始まりの夢
赤城には夢がある。
いつか故郷の町に帰って、父の勤める工房で硝子細工を作るのだ。
まだ赤城が赤城ではないありふれた一人の娘だった頃、父が誕生祝いに作ってくれた文鎮は今でも大事に取ってある。
大変な仕事であるのは知っていたし、女がそのような仕事に就くのを皆が反対することは想像できた。
しかし東京の業者がわざわざ仕入れに来るほどの職人である父を、赤城は強く尊敬していた。
だからいつか全てが終わったその日には、部屋にある書類を全て片付け、仲間達に別れを告げて、そうして家にいる両親に、『これだけの勤めを果たしたのだから、好きなことをさせて欲しい』と、頼んでみようと考えていた。
「赤城さん。冷たいお茶は要りますか?」
「ありがとう、加賀さん。……ついでにお菓子もいただけるかしら?」
「待ってて。いま、なにか取ってくるから」
波止場に用意された小さなテーブルセットに腰掛けて、思い出に耽る赤城の傍に、見慣れた友人がやってきた。
向こうでは夕張や天龍達が釣りをしている。電や雷の姿もあった。おそらく世話役は長門か陸奥だ。
「栗ようかんがありました。提督の分は取ってあります。どうぞ赤城さんのお好きな分だけ」
「加賀さんもどうぞ」
「私は」
「いいのよ。座って」
赤城がそっと椅子を引くと、加賀は小さく頷いて隣に座った。
簡素な焼き物の茶飲みには氷の浮いた宇治茶が注がれ、からんと美しい音を奏でる。
陽射しは強く、蝉時雨。
こんなよく晴れた昼間には、軌道エレベーターが綺麗に見える。
空を見上げる赤城の頬をさわやかな風が撫でつけて、提督の執務室に吊された風鈴を、ちりんと涼しく打ち鳴らす。
その心地よい音色を聞きながら、赤城は心に夢を描く。
そう遠くない未来の夢を。やがて訪れる平和の夢を。
それはとても良く晴れた午後の休息。
赤城が呉鎮守府に着任して、一年ほど経った夏だった。
●
「失礼いたします。提督はいらっしゃいますか?」
呉鎮守府の朝は早い。
現在時刻は〇五〇〇。執務室の扉が控えめな声と共に小さく叩かれると、椅子に腰掛けていた軍服姿の紳士が、「入れ」と簡潔に言葉を返した。
失礼いたしますと一礼し、部屋に入ってきたのは空母赤城だ。
手には分厚い紙束を持ち、脇には小型の演算端末を抱えている。
おはよう。おはようございます。書類にお目通しをいただけますか。
事務的な挨拶を交わし合い、赤城は抱えた書類を彼に差し出し、彼はそれを受け取った。
「随分大破した艦が多いな。……艦隊の士気はどうなっている?」
「西方海域の攻略成功により艦隊の士気は高揚していますが、時雨は村雨の不調を訴えています」
「原因はなんだ」
「精神的な負担によるものでしょう。先の戦いで僚艦の夕立と涼風が大破し、まだ補修作業が続いています」
「時雨はなんと言っている」
「『無理をさせれば落ちるだろう』と。遠征に影響するかはわかりませんが、時雨の艦を見る目は確かです」
「次の輸送作戦まで様子を見てくれ。改善が見られなければ、鎮守府海域の護衛任務に回す」
「わかりました。次に、入渠中の五航戦ですが――」
赤城がこの提督の筆頭秘書官を務めるようになっていくらか経つ。
彼はあまり感情を表に出すことはなかったが、無味乾燥というわけでもない。
無駄な損失は避け、避けられなかった損失は損失という言葉で整頓し、その事後処理を忘れない程度には人間的だし、妻の写真を目下の者に見せようとしないほどには自分の立場を弁えている、理想的な上官だった。
「結構だ。後の細かい折衝は君に任せる」
「かしこまりました。午後の演習はどうなされますか?」
「南方海域まで再び戦線が戻ったことで、対潜攻撃部隊の充実は急務となった。
睦月型の引退もまことしやかに囁かれている。一日も休んでいる暇がない」
「では――」
「いつも通りだ。秋雲と夕雲の修復を前倒しで完了させる。それと、飛龍君にももう少し仕事を覚えて欲しい。主立った午後の業務は彼女に任せて交代してくれ」
いくつかの報告と確認を済ませた提督は、高速修復剤の使用許可証に判を押して受話器を取り、鼻の傷を指でなぞった。部屋を出るように促す合図だ。
あまり口が得意ではないと言うこの提督は、確かに対話能力にやや問題がある。
「そうだ、赤城君。一つ言うのを忘れていたが……」
発信パネルを操作しながら言う提督に、はい、と赤城は振り向いた。
「君は今日も相変わらず魅力的だ。特にそうだな。やはり尻だ。いや、他意はない。私には妻がいるからな」
ありがとうございますと言って彼女は去った。
●
「もしもし。赤城ですが長良さんはいらっしゃいますか?」
『俺の名は天龍。フフ……怖いか?』
「おはようございます、天龍さん。長良さんに代わっていただきたいのですが」
『なんだ、戦闘か?』
「はい。今日の演習のことで、いくつかご相談がありまして――」
『そう来なくっちゃな。抜錨だ!』
「天龍さんはしばらく遠征に専念してもらうことになりそうだ、と伝言をお伝えください」
『こら! 俺を第一線から下げるなっての!』
『天龍ちゃん。あんまり人に迷惑掛けちゃ駄目よ~』
『く、くっそがぁッーー!!』
何かが強打される音を最後に、電話は一方的に切断された。
水雷戦隊は曲者揃い。こうした珍事はいつものことだ。
彼女達の奇行にいちいち目くじらを立てていては、時間はいくらあっても不足する。
赤城は特に気にせず冊子を取り出し、一つの業務を完了したこと、軽巡洋艦・天龍になんらかの損傷が出た可能性があることを記録して、事務室の椅子から腰を上げた。
一度、伸びをする。
途中、軽食を取るために席を立ったのを除き、ほとんど休まずに机仕事を続けて、だいぶ前に正午を過ぎた。
仕事はこれで終わりではない。
赤城が所属する呉二三鎮守府は、その数字と地名が現すとおり、かなり古参の鎮守府だ。
乾ドックも数度の増築によって拡大されており、鎮守府内部を人の足で横断しようと試みたなら小一時間はかかるだろう。
備蓄資源や停留中の艦も多く、そこで動かされる資源、情報は膨大だったし、秘書官の仕事は言わずもがなだ。
主立った業務は飛龍に交代したとはいえ、それ以外の仕事も山のようにある。
午後は入渠中の艦を見て回り、整備状況や物資の消費量を点検することになるだろう。演習の監督もしなければ。
「赤城先輩。少しお時間よろしいでしょうか?」
「はい。なにかありましたか?」
「先日の輸送任務で計上した資源が計算と合わないのですが……ご意見をいただけないでしょうか」
戸棚で書類を整頓していると、鳥海がやってきた。
生真面目で学者肌。艦娘にはやや珍しい頭脳派の彼女は、データに固執するあまり、つまらない失敗を犯すこともままあるが、おおむね優秀な秘書官であり、赤城とも親しい仲だった。
「担当はどなたになっていますか?」
「金剛さんです。あまり秘書官の仕事はなさらないので、些細なミスだとは思うのですが」
鳥海が差し出した書類に目を通すと、取引先から受け取った書類と異なる点がいくつかあった。
末尾単位での小さな端数でいくつかの資源が減ったり増えたりという、一見ありふれた計算ミスだったが、その間違いを犯したのが浪費癖のある金剛だということを、赤城は決して見逃さなかった。
「……金剛さんが先日提督の部屋に持ち込んだ新しいティーセット、一体どこから来たのでしょうか?」
そう言ってキャビネットから分厚い本を取り出して、机の上に広げた。鳥海も脇から覗き込む。
英国製の磁器カタログだ。金剛も同じ物を持っている。
先日熊野の要望で追加発注したものだったが、こうしてじっくり見てみるとその値段に目眩がしそうだ。田舎育ちの赤城には、ただの茶器にゼロがいくつも並ぶなどほとんど異常な話に思えた。
「消えた扱いになっている物資をお金に換えたら、ちょっとした額になるはずですね」
「あっ……いえ、その……まさかじゃないでしょうか?」
「響さんはこういうことに融通が利くし、あり得ない話ではないと思います」
やや苦々しげな声で言いながら、赤城は計算機を叩き始める。
天然樹木による木製テーブル、舌を噛みそうな名前の骨董磁器、合成品ではない本物の茶葉。
カタログを元に大まかな値段を推測すると、それなりに現実味のある大きな数字が小さな誤差でまとまっていた。
「当たりでしょうね。困ったものです」
「あうう……ど、どうしましょう? 提督にご相談した方がいいんでしょうか?」
胸の前で手を組んで、目尻に涙を浮かべる鳥海。
もし落ち着いている時の彼女なら『計算外です』と言ったかもしれないが――笑い事ではないと赤城は思った。
金剛の件は……些末なことだ。憲兵達さえ煙に巻ければ、金の話はどうにでもなる。
裏で手を引いているはずの響についても、これはチャンスだ。お灸を据えるとまでは行かないだろうが、頭を押さえる材料になる。
しかし鳥海の話は全く別だ。
彼女には、自信と経験がいる。どうしても、なにがあっても。
ゆくゆくは水雷戦隊の旗艦として艦娘を束ねる立場につくであろう鳥海に、迷いや躊躇いがあってはならない。
次に彼女が二の足を踏んだ時、誰かが沈んでないという保証は何処の誰もしてくれないのだ。それは拙い。
まごつく鳥海を前にほんの少しだけ黙考し、赤城は釘を刺しておくことにした。
「見過ごすことは出来ないとはいえ、あまり事を大きくすると憲兵沙汰になりかねません。
幸い大きな額でもありませんから、話を収めるのはそう難しいことでもないはずです」
「で、ではどうしましょう?」
不安げな鳥海に、赤城はぞんざいに答えてみせた。
「上手く便宜を図ってください。私は他の執務があるので、鳥海さんにお任せします」
「ええっ!? ま、待ってください! わ、私には――」
「あなたは呉鎮守府の提督より直々に秘書官の使命を賜った、名誉ある重巡洋艦でしょう?
これぐらいの雑務がこなせないようでは困ります」
「――! め、名誉ある……使命!?」
大袈裟に飾り立てられた赤城の言葉に、生真面目な鳥海は後ずさり、かっとその目を見開いた。
一瞬怯えさせてしまったるのかとも思ったが――違った。
鳥海は縮こめていた背中をぴんと伸ばし、『あなたの発射した六十一cm五連装酸素魚雷がヲ級空母五隻を同時に撃沈した』とでも報告されたかのように目を輝かせ、耳をぴくぴくと動かしていた。
上手くいった。
赤城は能面のように表情を隠しながら、内心で大いにほくそ笑んだ。
鳥海は頭は良いが素直すぎるため、おだてにめっぽう弱いのだ。
いささか心配性の過ぎる妹・摩耶が、このどこか抜けた調子のある姉を邪な輩から守るべく、過激な性格に成長したのも必然だったのかもしれない。
ともあれ、自身の策が功を奏したという手応えを得た赤城は、いよいよしゃちほこばった口ぶりで、でまかせめいた訓示を垂れた。
「そう。名誉ある使命。皇国の守護者たる提督に選ばれた秘書官であるあなたは、その使命に従う義務があります」
「し、し、司令官さんに……! これは盲点でした! 迂闊です!」
「私達がお仕えする提督は、神聖なる陛下より軍を賜った偉大なるお方。しかし、その彼が下らぬ雑事に気を取られ、責務に支障を来すとなれば、それは国の損失。亡国の危機。 ……わかりますか、鳥海さん。彼をお助けし、この国を救える艦娘は――今あなたをおいて他にないのです!!」
「な、なんということでしょう……!!」
神妙な面持ちで瞳を閉じ、畳み掛けるように言葉をぶつける赤城が最後に語気を強めると、『ドッギャァァァアン!!』という擬音が浮かび上がり、鳥海は感動に打ち震えた。
皇国の守護者!
名誉ある使命!
誇り高き秘書官!
『あの司令官さん』の助けになれるという、この身に余るその光栄!!
結核患者のように重ねた両手で胸を押さえ、ぷるぷると震える鳥海の瞳が放つ輝きは、さながらソロモンの夜に放たれた四十六cm砲の三式弾、殊勲の御座に昇らんとする酸素魚雷の登竜門。それは揚々たる士気の表れであり、先程まで見られた怯えの色は、もはや龍穣の胸ほどもない。
「今日の私は多忙ゆえ、鳥海さんに手を貸すのは大変難しいと言わざるを得ません……。……しかしその必要はないのだと、第一航空戦隊の旗艦・赤城は信じています。あなたという有能な秘書官が、提督の期待に粉骨砕身してお応えし、必ずや事態を解決してみせるだろう、と」
もったいつけて弁を振るい、ちらちらと視線を送ってみる赤城。
『当然できますよね?』と言わんばかりの振る舞いに、鳥海は相当心をくすぐられたのだろう。彼女は大きく深呼吸をした後で、
「は、はいっ! この重巡鳥海、この命に替えましても、提督のご期待に応えてみせます!」
凛とした声で答えて、敬礼。
赤城は溜飲が下がる思いだ。
この自信に溢れた重巡は、きっと艦隊を栄えある勝利に導くだろう。
……しかし、赤城は慢心しない。あと一押しこそが肝要なのだ。
彼女は完璧なる勝利を手に入れるべく、思案げな表情で鳥海を見た。
「そうですか。でも……ああ……。やっぱり私は心配です。金剛さんはああ見えて意外としたたかですから、心優しい鳥海さんにつけ込んで、のらりくらりと話をはぐらかしてしまうかも……」
「いいえ!!! 提督より直々に御下命を承ったこの私に、どんな心配もご無用です! 例え相手が金剛型だろうとモンタナ級だろうと、私は絶対止められません! 勝つまでは!!」
「モンタナ級は建造されずじまいだったと聞きますが……まあ、なんだか凄い意気込みなのは理解しました」
「はい! ……ということなので、私はこれから遠征がてら、金剛さんのところに行って参ります! 赤城先輩も、どうぞ良い一日をお過ごしください!」
「ええ。頑張ってくださいね」
「鳥海、行きます! 司令官さんのために! ――とおおぉぉぉう!!」
島風のごとき勢いで机上の書類をまとめあげ、全速力で駆け出す鳥海を、赤城は笑顔で見送った。
時間は一二三〇近い。
食堂は混み合っているだろうから、今日のお昼は控えめにしよう。
赤城は帯を少し緩めて、喧噪の響いてくる食堂に向かった。
なんか鎮守府の上空に広がる真っ青な空に、軌道エレベーターとかスペースコロニーが浮かんでる絵が頭に浮かんだのと、W40kというボドゲの世界観が好きで好きでたまらなかったので、どうしても書きたくなって書いた感じです。
知り合いの先生方から意見をいただき、「ケータイでの閲覧者は字数が多いと読みづらい」とのことでしたので、3000字ぐらいを目安に分割投稿することにいたしました。
おそらく4~5回で終わりになるため、それまではおつきあいください。
なお次は食事パートです。夕張とかも出てきます。