現代においても『大輪の薔薇』等と呼ばれ、フェイダン地方に二つとない大国を築き上げているアイヤール帝国だが、魔動機文明時代においては更に巨大で、栄華を極めていた。
しかし〈
とはいえ、大勢の国民を見捨てた皇帝は退位を余儀なくされ、その後も政情不安は続き、力を取り戻すのにかなりの時間を浪費する結果となってしまったのだが。
マーシィたちが向かっているのは、前述の籠城戦を耐え抜いた周辺四領の一つ、《東翼領》だ。
その名の通り、周辺四領の東に位置するこの領は、魔動機文明時代の面影を残した町並みがあちこちに広がっている。食料の大半を輸入に任せているのか、農地や牧場等は滅多に見かけず、何かしらの建物が常に視界に入ってくるかのようだった。
「はー。《不浄領》とはえらい違いねえ」
ぽかんと大口を開け、周囲を見渡すマーガレットが間の抜けた声を上げる。
「ちょっと、あまりきょろきょろしないでちょうだい。事故を起こすわよ」
そんなマーガレットの隣で、マーシィはジト目で注意を促した。
二人は現在、ライダーギルドでレンタルした魔動ミニバイクに搭乗していた。動物や魔動機、果ては幻獣を問わずに騎獣を販売、あるいは貸し出すのがライダーギルドと呼ばれる組織だ。魔動ミニバイクは魔動バイクよりも小型で初心者でも扱いやすく、何より料金が安い。徒歩で移動するよりも大幅に時間短縮になり、疲労も少なくて済むこの魔動機で、マーシィたちはここまで旅をしてきたのだった。
「そんなヘマはしないっての」
「ならいいのだけれど」
「それより、本当にその格好で行く気なの?」
「……シャドウはどうしても第三の瞳を隠し辛いんだもの。我慢……するわ」
マーシィたちが会うのは、アイヤールにて皇帝から爵位を賜った貴族階級の人間だ。
普通の冒険者ならば問題ないが、マーシィたち『黄昏求道団』は蛮族だらけのパーティだと知れ渡っている。蛮族とは本来、憎むべき仇敵であり、手を取り合うような関係ではない。
特に、今回の護衛対象であるコントール家は帝国内でも随一の蛮族嫌いとして有名なのだそうだ。元々、女帝セラフィナと表向きは一介の冒険者であるマーシィの間に縁があると悟られないよう正体を隠す気ではいたが、それでも『凄腕の軽戦士のシャドウ』をマーシィと関連付けるのは、難しいことではないかもしれない。
「いや、でも、だからってマーシィがそんな……くくっ……」
「笑わないでよ……屈辱だわ」
口元を抑えてぷるぷる震えるマーガレットに、マーシィは怒りの目を向ける。
その姿は、いつもの仮面をつけた装いではない。
仮面以上のものに、全身を覆われていた。
着ぐるみである。
マーシィは現在、リルドラケンを模した着ぐるみの中に入っているのだ。
「うーん、ちょっとの観察じゃ本物のリルドラケンにしか見えないわね。素人相手なら簡単に騙せそう」
「当然よ、バレないように色々と細工を施してるんだから」
「でもさ、リルドラケンがケープひらひら振って、俊敏に動いて、スカートで反撃して……ぷっ、あはは!」
「笑うなって言ってるでしょうが!」
「あっ、ちょっ、叩かないでよ、危ないっての!」
「やかましい、一度事故って反省なさい!」
ぽかぽかと殴りかかるマーシィと子供じみたやりとりをしながら、マーガレットはけらけらと無邪気に笑う。
マーガレットの格好もまた、いつものものではなかった。普段は小汚い印象を受けるボロボロの服装が、清楚なブラウスや膝丈ほどのジャンパースカートに変わっただけで、大きくその印象を違えている。体型的にも背は高いがそれほど筋肉質ではないことも相まって、いいところのお嬢様のように見受けられた。
とはいえ、魔動ミニバイクに跨ってニヤニヤとした笑みを浮かべる姿は、色々と台無しではあるのだが。
「ったく、大人びて見えても、やっぱり子供ねえ」
「くっ……おばさんめ……」
「ははは、残念。年齢ネタはあたしには通じないっての」
「……そろそろ到着するわ。ここからは徒歩で行きましょう」
「りょーかい」
魔動ミニバイクを降り、『騎獣契約スフィア』を荷物袋から取り出す。
これはライダーギルドで魔動機の騎獣をレンタルする際、同時に与えられるものだ。これにより、魔動機は契約を交わした正規の所持者以外には、操縦出来ない仕組みとなっている。更に、マギスフィア程度の大きさしかないこのスフィアの中に、魔動機を収納することが可能となるのだ。
二人は合言葉を唱え、スフィアを魔動ミニバイクに近づける。すると、魔動ミニバイクはみるみるうちにサイズが縮小し、スフィアの中にすっぽりと収まってしまった。
「うーん、魔動機文明ってホント、進んだ技術力を持ってたって感じるわ」
「魔動機術でも覚えてみる?」
「じょーだん! あたしの頭で魔法なんか使えるわけないっての」
軽口を叩きながら、歩き出す。
普段、マーシィのほうが低い背丈が、今は着ぐるみのおかげで同等のものとなっている。
それがおかしかったのか、再びマーガレットが笑い出し、二人はまたじゃれるような喧嘩を始めるのだった。
「……陛下から、話は聞いている」
屋敷の入り口で執事に身分を明かし、コントール家の執務室に案内されたマーシィたちは、そこで疲れきった顔の男と対面していた。
男の名は、ジェイムズ・コントール。東翼領の街の一つを治める、男爵位を持つ貴族だ。
執務室の壁に飾られた肖像画には、筋骨隆々とまではいかないもののそれなりにたくましい肉体をした男性の姿が描かれている。しかし、直接顔を合わせた男爵は見るも無残にやつれきっており、本当に肖像画の男と同一人物なのか、疑わしいくらいだった。
「ご子息が、命を狙われているとか」
「うむ……既に聞き及んでいるだろうが、デュラハンロードと呼ばれるアンデッドらしい。突然現れると同時に死の宣告を与え、その一年後に、命を奪いにやってくる……」
ふぅ、と重苦しい溜息をジェイムズはつく。
「この東翼領は守りの剣によって穢れを弾く。件のアンデッドは如何なる方法で我が屋敷に入り込んだのか……そんな疑念は後回しだ。とにかく、我が望みは一つ。薄汚いアンデッドを滅ぼし、息子を死の運命から逃れさせることにある」
「お任せください」
リルドラケンの着ぐるみのまま、マーシィは拳を胸に当てて力を込める。
「我らは女帝の命により推参致しました。我が主の名を汚すような働きはしないと、ここに誓いを立てましょう」
「腕に自信はありますわ。この屋敷の平穏を乱す不埒者、必ずや成敗してみせましょう」
マーガレットも、スカートの裾をつまんで優雅に礼をしてみせる。
「頼もしいことだ」
頷くジェイムズの顔に、ようやく微かな微笑みが浮かんだ。
相変わらず蒼白な顔色はしているものの、先程まで感じられなかった生命力が、幾分か戻ってきたかのようだ。
「相手は並の騎士ではまったく歯がたたないほどの強敵だ。多くの冒険者の宿に依頼を出したが、全て断られてしまった」
「平均的な冒険者の力量では、無駄に命を散らすだけでしょうね」
「《血風領》の領主や参謀殿の力をお借りしようとも思ったが、運悪く、彼らは一月ほど前に蛮族共の領域――ディルフラムへと遠征に向かってしまった。あれほどの猶予時間はあったはずなのに、何故、もっと早くに彼らを頼ることを思い付かなかったのか……」
しかし、とジェイムズはすがるような目を二人に向ける。
「ようやく見合った実力を持つ冒険者たちと契約を結べたところだ。そこに陛下が信用を置く君たちが加わってくれれば、忌々しき亡者を滅ぼせよう」
「その冒険者の方々は、今どちらに?」
「買い物に出かけている。戻ったら紹介しよう」
その話も、セラフィナから聞いた通りだった。
冒険者というと野卑なイメージを持つ者が多いが、《皇城領》やその周辺四領では意外とその需要は高い。政敵からの暗殺や妨害を恐れる彼らが、護衛として雇うことが多いのだ。四角四面の正々堂々とした戦いを身に着けた騎士たちより、様々な手練手管に熟達した冒険者のほうが、唐突な状況変化にも即座に対応出来るのである。
雇われたという冒険者たちは、別の領からやってきたばかりの者たちだという話だ。そちらではそれなりに名が知れており、マーシィも噂レベルであるが耳にした覚えがある。
流石にマーシィとマーガレットの二人だけでデュラハンロードと戦うのは無謀が過ぎる。その冒険者たちが少しでも戦力になることを期待したいところだった。
「そろそろ夕食の時刻だ。寝室を用意するので、それまで休んでいてくれ」
「その前に、護衛対象であるご子息と顔を合わせておきたいのですが……」
「ああ、確かに、その通りだな」
案内してやれ、という主の言葉に一礼し、部屋の隅に控えていた執事が部屋の扉を開け、廊下に出る。
禿頭に白髭を生やした執事の背を追いかけながら、マーガレットは先日と同じようにマーシィの――というより着ぐるみの――耳元に囁きかけた。
「あたしたちの他に護衛、いたんだ?」
「いなければ困るわよ。文献によれば、デュラハンロードは魔法のかかっていない攻撃を全て無効化するらしいわよ」
「うわぁ。面倒臭いわね」
マーガレットはドン引きしたような顔を見せる。
まさか、ぶん殴ればそれで済むと思っていたのだろうか? まあ、私もアンデッドの戦闘経験はほとんど皆無だし、人のこと言えないけど――マーシィは心のなかで独りごちる。
「で、その護衛の人たちは使えるの?」
「セラフィナ陛下の話では、そこまでは不明だわ。陛下の手の者がコントール家の事情を知ったのもつい最近だし……」
「――こちらで御座います」
そうやって話し込んでいるうちに、目的の部屋に到着したようだった。振り返る執事を前に、何事もなかったかのように居住まいを正す。
ドアをノックし、執事が用件を告げて入室の許可を問う。室内から、掠れるような女性の声が聞こえた。
「奥様の許可が降りました。どうぞ、中へ」
マーシィたちは一瞬だけ顔を見合わせ、頷き合うと、部屋の中へと足を踏み入れる。
「失礼します。私たちは――」
マーシィの言葉はそこで途切れた。
部屋は広かった。『天高き花火亭』の一室とは比べ物にならない。絨毯もカーテンも一級品。高価な調度品があちこちに置かれ、その財力を表している。
出迎えたコントール婦人が着ているのも豪奢なドレスだ。売れば何ガメルになるのか、想像も付かない。
しかし、そんなものは目に入らなかった。部屋の隅にある天蓋付きのベッド、そこで半身だけを起こした少年の姿が、二人の視線を釘付けにしていた。
少年は――痩せていた。
いや、そんな生温い言葉では片付かないほどに、少年の身体からは肉や脂肪といったものが一切削ぎ落とされている。眼窩は落ち窪み、首は自然に折れてしまうのではないかと錯覚してしまうほどに細く、寝間着から覗く胸部は骨が透けて見えている。
トバイア・コントール。
デュラハンロードの死の宣告を受けた少年は、まるで自らもアンデッドと化したかのような姿で、二人を出迎えた。
「ぼく、は」
絶句するマーシィたちを前に、トバイアはかさかさに干乾びた唇をぶるぶる震わせ、消え入るようなか細い声で言葉を紡ぐ。
「き、のぼ、り、が、すき、で、す。おこ、ら、れる、け、ど、また、や、り、たい」
そのしゃべりはたどたどしかったが、瞳だけは真っ直ぐに二人を射抜いていた。
不安で眠れない日々を過ごしたであろう。己の不幸を何度となく嘆いたことだろう。
きっと、死への恐怖と絶望感、どうしようもない焦燥と無力感で、食事も満足に取れなかったのだ。精神的な重圧が彼を苛み、あるいは死んだほうがマシなのではないか、というような気持ちにもなったに違いない。
それでも、諦めきれない生きることへの執着が、瞳の中にしっかりと宿っている。
「――しに、たく、ない」
強い意思の篭った言葉が、聞き入る少女たちの胸を打つ。
少年がどのような人物なのか、マーシィは知らない。
だが――まだ年端もいかない子供が、甘受していい運命のはずがなかった。
「ぼく、を、たす、け、て、くだ、さ、い」
「必ず、お救いします」
マーシィは深く頭を下げる。
マーガレットも、決意を秘めた表情で頷く。
涙を目の端に溜めて、少年は嬉しそうに儚げな笑顔を浮かべた。