遅い朝食を食べ終わったマーシィは、腹ごなしも兼ねて街に繰り出してみることにした。
街の外れに存在する"天高き花火亭"から中心街までは若干遠く、不便と言えば不便だ。しかし、宿を変える気は今のところはない。
空は晴天。夏の暖かい日差しが降り注ぎ、涼やかな風が髪を揺らす。
貧民街――と呼ぶほどのものではないが、宿の存在する街の北側にあるのは裕福とはいえない層が暮らす平屋や集合住宅ばかり。そこを抜けると、やがて商店や神殿、工場などがぽつぽつ現れ始め、人々の活気のある喧噪が耳に届くようになる。
更に歩を進めれば、足元が剥き出しの土から石畳へと姿を変える。そこはもう街の中心部、東西と南へ大きく伸びた大通りだ。
多くの馬車が行き交いする大通りは、今日も人々で賑わっていた。
ケートレアいう名のこの街では、商売が盛んだ。北部を除けば、四方八方どこを向いても商店が視界に入らないことはないとさえ言われ、売っている品目も商店によって多種多様だ。食料も、生活用品も、武器や防具だって、金さえ持っていれば大抵のものは入手出来る。
「ようマーシィ! いい林檎を《青嵐領》で仕入れたんだ、買っていかねえかい?」
「美味しそうね、いただこうかしら」
「マーシィ、剣は刃こぼれしてないだろうね? あたしがピッカピカに研いであげるよ!」
「ありがとう、でもこの
「昨日はよくもやりやがったな! 次こそは絶対勝ってやるからな、覚えとけよマーシィ!」
「意気込みは買うけど、大口叩く前に何故負けたのかを反省しないと駄目よ」
露店の店主から馴染みの看板娘、すれ違いの冒険者に至るまで様々な者たちが、仮面で顔を隠したシャドウなどという胡散臭い存在に、親しげに声をかけていく。
数多くの冒険を繰り返し、功績を残すことで知名度を上げていくのが冒険者だ。人々を助け、希少な財宝を入手し、有名人とコネクションを得るなどして、人々の注目を浴びる。そして人づてに容姿や名前が広まっていき、会ったことさえない者にも、その存在が知られていくようになる。
マーシィはこの街を拠点に、様々な活躍をしてきた。そのため、遠方から来た商人や旅人などを除き、この街でマーシィを知らぬ人間はいないと言っても過言ではない。
「昨日は惜しかったのう。お前さんが負けるとは、一晩経った今でも信じられんわい」
「私はまだまだ未熟者よ。もっと頑張らないといけないわ」
「だけど、マーシィと同じ動きする人って、やっぱりいるのね」
「勿論いるわよ、あれはリオスで教わったものだから。だけど、あの動き……あれは別の流派も習得してるわね」
「強かったなあ、あのグラスランナー。なんか、別の領じゃそこそこ有名人らしいじゃないか」
「らしいわね。でも、私だってこの領じゃ有名人なんだから、次は絶対負けないわよ」
「その意気だ! 応援してるぜ、マーシィ!」
「ええ、ありがとう」
そう言って、マーシィはちらと街の南東部に視線を向ける。
そこにあるのは、街の中ならどこからでも視認出来る、巨大な建造物だ。
ケートレアの五分の一ほどを占める面積を誇るその場所では、日夜冒険者たちが集い、その腕前を競い合っている。
土地は痩せていて、鉱物資源もなく、
「二ヶ月後、"
その名を、ケートレア
意図的に命を奪う行為や手加減の難しい魔法と間接攻撃類の禁止、審判の判断に絶対服従など、とにかく"
一説によると、北東のダグニア地方にも同様の施設が存在し、旅の吟遊詩人が語ったそのシステムを参考にしたという話だ。
「いくらマーシィでも、レガーテの"猛る巨人"に勝てるとは思えんなあ」
「いやいや、デクロンの"わらしべ拳士"だって、ずいぶん調子を伸ばしてきてるぞ」
「ちょっと待って、それは半年後のほうでしょ」
「おっと、そうだった」
レガーテ、そしてデクロンというのはケートレアと同じ領内の街の名であり、そこにも闘技場が存在する。
二ヶ月に一度、三つの闘技場では武闘大会が開催され、その武を競い合う。これは予選も兼ねており、成績上位者は三つの闘技場で一番の強者を決める本選への出場権利を得ることになる。
この本選は年度末に行われ、アイヤールの皇帝も特別席に招待される。つまり、事実上の御前試合というわけだ。
当然、普段の十倍以上の見物客が押し寄せることになり、その異様な熱気とムードは、この領最大のお祭り騒ぎとして、アイヤールでは知られている。
マーシィはここケートレアの闘技場で、連続三回の優勝を決めていた。しかし、昨日行われた四回目の優勝をかけた決勝戦にて、ふらりと別の領からやってきたグラスランナー――成人でも子供の背丈ほどしかない種族――に敗れてしまったのだ。
「じゃあ、そろそろ行くわ」
「闘技場に行くのか?」
「昨日の今日であそこには行かないわよ。どこか見晴らしのいい場所で、ゆっくりお昼寝させてもらうわ」
またね、と手を振り、マーシィは散歩を再開する。
のんびりした足取りで、あちこちで雑談する人々の声に耳を傾ければ、やはり昨日の武闘大会の感想が主な話題のようだった。
(私を応援してくれた人には、申し訳なかったわね)
鍛え直さないといけない。ぐっと拳に力を込め、気持ちを新たにする。
マーシィには一つの目標がある。戦闘力はその目標達成に必要な要素の一つだ。
そのため、自らの技量を確かめるために出場している武闘大会だったが、やはり上には上がいた。ギリギリの接戦で、マーシィにも勝ちの目はあったのだが、最後の一押しが足りなかった。
マーシィはにやり、と口元を半月状に曲げる。
強者は大歓迎だ。マーシィは強くならなくてはならない。欲しいのは
惜しむらくはグラスランナー相手では流石に異性としての好み足り得ないところだが、まあ、その辺りはどうでもいい。
本当なら、隣接領の領主――"闘神"と称される男に一度手合わせ願いたいところだが、彼はたかが一介の冒険者にいちいち構っていられるような身分ではないし、あまりにも強すぎて、闘技場への参加を禁止されている。
自分も、そんなレベルまで強くなれるだろうか?
いや、ならないといけないのだ。
蛮族に攫われた、
「……って、やめやめ。今日は休むって決めたんだから」
首を横に振る。
オンとオフの切り替えは大事だ。シャドウという種族は戦場にいるときと戦場から離れたときで、性格が真逆になると聞いたことがある。マーシィは皇族、人間の養子、暗殺者、そして冒険者として生きてきたので彼ら『一般的なシャドウ』の性質に当てはまらないのだろうが、そういった公私の線引は感覚的に納得するものがあった。あるいは、連綿と続くシャドウの血脈に染み付いたものが、マーシィにも影響を与えているのかもしれない。
仕事してるときは仕事する。
訓練するときは訓練する。
そして、休むときは休む。
それだけの、単純な話だ。
「どこに行こうかしら。武闘大会の翌日だから人も多いし、いっそ一日中温泉につかるのも――」
独り言の途中で、口を噤む。
聞き覚えのある声が、耳に届いたのだ。
周囲は人の群れ、満ちているのは喧噪。そんな中でも、
怒声。
苛立ちを隠そうともしない、少女の声。
「……今日は、何事もない一日を過ごしたかったんだけどな」
マーシィは溜息をつくと、声のした方向へ小走りに駈け出した。
東西と南の大通りが交わる中央広場を、やや南に下った露店の前。
二人の少女が、睨み合って対峙していた。
「彼に、ぶつかったことを謝れ」
一人は、中性的な容姿の少女。
薄桃色の髪を乱雑に短く切り取り、細く鋭い目付きに、起伏のない体型なのと相まって、少年のようにも感じられる。
足首ほどまであるロングスカートが、あまり似合っていなかった。
「既に頭は下げただろう、これ以上何を望むものがある」
もう一人は、大柄な体格の少女。
筋肉質な肉体に、威風堂々とした態度。しかし容姿や声質は幼さが残り、酷くアンバランスな風貌だった。
こちらも同じようなロングスカートで、彼女には似つかわしくない。
「誠意が感じられない。ただ、口先だけで謝罪の言葉を述べれば良いわけではない」
「何故、無関係の貴様に咎められなければならんのだ」
視線が交差し、火花を散らす。
遠巻きにその様子を観察している商人や通行人たちの顔には、怯えたような、不安がるような表情がありありと浮かんでいた。
囃し立てたり、煽ったり、逆に仲裁しようとする者もいない。
――この領では、"喧嘩"に関わるのはご法度なのだ。
「ミナ! 何をしているの!」
マーシィは今にも掴みかからんとしている彼女たちの前に飛び出し、小柄なほうの少女の肩を引っ張った。
少女は特に驚いた様子も見せず、肩越しにじろり、とマーシィに視線を向ける。
「邪魔しないで、マーシィ」
「何度も教えたでしょ、騒ぎを起こすのは駄目だって!」
「しかし、彼が」
「あ、あの!」
ぴょこん、とマーシィの前に影が一つ飛び出した。
その外見を一言で現すなら、犬人間。
直立した犬のように、毛皮に包まれ二足歩行するその種族は、コボルドと呼ばれている。
本来は人族と敵対する蛮族側の存在なのだが、その最底辺の扱いから、人族の領域に逃亡してくる者も少なくない。
「ぼ、僕が悪いんです! 僕がよそ見してたから……」
「違う、よそ見していたのはこの女だ。あなたは、悪くない」
「……どういうこと?」
話が見えず、マーシィは眉根を寄せる。
「我がそのコボルドにぶつかってしまったのだ。コボルドは貧弱故、大袈裟に倒れた。そこに、その女が難癖をつけてきた」
答えたのは、大柄な少女のほうだった。
「あなたは?」
「我はアムタイ。《赤砂領レザナード》で冒険者をしていたが、縁あってこの地に辿り着いた」
アムタイと名乗った少女は、そう言って首から下げていたエンブレムを見せる。
冒険者の店は信頼できる者に、その店固有のエンブレムを渡す。それは身分証明の証のようなもので、アイヤールでは領と領の間を行き来するときの通行手形として扱うことも可能だ。
レザナードとはディルフラムと隣接する最前線に位置する領の一つであり、アムタイの持っていたものは、確かにそこにある冒険者の宿のものだった。
「お前のことは噂で聞いたぞ、仮面をつけた三つ目の女。この領でも有数の実力者と聞いた」
「照れるわね。それで、コボルドにぶつかって……頭を下げた?」
「ああ。というのに、その女は――」
「違う。最初は一瞥しただけで、頭を下げようとすらしなかった」
脇からミナが口を挟む。
「だから、謝れと言った。そしたら、渋々といった様子で、一瞬だけ首を縦に動かした。ワタシは、あれが謝罪行為だとは認めない」
「……って、言ってるけど?」
「当たり前だ。何故、我がコボルドごときに非礼を詫びねばならぬ」
首を捻るアムタイ。
その態度は尊大というより、本気でわからない、といった様子だった。
「貴様……!」
「あ、あ、あの! ミナさん、僕はもう気にしてませんから!」
激昂しかけたミナに、必死で縋り付くコボルド。
ぷるぷると震える尻尾は、見ていて哀れを誘う。
マーシィは嘆息し、改めてアムタイに向き直った。
「事情は、なんとなく分かったわ。アムタイ、あなたがアイヤールに来たのは、いつごろ?」
「およそ、二月ほど前だろうか」
「あなたの周囲に、コボルドはいなかったの?」
「いたが、関わりあうことはなかった。故郷では、コボルドは我よりも劣るものだった」
「……ああ、もう、これだから……」
マーシィは頭を抱える。
今日はだらだらと過ごす予定だったのに、こんなトラブルに巻き込まれてしまうなんて。
「劣るならどんな扱いをしてもいいと――」
「ええい、ややこしくなるから黙ってなさい、ミナ!」
再び口出ししようとするミナの頭を鷲掴みにし、マーシィは再び嘆息した。
聞き分けのない子供を教育するというのは、こんな気持ちなんだろうか。
それなら、まだ母親にはなれそうにない。
「いい、この領では――」
「大変だぁぁぁぁぁっ!!!」
今まさに発せられようとしていたマーシィの言葉を遮り、突然の大音声が響き渡った。
「…………」
うんざりした顔で、マーシィは声のした方向に顔を向ける。
「今度は、何?」
「……何か、騒がしい」
ミナがぼそりと呟く。
確かに、声の方角――闘技場方面から、ざわついた空気が漂ってきた。
何やら、黒い煙のようなものも、立ち昇っている。
「火事か?」
「いえ、もっと黒いわ。あれは、まさか……」
「――ああ、マーシィじゃないか! 大変だよ、大変!」
その時、人混みから魔道機械に乗った一人の青年が飛び出した。
鎧こそ着ていないが、布を巻いた斧を背負ったその姿は、冒険者の出で立ちだ。
乗っているのは、
「レイブレン……だったかしら。どうしたの?」
「俺、闘技場の清掃の仕事してたんだよ! そしたらさ、出たんだよ!」
「出たって……まさか」
「そう、そのまさか!」
一拍置いて、レイブレンは叫んだ。
「蛮族が、出たんだよ!」
マーシィに勝ったグラスランナーは、金鷺さんです。