――0075年 訓練学校校長室
「そして、管理局の未来を決める、運命の十二月十三日がやってきました」
静かな校長室の中で、彼女は懐かしそうに瞳を細めていた。
私も集中して聞き入っていたのか、メモを取るためにと出していた端末を操作する手が止まってしまっていた。
「すっかり紅茶が冷めてしまいましたね、煎れ直しましょうか」
この部屋に入った時に、ファーンが煎れてくれた紅茶が冷めてしまっていることに、私は気付かなかった。ファーンは立ち上がると、傍らに置かれている湯沸かしポットのスイッチを入れる。私は、紅茶の準備をするファーンの後ろ姿を見つめながら、彼女の語った過去を頭の中で改めて思い返した。
私にとっての「ファーン・コラード」という女性は、訓練学校の校長であり、学を教えるのがとても丁寧で、印象は『慎ましさ』や『清楚』というイメージが強かった。
いや、むしろ揉み合う戦場で戦っている彼女を、私はイメージすることが出来なかった。
ファーン・コラードは、良き先生であり、恩師の一人であり、「戦うこと」、「強さの意味」を考えるきっかけを与えてくれた人。模擬戦を通して、自分たちはまだまだちっぽけな存在なんだと知らしめてくれた人。
そして彼女は、訓練学校の校長。
私の中では、彼女は教師の枠にはまっていた。
そんな曖昧で漠然としたイメージを、いつの間にか私は勝手に彼女へ当てはめてしまっていた。彼女が、何を思って訓練学校の校長を努めているかなんて、考えたこともなかった。
「当時の私が、今の私を見たら驚くでしょうね」
ふと、紅茶葉にお湯を注ぐファーンがそう呟いた。「当時の私」というのは、「ダイスレイヴ事件」のときの彼女なのだろうか。私は紅茶を注ぐ彼女へ視線を向けていた。
「高町さん、現場で働く魔導師にとって一番大切な心得は、なんだと思いますか?」
「…仲間を信じること、ですか?」
私はいきなり問われたファーンの問いに簡潔に答えた。この答えは彼女に教えてもらったことでもあると同時に、自分自身が「現場」や「経験」から感じた大切な心得でもあった。
「その通りです。仲間への信頼が無ければ、現場での動きなど成り立ちません」
私の答えに満足するように、彼女は頷いた。紅茶を煎れ直した彼女は、私と自分の手前に置き、ソファへと腰を下ろした。
「けど、当時の私は、仲間を信じることを怠りました」
少し間があいてからファーンが言った言葉に、私は驚いた。
誰よりも「仲間」を大切にする信条を持っている彼女が、昔は仲間を信じていなかったなど、信じられなかった。
「正直に言うと、昔は憤りも負担も覚えていました。当時の私は、自分の力に絶対的な自信がありました。周りの同僚が、足手まといだと思うこともありました」
懺悔のように呟く彼女を、私は黙って眺めていた。彼女は、自分の過去を省みながら、後悔や自分の愚かさを嘆いているようにも見えた。
「一人が十の力を持っていたとしても、〝十は十でしかない〟。十の力を持つ人が一人いたところで、多くの一でしかない人々や、仲間を守ることは出来ない」
確かに、彼女は強い。魔導師として非常に強く、有能だ。間違いなく〝十の力〟を持っていると言えた。だけど、一人が飛び抜けて強くてもそれは「単独」で優れているだけで、もっと全体的に見れば、それは状況を変えるにはあまりにも微々たるものだ。
多くの空を飛んだ私は分かる。優れ出た杭は打たれると言うことを。
「『少数が多数を守る』。そのやり方には限界がありました。その現実に、私は酷く苛立ちや焦りを感じ、そして同時に、どこか諦めもありました」
彼女は紅茶を置くと、立ち上がり外が見える窓へと歩んだ。そして僅かに瞳を細めて外を眺める。
「…きっかけは、彼がくれました」
彼女のそれは、私に聞かせているようには思えないほど、どこか遠くへ語りかけるような、そんな声色だった。
「『仲間を守るために戦う』。市民や管理局じゃなく、彼は〝隣を飛ぶ仲間を守る為〟にと言ったのです。ふふっ、本当に驚きました。けれど、彼が教えてくれたのです。隣を飛ぶ仲間を信じることを。だから私は、その想いを引き継いでいる。あの日からずっと」
彼女は外を眺めながらそう言った。
彼女が信じる信念。『多数で多数を守る』こと。仲間を信じ、それがたとえ小さな力でも、手を繋ぎ合うことで大きな力を持つことができるということを。
それは、彼女が昔から、私やフェイトちゃんへ教え続けた魔導師としての信念だった。
「その理想を、私は彼から与えて貰いました」
けど、と彼女は外を眺める視線を僅かに伏せた。窓ガラスに写ったファーンと目があったような気がした。その写し出されたファーンの姿は、どこか若いようにも見えた。
「…高町さん、『魔法』とは一体なんなんでしょうね」
その言葉に、私は戸惑った。ファーンが問いてきた言葉の真意が見えなかった。ファーンは外を眺め続けていた。
私は考えた。
魔法とは何かを。
幼い日、まだレイジングハートを握る前。フェイトちゃんと出会っていなかった私にとって、魔法はもっと神秘的であって、その魔法には、人を救う力があると思っていた。
けれど、レイジングハートを握って、フェイトちゃんと戦って、解り合って、闇の書事件があって、管理局の魔導師となって、そこから私は、魔法とは神秘的なものではなく科学的であると、現実味を帯びさせるためにそう自分に言い聞かせて、結論を付けてしまっていた。
「私たちが魔法と呼ぶものは、神秘とは違った科学的なもの。けれど、その結果、科学と言う認識に成り下がった魔法の力は、人の傲慢さや野心、残忍さで戦う力へと使われてしまいました」
ファーンは、そんな私の意思を読み取ったかのようにそう呟いた。
「誰もが忘れていたのです。そんな当たり前のことを。忘れてしまって、私たちは多くのモノを失ってきました。失わない可能性があったというのに、私たちは自らその手を離してしまった」
失わなかったかもしれない〝可能性〟。けれど、それは無理だ、不可能だと、科学上で結論付けて、決めつけて、どこか諦めてしまった世界。
「あの日、世界は変わりました」
ファーンはそう言った。十二月十三日に、全てが変わったと。
「見方を変えれば、何も変わっていないかもしれない。けれど、確かに変わりました。少なくとも、私はそう信じています。〝あの光〟を見てしまったのだから」
そう呟くファーンの視線の先では、部屋の外を覆い隠すように、静かな雪が降り始めていた。
****
その日は、例年のクラナガンの冬の気温に比べて、酷く冷え込んでいた。
エプロンから眺めるクラナガンの空は、東側はうっすらと明るくなっていたが、西側の空はまだ夜のとばりに覆われていた。防衛特務隊の「ピクシス隊」の隊長として配属されたファーンは、出動時間である明朝六時の一時間前から、地上本部の輸送ヘリ発艦エプロンにいた。
ファーンは、その日は何故か眠りが覚めてしまったのだ。緊張や不安からではなく、それとは違う、何か別の何かを彼女は感じていた。
何度か経験した出撃直前の緊張感。その日の発艦エプロンには、防衛部隊が乗り込むことになった三機の『JF704-X式ヘリコプター』が引き出されていた。
「やれやれ、まさか、これに乗ることになるなんてな」
振り返ると、そこには出撃準備を終えたライリーがエプロンへとやってきていた。紺色の制服の上から防寒具を羽織る彼は、神妙な顔つきで『JF704-X式ヘリコプター』を眺めていた。
当時のJF704-X式ヘリコプターは、後の管理局遺失物管理部、機動六課にも正式採用される事になるJF704式ヘリコプターの試作型だった。防衛特務隊は一個小隊とほぼ同じ規模を有した部隊だ。
特務隊は迫撃を主眼に置いた「サイファー隊」と、ファーンが指揮する「ピクシス隊」、さらに後方ではグラハムが総指揮を執る「バックヤード部隊」が直接現場の管理を行うため、幅広く防衛ラインをカバーできるようになっている。
この三分隊に配備される試作ヘリコプターは、魔導士を目的地までの輸送や、現場での移動可能な管制指令部としても運用される最新式の物だ。
搭乗するライリー達も、カタログスペックでしかヘリの性能は知らなかった。管理局に所属しているマニアな局員が、その関係の資料を眺めながら「一度は乗ってみたい」と言うほど、このJF704-X式ヘリコプターの完成度は高く性能は、同じくエプロンへ引き出されている軽輸送ヘリコプターとは比べ物にならなかった。
まだ試作段階でもあるJF704-X式ヘリコプターを出してくると言うことだけで、管理局がどれほど本気なのかを、ライリーは今更ながら痛感する。
「先輩たち、乗りたかっただろうな…」
「ライリーさん?」
最新式のヘリコプターを眺めながら、呟いたライリーをファーンは心配そうに見つめた。ライリーは後味が悪そうに、冬の空気で湿った髪の毛を片手で掻く。
「いや、なんでもない」
険しい表情をしながらそう答えるライリーに、ファーンは拭えない不安を感じていた。
嫌な予感というのだろうか。
ファーン自身も、その感覚に答えを見いだせずにいた。自分が眠れなかった時にも感じた、重くジメッとした何かに。
「やはり朝は早いのだな、ライリー」
ふと、ライリーとファーンの後ろから、うっすらと映し出された人影が歩いてきた。その人影の左腕に当たる裾の部分は、力なく北風に踊っている。
「…冬の夜明けはいいな。心にこびりついたサビを洗い流してくれるようだよ」
「…グラハム隊長」
ライリーは少し低い声で、現れたグラハムと視線を交わした。
ライリーと並ぶように立ったグラハムは、いつもの戦闘用の服装ではなく、群青色の管理局の制服を着て、上からコートを羽織っていた。彼の胸には、「サイファー隊」の隊長を表すバッチが光っていた。
「私は、先に行っていますね」
気を利かせたのであろう、ファーンはライリーとグラハムを残して発着エプロンの奥へと消えていった。二人の間に、しばらくの沈黙が横たわった。
「隊長…俺は」
「怖いか?」
夜明け前のクラナガンの街並みを眺めるグラハムは、口ごもるライリーに簡潔に切り返した。途端に、ライリーは顔を強張らせた。
「アーチャーと戦うことが、怖いか?」
黙ったライリーに、もう一度グラハムは分りやすいほどはっきりとした口調で、そう聞いた。しばらくの間が空いた後、ライリーは首を縦に振った。
「…自分に正直になるなら、俺はアーチャーと戦うことが怖いです」
ライリーは防寒着のポケットに手を突っ込んだ。中に入れていた待機状態のティルフィングを握りしめる。けど、愛機は何も答えてくれなかった。
「アイツが、俺を殺しに来ると思うと…足が震えます」
ライリーはグラハムに正直に答えた。顔を伏せるライリーを横目で見ながら、グラハムは小さく息を吐き出した。まるでタバコの煙のように、グラハムの吐息が白息となって、クラナガンの景色に解ける。
「誰だって怖いさ、俺も怖い」
その答えは、グラハムの本音でもあった。
彼は左腕を失ったばかりだ。恐怖がないと言えば嘘になる。けれど、その感情は持ってはいけないなものだとは、グラハムは思っていなかった。
「だからと言って、無理にその怖さを捨てるべきじゃないさ、ライリー。怖さを捨てたら、俺たちは本当のただの『歯車』になってしまう」
グラハムはそう言った。
俺たちは機械じゃない、生きた人間なのだと。怖がり、悲しみ、痛がり、喜び、励まし合う。自分たちより歯車が優れているなら、自分たちはここにいる必要がないだろう。
ここにいるということは、自分たちは歯車より使えるということだ。
「すまないな、ライリー」
ふいにそう言ったグラハムに、ライリーは伏せていた顔を上げた。
「まだ若いお前にこんな役目を負わせなきゃならん。俺の力不足だ」
その言葉には、グラハムの本心が通っているのだと、ライリーは理解した。彼はこの事件の行く先がどうであろうと、ライリーやアーチャーの罪や責任の負担が少しでも自分に来るように仕向けていた。グラハムは「自分のために戦ってほしい」とライリーに言った。それはライリーがどのような選択を選んでも、自分に責任が来るようにするためだ。
「俺の部下はもう、お前だけだ。本当なら、俺があのバカを引きずり帰りたいところだが、今の俺じゃあダメらしい」
グラハムは失った片腕をなでながら、ライリーを真っ直ぐ見据えた。
「だからライリー。お前はお前の信じる道を行け」
そう言って彼は優しく微笑んだ。ライリーの目は迷いはあれど、決意に満ち溢れていたからだ。
「…アイツが、もし管理局に復讐を果たしたなら、もうその時は、アイツは戻れなくなります」
静かな声でそう言った。
ライリーにとって、アーチャーが今よりもっと多くの人を殺し、多くの人を傷つけて、引き返すことのできない淵へ行ってしまうことが、彼が「殺人鬼」に成り果ててしまうことが、自分の身に来る恐怖よりも、怖いことだった。
ファーンのおかげで思い出せた。
例え、どんなに堕ちようともアーチャーがライリーの親友であることに、変わりは無いのだと言うことに。
「俺は…まだアーチャーと戦う理由を持てていません…。けど、アイツが間違った道へ向かっている事だけは分るんです。だから…」
ライリーの眼を見て、満足したかのようにグラハムは、まだ夜のとばりが残る空を見上げた。残った右手で、ライリーの肩へ手を置く彼は、いつもと変わらないようでいた。誰もが不安を抱いているこの状況で彼は、落ち着いていた。
「なら、『俺たち』がアイツを引っ張り戻さなきゃダメだな」
グラハムは穏やかにそう答えた。
「…隊長」
「たとえ、奴が裏切っていても、こちらに刃を向けようとも、それでもアーチャーを引っ張り戻すことができるのは、他の誰でもない俺たちだけだ。他のメンバーも、生きていたら、同じことを言うだろうな」
一番つらい立場にいるであろうグラハムの言葉に、ライリーは言葉が出なかった。グラハムは、アーチャーを含めたサイファー隊全員のことを考えているのだ。自分の気持ちよりも、部隊の全員を優先する彼の姿に、ライリーは改めて感服していた。グラハムはライリーの肩から手を放すと、右手で管理局制服の上着に付いているバッジを外した。
「ライリー。俺は、未来への橋渡し役だ。俺たち老兵が、先に踏み入れば、お前たちが作るべき未来を壊してしまう。俺たちの時代は終わっているんだ」
後方のバックヤード隊から指示を送る統括役だ。このヘリに乗っていては、現場の支援くらいしかしてやれない。グラハムは、外したバッチをライリーへ差し出した。
「この役割を俺は理解している。覚束ない今を、明確な未来へと渡す架け橋」
それは編隊長のみが身に着けることを許されているバッジだった。
バッジを差し出したグラハムを不安げに見るライリーに、彼は年輪を重ねた顔を優しく微笑ませた。
「お前になら任せられる。ライリー、お前が、俺の未来だ。だから、サイファー隊を、頼む」
「…はい!」
一瞬の沈黙の後、力強く答えたライリーにグラハムはバッジを手渡すと、左腕の裾をなびかせながらその場を後にした。立ち去るグラハムの背中を、ライリーは敬礼をしながら、静かに言った。
「必ず、アーチャーを止めます。隊長…」
****
「JF704-X式ヘリコプター」の一番機へ辿り着いたライリーは、愛機である調整済みの「ティルフィング」をもう一度確認する。
待機状態のティルフィングはカードのような形状で、表面の透明のディスプレイには音声発言と同じ内容のダイアリログが表示されている。
「問題ないか? ティルフィング」
【Fadhb ar bith】、問題ないと音声発音で答えるティルフィングの声が、どこか愛嬌があるようにも感じられた。開発部の粋な計らいだろうか、とライリーは愛機をポケットへ仕舞った。
「さて、行くか」
ライリーは小さくそう呟いて、「サイファー隊」に宛てられたヘリのランプドア式のキャビンへと手を掛けようとした。
「ライリーさん」
ふと、それを見送っていたファーンがヘリへと搭乗しようとするライリーを呼び止めた。ファーンはライリーが搭乗する一番機ではなく、「ピクシス隊」の二番機へ搭乗予定だった為、彼女とはここで別れることになる。
「ご武運を」
森厳なその表情がファーンにはよく似合う。不謹慎だが、ライリーは改めてそう思った。ランプドアの開閉柵を掴みながら肩越しにファーンへ振り返る。
「レストランの予約、忘れんなよ?」
それだけ言って、ライリーはキャビンへ入っていった。
キャビンの中は、想像より広く十四席ほどある折り畳み式の座席があり、すでにそこには「防衛特務隊」のメンバーが何人か着席していた。その中には、昨日喧嘩別れのようなやり取りをしたヴォルケンリッターの騎士、ヴィータや、狂気に囚われかけていたライリーを止めたシグナムの姿もあった。
防衛特務隊は、現地空域へと到着した後、空域優勢を確認し次第、ライリーたちはこのランプドアから空中降下することになる。ライリーが天井に備えられた手摺を手にとったあたりで、「貴方がサイファー隊長、〝サイファー1〟ですか?」一人の局員魔導士が声をかけてきた。既に待機していた彼は、ライリーへ几帳面に敬礼する。
「自分はコードネーム、サイファー3を務めさせて頂きます、ティーダ・ランスター二等空士であります。ご一緒できて光栄です」
そう言い終わるや、他に待機していたメンバーもライリーへと敬礼し出す。どうやら自分が最後の搭乗者のようだった。
「…」
こんなとき、サイファー隊の皆なら何て言うんだろうか。
ふと振り返った先には、出撃に備えて開かれていたランプドアが閉まる光景が見えた。閉まるランプドアの間に…笑顔で見送ってくれるように、肩を組み合うサイファー隊の先輩たちが、ライリーには見えたような気がした。
ランプドアが閉まりきって、キャビン内に人工の灯りが点る。ライリーは敬礼する特務隊、新たなる「サイファー隊」へと向き直って、小さく息を吸い込んだ。
「アーチャーたち、ヘイズレグの実力は、知ってる通り想像を絶するものだ。だが、俺たちは勝つ。必ず勝って、奴らを止める!」
ライリーの言葉に、メンバー全員も、操縦するヘリパイロットも敬礼で返すと、予備回転させていたプロペラの回転数を一気に高め、空へと飛び立つ。
まだ朝焼けが写るミッドチルダの空へ、幾人の魔導師を乗せたヘリは、轟音を轟かせてミッドチルダ地上本部から飛び立っていくのだった。
****
【ジョセフ1より、地上本部へ。我々、航空部隊はαエリア、第一次防衛ラインの作戦開始エリアへ到着した、これより迎撃態勢に入る】
次元航行船の転送ポートの前で、アーチャーは管理局の通信を傍受した通信端末の電源を落とした。
今、この船が漂っている時空間は、ミッドチルダの次元世界とほぼ重なる位置にあった。レーダーに映らないために船の電力は最小限になっていて、非常用の赤色灯がキャビンの中を照らしていた。
「時空管理局側の配備が始まったようね」
ヘイズレグのリーダーであるアーチャーと他、数名の幹部が隊列を整えた魔導師たちの前に立っている。アーチャーの真横に控えていたウーティが、傍受していた通信端末の情報から管理局の動きを推測する。
予定通り、管理局側はアーチャー達ヘイズレグを迎え撃つ形の陣を取ってきた。一転突破な作戦を見越しての戦術だろう。だが、それはアーチャー達にとって予想通りの動きでもあった。
「――皆に聞きたい」
赤色灯の下で、アーチャーがその場に集まる魔導師たちへ問い掛けた。
「時空管理局がなぜここまで世界を管理、統括できるまでに権力を持てたのか、理由はわかるか?」
管理局という、たったひとつの組織が、なぜここまで次元世界に影響力を及ぼしているのか。そんな簡単な答えなど、この場にいる誰もがすでにわかっていることだ。
「管理局が〝魔法〟という技術を保有し、独占していたからだ」
アーチャー達のような、「魔法」という概念すら知らない外世界の人間にとって、未知となる魔法は、世界を統一するにはあまりにも優位すぎる代物だ。その「魔法」と呼ばれる概念は、管理局に多大なる力を与える抑止力でもあった。
「俺たちは、魔法という圧力の中で、六年前から止まったままの、同じ悲劇の時を歩み続けてきた。だが、それもようやく終わる」
終わる、いや、終わらせるためにアーチャー達はこの道を選んだ。屈辱を堪え、滑稽だとわかりながら管理局の元に下った。敵とみなした相手から必死になって魔法という概念、知識を学び、技術を磨いた。
今日、この日の為だけに。
アーチャーは静かに瞳を閉じる。光を遮った暗闇の中には、六年前から変わらずに写る幼なじみ、アルテの笑顔が浮かんでいた。
「俺たちは、ただひとつ求めよう。新なる正義を。限りなき悠久なる安息の時を」
そして、瞳を開けば世界は周り出す。
「何事においても信念のない者は決して勝利することはない。時空管理局、強いて言うならばこの世界は、信念という言葉や考えを軽んじすぎた。私的な潔癖や徳義にこだわり、惰性し続ける矛盾を孕んだ平和。悲惨な戦いは起こっていないからという消極的な解釈に乗っ取られたこの仮染めの平和により、真の平和を忘れてしまっている」
その惰性と傲慢さが、新たな悲しみを、怒りを、憎しみを生み出す。そんなものが正しきものであるわけがない。そんなものに、何かを奪う権利など与えられているわけがない。
「世界は目覚めなければならない。そうでなければ、この世界は変えられない。今、目覚めずしていつ救われるか」
そして、今日。この日こそが、その目覚めの瞬間となる。
「俺たちはその先導になる。世界の新たなる門出にさきがけて、己が信念を賭けて戦う」
その先に見えるであろう、真の正義を知るために。背後にある転送ポートが静かにミッドチルダへと繋がる道を開き始めた。
「俺たちが新に求める平和を、俺たちの願いを、どうか忘れないでほしい」
光の中から吹き上げてくる「ミッドチルダの空」。それは何も言わずとも、アーチャー達を待っているかのようにも思えるような、心地よくも力強い風だった。
「忘れずにいてくれるなら、俺は、ありとあらゆる人間からいくら憎まれてもかまわない。俺は逃げることなく憎しみを受け止め、そして背負い、この修羅の道を歩む」
アーチャーはギュッと口を結んだ。
開き切った転送ポートから見える空。霞がかかっているように見えるが、快晴。飛行条件は良好といったところだろう。遠く向こうには、幾つもの光の光点が見えた。
「この世の善きもの。それこそが命を賭すに値するもの。それが俺が信じる正義だ」
そういったアーチャーの衣服が、幻想的な光に包まれた。魔力で構成されたバリアジャケットが、アーチャーの全身を包んだ。
アーチャーのデバイスは管理局にいたときから変わらずに「ベリルショット」で、装備されたバリアジャケットも、戦闘に合わせた管理局側の合理化されたデザインのままだ。
だが、管理局の紋章や、左胸あたりに施されたサイファー隊のエンブレムは剥がされており、代わりにヘイズレグの片翼と剣をあしらったエンブレムが背中や肩、左胸に施されている。
光が止み、「ベリルショット」を腰のホルダーに収め、アーチャーはロストロギア《ダインスレイヴ》を背中に背負った。背を向けるアーチャーに習って、ヘイズレグのメンバーも同じようにデバイスを起動させ、バリアジャケットを身に纏う。
「行くぞ」
ぞっとするような静かな声でアーチャーがそう言うと、転送ポートに向かって一気に駆け出し、ミッドチルダの空へと飛び込んでいく。飛行魔法はまだ発動させない。きりもみ状に空の底へ落ちていきながら、アーチャーは語りかける。
「…アルテ。俺はまだ前に進めていない。進めないんだ。奴を越えないと…だから」
《yes.sr》
空の底が見えた瞬間、アーチャーは飛行魔法を起動する。魔力から得られた力で、きりもみ状に落ちていっていた体は止まり、ぐんっと空へ向かって舞い上がる。
「俺は進むぞ…!」
吐き出すようにそう叫んで、アーチャーは地上本部へ一直線に飛翔していった。
****
地上本部から発進した三機の「FJ704-X式ヘリコプター」は、ヘイズレグが地上本部までに通過されるとされるポイントを目印に市街から離れた海上沖を飛んでいた。
先頭を飛ぶ一番ヘリの中、目標地点を目指すライリーが指揮する手練れの空戦魔導師で編成された新生サイファー隊に、地上本部から通達が入った。
【地上本部から通達。防衛エリアβ地点にてジョセフ隊がヘイズレグと接触。現在交戦中とのこと】
輸送ヘリを操縦するパイロットは今の状況を憂いた。ミッドチルダで初めてとなる出撃命令、それが状況の厳しさを語っている。
交戦区域となるこのミッドチルダ海上沖から地上本部までの防衛ラインは、どこから攻め込んでくるかわからないヘイズレグを、如何なる状況下でも迎え撃つためにαエリア、βエリア、γエリアと三つの飽和状の区域別に分けられており、それぞれのエリアには第三防衛ラインまで設けられている。
この布陣は、どのエリアに《ヘイズレグ》が現れた場合でも、他エリアにいる魔導師がインターセプトできるようにするための配置だ。だが、いくら管理局と言えど人員が限られている。手練れの魔導師が相手ならば、突破される可能性は高い。
そこで、ライリーたち特務隊は、各エリアをヘイズレグが突破した場合に備えて設けられた最終防衛ラインに分散され配置されることとなっている。
【現在、交戦状態は苛烈を極めており、敵は防衛網を突破しつつ地上本部へ向かっている模様】
オープンチャンネルでそれを聞いた隊のメンバーが息を飲んだ。
「…奴等め」
メンバーの一人がそんな固い声をあげる。その声だけで、ライリーはこの場にいる全員が思っていることを理解していた。
〝本当にヘイズレグを止められるのか〟
これは管理局史上初となる都市型テロだ。
対策マニュアルも無ければ、一人一人の対魔導師の実戦経験も乏しい。この状況下、同乗している魔導師たちも地上本部からの通達に未だに動揺を隠せないといった様子だ。既存の訓練で受けてきたカリキュラムで想定されているのは、災害時の救助活動と犯罪者捕縛の対処法だけ。
「対魔導師」、ましてや「都市型テロ」など想定外もいいところだ。そんな状況で、自分たちは一体どこまでできるのか。
ライリーは薄暗くキャビンを照らす照明をじっと見つめ、この不安が満ちる空間の中で、どうヘイズレグに対処するか考えをめぐらせていた。
もう誰も失いたくない。
傲慢かもしれないが、仲間を失う苦しみに比べれば遥かにマシだった。心に空いた焦燥感は、まだ彼につきまとっている。そんな不安が、サイファー隊の雰囲気を曇らせていた。
ふと、コクピット側の奥の席に座るヴィータが、うなだれて床を見つめていることに、ライリーは気づいた。
『なぁ、ライリー・ボーン』
突然、ヴィータは見られていることに気づいたように、黙って座席に座るライリーに念話で語りかけてきた。ライリーは『なにか用か?』と、目線だけヴィータに向けた。幼い彼女の顔は疲れ、すこしやつれているように見えた。
『昨日は、あんなこと言って…悪かった』
弱々しい声で、ヴィータは昨日の発言に対して謝った。
『アタシも、はやてじゃない誰かでも…他人でも、守ることできるかな…』
ヴィータは自分の不安を認めていた。彼女もまた、なのはが大けがをした時のことを引きずっている。その不安げな声が、その心情を物語っていた。
ライリーは口をつぐんだ。互いに言葉が消え、ヘリのタービンが揺れる音だけがはっきりと聞こえてきた。こんな時、隊長は何て言うだろうか。
それを考えたライリーはわずかに息を吸い込む。
「…皆、交戦空域に入る前に聞いてほしい」
横一列に向かい合って並べられた座席に座るメンバー全員へ聞こえるように、ライリーは呟いた。メンバーの視線がライリーに集まる。
「相手は、非殺傷設定なんて生優しいものは使ってこない。ここから先は、未知の領域…殺し合いが待っているかもしれない」
その場にいる誰もが何も言わなかった。
シグナムはレヴァンティンを肩に抱きながら瞳を伏せる。確かに、この先の戦いは、戦い慣れをしていない者からしたら想像を絶しているだろう。シグナムは果てしない時間の中で幾度となく『こういう経験』を培ってきている。だからこそ、この異常な危機感を誰よりも感じ取っていた。
「俺は、皆に『自分が非殺傷設定であること』を理不尽だと思わないでほしいんだ」
改めてライリーはメンバー全員を見渡すようにそう言った。全員は目くばせをしながら、ライリーの言葉をじっと聞いている。
「ヘイズレグに対抗するために、俺たちが非殺傷設定を解除してしまったら、俺たちもヘイズレグと同じになる。いいか? 俺たちは殺し合いをするために魔法を使っているんじゃない。俺たち自身が、その誇りと信念を捨てたら一体何を信じていけばいいんだ?」
混戦する戦闘空域で、何を信じ、何を貫くべきか。ライリーにはその答えがまっすぐと見据えられている。メンバー達が頷いた。
「この場にいる全員が非殺傷設定を解除しようとも、本部から解除しろと命令が出ても、俺は変えない。俺はなんとしても、敵を、そしてアーチャーを生きたまま捕まえる」
『非殺傷設定は、人を殺さず、己を律するものである』。
ライリーはグラハムから教わった言葉を言った。この信念だけは、絶対に曲げない。これからも、この先も。
「俺たちならできる。そして隣にいる奴を信じろ。皆が守ってくれる」
ライリーはヴィータを見ると優しく微笑んだ。誰にでも、誰かを守ることはできる。
「多数が少数を守るためじゃない。今必要なのは、一人が一人を守ることだ。隣にいる仲間を守ることを考えろ。少数で少数を守れ。その輪が広がれば、多数が多数を守ることができる。そしてもっと大きなものを守れるようになる」
彼の言葉に全員が頷いた。すると、特務隊で一番の古株であるグラハムの声が無線マイクを通してキャビンの中に響いた。
【もうすぐ降下ポイントだ。何かと不祥事が多い管理局だ。たまには活躍して汚名返上と行こう。気張っていくぞ!】
やがて部隊は目的地のエリアにたどり着く。すでに先に到着していた他の部隊が、ヘイズレグの行く手を遮るように防衛ラインを張っていた。
「空域優先確認! 降下どうぞ!」
ホバリングで空中に留まっている「FJ704-X式ヘリコプター」のパイロットがキャビン内にいるライリーたちへ空域優先を知らせる。それとほぼ同時に、空とキャビンの境界線であったランプドアが開いた。
キャビン内へ吹き込んでくる冬のミッドチルダの風が、特務隊メンバーの出撃直前の緊張で高ぶっている体を冷やす。
「――」
開け放たれたランプドアの前で、ライリーは何も言わずに風が流れる「ミッドチルダの空」を眺めていた。飛び出せば、もう後には引けない。ライリーの中に、この数日の記憶が渦巻く。
『なんだって子供が二人もこんなとこに!連れてきた奴はどいつだ!』
『お前達なんか、助けなければよかった。それでも、あの子達が死んで、お前が生きていたら良かったって思う俺は、酷いか?アーチャー』
『許さない。お前達だけは、絶対に許さない。なんで、俺はコイツらを…仲間の仇を…殺せないんだ…!』
俺が管理局の魔導師になった理由。
〝仲間を守りたいから〟。
「サイファー1、ライリー・ボーン。行きます!」
ライリーはランプドアから空へと舞う。落下しながらライリーはティルフィングを構えて叫んだ。
「行くぞ、ティルフィング!」
《Stand by lady.Complete.》
ティルフィングの応答の直後、ライリーの体を光が包み込む。アップデートされたティルフィングの処理能力は以前より更に速く、最適化されていた。読み込まれたバリアジャケットが瞬時にライリーの身を包むと、足元から蒼く輝く魔力で構成された羽が出現し、ライリーの体を大空へと舞い上げさせた。
――NEXT