新暦0068年。
「キィナ! 貴様は…何度、厄介事を俺に吹っ掛ければ気が済むんだ! えぇ!?」
次元世界ミッドチルダの首都、クラナガンに位置する時空管理局地上本部。
その局内の一角に、年期と相応の気迫を纏った怒号が響き渡っていた。
管理局内でも、凶悪犯罪や危険な事件を多く担う資格を持つ「執務官」という役職がある。
この資格の合格率は極めて低いものだが、これを持つ魔導士は「自身の所属する部隊、課における事件や法務案件の総括担当者」という権限を持つことができる、言わば「エリート」と呼ばれる集団。
しかし、難関な試験を突破し、この資格を有する優秀な局員でも、研修期間と言うものは存在していた。
新人執務官がまず所属することになる部署、「執務実用研修部」の室長、トレイル・ブレイザー室長。
彼の地獄まで届きそうな怒声で、キィナ・ナズミ執務官は、新人執務官らしく首を思わず引っ込めていた。年季の入った額に、分かりやすく血管を浮かび上がらせながら、「毎度毎度よくもまぁ…」と、呪いのような愚痴を呟いた。
トレイル・ブレイザー室長は、上司、部下関係があいまいな執務官役職において、新人執務官を執務官として教育する統括者であった。
試験合格後に直接、現職の執務官の部下になるような新人執務官もいるが、そんな例は稀であり、執務官となった者はすべからず、まずは彼のような部署での研修を受けることになる。
そんなトレイルが頭を抱えるほど、キィナ本人から提出された書類と、法務管理部から提出された書類は酷いものだった。
これは、揉め事の中心人物の言い分と、第三者である他部署の報告書を見比べて、本人がデタラメか、または曖昧なことを記述してないかチェックするのが目的なのだが、こうまで二つの報告書が同じことを書いているとなると、苦虫を噛み潰したような顔にもなるものだった。
キィナ・ナズミ。
彼女は、数ヶ月かけてやっと逮捕した犯人の法的処理を、誤って別の軽犯罪人の処分と混同してしまっていたのだ。強盗や窃盗、殺人未遂まで犯した犯人を危うく観察処分として釈放してしまうところだった。
その後、たっぷりとトレイルからの説教と、更に始末書地獄を言い付けられすっかりしょげてしまったキィナは、新人執務官だ。
トレイルは、つかの間、測るような目付きで始末書との戦いを始めた彼女を見た。
彼女は魔導師としてはとても優秀だ。それに若さもある。二十代手前のキィナは、トレイルよりも二十歳以上若い。ただ、魔導師としては。まだ技を磨いている最中で完成された魔導師ではない。
執務官になった以上、未熟さにかまけて甘えることは許されない。執務官とはそんな単純な仕事ではない。事件捜査や各種の調査を取り仕切らなければならない。法務関係の知識や処理能力があるので、管理局としては重宝されるはずなのだが、彼女は思考より手が先に出てしまうようだった。
上層部からの命令でトレイルはキィナの面倒を見ているのだが、別段、彼女は執務官に向いていないと思うわけではない。
キィナ・ナズミは、内勤の法務処理などではなく、独立して追跡や、得意とする分野の事件を専任で指揮するべきだろうと、トレイルは考えていた。書面上で事件の内容を読み解くより、現場で徹底的に調べ尽くす側の人間なんだろうと。トレイルはデスクチェアにもたれ掛かりながら肩をすくめた。
今年の新人執務官は目立った色を放つものが多い。
中でも、フェイト・テスタロッサが一際光る存在だった。
彼女を部下に持った執務官はさぞ満足だろうな、と、どこか嫉妬心を感じる。始末書に奮闘するキィナを見て、トレイルは思わずため息を漏らした。
フェイト・テスタロッサは、本年度から魔導師ランクS保持者として執務官となった魔導師だ。彼女は他の執務官とは、群を違って逸脱した存在感を感じさせる。
執務官採用試験はまさに難関だ。付け焼き刃な知識では受けたとしても落第が目に見えている。が、そんな試験でも「コネ」と言うものは存在する。事実、キィナ自身も彼女が所属していた航空部隊の上司から督促状があった。トレイルや他の執務官も例外じゃない。
ただ、彼女は違った。
彼女は主犯じゃないとしても、犯罪履歴を持った人物だ。
そんなハンデがある上で、彼女は「コネ」も無しに執務官試験に合格して、執務官となった。それに加えて、犯罪履歴を持った魔導師が執務官になったなど前代未聞。彼女の仕事振りは、とても新人執務官とは思えないものだった。
フェイト・テスタロッサという執務官は瞬く間の内に執務部署で話題になった。激務が続く執務官の部署としては正に救世主だ。
――この数年の間だけで、管理局の役職仕事や魔法関連の事情は大きく変わった。
特に、執務官が扱う仕事が、だろう。
新暦0065年に起きた「P・T事件」。そして、その翌年に勃発した「闇の書事件」。
その年を境に、魔法を使った犯罪が軽犯罪、重犯罪問わずにしても大幅に増加した。
更に一年前、管理局が独占していた魔法技術やデバイス機構が市場に流出したことも重なり、高度な魔法技術が瞬く間の内に世界中に拡散し、今まで「魔法」という抑止力にあぐねいていた勢力を、一斉に活気付けさせたのだ。
【技術共益圏の拡大】。
聞こえは良いだろうが、それはある種の時代の転換期でもある。
管理局が「魔法」を独占していた間では、争いと呼べる物さえ起こらなかったのに、今では、あちらこちらで「魔法」による小競り合いが発生している。
「魔法」という強大な力は、すでに抑止力という意味を失っていた。一度流れた情報や技術を無かったことにはできない。それにより生まれた流通もまた然りだろう。今まで明確に保っていたバランスが崩れ、「司法組織」であるはずの管理局も、レジアス・ゲイツ中将指揮の元、大きく武装体質の強化に踏み切っている。
時代が劇的に変わっていく。トレイルは管理局共通のデータバンクの中に山積まれた事件案件を見ながらそんなことを思った。
「どうやら、君の部署もお忙しいようだね。ブレイザー執務官?」
ふと、上から降ってきた声に目線を上げると、自分より高い階級章と、柔らかな笑みを浮かべた人物が見えた。
「あぁ、忙しくて前髪が後退しそうですよ。オールドマン准将」
トレイルは疲れたように笑みを浮かべた。チェアに座ったままで。
「准将」に対してその態度は、本来なら無礼になるだろうが、彼はこちらが様式だって畏まるといつも困ったように笑う。だからトレイルはラフスタイルのまま彼に敬礼を返した。
「忙しいところ悪いのだけど、一人執務官を私に貸しては貰えないだろうか?」
そう低空飛行な態度で「准将」は、ひとつの記憶媒体を取り出し、トレイルに渡した。トレイルはまだ中身も確認しないうちに、この記憶媒体は厄介なものだと判断し、顔をしかめた。とてつもなく嫌な予感がする。この「准将」が、こう頼みごとをしてくるときは、決まって厄介なものだからだ。
「生憎、ウチにも空いてる執務官は居ない――と、言ってもアンタのそれは命令なんだろう?」
トレイルの嫌味言葉に、准将は穏やかに首を横に振った。
「何を言っているんだい? 私はあくまで〝お願い〟をしているんだよ?」
意味有りな笑みを浮かべながらよく言うよ。思った台詞を飲み込んで、トレイルは再三ため息を漏らした。ありがたいことに、今は一人空きがある。データフォルダから一人の執務官のデータを開き、「准将」に見せつけた。
「そこで始末書に奮闘している奴だ。法務処理は問題ありだが、腕は確かだ」
管理局の旧き友人のお墨付きを貰ったのか、「准将」は満足そうに微笑んだ。
****
キィナ・ナズミ執務官は、居心地が悪そうに辺りを見回していた。
自分の現上司であり、鬼のような厳しさを誇るトレイル・ブレイザー室長が、始末書の提出期限を引き延ばして、新たな任務を自分に与えてきたからだ。
明らかに異常だと、キィナは思っていた。
彼はどんな理由があろうとも、期限を厳守し、規律に厳しい人物なのだから。キィナ自身も過去に何度も自分の不始末で始末書を書いていたが、期限を引き延ばされたことは一度もない。それに、不始末をした直後に単独任務を与えられることなど、まずあり得なかった。
キィナは不安げに目の前にある扉を見つめた。
自分が立つ場所は、管理局でも上層部の人間しか入ることのない執務室フロアなのだ。改めて、トレイルから言い渡された任務データを確認した。場所は間違っていない。その事実が、キィナの不安を更に煽る。
何度か入室インターホンを押そうとするが、押す寸前で止めては、扉の前で悩ましそうに右往左往にぐるぐると動き回り唸る。何度繰り返したのだろうか? 周りを通り過ぎる局員たちはそう思ったが、キィナ自身は数えていなかった。
「よ、よーし。考えたってしょうがない…もうっ、今度は押すよ…!押すんだからね…!」
「あ、あの」
「はひぃ!?」
一人でブツブツ呟きながらインターホンに震える指を伸ばしていたキィナの体が途端に跳ね上がった。大げさに振り向くと、いつの間にか隣に立っていた女性――いや、少女というべきだろうか。綺麗な金色の髪をした少女がいた。
「貴方も、この部屋にご用があるのですか?」
少し遠慮気味な、戸惑った様子の声で少女がそう聞いてきた。キィナは、何事もなかったかのように身なりを整えると、咳払いをひとつして少女と向き合った。
「えぇ、私もこの部屋に用事があったの」
取り乱し様をなかったことにして、キィナは明らかに自分より年下である少女に向かって答えた。
見た目は、十五か十六くらいだろうか? 管理局指定とは違う、執務官用の黒い制服を来ているのが気になったが、明らかに自分より若いと、キィナは思った。
少女は、なら良かったと言わんばかりに優しげな笑みを浮かべる。
「実は私もこの部屋に呼び出されたんです」
少女はキィナに頷いた。内心でキィナはグッとガッツポーズをした。
一人で上層部の執務室に入るのは気を張るが、もう一人いるなら話は別だ。
「そうね、じゃあ入りましょう」
あくまで先輩口調を止めずに、キィナは少女にそう伝えると、さっきまで躊躇っていたインターホンを軽々と押した。しばらくしない内に扉が開くと、キィナと少女は一礼して部屋へと足を踏み入れる。
そこは仰々しい会議室や、睨みがキツイ補佐官がいるわけでもない。
いたって普通な個室オフィス。豪華な装飾もなく、木製の簡素なデスクと、一人の人物が座っているだけ。
キィナが想像していたよりも質素な内装であった。
「待っていたよ、キィナ・ナズミ執務官。そして、フェイト・T・ハラオウン執務官」
デスク越しに椅子に座る人物が、柔らかな声と微笑みで頷いた。思わず敬礼を忘れるような緊張感の無さだったが、二人の執務官はきちんと敬礼で返した。
「え?…フェイト・T・ハラオウン執務官…?」
敬礼の最中、キィナは間抜けな声でそう呟きながら、自分の隣で敬礼する少女を見た。
この子がフェイト・T・ハラオウン執務官?
いやいやいや、こんな少女があの「フェイト・T・ハラオウン執務官」なんて―――。冗談でも笑えないものだ。
キィナは恐る恐る隣に立つ少女の階級証を盗み見る。
『フェイト・T・ハラオウン/一尉/管理局所属執務官』
その階級証を見ただけで、キィナは膝を着きたくなった。
えぇ? 君がハラオウン執務官!? と、キィナは今すぐ声をかけたくもなったが、ぐっと飲み込む。フェイトは不思議そうに彼女を見ていたが、キィナは思わず視線を逸らした。色々と情けなくて。
「あー、そろそろいいかな?」
目の前にいる男性は困ったように笑っていた。フェイトもキィナも、二人揃ってシャンと背筋を伸ばす。
「今回、君たちを招集したジョン・オールドマン准将だ。よろしく頼む。まぁ正確にはジョン・ドゥ・オールドマンなのだがね」
ジョン・ドゥ・オールドマン准将。
その名は、フェイトもキィナも聞き覚えがある名前だった。三十歳という若さで、時空管理局の上層部の委員となった若き天才。それと同時に、上層部の中でもかなりの変わり者という噂もあった。
彼は上層部の人間とは――いやキィナやフェイトの彼に対する印象は、与えられた「准将」という階級には似合わないような人懐っこい雰囲気を感じさせた。
「君たちの上司に〝お願い〟をして、この場に来て貰ったのは言うまでもないだろうがね。まぁ適当に座わってくれないかな?」
こちらが座っていて君たちを立たせるのは申し訳ないと、肩をすくませながら、オールドマン准将は立ち上がると、部屋の隅に対面するよう並べられた簡素なソファへ移動した。机の上には人数分のティーカップに湯気立つコーヒーが注がれた状態で置かれている。
「コーヒーでよかったかな?」
ソファに音もなく座ると、彼は一口コーヒーに口を付けてから、呆然と立っている二人に首を傾げた。二人が来る時間も指定していないのに、あらかじめ用意していたのだろうか?フェイトもキィナも、准将の行動に呆気を取られながら頷いた。
「まぁ趣味で置いてるものだ。砂糖もミルクもあるから、好きに使ってくれ」
それを聞きながら、二人はコーヒーに口を付けた。美味しい。熱さも後味も引き立てのコーヒーの香りがした。二人から漂っていた緊張感は、ほどけたようだった。オールドマン准将は満足そうにコーヒーを煽ってから、鋭い目付きに変わった。
「では、さっそくだが本題に入らせて貰うよ」
彼がそう呟くと、小型端末を起動させた。准将とフェイト、キィナを隔てるように、空中に幾つもモニターが表示されて行く。
「先日、管理局地上本部に所属するアーマン・ブリッツ二佐が自身の執務室で自殺をしたという案件。君たちは聞き覚えがあるだろう?」
フェイトもキィナも、落ち付いた様子で彼からの問いに頷いた。
「もうその案件は、管理局上層部が自殺と断定して捜査を終えたのでは?」
キィナの言葉に、オールドマン准将は「いや」と首を横に振った。
「この事件は、調査をたった三日間だけして、打ち切られた。それも内密に上層部の対処がされて。早すぎると思わないか?」
彼は身を乗り出して、低い声と疑問に満ちた瞳でフェイトを見た。色白い肌で、碧眼の瞳が余計に冴えて見えた。
「ハラオウン執務官。君はこの事件は自殺じゃないという可能性を示唆していたな?」
フェイトははっきりと自分がこの場に呼ばれたことを理解していた。
アーマン・ブリッツ二佐の自殺事件は、自分が調査をしていたのだから。オールドマン准将は、空中に浮かんだモニターの一つを操作し、自分の前で拡大する。
「君の報告書を読ませてもらったよ。実に観察眼があるか伺えるものだった」
フェイトの報告書が写ったモニター越しに、准将は微笑んだ。
「首の傷。縄のくくり方。そして現場の状況。事細かく詳細が――いや、執着があるようなまでに、記されている」
オールドマンの言葉に、フェイトの肩が僅かに震えた。
「だが、捜査は打ち切られた。アーマン・ブリッツ。彼は管理局では上層部の人間の一人ではあったが――ハオラウン執務官。君にとって彼は、また特別な存在だったのだろうな」
准将は物思いに更けるように僅かに目を伏せていた。アーマン・ブリッツという人物は、上層部にも深く関わっていた人物であった。
「彼は元々、管理局が支援していた自然保護を目的とした新エネルギー開発事業部の室長を勤めていた。そして彼は、その仕事を突然辞め、新転換エネルギー技術を管理局に持ち込み、名前だけ立派な二佐という地位を得た。その技術は既存の大型魔導砲であるアルカンシェルの改良や、管理局の大型動力源と、多くの功績を治めている」
オールドマン准将は、フェイトの報告書とは別のモニターを表示すると、キィナとフェイトに見えるよう見せる。
「その仕事を辞めた年のことだったな。彼が担当していた新型の魔力動力炉が暴走を引き起こし、多大な被害を出した。それは――プレシア・テスタロッサ。テスタロッサ執務官、つまり君のお母さんを巻き込んでしまった事故だった。違うかい?」
キィナは、正直に言えばオールドマン准将が話している内容が理解できずにいた。確かに、キィナも隣に座るフェイト・T・ハラオウン執務官は犯罪履歴を持っていることを知っている。だが、今オールドマン准将が話している内容が、どうフェイトに繋がるか、いまいち掴めない。
「あの事故で、母さん――プレシア・テスタロッサを含めて多くの人が被害に遇いました」
フェイトの言い分に、オールドマン准将は深く椅子に座り込み、顎をさすりながら頷く。
「恨みを向けられても、仕方がない…か」
暗殺。
その単語がフェイトの頭から離れない。だから事細かく、彼女は現場を調べた。自殺としか思えない物証しかない現場を。フェイトは目を僅かに伏せた。
アーマン・ブリッツ二等佐が潔白な管理局の人間なら、自分はここまで、この案件には執着していなかっただろう。
だが、彼が自分の母を――プレシア・テスタロッサを狂わせた事故に関わっていたと知ったとき、フェイトは、得もいわれぬ感覚に捕らわれていた。母を狂わせた事件から逃れるように管理局に下ったアーマン・ブリッツという人物が、自ら自殺するとは、フェイトには考えられなかった。
「准将。あの…いいですか?」
ふと、キィナが遠慮気味に手を上げる。オールドマン准将は無言の了解を返すと、キィナは改まって准将に首をかしげた。
「何故、私とテスタロッサ執務官が呼ばれたのですか?」
「君たちには、この事件の調査をお願いしたいんだ。ただ、これは命令ではなく、あくまで私個人からの頼みだ」
オールドマン准将は静かにそう言った。キィナとフェイトは思わず顔を見合わせる。
「私たちが、ですか?」キィナが繰り返すように言うと、准将は頷きながら、二人に向かって身を乗り出した。
「ナズミ執務官、君の上司であるトレイルと私は、旧知の仲でね。彼が君を推薦したんだ。そして、テスタロッサ執務官は、この案件に深く関わっている。私は、上層部の底辺にいる者だが、やはり動きは異常だ。まるで何かを隠そうとしているような…」
上層部に入って間もないオールドマン准将には、事の異常さを肌で感じていた。幹部の人間の警戒心は、今までとは比べ物にならないほど緊迫している。
「アーマン・ブリッツが関わっていた事故が、ですか?」
断片的にしか事態を把握していないキィナの言葉を、オールドマン准将は首を横に振って否定する。
「いや、もっと管理局が、恐れていることだ」
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