アルトとイングリドとヘルミーナのアトリエ(あとオマケが一人) 作:四季マコト
別行動
「はあ――っ!!」
裂帛の気合と共に放たれた横一閃が、飛び掛かってきた襲撃者を二匹まとめて薙ぎ払う。
影の正体は灰色の毛皮の狼、ウォルフだ。空中にいた彼らには、彼女が振るう槍の軌道上から逃れる術は無い。
決して軽いとはいえない重量の狼が女の細腕で吹き飛ばされる様は、まるでフィクションの世界の出来事のようだ。けれど、これがノンフィクションである証拠として、その二匹は弾かれるようにして樹木に叩きつけられた後、倒れ伏したままピクリともせずに動かなくなった。
「さすがだね、シスカ。聖騎士を目指しているというのは、伊達ではないようだ」
「何を今更、言ってるのよアルト。腕がなかったら、最初から雇っていないでしょう?」
「当然。腕の立つ冒険者でなければ、そもそも雇う意味が無いからね」
慢心せずに残心の姿勢を取るシスカと軽口を叩き合いつつ、俺は傍らの小さな少女の手を取って後方へと下がる。シスカの背中に庇われる位置まで移動すると、素材収集のために背中に背負っていた大きな籠を地面に降ろした。これから先、重荷があったせいで動けませんでは済まされないからな。
……大丈夫、何もそんなに深刻な状況ではない。慌てふためくような大した場面ではない。
俺が焦れば、それは同行者にも伝わる。だから、表面上だけでも取り繕わなければならない。
「先生……」
「大丈夫だよ、ヘルミーナ。何も心配はいらない」
怯えるヘルミーナに優しく笑い掛け、少しでも安心出来ればと繋いだ手にギュッと力を込める。すると、それに応えるかのように、ヘルミーナが震える手でソッと握り返してきた。
そのまま彼女の震える手を繋いで勇気付けてあげたいが……、生憎とそうもいかない状況だ。俺は心を鬼にして手を……断腸の思いで手を……くっ、後ろ髪を引かれつつ手を……ぬおおっ、泣く泣く手を……手ぉおおお――手を、離した……。
く……っ! 我が身を切り裂かれる思いとは、正にこういう時の心境を指す言葉だな! 思わず、目頭が熱くなってきてしまった。後ほど迅速にヘルミーナ成分を補填しておかなくては!
俺が代わりに握り締めたのは、ヘルミーナの繊手とは似ても似つかない代物。道中で左腰に吊り下げていた極々平凡な木の杖だ。アカデミーでの訓練や模擬戦で何度か使用したこともあるが、実戦での使用は今回が初めてとなる。
叶うならば使いたくはないが、余り贅沢も言っていられないだろう。
ヘルミーナを敵の視線から遮り、残った敵へ正面から杖を構えて警戒する。知らず、じっとりと掌に汗が浮かび、杖を握る手が滑りそうになる。いくら上っ面を誤魔化そうとした所で、身体は正直だ。緊張を隠し切れない。
けれど、不安感はそれほど無い。
何故なら、俺達には頼れる護衛が二人もいるのだから。
出会い頭の強襲をあっさり撃退されて警戒したか、残りの奴らが遠巻きに低い唸り声を上げて威嚇してくる。
敵の残りは、狼一匹と魔物一匹の計二匹だ。
狼の方は、先ほどシスカに鎧袖一触されたのと同じウォルフだ。
俺の知る狼という野生の生き物は、群れを作って生息する獣だ。仲間に犠牲が出ないように行動し、集団で敵を包囲するように狩りを行い、隙を見せた弱者を見逃さずに仕留めてくる優れた知性を持つ野生の生き物。
けれど、この世界での狼は少し事情が異なる。――否、狼というよりも獣全般がだ。
それは、自分達以外の種族と一時的に結託することがあるという点だ。そうして、自分達よりも強い相手を狩る。己が生き抜くためには、仲間ですら利用することさえあるという。パワー・バランスの激しい弱肉強食故の生き方なのか、原作がそうだったからという身も蓋も無い理由故なのか、はたまた全然違う理由のせいなのか。何にせよ、厄介であることに変わりは無い。
そして更に厄介なのは自然の生き物ではなく、魔的な要素が加わった生物……魔物だ。
ウォルフの隣で、ぷるぷるとゼリー状の水色の身体を震わせているのがその魔物だ。ぷにという見た目通りの名前があり、その外見は原作と同様に可愛らしい。
が、しかし。油断は禁物だ。これでも、れっきとした魔物だ。彼らを甘く見てはいけない。幸いにも今回はぷに一匹なのでそこまで恐れることはないが、常識外な生物である彼らは単体でも侮れない生き物だ。酸素がないと生きられないだの、脳や心臓が潰されたら死ぬだの、そういった生命としての常識は、彼らには一切通用しないからだ。事前知識無しで戦うと、思わぬ苦戦を強いられる羽目になるのは確実だ。
「テオくん、いける?」
「任せてくれよ、シスカさん。やってやるぜ!」
後方からの敵の追加を警戒していたテオが、威勢の良い返事と共にシスカと位置を交代する。両手に鉄の剣を握りしめてどっしりと両足を地に下ろして敵に対峙し、眼光鋭く睨みつけて威圧する。駆け出しの冒険者とはいえ、中々堂に入った様だ。
……これなら、大丈夫そうだな。
そう楽観視するも、念のために俺は自らの精神を集中し始めた。錬金術を扱う際と同じく、調合品へ魔力を込めるのと同じ要領で、内に在る精神を魔力へと変換して練る。調合との違いは、魔力を物質に流すのではなく、外へと放出することだ。そのために、俺は魔法を放つのに相性が良い、ただの杖という得物を武器に選んでいる。
……まぁ、俺なんかの筋力で刃物を手に殴りかかった所でタカが知れているせいもあるが。
「どうした? 来ないなら、こっちから行くぞ!」
じりじりと距離を保ったまま襲い掛かってこない敵に焦れたか、テオが長剣を上段に構えたまま勢い良く駆け出す。健康優良児の面目躍如といった素晴らしい速さだ。相手の反応を許さず、一気に間合いを詰める。
「うおりゃっ!」
肉薄するや否や、斬撃がぷに目掛けて真っ直ぐに振り下ろされる。
膂力と速度の乗った一撃は、狙い違わずに標的を一刀両断に処する。異常な再生機能を持つ魔物も世の中にはいるらしいが、ぷには違う。あれでは流石に、一溜まりもないだろう。勢いあまって剣が地面に刺さったのは、ご愛嬌といったところか。
「へへっ、楽勝楽勝!」
勝ち誇って会心の笑みを浮かべるテオだが――忘れてはいまいか? 敵は一匹じゃないということを……。
ぷにを無力化させたことで気が緩んだのか、その隙をついたウォルフがテオの横を素早くすり抜ける。自身の失態に気付いたテオが慌てて止めに入るも、草木が邪魔となって間に合わない。
初速が乗ったウォルフは脇目を振らず真っ直ぐに標的――ヘルミーナを目掛けて疾走する。この面子の中で一番目に見えて弱者なのが、か弱い子どもであり少女であるヘルミーナなのだから、敵の狙いは当然だ。
シスカがやれやれとばかりに溜め息を吐きながら俺とヘルミーナの間に入ろうとして――
「アインス・クルッペン!」
彼女が動き出すより早く、俺は溜め込んでいた魔力を解放した。
――刹那、杖の先端から青白い輝きが放たれる。
錬金術と同じく、前の世界では存在しなかった代物、魔法の輝きだ。大きさは丁度、人間の頭程度だろうか。眩い発光体は、篭められた俺の意思に従って迫り来る狼を迎撃に向かう。
見慣れぬそれに本能で脅威を覚えたか、ウォルフが咄嗟に横へ回避を試みる。
でも残念、これは魔法だ。尋常なやり方では、避けることすら儘ならない。
一度放たれた魔法は篭められた意思に従い、自動的に目標を追尾する。加えて、肉体的な被害を与える質量を伴った魔法ならいざ知らず、俺のそれは精神に影響を与える実体の無い魔法だ。例え間に障害物があろうとも、容易にすり抜けて目標へ衝突する。
決まりきった結末を迎え、ウォルフが発光体に追いつかれる。
魔法に接触した瞬間、まるで雷に打たれたかの如く大きな痙攣を起こして悲鳴を上げた。走った勢いを殺せず、そのまま無様に横転する。
地面へ横たわったまま、何度か小さな痙攣を繰り返したが、やがてそれも収まった。精神を破壊され、そのまま意識を保てずに気を失ったようだ。
「うん、やれそうだな」
安堵に胸をそっと撫で下ろす。
錬金術の片手間で学んだ程度の魔法だ。上手くいくかどうか多少不安だったが、これなら自分の身を守る程度では出来そうだ。いざという時に役に立たないようでは、仲間へ負担を掛けることになるからな。
俺が一息吐いていると、シスカとテオが倒した敵の確認へ向かった。まだ息があるようなら、トドメを差して置かねばならないからだろう。死んだフリをする知能があるとは思えないが、遠吠えでもされて仲間を呼ばれては面倒なことになるからな。
ともあれ、一先ずこれで状況は落ち着いたと言って良いはずだ。
俺は手早く汗を拭うと、一応、杖を手にしたまま背後へ振り返った。
「もう大丈夫だよ、ヘルミーナ。怖くなかったかい?」
彼女にとっては、初めて目にする命の奪い合いだ。実際に彼女が手を下したわけではないが、目の当たりにした危機的状況に恐怖を覚えても何ら不思議ではない。恐慌状態に陥らず、冷静に行動しただけでも大したものといえる。
ヘルミーナは緊張に強張った表情を緩め、ゆっくりと息を吐いた後、
「ううん、平気。アルト先生が守ってくれるもん」
パーーッと花開くような笑みを浮かべてみせた。
ああっ、何この可愛い生き物! 天使! 天使ですか! 俺の天使ですね!
これはもうっ、頭を撫で回して可愛がらざるを得ないッ! というか、すでにしている!
「そうかそうか! ヘルミーナは本当、良い子だなぁ!」
ヘルミーナの千分の一でいいから、どこぞのアホ女にも見習わせたいものだ。彼女の爪の垢でも煎じて飲むといい。……いやむしろ、そんなものがあるのなら俺が一気飲みするけどな!
「だけど、くれぐれも無理はしないように。いいね? 少しでも体調が悪くなったら、我慢しないですぐに言うんだよ?」
「はーい、アルト先生」
心地良さそうな表情を浮かべて、俺のなすがままにされているヘルミーナが返事をする。
彼女が浮かべる緩みきった表情に、いっそ抱きしめて頬摺りやろうかと考えていると、安全の確認を終えたシスカとテオが一緒に戻ってきた。
シスカは渋面で肩を怒らせ、テオは肩を落としてトボトボと重い足取りだ。
これがリリー相手なら無視したまま、先ほど考えた事を実行に移す(そして邪魔される)ところだが、彼女達を相手にそれはマズイ。
こちらが賃金を支払い、その対価としてあちらに護衛してもらっているとはいえ、それはあくまで対等に近しい関係だ。金銭契約だからこそ、互いに相手を尊重し合うようでなければ、良好な間柄になれはしない。どうせ同じ時間を過ごすのなら、お互いに気分良く過ごせる環境の方が好ましいのは言うまでもないだろう。
だからこそ、俺も彼女達相手に失礼にならない程度に砕けた態度を取っているわけだ。
もちろん、一切の損得勘定がないわけではない。
リリーへの恋の生贄第一号たるテオとは、それなりに親しくなっておいた方が後々都合が良いし、シスカにしても俺の望む条件に相応しい人間だからこそだ。
本来ならシスカは十二歳より上の女なので係わり合いすら避けたい相手だが、今後の付き合いを考えるとそうもいかない。腕の立つ女の冒険者という存在に、そうそう運良く出会えるとは思えないし、ヘルミーナのためだと俺が事情を説明したら、すぐに理解を示してくれたしな。
これがどこぞの年増女みたいにアホなやつだったら論外だが、シスカはまだそれなりに話が通じる人間のようなので我慢は可能だ。
何より彼女はアカデミーでの連中と違い、色ボケしていない。それだけで随分と付き合い安いタイプの人間といえる。そういう意味ではリリーも同じなのだが、あいつはイングリドとヘルミーナを俺から奪おうとする外道なので、最初から問題外だ。敵を相手に、付き合いも何もあったものではない。
俺はヘルミーナの頭を撫でる手を止め、幾分か疲れた様子の二人に労わりの声を掛けた。
「お疲れ様、二人とも」
俺たち四人は今、近くの森へ採取に訪れている最中だ。
工房経営の初日、テオに冒険者のツテで紹介してもらったのは、誰あろうシスカだった。
『シスカ・ヴィラ』――彼女は原作にも登場している人物だ。初めて彼女を目にした時、あまりにもそのままの姿すぎて、名前を言われる前に呼びそうになったのは、ここだけの話である。
あと十年出会うのが早ければさぞ可愛らしい少女だったろうにと惜しむ気持ちになったが、元より俺が探していたのは頼りになる女性の冒険者だ。その目的は無事に達成されたことになる。
シスカは真っ赤な鎧に身を包んだ、腰まである緑掛かった綺麗な黒髪が印象的な女性だ。頭に巻いた青いスカーフと耳を飾るイヤリングが、どこぞの年増女と違って外見にも気を遣うタイプの人間なのだと教えてくれる。
身長は俺よりも十センチ程低い程度だろうか。年齢は聞いていないし、原作の知識としても覚えていないが、見た目からしてたぶん俺とそう大差ないだろう。女性らしい細身の身体といい、一般的には若いとされる年齢といい、荒事なんて凡そ似つかわしくないように見えるが、見掛けだけで実力を判断するのは早計だ。彼女は女性初の聖騎士となるためにザールブルグへやってきただけあって、その華奢な体からは想像もつかない程の、卓越した槍の腕を持つ冒険者なのだ。
試しにテオと数回打ち合ってみてもらったら、鎧袖一触。一度も体に掠らせる事無く、簡単に彼を打ち倒して見せた。いくらテオが駆け出しだからといって、ああも簡単に冒険者を目指す少年をあしらえるのだから、その実力は間違いないと判断して良いだろう。
そのシスカだが、どうやら俺が初日に酒場でワインを飲んでバカ騒ぎしていた現場に彼女も居合わせていたらしく、こちらの顔を覚えていたようだ。あの時の、と開口一番に驚かれた。一方の俺はと言えば、なぜかその辺りの記憶があやふやで思い出せないのだが……。
わざわざ、腕の立つ『女性の』冒険者と限定した条件で探していたせいもあり、当初は少なからず警戒されていたようだ。まあ、俺は彼女に全く興味が沸かないとはいえ、用心は当然の心掛けともいえる。女性の冒険者ならではの苦労もあるだろうからな。怪しむ彼女の気持ちも、分からないでもない。
それでもテオの顔を立てて、胡散臭い依頼者に会いに来てくれたわけだ。これだけでも、冒険者同士の繋がりという言葉だけではない、彼女の心根が察せられる。
そんな感じで始まった顔合わせだが、前述の理由で彼女が俺の顔を覚えていたのと、俺が条件を付けた理由に彼女が納得いったお陰で、簡単に誤解は解けた。
やはり、可愛い少女を守るためにという行動原則は全世界共通の理由となり得るのだ。イングリドのために、ヘルミーナのために、と健気に行動する俺を妨害しやがるあいつだけがただ一人の例外なのだ。
そして、その話し合いの最中。護衛の依頼と一緒に、駆け出し冒険者のテオのフォローをしてもらう契約をしたのだが……。
「まったく、もう……。テオくん、全ての敵を倒すまで決して油断してはダメよ。目の前の敵を倒したら、すぐ次に移れるように行動しないと。いい? 敵を倒すのは目的のための一手段でしかないの。依頼者の身の安全を確保することが、何よりも大事なのよ?」
「……はい」
「今回は私もいるからいいけど、一人で護衛する時は必ず依頼者の保護を第一に考えて。彼我の戦力を鑑みて、時には戦わずに逃げることも必要よ。依頼者が自分の身を守れるかどうかは、その相手次第になるのだから」
さっそく、ダメ出しをされているらしい。
シスカは道中も何かと皆に気を配ってくれていたし、割と面倒見が良い性格のようだ。テオのフォローをお願いする相手に、彼女を選んで正解だったな。
先頭に立って後続の俺達が歩きやすいように草木を踏み固めてくれたり、小まめに休憩を提案してくれたり、怪しい気配がしたら立ち止まって警戒を促したり……冒険者として、テオに彼女から学んでもらいたい事柄は数多くある。リリーと共にイングリドを、その身を呈してでも守ってもらわなくてはならないのだから。
今夜は野宿をする予定なので、その辺りの知識も是非、彼には吸収して欲しい。都会で暮らしてきたイングリドに何らかの不都合があった場合に、きちんとした対処を取れないようでは困るからな。
リリー? あんな年増女のことは知らん。あいつは田舎暮らしだからその程度は平気でやりそうだし、よしんば違っていたとしてもどうでもいい。慣れろ、と言うくらいだ。
「ねえ、アルト。もう少し歩いた先に小川があるから、そこでお昼にしようかと思うのだけど、いいかしら?」
……ふむ。戦闘したばかりだし、休憩するには丁度良い時間帯か。
俺は杖を腰のベルトに固定し、素材の入った籠を背負い直しながらシスカに頷きを返した。
「ああ、そうしようか。さっき使った魔法のせいで、少し精神的に疲れたしね」
余談だが、この竹細工製の籠を背負うのには、少なからず葛藤があった。主に見栄え方面で。
どこの竹取の翁だよとか、中世ならザック背負えよとか、ツッコミを入れて拒否したくなった俺は悪くないはずだ。これを平然と受け入れるやつの方がおかし――いや、ヘルミーナは除く。彼女は純真だからな。言われたままに受け入れても、何ら不思議ではない。
だから俺が出掛ける際に無言で抗議したのは当然の成り行きだったのだが……、最終的に俺は折れた。折れるしかなかった。
郷に入っては郷に従えという格言があるし、作業能率的には理に適っていると言えなくもないし、恩師であるドルニエ先生も若かりし頃には背中に担いでいたというから、弟子である俺が錬金術士の伝統を拒否するわけにもいくまい。
やるせない表情を浮かべて籠を背負った俺を見るイングリドの、これまたなんとも言えない微妙な表情が心に残っている。
うん、イングリド……、キミの気持ちは良く分かるよ。でもね、残念ながらキミも遠からず、これを背負う日が来るんだよ……。
余談どころか蛇足だが、年増女は全く気に掛けた様子がなかった。その籠がどうしたの、とでも言いたげな興味の無さっぷり。そんなことはどうでもいいことでしょ、と言外に匂わせる態度で睨みつけてくる有様。これだから女として終わっているやつは語るに値しないのだ。
「ほんと便利よね~、魔法って。通用するかどうか試してみたいって言ってた割に、あっさりと一発で倒しちゃうんだもの」
「無理を言って悪かったね。でも一度、通じるかどうかを試しておきたかったんだ」
「別に構わないわよ。邪魔にはならなかったし。これならアルト一人でも十分、戦えるんじゃないかしら?」
「まさか。一人じゃ、話にもならないよ」
フフンと挑発めいた笑みを見せるシスカに、苦笑しながら肩を竦めて答える。
そう、俺一人で戦うのは無謀すぎるのだ。
というのも、魔法を使うには精神を集中する時間が必要だからだ。熟練者なら維持しつつ動くことが可能なようだが、俺には到底不可能だ。これは、錬金術士としての腕を磨くことを第一に考えた結果なので仕方がない。
それでも一応、威力を高めたり、単体ではなく複数の魔法を同時に放ったりといった芸当も可能だが、それには更に時間が掛かるし、精神力の消耗も大きくなる。
常に遠距離から相手取れるならば何とかなるかもしれないが、それはあまりにも現実的ではない。原作でいうターン制なんてものが現実には存在するわけがない以上、複数を相手に近寄られたら、それだけで一巻の終わりだ。数の暴力という言葉を思い知ることになるだろう。
そしてこれが一番の問題となるのだが、ヘルミーナという保護対象の存在だ。彼女を守りながら戦うとなると困難どころか実質不可能だ。錬金術での調合品によって戦力を高めたとしても、それでは根本的に無理があるのだから。
「利点もあるけど、欠点もあるってことね」
「だから、二人にはしっかり守ってもらわないと」
「はいはい、任せてちょうだい。傷一つ負わせないようにしっかりと守るわよ」
「僕はともかく、ヘルミーナの顔に傷がついたら責任を取ってもらうよ?」
「その時は私がお嫁さんにするしかないかしら?」
「僕がお嫁さんにするから、それは遠慮しとくよ」
「あははっ! そうね、それがいいわ!」
俺の言葉に明るく笑って同意するシスカ。
どうよ、この対応。これがあの邪魔者だったら、蔑んだ眼差しで唾を吐きかけてくるところだろう。シスカはやはり、可愛らしい少女を愛でる気持ちを理解してくれている。
「でも、その心配は杞憂よ。だって、私達護衛が守るもの」
「ああ、信用してるよ」
「まったく、もう。本当に過保護なんだから。……ちょっと待ってて。ついでだし、ウォルフを解体してくるわ。お肉は多少、癖があるけど、せっかくだしね」
「あ、オレも手伝うよ。そういうのは慣れてるからな」
「牙が折れてなかったら、取っておいてくれないかな? 錬金術の素材になるから」
オッケー、と二人は慣れた手つきでウォルフの処理を始める。
俺はそれが終わるのを待つ間、ヘルミーナを連れてぷにがいた辺りへと向かった。
ぷにの残骸とでも呼ぶべき、ゼリー状の物体が真っ二つになって地面に転がっている。既に生命として存在していないからか、こうして見る間にもその形が崩れて地面に消えていく。本当に、魔物という生物は不思議の塊だ。何を今更と自分でも思うけどな。
この有様ではあったとしても一緒に潰れてしまっているかな――そう思って俺が諦めかけた時、視界の端に何かが引っ掛かった。そこらに落ちてた枝でゼリー状の物体を崩すと、その中に小さな水色の玉を発見した。
……あったらいいな程度だったのだが、本当に見つかるとは。
「ヘルミーナ、見てごらん。これが何か分かるかな?」
「んー……。ぷにぷに玉?」
「正解。ぷにはその体内に、魔力が固まって出来た塊を稀に形成する。それがこれ、ぷにぷに玉だ。色鮮やかで、触るとその名前の通り、ぷにぷにした感触のする玉だね」
付着していた体液を布切れで拭き取り、ヘルミーナに手渡す。知識として知ってはいても、こうして自分で目にするのは初めてだろう。
「ぷにぷに玉は、魔力がこもっているだけあって調合の素材として適している。ミスティカの葉やアザミ茶葉なんかが代表的だね。他には、生きている物を調合する際にも使われるんだよ」
その感触が気に入ったのか、指先で突付いて楽しそうに笑うヘルミーナへ簡単に説明する。
彼女の身の安全だけを考えれば、こうして外での冒険に連れ出すのは悪手だろう。
――でもそれでは、今みたいに彼女が笑顔を浮かべることは出来ない。
実地での素材集めは、彼女が錬金術士として今後も生きていくのならば、必要不可欠となる。売っている物を扱うだけでは限界があるからだ。それに、自分の手で素材を得た喜びを、彼女には知ってもらいたかった。それは必ず、錬金術士としての糧となるはずだから。危険を伴うからこそ、達成した時に得るものもあるのだ。
そして危険があるならば、俺の傍に置いて保護しながら学ばせた方が絶対に良いはずだ。俺の手が届く場所にいるならば、どんな相手だろうが絶対に、彼女に指一本触れさせたりはしない。
リリーにイングリドを任せるのは大いに不安だが……、いくらアホでもその辺は理解しているだろう。テオにフォローは任せてあるし、あらかじめ、リリーには口を酸っぱくして単身で採取はするなと言い含めてあることだしな。
さらに念には念を押して、イングリドに手渡した調合品もある。時間がなくて一つしか用意出来なかったが、きちんと身に付けていれば、万が一もあるまい。
ここまで病的に用心したのに不測の事態が起こるとしたら……、あのアホが何か余程のとんでもないことをしでかした時くらいしか思い浮かばない。
今頃は丁度、イングリドと二人で調合でもしている頃だろうか?
初めての依頼だから、と見るからに張り切っていたが、どうなることやら……。
「うん、成功っ! 良い出来だわ!」
「やったー!」
ランプの火を止めた小鍋の前で、あたしとイングリドは手を叩きあって歓声を上げた。
うん、本当に素晴らしい出来栄え。とてもこれが初めての調合とは思えない完成度だ。
教師としては、教え子の大成功を喜ぶべき場面。
でも、錬金術士としてのあたしはつい落ち込んでしまいそうな状況。
分かっていたけど……、分かっていたつもりだったんだけどなぁ。ここまではっきりと才能の差を見せ付けられると、どうしても溜め息の一つも出そうになってしまう。
あたしが初めて調合した時なんて、勝手が分からずに目茶苦茶苦労したのに……。
これが天才と凡人の差ってやつなのかしら――ってダメよダメよそんな風に考えては。いや例え考えたとしても、そんなみっともない姿を生徒に見せるようでは先生失格だ。
気にはなっても、気にはしない。
そう、そんなことを気にしたって仕方がない。そんな暇があったら、その余分な時間を使って少しでも目標へ近付く努力をした方が百倍はマシってもの。努力し続ければ、いつかは目標に手が届く日が来るに違いない。ちょっと前まで錬金術士になるなんて夢でしかなかったあたしが、曲がりなりにも名乗れるくらいに成長したのだから。
あたしは頭を軽く左右に振って気分を切り替え、傍らの木箱の蓋を開けて、中に入った空の容器を一つ取り出した。昨日の段階で準備しておいた、何の変哲も無いありふれた硝子瓶だ。この品物に商品価値が付くようになるのは、きちんと中身が収められてからだ。
割らないように、そっとイングリドへ硝子瓶を手渡す。
「あとはこれに詰めて蓋を閉じれば、緑の中和剤として表に出せる品物になるわ」
「はーい! こんなの簡単簡単!」
「ちょ、ちょっと勢い良く入れすぎよ! もう少し、ゆっくり入れないとこぼれちゃうわ!」
いくら容器へ流し込みやすいように小鍋の縁が形作られているといっても、直角はないでしょ直角は……。
あたしの制止の声に、イングリドが慌てて調合用の小鍋を傾ける角度を浅くする。
うーん……。調合中にも思ったけど、イングリドはどうもこう一々豪快なところがあるわね。大雑把なイングリドと几帳面なヘルミーナ。どちらが良いとも悪いとも言えないけど、その辺に注意してあげないと失敗の原因になるかもしれない。
今のあたしは技術面では頼りにならないかもしれないけど、それでも彼女達の先生であり先輩なのだから、せめてそういう面だけでも気をつけてあげないとだ。
……まぁ、あたしなんかに言われなくても、万事ソツのないアルトならその辺は重々承知してると思うけどね。錬金術士として未熟なあたしの面倒を見てくれたのは他でもない、あいつなのだから。
イングリドがぎゅーっとコルクの蓋を閉め終えるまでをきちんと見届ける。
――と、唐突に閃いた。
「あっ!」
「? なに、リリー先生?」
「え、あ、ううん。なんでもないわ。割らないように慎重に置いてね」
「むーっ、そんな失敗しないもん!」
むくれるイングリドをあやしながら、たった今思いついたことに考えを巡らす。
完成した緑の中和剤は、今のままでは何も特徴が無い品物だ。このまま店先に並んだとしても、どこの誰が調合した物なのかは分からないだろう。
現在、ザールブルグにいる錬金術士はあたし達だけだと思うし、それでも何ら問題はない。安価で大量に使うような品物だし、他と差別化を図るような必要性も無い。あくまで価値があるのは中身であり、容器をもっと高価な物にした所で利益が出なくなるだけ。
……とはいえ、だ。
今後のことを考えると、このアトリエで作った品物だと分かるようにした方がいいような気がするのよね。どこがどう良いのかと具体的に問われると、ちょっとうまく言葉に出来ないけど。
なるべくお金を掛けないようにしたいなら、例えば決められたリボンを一つ巻くだけでも十分だし、何ならこのアトリエの名前を書くだけでも……。
「ああっ!?」
そういえば、このアトリエの名前を決めていないわ!
うわー……、うっかりしていたわ。そんな基本的なことを忘れているだなんて。
ヨーゼフさんの雑貨屋さんみたいに、お店の持ち主がある意味顔になってるんだったら名前はいらないかもしれない。彼は長年営業していて、街の皆に知られていることだし。
でも、あたし達はそうじゃない。まだザールブルグに来て日も浅い。これから皆に知ってもらう段階なのだ。
お店を知らない人に説明する際、分かりやすい名前があるのは利点だ。ハインツさんのお店に『金の麦亭』といった名前があったり、看板があったりするのも同じ理由だろう。あたし達は錬金術士というザールブルグではあまりよく知られていない職業なんだし、尚更、皆に知ってもらう努力をしなくてはならない……。
「――って、そうだったわ!」
看板よ、看板。やっぱり、看板もあった方がいいわよね。職人通りでも、どこのお店も一目で分かるように掲げているもの。
あー、どうしよう。たった一つ気になることを思いついただけなのに、次から次へと考えなくちゃいけないことが芋蔓式に増えていってしまった……。
と、取り合えず。さっき考えたことは全部まとめて後日、アルトと相談して決めるとしましょうか。うん、そうしよう、そうしよう。こういう細かいことを決めるのはアルトの方が得意だし。そう、これは適材適所であって、決してアルトに問題を丸投げしているわけじゃないわ。その証拠に、あたしだってアルトと話し合うつもりでいるのだもの。
はぁ~……。これでアルトも、ちょっとはあたしが頼れる仲間だと思ってくれる……といいんだけど、急には難しいかしらね。今までが頼ってばかりだったのだし。
あたしだって少しは物事を考えているのよって気付いてもらえたら、今はそれで満足しておくべきかな。アルトに守られるだけの立場はもう卒業したのだと、あいつに知ってもらえたら、取り合えずそれで良しとしよう。実力不足なのは、身に染みて自覚しているしね。
「もうっ! リリー先生!」
「えっ!? な、なに?」
袖をぐいぐいと引っ張られ、慌てて視線を下に向ける。
イングリドがじとーっとした視線であたしを見つめていた。
ええと……、イングリド。そ、そういう目で先生を見ちゃいけないと思うわよ……?
「さっきから様子がおかしいです。急に声を上げたり、ソワソワしたり、悲しい顔したり」
「だ、誰もそんな表情してないわよ?」
「しーてーまーしーたー」
「うっ!」
無駄に鋭い!
この年頃の女の子だからなのか、彼女の性格なのか、天才だからなのか――いや天才は関係ないか。それ以前に、あたしが分かりやすすぎるのかもしれないし。
とにかく、先生が生徒に心配されるのはマズイわね。こんなことあいつに知られたら、絶対にバカにされるに決まっている。
言い訳を必死に頭の中で考えたあたしは、ゴホンと咳払いをした後、
「残りの依頼を確認しましょう」
「……誤魔化した」
ご、誤魔化してないわよ? 今、必要なことだから言ったのであって、決して言い訳が思いつかなかったから、強引に話題を変えたわけじゃないのよ? 違うからね?
背中にイングリドからの視線がグサグサ突き刺さるのを感じながら、あたしは気付かぬフリして依頼書を手に取った。羊皮紙に書かれた内容を、確認の意味でも声に出して一度読み上げる。
「え、ええと……中和剤(緑)を四個。期日までは、あと十四日。報酬は銀貨二百八十三枚ね」
あたしがイングリドに教えながら作ったのが一個。
イングリドの様子を見ながら、彼女自身に作らせたのが一個。
残り個数は二個となる。
調合品の材料となる魔法の草は十分足りてるし……、うん、このペースならこのまま今日中に終わらせられるわね。
「じゃあ、イングリド。次は二人で一個ずつ作りましょう。さっき、あたしが教えたことを忘れずにね」
「任せて下さい! ヘルミーナと違って、わたしは素早く作りますから!」
「ええっと、速度よりも正確さの方が欲しいかな今は……。ま、まあ、怪我だけはしないように気をつけてね」
「はーい!」
本当、二人は何かにつけて張り合おうとするから困り者だ。切磋琢磨という格言もあるけど、もうちょっと仲良くしてくれるといいのだけど……。そういった部分は、まだまだ子どもっぽさが残ってるのよね。
「それじゃ、さっそく――」
と、言いかけた時だった。
二階から足音が聞こえてきた。
階段から姿を見せたのはドルニエ先生だ。
今朝から、二階でずっと手紙を書き続けていたのだけど……?
「リリー。そろそろ昼食の時間だが、どうする?」
「えっ?」
いっけない! もうそんな時間!?
ハッとして時間を確認すると、ドルニエ先生の言う通り、置時計の針は正午を指していた。
あたしは錬金術の調合を始めると、つい時間を忘れて熱中してしまうことが多い。食事も取らずに、半日ぶっ続けで調合することも少なくない。そういう時は大抵、完成後に猛烈な空腹感で倒れそうになったりする。ていうか実際、倒れたこともある。
今日も調合に集中するあまり、すっかり時間を忘れていたようだ。
あー、失敗したわー。
これからはイングリドのことも考えて、きちんと時間を気にして行動しないとダメね。もう、あたし自身のことだけを考えてればいいわけじゃないんだし。子ども達のお腹を空かせたままにさせるなんて、絶対にしたくないもの。
「ごめんなさい、すぐ支度します!」
「いや、そのまま調合を続けていなさい。もう少しで終わるのだろう? 昼食は私が作るよ。今日の朝食は、キミ達に任せてしまったしね」
階段を下りてきたドルニエ先生が、腕まくりをしながら厨房へ向かう。
材料は昨日アルトと一緒に仕入れてきたものが残っているから問題はないけど……、先生にわざわざ調理をお願いするということに少なからず抵抗が残る。なんだか申し訳ないような……。
これからは一緒に暮らしていくのだから、そういう所で変に遠慮しない方がいいとは思うんだけどさ。
「えっ、でも……」
「このくらい気にしないでくれ。私も同じ屋根の下で暮らす仲間の一員なのだから。それで、何か希望はあるかね? とはいっても、私は簡単な物しか作れないが」
「は、はい。ドルニエ先生が、そう言うなら……」
「アップルパイが食べたいです!」
「イングリド……、すまないがそれはアルトがいる時に彼へ頼みなさい。残念ながら私が作っても、彼ほど美味しくは作れないよ」
と、ドルニエ先生が苦笑しながら言う。
でも確かに、そうなのよね。あたしも彼ほど美味しい物を作れる自信は無い。
イングリドの誕生日に彼が披露した、ランドージャムをたっぷり使った甘いパイ。
あれは本当に美味しかった。イングリドは口元をベタベタにしながら頬張っていたけど、たぶんあたしも似たような状態になっていたと思う。食後、料理を食べ過ぎたせいで動けなくなったのをアルトにバカにされた程なのだから(動けるようになったあとで当然仕返しはした)。
でもあれは、仕方ないことだ。だって今まで食べたことがないくらい、絶品のアップルパイだったんだもの。
あれを超える美味しさの物というと、ペンデルくらいしか思い浮かばない。小麦粉にモカパウダーと呼ばれる高価な甘味料などを加えた焼き菓子で、ほのかに甘くてほろ苦い味のサクサクした食感がお気に入りの、ケントニスでは特に有名なお菓子だ。波の形になった模様が特徴で、喫茶店ではその高い値段にも関わらず、売れ筋上位となっているらしい。
初めて食べたのは、イングリド達と出会って間もない頃だ。
当時、アカデミーで噂になっていたから気になっていたのだけど、あたしはお金がなくて泣く泣く諦めていた。そんなあたしにある日、アルトが錬金術で作って食べさせてくれたのだ。既に犬猿の仲となっていたあたしとアルト。そんなあたしにどうして彼がと当初は警戒したあたしだけど、噂のペンデルの誘惑には勝てなかった。一個だけなら……と一口食べた瞬間、そのあまりの美味しさに、あたしは完全にペンデルの虜となってしまった。
彼の分までもらって完食してしまったので、お礼と一緒に謝ると、彼は笑ってそれを許してくれた――ニヤリと。
そして後日、あたしは思い知った。
人間とは……一度、蜜の味を知ってしまうと、それを諦めることは難しくなる、と。
お陰であたしは数少ない自由になるお金の中から、さらにやりくりに苦労する羽目になったという……。あいつがあたしのために善意で行動するわけがないという教訓にもなった出来事だ。
「昨日、ベルグラド芋を大量に買い込んでいたようだし、ポテトスープとパンでもいいかね?」
「そうですね。多めに作っちゃえば、余りは夕食に使えますし」
ポテトスープに香辛料を入れて味を薄味に整え、パスタと絡めるとまた違う美味しさになる。簡単お手軽、大量に作れる料理は錬金術士として重宝する。どうしても錬金術に使う時間を増やすと、他のことに使う時間が惜しくなっちゃうからね。
ドルニエ先生が厨房で料理を始めると、しばらくしてイイ匂いがし始めた。あたしとイングリドのお腹がぐうっと同時に鳴る。意識すると途端に、お腹って空くのよねぇ……。
イングリドと顔を見合わせ、お互いに照れ笑いを浮かべる。
「さ、あたし達も始めましょう。ドルニエ先生が作り終える前に、完成させちゃわないと」
「はーい」
中和剤の調合に、難しい手順は必要ない。
錬金術士が一番最初に習うレシピだけあって、作るだけなら結構簡単だ。
あたしの場合は、魔力を込めるという過程に不慣れで四苦八苦したけど、それは例外。普通にアカデミーに通っている生徒ならば、誰でも作れるようになる。
だから、アルトが出掛ける際に言ったような事態になるなんてことはないのだ。
『帰ってきたら、家が吹き飛んでるとかは勘弁しろよ』
――って何よ、いったい! 吹き飛ぶか、バカ!
どれだけ、あたしを信用してないのよ。まったく、もう! 失礼しちゃうわ!
そりゃ確かに? アカデミーに入学したばかりの頃は色々とあったわ。魔力の配分を間違えて煙を大量発生させたり、手順を間違えて爆発させちゃったり、素材の分量を間違えて実験室を水浸しにしたりと、色々散々な失敗をしでかしたわ。
でも、それはぜーんぶ過去の話よ!
あたしだって、あれから随分と成長しているのだ。魔力の込め方だってもう慣れたし、たくさん勉強して様々な知識を身に付けた。あの頃のあたしとは、もう別人なのだ。
そんなあたしが中和剤の調合程度で今更、失敗したりするわけがない。
ほーら、見てみなさい。あとはもう魔力を込めて待つだけで完成よ。
アルトの言うような失敗なんてありえないわ。
「…………」
――たぶん、その何もせず待つ時間がいけなかったのだろう。
フッ、となんともなしに今朝目撃した光景が脳裏を過ぎった。過ぎってしまった。
……ああもう、深く考えないようにしてたのにぃっ!!
思い出したら思考が止まらなくなる。だから、極力考えないように忘れるように努めていたというのに!
今日、アルトとヘルミーナの二人は、護衛の二人を伴って近くの森へ採取に出掛けている。今頃は同じように昼食を作っている頃かもしれない。
今朝方、思わぬアクシデントがあったものの、さっそく錬金術士としての活動を行うことにしたあたし達。まずは簡単な依頼から受けてみることにしたあたしと違い、アルトは近場での採取から試していくことにした。あたしは依頼を受けるために、アルトは護衛を探すために、目的は違えど目的地は同じというわけで、皆で『金の麦亭』へと足を運んだ。
あたしとイングリドは手頃な依頼が見つかったのですぐに帰っちゃったけど、アルトとヘルミーナは護衛となる冒険者を探すために残ることにした。その時、チラッと横目に確認したときにいたのはテオくんだった。手を振って挨拶だけして別れたけど、彼なら知り合いだし、護衛として雇うなら安心だよねと思った。
思った、のだけど……。
予想外だったのは、アルトがなぜか護衛を二人も雇ったことだ。一人はテオくん。そして、もう一人は……。
無駄遣いとまでは言わない。街の外に出掛ける際に護衛を雇うということは、当然のことだとあたしも今ではそう思うから。
けど、何も二人も雇わなくていいのに。近くの森くらいなら、そこまで強い魔物も出ない。聞くまでもないから確認しなかったけど、どうせヘルミーナのためとかそんな理由でしょ。まったく、これだから変態は。
でも、まあそれはいいのよ。アルトが決めたことなんだし、それで資金に困るような羽目にはならないだろうから。もしそうなったら、その時は日頃小馬鹿にされている恨みもあるし、大いに嘲笑ってあげればいいだけだしね。
じゃあ、何が問題かというと――
彼が連れてきたもう一人の相手が、『女性の』冒険者だということだ。
……そう、女性だ。しかも、大人の。さらに、美人の。
冒険者という職業である以上、当然ながら彼女の年齢は私より年上に見えた。
でもそれは、アルトという変態が関わっている以上、当然ではない。異常事態だ。
だってあいつ、あたしのことを年増とか売れ残りとか暴言ばかり吐くような人間なのよ? イングリドやヘルミーナに対して興奮するような変態なのよ? そんな人間が大人の女性を雇うなんて、絶対にありえないでしょ。おかしすぎるわ。
し・か・も、よ! テオくんが教えてくれたけど、わざわざ女性の冒険者と条件を限定した上で探して雇ったらしいし。詳しい理由を聞こうとしたら、間が悪く、アルトがテオくんに話しかけてきたのでその機を逃しちゃったけど。結果として彼女になった、ではなく、最初から女性の冒険者を探していたのだ。奇妙すぎる話だ。
……納得いくわけがない。
話がトントン拍子に進んだから、急な話だがこれから出掛ける――ちょっと待ちなさいよ、説明はそれだけ?
今日は近くの森で野宿して、明日の夕方には戻る予定だ――そんなことより、他にもっと言うべきことがあるんじゃないの?
さっさと出掛ける準備を始めるアルトに、不満が募る。他にも何かごちゃごちゃ言われたような気もするけど、その時のあたしは彼にまともな返答をする余裕なんてなかった。そんなことより、今、目の前にいる人について納得のいく説明をして欲しかった。
だって、そうでしょう?
これがいかにも荒くれ者といった感じの女性なら、まだしも納得できるのよ。彼が大嫌いな大人の女性だけど、腕が立つ冒険者だから仕方なく雇ったのかなーなんて。
でも、彼女……シスカさんは同性のあたしから見ても見惚れちゃうくらいの美人だったのだ。綺麗な大人の女性といった言葉がそのまま形になったような人。あまりお洒落に興味を惹かれないあたしだけど、彼女を見てると思わず自分が恥ずかしくなってきてしまうほどだ。
それに、まだちょっと話しただけだけど、話し上手で一緒に居て楽しいと思える素敵な女性だった。機会があれば、もっとたくさんお喋りしたいし、髪がすごく綺麗で手入れをどうしてるのか教えて欲しいし、お洒落のことだって彼女さえ良ければ色々と勉強させて欲しいし。友達になれたらいいなーって思う、そんな優しい人だ。
だから、シスカさんに対しての不満は全く無いのだ。というか逆に、どうして彼女みたいな良い人が、アルトなんかの護衛を引き受けたのかと疑問にさえ思う。
アルトは……彼女相手に話し掛けるアルトは、アカデミーで女生徒を相手にする時に良く目にした紳士的な彼とは違っていた。あたしを相手にする時のムカつく態度とも違っていた。まるで親しい友人にでも話し掛けるような気安い雰囲気だった。
……そんなアルトを、あたしは今まで一度も見たことが無い。出会ってから数年間、一度もだ。
アルトはテオくん相手にも、同じような言葉遣いで喋っていた。これも珍しいことだとは思うけど、相手が同性だからそこまで気にはならない。でもつまり、これは少なくともアルトにとって、シスカさんはテオくんと同じような立場の女性ということだろう。
その事実に、物凄い違和感を感じる。
別に、アルトが誰を雇おうと、そんなのは雇い主である彼の勝手だし、口を出すつもりなんてないわよ。あたしが彼の立場だったら、そんなことまで干渉して欲しくないって思うだろうし。
……でも、納得いかない。不満だ。どうして、って思ってしまう。
もちろん、その対象はアルトに対してだ。
十二歳より上は見る価値もない、とか言ってたクセに。
どういうことよ、話が違うじゃない。
それとも、美人だけは例外ってこと?
なによ、それ。なんなのよ、もう……。
素直にアルトに聞けば、たぶん答えてくれるとは思う。どうしてわざわざ女性の冒険者を雇ったのか、シスカさんへの態度がいつもと違うのはどうしてなのか。
だけど、それはしたくない。
だって、それだと、なんだかあたしがアルトのことを気にしているみたいじゃないの。そんな勘違いはされたくないし、考えるだけで鳥肌ものだ。誰があんな変態のことを考えるものか。
だからあたしは、妙にモヤモヤとした気分のままでいるしかない。
そしてそれが嫌だから、極力考えないようにしていたのに――
「せ、先生? なんか凄いことになってますけど」
「え?」
イングリドの声に、はたと我に返ったあたしの目に映ったのは、ズゴゴゴゴと物凄い音を立てて沸騰するナニカの姿だった。過剰な火力と魔力の暴走により、今にも爆発しそうな……。
「ちょ、ちょっと待った! 待ったぁ!」
「せ、先生! 早くなんとかしないと!」
「リリー、イングリド。昼食が出来たけど、そっちは――」
「ドルニエ先生、今来ちゃダメー!」
「ああっ、先生! 煙が出て……」
「「「あ。」」」
……産業廃棄物、一個獲得。