「……懐かしい夢を見たわ」
瞼を開けば、そこにあったのは先程までの戦場ではなく、見慣れた天井だった。
冒険者の宿、”天高き花火亭”二階のとある一室。狭い室内の大半を占拠する二段ベッド、その上段がマーシィの寝床だ。
備え付けの梯子に足をかけ、ベッドから降りる。
二段ベッドの下段は、マーシィの
「酷い寝癖」
荷物袋を漁り、中から手鏡を取り出す。市販の、鏡面が多少歪んだものではなく、ぴったりと真っ平らになった特注品。
覗き込めば、灰褐色の肌を持つ、三つ目の女が映し出される。
シャドウ。
それがマーシィの種族だ。
今まで生きてきて、同種族と会うことは滅多にない。そもそも、ラクシアの人族の七割が人間と言われているわけだが、それでも兎人間のタビットや竜人のリルドラケンの姿はちらほら見かけることがあるのに、シャドウはまったくもって見当たらない。
シャドウは北のレーゼルドーン大陸に生息する種族であり、テラスティア大陸にいるのは、何らかの理由で渡ってきた者達、あるいはその子孫と言われている。
ここで問われるのは、渡ってきた方法――即ち、移動手段だ。
海や河川、あるいは空というルートを使った者もいただろう。だが、その大多数は徒歩、陸路のはずだ。
大陸は広く、中心部には人族に仇なす蛮族の、広大な領域が存在すると言われている。
人族の交流も分断されるその蛮族領を、シャドウが軽々と越えることが出来たかどうかといえば、無理だと判断するしかないだろう。
つまり、シャドウの陸路組はテラスティア大陸北部に留まり、それ以外の手段でやってきた少数しか、フェイダン地方のある南部に来れなかったのではないか。
というのがマーシィの持論だ。概ね正鵠を射ているのではないか、と自分では思っている。
「……母様は、どんな顔だったかしら……」
記憶の中にある母親の顔をマーシィは思い浮かべようとするが、うまくいかない。
なにせ、五歳のときに引き離されたきりなのだ。もはや思い出は朧気で、自分に似ていたのか、そうでなかったか、その判別すらつかない。
マーシィの父はアイヤールの先代皇帝、その種族は人間だ。マーシィはシャドウだから、必然、その母もシャドウということになる。
1年ほど前、マーシィの姉の一人――皇位継承権第一位の皇女、ミスティンが語ってくれた話によれば、マーシィの母はかつて、傭兵として《紫暗の国ディルフラム》との戦に身を投じていたらしい。
ある日、自ら前線に出て部隊を鼓舞していた皇帝へと、選りすぐりの強者を集めた蛮族の決死部隊が奇襲を仕掛けてきた。護衛は壊滅、皇帝の命もこれまでかというところで、一人のシャドウが颯爽と駆けつけ、蛮族を撃退したそうだ。
多分に話を盛っている感は否めないが、そのシャドウがボロボロになりながらも皇帝を守り切ったことは、事実のようだった。
命を賭して皇帝の危機を救った第三の目を持つ女を、皇帝は近衛騎士として召し上げた。その後、どのようなロマンスがあったのかは不明だが、シャドウは愛妾の一人となり、マーシエルという名の娘を産むことになる。
「肖像画でも、残してくれていれば良かったのに」
櫛で寝癖を整えながら、マーシィは小さく嘆息する。
――既に母はこの世にいない。マーシィが養子に出された1年後に、戦場で散った。
マーシィは死に目はおろか、遺体が葬られる瞬間に立ち会うことすら許されなかった。養子に出されたときより、マーシィは皇族ではない。ただの市井の子供が、皇帝の愛妾の葬儀に参列を認められるはずがない。
母と、"皇族還り"していないマーシィは、今でも公にはただの他人だ。それがアイヤールのシステムであり、マーシィ自身も承知の上で、"皇族還り"を拒否している。
「それにしても、よくシャドウとして誕生したわね、私」
ようやく寝癖を直し、他に変なところがないかチェックすると、寝間着を脱いで普段着に着替えながら、独りごちる。
ラクシアには様々な種族が存在するが、異種族間で子は為せない。
だが、世界で最も古い人族と呼ばれる、人間だけは例外だ。人間は全てではないが大多数の異種族と交わり、子を残すことが出来る。
その時、子供は父か母、どちらかの種族として誕生する。混ざり合った、別種の種族となることはない。
そして、人間として生まれる確率のほうが高く、ある学者が統計を取ってみたところ、人間ではない種族が誕生する確率はおよそ四分の一ほどしかなかったそうだ。
マーシィは、その四分の一に引っかかったことになる。
「まあ、それが良いことか悪いことかは分からないけど。姉様たちと一緒じゃないのは、少し寂しいわね」
マーシィの姉たち、そしてもうすぐ第三位皇位継承者として認められようとしている妹は、皆、種族が人間だ。
唯一、姉の一人が生まれつき魂に"穢れ"を持ってこの世に生を受ける、
勿論、まだ"皇族還り"していない兄弟姉妹の中には、あるいはエルフやドワーフ、もしかしたら猫人間のミアキスだっているかしれない(養子に出される前、住んでいた皇城領で兄弟姉妹と一緒に遊んでいたはずだが、異種族がいたかどうかまでは覚えていなかった)のだが。
「でも、顔は似通ってる部分があるのよね。だから、隠さなくちゃならないんだけど」
最後に、金属製の仮面を顔に装着する。
母は違えど父は同じ。マーシィは姉たち、特に女帝セラフィナと容姿的に似通った部分がある。人間とシャドウという種族の違いを差し引いても、だ。
無論、そんなことに気付く者は極僅かしかいないだろうが、それでも魔神使いであるマーシィが、アイヤールの皇族だと知られるリスクは犯せない。
別に、生け贄を捧げるような非道な行為はしていないのだが、兎にも角にも
特に、シャドウなどというフェイダン地方における希少種族のマーシィは、どうしても世間からの注目を浴びる。
仮面はそれらの追求を逃れるため、用意したものなのだが――
「私の美しさを人に見せられないのって――寂しいわね」
ふっ、と憂いを帯びた表情で微笑むマーシィ。
――盗賊ギルドから解放されたとき、彼女は小汚く、貧相な小娘でしかなかった。
しかし、きちんとした食習慣や睡眠時間を取り戻したおかげか、それから間もなく急激に背が伸び、肌も瑞々しく、すれ違う男性が振り向くような美少女に変貌した――最後は単に、シャドウが物珍しかっただけかもしれないが。
その差異があまりに大きすぎたせいか、どうにもマーシィは、
最近は人前で仮面を外す機会も多くなっており、本人も「ちょっとマズい」という自覚は持っているものの、長時間仮面を付け続けるのは蒸れて不快になるわ、顔がかゆくても掻けないのは苛々するわで、段々と妥協し始めている。
まあ、本気で隠すつもりなら、名前も変えなくちゃならなかったところだし、今更よね――などと、思っても口に出したりはしないが。
「あとはもうちょっと姉様みたいに胸が……って、なんか独り言多いわね」
いつも同室で話し相手になってくれていたコリンがいなくて、寂しさを感じているのだろうか。
マーシィは苦笑すると、最後にもう一度だけ身だしなみを確認し、扉を開けて部屋を出る。
窓から覗いた空は突き抜けるような快晴だった。
今日は昼寝でもして、のんびりとした一日を過ごしたい。