「それでは、夕食の時間になりましたらお呼びします」
「ええ、ありがとうございますわ」
案内された客室もまた、嫌味にならない程度に豪奢だった。
庶民からすれば無駄に思えるような財の尽くし方は、彼ら貴族にとっての武装であり、冒険者が身に付ける剣や鎧などと同等の意味を持つ。最低限生きるうえで必要のない嗜好品や装飾に資金を注ぎ込めるほどの財力を自らが有していることをアピールすることで、他者から自らの家が裕福であり、早々没落することのない家柄なのだという信頼を得られるのだ。
しかし、そんな美しい調度品の数々も、マーシィたちの関心を引き寄せることは出来なかった。
二人の脳裏には、トバイアの笑顔が焼き付いている。迫る死の恐怖の中、もはや取り乱す体力も失い、他者に縋ることしか出来ない姿。救いを約束され、心底安堵した末の純粋な感情。
「なんていうか……ちょっと軽く考えていたところはあるわ」
リルドラケンの着ぐるみから抜け出し、汗を拭いながらマーシィが呟く。
客室の扉は内側から鍵がかけられるようになっていた。窓もカーテンを閉じきっているため、その正体を知られる心配はない。
念のため、盗聴用の魔動機や使い魔がいないかどうかの確認も終えている。
「驕りって言うのかしら。敵を倒して、はい終わり。そう思っていたけれど……」
「まあ、あれを見ちゃうと、ね」
二人の表情は暗い。
それでも、ただ暗いだけではない。それは真剣さの現れだ。今までの物見遊山な感情は失せ、心の奥底に熱いものが滾り始める。
思えば、黄昏求道団の活動で護衛任務というものを受けたことはなかった。
先日のアンドロスコーピオン襲撃事件のように、結果的に不特定多数の人々を救う結果になるようなことはあっても、大抵は遺跡や迷宮の探索など自分たちの利益を優先するような依頼ばかりをこなしてきたのだ。
とはいえ、それは五人中四人が蛮族というパーティ構成や、《不浄領》という特殊な環境に拠点を置いていることも、護衛任務と無縁だった一因ではあるのだが。
その黄昏求道団を結成する以前、マーシィが冒険者になりたてだったころはそういった『村を襲うゴブリン退治』のような仕事を請け負うこともあった。その時の村人たちの困った様子、依頼の達成を報告した際の嬉しそうな表情などがマーシィの中に蘇る。日々を過ごす中で薄れていた、誰かの役に立ったという喜びや充足感。それを今、もう一度味わいたい。トバイアを助けたい。
「気合が入ったわ。必ず助けましょう」
「勿論!」
拳を突き合わせ、にやりと獰猛に笑い合う。
なんだか、居ても立ってもいられない気分だった。デュラハンロードの迎撃予定日はまだ数日後だが、むしろ気力が充実している今この時に攻めてこい、といった様相だ。
「では、改めて依頼の確認をしましょう」
壁にもたれ掛かり、通話のピアスを通して姉から伝達された情報を、マーシィは諳んじる。
「依頼人はジェイムズ・コントール男爵。父親は優秀な軍人であり、その功績を讃えられて爵位を獲得。その父が戦場で蛮族に殺害されたため、二代目として領地を引き継いだことになるわ」
「新し目の貴族さんなのね。それなのに歴史と伝統ある~って感じの、この《東翼領》に領地があるわけ?」
「元々、ここに断絶したコントールという家柄があって、そこに滑り込んだらしいわね。さっき男爵が言ってた《血風領》の領主並に大活躍でもしたんじゃないかしら」
実力を示せば、それ相応の待遇を得られるのがアイヤール帝国だ。
故に、野心旺盛な若者たちは次々とこの国を訪れ、それが更にアイヤールを強国へと導くことになる。
「ま、その話はどうでもいいわ」
マーシィはすぐに話題を戻す。
今回の任務は潜入や調査ではなく、護衛なのだから。
「今から一年前、コントール男爵の息子トバイアは、玄関ホールから外出しようとした際、正面扉から響き渡るノックの音を聞いた。周囲に執事やメイドの姿はなく、トバイアが応対のため扉を開くと、そこには自らの頭部を小脇に抱えた、古びた白い甲冑を纏った騎士が立っていた……」
「屋敷を守る門番とかいなかったの? まあ、いたとしてもガイシューイッショクって感じだろうけど、それでも警笛鳴らすくらいは出来るんじゃないのかな」
「あなたも来る途中に見た通り、屋敷の正面扉から門扉の間は結構な距離があるわ。デュラハンロードは如何なる手段か、門扉を潜らずに屋敷の正面扉の前まで辿り着いたようね」
真語魔法と呼ばれるものがある。魔動機文明時代より更に前、およそ三千年ほど前まで栄えていた
その真語魔法の中に、自由自在に空を飛べるようになるものが存在する。かなり高度な魔法のようだが、文献によればデュラハンロードもまた、高位の真語魔法を操る
その魔法を使い、空中から侵入したと考えれば、一応の辻褄は合う。
「そして、デュラハンロードはトバイアを指差し、魔動機文明語で一年後の殺害を予告した後、去っていった。デュラハンロード――いえ、下位存在も含めてデュラハン種とでも呼ぶべきかしら。彼らはまず殺すべき対象にそういった死の宣告を与え、そのきっかり一年後に必ず再来し、標的の命を奪うそうよ」
「面倒なやり方するわねぇ。なんでそんなワケわからない方法取るんだろ」
「知らないわよ、そんなの。生者には及びもつかない、亡者特有の独自
余計な口を挟んだマーガレットを、マーシィは三つの瞳でぎょろりと睨めつける。
備え付けのベッドに大股開きでどっかりと腰を下ろした見た目清楚なお嬢様は、おどけるように肩を竦めた。
「ごめんごめん。ほら、続けて続けて」
「まったく……どこまで話したかしら。ええと、突然凶悪なアンデッドに遭遇したトバイアは、すぐ父に報告。しかし最近の息子の素行に頭を痛めていたコントール男爵は、これを真実とは受け取らなかった」
「まあ……守りの剣の中だものね」
「父も母も、使用人を含めた誰一人として己の言葉を信じてくれず、いつしかトバイアも見間違いだったと思うようになり、時が流れた。しかし約束の一年が近づくに連れ、心の底に眠る疑惑から目を逸らせなくなり、精神的重圧からトバイアの体調が悪化。事ここに至り、男爵や夫人も息子の訴えが虚言ではなかったと確信。息子が目撃したアンデッドの正体を調査し、そして――」
そっとマーシィは目を伏せる。
デュラハンロード。有象無象の冒険者では為す術もなく蹴散らされてしまう、凶悪なアンデッドだと知った時、ジェイムズ・コントールの胸中を支配した感情は、一体どのようなものだったのだろうか。
もっと早くに息子を信じていれば、それだけ対策を講じる時間も取れただろう。
我が子の訴えを聞き入れなかった自らを呪い、彼自身もまた、死の宣告を受けたかのように弱りきってしまった。
「と、そこに救いの手を差し伸べたのが、我らが女帝様だと」
「セラフィナ陛下は各地に密偵を送り込んでいるのだけれど、そのうちの一人がコントール家の周囲が騒がしくなってることに気付いたみたいね。コントール家は中央では珍しい遷都賛成派だから、恐らく陛下も彼らに恩を売って、協力体制を盤石にしたいとお考えなんでしょう」
妹である皇女ライティアを《
故に、政治の基盤たる《皇城領》との間を頻繁に行き来することになるのだが、その移動の無駄を省くために遷都を考えているのだ。
しかし、これは貴族たちの猛反発を喰らっており、未だ実現出来ていない。
そのため、遷都に賛成意見を示すジェイムズ・コントール男爵の息子が危機に陥っていると知るや否や、マーシィに指令を下したのだった。
「今回、男爵に雇われた冒険者たち――『知の盾』だったかしら。彼らだけじゃいまいち戦力として不安だったから、こうして私達が呼ばれたってわけね」
「りょーかいりょーかい」
手をひらひらと振って軽く答えたマーガレットだったが、ふと眉根を寄せて天井を仰ぐ。
「……まあ、しかし、アレよねえ」
「何?」
「息子が危篤状態なんでしょ? そして、デュラハンロードは数日中にやってくる」
「ええ」
「で、『知の盾』とやらを雇えたのはつい最近と」
「それがどうかしたのかしら?」
「息子が大切なら、それこそ女帝にでも泣きついて、腕の立つ人間を大々的に探してもらうもんじゃないの? あたしたち冒険者と違って、死んだ人間は普通蘇生を受け入れない。一度きりの命なんだから、守ろうと思うなら、確実な手段を取るべきだと思うんだけど」
マーシィは微かに瞠目し、すぐに視線を逸らした。
「それは――ジェイムズ・コントールが男爵だからでしょう」
「貴族だから、息子の命より家名を大切にしたってこと?」
「それは極論よ。別に、息子を助けたいと想うことと、貴族としての体面を保つことは、矛盾したりはしてないわ」
マーシィは元皇族だ。
母は傭兵であり、貴族とは無縁の人物ではあったが、それでも娘のためにと大勢の家庭教師たちを雇い、様々な教育を受けさせている。養子として出された後も、盗賊ギルドの襲撃が行われるまでは養父母から帝王学を学んだものだ。
だから、コントール男爵の事情も少なからず理解は出来た。
息子は確かに大事だろう。しかし、トバイアが生きようが死のうが、ジェイムズの人生はまだまだ続くのだ。これから先も別の困難に遭遇するかもしれず、そんなとき、貴族としての地位や財産を残しておけば、問題の解決を行えるかもしれない。侮られず交友関係を残しておけば、どこかで利が生じる可能性が発生するからだ。
理想と現実の境目で、妥協するべきかを悩むのは、至極当然のことだ。別に男爵は息子を見捨ててはいない。貴族としての地位を守るために息子の危機を他に秘密にしつつ、その中で必死に解決の方法を模索していた。
「ふぅん」
しかし、マーガレットは面倒臭そうに首を捻る。
「そんなもんかしら。子供ってのは、もっと大切にするものだと思ってたけど……」
「珍しく、語るわね」
「……ひょっとしたら、あたしにも子供がいたかもね」
ふっ、と遠い目をして、それきりマーガレットは黙り込む。
「…………」
マーシィも口を閉ざし、重苦しい空気が二人の周囲を漂い始める。
軽々しく触れていい話題ではないからだ。
ライカンスロープは異種族間は勿論、同種族が相手でも子を成せない。そのため、種を存続させるには、人間を攫ってきて儀式を行い、同じライカンスロープへと変貌させる必要がある。
この際、新しくライカンスロープとなった者は、洗脳によって新たな精神や価値観を上書きされてしまう。魂に穢れを宿して蛮族らしい思考回路へと生まれ変わり、自分がその集落の一員であることを当然のこととして疑問を挟まず、人間だったころの記憶は不要なものとして薄れていってしまうのだ。
マーガレットもライカンスロープである以上、かつては人間だったということになる。
以前は親兄弟と暮らしていたのかもしれない。ひょっとしたら結婚していて、子供もいたのかもしれない。
しかし、マーガレットはその全てをもはや覚えていない。マーガレットという名前すら、後から自分で名付けたものだ。
「ああ……だからひょっとして、あいつのことを放っておけなかったのも……」
「え?」
「あ……ごめん、なんでもない」
突如ぶつぶつ独り言を洩らしたマーガレットは、ぱんっと音を立てて自らの太腿を叩く。
それを合図に、いつものような明るい口調へと切り替えた。
「ま! とにかく、やるべきことはやるわよ。憧れの『百変化』に近づくためにもね」
「今、牙を強化する練技を訓練しているんだっけ?」
「そうそう、そのうち口から武器を吐けるようにもなりたいところ」
「何それ、面白そうな絵面になりそうだわ」
マーシィも、それに乗る。
今はとにかく護衛任務が優先だ。マーガレットに不満があろうが、耐えてもらうしかない。
(だけど、マーガレットがお母さんか……正直、あまり想像付かないわね)
などと失礼なことを考えながら、執事が夕食の用意が出来たと告げに来るまで、二人は談笑するのだった。