フェイダン地方はテラスティア大陸の南端に存在する。
到来する冬の季節が強烈な冷気で人々を苦しめるのと引き換えに、夏は涼やかで適度な湿気もあり、北部のザルツ地方などと比較して過ごしやすい環境と言えよう。しかし、ケートレアの
「いけ―! そこだ、やっちまえ!!」
「腰が引けてんぞ、腰抜け! 気合入れろ、気合をよぉ!!」
喉を枯らさんばかりに大声を張り上げているのは、試合を見物に来た観客たちだ。
誰も彼もが席に座ることなく立ち上がり、声援やら野次やら知れぬ怒号を唾や汗と共に飛ばし続けている。
そんな歓声を受けて闘技場中央のグラウンドで戦っているのは、二人ともこの街ではそれなりに名の知られた重戦士だ。片方は《不浄領》が成立したころよりこの街に住む初老のドワーフ。もう片方は最近流れ着いてきた、若手のリルドラケン。
剣と剣がぶつかり合い、激しい金属同士の擦過音が響き渡る。その都度、観客たちの顔色は赤と青の間を行ったり来たりを繰り返し、あるいは拳を握り締めて振り回し、あるいは頭を抱えて悲鳴を上げる。
軽戦士や拳闘士の戦いもそれはそれで趣があるが、やはり一番盛り上がるのは、鎧に身を包んだ戦士同士のぶつかり合いだろう。
「隣、いいだろうか」
「ええ、構わないわよ」
そんな闘技場観客席の端で、気怠そうな目で試合を眺めているマーシィに横合いから話しかける存在がいた。
見上げれば、そこには似合わないロングスカートを履いたアムタイの姿がある。
「よく、観戦に来るのか?」
「いいえ、私は基本的に出場専門。今日は特別試合があるからって、誘われただけよ」
「そうなのか」
アムタイが隣の客席に腰を下ろす。成人前のマーシィと比較して、大柄なアムタイは頭一つ分飛び抜けていた。
入り口前の売店で買ったらしい林檎に齧り付きながら、ウィークリングの少女はじろじろと無遠慮な視線を、マーシィに送る。
「何かしら」
「いや、あの時はいきなり事件に巻き込まれたからな。こうして、お前のことをじっくり観察する暇が無かった」
「なら、改めて私を眺めてみた感想はどうかしら。美しすぎて目が眩みそう?」
「……自分の容姿に自信があるなら、何故、仮面を付けている?」
「え? だって、あまりにも眩すぎて見る人の目が灼けてしまったら大変じゃない」
「真顔で言い切るか」
きょとんとした顔を見せるマーシィに、アムタイは呆れ顔を見せた。
ケートレアの平穏を突如として破ったアンドロスコーピオンの侵攻から、三日。
多くの死傷者が出たにも関わらず、既に混乱は収まり、こうして闘技場の運営も通常通りに再開されている。
闘技場北部に穿たれた穴は昼夜を問わずに改修・補強作業中であり、冒険者たちが護衛について常に警戒している現状だ。
元々、この領で暮らしているのは地下に蛮族が生息していることを認知している者たちばかり。無論、家族や知人を失い哀しみに暮れる人たちも決して少なくはないが、それでも大半の住人は涙を払い、不屈の魂で元の生活に戻ろうとしている。
少なくとも表面上は、それまでと変わらぬ日々が続いていた。
「しかし、あの蠍たちの襲撃には驚いたぞ」
「街中に出てきたのは、この領でも初めてのことね。でも、領全体で見れば二、三年に一回のペースで地上に出てくるらしいわよ」
「そうなのか」
「ええ。今回が例外であって、基本的には人気のない山の中とか、荒れ地とかからひょっこり出てきて、そこに少しずつ陣地を築いて……気付いたときには結構な勢力になってて、慌てて撃退に向かうそうよ」
「地下に蛮族の勢力が存在するというのは、大変だな」
「そう、大変なの。地上に出てきた奴らを駆除した後はそこに監視所を作らないといけないしね。逆にこちらから攻め込むとき、そこが入り口になるのよ」
ケートレアの地下に広がる巨大工場は、〈
無闇に増改築を繰り返したのか内部は複雑に入り組んでおり、魔動機械たちも通れる巨大な通路と人間サイズしか通れない狭幅な細道が絡みあうように張り巡らされている。しかもそれが同じ階層同士を繋いでいるならまだしも、ほとんど気付かぬレベルの坂道になっており、知らず知らずのうちに上下階へ移動していた、なんてことすら普通に起こり得るのだ。
構造の把握は困難極まった。
それ故、冒険者たちの地下探索は十年以上の歳月が経過した今でも、遅々として進んでいない。
「地下探索に向かうときは、迷子にならないよう気を付けなさい。うっかり落とし穴に引っかかったら、仲間と合流するのに一週間はかかると言われてるわよ」
「それは……気を付けよう」
その時、わっと大歓声が上がった。
ドワーフの一撃が、リルドラケンの肩部に命中したのだ。たまらずたたらを踏んだリルドラケンを追撃し、ドワーフは容赦のない連撃を浴びせる。
苦しげな顔で呻くリルドラケンは、ついに武器を手放し、両手を上げた。降参の合図だ。
審判がドワーフの勝利を告げ、ドワーフは高らかに剣を掲げた。
「……これで終わりか? もっと、やれたように見えたが」
「ラディータの闘技場は、極力死人を出さないようルールを整備しているの。この領はあなたみたいなウィークリングのように、人族に協力する蛮族も多い。でも、蛮族ってほら、基本的に血の気が多いのばかりじゃない。だから、人族としては無駄に命が奪われないよう、細心の注意を払ってるわけ」
「しかし、どうにもフラストレーションが溜まってしょうがないぞ」
「なら、その怒りはアンドロスコーピオンや魔動機械たちにぶつけてちょうだい」
じろり、とマーシィはアムタイをジト目で見やる。
「初めて出会ったとき、あなた、ミナと喧嘩してたでしょ」
「む。今更蒸し返すか」
「蒸し返すわよ、そりゃ。あのね、言っておくけど、この領では他領よりも騒ぎを起こした者には厳しいわよ」
「何故だ?」
「さっき言ったでしょ、蛮族が多いからよ」
次の試合の邪魔にならぬよう、選手控室へ戻っていくドワーフとリルドラケンの背中を眺めながら、マーシィは言う。
「あなたや私の仲間たちみたいに、人族に協力する蛮族だけなら別に問題ないわ。でも、そうじゃない蛮族もいる」
「人族に仇なす蛮族が、潜入していると?」
「蛮族が大手を振って……とまではいかないけど、大義名分を得て暮らせる領だもの。隠れ蓑にはぴったりだと思わない?」
「……成程な」
「だから、この領では騒動には敏感よ。疑われたくないために、積極的にスパイ狩りに精を出してる連中も多くいるわ」
「ああ……そういえば、レザナードにもそんな風潮があったような」
「アムタイは《赤砂領》から来たんだったわね……なのに、いきなり喧嘩なんかしちゃって」
「いや、あれは」
慌てて言い訳しようとしたアムタイは、しかし口を噤み、首を振る。
「いや……我が悪かったな、あれは」
「あら、どういう心境の変化かしら」
「……昨日、偶然ミナと顔を合わせてな。その時、事情を聞いたのだ」
「そう……ミナから」
ミナもアムタイと同じく、蛮族から誕生する突然変異体――ウィークリングである。
歴史を紐解けば、蛮族とは元々は人族であり、魂を限界ギリギリまで穢れさせることで強靭な肉体を得た者たちのことだ。そこから今日に至るまでの歳月の中で進化と淘汰を繰り返し、もはや別種と呼んでも差支えのない多種多様な独自の生態系を築き上げている。
しかしながら、人族の中に生まれつき"穢れ"を帯びたナイトメアが誕生するように、蛮族の中にも"穢れ"が不十分な劣等種が生まれることがあった。それが"モヤシ野郎"こと、ウィークリングなのである。
ウィークリングは蛮族と比較して虚弱な肉体故に蔑まれ、時には赤子のうちに殺されてしまうことすらある。その運命は回避したとしても、同族から迫害を受けることは日常茶飯事であり、多くは成人前から戦場に引っ張りだされ、そして散ったとしても歯牙にもかけられない。
そんなウィークリングが、《不浄領》全域に広がる地下工場を占拠したアンドロスコーピオンたちの中にも誕生した。
冷徹な合理主義者であるアンドロスコーピオンたちは貴重な労働者としてミナを有効活用させることを決定し、命を奪うことなくコボルドたちに預けた。
アンドロスコーピオンたちに付き従って共に地下へ潜り、奴隷の人族に混じって雑用を担当するコボルドたちは自分たちの娘のようにミナを可愛がり、ミナもまた、コボルドたちを家族として愛した。
しかし、それは――悲劇の始まりでしかなかったのだ。
「蛮族社会は弱肉強食、親兄弟の縁なんて石ころほどの価値もない――だけど、ミナは人族に近い精神構造を持っていた。だから……」
やがてミナは射手、そして
十分な修練を積み、単純な労働力から戦闘員としての編入をアンドロスコーピオンたちが検討するまでになったのだ。
もはや戦力として無視出来ないほどに、ミナの狙撃手としての技量は他を凌駕していた。
その心は一つ。
『功績を示すことで発言力を得て、コボルドたちにより良い暮らしをさせてあげたい』
そんな彼女の優しさは、しかし最悪の形で踏み躙られることになる。
ある日、初めての実戦に投入されたミナは、緊張と使命感に震えながらも配置についた。しかし、彼女が戦場で見た光景とは――
「卑劣なやり方だ。コボルドを……使い捨ての盾にするとは」
「ああ、ケンタウロスは正々堂々とした戦を好むんだったかしら。でも、アンドロスコーピオンは違う。繁殖力が高くてすぐに成長する、とても優秀な『いくらでも代えの効く駒』を用いることに、何の躊躇いもなかった」
最前線のコボルドたちが命を使い潰されている間に遠距離から銃撃するというのが、彼らの必勝戦法だった。
それは、合理的という意味ではこの上なく正しい戦い方なのだろう。しかし、コボルドを『個』として見ない故のやり方だった。血をぶち撒け、苦悶の表情を浮かべながら動かなくなったコボルドたちの死骸を丁重に葬りながら、ミナの心に復讐の炎が湧き上がるのに、そう時間はかからなかった。
だが――アンドロスコーピオンたちは、どこまでも冷徹だった。
コボルドたちが盾にされたことで動揺し、与えられた狙撃の任務を満足にこなせなかったミナは、アンドロスコーピオンたちの長――スコーピオンジェネラルの前で、忠誠心を示さなければならなくなったのだ。
「証明方法は……狙撃の腕前を披露すること。そして、ターゲットは……」
「――十年以上の長きに渡って、親代わりとしてミナを育ててきたコボルド――ポポレ」
ポポレは、何も言わなかった。
ただ、最期まで微笑んでいただけ――ミナはそう言っていた。
逆らって無為に命を落とすよりも、生き延びて復讐の機会を待て。我らに犠牲を強いるこの蠍たちに、裁きの鉄槌を下す方法を模索しろ。
額の中心を撃ち抜かれ、苦しむことなく即死した亡骸は、そう語りかけてくるようだった。
親殺しという十字架を背負ったミナは、表向きは従属しつつもただひたすらに好機を待ち――そして、マーシィたちと出会ったのだった。
「……事情を知ってしまった以上、コボルドを馬鹿にすることは、もう出来んな」
「……」
沈黙が降りる。
気まずい空気を変えようと、殊更明るい口調でマーシィが隣の少女へと問いかける。
「そういえば、あなたはなんで蛮族社会から飛び出したの?」
「我か? 我は元々、ディルフラム北西の一角を占めるモタハウェル大草原出身なのだが、あそこは諍いが耐えなくてな。我が所属する部族の勝利のため、人族の戦術を勉強しに来たのだ」
「なら、いつかは蛮族たちのところへ戻るってこと?」
「そうなるな。我らは誇り高き草原の民、人族との戦には積極的に関わることはせん。人族とは、利害が一致すれば協力関係が結べるとすら思っているぞ」
「蛮族も多種多様ね……でもそれ、あんまり人前で言わないほうがいいわよ。人によっては、絶対スパイだって疑うから」
「む、そうなのか……わかった、そうしよう」
話しているうちに、次の試合が始まろうとしていた。
観客たちは再び熱狂の渦に包まれ、声援と野次とを交互に飛ばす。
今度のカードは片方が人間の槍使い。そしてもう片方は際どい衣装を身につけた、妖艶なラミアだった。
同じラミアでも、幼い少女のようなドルチェとはまるで正反対の容貌をしている。特に胸囲に関しては、わざわざ比べるべくもない。
下品な口笛に答えるように、投げキッスのパフォーマンスで客席の男共の注目を浴びている。
「貴様の仲間にもラミアがいたな。というか、貴様の仲間は全て蛮族だったか」
「気付いたら、ね。最初から、狙って蛮族と組んだわけではないのだけれど」
「『黄昏求道団』の噂はよく耳にしたぞ。蛮族だけのパーティというのは、非常に珍しい存在らしいからな」
「待って、蛮族だけじゃないから。私は人族だから」
「おお、そうだったな。リーダーとして蛮族を纏める女傑の噂も、あちこちで聞こえてきたぞ。『仮面の暗殺者』『三つ目の魔神使い』『蛮族サークルの姫』……」
「最後の何!?」
試合開始のゴングが鳴り、槍使いが一気に間合いを詰める。
突き出された槍の一撃を、ラミアは紙一重のタイミングで回避した。同時に放たれたカウンターの拳が、槍使いの顔面にめり込む。
鼻血を噴出しながら、槍使いはその場に崩れ落ちた。一秒、二秒。槍使いは痙攣して動かない。
試合終了。
あまりにも呆気なさすぎる一瞬の結末に、観客たちが一様に大ブーイングを巻き起こす。
「あのラミア、かなりやるわね」
「ふむ。しかし、ラミアが正体を明かしているのに、それを当たり前のように受け止めている……やはりこの領は、かなり特殊だな」
「蛮族が暮らしていける人族の領域なんて、限られているもの。『黄昏求道団』だって、名声を保てるのは《不浄領》の中だけ……後はまあ、《赤砂領》や《血風領》くらいなものかしら」
「貴様は、それでいいのか? 蛮族パーティのリーダーという風評は、人族のお前を不自由の中に縛り付けているのではないか」
「そうかもしれないわね。でも、だからって背中を預けてきた仲間たちを今更放り出せると思う?」
冗談でしょ、とマーシィは唇を綻ばせた。
「そりゃあ、文句言いたいときだってあるわよ。メグは酒癖悪いし、ドルチェは年上なんだから人のことお姉さまって呼ぶのは止めて欲しいし、ミナは空気読めないし、コリンは寝言がたまに気持ち悪いし。でもね……私は最高の仲間たちに出会えたと思ってるわ。後悔なんて、一切ないわよ」
「……そうか」
「あなたも、素敵な仲間に恵まれるといいわね」
「む……」
アムタイが眉間に皺を寄せる。
困ったような、あるいは照れているような、そんな雰囲気だった。
「実は……あのナイトメアの男に、パーティに誘われている」
「レイブレンに?」
「丁度、パーティの一人が引退したばっかりだったらしい。それで、我にと……」
「いいじゃないの」
ぽん、とマーシィはアムタイの背を叩く。
「縁は大切にしなさい。偶然顔を合わせただけの相手が、生涯のパートナーになる可能性だってあるんだから」
「それは……経験談か?」
「そうかもね」
「……」
迷うように視線を彷徨わせたアムタイは、やがてぽつりと呟いた。
「実は……《赤砂領》からこちらへ移ったのは、仲間との諍いが原因でな……」
「ま、あなたの性格じゃそうでしょうね」
「……ズバリと言ってくれるな」
「別に馬鹿にしたわけじゃないわよ。私にも、喧嘩別れしちゃった仲間がいるし」
「そうなのか?」
「ええ。でも、去る者がいれば訪れる者もいる。大切なのは、本当に心の内を曝け出してぶつかれる仲間と出会えるかどうかよ」
「…………成程、な」
微笑を浮かべ、アムタイは天を仰ぎ見る。
クローモアが生み出した"穢れの霧"はとうに消失し、澄み切った青空が広がっていた。
「……そうだな。再び、あの男と肩を並べるのも悪くはないだろう」
そう言ったアムタイの表情は、迷いのない晴れやかなものだった。
マーシィも同意しようと口を開きかけ、
ウオオオォォッー!!
それより先に、闘技場の観客たちがにわかに騒ぎ出した。
何事かと視線を中央へと向ければ、青白い肌に捻くれた角を額から生やしたナイトメアの男が、両手をぶんぶん振り回しながらグラウンドの中央に陣取っている。
灰色の髪を短く刈り込み、快活そうな顔をした青年の顔は、よく見知ったものだった。
というか、ついさっきまで話題にしていた。
「レイブレン!?」
驚きの声を上げたのはアムタイだ。観客席から身を乗り出し、目を丸くしてぽかんとした表情を浮かべている。
「あ、あの男も参加するのか!」
「あら、言ってなかったかしら?」
対して、マーシィは愉快そうに目元を細めた。
「私が誘われた特別試合の主催者は、レイブレンなのよ」
「な、なんだと!?」
「えー、皆さんこんにちは、冒険者のレイブレン・ガァナです」
困惑した様子のアムタイを置き去りに、状況は矢継ぎ早に進行していく。審判から
「御存じの方もいるでしょうが、不肖このレイブレン。先日のアンドロスコーピオン侵攻事件の際、現場にて"黄昏求道団"の皆様と共に、微力ながらお手伝いさせていただきました」
「おう、ありがとよ、ナイトメアの兄ちゃん!」
「アンタがうちの弟を守ってくれたんだってな! 礼を言うぜ!」
「いやあ、どうも、どうも」
あちこちから聞こえる感謝の言葉に、はにかんで頭を掻くレイブレン。
観客の中には、先の戦いに巻き込まれた者やその関係者も幾人か混じっているようだった。生存者の喧伝により、冒険者たち――特に事件解決に大きく貢献した"黄昏求道団"の勇名は更に高まったが、レイブレンもまた、名を挙げた一人なのである。
「えーと、それでですね。今回は、新人歓迎会をさせてもらおうと思ってます。この度、この街に新しい仲間が加わりました。その子はケートレア、いやラディータに来て間もないにも関わらず、義憤に駆られて今回の蛮族侵攻に立ち向かい、素晴らしい働きを見せてくださいました。そんな彼女を、ここに紹介しようと思います!」
言い終わると同時に、レイブレンの人差し指が観客席のある一点を指し示す。
闘技場内にいた全ての者たちが、その方向に視線をやり――
「――うぇっ!?」
注目の真っ只中にいることに気付いたアムタイが、素っ頓狂な声を上げた。
「ちょ、ちょっと待て! これは一体、どういうことだ!?」
「ご指名じゃない。頑張ってね、アムタイ」
「おい!? し、知らないぞ、こんなの!
明らかな狼狽を見せるアムタイ。
突き刺さる無数の視線に赤面し、慌てて逃げ出そうと腰を浮かせる。
「おっと、逃がさないっての!」
「観念しろ」
が、その両肩を背後からがっしりと抑える者がいた。
振り向けば、背の高いボサボサ頭の女と薄桃色の髪をした少女が、左右から腕を伸ばしてアムタイを捕まえている。
「き、貴様ら、いつの間に!?」
「くっくっく。気配を消すなんてヨユーってやつよ」
「時間稼ぎご苦労だった、マーシィ」
「じか…………ま、まさか!?」
「ふふ」
ニヤリ、と悪役のような表情を仮面の少女は浮かべた。
「ところで、あなたはどうして私がここにいると知っていたのかしら?」
「そ、それは、売店にいた林檎売りに……」
「あれ、私が変装させたドルチェよ」
「貴様らぁぁぁぁぁッー!!」
ばたばたと暴れるが、マーガレットを振りきれるほどの腕力は彼女にはない。
二人がかりで引きずられていくアムタイ。その光景を見て、観客たちがくすくすと笑う。
「ははは。今回はあの子が生贄か」
「私もやられたのを思い出すわぁ。すぐに街に馴染めるようにって、蛮族はみんなアレをやらされるのよね」
「ミ……ミナ! 貴様は……いいのか!? こんな……茶番に付き合って!」
育ての親を自らの手で殺害し、復讐の鬼と化したミナ。
そんな彼女がこんなことをしている事実が信じられず、アムタイはそう問いかける。
「……お前は、もう少し人族の世界を知ったほうがいい」
しかし、ミナは平然とした様子のまま――うっすらと、その口元に僅かな微笑を浮かべてみせた。
「地下工場への立ち入りは、月に一度の定められた日に一斉に行われる。それまでは無許可で侵入することは固く禁じられているし、何をしていようが法に触れなければ問題ない」
「だから……こんなことをしていると?」
「復讐の念がワタシの中で消えたことはない。すぐにでも、残されたコボルドたちを救出したいという想いはいつだって持っている。しかし、だからといってそれだけに生きるのは間違いなのだと、ワタシはマーシィたちに出会い、教えられた」
ミナが笑う。
楽しそうに。愉快そうに。
「せっかく人族と共に生きるのだ。楽しめ、アムタイ。ここには蛮族の世界にはない、素敵なもので満ち溢れているぞ」
「貴様……」
アムタイは、ミナの笑顔を凝視する。
いや、ひょっとしたら、見惚れたのかもしれない。
「――全ての人族と蛮族が友好的な関係になれるはずがない。だけど、例え一時的にでもあなたが人族と共に在りたいと願うなら、この場所はそれを受け入れるわ」
マーシィもまた、上機嫌な笑みでアムタイを見送る。
暗殺者としての過酷な日々。失った皇女としての立場。
零れ落ちたものは数えきれない。しかし、代わりに手に入れたものもまた、無数に存在する。
マーシィはこの街が好きだった。
魔神を従え、蛮族を友とする自分をありのままに受け入れてくれた、この街が。
だから、アムタイにも知ってもらいたい。
ここは――とても楽しくて、幸せな場所なのだと。
「ようこそ。《不浄領ラディータ》に」