魔法少女リリカルなのは外伝   作:紅@あの丘の向こうへ

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闇夜の天蓋を見上げる者は、近代的な街の光に霞む星を眺めながら思った。

深淵の闇すら超えた、深い深い虚無。その虚無の中を漂う者は、はたして生きていると言えるのだろうか。

その問いに、彼は語った。

その虚無を知ってはならない。その虚無を知った者は、信念や正義などと言う概念を持たずに、ただの執念や怨念、憎悪だけしか持たず、すり減った欲を満たすためだけに、血を求める悪鬼になってしまうであろうと。

遥かまで続く黄金に輝く草原で、彼女は祈った。

誰もが夢見る、それが理想ではなくても、ありふれた幸せは、生きている者が受けれる権利であると。ただ生を謳歌するだけの微かな望み。それが何であれ、生まれてきたことには必ず意味あるという願い。

そして、荒野をさすらう誰かは叫んだ。
腰に携える剣を抜いてはならない。剣を抜きし時から、その剣の切っ先は、何者かの血を浴びなければ、溢れた狂気を治める術など無いのだから。


〝何が正解なのか〟。〝何が悪で、何が善か〟。


私は――――この物語の顛末を知ろうとする貴方達に、それを問うつもりは無い。

ただ、私の持論でしかないが、思う者、語る者、祈る者、叫ぶ者、悪も、そして善も、誰もが自分たちは別々の場所に立っていると思い込んでいる。

だが、それは大きな間違いだ。

結局のところ、同じ「灰色」の場所で足掻いているだけ。それが人間の限界なのだ。

その場から這い上がれず、その場から沈むことも出来ない。そんな曖昧で酷く不安定な場所が、私たちが存在する場所だった。







10.霞む空

 

 

0068年、初夏。

 

 

私、高町なのはが「八年前」に大怪我をして、半年ほど経った頃だった。

 

その頃の私は、もう体重を支える為に使っていた松葉づえが無くなっていて、自分の力で立って歩けるほどに回復していた。

 

海鳴市の病院を退院して、私はミッドチルダに戻ってきた。

 

戻ってきた時、半年振りのミッドチルダの空を見上げて、私は自分が「魔法」から離れていないと自覚して、安堵感を覚えた。その思いは今でも忘れることはない。見上げた空は、雲ひとつ無い初夏の青空だった。

 

ミッドチルダに戻ってしばらく経ったその日の私は、時空管理局地上本部に隣接する医療センターへ通院していて、毎日欠かさずやっているリハビリをこなしていた。

 

その日の天気も私がミッドチルダに戻ってきた青空と似て、とても気持ちが良かった。

 

晴天が幸いしてか、体の調子もとても良くて、私は担当の先生が用意してくれたリハビリメニューとは別に、一人で普段は立ち寄ることのない医療センターの屋上まで上がった。時間は丁度夕方ごろ。窓から覗く空は綺麗な茜色に染まっていた。

 

「珍しいな。こんなところに看護師以外の人が来るなんて。俺だけの秘密の場所だと思ってたんだがなぁ」

 

屋上へ繋がる扉を開けたと同時に降り注ぐ穏やかな初夏の夕日。それを背中に、暖色を基調にした服装で、体格のいい男の人と私は、ばったりと顔を合わせた。扉から覗む屋上にはその男の人しかいなくて、その人は右手に持ったタバコと私を交互に見ると困ったような顔をした。

 

その時の私は、と言うと。いきなりその男の人から声をかけられたものだから呆気に取られたような表情をしていた。

 

「あー、〝コイツ〟のことは内緒にしておいてくれ。吸わなきゃやっていけん身体なのでな」

 

年輪を重ね、穏やかな笑みをするその人の後ろには〝全館禁煙〟という大きな立て札が立っていた。タバコを片手に持ち、屋上からクラナガンの町並みを見るその人から、私はどこか風格を感じた。とても病気や怪我で病んでいるようには見えない。

 

「あの、おじいさんはどうしてここに?」

「ははは、おじいさんか。見た目だけは若いと看護師たちからはよく言われたが、やはり改めて言われるとずいぶん…あぁ、そう言えば今年で五十一か」

 

入口近くのベンチに腰掛けた私の言葉に、少し残念そうな表情でそう応えた。

 

しまった、と内心で思ったがもう遅い。相応の歳に見られてしまったことがショックみたいに男の人は項垂れていた。だけど、当時の私から見れば五十を越えていると聞いたら、正直に言えば「おじいさん」と言ってもなんら違和感は無かった。

 

「す、すいません」

 

私は思わず謝った。

 

「いやいや。まぁこんな場所に、こんな格好をして居たなら老け込んで見えても仕方ないさ」

 

そう言うと、タバコの最後の一口を吸って、男の人は火種をフェンスの縁に押し当てて消した。消し終わったタバコを再び咥えると、慣れた手つきで内ポケットから携帯灰皿を取り出し、何事もなかったかのように吸い殻を仕舞ってしまった。

 

「さて、どうしてここに…か。うーん、どうしてかな」

 

パンパンと服についたタバコの灰を右手で払い落としてから、屋上に置かれているベンチに腰かける。私も男の人の隣に座った。

 

その男の人の胸元には、名札があった。見間違えることのない管理局の名札だった。見慣れていて私自身も持っているデザインの名札。その名札には『グラハム・アーウィン』と名が入っている。知らない名前だった。けれど、管理局の人間というだけで私は無邪気にも親近感を覚えた。

 

「グラハムさん…ですか?」

「ん? あぁ名札か。いやいや、引退したというのにまだ名札を付ける習慣が抜けていないようだ。いかんな、これは」

 

グラハムは驚いたように言うと胸元につけていた名札を外し、隠すように携帯灰皿と一緒に内ポケットへと仕舞った。

 

「そう言う君も、管理局の人間かな?〝高町なのは〟くん」

 

名札を外したグラハムは、横目で私を見ながらそう言った。その目を見て、胸が高鳴る。まるで何もかもを見透かしているような、打ち抜くような鋭い目だった。

 

「あぁ、驚かせて悪い。昔、「闇の書事件」で、君たちのことを資料で見てな。可愛らしいツインテールだったから覚えていただけさ」

 

驚く私に、グラハムはシワの多い頬を少しつり上げて微笑む。落ち着いた雰囲気。ジャケットを羽織るグラハムは左の肩辺りを右手でなでる。その手に釣られて、私の視線も左腕の部分を見た。そのジャケット袖が風になびいている。

 

――彼の左腕は、二の腕から下の肢が無かった。

 

私は驚いた。

管理局に入って、初めて体の一部を無くしている人を見た。いくら大ケガといっても、非殺傷設定で体のどこかが無くなるなんてことはなかったから。

 

「もう引退しろと、妻からも娘からも散々言われたんだがな。まぁこの様さ」

 

驚いて言葉を出せなかった私を気遣ったのか、グラハムは優しい表情のまま微笑んでいた。

 

「退役するまでに、少しでも自分の部下たちを一端まで育てようと思っていたんだが…ははは、まぁ、まさか自分がこうなるとは思わなんだ」

 

左の肩を撫でながら彼はそういった。

 

「…怖くなかったんですか…?」

「そりゃ怖いさ」

 

恐る恐る聞いた私の問いにグラハムは、はっきりとした口調で応えた。

 

「俺は、もう歳だ。手練れの若い奴に正直、真っ向勝負を挑んだところで勝てはせんとわかってた。それを弁えていた…つもりだった」

 

この左腕を失った時もそうだ、彼はなびく左の袖を手に通した。相手の気迫に、気力に競り負けた。競り負けた結果、こうやって左腕を失い、現場生命を断れた。自分で言うのも何だが、なんとも呆気ないものだった、と。

 

「だがな?」

 

どう言葉をかければいいか分らなかった私に、グラハムは得意そうに笑った。左の袖から手を離して茜に染まった空を見上げていた。

 

「こんな状況になったからこそ、長年考え続けた答えが、具体的に見えたようにも思えた」

 

グラハムは言う。

 

人はいつか老いる。積み上げてきた実力や権力からもこぼれ落ち、最後には己の肉体も自分の意志では動かないようになってしまうと。

 

「落ちを見てからじゃ後悔しても遅いと、口酸っぱく妻に言われていたんだが、そもそも現場の空をずっと飛び続けていることなんて、俺には…いや、生き物なんかに、できやしないんだ」

 

「それが戦う者としたら尚更だろう?」、そうグラハムは付け加えて話した。そう言われて、私はグッと自分の中の何かを捕まれたような感覚を覚えた。

 

フェイトちゃんと話をしようとしたときもそうだ。

 

はやてちゃんを助けたときもそうだ。

 

自分が頑張ればいいのだと。自分が強くなればいいのだと。

 

その為なら、身体などいたわらずに無茶もできる、と。

 

けど、実際はどうだ? その無茶が重なった結果、自分は今こうして、戦いから離れて自分のために怪我と戦っている。

 

〝落ちを見てからじゃ後悔しても遅い〟

 

彼の言葉が、幼い自分の心に深く突き刺さる。今、私の目の前にある現実には、その〝落ち〟が横たわっていた。当時の私にとって、グラハムの言葉は鮮烈に心へ突き刺さった。

 

「すべてを受け入れ、そしてすべてを無残にも飲み込む『空』で、自分自身が空を飛ぶことをやめるときまでに、一体何を残せるか。それが、俺が飛ぶことで得ようとしていた答えだったかもしれないな。はは、空を見上げる側になってそう思うようになったとは、気づくのが遅すぎる」

 

『空を飛ぶことで、何を残せるか?』

 

その言葉は、今でも私の心の中に根深くに残っている。私は、空に何を残せるか。そんな答えの出ない自問自答ばかりが、思考の中で繰り返されていた。

「いや、すまない。もう引退した俺が、君にこんなことを言ってしまって」

 

そう豪快に笑ったグラハムは、腰掛けていたベンチから立ち上がった。気が付くと、開きっぱなしの扉の辺りにグラハムに向かって呆れたような顔をする女の人が立っていた。その落ち着いた様子と容姿からすると、恐らく彼の奥さんだろうか。

 

「それじゃ、怖い嫁さんを待たせるのも悪いので、俺は帰るとするよ」

 

ジャケットを片手で整えると、グラハムはまだベンチに腰かける私の頭をわしゃわしゃと撫でた。ゴツゴツしていたけど、優しい感覚だった。そのまま彼は、屋上を出ようと歩き出す。

 

「あ、あのッ!」

 

私は歩き出したグラハムを思わず呼び止めた。扉へと向かっていた彼の足が止まる。

 

「グラハムさんは…空に何かを残せたんですか!?」

 

彼は…もう飛ぶことを止めてしまった彼は、この空に一体なにを残したのだろうか。その疑問と衝動が、当時の私を突き動かしていた。

 

彼は私の方へ振り返らなかった。その時の彼の言葉。その言葉から、私も探し始めたのかもしれない。ずっと飛び続けることはできない空に、私は何を残すのかを。そして残せる何か、今も探し続けている。

 

グラハムは、何かを言おうとしたが途中で止めた。納得できないような、後悔しているような、そんな感慨を思わせる息を吐いて、紅に染まる空を見上げながら呟くように溢す。

 

「俺は、残すべきモノを分っていながら、それを無くしてしまった男だ。この左腕と一緒に。君も、これから空を飛び続けるのならいつか分かるはずだ。けど、ずっと空を飛び続けることはできない。少なくとも、俺は残すことはできなかった」

 

煮え切らないように、グラハムはそう吐く。片腕を失った歴戦の魔導師は、戦いの空から降りた。後にエースオブエースと呼ばれることになる少女に見送られながら。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

その日は、管理局史上初となる都市型テロ事件《ダインスレイブ事件》が終結して、丁度、半年を迎える日付だった。

 

 

 

****

 

 

 

当時の私は、なんでグラハムさんが片腕を失ったか、その理由を知っていなかった。

 

私がその理由を知ったのは、このダインスレイブ事件を調べ始めてからのことだった。

 

グラハム・アーウィン。当時の彼が、全滅し、そのまま廃止となった機動一課の航空部隊、『サイファー隊』の隊長を勤めていたことを。

 

大ケガをした私の救出のために戦ったことを。そして、あの事件で左腕を失ったことも。

 

知らなかった。

 

グラハムは、私とあの屋上で知り合ってから今まで事件の話なんて、これっぽっちもしてくれなかった。グラハムは私に優しかった。特別と思えるほどに。教導官を目指すと言ったときは、まるで自分のことのように喜んでくれた。そして、私に色々なことを教えてくれた。私にとってグラハムは、まるで優しい先生のような思いを持っている。私は、そんな彼を尊敬していた。

 

グラハムは何故、左腕の再生手術を受けなかったのだろうか。それは、自分への戒めなのだろうか。私が調べている事件の終末に、グラハムは何を思っていたのだろうか。

 

――私は知りたい。

 

ライリー・ボーン。彼が、何を思って、この空を翔んでいたのかを。

 

 

 

――NEXT

 

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