「JS事件」から三ヶ月後。
私が「あの冬の日」の事件を調べ始めてから、もう一ヶ月が経とうとしていた。
業務の合間を縫って、事件の内容を調べているのだけれど、はやての知り合いで知り合った管理局の広報部の人からの情報で、事件の内容は進展を見せ始めていた。
当時の事件監理官に当たったレジアス・ゲイツの命令で、事件の内容のほとんどが、公表されずに 揉み消されていたというのだ。あの事件で死亡した魔導師たちの情報も、表側は反管理局勢力からの武力介入による殉職としか無く、それ以上の情報は伏せられていた。
その時、殉職した魔導師の遺族からの問い合わせに応じていたのが、この情報を流してくれた広報部の人だったらしい。遺族にすらも内容は隠蔽され、広報部の人も、湾曲された情報しか伝えられず、ずっと後悔と申し訳なさを感じ続けていたのかもしれない。
しかし、何故管理局は「あの事件」の内容を隠蔽しようとしたのだろうか?
ロストロギア級の魔道具が使われていると言うのに、管理局にとってこの事件は隠さなければならないないほどの何かがあったのだろうか。
「なのは」
「ひゃあ!?」
いきなり後ろから声を掛けられて、私は思わず変な声をあげてしまった。
場所は管理局の資料室。滅多に人が来ない場所であるのもあってか、長テーブルに資料を広げ、私はかなり集中してしまっていたらしい。
振り返ると、訓練用のウェア姿のヴィータが、怪訝そうな表情でこちらを眺めていた。
「あー、新しい新人の教導してんだけど、なんだったら見に来ないかって…」
「あ、あぁ。そうなんだ。わかった、ヴィータちゃん。すぐにいくよ」
私はそういうと、資料をバサバサと適当に纏めてファイルへと納めていった。少し距離を置いた所に立っているヴィータが、テーブルを占領していた資料の一枚を手にとった。
「――なのは。お前、調べてんのか?八年前の事件」
「うん」
資料を眺めながらそう言ったヴィータの言葉に、私も短く答えた。
「そんときは、なのはも怪我でそれどころじゃなかったじゃねぇか。今更調べてどうすんだよ」
ヴィータが資料を机に置いた。私の資料を片付ける手も、それと同じくして止まっていた。
「――なんとなく」
自然と、そう言葉が出た。
なんとなく、知らなきゃいけない気がする、と。
「自分でも可笑しいのはわかっているんだけど、でも、こうやって八年前の事件が私の目の前にある。これって、何か特別な意味があるんじゃないかって」
私は、ヴィータの眼を見据えて、はっきりとそう言った。
数秒の沈黙の後、ヴィータはあきれたように息を吐いて、ほほを指で掻いていた。
「なのは、お前に聞かせたい話がある」
そう言うと、ヴィータは長テーブルへ、トンと小さく飛んで、腰を乗せた。
思いがけない言葉に、私は戸惑う。そんな私を気にせず、ヴィータは淡々と言葉を続けた。
「アタシは、これを言ったらなのはは自分を責めちまうと思ったから。ずっと胸に秘めておこうと決めていた」
そして、ヴィータは私の眼を見た。
「けど、あの日の出来事が、今こうやって、なのはの目の前に現れてるんだ。あの日の記憶が、何の意味を持ってるのか、アタシにはわかんねぇ」
不意に、私の体に力が入った。
「けど、話さなきゃならない。あの冬の日の出来事を」
****
あの日、なのはに付き添ったままアタシは、クラナガンにある救急医療センターに入った。
時空管理局ミッドチルダ地上本部に隣接した救急医療センターへ、空戦魔導師に護衛される形でアタシとなのはを乗せた輸送ヘリが着陸した。応急措置はしたとはいえ、重傷であるなのはは、ホントに一刻を争うような状態だったらしい。
なのは以外にも奇襲で怪我をした魔導師はいたけど、輸送用ランプドアが開かれた瞬間、担架を構えた医療スタッフがすぐに、なのはを運び出した。そして、そのまま一直線に緊急処置室へと運び込まれて行く。同乗していた何人かの魔導師たちも、状況説明のため、医療スタッフと同じようにヘリから降りていった。
重傷の連絡を、他エリアで演習に参加していたフェイトとかはやてに、リンディが取り合っていたが、アタシもかなり気が動転していて、それどころじゃなかった。オペ室に運び込まれるなのはを、ただ見ていることしかできなかった。
一番早く、病院に到着したのはフェイトだった。
フェイトが着いた時には、なのははもうオペ室だったから、面会できる状態じゃなかった。
あんな顔面蒼白なフェイトを見たのは、後にも先にもあの日だけだ。
そっから順にはやてとか、シグナム達が到着したんだけど、結局面会できるようになったのは、日付が変わる直前の時間だった。
「――意識は失っていますが、命に別状はありません」
数時間に渡る処置を終えて、ICU(処置室)から個室へと移ったなのはの前で、オペを担当した医師の言葉に、集まったメンバーはホッと胸を撫で下ろした様子だった。フェイトは、なのはを失うかもしれない恐怖から解放されたのか、シグナムとはやてに慰められる形で泣き崩れていた。
ちょうどその時だ。
病室の外で待機していた管理局の二人のスタッフが話をしていたのは。
――――現地へ急行したチームから、《サイファー隊壊滅》という連絡があったというのを。
****
なのはのひとまずの無事に、安堵する皆がいる病室からヴィータは一人離れていた。
深夜の病院は、当然消灯されていて、赤い赤色灯が廊下の床に反射して薄暗さを増させているように見えた。
――あの時。
不意打ちだったとはいえ、一瞬でもなのはを視界から外してしまった。
ガン!と壁を殴った音が廊下に反響した。そんなやり場の無い悔しさが、ヴィータの中にのし掛かる。
――クソ!何やってんだよ! そう何度も、あの時なのはが撃墜された時に、何もできなかった自分を罵った。無理をすることの多いなのはを守る為に、同じ隊に入って頑張ってきた。常になのはを視界に入れて戦ってたはずなのに。
奇襲だったとはいえ、襲いかかってきたあの魔導師達をほとんど潰し終えて、一瞬なのはから目を離した隙に、なのはは撃墜された。
守りきれなかった。
ヴィータの目の前には、漠然と横たわっていたのはそんな結果だけだった。手に持っていた自分の検査結果の紙をビリビリに破きながら、悔しくて、後悔しながら、深夜の暗闇に向かって叫んだ。
「チックショオォォォォ!!」
「――――うるさいぞ。そこのバカ。場所をわきまえろ」
その時だ。広い病院内を反響する自分の叫び声に乗ってくるように、真後ろから声が聞こえた。
それに反応して、自分でさえ驚くほどの速度で振り返ってみると、病室から出てきていた男が、不機嫌そうにヴィータを睨んでいた。それが、ヴィータとライリーが初めて交わした言葉だった。
「病院の中で騒ぐな。その前に何時だと思っている」
「おめぇは――――」
「――…ライリー・ボーンだ。お前らを運んだときヘリ護衛してただろ」
そう言われて、ヴィータは「あ!」と声を上げた。目の前にいる男は、確かにあの空域でなのはをヘリへ運び込んだ魔導師だった。不機嫌そうな顔をしたライリーが出てきた病室の名簿板には「グラハム・アーウィン」と名が入っていた。
ヴィータがその人物の事を知るのは後のことだ。そのままライリーは、少し離れた場所にある自販機に向った。ごそごそとポケットから取り出した コインを自販機へ放り込む。
「――――わりぃ」
「わかればいいんだよ、ちびっ子」
その切り返しにヴィータはイラついた。
誰がちびっ子だ!、と喉まで出かかったが缶コーヒーを買ったライリーが、向かいに設置されたソファーに座ってしまったから反論するタイミングを逃してしまった。
「…アンタも、あの場所に居たんだろ?その…怪我とか無くて良かったな」
「あぁ、まぁな」
ライリーはそう素っ気なく言うと、先ほど自販機で買ったもうひとつの缶コーヒーをヴィータへ放り渡した。
「うわっ、ととっ…」
いきなり投げられたから、なんとも不格好に缶コーヒーを受け取った。
ヴィータはライリーを睨んだが、そんなことを気にしない様子で既にフタを開けた缶コーヒーに口を付けていた。
毒気を抜かれたヴィータも見習うように缶コーヒーのプルタブを開けて口をつける。
そう言えば、なのはが運び込まれてから何も口にしてなかったな、アタシ。そんなことを思いながら、缶コーヒーから伝わる心地よい温もりとほのかな甘さが、心に染み込んでいくような感覚を覚えた。
そこから暫く沈黙が続いた。何も言わずに、明かりが灯っている自販機を眺め、コーヒーを飲むライリーに沈黙に耐えられなかったヴィータは声を掛けた。
「その――――ありがとな。なのはを、助けてくれて」
「――――…。」
その時のライリーは、ヴィータの言葉に何も答えなかった。
ただ、ヴィータがそう言った瞬間、ライリーの表情は少し強ばっていた。だが、ヴィータはそれに気付きもしない。そんな沈黙で、さっきまで沸き出すように溢れていた後悔と情けなさが、ヴィータの体にのし掛かってくるようだった。自然と、顔もすっかり地を向いてしまっているのが、ヴィータ自身わかった。
「…あたしが目を離さなきゃ、なのはも撃墜されずに済んだのによぉ」
気がついたら、そんな言葉が出ていた。
あの一瞬、なんでなのはから目を離した?
戦場での油断が何よりも危険だってのは分かっていた。
何やってんだ、あたしは。
輸送ヘリの中で、血だらけのなのはを見ているだけで、何もできなかった。
何が、ヴォルケンリッターの騎士だ。大切な友すら守れないのに。自分のせいで、なのはは。
「…そんなもん、俺も一緒だ」
いきなり返ってきた言葉に、ヴィータは思わず顔をあげた。
ライリーを見ると、自販機の明かりにうっすらと照らされている天井を見上げている。
その、見上げた横顔を見た瞬間、何故かヴィータの体が金縛りにあったように一瞬だけ固まった。
ライリーのその横顔は、生気が無くてまるで死人のような雰囲気を漂わせていたから。
「お前はまだいいじゃないか。大切な仲間を失っていないんだから」
――〝失っていないんだから。〟
感情が無い淡白な口調に、ヴィータは疑問を持った。
「お前も…誰かを?」
その問いに、ライリーは小さな笑みを浮かべながら応える。
その顔はどこか、何かを諦めているような顔にもヴィータには見えた。それはまるで――戦乱の中を永遠にさ迷い続けていた、昔の自分のような暗い面影と重なっていて。
「――俺の部隊の隊長は、片腕を切り落とされて現場生命を断たれ、現地に残った部隊は全滅」
他人事のような淡白な言い種。
「あの場所にいたサイファー隊で生き残ったのは、隊長と、お前らを護衛していた俺だけだ」
ライリーの言った言葉を理解した瞬間、体や表情が凍り付いたように縮むような電流が走った。諦めに似たような、天井を見上げたまま笑みを浮かべているライリーへ何か言葉を掛けようとするが、浮かぶ言葉の全てがすぐに萎えていってしまう。
「そんな目で見ないでくれよ。責めたくなるだろ?」
ただ絶句するヴィータに、ライリーは困ったような顔をしながらそう伝えた。
…頭の中じゃわかっているんだ。
血塗れのあの少女を、仲間の危機に直面して。
失うことが怖かっただろう。
守れなかったことが悔しかっただろう。
助けられて、どんなに安心しただろう。
〝そんなこと、わかっているのに。〟
ライリーは膝の上で組んだ手に、自分の頭を預けた。
****
「離せ!離してくれ!」
無我夢中だった。
制止してくる奴等の中には、知った顔も多く居たが、さっき援護したばかりの次元航行部隊の面子が何人かいた。
輸送ヘリが発着するエプロンで羽交い締めにされながら、ライリーは空の先にいる仲間の元へ向かおうと無我夢中だった。
「落ち着け、ライリー!今更行っても、もう!」
訓練生時代からの同期の空戦魔導師に羽交い締めされながら説得された。
だが頭では酷く冷静に聞き入れているのに、体がまったくそれを受け入れていなかった。
サイファー隊の壊滅の報を、わかっているのに、認めたくなかった。断固として。
「ふざけたこと言うなよ!サイファー隊の皆が!アーチャーが!やられるわけないだろ!?」
羽交い締めにしてくる魔導師たちをライリーは凄まじい剣幕で睨み付ける。
「きっとどこかで助けを待っているんだ!行かないと…俺が行かなくちゃ!」
その時、羽交い締めにされていた力が緩まったかと思ったら、顔に大きな衝撃が走った。振りほどこうとしていた体制から一気に崩れて、ライリーの体は発着のエプロンの上を転げた。
「聞き分けろ!ライリー・ボーン二尉!」
殴ったのは同期の空戦魔導師だった。訓練生をしごく教官として管理局に勤めている彼の手は、ゴツゴツしていた。おかげで殴られた頬が痛く、立ち上がれずにエプロンに寝転がっていた。
「救援隊が再編成され、サイファー隊が消息を絶ったエリアに向かっている。その連絡を待つしかないだろ」
同期の言葉が、耳に入ってくる。痛みで動けず、寝そべりながら空を仰いだ。
何故、あの時俺はアーチャーと共に残らなかった?
何故、あの時俺はすんなりとヘリの護衛に着いていた?
何故――俺だけが無事に生き残ったんだ?
焦燥感と、居なくなってしまった者に思う孤独と罪悪感が、胸の中にのし掛かっていた。
誰かが言った。
「お前のお陰で、重症を負った少女は助かったんだぞ」と。
聞こえはいいだろうが、一人の少女のために、いったい何人が犠牲になったんだろうか。
全員があの場に残っていれば、退却させるまでには行かなくとも、全滅は免れることができた筈だ。
どっちが正しかったのだろうか。
感情に流されなかったら、俺は、どちらを助けるべきだったのだろうか。
運び込まれ、処置室で治療を受けるグラハム隊長を待ちながら、ずっと考え続けていた。
――――お前達を、助けなければよかったんじゃないか?
****
そんな酷いことが、脳裏に張り付いて、頭の中に居座ってしまっている。
なんで俺は、重症の少女を助けた? なぜ俺は、あの時、現場に残らなかったのか?
血濡れの少女を見て、激昂に任せて、少女の周りに居た奴らを怒鳴り散らした。
――なにが「許せなかった」だ。
助けなければよかったなどと、思ってしまっている自分に、彼らを怒鳴る権利なんて無いじゃないか。目の前にいるヴィータを強く責める度胸もなく、けれども、仕方ないことなんだと、上手く納得できるほど大人でもない。
なんて醜く、ちっぽけな器なんだろうか。
それは、はっきりとライリー自身の中へと突き刺さった。
黙ったままのヴィータの手の甲が、紅く染まっている。
それは壁を殴った時に出来た傷跡。
だが、その傷に重なるように、ヴィータの心には黒い影が入り込んできた。取り繕るように無理に微笑むライリーの笑顔が、言葉が、すべて自分に対しての皮肉な言葉にも聞こえたように思えた。
「良かったじゃないか。お前の大切な仲間は…助かったんだから」
そのライリーの表情を見てヴィータは何も言えなくなってしまった。ライリーは立ち上がると、ヴィータを残して廊下を歩き出した。カツンカツンと、革靴の足音が反響しながら、どんどん遠くなっていく。そんなライリーの背中を何もできないで、ヴィータはただぼんやりと眺めていた。カチリ、カチリと、時計の音が静けさに包まれた院内に響く。自販機の明かりだけが、ヴィータを照らしていた。
ふと、ヴィータの足が、ライリーを追うように動き出した。
何かを言わなきゃならない。けど、言葉をかける気持ちが追いつかない。
そんなあやふやな思いだったが、追わなきゃならないとヴィータは感じた。
ライリーを追うようにしばらく歩いていると、個室病棟と大部屋病棟の中間地点にあるエレベーターホールに辿り着いた。
廊下とホールの境目に入った時、ヴィータの視界に、静寂の中、赤色灯に照らされた床を睨むように佇んでいるライリーを見つけた。
何かを言わなきゃ、そう声を掛けようとヴィータが一歩踏み出そうとしたとき。
「――――どれだけ感謝されようと、あの子達に罪はなくても。それでも、あの子達が死んで、お前が生きていたら良かったって思う俺は、酷いか? アーチャー…」
深夜の病棟で、ライリーは頭を垂れて一人、そう消えるような声で呟きながら、噛み殺せない嗚咽を堪えながら涙を流していた。
ヴィータは、その場から動けなくなった。足がまるで石のように固まってしまって、声すらあげれなくて。ただ、肩を震わすライリーを見て、自分自身の拭いきれない影が、あの古代ベルカの時代に感じた戦いの理不尽さをヴィータは、今更になって思い知るのだった。
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