アルトとイングリドとヘルミーナのアトリエ(あとオマケが一人)   作:四季マコト

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物忘れにご注意を

「――そうだな、素材と調合品、資金に関してはお前の言う通り共有でいいだろう。問題を避けるために、帳面をしたためて在庫数を常に把握しておくというのは良い手だと思う。資金の管理のために家計簿をつけたり、生活費と店の経営費を別に扱うのも問題は無い。大金を使う際には、あらかじめ相談し合うのも妥当だな。……だが、各種調合に使う器材と参考書に関しては却下だ。これらは、一切共有しない」

「ええっ? どうしてよ、一緒の使った方が安上がりでしょ」

「あのなぁ……。いいか? 器材は使う人間のクセが出るし、俺とお前が同時に同じ物を使いたい時もあるだろう? そういう時にどうするつもりだ? それに参考書だが、俺とお前では錬金術士としての技量が違いすぎる。だから、俺が読んでいる物をお前にも読ませるというわけにはいかない」

「むー……、どうしてよ?」

「錬金術には、大まかに分けて幾つかの段階がある。高度な理論を理解するには、その基礎となる理論を理解している必要がある。全てを理解して、やっとそれらを発展させたものに理解が及ぶんだ。それなのに、過程を全部すっ飛ばして難しいのをお前が読んだ所で、理解が足りずに何一つとして取得出来るわけがない。何より問題なのは、その難しさに比例して危険度も上がるということだ。うかつに試して、大怪我を負いたいのか?」

「うっ!」

「まあ、錬金術士が自分の器材と参考書を持ってないという時点で、お話にならんけどな」

 

 ぐうの音も出ないといった様子で黙り込むリリー。

 まったく……、ちょっとは考えているかと思ったが、相変わらず変な部分が抜けているやつだ。

 長テーブルに置かれたランプの灯りが、二人分の影絵を一階に作り出していた。

 姿が見えないイングリドとヘルミーナ、ドルニエ先生は二階にいる。少し前に着替えを取りに行った時には、三人とも眠そうな顔をしていたので、今頃は夢の世界の住人になっていることだろう。その証拠に、上からは全く物音がしてこない。俺もさっさと眠ってしまいたいのだが……。

 俺とリリーは、明日からに備えて打ち合わせの真っ最中だった。元々、俺は一人で生活するつもりでいたから、今更になって話し合うハメになってしまったのだ。

 まあ、その件は俺も納得したからいいとして、だ。

 

「なあ」

「なによ?」

 

 リリーは寝巻きのラフな格好で椅子に腰掛けている。風呂上りなのか、しっとりとした髪をいつも違って紐で結ばず、肩口から前に降ろしていた。そうしていると、少しは落ち着いた性格のように見えるから不思議だ。

 対する俺は……。

 

「どうして、俺は床に正座させられているんだ? いやそれ以前に、ズブヌレだったり全身痛かったりといった理由も知りたいんだが」

 

 目覚めたら、体中至るところに激痛が走るし、頭から水でもぶっ掛けられたかのような有様だった。

 目の前で殺意のこもった視線で睨みつけてくるリリーに事情を聞こうとするも、有無を言わさず強引に風呂に入らせられ、出てきたら出てきたで、なぜか床に正座を強制させられる始末。

 そして、そのまま済し崩しに打ち合わせをし始めることになったのだが……、さすがにそろそろ両足が限界だ。ついでにいうなら、俺の忍耐も。

 

「何かご不満?」

「これで不満がない人間がいたら見てみたいな。せめて、俺がこういう状態に置かれなければならない理由を説明しろ。そうでなければ、反論もできん」

「何それ、覚えてないの!?」

「覚えて……」

 

 未だにズキズキと痛む頭を抑えつつ、どうにか考えを巡らせる。

 えーと、たしか……方々への挨拶回りと諸所の問題事を片付けた後、器材を運んだり掃除したり何なりで全員疲労困憊だったので、夕食を酒場で取ろうと皆揃って出掛けたはずだ。予想通りに美味しい料理に舌鼓を打ちつつ、予想以上に美味しかった葡萄酒についハメを外して飲みまくり、予想外に冒険者の人達と話が盛り上がって酒場中の客を巻き込んで騒ぎまくった気がする。

 で、肝心のその後の記憶はというと……困った事に、何も思い出せない。

 

「……ないな。俺、何かしたのか?」

「ほんっっっっとーーーーに、何も覚えてないの!?」

「ああ」

 

 覚えていたら、こんな屈辱極まりない状況を打破すべく行動している。

 覚えていないからこそ、何をしたのか分からずに現状に甘んじているのだ。

 

「……ん? いや、待てよ」

 

 そうだった、そうだった。

 まだまだ飲み足りないと、先に皆を帰らせたんだったような?

 で、一緒に乱痴気騒ぎをした連中がお開きにするというから、そのまま解散したような……

 

「その後、家に帰ったらすでに真っ暗で、浴室だけ明かりが――」

「お、おおおお覚えてないならいいのよ! それ以上、思い出さなくていいってば!!」

「な、なんだよ。急に大声出して?」

 

 二階で睡眠中だと予想されるイングリドとヘルミーナを起こしちゃったらどうするんだ、このアホ女は。ドルニエ先生は起きても構わないけどな。むしろ、起こしてリリーだけ叱られてしまえ。

 本当、こいつはいつもいつも理不尽すぎる。覚えていないのかと責め立てやがるから、頑張って思い出そうとしたのに。

 

「も、もう、いいわ。覚えていないのなら、それでいいの」

「いや、お前は良くても俺は――」

「いいったらいいの! ほら、そんな所で座ってないで、椅子に座りなさいよ」

「そんな所も何も、お前が――」

「いいから! もう、その話は終了なの!」

「なんなんだよ、まったく……」

 

 これだから年増女は理屈が通じなくて嫌なんだ。

 結局、どうして俺は正座させられていたんだ? 納得いかねぇ……。

 不満を表面上は押し殺し、椅子に座る。納得は出来ていないが、座っていいというのなら断る理由は無い。それに、まだ話し合いの途中だったしな。

 今回、話を持ち掛けたのは驚くことにリリーの方からだった。正座の強要を押し切られたまま話を始めたのは、その珍しさに面食らったせいもある。いつも全部、俺任せだったくせに、いったいどういう心境の変化やら。

 しかも、きちんと具体的に自分なりの考えを提案してきたし、その中には俺も頷けるくらいにまともな物も数多くあった。真面目に色々と考えた上で発言をしているな、と感心させられた。

 これだけでも異常といっていい程に珍しいが、他にもおかしな点があった。

 

「これから俺達がどう活動していくかだが……聞くか?」

「うん。教えて」

 

 これだ。なんか、やけに素直なのだ。

 何かと言っては、俺に突っ掛かって来るのが普段のリリーの対応なのだが……こいつなりに、ようやく一人の錬金術士としての自覚が芽生えて来たのかもしれない。まだまだ未熟とはいえ、手が掛からなくなるのは喜ばしいことだ。これからは、イングリドやヘルミーナのことも対処しなくてはならないのだから。

 けれど、いきなりこうも態度が豹変すると、気味が悪くて仕方ないな。

 

「基本的に、俺とお前は別行動を取る。別箇に依頼を受けて、各自で活動する。これは錬金術士としての技量の差もあるし、当然だな。作りたい物もやりたい事も、お互いに違うだろうからな。基本的にと言ったのは、二人で仕事を行う場合もあるかもしれないからだ。例えば、依頼で大量の受注品が必要になった時とかだな。二人で協力することによって作業能率を高めれば、調合品を大量に作ったり、作成に掛かる時間を減らしたり、成功率を高めたりすることが可能だ。こういう時は、例外として二人で動くのもありだろう」

「んと……都合良く、二人同時に空いている期間にそういう依頼があるかどうかは分からないんじゃない?」

「そうだな。だから、あくまで例外だ。行動予定表を書いたボードを参考にして、調整が利きそうなら相手に相談してみるのも有りって程度だな」

「ん、分かった」

「…………」

 

 本当、何があったんだこいつ。目に見えて態度変わり過ぎて、ちょっと怖くなってきたわ。

 ドルニエ先生、俺が知らない間にリリーを洗脳していやしないだろうか?

 

「取り合えず、リリーは覚えた調合の復習から始めてみたらどうだ? 初級の調合に必要となる材料は、街中で揃えられる物も多いしな。自分が知る調合を、イングリドに教えながら一緒にやるといい。特に中和剤なんかは良く使うし、作っておいて損は無い。ある程度まとまった数を作っておくのも良いと思う」

「アルトはもう、どこで何が買えるか分かっているの?」

「ん、まあな。今日、見て回った時にだいたいは確認しておいた」

 

 原作をプレイした時の品揃えを今でも多少覚えていたので、本当に確認といった感じだったのだが。無論、それは口には出さない。

 ついでに今日見て回った以外の場所――教会や隊商からも、品物を購入出来そうだということもリリーに教えておく。その際に、注意を払うことも忘れずに。

 

「いいか、教会に行く時はくれぐれもイングリドから目を離すなよ?」

「もう……、心配しすぎよ。イングリドだって、そこまで小さい子じゃないんだから。何かを壊したりなんてしないわ」

 

 リリーが呆れたように笑う。

 が、そうじゃない! そこじゃないんだ、心配なのは!

 既婚者のクセに、イングリドとヘルミーナに色目を使いかねない神父に気をつけろという意味なのだ! 一見まともな人間に見えるが、彼女達に好かれるという恐れがある時点で、許しがたい罪人だ。可愛い彼女達をお嫁さんにすることが許されるのは俺だけである!

 

「そっかぁ……。アルトはただ挨拶してただけじゃなくて、そういうのもきちんと調べていたのね」

「アカデミーみたいに、注文すればお金次第でなんでも手に入るってわけじゃないしな。頻繁に使用する物くらいは、覚えておいた方がいいぞ。依頼の中には、探すのが面倒臭いからとか言って、街中で売っている物を渡すだけで終えられる依頼もあるかもしれないしな。取り扱い品目は通ってるうちに覚えると思うが、面倒なら紙に書いてメモするなりしておくといい」

「分かったわ、そうしてみる」

「…………」

 

 あまりにも素直すぎて、怖い以前に別人に見えてきた。

 これリリーに似ているだけの違う人だとか、そういうオチはないだろうか?

 

「アルト?」

「え? あ、ああ……。街中で揃えられる物を使って大体の調合を終えたら、街の外に出て素材を探して来るといい。近くの森なんかは日帰りで行けるし、最初に行くなら丁度良いだろう。ただし、外に出る場合は必ず冒険者とかを護衛に雇っていくこと。絶対に、一人で行こうだなんて思うなよ。一人と二人じゃ、全然違うんだからな」

 

 くどいと思われかねない程に、強く念押ししておく。

 もっとも、実の所、近くの森はそこまで危なくはない。無理をしなければ、リリーが一人でも十分に行ける場所だろう。

 けれど、もしもがあってからでは遅すぎるのだ。

 この世界では、外に出れば危険の無い場所なんてほぼないが、不注意や慢心でわざわざ危険性を高める必要もあるまい。熟達の錬金術士ならともかく、駆け出しの錬金術士のリリーには尚更注意が必要となるだろう。金貨数枚を惜しんで命を落とすなんて笑い話にもなりはしない。特に、イングリドの世話をリリーに任せる以上、間違いがあっては困るのだ。もし、あの可愛いお顔に傷がついたりしたら、俺のお嫁さんにするしかないじゃないか。いや待てよ、むしろ俺がお嫁さんになってもいいな。

 

「ちょっとアルト? 続きは?」

「ああ、ウェディングドレスも頑張って着こなしてみせるさ。可愛いイングリドのためだからな」

「何の話をしているのよ、いったい!?」

「すまん、脱線した」

「どこをどうしたら、そんなわけの分からない話に繋がるのよ……。いいから、さっきの続きを話してよ」

「えーと、どこまで話したんだったか」

「街の外に出る時は、冒険者を雇えって所までよ」

「ああ、そうだったか。まあ、理想は確かにその話の通りではある。かといって、あまりにも賃金が高い人間を頻繁に雇うとお金が足りなくなるから、懐具合と相談して相手を選ぶことだな。当然、採取場所にもよるが……、近くの森程度なら駆け出しの冒険者でも十分だろ。この場合、どちらかというと必要なのは頭数だからな」

「冒険者って、今日会ったテオくんとか?」

「そうだな、彼なんかちょうどいいと思う。多少賃金が安くても雇われてくれるだろうし、危険性が少ない場所だから問題無いと思うしな。他にも誰か仲の良い知り合いが出来たら、冒険者に限らず誘ってみてもいいかもな。腕に自信のある人間もいると思うし」

 

 クルト神父なんかは、無料で奉仕してくれるから原作の序盤では重宝したものだが……この世界でのヤツは危険だ。何度も言うが、イングリドやヘルミーナ相手に余計なフラグを立てられたら堪ったものではないからな。俺がフローベル教会に向かう際には、ヘルミーナはお家でお留守番させておかなくては。

 冒険者の中ではテオは駆け出しで物足りない実力だし、お金も多少必要と色々中途半端だが、イングリドに変な目を使わないからその面では安心だ。あいつが興味を抱くとしたら、それはリリーの方だろう。原作ではリリーとの恋愛イベントがあったしな。まだ具体的に手を回すような段階じゃないが、すでにリリーの恋を影ながら応援しよう作戦は、ひっそりと進行中なのだ。

 

「依頼に関しては、無理をしないことを優先に。ハインツさんに依頼を受ける際には、内容を良く確認するのを忘れずにな。受けた後でキャンセルするとか依頼期日を過ぎてしまうなんて絶対にするなよ。工房だけでなく、錬金術士そのものの評判が悪くなりかねないからな」

「分かってる、気をつけるわよ。それに、ハインツさんに怒られたくないしね……」

 

 うむ、俺も気をつけよう。工房云々を抜きにしても、あの人を怒らせたくはない。

 

「もしも自分だけでは判断しかねるようなら、ハインツさんに相談してみるのもいいかもな。錬金術士のことを多少は知っていたみたいだし、今のお前で達成可能な依頼内容かどうか、簡単な目安を教えてくれるかもしれないからな」

「ん、そうしてみるわ。ねえ、あたしはアルトの言う通りに行動してみるけど、あんたはどうするの?」

「俺か? 俺も基本方針は、お前と同じだ。一先ず、近場の採取地へ行ってみて、何が取れるのかを調べるつもりでいる」

 

 おおよその場所の検討はつくとはいえ、さすがにいきなり強敵のいる場所へ殴り込むといったような無謀なことはしない。アカデミーの実技で多少訓練したとはいえ、俺の冒険者としての力量は頼りないものだ。それこそ、リリーと大差ないだろう。これは錬金術士としての腕を磨くことを優先していたから、仕方のないことだ。錬金術で作った品物を使ってカバーするにしても限界はある。失敗は許されないし、わざわざ無理をする必要も無いので堅実にいく予定だ。

 それに、単純に腕っ節が強ければそれで十分というわけではない。原作と違い、現実に採取へ行くとなれば話は変わる。その辺りで必要になる事柄は、実際に冒険者を雇って徐々に慣れていくしかないだろう。

 まずは近くの森やヘーベル湖といった無難な採取地を巡り、採取できる素材が原作と大差ないかを確認しよう。調合は、ある程度素材が揃ってからでいいだろう。錬金術士としての技量があっても、肝心の素材がなければ調合出来る品物はリリーと変わらない。それに、ヘルミーナに教えつつ調合することを考えると、一通り簡単なものから教えていく必要があるしな。段階を踏まなければならない、とリリーに先程教えたばかりだし。

 それに俺が行ったことのある採取地なら、どういう場所で何が取れるとか何に気をつければいいかとか、そういった助言をリリーにすることが可能だしな。危険な目に合う可能性は、出来るだけ抑えてやらないと。年増女が怪我してもアホめと思うだけだが、一緒に行くイングリドが可哀想だからな。

 

「今の所、話しておくべきことはそのくらいだな。他に何かあるか?」

「んー……。ううん、特にないわ」

「何か困ったことがあったら言えよ? ドルニエ先生に頼まれているし、出来る限りのフォローはするから」

「うん、ありがと」

「――っ!?」

「何よ、その反応は! どうして、そんな壮絶な顔するのよ!?」

「いや、そうは言うけどな……」

 

 もはや天変地異の前触れといっていい有様に、俺は動揺のあまり椅子ごと後ろ飛びしてしまっていた。

 我ながら凄まじい反応だが、リリーを知る人物からしたら、これは当然の反応だと思ってもらえるだろう。

 別人というか、これはもう世界崩壊する前兆とかじゃないだろうか?

 

「リリーが俺相手に素直に感謝するなんて異常事態すぎる。気味が悪いとか、恐怖を覚えるとか、別人ではと疑うとか、世界崩壊とか、色々言いたいことはあるが――やっぱり、お前変だぞ? 大丈夫か? いったい、何があったんだ?」

「心底本気で心配してるような態度なのが余計に腹立つわね……。そんなに、あたしがあんた相手にお礼言ったらおかしい?」

「おかしいというか、気持ち悪い。『アハハッ、あたしのために働けるなんて光栄だと思いなさい!』とか言うなら納得出来るんだが」

「どんだけ歪んだ性格してんのよ、あたしはっ!? あんたが普段あたしのことをどう思っているのか、よ~~く分かったわ」

「まあ、今言ったのは三割冗談としてだ」

「七割も本気で思っているの!?」

「真面目な話、急にどうしたんだ? 良い兆候だとは思うが、少し疑問に思ったんでな」

「そ、それは……」

 

 ごにょごにょと何やら口の中でつぶやくリリー。

 向上心を持つのは素晴らしいと思うが、何が原因でそうなったか分からないので、空回りしないかが心配だ。血気に逸った挙句に大失敗なんてのは、新人には付き物だからな。その失敗を次に生かすことこそが成長する上で大事なことだとはいえ、被害は出来るだけ抑えたい。

 そのために、事情を知っておきたいと思うのだが……。

 

「べ、別にいいでしょ。あんたには関係ないわよ」

「関係ない、ねえ。一応、明日から同じ工房で働く錬金術士になるんだがな」

「ちがっ、そういう意味じゃなくて……」

 

 どういう意味だよ?

 相変わらず、支離滅裂なやつだ。説明すら満足に出来ないとは。

 このまま問い掛けても時間の無駄だし、後日、ドルニエ先生に聞いてみた方が早いか? 俺のいない間に、何かあったのかもしれんし。もしかしたら、俺の記憶が飛んでる原因も、そのせいかもしれないしな。

 

「まあ、いいか。打ち合わせも終わったし、寝ようぜ。もう結構な時間だしな」

「ん、そうね。そうしましょう」

「――っ!?」

「だから一々、ヒクなぁ! ただ普通に同意しただけでしょう!?」

「お、おう。そうだな……」

 

 俺に突っ掛かってこないリリーなんて、イングリドとヘルミーナに出会う前、以来じゃないか? 何かと衝突するのが普通となってしまった今では、違和感しか覚えないな。ただの気分の問題だったら、どうせすぐに戻るんだろうけどな。

 金物製のランプを片手に、物音を立てないようにゆっくりと階段を上る。

 案の定、三人とも既に眠っているようだ。二階は真っ暗だった。

 暗がりの中、山積みにされたままの木箱等に足をぶつけないように、慎重にベッドへ近付く。

 

「おお……っ!」

 

 思わず、口から感嘆の吐息が漏れる。

 ベッドには二人の天使達が、見るものを魅了するかのような愛らしい寝顔で眠りについていた。

 ――ドルニエ先生と同じベッドで。

 

「ちょ、おまっ」

 

 なんて羨まゲフンゲフン……妬まゲフンゲフン……けしからんっ! 男女七歳にして席を同じうせずという教えを知らないのか!? いくらドルニエ先生といえど、さすがにこれは見逃せない! 今すぐ俺と変わるべき、そうすべき! 俺だって二人の匂いを嗅いでクンカクンカしたり、抱きしめてハァハァしたりしたい!!

 ――いや、しかし。危急の問題はそこではなく。

 背後で硬直しているリリーをよそに、俺は改めて事態を把握し直すことにした。

 まず、二階に置かれたベッドの数は二つだ。

 そのうち一つを、ドルニエ先生とイングリドとヘルミーナが占領している以上、残りのベッドは当然一つとなる。

 しかし、これから寝る予定の俺とリリーは合わせて二人いる。

 つまり、この状況が指し示す答えとは?

 

「…………」

 

 俺は無言でランプをベッド横の木製枕頭台に置いた後、どうしたものかと溜め息を吐いた。

 ……ヤバイ。ベッドを買うの忘れていた。

 

 

 

 

 

 

 ええええええぇぇぇぇぇぇえええええええッッ!!!?????

 ちょっと何これどういう状況!? 誰か分かりやすく説明してよ!

 ドルニエ先生の両脇で、抱きつくようにして眠っているイングリドとヘルミーナの姿に、微笑ましい気持ちを抱いたのも束の間。

 はたと我に帰ったあたしを待っていたのは、想定外の事態だった。

 ……そういえば、ベッドを買っていなかったわ。

 小物とかは色々と見て回って確認したから忘れずに買っていたのだけど、家具については前に住んでいた人のを使えばいいやと見過ごしていた。アルトも買い物中に何も言ってこなかったし、あたしと同じく忘れていたのだろう。覚えていたら、さすがに何かしら言ってきたはずだ。

 だって、ベッドを買わなかったから、今あたし達が置かれている状況になってしまうのだから。

 購入しなければならない物を調べておくのはあたしの仕事だったから、その責任はあたしにある。

 でも、たった一つの失敗がこんなことになろうとは……っ!

 

「アルト」

 

 目の前で、あたしと同じように硬直しているアルトに声を掛ける。

 さすがに、アルトも今の状況を看過することは出来ないだろう。

 残されたベッドは一つ。しかし、あたし達は二人だ。この状況を覆すには、どうすれば良いか?

 

「ねえ、アルト」

 

 何か良い手はないかと、すがる思いで再度、彼の名前を呼ぶ。

 するとアルトはこちらを振り返りもせず、やおら唐突にベッドに潜り込んだ。

 

「よし、寝るか。おやすみ」

「えっ?」

 

 お、おやすみって……、えっ? な、何をそんな冷静に言ってるのよ!?

 だ、だって、残ったベッドは一つしかないのよ? いくらなんでも、ドルニエ先生達が寝ているベッドはもう一杯だし、起こして相談するわけにもいかないし。かといって、寝ないわけにもいかないし。

 となれば、答えはおのずと一つしか残ってないじゃない?

 元はと言えば、あ、あたしのせいだし、仕方ないっていえば仕方ないし、我慢しろって言われたら、そうするしかないって分かってるけど……。で、でも、そんなあっさりと言われても、こ、こっちにも覚悟っていうか、その、心構えっていうか、選択権っていうか、ええとだからその……。

 

「ア、アルト?」

 

 どうしてあんたは、そんなに落ち着いていられるのよ!?

 自分でもどうしてこんな焦るのかってくらい頭が沸騰しかけてるのに、相手がこんなにも平然としていると腹立たしくなってくる。

 さっき、お風呂場に乱入してきたときもそうだ。思わず全力でぶん殴ってやったり、お湯をぶっ掛けたり、色々投げつけたりした後で、裸を見られたせいでどんな顔して会えばいいのかとあたしは散々悩んだっていうのに……何事もなかったかのように話し掛けてきた挙句、全部綺麗に忘れているとか何なのよ! 必死に平静な表情を取り繕っていたあたしが馬鹿みたいじゃない!

 今だって、どうしてそんな普通の様子で、ベッドの真ん中を占拠していられるのかが分からない。それとも、あんたからしたらこれくらいなんでもないってこと? そりゃ、あんたみたいな変態からしたら、あたしなんて興味無いんだろうけどさ。にしても、ちょっとは動揺するとか、あたしに何か一声掛けるとかしたらどうなのよ? なんのフォローも無しに、そんな普通に寝られても困る。そう、そんなあたしなんてまるで気にせず寝るような……ん?

 ちょっと待て。なんでさっきから、こちらに背を向けてもう寝る準備万端なんだ、この男は。

 しかも、どう見ても真ん中にいるせいで、あたしが横に入る隙間とかないわよね。

 まさかとは思うけど……そういうこと?

 

「アルト、あんたもしかして一人で寝る気?」

「は? 何をバカなことを言ってるんだか」

「そ、そうよね。いくらあんたでもさすがに――」

「当然、寝るに決まっている。バカか、お前は」

「当然って……。じゃ、じゃあ、あたしは!?」

「一階のソファーとかで寝ろよ。まさか、一緒に寝るとかアホなことをぬかすんじゃないだろうな?」

 

 寝る前から寝言とは器用だな、とこちらに向き直ったアルトが欠伸をしながら言う。

 いくらなんでもそれはないだろう、と思っていたのだけど。

 この男、あたしを差し置いて一人でベッドを使うつもりらしい。

 

「だ、誰がそんなこと言うか! あんたと一緒なんて、こっちからお断りよ!」

「なら大人しく下に行けよ。大丈夫だ、今の季節なら一晩くらいで風邪を引いたりはしないって」

「ど、どうしてあたしが? あんたが下で寝ればいいじゃない」

「それこそ、どうしてだ。ベッドを買い忘れたのはお前の責任だろ、俺のせいじゃない」

 

 ぐっ……! い、今それを言うの!?

 確かにその通りだし、そう言われたら仕方ないってさっきは思ってたけど……でも、こんな対応、納得できるかぁっ!!

 

「女の子をソファーで寝かせて、あんたはベッドで寝るって言うの?」

「誰が女の『子』だ、誰が。都合の良い時だけ子ども扱いしろとか、あつかましいやつだな。十年前に戻ってから出直して来い」

「そんなの出来るわけないでしょうが!」

「出来るわけがないから諦めろ。ほれ、分かったらさっさと寝ろ。おやすみ」

 

 もう話は終わりだとばかりに、あたしに背を向けるアルト。

 え? ……何? 本当にあたし一人、ソファーで寝ろって言うの?

 こ、この仕打ちは酷過ぎない? そりゃ確かにあたしのせいだけど、だからってこれはなくない?

 打ちひしがれるあたしを無視して、アルトは早くも眠る体勢に移っていた。

 フ、フフフ……。

 そうね、忘れていたわ。

 いくら、アルトが錬金術士として素晴らしかろうと。

 いくら、アルトがあたしのことを手助けしてくれようと。

 こいつが、最低で最悪でド変態で大っっっ嫌いな男だってことを忘れていたわ!!

 アルトだけが、ぬくぬくとベッドで寝るっていうのは絶対に許せない!

 

「どきなさいよっ!」

 

 最早、残された手段は実力行使あるのみだ。

 布団を引っ掴み、アルトの背を蹴っ飛ばし、強引にベッドを横取りする。ベッドから転がり落ちるアルトを尻目に、さっさと奪い取った布団に入る。

 あ~、暖かい。そうよね、最初からこうしていれば良かったのよ。アルト相手に、変な遠慮なんてする必要すらなかったわ。

 

「何しやがる、コノヤロウ!」

「野郎じゃありませ~ん、女です~。ほら、さっさと下に行きなさいよ、うるさいわね」

「てめぇ……っ!!」

「あまり騒ぐと皆が起きちゃうわよ? アルトが大好きなイングリドとヘルミーナが起きちゃったら、どうするのよ?」

 

 ふふん、と勝利者の笑みを浮かべてやる。

 ぬぐぐっ、と床から起き上がったアルトが悔しそうに立ち尽くす。

 

「オ・ヤ・ス・ミ☆」

「――っ!!」

 

 ついさっき、アルトがしたように背を向けて会話を打ち切る。

 あー、良い気分だわ。すっかり溜飲が下がるってものよ。

 まあ、さすがにあたしも鬼じゃない。明日は家具屋に行って、きちんとベッドを買ってきてあげよう。イングリドとヘルミーナはあたしと一緒に寝ればいいから、一つだけ買い足せばいいかな。本当ならこのまま一週間くらいソファーで寝てもらう所だけど、寛大なあたしの処置に感謝することね。

 

「……って、ちょっとぉ!? 何してんのよ!」

 

 背中をグイグイと押してくる感触に振り返ると、信じられないことに布団に入ってこようとするアルトがいた。

 

「やめてよ! 落ちちゃうでしょ!?」

「人を落としておいて言う台詞がそれか!?」

「やめなさいってば! 触んないでよ!!」

「俺だって好きで触ってるわけじゃない! 変にやわらかくて気持ち悪い!」

「や、やわらかいって……な、何言ってるのよエッチ!」

「誰がお前なんぞに欲情するか自意識過剰女め! いいから、ベッドから出ろ!」

 

 さすがに男と女では純粋な腕力では敵わず、あたしはベッドから追い出されて床に転げ落ちてしまった。

 し、信じられない! 普通、ここまでする!? 横暴なんてもんじゃないわ!

 落ちた拍子に打ち付けたお尻を撫でながら立ち上がると、アルトはまたもあたしに背を向けて寝る体勢に入っていた。再度、追い出すにしても、残念ながら腕力で劣るあたしに勝ち目は無い。かくなる上は、泣き寝入りするしかないのか。仕方なく、ソファーで眠るしか選択肢はないのか。

 ……いや、いっそのこと、こいつが寝た隙にどかすか、天罰を与えてやろうか。

 暗い感情が、フッと胸の奥底から湧き上がる。

 アルトはそんなあたしに気付いた様子もなく、さっきと変わらずベッドの端の方であたしに背を向けている。なんて酷いやつなんだ。変態だとは思っていたけど、人間性に問題があるとは思っていたけど、もうちょっとあたしに優しくしてくれてもいいじゃないか。そりゃ、あたしのことを嫌ってるのは分かってるし、あたしだってあんたのことは嫌いだけど、でも、こんな時までそんな対応しなくてもいいじゃないの。そんな、もう反論の余地無しって打ち切るように、頑なな態度で背中を向けて……って、あれ? さっきもこうだったっけ? ううん、さっきはもっと真ん中にいたと思う。今、アルトはやや右端の方に寄っている。そのせいで左側になら、ちょうど一人分くらいなら、なんとか入れそうな空間が空いてるわけで……。

 

「……我慢してやるから、好きにしろ。それが嫌なら、下に行け」

 

 あたしに背中を向けたまま、アルトが素っ気無い口調で呟く。

 彼なりに精一杯譲歩した結果、というわけだろうか。ふん、素直じゃないやつ。最初からそうしてくれれば、余計な言い争いもしなくて済んだのに。

 異性と同じベッドで寝るということに、少なからず躊躇いを覚えたけど……結局、あたしは彼の提案に乗る事にした。アルトと背中合わせになるように、おずおずと身を横たえる。

 もちろん、あたしだってアルトと一緒に寝るなんて嫌だ。どうして、変態と一緒になんて寝なければならないのよ。それくらいなら、一人でソファーで寝た方がマシだ。

 でもここで断ったりなんてしたら、まるであたしがアルトを意識してるみたいに勘違いされそうだし。向こうは全然気にしていないのに、あたしばかりが気にするなんてシャクだわ。

 だいたい、ド変態なアルトがあたし相手にどうこうするわけないし、そんなのはさっきのお風呂での対応から分かり切っている。だから、彼を異性として意識なんてする必要はないのだ。ないんだってば。深く考えるな、あたし。変に恥ずかしくなってきてしまうじゃないのよ!

 

「……おい。あまり、くっつくなよ。もうちょっと離れろ」

「だ、誰がくっついてるっていうのよ。しょうがないでしょ、狭いんだから」

「ったく、なんで俺がこんな目に……」

「それは、あたしの台詞よ……」

 

 本当、どうしてこんな目に合わなければならないんだか。

 故郷の家族は勿論、アカデミーでの友達にも絶対に言えないわね。アルトと同じベッドで寝たなんて言ったら、どんな騒ぎになるか分かったものじゃない。お父さんなんかは、嫁入り前の娘がとんでもないとか怒り出すわよね。お母さんは何やら激しく勘違いしていたし、良くやったわねとか斜め上の賞賛を送ってきかねない。アカデミーの友達は、きっとまた面白おかしく騒ぎ立てるに違いない。特に親友に知られてしまったら、恐ろしい程に誤解を増長させてしまうだろう。アルトとあたしはそういう関係じゃないと何度も口を酸っぱくして言ってるのに、事あるごとに冷やかしてくるのだから。

 

「消すぞ」

 

 アルトがランプの火を消すと、部屋の中が真っ暗闇に包まれた。

 布団の引っ張り合いをしながら、瞼を閉じる。

 明日からは、今までとは全然違う毎日を過ごすことになる。

 異国での共同生活という環境は当然ながら、工房の運営という大仕事が待っている。教師として、イングリド達を導いていかねばならないし、何よりもアカデミー建設という偉業を達さなければならない。

 ただひたすら錬金術の勉強に明け暮れた日々からは、想像もつかないような出来事ばかりなはず。

 今までの狭い日常から飛び出した先では、きっと数多くの未知との遭遇が待ち構えているだろう。

 まるで初めて錬金術を知った時のような、抑えきれない高揚感が胸に広がっていく。

 期待が痛い程に、心臓をドキドキと高鳴らせる。けれど、驚く程に不安は感じない。

 大丈夫。

 だって、あたしは一人じゃない。

 皆がいるから。

 ドルニエ先生がいる。

 イングリドがいる。

 ヘルミーナがいる。

 あと……まあ、もう一人オマケがいる。

 

「ねえ、アルト」

「なんだよ? さっさと寝ろって」

「あたし頑張るから。だから……」

「だから?」

「…………」

「おい?」

「お、オヤスミっ!」

「? ああ、オヤスミ」

 

 だから……、一緒に頑張ろうねアルト。

 あんたを頼りにしているから。

 あんたも、あたしも頼ってよね。

 そうしてあたしは、ザールブルグでの波乱の初日に終わりを迎えたのだった。

 

 

 

 ……翌朝、アルトと同じベッドで寝ているのを皆に目撃されて騒がれるなんて知らずに。

 

「違うのよ、無意識なの! 本当に違うんだってば! 最近ずっと、イングリドとヘルミーナを抱きしめながら寝てたから、その癖でつい抱きついちゃってただけで、他意は全然ないの!!」

 

 生温かい視線で見つめるドルニエ先生、きょとんとした顔をするイングリド、どこか不満そうな表情で頬を膨らますヘルミーナ、うんざりした表情で溜め息をつくアルト。

 朝一番から、あたしは涙目になりながら必死に弁解するハメになったのだった。

 それというのも全部アルトのせいだ。

 この変態男のせいなのだ。アルトのせいなのだ。あたしのせいなんかじゃない。

 何度も思ったけど、再認識したわ。

 

 

 

 アルトなんて大っっっっ嫌いッ!!


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