?」
「何よ。その通りでしょ」
反論があるなら言ってみなさいよ、とフフンと余裕ぶった笑みを浮かべて両腕を組んで胸を張るリリー。ええいっ、その無駄に膨らんだ脂肪を強調して見せ付けるな、うっとおしい! そういう仕種は、イングリドのような天使がしてこそだといつも言っているだろうが!
人のことを散々こき下ろしやがって……いったい何様なんだお前は!
激情の赴くまま、すっくと立ち上がり、リリーに人差し指を勢い良く突きつける。
「さも分かったかのように言うが、そういうお前は男と付き合ったことがあるんだろうな!?」
「えっ?」
俺の一言に、きょとんと目を丸くするリリー。
やはり、な。俺の予想した通りだ。
「『えっ』てなんだ、『えっ』て。まさかとは思うが、知ったかぶりをしてるんじゃないだろうな? 恋愛経験豊富どころか、一人も恋人がいたことがないとか言わないよな? そんな有様で男についてしたり顔で講釈ぶちかましたなんて、そんなことあるわけないよな?」
問いかけつつも、俺はほぼ確信している――こいつは異性と付き合ったことが無い、と。
なぜなら原作内では直接的に表現されたわけではないものの、イベントの内容から察するにこれまで深い関係になった相手はいないようだったからだ。この世界でもやっぱり錬金術バカなので恋愛なんてする時間はなく、そういう関係に至る相手はいるはずがない。アカデミーでも浮いた噂一つ無い……いや、厳密には一つあるにはあるがそれは勘違いだと声を大きくして断言できるので除外して良い。どうしてそんなふざけた結論に至るのか理解に苦しむ。
と、ともかくだ。俺の推測通りに異性経験が無いというのなら、それはつまり、俺に対して偏見で迫害をしているということになるだろう。男と深く付き合った事もないやつが何を根拠に俺が変態だなどと語るのだ。いくら述べようと、それは実体験を伴わない机上の空論であるために説得力に欠ける。
そう、俺が変態などと言うのはまったくの濡れ衣だ!
ただちょっと……そう、ちょっと年下趣味なだけではないか!!
…………。
いや、よしんば俺が変態だとしてもだ。もし仮に、百歩譲って俺が変態だとしてもだ。
だとしても! だからといって二人に無闇に警戒するよう働きかけるのは、あまりにも非道すぎる。ちょっとくらいは大目に見てくれても、罰は当たるまい。
「そ、それは……」
「そこまで滔々と偉そうに語るのだから、さぞやご立派な武勇伝をお持ちなんでしょうねえリリー先生?」
「う、ううっ……」
「どうなんだ、どうなんだリリーよ? 答えろ! さあ、さあ、さあ、さあっ!!」
そ、それは……と後退るリリーを追い詰めて返答を促す。今頃その頭の中では、自分がどういう状況に置かれているのかを必死で整理しているのだろう。だが、すべては手遅れだ。お前は既に負けている。この勝負……俺の勝ちだッ!!
まあ、俺も鬼ではない。素直に負けを認めるというのなら、許してやろう。二人に話しかけるな、とか言うつもりもない。俺は寛大なのだ。
というか、変に迫害するとそれが原因で二人に嫌われそうなので、やりたくても出来ないとも言う。
「……と」
「と?」
「と、当然でしょう! いいいいっぱいあるわよ! 恋愛経験、超豊富よ!」
己がビッチだと大声で宣言するリリー。疑われたのがそんなに腹に据えかねたのか、プルプルと怒りに身体を震わし、顔を真っ赤に染めている。そこまで激怒するということは、つまり、本当なのだろう。
なるほど、そうか。つまり全ては、俺の思い違いか。
俺は今まで身体を燃え上がらせた熱が、不自然なほど急速に冷めてくるのを感じた。
「――そうか。経験豊富、か」
……その程度のものだったのか、お前の錬金術への想いは。
経験豊富と言えるほどに恋愛をしてきたのなら、異性に費やした時間は錬金術に使わなかったということだ。錬金術よりも恋愛を優先したという事実になる。これが他の人間なら気にならない。頑張れと応援してやる余裕すらあるだろう。錬金術士だって人間だ、恋をするのは当然だ。でも、リリーがそうだとは思わなかった。脇目も振らず、一途なまでに錬金術を追い求める姿勢に、敵わないと負けを認めてさえいたから。
すっかり勘違いしていた。錬金術に掛けるこいつの熱意を。信念を。理想を。
……いや、何を俺は悔しがっているんだ? 別にリリーがどうあろうと俺には関係ないじゃないか。
どうでもいいことだ。そう、どうでもいいことじゃないか。
うまくいけば警戒させるのをやめるよう言い包められるかと考えたが、そうならなかったのは残念だ。ただ、それだけのことだ。それだけのことでしかない。その、はずだ。
「そ、そうよ。あたしは男の人と付き合ったことたくさんあるもの! それなら文句ないでしょ!?」
「なぜ異性経験が豊富だと自慢げに言うのかが、俺には理解できないな。付き合った数の分だけ、異性との付き合いに失敗して別れたということだろうに」
「べ、別に自慢なんかしてないし! ハイッ! と、とにかく、これでこの話題終了! 終わりなの!」
こちらとしても年増女の話題になんぞ興味もないので、素直に同意しておく。
……いや待てよ。そうだ、それならそれで手はあるな。異性に興味があるのなら、それはそれで利用価値がある。
俺は内心で、ほくそ笑む。
薄れたとはいっても、原作の知識はまだ多少残っている。こいつが気になる異性と結ばれるよう、手伝ってやることは容易いだろう。
無論、俺がそんな面倒なことをわざわざ理由も無しにするわけがない。当然、目的はある。
こいつが異性と結ばれるよう取り計らう見返りに、俺がイングリドとヘルミーナとうまくいくように手を回してもらうのだ。そこまでいかずとも、今までのような警戒をやめさせるだけでも十分意味はある。
「……な、何よ。なんで黙ってるのよ」
俺が完璧な未来計画を脳裏に描いていると、それをリリーが邪魔しようと声を掛けてきた。
「話題が終わったなら、喋る必要はないだろ」
「それは、そうだけど……」
ふん、おかしなやつだ。まあ、年増女の考えていることなんて分からないし、分かりたいとも思わないが。
一旦、計画は保留にしておく。リリーがそれらしい動きをしたら、さりげなく手助けしてやろう。そして上手くいった頃を見計らい、恩に着せて俺の提案を認めさせる。
なんて完璧な計画なんだ。我ながら、あまりにも完璧すぎて恐ろしくなってくる。
「ちょっと、どこ行くの?」
俺が階段へ向かおうとすると、またしてもリリーが行く手を遮って邪魔をしてきた。
「ヘルミーナに伝えてくるんだよ」
「つ、伝えるって何を!?」
手早く返答を終えて階段へ向かう。が、すぐさまリリーに右腕を引っ掴まれて妨害された。
……どうして、さっきから俺の邪魔ばかりするんだ、こいつは。まさか、まださっき疑ったことを根に持ってるのか? なんて執念深いやつだ。
「さっき話しただろ」
「えっ! さっきのこと!? で、でも別に二人に話すことのほどでもないんじゃ……」
「は? 二人の面倒を誰が見るかというのを、二人に伝えないでどうするんだ?」
「……あ、あーあー! そっちね! そっちか! そうね、伝えないとよね!」
「他に何があるんだ?」
「ないない! 何もない! うん、そうと決まればあたしも伝えてこないと!」
一気に駆け上がるようにリリーが二階へ走って行き、一階には呆然とした俺とドルニエ先生が残される。
しばらくの間、すっかり蚊帳の外状態だったドルニエ先生に目を向ける。
なぜか、落胆を隠せないといった様子で嘆息され、首を左右に振られた。
意味分からんわ。
あー、失敗した!
でもアルトもアルトだ。あんな言い方されたら、嘘でもああ答えるしかないじゃないの。
そりゃ、故郷では好きになった相手もいたし、自慢じゃないけど何回か告白されたこともある。
でも片思いのまま終わったり、相手はすでに結婚してたり、好みの相手じゃなかったり、勉強の方が忙しかったり。色々と当時なりの事情があって、そういう関係には一度もなれなかったのだ。
興味がないわけじゃない。あたしだって恋人という響きに憧れはあるし、幸せそうな恋人や夫婦を見ると、いいなぁって羨ましくもなる。
でも、仕方ないじゃない。何より誰より優先したいっていう相手に、今まで縁が無かったんだもの。
それに、アルトもアルトだ。あたしの返答に、まったく動じないのもどうかと思う。
そんなに、あたしは遊んでいるように見えるのか。錬金術よりも恋愛を優先するような人間に見えるのか。
錬金術も恋愛もどっちが上だとか良いとか悪いとか、そういう問題じゃない。
アルトなら今のあたしがどっちを優先しているかくらい分かっていると思っていたのに。アカデミーにいる間、あたしがどれだけ一生懸命に錬金術を勉強し続けていたかを知らないわけでもないだろうに。一番分かってくれていてもいいはずなのに。
それなのに、あっさり信じるってどういうわけ? 疑われたらそれはそれで困るけど、でもあの素っ気無い態度はあんまりすぎる。
そりゃね、あの変態があたしに興味なんて全然無いのは分かってるけどさ。それにしたって、もうちょっと別の反応するのが普通じゃないの。同じ錬金術士なんだし。これから一緒に頑張っていく仲間なんだし。ちょっとくらいさ。錬金術より恋愛を優先するなんて、と怒るとか、呆れるとか。
無表情で淡々と納得するなんて、全身であたしの事なんてどうでもいいって言っているようなものだ。ついさっきあたしのことを思い遣ってくれていると感じたばかりだけど、それもやっぱりあたしの勘違いだったのだろうか?
……でも、どうしよう? アルトはあたしの嘘を真に受けちゃったみたいだし、今後はそういう前提で行動してくるよね?
いっ、いやいや! そういう風な対象としてあたしを見てるんじゃないから! 例え、あたしの事を勘違いしていても何も身の危険を感じる必要はない。そういう関係になる要素が皆無だから、その点については何も心配いらない。気をつけるとしたら、さっきみたいに皮肉を言われるかもしれないことだけど、身に覚えが無い嘘の出来語を責められても全然大丈夫……じゃないかも。見当違いのことでも、ああいう風に言われるとやっぱりキツイ。あんな風にこれから先ずっと皮肉られるかも、と思っただけでも気が重くなる。
そして一番問題なのは、イングリドとヘルミーナに変な事を吹き込まれた場合だ。そのせいで二人があたしの事で変な勘違いをしたらと考えると、もう居ても立ってもいられなくなる。
今からでも遅くない、やっぱり嘘だったって言うべき? でもそうしたら、ロクに経験も無いのに口出しするなとか、ここぞとばかりに言ってきそうだし……。
ぐるぐると苛立ちばかりが胸中を駆け回り、思わず横に並んだアルトを睨みつけてしまう。
「な、なんだよ? 俺だってお前と買出しに行くのは不満なんだ。文句があるなら、ドルニエ先生に言えよ」
あたしとアルトは今、二人で街中を連れ立って歩いている。
というのも、そろそろお昼の時間になるし、何はともあれ腹ごしらえを済ませようと、昼食の材料を買い出しに来たからだ。
初日くらいは外食もいいかなとちょっと思ったけど、あたしが二階に上がった時には既に、はしゃぎ疲れた二人が二階で寝てしまっていたのだから仕方ない。さっきあれあけ走り回ったから、疲れているんだろう。わざわざ、起こすのもなんだしね。
「俺の隣にいるのがイングリドかヘルミーナなら、俺も嬉しさのあまり天にも昇る気持ちになれるのに。年増女相手じゃ憂鬱になるだけだ。あー、だるい」
「誰が年増よ誰が。あたしだって変態と買出しに行くのなんてヤだったわよ」
「だったらお前も、あの時そう言えよ!」
「言えるわけないでしょ? 感情を抜きで言えば、先生の意見は正しかったんだから」
「ぐぬぅ……」
つまり、こういう事だった。
先生曰く、どうせ外出するのなら食材以外にも色々と足りないものを買ってくるといい。一人では多くても二人なら持てるだろう。街中を見て回るついでに、方々へ錬金術士として挨拶してきなさい。リリーが足りないものを調べていたようだし、アルトは街中を少し見て回っていたようだし、今後錬金術士として依頼を受けるのは二人だ。それなら、二人が一緒に挨拶にいく方がいいだろう。子供達が起きた時に事情を説明しないとだし、私は少し長旅の疲れが出たから家で休んで待っているとしよう。時間があれば、軽く掃除もしておくよ。だから二人で行ってきなさい。いいね、二人で、一緒に、行きなさい。
――と、そういう事だった。
「感情を抜きに考えれば確かに正しいな……なぜかやたらと押しが強いように感じたが」
「ええ、感情を抜きにすれば正しいわね……なんかやけに強引に押し切られた気もするけど」
もしかして、気を遣われた?
だとしたら、申し訳ない事をしてしまった。まだ初日だというのに、すでにこの有様。さっそくドルニエ先生に気を遣われているようでは、この先が思い遣られる。
でも、これというのもアルトが全部悪いのだ。あんなこと女の子相手に堂々と聞いてくるとか、どうかしている。これだから変態は常識が通じなくて嫌なのだ。
だいたい、アルトの方こそどうなのよ。アカデミーで人気があったのは知っているけど、そういう噂の一つもないし。いや、正確にはあったにしても、自称恋人さんだった。あとは妙な思い違いをしている根も葉もないデマとか。どうしてそんな噂になるのか、しかも発信源があたしの親友とか笑い話にもなりはしない。
それとも、アカデミーには特定の相手がいないけど故郷には……いたらいたで、ちょっとショックよね。そんな素振りみせたこともないのに。それがあたしと大差ない年齢の女の人だったら、さらに……も、もちろん、彼の性癖を知っているからどんな恋人なのかなって興味的な意味で! まあ、イングリドやヘルミーナみたいな年頃の女の子だったら、それはそれで大問題だけど。
「本当に、感情を抜きにすれば正しいな」
「ええ、正しいわ。感情を抜きにすれば」
「…………」
「…………」
「「不満なのはあたしの方よ(俺の方だ)!!」」
顔を突き合わせ、にらみ合う。
ドルニエ先生はたぶん、少しでも仲良くなるため、二人で行動させようとしてくれたのだろう。
でも無理! ごめんなさい、やっぱりアルトと仲良くするのは無理みたいです!
以前みたいな優等生然とした人格者のアルトならともかく、今みたいな変態アルトと親しくなるのは無理がありすぎる。向こうだってそう思ってるに違いない。
出会ってから数年経つけど、今や言い争いにならなかった日の方が少ない。それこそ、彼の本性を知るまでの日々くらいかもしれない。それくらい何かと衝突しているのだ。もちろん、アルトのせいで、だ。
「あら、何かしら。ひょっとして痴話喧嘩?」
「まあ、そうなの? 原因は男の浮気かしらね」
「モテそうな顔してるしねえ。女の方がもっとビシッと言ってやんないと」
気付けば、いつの間にか遠巻きにヒソヒソと会話している人達がいた。噂話が好きそうな主婦の方々。あたしも噂話は嫌いじゃないけど、今に限ってはやめてほしい。
アカデミーでは毎日のように口論していたから、言い合いに違和感がなかったけど、これからは控えよう。世間の目っていうのがあるのを忘れていた。
「ねえ、アルト」
「分かってる。街中で言い合いはやめよう。健康に悪い」
「そうね、知らないうちに変な噂を立てられそうだわ」
アルトも周囲の不穏当な気配を感じ取ったらしく、あたしの意見に珍しく素直に同意した。
まったく、いつもこうだとあたしも苦労しないのに。
「おや、見掛けない顔だね?」
目立ってしまったせいか、一人の男性があたし達に声を掛けてきた。やや恰幅の良い、気の良いオジサンといった優しそうな雰囲気の人だ。
「はじめまして。私はアルト、こちらはリリーといいます。実はまだ、ザールブルグに引っ越して来たばかりなんです」
「ええと、そこに見える赤い屋根の家に住む事になったんですよ」
一瞬で猫を被って態度を豹変させるアルトに気圧されながらも、あたしは我が家を指差した。
そういえばこいつって、初対面の相手に名乗るときは家名を絶対に言わないのよね。貴族という家柄を抜きで対等に付き合いたいって無意識で思ってるのかしら。だとしたら可愛げがあるけど、余計なやっかみを受けたくないとか、単に面倒臭いからっていう理由の方がありそうだ。
「ほほう、そうかね! ワシはこの坂を上がった所で雑貨屋をやってるヨーゼフってもんだ。これから、よろしくな。ご近所さん同士、仲良くしようや」
「ええ、こちらこそよろしくお願いします。雑貨屋というと、食材とか日常品などを扱っているのですか?」
「ああ。大概の物はうちに揃っとるよ。うちに置いてないような変わった物は、二階のヴェルナーがやっとる雑貨屋で買うといい。あっちには色々と普通じゃない物が置いてあるからな」
「へー、そうなんですか」
ふむふむ。普段はヨーゼフさんの所で、ちょっと変わった物を探す時はヴェルナーさんの所か。錬金術の素材には珍しい物も多いし、あとでそっちも寄ってみよう。どんな物があるのか、今から楽しみね。
「あたしとアルトは錬金術士で、これからこの街でお仕事をしようと思っているんです」
「はあ。錬金術士」
「んーと、ある物とある物を組み合わせたりして、色々と新しい物を作れる人達のことです」
アルトが何やら物言いたそうな視線で見てくるけど無視だ無視。いいのよ、分かりやすければ。
ヨーゼフさんはあたしの説明に納得してくれたのか、なるほどと首肯した。
ほら、見なさい。きちんと分かってくれたじゃない。
「何か必要な物があったら、ぜひうちに寄ってくれよな。安くしておくよ」
「はいっ、ありがとうございます!」
「こちらこそ、何か必要なものがあったら遠慮なく言ってください。値段については、応相談ということで」
おどけたように笑うアルトだけど、あれ絶対本音よね。技術の安売りはしない、ってアカデミーでは良く言ってたし。そうでもしないと、無理難題吹っかけてくる人達が多すぎたせいもあるんだろうけどさ。
「ところで、お嬢さんはホレタハレタには興味があるかね?」
「ホレタハレタ?」
「恋愛事に関してでしょうか?」
アルトがあたしのフォローをすべく口を挟んでくる。
し、知らなかったわけじゃないから。ちょっと、聞き慣れない言葉だったから戸惑っただけ。感謝なんてしないわよ。
彼の言葉に、ヨーゼフさんがその通りと言わんばかりに大きく頷いた。
「うむ。見れば年頃のお嬢さんだから興味があるかと思ったんでな」
「え? ええと……」
うっ! どうして今日に限って、そんな話題を振ってくるのよー!
ついさっきアルトの前で、あたしは恋愛経験豊富だとか答えちゃったばかりなのに。興味がないとか言ったらアルトに疑われそうだし、だからといって興味があると答えたら、やっぱりそうなのかと呆れられそうだし。そもそも、どうしてあたしはあんな嘘ついてしまったのか。イングリドとヘルミーナに知られたら、どんなことになるか分からないし、アルトだってそういう女なんだという態度を取るだろうし、っていうか既にそうなんだと勘違いしてるだろうし、いや確かにそういう嘘ついたのはあたしだからそれは当然なのだけど、ああ、もうっ、うがーーーッ!!!
「何を悩む必要があるんです?」
いっぱいいっぱいになって爆発しそうになるあたしを、アルトが怪訝そうな表情を浮かべて窺ってくる。その口調は、社交的な彼を装ったままなので丁寧なままだ。素を知ってるせいで違和感がすごい。って、それは今はどうでもいいわ。
問題なのは、経験豊富って嘘を真に受けているせいで、今のアルトみたいな言動になるということ。
でも、本当は違うんだってば!
「そりゃ、興味がないって言えば嘘になるけど……」
「――正直に、恋愛に興味津々です錬金術なんてどうでもいいって言えばいいだろ」
「なっ」
言葉を失う。
何にも思ってないような平坦な声音で口にするアルトだから、逆に気付けた。普段があまりにも分かりやすいから、その違和感が凄まじい。それに、装っていた口調がすっかり元に戻ってるし。
怒ってる。理由は分からないけど、彼は静かに怒っている。
どこが素っ気無い態度よ、全然違うじゃない。勘違いしていたあたしに腹が立つ。
一目瞭然だ。さっきは話を途中で打ち切ってしまったし、あたし自身が動揺していたから気づけなかった。でも、分かった。これは、いつもみたいにからかい半分で口にしてるわけじゃない。本気で軽蔑したような冷たい態度だ。吐き捨てるように嫌悪した上での台詞だ。
嘘でしょ、冗談じゃない、そんな勘違いしないで。
「勘違いしないでよ! 興味はあるけど、だからってそれが一番ってわけじゃないわ。あたしにとって一番大事なのは錬金術だもの!」
「ああ、そうかい。だが、一人二人ならともかく、経験豊富になれるくらいの時間的余裕はあったんだろ? それに費やした時間は、恋愛の方が錬金術よりも大事だったわけだ。一番大事ってのが聞いて呆れるね」
反論するあたしを、アルトの言葉の刃が抉っていく。彼は冷ややかな笑みを浮かべ、冷徹な眼差しで見下してくる。身も心も凍てつかせる鋭い視線は、今までに一度だけ目にしたことがある。二年前にあの人達を言葉と実力で震え上がらせた態度で、アルトがあたしに対峙する。
……やめてよ、なんであたしのことをそんな目で見るのよ。あたしがあいつらと同じだとでも言いたいの? ただ貴族というだけで驕り昂って努力もせず、他者を見下すことで優越に浸ってるような連中と一緒だと? あんたが嫌う、あたしやあの子達も嫌う、あんな連中と一緒だと言うの?
あの時、あたし達を守ってくれたあんたが、どうしてあたしのことをそういう目で見るのよ!
「――ごめん。嘘吐いた」
「だろうな。最初から正直にそう言えばいいんだ」
「そうじゃ……なくて。経験豊富、って……そっちが嘘、なの」
考える間もなく、口にしていた。怖くて彼の顔を見られず、うつむいたまま告白する。
だって、耐えられない。他の誰かに見下されるならいい。あたしはあたしだ。知らない人になんて言われようと耐えられる。反撃だってしてみせる。
例え、あの時の連中に見下されても痛くないし、腹は立つけど相手するのもバカらしいから無視するだけだ。それに、あの時アルトは庇ってくれたけど、あたし自身は自分が優れているなんて思えるほど自惚れていないから。
でも――アルトにだけは、こんな目で見られたくない。そんな風に思って欲しくない。
あんたにだけは、あたしのことを対等に見て欲しい。このまま、勘違いされたままでいるなんて絶対に嫌だ。
ごめんなさい。嘘を吐いてごめんなさい。
どうしてそんなに怒っているのか、理由は分からないけど謝るから。普段はなんだかんだいって、態度でふざけて怒ってみせるだけのあんたが、そこまで感情を剥き出しにして怒るのだから、きっとあたしがそれだけのことをしてしまったのだと思うから。
だから、許して。お願いだから、やめて。そんな目であたしのことを見ないで。
「は?」
アルトの間の抜けた声が耳に入る。
今、彼はどんな顔をしている? 怒ってる? それとも呆れてる?
怖い。怖くて、顔を上げられない。
彼にどう思われているのかを考えると、たったそれだけの動作が怖くてたまらない。
心が悲鳴を上げて軋む。
痛い、痛いと全身が震えてくる。
「だから、あっちが嘘。本当は付き合ったことなんてないの」
「何それ。じゃあ、本当は処女ってことか?」
「しょ……っ!?」
な――なんてこと言うのよ、こいつはぁぁぁぁあああああッ!!!
一瞬にして、今まで自分がどういう心情だったのかなんて綺麗さっぱり吹き飛んだあたしは、反射的に、顔を上げてしまった。
アルトの呆気に取られたような表情が目に入る。
……良かった。
バカなことを言うなって怒るよりも先に、気が抜けるように安堵してしまった。
あたしの言った言葉を、まだ完全に信じてくれたわけじゃない。でも少なくとも、さっきみたいな態度は崩れている。
アルトは返事を待つように、じっと黙してあたしを見つめてくる。
……うん、そうね。その態度は間違っていないわ。質問をした以上、相手の答えを待つのが普通だもの。
でも、待って! その質問に重大な欠陥があるとは考えないの!?
「そ、それは……」
「それは?」
「そ、そう……よ」
沈黙を決め込もうとする理性を必死に宥めすかし、嘘を吐いた罰にしてはあまりにも酷過ぎると思いながら口にする。
ううっ……恥ずかしさのせいで、今にも憤死してしまいそう。あたしはこんな往来で、なんて台詞を口にしているんだろうか。
顔全体だけじゃなく、首筋から耳に至るまでが真っ赤に染まっていくのを自覚する。あまりにも頭部に血が上って熱を持っているせいか、瞳が潤んで涙が浮かんでしまいそうだ。人が羞恥心で死ねるって、あたしは今初めて知ったわ。知りたくなんてなかったけど!
ここまであたしに言わせたんだ、これでもまだ勘違いなんてしていたら承知しないわよ!?
「なんでまたそんな嘘を?」
心底、不思議そうに聞いてくるアルトを見て、プツンとあたしの中の何かが切れる音がした。
「あ……」
声が震える。
臨界点突破。さっきまでの感情の昂りもあって、もう自分でも今、どんな感情でどんな表情を浮かべているのかが分からない。
「あんたのせいでしょ!!」
「はあ? なんで俺のせいだよ」
「あんたが経験もないのに、あたしが二人に色々と言うなって言うから!」
「言って無いだろ、そんなこと! ……まあ、そういう風に話を持っていこうとは思っていたけど」
「やっぱり思ってたんじゃないの! だったら、ああ言うしかないでしょ!」
「なんでだよ!? 素直に言えばいいだろ!」
「言ったら、あんたどうしてた!?」
「だから、経験も無しに二人に変な事を吹き込むなと」
「それがダメだって言ってるんでしょうが! 変態に警戒するなと言わないわけにはいかないでしょ!」
「誰が変態だ誰が!」
「あんた以外に誰がいるって言うのよ!?」
「年増の分際で他人を変態呼ばわりするな!」
「誰が年増よ誰が! この変態がっ!」
「お前以外に誰がいるって言うんだよ!?」
「はあ!?」
「なんだよ!?」
「「ぐっ、ぬっ、ぬぅぅぅぅううううううッッ!!」」
ポンポンポンポン、売り言葉に買い言葉。次から次へと互いに罵声を浴びせ掛ける。
アルトが大きく息を吸い込み、あたしがそれに対抗すべく思考を頭の中で巡らせる。
――と。
不意にゴホンゴホンと、わざとらしい咳払いが耳に入った。
「あー……ちょっと、いいかね?」
「なに!? あたし、今ちょっと忙しいんだけど!」
「うるさいな! なんか用なら後にしてくれないか!?」
アルトと二人で一時休戦して、声のした方向へ視線を向けると……
「いや。その、なんだ。ワシの不用意な一言が原因のようで、なんだかすまないと思うんだが」
ひっじょーに肩身を狭くしたような態度で、申し訳なさそうな表情で、それでいて愉快さを隠せないような声音で、ヨーゼフさんが立っていた。
あー……。そういえば、彼もいたんだっけ……。
「あまりに目立っているから、もう少し声を抑えた方がいいと思うぞ?」
「「ハッ!?」」
慌てて周囲を見渡すと、即座に視線を逸らした人達が大勢。それとは別に、未だにこちらへ視線を向けたまま、何やら口々に囁き合う人達もそれなりに。チラチラと盗み見るようにして歩いていく人たちも幾人か。
気付けば、あたし達を中心に、なぜだか人だかりのような輪が出来上がっていた。
いや、なぜも何もない。ついさっき言い合いはやめようと決意したばかりなのに、この体たらく。この惨状は当然といえた。
もう、どうしたらいいものかと泣きたくなってきた。
「……アルト」
「……なんだ」
悄然として力なく呼びかけると、同じような様子でアルトが顔を右手で覆ったまま反応した。
「あたしは恋愛に、ちょっと興味があるだけ。いいなぁ、って思うだけ。今は、錬金術が一番大事。分かった?」
「分かった。納得した。理解した」
「うーむ……なんだか色々と事情があるみたいだけど、話はまとまったようだね。いやぁ、良かった良かった」
どこが良いのよ!? こんな人目のある場所であたしが受けた辱めを、良かったなんて言えるわけないでしょ!
まるで親の敵を見るような視線でヨーゼフさんを睨みそうになるも、必死に自制する。耐えろ、耐えるんだ、あたし。話題を出したヨーゼフさんに責任はあるとは言えない。元はといえば嘘をついたあたしのせい、なんだけど……納得できるかぁっ!
ううん、違う。ヨーゼフさんが悪いわけじゃなく、あたしのせいでもない。
全部、アルトのせいだ。あいつが最初に変なこと言い出さなければ、あたしが嘘を吐く必要ももなかったのだ。だからアルトのせいだ! バカアルトが悪いのよ! どうしてくれるのよ、バカ! 本当もう、これだから常識の通じない変態は嫌いよ!
周囲に集まった野次馬も、こちらが大人しくなったのを悟ってか、三々五々に帰っていった……ひそひそと内緒話をしながら。
は、ははは……あ、あたしの一人前の錬金術士としての道が遠のいていくー。
「お嬢さん、これはワシからプレゼントだ。迷惑を掛けた詫びも兼ねてね。こんなもので良かったら、もらってくれ」
「これは……?」
ヨーゼフさんから唐突に差し出されたのは、古風なペンダントだった。見るからに、年代物というのが分かる。傷ついた部分もなく、きっと大切に扱われてきたのだろう。物凄く高価な品といったわけではなさそうだけど、なんだかとても心惹かれるようなペンダントだ。
「これは、恋が叶うっていうペンダントだ。ワシも、もう何十年も前にカミさんからこれをもらったんだよ」
「そんな……悪いですよ、そんな大切な物を」
いくら詫びといっても、これはさすがに受け取れない。何十年も前に贈られた物をずっと持っていたなら、それはヨーゼフさんにとって、とても大事な物に違いないのだから。奥さんからの思いのこもった品物を、あたしなんかが気軽に受け取るわけにはいかない。
「いいって、いいって。これはお嬢さんみたいな若い娘が持っていてこそ、意味がある物だよ。ワシはもうカミさんがいるでな。ステキな人がいるなら、その相手にあげるといい」
「でも……」
どうしよう、とアルトに視線を移す。
アルトは一度化けの皮が剥がれてしまったせいか、どこか落ち着きの無い様子でこちらを見返した。
演技を続けるべきか、開き直って正体を晒すか悩んでいるのだろう。ご愁傷様。でもその程度、あたしの受けた被害に比べたら全然マシよ! 本当もう、どう責任を取ってくれるというの!? これが原因でお嫁にいけなくなったら、どうしてくれるんだ。
「いいんじゃないか? もらっておけば。せっかく、くれるって言うんだからさ」
「そ、そう? それじゃ、その、戴いておきますヨーゼフさん。こんな素敵な物を、ありがとうございます!」
アルトの意見に後押しされ、ヨーゼフさんからペンダントを慎重に受け取る。いきなり落としたりしたら、さすがに相手に申し訳ない。
恐々受け取るあたしを見ていたアルトが、何やら言いたそうな顔でこちらを見る。
「俺はどうせもらえるなら、銀貨五百枚の方がいいけどな」
「アルト! 何いきなり変なこと言ってんのよ!」
どうやら素の態度に戻すことにしたみたいだけど、いくらなんでも失礼すぎる。
第一、迷惑を掛けた御礼になんて言われても、さすがにお金は受け取れない。どこからそんな具体的な金額が出たのかは知らないけど、とアルトを咎める。
「えっ! そ、そうかい? は、ははは……」
ヨーゼフさんがビクッと頬を引きつらせて空笑いをする。
……まさかとは思うけど、断っていたら本気でお金を出すつもりだったんだろうか? いくらなんでもそれはない、と思いたい。
「ステキな人に、かぁ……」
掌に乗せた恋が叶うペンダントを見ていると、なんだかその気になってしまいそうだ。
今はまだそんな相手はいないけど、それでもいつかは出来たらいいなって思う。
それは、どんな人なんだろう?
あたしが好きになる男性。錬金術と同じくらい大切だと思えるような相手。
今まで、あたしがいいなって思った相手には共通点がほとんどない。きっと、好みのタイプっていうのがないんだと思う。
きっと、好きになったら、その相手があたしのタイプっていうことなんだろう。
「そのまま墓まで持っていくに、一シグザール銀貨」
「失礼な! いつか渡すわよ! ……たぶん」
でも、変態だけは絶対お断り! そんな未来は金輪際、ありえないと言い切れる!!
今は渡す相手がいないけど、あたしにだって、きっといつかは現れるはず! ……現れる、よね? だ、大丈夫よね、きっと。今は錬金術が大事だけど、生涯ずっと一人で錬金術と結婚するなんて言うつもりはないんだし。
その時が来たら、思いと共に相手に渡すから。
だから、絶対に恋を叶えてよね! どうか、お願いします!
ペンダントを手に切実な願いを込めていると、ヨーゼフさんが怪訝そうな顔でこちらを見た。
「二人は恋人同士なのかと思ったのだが……どうやら、まだそうじゃないのかな?」
「「……は?」」
おかしい。あたしの耳が急に悪くなったようだ。
恋人同士、なんて戯言が聞こえた気がするんだけど……。
恋人同士? 誰と、誰が?
まさかとは思うけど……いやいや、そんなバカな。何かの聞き間違いに決まっている。
あたしは今のが聞き間違いだと、ヨーゼフさんに否定してもらうことにする。
「今、なんて? 恋人同士、とか聞こえたような気が……?」
「違うのかい? お嬢さんと彼、お似合いだと思うよ」
「全っ然、違います! 冗談でしょ、こんなバカで変態なやつと恋人なわけじゃないですか! 寒気がします!」
「恋人とかありえなさすぎ! 誰がこんな年増の売れ残りなんぞと! 想像しただけで吐き気がするわッ!」
悲鳴と共に、アルトと顔をつき合わせて睨み合う。
でも、言い合いはしない。そんなことをすれば、さっきみたいな事態に陥る。バカで変態のアルトといえども、その程度には知恵が働いたようだ。
「そ、そうなのかい? そういう風にしていると、とても仲が良さそうに見えるんだが」
「おいおい、冗談だろ? どこをどう見れば、仲が良さそうになんて見えるんだ?」
「そうです! どこからどうみても、険悪な関係じゃないですか! 見る目がなさすぎます!」
心外だ、と息も荒く二人でヨーゼフさんに詰め寄る。
ヨーゼフさんはこちらの心境を知ってか知らずか、のほほんとした態度を崩さず笑った。
「喧嘩するほど仲が良いって言うだろ? ワシとカミさんも、昔は良く喧嘩したもんだよ」
在りし日の思い出に浸ってか、遠い目をして語るヨーゼフさん。
……いやいや。なにその『うんうん、分かる分かるよー』っていう表情は。
違うから! 全然、違いますから! 一から百まで全部、間違えてますから!
「おっと、いけない。もうこんな時間か。それじゃあな、二人とも」
「ちょっ、勘違いしたまま行くなよ!?」
「分かってる、分かってる。まだ、そういう関係にはなってないんだよね?」
追いすがるアルトに対して、ぽんぽんと彼の左肩を叩いて微笑むヨーゼフさん。
ああ……いたいた、アカデミーにもいたわ、こういう人間。物凄い既視感を覚えるわ。あたしが何を言っても聞き入れてくれず、『本当は好きなんでしょ。分かってる。だから、そんな必死に否定しなくていいってば』とか笑顔で言う人間――あたしの親友のことよ!
他の事に関しては、どんな馬鹿げたことにでも理解を示してくれるほどに懐が広く鷹揚な人格者なのに、事その一点に関してだけは分かってくれないという人物。皆に半ばイジメ状態にあっていたあたしに対してさえ、優しく友人として接し続けてくれた掛け替えの無い親友。
――でも、『うんうん、分かる分かるよー』といった微笑みと共に、未だにずっと誤解をし続けたままの女性。当然、今回の海外行きの件を話した時も、『二人の仲が進展したら教えてよね。上手くいくように祈ってるから』とか、まるで見当違いな応援をしてくれやがりました。
こういうタイプの人間に対しては何を言っても無駄なのだ。せめて、これ以上は誤解を広めないようにするしかない。
アルトもそれを理解したのか、空ろな視線であたしに同意を求めてくる。あたしは、小さく頷いた。
あたし達が否定すれば否定しただけ、向こうは勝手に誤解してしまう。誤解を解くことが出来ない以上、その話題に触れないように大人しくしていよう。
悲壮な決意が、あたしとアルトの間に結ばれた気がした。
「それじゃ、また。カミさんがお昼作って待ってるでな」
「あのっ、ペンダントありがとうございました!」
「あとで買い物に行くから、その時は安くしてくれよ!」
アルトと二人で、ヨーゼフさんの後ろ姿を見送る。
やがて雑踏に紛れて彼の姿が見えなくなった途端、どっと押し寄せてきた疲労感に肩を落とす。なんだかもう、今日一日分は疲れた気がする。まだ先生に頼まれたお使いは全然こなせてないけど、一度どこかで一休みしたい気分だ。
でもその前に、と。
せっかく素敵なペンダントをもらったのだし、ちょっとつけてみようかな。普段は動き回ることも多いし、調合もあるから無理だけど、今日くらいは身に付けてあげないとペンダントが可哀想だしね。
「……う、あれ? ここがこうなって、ええと、あれ?」
「何やってんだ?」
「見ての通りよ……う、なんでつけられないんだろ」
あたしが首の後ろに両手を回し、留め金を相手に四苦八苦していると、アルトがじれったそうに右足を小刻みに踏み鳴らしてきた。早くしろよ、と言外に態度で匂わせてくる。
……な、何よ。しょうがないでしょ、こういうの普段つけないんだから。慣れてないのよ!
焦りで余計に指先の動きが怪しくなり、手間取る。ともすれば落としてしまいそうになって、さらに戸惑う。
時間が経つにつれて、段々とアルトの足踏みが早くなっていく。
あーっ、もう! そう急かさないでよ、余計につけにくくなるじゃないの!
「はぁ~……ったく、貸してみろ。つけてやるから」
「えっ?」
聞き違いかと思って、目を瞬かせる。
アルトは右手をあたしに差し出し、ペンダントを寄越せと重ねて言ってきた。
「いいから、渡せって。ほら」
「あ……うん」
その強引な態度に、ペンダントを言われるがままに手渡す。
すると、アルトがペンダントの留め金をはずし、両手を広げてあたしの首に――
「って、ちょっ、ちょちょ、ちょっと待って!」
「は? 何を待てって?」
「な、何をするつもりなの?」
「だから、ペンダントをつけるんだろ?」
「そ、それは分かってるけど……」
「? いいから、ちょっと頭下げてろ。つけにくい」
「~~っ!!」
いいって何がいいのよ!? 頭下げろって何!? つけにくいって何よ!?
ガチガチに固まるあたしをよそに、正面からあたしの首に抱きつくように両手を回すアルト……って違う違う抱きつくわけないでしょ! ように、じゃないって! 何考えてるのあたしは! これはただ、見るに見かねて手伝ってくれてるだけなんだから!
なすがままされるがまま、これじゃまるで子どもがされるみたいだと羞恥に顔を赤く染めつつ、予想以上に近いアルトの顔に心臓が激しく脈打つ。違う、違うの。これはアルトが相手だからではなく、単純に異性の顔がこれほど近寄ったことなんてないから、だからつい動揺しちゃってるだけなの! サラサラの金髪が羨ましいなーとか、男のクセに睫毛長いなーとか、こうして黙っていれば綺麗な顔なのになーとか、そんなことは思ってない! 全然、思ってないし、意識なんて絶対してないんだから! だから、ええいっ、そんな妙に忙しく動くな心臓! 鼓動がアルトに聞かれたらどうするのよ! もういっそ、止まれ!
「ほい、付け終わったぞ」
「えっ? もう……?」
あっさり身を離したアルトに、なぜだか惜しいような気がして尋ねる。時間にして数秒だったはずなのに、なんだかやけに長かったような、もっと短かったような。そんな不思議な感覚に襲われる。
――って、もう、ってなんだもうって。我ながら意味不明なことを言うな。その言い方ではまるで、あたしがもっとそうしていたかったかのように聞こえてしまうじゃないの。惜しいも何もない。何を考えているんだ、あたしは。
そうよ、きっと動揺していたからおかしなことを口走ったり考えてしまったんだ、うん、きっとそうに違いない。
冷静になろう。落ち着け落ち着け、平常心平常心、と自らに言い聞かせていると、不意に一つの疑問が思い浮かんできた。
「なんか妙に手馴れてなかった?」
「あー……まあ、姉さん達に良く頼まれたからな」
「お姉さん!? あんた一人っ子じゃなかったの?」
予想だにしない真実を暴露され、動揺に声が裏返る。
この変態にお姉さんがいたなんて……信じられない。いったいどういう風に、お姉さんに接しているんだろうか。まさか家族相手に、あたしにするみたいに横暴な態度を取っているとは思えないし、それ以前にお母さんだっているわけだし……だからといって、筋金入りの変態のこいつがまともな対応をするとも思えない。
普段、一人で飄々としているから考えた事が無かったけど、当然、アルトにも家族がいるのよね。この変態が家族にどう扱われているのか……知りたいような、知りたくないような。
でも、兄弟がいると聞いてどこか納得してしまうあたしもいる。
「隠していたわけじゃないんだが……言ってなかったか?」
「初めて知ったわ。でも、そうね。あんたって意外と面倒見いいし、一人っ子よりも兄弟がいる方が納得できるかも」
ちなみにあたしの家族に関しては、アルトは既に知っている。というか、あたしから話してしまっていた。他にも色々と故郷の話を……あー、思い返すと色々と話すべきじゃなかったことまで暴露してしまっていた気がする! あの時は心身ともに弱ってしまっていたし、アルトの本性を知る前だったし!
こ、これ以上はあたしの精神衛生上良くないから、思い出さずにいよう。
そうだ、丁度良い機会だし、アルトの家族のことを教えてもらおう。アルトがあたしのことを知っているのに、あたしがアルトのことを知らないのは不平等だし。噂話程度の情報しか知らないのは、なんだか気分的に面白くない。
「他には? お姉さん一人だけ?」
「いや、兄も一人いるぞ。あと」
む、とアルトが言葉に詰まる。
家族構成を説明するだけなのに、何か言い辛いことでもあるのだろうか?
「妹……のような存在が一人だな」
「へー、四人兄弟かぁ。結構、多いわね」
「ま、まあ、な」
……妹のような、ね。
引っ掛かりを覚えるものの、それ以上は言及はせずに、当たり障りの無い感想を言うに止めておく。
妙だとは思うし、正直気になるけど……でも、好奇心だけで家族間の事情に首を突っ込むのもね。
つい忘れがちだけど、こいつも貴族だし、やっぱそういう家柄って色々あるみたいじゃない? 世継ぎ問題とか領地問題とか、噂で耳にするだけでも十分すぎるほど。貴族という家柄は、色々と庶民には推し量れない複雑な問題があるみたいだし。
そう考えると繊細な問題かもしれないし、今のあたしに出来る事は当面口を出すのは差し控え、後日、何らかの相談でもされた時のために気に留めておく事くらいかな。アルトがそう簡単にあたしを頼ってくれるとは思えないけど、これから先そういった機会もあるかもしれないしね。
「ね、ねえ? どう? 似合ってる?」
なんか微妙な空気になってしまったので、それを誤魔化すように、強引に明るさを取り繕ってペンダントを披露する。
……しまった。アルトにこんなことを聞けば、どう答えるかなんて分かりきっていたのに。
もっと他の話題にすれば良かった、と後悔するも時既に遅し。
どうせ、皮肉めいた口調で散々に扱き下ろしてくるんでしょうけど。
けれど、あたしの予想に反して、アルトは爽やかな笑顔を浮かべて頷いた。
まさか、とは思うけど……褒めて、くれたり?
「ああ、超似合ってるぜ! 時代を感じさせる古臭さが、お前の年齢とぴったりだな!」
「それ褒めてないでしょう!?」
ちょっとでも期待してしまったあたしがバカでした!
やっぱり、変態は変態だ。余計な気なんて回すんじゃなかったわ!