ミッドチルダ。
首都クラナガンから遠く離れた場所に、暗雲が立ち込める独特の雰囲気に包まれた郊外地帯がある。
そこは旧世代の墓場。
古代ベルカ時代を含めた有史以前、錆ついた戦乱の傷跡が残り、今でもこの世界に古の戦いを語り継いでいる孤高の空間。
その地域に立ち込め続ける暗雲は、旧世代の遺跡であり、古代ベルカ時代に兵器として運用された魔法駆動炉から排出され続ける汚染魔法物質が原因だ。
その区域一帯は、時空管理局と並んで、次元世界に多大な影響力を誇る【聖王教会】が管理しており、まき散らされ続ける未知の魔法物質の影響もあってか、一般市民の居住、管理局の立ち入りすら、原則禁止されている。
その遺跡群の最深部にあたる場所。管理する聖王教会の人間すら踏み込んだことのない場所で、黒いケープを纏った者がいた。
【ダイン・シーファ】。
いつからか、彼はそう呼ばれる存在だった。
【絶望】と【希望】の意を併せ持つ彼の名は、歴史の表舞台には一切現れない。
けれど、その存在は古く、古代ベルカよりも遥か昔からあった。
彼は第三者の側に居る【選定者】。古から、魔法と人間の天秤を司る存在。
「魔法」と「人間」の均衡は、実に近く、そして遠く、決して【等しくならない】ものだ。
魔法とは、この世界――いや、認知する存在すべてに介在する概念そのもの。
認知できるすべてに【奇跡】というものがあり、人間がそれを語るには、あまりにも手に余るものであり、不釣り合いなものでもあった。人は手に入らぬそれに焦れ、恐れ、そして奉った。忌み嫌われる対象としても意味を成し、宗教的な崇拝の対象としても意味を成していた。
「魔法」と言うものは、「奇跡」と等しくない。
魔法と言う概念がある前提に、奇跡と言う言葉がある――はずだった。
時代が大きく進むに連れて、人は進化し、文明はその進化によって大きく変わっていった。古代ベルカや、過去に消えていった文明。
そして、今この世界における「文明」が手にした「魔法」。奇跡や神秘として敬っていたものが一転し、人は魔法に「根拠」や「証明」、「理由」という鎖を繋ぎ始めた。
人間は、愚かにも手に入るはずの無かったものを手にしようと足掻いているのだ。
その先に待つ、結末も知らずに――。
「上層部の一人が、嗅ぎまわっているようだね」
ダイン・シーファはドーム型の遺跡の中で、崩れた天井から覗く暗雲の空を見上げた。
その空は、この「世界」の行く先を、ほんの僅かに暗示しているような、そんな気を感じさせるものだった。
彼から少し離れた場所に立つ、同じ真っ黒なケープを身にまとう「影」が、礼儀正しく頷いて返した。
真っ黒な風体に似合わない「影」の赤い瞳は、ギラギラと冴えわたっている。だが、その冴えとは裏腹に、その瞳には全く熱が感じられない。
「はい、彼は上層部の人間だったので、やはり不信感を持つ人間もいるのでしょう」
単調に答える「影」は、まるで死人のようだった。人間の形をしているが、人間らしい生気はどこにも感じられない。金属で作られた機械を目の前にしているような冷たさがあった。
――「影」をこういう風体にしたのも、まぎれもなく「人間」だ。
「――そんな風に体裁や、形で物事を決めつけるのは、自分で考えていない事と同じだ よ。もっと物事を素直に見れなきゃならないな」
ダイン・シーファは柔らかな口調で「影」を論した。「影」は決められた動作に従うようにダイン・シーファへ一礼し詫びた。
ダイン・シーファは「影」の師だ。
しかし、彼を従えているわけではない。「影」を使うのは人間である【彼ら】だ。「機械」にかろうじての命を吹き込むため、その「教育」をする為だけに、ダイン・シーファと「影」は「師弟関係」にあった。
「アーマン・ブリッツは、持ち込んだ【利益】に似合った席に座っていた人間に過ぎない。そんな彼を嗅ぎまわっているということは、調べている人間の目的はアーマンが持ち込んだ【利益】だろう。管理局の知るべきではない闇。これを公に出すにはまだ早すぎる」
彼の死は、表立って騒がれたところでそう問題は無かった。それよりも【彼ら】が恐れているのは、アーマンが管理局にもたらした【利益】そのものが流出することだった。それが公になれば、【彼ら】が今まで行っていたことが全て無駄になる。
「では、ジョン・ドゥ・オールドマンも抹殺対象に?」
そう質問する「影」に、ダイン・シーファは首を小さく横に振って答える。
「【彼ら】は、そんな愚かな賭けはしないさ。ただ、目指すゴールを消してしまえばいい」
嗅ぎまわっている人間が目標とするのは、【利益】の真相だ。ならば、その【利益】に繋がる道を、すべて絶てばいい。その答えは人間らしく、酷く単純で、合理的だった。
「それが【彼ら】が指定した、次の掃除対象だ」
ダイン・シーファは、【彼ら】から預かった資料を、「影」へと渡す。
データやマイクロチップではなく、紙としてのデータだ。なんでも電子化するこの世界の中、機密を保持したいならば、この方法が一番安全だからだ。見終われば、焼却処分すればいい。
「――マスター。対象と接触した場合、目撃者が居たとしたら、その場合の処理は俺に一任させてもらっても構いませんか?」
ふと、ダイン・シーファは資料に目を通す「影」を見た。
そう問いてきた「影」の瞳には、先ほどとは違い、燃え盛る様な熱があった。しかし、生気の熱ではない。
もっと深く、黒いもの。
――憎悪、という例えが一番似合っている。
「――いいだろう。それが君の選択だというなら、私は止めはしない」
〝それが正しい結果をもたらすか、否か〟。
ダイン・シーファには、それを見定める必要があった。
彼は選定者だが、同時にそのバランスを操作する権限も持つ存在。
「魔法」と「人間」。この二つが平等に値するか。
平等となったその先に待つ、どの文明もが辿り――彼と約束を誓った、あの〝三人の王〟すら、躱すことが出来なかった運命を、変えれる可能性があるか、否か。まだ、その答えを出すつもりはない。
「ただ、忘れるな。互いに向け合った剣を、納める方法もあると言うことを――な。」
ダインシーファは「影」へ、それだけを伝えると、闇の中へと消えていった。
「ご期待には応えますよ…必ず!」
誰も居なくなった遺跡の中で、「影」は赤い瞳を輝かせ、歓喜するようにそう呟いた。役割を終えた資料を燃やす。その焔の中には、「フェイト・T・ハラオウン」という名だけが、はっきりと見えていた。
****
フェイト達が所属する管理局地上本部には、共有ネットワークに保存されているデータバンクに加えて、事件の捜査資料や、議事録、執務官個人単位で事件に関わったデータやファイルが保管されている巨大な資料室がある。
一般局員たちには解放されていないその資料室は、執務官専用だ。
昨日の、オールドマン准将「個人」から依頼された案件の為、キィナとフェイトは朝からこの資料室に立てこもり、あらゆる資料を遡っていた。
「けどこれ、正規の捜査じゃないんだよねぇ」
この資料室の配置は、前半分が資料を閲覧するための端末が並べられており、後ろ半分は電子書籍化されたファイルやデータが保管されている保管棚が交互に並んだ内装だ。
ストローの刺さった栄養ドリンクを、行儀悪く音を立てながらすするキィナは、にらめっこしていた端末のモニターから顔を上げて、うんざりした様子で天を仰いだ。
「現場は何度も調べ上げましたが、他殺である可能性はどこにも…」
キィナの反対側で資料とモニターを交互に見ているフェイトも、少しだけ疲れたように、頷いた。二人とも、もう六時間も資料と格闘している。フェイトは涼しい顔をしているが、キィナはモニターの資料を見すぎて、目元が重たそうに伏せ気味だった。
「個人」で依頼されたとは言え、相手は上層部の人間の一人だ。その影響力は計り知れない。
現にキィナもフェイトも自分たちが受け持っていた任務や仕事を全て後回しにしろと、それぞれの上司から言い付けられていた。おそらく、オールドマン准将が何かしらの根回しを着けているのだろう。当然、仕事がなくなった二人の選択肢は、准将の依頼を徹底的に調べるしかない。それも、あくまで極秘に、だ。
「個人的な話に巻き込まれるなんて、いい迷惑だよ」と、キィナは膨大な資料の束を虚ろな目で追いかけながら愚痴を思わず溢した。その背中から漂うオーラには、昨日のような先輩らしさが消え去っている。
「頑張りましょう」と、フェイトに励まして貰いながら資料室にはキーボードを叩く音と、資料をめくる音が響くだけ。
「フェイトちゃんは良かったの? こういっちゃあれだけど、付き合わされて」
手持ちの資料を読むキィナは、同じく資料に目を通しているフェイトにそう問いかけた。途端、フェイトの資料を調べる手が止まる。
「――私も、この事件には不信感を持っていましたし、真相が知りたくないかと聞かれたら知りたいですから。それに…私の上司も気にしていないようですから…」
そう答えるフェイトの声色は、今までのそれとは違っていたようにも感じた。彼女の声に張り付く重み。キィナが、それを理解するにはそう時間は掛からなかった。
この【執務官】と呼ばれる役職は、言い換えれば【エリート】と呼ばれる魔導士の総称。優秀な人間、優秀な経歴を持つ者が多い、この役職には、当然複雑な上下関係も介在している。
そんな中での彼女の立ち位置は、まさに劣勢そのものだ。
なにせ彼女は、彼の有名な「P・T事件」の重要人物なのだから。
あの事件が公の場で裁かれた以上、彼女の名を知らない執務官の方が少ないほどだ。キィナの上司にあたるトレイルは、フェイトの執務官としての能力を高く評価している。そんな人間も確かにいるが、彼女の過去に目くじらを立てる人間がいるのも、事実だ。
「自信持ちなって。君が思ってるほど、君の価値はそれ以上の大きなモノなんだからさ」
あっけらかんとそう言って捨てたキィナに、フェイトは一度、驚いたように目を見張った。
「キィナさんは、気にしないのですか? 私がその…前科持ちだということ」
「気にしないというか、それがどうしたの? と私は思うよ?」
少しオドオドしくそう言ったフェイトの言葉に、キィナは即答で返した。彼女の過去、彼女が背負う業、当事者から見た「P・T」の真相とその結末。資料室で書類を読み解く合間に、キィナがおぼろげに解りはじめた、本当の彼女の姿。
「人の過去なんて気にしたって仕様がないし、私は過去じゃなくて、今のフェイトちゃんしか知らないんだからさ」
確かに、自分が知る人間の払拭しようのない過去を知ったら、態度や見る目を変えてしまう人間もいるだろう。それが間違っているとも、正しいとも思うが、キィナ自身、それは勿体無いものだと考えていた。【過去】の出来事は風化しない、無くなることもない。
しかし、【過去】は【過去】だ。
その人間が【今】を立派に生きている。自分が知るのは【今】のフェイトだ。過去の彼女の話や成り行きなど、キィナにとったら取るに足らない話だ。
「あ、そうだ。フェイトちゃん、アーマン二佐の個人の端末のデータは閲覧したの?」
ふと、キィナは思い出したようにフェイトに問い掛けた。現場を再三調べたフェイトなら、すでにアクセスしているだろうが、確認しておきたいことがある。
「あ、は、はい。けれど特に変わった点はありませんでしたし、すぐに上層部のプロテクトが掛かってしまって…」
「デバッグコードからは?」
「デバッグコード?」
キィナの言葉に、フェイトは首をかしげた。
「ああ、やっぱり。コレってあんまり知られてないんだねー」
キィナは自分が使っていた席から立ち上がると、フェイトのパソコンのキーボードを彼女の横から割り込むような体制になって叩き出した。
「これは、トレイル室長から教わったことで、あまり使うなって釘打たれてることなんだけどね。フェイトちゃんには、特別に教えちゃうよー」
話ながら、キィナのキーボードを打つ速度は変わらない。フェイトがよく知るエイミィと同じ――とは言わないが、それでも彼女の手さばきは見事なものだ。
「それに。もともと、これは非合法な捜査なんだし。行くなら行くで、ワイルドでクールな、アウトローな感じで洒落込みましょうか」
虚ろな目に加えて、キィナはニヤリと口元を吊り上げる。
完全に悪いことをする顔だと、横顔を眺めていたフェイトは内心で思った。
「電子共有化されたデータバンクっていうのは、誰でも閲覧できて、誰でも共有できるっていう自由度が利点なんだけど、それって秘密にしたいデータとかも、誤って共有できてしまう欠点もあるの」
機密情報の漏洩のリスクが高まる。それは管理局が推進する情報の共有化の裏に隠されているデメリットだ。個人情報や機密事項。秘密にしたい物ほど、垂れ流しになってしまう。
「だから、最近の汚職だとかなんだとか、簡単に分っちゃう。ペーパーデータなら、自分の都合の良いように改変できたとしても、電子化されているなら話は別。一度記録したデータ。流してしまった情報。すべてがありのまま、共有化されたデータの海に蓄積されていくの。その積もった情報が詰まった端末を、あるデバッグコードで初期状態に戻しちゃえば、初期化と同時に、端末自体がシリアルパスとかで厳重に保持していたデータを垂れ流しちゃうバグが発生するって訳」
瞬く間の内に、アーマン・ブリッツの個人データのファイルをデバッグしたキィナは、フェイトに満足そうに頷く。
「これ、資料作成ソフトからの設計バクだって、トレイル室長からは聞いたんだけど、あまり表立ってやっちゃだめだよ? ソフトからの見直しがバレたら、管理局全体対象ってなっちゃうからね。今からソフト取り替えなんて、何徹しなきゃならなくなるか…」
「わ、わかりました」
バグを利用した情報の抜き取り。アウトローなこととは無縁だったフェイトには、無かった知識だ。キィナの笑みに、フェイトは頷きながら答える。デバッグされたアーマンの個人データから、次々とプロテクトが外れたデータが溢れでてきた。
「ほらほら、きたきたきた!」
会議の議事録、更にはアーマン二佐のスケジュール、更には個人の写真や情報まで、彼という人物の事情すべてがモニターに表示されていく。
「じゃ、一緒に調べていこっか。旅は道づれってね」
「はい!」
その表示されたファイルやデータを、フェイトとキィナは仕分けていった。彼が関わった事件や事故の資料。その資料の中で、一つ異様なデータがあった。仕分けていたキィナのキーボードを叩く手が止まる。
「フェイトちゃん…これって…」
キィナの言葉に答えず、フェイトは黙ったままモニター画面を食い入るように見つめている。
そのファイルに纏められていた資料は――魔力炉暴走事故の物だった。
事件の内容からその後の裁判、そして、事故の最もの被害者であるプレシア・テスタロッサの辿った足取りまでが、資料として一つのファイルに纏められていた。
「キィナさん。私は今、現場からの確証的な証拠も何も見つけていないです。けど、もし…この件に魔力動力炉の暴走事故が関わっているとしたら…もし、これが単なる自殺じゃなかったら…?」
フェイトは、執務官専用の制服の内ポケットから、メモ帳を取り出した。執務官になってから、ずっと調べていた。クローンとして作られたが、自分の母が、何故ああなってしまったのか。それを知るために、ずっと調べていた。
「調べてみる価値は…ある」
資料を見て、若き二人の執務官はゴクリと息を飲んだ。フェイトのメモ帳にも、今二人が見ているアーマン・ブリッツの資料にもある名前。
【ケイマン・パラメーラ】。
暴走事故が引き起こされた原因。彼は管理局から派遣され、魔力炉を未完成のまま起動させた――張本人だった。
――NEXT