全身を感じたことがないような痛みに苛まれてから、アーチャーは深いまどろみの中にいた。気を失ったのだろうか? 先ほどまでの痛みが嘘のように消えていたが、彼の体はボロボロだった。
「どこだ、ここは…」
悲鳴を上げる体を起こしてアーチャーは違和感を覚えた。
さっきまで感じていた冷たい空気や、潮の匂いがしない。
かわりに海の上では感じるはずのない草や土の匂い、眩暈がするほど、懐かしい匂いがアーチャーの鼻孔をくすぐる。彼は辺りを注意深く見渡した。周りが森で囲まれている開けた場所に、民族的な家屋が立ち並んでいる。それはアーチャーにとって、もう二度と戻ることがないと諦めていた景色だった。
「ここは、俺の…故郷…なのか?」
疑うようにアーチャーはそう口走った。
確かに、この光景は自分の生まれた故郷そのものだったが、誰かが生活しているような活気はなかった。
まるでフィールド訓練用の施設のような、綺麗に整っているだけの空間だ。
集落の中を歩いてる途中で、ふとアーチャーは誰かに見られているような視線を感じ取った。自分と祖父が暮らしていた集落でも一番大きな木造家屋の前で、まるでアーチャーを待っていたかのように、一人の少女が穏やかな風に髪をなびかせて佇んでいた。
「ア…ルテ…」
見間違えるはずがない。
その場にいたのは死んだはずのアルテ・フェングだった。アーチャーは幽鬼のような覚束ない足取りでアルテの目の前にたどり着くと、壊れ物を扱うように指先で彼女の頬をなぞる。だが、その顔には笑顔がなかった。
「違う…お前は誰だ…!」
まるで人形のように血の気のない表情をするアルテに、アーチャーは深いうねり声でそう問いかけた。
「そう、我は貴方が言う「アルテ・フェング」とは違う存在です」
無表情のままの彼女は、視線をアーチャーに向けた。その言葉を聞いたアーチャーは一気に現実に呼び戻せられたように絶望に近い表情を見せる。
「ここは、どこだ。あれからどうなった…!」
「ここは、貴方の精神エネルギーから読み取った貴方の故郷の記録です。それと同時に、精神流動的な空間でもあります。この空間には時も時空も全てが統一されています。過去も、そして未来も…」
精神流動的な空間? アーチャーは思わずそう聞き返した。対して、彼女は頷く。
「我はダイスレイヴそのものを孕む意識でもあります。元のダイスレイヴ。等しく恵みと災いの均衡を保ち、死と生の秤として産み出された時から続く、意識の連結体」
そう答える彼女はアーチャーへ掌を差し出した。その中には、銀色の刀身に埋め込まれていたダインスレイヴの本体である勾玉があった。
「お前は、ダイスレイヴの意識…なのか」
「大まかにはそうなるでしょう。我は古の戦禍から貴方の故郷に逃げ延びた古代ベルカ人…貴方の遠き祖先達によって作られました」
古代ベルカによって作られた。その言葉を聞いてアーチャーは唖然とした。何かの悪い冗談だと思いたかった。自分の祖先が、憎むべき魔法の世界の人間だったなんて信じられなかった。
「元々、ダイスレイヴはただの感情エネルギーから成る集合思念体。生きる者の感情エネルギーから僅かな魔力を得ては、その地に等しく恵みと災いをもたらす為に作られたはずでした。しかし、私は見つかるべきではなかった。人間には」
彼女の言葉の後、静かだった景色は壊落した瓦礫の山と、一面を覆い尽くす炎の光景へと変貌した。逃げ込んだその世界では考えられない技術を持っていた古代ベルカ人の地に、人間が押し入ったのは必然だった。高潔であった彼らを野蛮な人間は次々に蹂躙し、そしてダインスレイヴも人間の手に渡った。そして、その存在意義も変えられてしまった。
「戦乱に渦巻く、人間の飽くなき願望と妬み、憎悪、怒りによって我の力は、違った側面を写し出しました。我は複数の生きる者たちから、僅かな感情エネルギーを得ていましたが、一人の人間から過剰な感情エネルギーを得れば、副作用が起きる。エネルギーを更に得ようと、その人間の感情を無限に増幅させる」
やがて人間は、増えすぎた感情を制御することができなくなり、そして自ら滅びの道を歩み、その数は絶滅寸前まで脅かされた。
生き残った古代ベルカ人は、ダインスレイヴを奪還し、ある条件を加えた。ダインスレイヴを扱い、使役できる者の限定。滅びを待つばかりの古代ベルカ人は、彼らと人間の混血種である守り人に、ダインスレイヴを託したのだ。
「それから長い月日の中、我は貴方の一族によって封印され眠り続けていました。貴方の両親や、貴方が我を呼び覚ますまで」
景色はいつの間にか静かな集落へと戻っていた。
アーチャーは膝から崩れ落ちた。
今まで、自分たちは管理局や魔法とは別々の場所に立っていると信じていた。
けれど、自分たちも元を辿れば、管理局の人間と同じ人種の末裔だったのだ。今になって明かされる真実に彼の信念は意味をなさなくなってしまった。
結局、アーチャー達の反逆も、管理局の矛盾した正義も、同じ「灰色」の場所で足掻き合っていただけだったのだから。
「間違っていたと言うのか? 俺は…俺は憎い…全てを奪った管理局が…! だから俺はお前を解き放した。全てを清算させるために…! なのに!」
嘆くアーチャーに、彼女は優しい声で語りかけた。
「アーチャー。貴方はもう苦しまなくていいのよ。ここに居れば、貴方はもう一人ぼっちじゃないのだから」
その言葉に連なって、静かだった集落に活気がよみがえってくる。
遠くで、誰かが呼ぶ声が聞こえる。
とても心地のいい…安心するような声が。
――――
―――
―…
「お前は、そうやってその檻の中に居続けるつもりなのか? アーチャー」
膝を着いているアーチャーの後ろ。そこに佇む者のボロボロになったバリアジャケットを風が揺らした。アーチャーが振り返った先には、傷だらけになりながらも、優しく笑いかけるライリーが立っていた。
「俺を諦めの底から引っ張り出したくせに、自分は檻に閉じ籠るつもりか?」
ライリーはアーチャーの隣に来ると、肩に手を乗せてそう言った。
「黙れ…お前に、俺の憎しみの何がわかるんだ、ライリー!」
アーチャーは彼の手を払いのけた。わかってたまるものか。わかられてたまるものか…!
アーチャーは苛立ちながらライリーを睨み付けた。
「まるであの日とは逆だな、アーチャー」
懐かしそうに笑うライリーが、アーチャーには不思議に見えていた。なんでこいつは、笑っているんだ…?
「わからないさ。けど、そばに居てやることはできる」
ライリーはそう言うと、アーチャーと同じように膝を着いて、彼の眼を見据えた。
「確かに抱える闇はそれぞれある。悩みも、後悔も。それを全部理解しようなんてことは、他人じゃ誰もできない。わかってやることができるのは自分だけだ」
拭い去りたい過去に苦しむなんてことは、誰にでも起こる当たり前のことなんだ、とライリーは言った。結局は、自分で解決するしかないんだと。
「その苦しみを忘れなくても、いいじゃないか。今のお前の隣には俺がいる。バカやって、笑って、泣いて。嫌なことがあっても、肩を貸し合ってそれを笑い飛ばせて、闇だけじゃなくて、光があるってことを教えてくれるし…教えられる。それが友達ってやつだろ? お前が俺に、それを与えてくれたように」
そう言ってライリーは微笑んだ。当たり前すぎて、見落としていた簡単なこと。
「魔法」や自分が作り出したしがらみに隠れて、見えなくなっていた簡単なこと。
背負う悲しみや苦しみ。それと自分が向き合う勇気をくれるのが、他ならぬ「友」であることを。
父の死で塞ぎ込んでいたライリーの背中を押したのは、他ならぬアーチャーで、憎しみに染まった自分に光を教え、そして命を賭けてでも止めようとしたのも、他ならぬライリーだった。
「だから、アーチャー。戻ってこい。お前の未来はこんなところじゃない。―――帰ろう」
アーチャーは喉にこみ上げてきた言葉を、呑み込んでじっと耐えた。バラバラになりそうだった心を、ライリーは繋ぎ止めてくれた。
自分でもわかっているほどひどい人間だというのに、ライリーは頑なにそう信じてくれた。まだやり直せると。
「ライリー…。お前は…バカ野郎だ…底なしの大バカ野郎だ…!」
俯くアーチャーの真下に、小さな滴が幾つも落ちた。今になって気づいても遅すぎるというのに。
『――――アーチャー』
さっきまで聞こえていた心地よい声が、今度ははっきりと聞こえた。
その心地よい声色に思わず顔を上げたアーチャーの先には、ダインスレイヴの意志と名乗っていた少女がいた。その表情は無表情ではなく、優しい笑顔だった。
アーチャーの脳裏に焼き付いた、色あせない笑顔。
『貴方をずっと見ていた。数えきれない願望と憎しみを見続けた旅路を、貴方は終わらせる筈よ』
少女は、優しくアーチャーを包み込むと光と一緒に景色に解けていく。周りの景色も真っ白なものへと変わっていった。
『貴方は、私の光。もうアーチャーは、明日に進んでいいんだよ』
消えて遠くなっていく声に、アーチャーは立ち上がりながら目を閉じる。
目を閉じた闇の中に、もう彼女は居ない。
ライリー・ボーン。貴方が、共に来ると思っていました。貴方のお父さんが、この精神流動的な空間の中で貴方の自我を守ってくれています。貴方もまた、光なんですね。
ライリーにだけ微かに聞こえた言葉に、彼は小さく笑みを返した。
「違うさ。俺はただ、仲間を守っただけだよ」
誰もいなくなった真っ白な空間の中で、ライリーはボロボロになったティルフィングを、アーチャーに向けた。
「さぁ帰るぞ、アーチャー。お前の未来へ」
魔方陣を描いた帯が、アーチャーを包み込んでゆく。痛みはなく暖かな光とぬくもりだった。光が広がって行くと同時に、アーチャーの意識も泡となって消えてゆくように掠れていった。
〝―――ロストロギア、ダイスレイヴ…封印!〟
その声だけが、遠くの方から、わずかに耳へと届いた。
なぁ、ライリー。
今までのことが全部、悪い夢だったら。目を覚ますと、サイファー隊の部署で、周りを見るとサイファー隊の皆がいて、お前がいて。
また、皆と、お前で、雲ひとつ無い、あの空を―――。
気がついたら、海に浮かんでいた。
さっきまでいた空は、馬鹿みたいに遠くて、手を伸ばそうと右手を空へ掲げた。
「あ…」
呟いたように吐いた白い吐息の先には、柄から先が完全に砕け無くなったダインスレイヴがあった。
世界を滅ぼしたと言われた魔剣の最期は、あまりにも呆気ないものであった。
柄を握っていた手を緩めると、魔剣だったものは手から滑り落ちて冬の海の中へと没していく。
「あ…はは…は…やっぱり、お前はスゲーな」
海面に浮かんで、遠い空を見上げながらアーチャーは呟くようにそう吐いた。
「ロストロギアって呼ばれてたモンを…壊しちまうもんなぁ…はは、やっぱり、すげえよ、ライリー」
遠く光るミッドチルダの空へ手を翳しながら、アーチャーは、自分を止めた男の背を空に写す。親友、相棒、互いにそう呼び、そして自分は裏切った。そんな自分を、彼は止めてみせたのだ。すべてを駆けてこちらは挑んだというのに、彼は止めてみせたのだ。――すがすがしいほどの完敗だった。
「ははは…やっぱり、敵わねぇな…」
自然と、アーチャーの頬に涙が溢れた。
あの光の中で見えたもの。あれが、自分が求めていたものだったなんて、今更気付くなんて。つくづく、自分は気付くのが遅い質らしい。
「またいつか…空を飛びてぇな…。なぁ、相棒」
アーチャーは動かない体をそのまま波に任せてゆらゆらと波間を漂いながら、光る空に向かって静かにそう呟いた。
それから二日後。
クラナガン沖の湾岸空域で消息不明となったライリー・ボーン二等空尉は、殉職者リストの中へと、名が刻まれた。
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