暗黒大戦if。
キス描写および残酷描写ありますので注意。
ループ時代はこんなのもあったんじゃないかな的な話です。

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暗黒大戦if。
キス描写および残酷描写ありますので注意。
ボーイズ?ラブ?です。
ループ時代はこんなのもあったんじゃないかな的な話です。


世界はそれをボーイズラブと呼ぶんだぜ

死んでも死に切れない

    

    

     

    

 窯の圧倒的大多数は、テルミが口を割らされ情報を吐いた時点で大地の奥深くに埋まっているか、過去の黒き獣の出現地点と重なっていた。明らかに人工物でありながら、人が足を踏み入れられない場所に窯、シェオルの門は存在した。人の目に触れない秘跡。しかし、そのうちの幾つかは、地下にありながら雨ざらしの状態にあった。一度でも黒き獣が出現した場所は、窯から地上まで突き抜ける縦穴が出来ていたからだ。

「途方もない代物だな…」

 黒き獣の山のような巨体からすれば小さく感じるが、それでも百メートルは下らない地面に開いた穴は、地殻付近まで達している。窯から黒き獣が這い出した跡だ。風には高濃度の魔素が未だに混じっている。抜けるような青空の下で、茶色い大地にぽっかりと大穴が開いている光景は、遠近感を狂わせる。その穴の周囲にある灰色の人工物が模型のように小さく、人が芥子粒のように小さいなら、なおさら。

「そりゃあ理の外に近いモンだからよ」

 コンクリートでここだけは舗装された穴の淵に立つヴァルケンハインの独白に答えたのは、背後から歩いてきたテルミだった。

 振り返ったヴァルケンハインが風に吹かれる薄着のテルミに顔をしかめる。

「これでも外ではないのか」

 テルミの背後では、科学的な防護服に魔法を重ね掛けした魔法使いと科学者達がコードや機材を手に、世話しなく作業を行っている。比較的高所にある穴のため、周辺地域への魔素の拡散が激しいからだ。

「完全に外だったら倒せるわけねぇだろがよ」

「それも、そうか」

 クレーンで吊り上げた資材が魔法で打ち込まれ、穴の周りに封印施設がコンクリートで急ピッチで建造されるのをヴァルケンハインは苦々しげに見ている。穴に鋼鉄の蓋をした所で、黒き獣が現れれば一瞬で蒸発するのは目に見えている。

「テメェと同じ、理からちぃとばかし外れちまった厄介なバケモンてこった」

 テルミは穴よりずいぶん手前で止まると、大空から影を落とす頭上の蓋を見上げた。太陽を遮る巨大な構造物は、窯へ続く縦穴を塞ぐための蓋だ。魔素封じの赤い魔法陣が刻まれた丸い蓋は、ゆっくりと穴の真上へ移動していく。これが一番内側の蓋になるはずだ。

「あれがこれ以上人間喰ってぶくぶく太る前に潰さねぇとな」

「おい」

 ヴァルケンハインが声を掛けたのは、テルミが自分の横を通り抜け、穴の淵を囲う黄色い簡易柵にそって走り出したからだ。

 鋭い視線は淵よりさらに奥の土がむき出しになった壁を睨む。皆が顔を覆いボンベを背負う作業着姿のせいで、現場には二人以外の声はしない、はずだ。ヴァルケンハインの耳にもようやく悲鳴が届いた。

「事故か!」

 異変を察知したテルミは既に穴にせり出して設置された金属甲板を蹴って、地下へ続く鉄橋にたどり着いていた。

 紅白に塗り分けられたH字鉄構を組み合わせた鉄橋内部には、エレベーターシャフトが数百メートル下まで付設されている。

 テルミはシャフトを無視して、資材搬入のために中心付近まで突き出していた黄色いクレーンの細い首の先まで危なげなく走ると、降ろされていたワイヤーに飛び付いた。

「また無茶を」

 後を追ったヴァルケンハインの目の前でローブをひるがえしてテルミが穴に落ちて消える。ワイヤーと金属が擦れる音があっと言う間に遠ざかってた。

 追いつくために同じ様に甲板を蹴ったヴァルケンハインは、シャフトを支える鉄橋の外を垂直に駆け降りる道を選んだ。

 シャツとズボンの下で両脚と肩の筋肉が盛り上がり、一呼吸で柱を踏み加速する。人の身のまま自ら強制落下する人狼の長い髪が尾を引いて、重力を無視したように壁面を走る。

「もうちょいだな」

 手に持った金属フックがワイヤーと散らす火花をよけつつ、テルミは落ち向かう先を確認していた。上からガンガンと鉄橋を蹴るせわしない音がするが、事故の位置を音以外で察知したテルミの障害にはなり得ない。

 魔素のせいで活性化した地中の微生物が発するかび臭さが鼻につく風を受けて、フードが激しくはためき続け、日の光がテルミの顔を照らした。もうすぐワイヤーが終わる。

 すぐに凄まじい金属同士の衝突音がヴァルケンハインの耳にも聞こえた。

 視界の先では、テルミがワイヤーを離し宙を舞っている。だが様子がおかしい。体勢を崩し錐揉みしたテルミがワイヤーから飛んだにしては離れすぎた場所に着地した。縦穴の壁面がえぐれてできた足場は、作業が行われているらしく、テルミの周りにも器材が散乱している。

 良く見れば器材に見えたのは人だった。

「まずいな」

 加速を乗せた人狼が眼下の甲板に着地する。

 鉄橋から足場へ渡された鋼鉄のキャットウォークを根本から揺らすほどの衝撃を、全身で殺し切り甲板を凹ませながら、ヴァルケンハインがようやく追いつく。

 同じ高さになれば鼻に付くのはかび臭さではなく血臭だ。

「ただの事故ではないな」

 散乱した人間は人の形を留めていない。足場の奥にある自然のものらしい横穴から、放射線状に赤いパーツが散らばっている。あの穴から何が出てきたか、分からないわけがない。

「やはり残っていたか」

 黒き獣は活動を停止したが、各地には未だに黒き獣の《残滓》が残されていた。特に魔素が濃い地域では本体から剥がれ落ちた小さな分身達が生き残っている事が珍しくない。

 皮肉な事だが、この《残滓》が残っているがために、未だ脅威は去らず黒き獣は復活すると言うナインの主張が十聖の間で半信半疑ながら通っている。少なくとも、《残滓》を滅っするのにさえ手こずる人類には、イシャナからの救援は必須だ。

 ヴァルケンハインが拳を堅め見据える先で、ここからは小さく見える横穴の闇がうごめき、赤い脈動が明滅する。魔素がこごった化け物はずるりと穴から鈎爪の付いた脚を突き出した。

「でかいな…」

 前脚の先だけで人が通れる穴ほどある。犠牲者はこの脚に引き裂かれたのだろう。防護魔法程度では太刀打ちできまい。

「クソでけぇな」

 察知した魔素の変動からして大物だとは思っていたが、予想よりずいぶんと大型だ。穴に落とし蓋をしても、自力ではい上がりかねないサイズ。突き落とす程度では、この《残滓》を滅っするのは困難だ。

 突き出た黒い前脚を挟んで反対側に、ヴァルケンハインが着地したのを確認して、テルミが腰のナイフを抜いた。どう料理するか迷うテルミの足元まで、穴を広げて這い出そうとする《残滓》が砕いた頭ほどの岩が飛んで来る。

「削る他あるまい」

 キャットウォークを蹴ってヴァルケンハインも穴の方へ向かう。魔素を削り落として行けば弱体化するが、隙のない手数で攻めるのを得意とするヴァルケンハインとて、気が滅入るほど《残滓》は頑丈だ。

 まだ身動きが取れない《残滓》にテルミも規模の大きな術式を組みに掛かる。ヴァルケンハインが削る合間に、足止めや防御障壁を構築するのがテルミの役割だ。ツーマンセルを組むとき、火力が足りないテルミが、防御が足りないヴァルケンハインの補助として回る。

「大人しく散れ!」

 だが、テルミも戦えないわけではない。ヴァルケンハインがテルミの援護に回る必要はほぼ無く、何が相手だろうと背を任せ攻め手に徹するのがヴァルケンハインの常だった。

 それが二人に隙を生んだ。

 獣からしてみれば、手近にいた弱い方に食らい付いただけだ。テルミも見える範囲からの攻撃なら対処は造作もなかったはずだ。だが、攻撃は真下から来た。瞬間、弾き飛ばされ、反応が鈍る。対処も何もあったものではない。相手が大きすぎた。

「クソがっ!」

 地下空洞を静かに侵食し掘削した頭が、足場の岩を砕き丸呑みにしながらテルミに襲い掛かったのだ。轟音を立てて砕けた岩やテルミが弾き飛ばされる。残りの足場は獣が飲み下した。

 テルミがいた側の壁面には、足場が一切残らなかった。そっくり獣の頭に押し上げられ、なくなった。足場を失いながらも、落ちる岩を蹴り、体勢を立て直すテルミの姿がヴァルケンハインの目に映る。

 残った足場が傾き、キャットウォークが悲鳴を上げ、鉄骨がねじ曲がる中を人狼は走った。土埃と砂利が暴風雨のように肌に叩き付けられるが、現世の物ではヴァルケンハインは傷つかない。そんなものに構ってはいられない。

「テルミ!」

 ヴァルケンハインの目の前で、残りの足場が爆散した。穴を削っていた黒い前脚が周囲の壁を突き破り、土砂をまといながら振り上げられる。

 影に隠れ引き攣ったテルミの目が、真上にある《残滓》の、一抱えはありそうなぎょろりとした赤い目玉を捉らえた。

「冗談だろぉっ!」

 質量からは考えられない速度で振り下ろされた前脚が、土砂と共に落ちるテルミに叩き付けられた。

 まばゆい緑の光は開放した障壁。光に削られながらもテルミに覆いかぶさる爪。花火のように円錐形に血飛沫が広がり、獣が吠えた。ヴァルケンハインの耳にかすかにテルミの悲鳴が聞こえた。叩き落とされたテルミと大量の砕かれた土砂は爆風と共に穴の奥に消える。

 勝ち誇った獣の叫びを、ヴァルケンハインの咆哮が掻き消した。

 反響する遠吠えの中から、一匹の巨躯の瞬狼が姿を現す。

 振り返る間もなく《残滓》の首筋がごっそりと抉り取られ、次いで壁面に四肢を付き反転、左目と顔が爆散する。

「貴様ああああっ!」

 狼の口からほとばしった叫びが、かろうじて意識を保っていたテルミに届いた。皮肉げに笑おうとして、動くはずの頬肉がそこにないのを察する。ぐしゃぐしゃになった右半身だけで、テルミは戦う音が遠ざかるのを感じていた。

    

    

    

    

    

『テルミを派遣して正解だったわね』

 冷徹な女の声を受話器の向こうに聞きながらヴァルケンハインは臍を噛んだ。

 魔素に対する察知能力は、仲間内ではテルミが最も優れていると言っていい。

 対処法に関しても同様だ。

 ナインの判断でテルミが封印現場に来ていなければ、あれだけ大型の分身を見過ごしたまま作業が続行された可能性が高い。ヴァルケンハイン一人でも討伐はできるだろうが、人間への被害は今の比ではなかったはずだ。

「私はテルミの回収に向かう」

 分身の討伐による負傷はヴァルケンハインにも少なからずあったが、現場に窯近くまで潜行できる重装備が搬入されていない以上、魔素に耐性のある自分が向かう他ない。テルミとヴァルケンハイン。魔法なしに封じられていない窯に近づける者は二人をおいてなかった。

『連携も取れず飛び出した馬鹿の相手は疲れるわ。何のためにツーマンセル組ませたと思ってるのテルミは』

 チームプレイの何たるかなど言ったところで聞くわけがない。言い含めると言う体裁をとって命令することもできたが、ただ唯々諾々と従う人形では使えない。大規模火災を根こそぎ吹き飛ばし鎮火するダイナマイトのような、アレは奥の手なのだから。

 愚痴愚痴と今はいないテルミを罵るナインの話も半ばで、ヴァルケンハインは受話器を置いて通話を切った。静かになった緑色のテントの中は外から刺す日を遮り肌寒かった。

 簡易テントの外は凄まじい騒ぎだったか、ヴァルケンハインは無視をして茶色い革のバックパックを手に進む。ヴァルケンハインは救護には参加しない。ここで出来る自らの役目は既に終えている。

 作業員が荷物を手に駆け回り、防護服越しにも聞こえる声で指示を飛ばしあう。

 騒ぎは穴に近づくほど酷い。淵を囲っていた防護柵は撤去され、新しい鋼鉄の足場が二機のクレーンで降ろされている所だった。

 ヴァルケンハインはバックパックを背負うとおもむろに身を屈め、走り出した。先ほどの戦闘で使い物にならなくなった鉄橋を使うわけにもいかない。踏み切ると穴の上、十数メートルを難無く飛び、吊られた足場に移った。鉄板を足裏が打ったとは思えない硬質な音がした。衝撃に振り子の様に足場が左右に揺れる。

 慌てて作業を止めた二人の操縦者が運転席から飛び出すのをヴァルケンハインは仕種で押し止めた。防護服ではなく執事服を着て浅黒い肌をさらす男に二人が驚く。

 青い目が瞬かせ、無言のまま手を振り下降の合図を送ると、二人は合点がいったらしく運転席の姿を消す。揺れがおさまった足場は運転席横のウインチの回転と共に降下を始めた。

 無言のまま、ヴァルケンハインは手すりを掴んで深く暗い穴の中を見下ろす。

 先ほどの戦闘で穴の中は酷いありさまだ。噴き上げる魔素の風は死臭がする。

 横の壁を縦に走るエレベーターシャフトは斜めになり、途中でねじ切れている。穴をはい上がった《残滓》が身をくねらせた螺状紋に重なったシャフトは、アルミ箔と大差ない潰れ方をしていた。

 先に降りたときは感じなかった肌寒さに思わず腕を擦る。シャツは心配するのも愚かなほど既に埃とシワにまみれていた。着替え損ねたことを悔やむヴァルケンハインを余所に、足場は横穴があった高さまで下降し止まった。

 壁から突き出した無数の醜悪なオブジェは《残滓》の死骸だ。生き物らしからぬささくれだった断面が、魔素に還元され黒い霧を発生させながら拡散している。窯に近く魔素が濃いために、活動を停止しても肉体が消えるには時間がかかる。

 それらを無視して、ヴァルケンハインは新たにできた岩の足場に移った。

 この足場も、既に作業員でごった返している。正しくは、ここまでしか人間は降りてくることができないから、人が溜まっているだけだ。狭い足場は混んでいる。重装備の防護服の中を、何でもなようにヴァルケンハインは進む。

 ここから先は自力で降り進むしかない。降りてきた足場の敷設をする人ごみを奇異と畏怖の目線を浴びながら抜ける。

 ヴァルケンハインがほぼ垂直の岩壁を駆け下りるのを人間たちはただ見ていた。自分たちを救ったはずの男に、声をかける人間は誰もいなかった。

    

    

    

    

 そえ木のような物もないので、いまいち折れた手首が安定しない。熱をうったえる全身の傷は、今までになく急速に回復していく。けれどずれた関節やねじれた靭帯が勝手に元の場所に戻ってくれるほど、この器は便利にはできていないらしかった。

 テルミはずっと止まらないままの鼻血を何とか手を持ち上げぬぐった。焼け石に水の感があるが。座り込んだ床には血だまりができている。

 結局、一番底の窯まで落ちてしまったのだ。

 窯の影響で回復は早まるが、それ以上に叩きつけられた負傷が酷い。

「マジ止まんねぇし」

 どれだけ気を失っていたのか分からない。フードも髪もぐっしょりと血で濡れているのは、頭を打ったからだろうが記憶が無い。器に定着している以上、生身の負傷を無視することはできない。

 《残滓》から受けた傷は治りが遅く、鈍痛をうったえていた。落下した後の傷は表面的には塞がって大量出血だけは防げているが、粉砕された骨はまだ繋がっていない。指一本動かすのが億劫な有様で、息苦しさも一向にひかない。

 自力でなんとかできる域を超えた負傷で、よくもまぁ生きていられたものだと自画自賛する。

 いや。褒めるべき相手はレリウスなのだろう。頑丈な器を作れとは言ったが、ここまで実用一点張りな素体を作った腕前はテルミでも舌を巻く。知識だけでは如何ともし難い領域を行く天才なのだレリウスは。でなければ、テルミが人間に協力を仰ぐわけがない。

「迎えくんのか、これ……」

 思わず弱気な言葉が口をついた。

 自分でも生きているのに驚くようなへまだ。死んでいると判断されてもおかしくはない。そもそも、恨みだけはたっぷりと周囲から買っている身で、こんな時だけ都合よく助けてもらえるか、と言えばそれはないだろう。

 また途中で自分だけふりだしに戻るしかないのだろう。テルミが存在しなくても時間は終焉の時まで進む。世界の中心はあくまでジン=キサラギ。テルミはただの狂言回し。起点がいれば世界は繰り返す。自分だけがそこから抜け落ちてしまうだけで結末は同じだ。

「面倒くせぇ」

 死までの苦痛を長引かせる被虐趣味はないが、窯まで歩いて行って身投げするには脚が痛む。瓦礫の中から這い出すのに体力を使いすぎたのもある。窯から吹く風が傷口に当たるのさえ堪えた。どうせならば、押すだけでリセットできる装置でもあれば楽ができるのにとテルミは思わずにはいられなかった。

 次に目が覚めたら、歩くくらいの体力は回復しているだろう。それからでも、やり直すのは遅くない。息をせき止めた鼻血をもう一度ぬぐうと、テルミは霞んだままだった右目を閉じて瓦礫に背を預けた。

    

    

    

    

 どこまでも続く土の縦穴は、ほの暗い。けれど無明の闇ではない。おかしな話だが、底に近づくほど明るくなる。縦穴とは言っているが、黒き獣が這い出した穴は蛇行しており、一キロも下降すれば外からの光は届かなくなる。それでもなお、明るさを増していく。

「やっと見えたか」

 多少息を整えねばならない距離を己の脚で降りたヴァルケンハインの靴底が、土壁ではない床を踏んだ。付着していた土塊が靴から剥がれて飛び散る。床は平坦で人為的に加工された形跡があったが、それが人間による物かまでは、ヴァルケンハインの知るところではなかった。

 テルミを追って降りたのは窯のある地底だった。途中で引っかかっているのではと、人狼の目を凝らし血臭を鼻で追ったが、それらしいものは落ちていなかった。元の形を残していなくとも、ヴァルケンハインが見逃すはずがない。

 そしてその証拠は、ヴァルケンハインの目の前にあった。

 床の上には上層から落下した岩が山積しているが、その中に明らかに落下後に砕けたであろう一角があった。下から何かに破壊された跡。

 ゆっくりと床を鳴らしヴァルケンハインがそこに近づく。穴の広さと同じく、床が広がる広間は広大だ。窯はまだ奥にあるが、その奥からの光で照らされたここは明るい。

 岩を避け回り込み顔を覗きこませる。思わず顔をしかめた。崩れた岩の間から血の噴きだした跡がくっきりと残っている。血は乾いていない。テルミが押し潰された跡だと匂いから分かった。だがテルミはいない。

 ヴァルケンハインが来た方とは反対側に、引きずったような血の跡が続いている。窯の方だ。脚が使えなかったのだろう、血で押された手形が跡にそって右だけ点々と押されている。

 どうやら、しぶとくも死んでいなかったらしい。死んではいないだろうと高をくくってはいたが、これだけの出血でなお動けるとは思っていなかったヴァルケンハインは、なにか懐かしい、血腥い郷愁を感じて血の跡を追う。本当に殺す時はしっかりと頭を踏み砕くべきだろうか。

 疑問に答えられそうなものは、しばらく歩いた先にいた。この距離を這いずるのはずいぶん難儀しただろう。おかしな向きになった脚がだらんと床に伸びている。どこへやってしまったのか左手は見当たらない。頭から流れた血をぬぐうくらいはしたのか、はだけたフードと共に髪が後ろに撫で付けられている。

 テルミは満身創痍で、とても這いずる事ができたようには見えなかった。ヴァルケンハインが近づいても目を開けることもない。

 「生きているのか?」

 思わず近づいて確かめた切れ切れの吐息で、生きていると判断が付く程度だ。口の前にかざした手の平に当たるテルミの息は、暖かい。けれど、膝をついたヴァルケンハインの服に染み込んでいくテルミの血はもう冷たかった。

 鼻は固まった血で塞がれていて、口の端から血と唾液を垂らしながら、苦しそうに息をしている。気道を確保するためテルミの口に指を入れ中を掻きだすと、出てきたのは血と共に飲んだ土や砂利だった。

 意識がないにしても反応が鈍いテルミの、下がった顎を持ち上げる。

 気道が通りひゅぅと大きく息を吸う音がしてようやくテルミが目を開けた。

「……オッサンか」

 ぼんやりと右目だけで見返す。血で白目まで赤く染まった眼球では、まともに見えてはいまい。左目は、あるべき場所にない。

「マジ迎えにきたのかよ、夢じゃねぇよな」

 動く右手を伸ばしてテルミがヴァルケンハインの肩に触れた。確かめる握力は弱い。

「あ、マジだわ」

 ぱたりと腕が落ちる腕を途中でつかむ。真っ赤な手形だけが左肩に残った。

「呆れる頑丈さだな」

 首が座っておらず手を離すとがくりと顎が落ち、気道が塞がってテルミがむせる。仕方なく首に手を添えて顎を支えた。

 手袋越しにごろごろと異物が詰まった喉が鳴るのが分かる。自分で吐き出すこともできなくなった土砂だろう。

「ここまで来ると、いっそ死んでたほうが、マシな気がすんだろ?」

 生きているのか死んでいるのか、ぱっと見では分からない。流す血で広がり続ける血だまり。裂傷と打撲痕の鮮やかさと反比例して、灰色がかってさえいる肌。生理的な汗が、流血の間を縫って浮かんでいる。

「痛みは、感じていないのか」

 ヴァルケンハインがつかんだ腕は、手首がおかしなねじれ方をしているが、神経はつながっていて指が痙攣ではない動きをしている。まともな痛覚が残っていれば呻く程度では済まない。

「よくわかんねぇな」

 平熱を超えた高温が、手の平を熱くする。どこで炎症が起きているのか判別が難しい。全身がこの調子だ。血は止まっているが、顔面だけではなく頭部への負傷もあるだろう。

 テルミとはいえ、どこまで回復できるか想像がつかない。この男は不死者ではない。少なくとも、左腕はもう無理だ。

「んで、連れ帰んのか」

 言外に、もう戦えない自分を、と含ませてテルミが笑った。恐らくは笑いだ。

 痙攣した顔を睨みつける。

 回復が見込めないのは、テルミ本人が一番分かっているという事だろう。

「今だったら、確実に消せるぜ、俺を」

 つかまれた腕の指を横に引いて、首を掻く素振りをする。ここには二人しかいない。このまま首をへし折って窯に捨てれば、本当の意味でテルミを消せるかもしれない。

「殺してどうする」

「多少すっとすんじゃね」

 離した手を支える力もないくせに、真っ赤な口だけはよく回る。憎たらしい口だ。

「オッサンも俺が、憎くないわけじゃ、ねーだろ。猫とか、トモダチだったんじゃね?」

「私の前でトモノリの事まで引き合いに出して、随分と死に急ぎたいようだな」

 唸りが混じった声が出る。それを聞いて薄く笑うテルミが血塊で吐く。

「オッサンになら殺されてやっても、いいぜ」

 素直に助からないから殺せとさえ言えないのかこの男は。本当に気に食わない。ならば、私も素直に殺してやったりなど、しない。

「願い下げだ」

 ヴァルケンハインはテルミの鼻の固まった血を指で掻きだしにかかった。何事かと暴れようとするが、所詮は怪我人の抵抗だ。鼻の中は出血はしているが土は入っていなかった。両の鼻の穴が節くれだった指の太さにみしみしと悲鳴を上げる。

「なにすんだ、おい」

 不明瞭な声で抗議するが無視する。

 次に抜いた指をテルミの口に入れ、残りの砂利を丁寧に掻きだす。こうしないと舌を入れた時にこちらが唇を切ることになる。テルミがゆるく歯で噛んだり、舌で押し出そうとするが、できるわけもない。やはり残っていた血まみれの小石を床に投げ捨てた。

「あううあ」

「無理に喋るな」

 テルミの頭を掴んで上向きにした上で、横に向かせた。びしりと筋を違えた音がしたが、それは無理に抵抗した本人の責任だ。知ったことではない。

 口を大きく開けさせ、右の親指で舌を押さえつけて下顎ごと右手で握る。

 何をされるのか分かっていないテルミの目が、疑問符を浮かべている。その頭の方も左手で掴む。顎を外してしまったほうが楽なのだが、今のテルミの骨がそれに耐えれる保証はないので妥協するしかない。

「あ?」

 ちょうど目の前にテルミの大きく開けた口が来るようにしてから、喉を覗きこむ。思った通り、喉の奥に土が張り付いている。

「あー?」

「少し黙っていろ」

 気は進まないが、仕方がない。

 ヴァルケンハインはテルミの口に舌を差し入れた。というか、顔を突っ込んだ。

 あまりの事態にテルミの体がはねるが、先んじて右手を踏んで押さえた。

 ヴァルケンハインの人よりも長い舌が容赦なくテルミの喉を舐めとる。酷い血の味だ。さらに喉の奥を吸い上げにかかる。

 粘着質な音が自分の内側からするのはなかなかに耐え難いことだろう。所詮は他人ごとでしかないヴァルケンハインは、口を閉めて噛み付こうとするテルミの抵抗を両腕の力で固定して防ぐ。テルミの唇に髭が触れる。

 鼻でなんとか息をするテルミの唸りが耳元で聞こえる。その唸りに喉からせり上がって逆流した血やら唾液やらが混じってむせ始めたあたりで、やっとヴァルケンハインはテルミの喉から舌を離し顔を上げた。

 口の中いっぱいに溜まった物を床に吐き捨てる。べしゃりと鈍い音を立てたのは土と大量の唾液混じりの血。ヴァルケンハインは舌に残ったざらざらした残留物を、何度か唾液とともに吐き出す。随分と喉に詰まっていたようだ。

 あふれた血が垂れる鼻の中も、ついでに吸い出して吐き出してやる。鼻を吸う音がテルミの喉から聞こえるのは妙な気分だった。

「これで楽になっただろう」

 血を吐き出し、頭を元の位置に戻してやってから手を離すと、がちんとテルミの歯が噛みあわされる音がした。

 自分の顔に飛び散ったテルミの血をぬぐおうとして、もう手袋が血で湿っていて使いものにならない事に気づく。かろうじて白かった甲で髭に付いた血までふき、手袋を脱ぎ捨てた。

 意識がはっきりしないのか、テルミはまだぼんやりしている。これだけの出血で意識を保てている方がおかしいのだが。

「しっかりしろ」

 何度が右の頬を叩いてやると、自分で顔を上げた。息が通るようになって首が座ったのだろう。回復の兆候だ。

「なんかもうどうでもよくなった」

「何がだ?」

 何を言いたいのか、テルミの態度から察せないわけはないが。わざとらしく首を傾げる。

「オッサン、あれだ、どっかの組織にいたんだったよな」

 この男に過去を喋ったことはないが、どこかからか聞くなり、来歴を調べるなりしたのだろう。人狼という出自を辿るものが辿れば、隠し通すことは難しい。自分が何であるかなど、どう生きるかに比べれば些細な事だ。その程度知られても、どうということはない。

「ああそうだ」

「それでか」

 なにか勝手に納得して首を落とす。自分で口に残った唾液を吐き出すと、顔を上げた。

「考えんのが馬鹿みたいだからやめるわ」

 そのまま、こちらに倒れこんできたので支える。軽い肩の下で薄い胸が上下している。もう喉から不快な音はしなかった。

「そうか」

 生きているならば、連れ帰れらねばなるまい。死んでいても回収せねばなるまい。どうせならば戦力は多いに越したことはないのだから、生きている方がいい。多少欠けてはいるが、まあ問題はないだろう。

「帰るぞ」

 この小僧を担いで上がるのは、それほど難しい事ではない。降りるときに背に感じた言い知れぬ怖気に比べれば、軽いものだ。

「勝手にしろや」

    

    

    

    

 黒き獣が現れて以降急速に発達した技術の一つに、航空技術がある。

 地の底から現れる脅威に対して最も有効な手段は、とにかく遠くへ、できるだけ早く飛んで逃げることだったからだ。

 ほとんど揺れも感じさせずに垂直離陸する最新鋭の航空機が、重症の患者を乗せて飛び立つ。担架に縛り付けられているテルミは、横倒しのまま右耳で風の音を聞いた。

 えぐれた左目は元の場所におさめられたが、まだ見えず、内のまぶたを切っていた右目も、縫い合わせた後で動かないよう麻酔を射たれた。手足も強引にはめこまれたり、切開をしてずれを治されたが、どこまでも応急処置だ。

 まともな人間なら死んでいる傷なのだが、運悪く生き延びてしまった以上は、治療するしかない。結局左手は見つからなかったから、これから当分は難儀するだろう。

 やり直すつもりだったテルミを拾い上げたヴァルケンは、テルミの横に脚を組んで座っているようだ。気配だけで分かることなどその程度で、今どんな顔をしているだとかは分からない。

 ヴァルケンハインの思考を追うのは時に酷く難しい。戦っている時は分かりやすいのだ。だが、それ以外は、よくわからない。

 レリウスほどとち狂ってはいないが、突拍子もない行動を平気で取る男だ。紳士的なふりをしているだけなのは、テルミもよく知るところだった。

 この手の連中は、どうも苦手だ。

「オッサン」

「なんだ水か」

 違うと言う間もなく水差しが口に突っ込まれた。甲斐甲斐しいのか、空気が読めないのか、どっちか片方にしろやと思いながら温い水を飲み下す。多い。飲んでも飲んでも水が注がれる。途中で口に入れられたのが水差しではないと気づいた。ベルトで担架に固定された頭を振ってなんとか逃れようとすると、やっと馬鹿でかいだろうヤカンが口から離れた。

「殺す気か!」

「この程度で死ぬような玉か」

 残りの水を飲み干しているらしい音が頭上からするのが虚しく響く。

 ぼんやりと、間接キスだな、と思ったが疲れただけだ。繊細で優雅なつもりなのだろうが、所々で大雑把さと面倒くささと無神経さが露見している。

 本当に、この男に殺されようとした自分が馬鹿らしくなる。これに殺されていたかと思うと死んでも死にきれないどころか、次のループでも凹むに違いない。

 傷つきすぎて後遺症が残った器で生きるには、今の環境は厳しすぎる。だから、殺してくれとヴァルケンハインに乞うたのだ。

 理の外の者が理の外の者を殺せば、世界はやり直される。恐らくヴァルケンハインはそれを知らないだろうから、利用できる。

 だが、そんな考えは、回収しに来たヴァルケンハイン自身の行動で頭から飛んだ。緊急時の救助法か何かなのだろうが、されている方はたまったものではなかった。

 喉の奥で舌が這いまわってそこらを舐めまわす感覚は筆舌に尽くしがたい不快感だった。口の中にごわついた髭があるのもだ。

 長く生きてきたが、あんなものに遭遇したことはない。最終的に、早く終われ以外の考えが全部上書きされる程度には衝撃的な出来事だ。あと、他人に鼻の中身を吸われるのも。

 ため息をつくと、ヴァルケンハインが声をかけてくる、より先に口にまた何かをねじ込まれた。抗議の声も吸い尽くすような乾ききった何かが、容赦なく口の水分を奪う。

「食べておくといい、このままだと体力が先に尽きるぞテルミ」

 レーションだ。軍用の糞不味い上にやたらめったらパサパサで、水なしには飲み下せないレーションだ。むせるように抗議すると、再び口にヤカンが。

「水がないと飲めんだろう」

 新手の拷問だこれは。身動きも取れなければ目も見えない横たわった怪我人をじわじわ精神的にも肉体的にも傷めつける拷問だ。口のパサつきは無くなったが、飲まないと溺れそうな水が注ぎ込まれる。飲むしかない。

「貴様が助かるとは思っていなかった…」

 今まさに止めを刺そうとしている相手を無視して独白を始めるのはやめろ。さっきとは違うヤカンらしく、揺れて響く水音が重く絶望的な気分になる。

「私らしくもない。貴様の様な下郎が死んだところで、どうという事はないはずなのだがな」

 飲み下している間は鼻から息が吸えない。息を止めたまま水を飲み続けると、息苦しさに水を吸いそうになる。いっそ吸ってむせてしまえばヴァルケンハインも気づいて止めるだろうか、止めたらいいのに、こんな無様な死に様だけはどうあっても晒したくない。

「もう少し貴様と共に戦うのも悪くない」

 そろそろ息が限界に近づく。と、同時にヤカンが離れた。ヴァルケンハインが立ち上がったからだ。助かった。死なずに済んだ。

「貴様がどうかは知らんがな……」

 テルミを殺しかけたとも知らずヴァルケンハインの独白は続く。なんとか息を吸って飛びかけた意識をテルミが引き戻す間もずっと。

「おいそれと死んでくれるなよ」

「ぜっってぇ死なねぇよ」

 怨念さえこもったテルミの言葉に、気づきもしないヴァルケンは、テルミに見えないのをいいことに笑った。引きつったテルミの笑いは包帯の下に隠れていた。

 どうせならまっとうな殺し合いをして死ぬなり殺されるなりしようと、テルミは密かに誓ったが、ヴァルケンハインを前にしてはその誓いをまともに守れるかどうか、テルミは少しどころではなく不安だった。

    

    

    

    


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