赤城は真っ白な息を吐いた。
そして見渡すほど広く、大きな邸宅の門の前で足を止め、その家をしげしげと見た。
漆喰の塗られた瓦張りの卯建。檜でできた立派な門。表札はなく、郵便受けはからっぽ。おそらく相当な古史趣味の者が建てたのだろうその武家屋敷の内庭に、着流しの男が立っていた。
歳は60から70ほど。がっしりとした細身の長身に、真っ白な頭髪と立派な口ひげ。目鼻の彫りは深く、どこか日本人離れをした容姿。左腕と左足は非常に高度なサイバネ義肢で、月夜に夜目をこらしてみれば、その左目も高度な義眼だ。
数日前、〈鳳翔〉で藤田と名乗ったその男に、赤城は静かな声をかけた。
「なんとなくあなただと思っていました」
藤田は当然のように頷いた。
「二○○○。聞いたとおりの時間に来たな。やはり刻限には正確らしい」
義眼がヒュイと小さな音を立てて動き、赤城が持つ羅針盤に視線が向いた。
互いに示し合わせたとしか思えない邂逅だったが、そのような事実は全くなかった。赤城はあの寮を出て身支度をし、そして羅針盤の針の指すままここへ来て、このどこかで会った気のする男がたまたまここにいただけなのだ。
赤城はその疑問を言葉に示した。
「どなたに私の来訪を?」
「誰、と言うべきか」
「言葉遊びが好きな方には見えませんでしたが」
「口はあまり得意ではない。適当な言葉が見つからないのだ」
「では――」
「強いて言うなら子供達だ。あれは今でも君らを気にかけている」
答えになっていなかったが、藤田はそこで言葉を切り、無造作に左手を突き出した。
赤城は当然のように時計を手渡す。
「今日はきまぐれもなかったようだ。思いがけず君に会えたのが、よほど嬉しかったと見える」
赤城は黙っていた。この朴訥に過ぎるとしか言えない男が、玩具に名前をつけて愛でる人間には見えなかったが。
彼は時計を両手で持つと、くるりと踵を返して言った。
「来たまえ。私に用事があるのだろう」
彼は返事を待たずに歩き出した。赤城も無言でそれに従う。
青々としたシダの葉が月明かりに照らされる、美しい満月の夜だった。
やはり不思議で、奇妙な気分だ。
赤城は知人ですらない、それこそ他人も同然の男の指示に盲従するほど愚かではない。一目惚れを信じるほどに、ロマンスを夢見たこともない。だというのにも関わらず、赤城は三日前に会ったばかりの男の家を夜分に訪れ、そしてその言葉に従っている。まるで何百何千年もの昔から、そうしていたとでもいうように。
わずかも手入れされていない庭を渡ると、そこに離れが見えてきた。そこに入るのかと思いきや、藤田はその脇にある大きな倉の扉を開いた。きい、ときしむ音を立てて戸板を開き、さらに壁を手で探る。パチリとなにかのスイッチの音。すると倉の床が左右に開き、するすると階段が現れた。戦中に作られたシェルターだろう。蓄光ナノマシンの生み出す青い光にまばたきしながら、赤城は藤田の背中に従い、ゆっくりと階段を下りていく。
優に百段を下ったところでようやく部屋についた。
自動的に照明がつき、思わず赤城は息を呑んだ。
その部屋は驚くほど広かった。端から端までは数十メートル、学校のグラウンドほどもある。天井はそれほど高くなく、等間隔に照明が並んでいる。生活用と思わしき空間は、入り口のソファと作業台、それに空気中の水素から水を作り出す循環装置にフードディスペンサーと発電機を兼ねたゴミ処理機ぐらい。だが赤城を驚かせたのはそのシェルターの広さではなく、その空間にぎっしりと並んだ軍艦の模型達――その膨大な量だった。
一つ一つの全長は五十センチほど。それぞれが小さなショーケースに収まっている。だが圧倒的なのはその数だ。ほぼ正方形の部屋に対して等間隔に並んだそれは、部屋の隅から隅にいたるまでひどく几帳面に整列していた。
「これは――」
「それはまだ作りかけだ。見るなら別のやつがいい」
ショーケースを覗きこもうとした赤城に藤田が声をかけた。見れば、その模型はまだ組み立て途中で、甲板なども木板の色が塗りかけだった。
赤城はくらりとめまいがした。
木板――木板だと?
信じられない。はるか数万年の昔には軍艦に天然の樹木を使っていたとなにかの本で聞いたことがあるが、一体それでは火がついたときにどうするのだろう? それどころか、赤城の目の前に並んだ模型達には本来船にあって当たり前の反重量航行装置もつけられていない。
「今百三十五隻ある。その右側にある船が〈赤城〉だ。同じものもう二隻あるが、また差し替えるつもりで一隻作った」
目を丸くする赤城に、藤田は平坦な声で言った。
赤城はそちらを見た。ショーケースの中に、細長い甲板を持った、やはり『奇妙な船』としか言えない船の模型が鎮座していた。
「二十世紀の戦争で、彼女は連合艦隊の旗艦を務めた。加賀や蒼龍、飛龍と共に太平洋を駆け巡り、敵を容赦なく打ち倒し、そして水の底へと沈んだ」
藤田は一度言葉を切った。
「昔、戦争があったのだ」
赤城はその船をちらりと見たあと、今度は藤田の目を見て言った。
「あなたは軍人なのですね」
「そうだった」
「聞いたことがあります。かつての帝国は、年端もいかない少女達を兵器に換えて、大人達の代わりに戦わせたと」
「事実だ」
「なるほど。たいした大人だと思います」
彼や大人を今さら責めるつもりはなかったが、自分でも驚くほど刺々しい声が出ていた。
彼がなにを言いたいかは知らない。だが、大方の想像はつく。ようするにこの空母と自分を照らし合わせて、平和の尊さがどうのこうのと説教じみた話をしたいのだろう。
冗談ではない。
赤城は、生まれて初めてかもしれないほどの激しい怒りを覚えていた。
たしかに赤城は不思議な夢を見ることがある。この空母にも、見覚えがある。きっと古史の本を開けば、あの夢と合致する言葉を百も拾うことができるだろう。
だがそれがなんだというのだ。
長年気にかけてきた奇妙な夢、そのたしかな形である模型をこの目で見た今だからこそ、赤城ははっきりと理解した。
あれは単なる夢に過ぎない。これは単なる玩具に過ぎない。自分は空母などではない。夕張という妹の心を救うためにやってきた、一人の人間に過ぎないのだと。
たとえそれが根拠のないオカルティズムに基づいた動機であれ、赤城は夕張のためにここに来たのだ。とっくの昔に終わった戦争の思い出話を聞くためではない。
「その償いのためにこんなことをしているとでも?」
吐き捨てるように赤城は言った。
だが藤田の口から放たれた次の言葉は、赤城が想像だにしてなかったものだった。
「こんな玩具を作ることが、どんな罪を償うというのかね」
こともなげに彼が言うと、赤城は完全に言葉を失い、藤田の視線に気圧された。
彼の目は穏やかだったが、声には苔むした巌の重みがあった。
男は赤城の目を見据えてはっきりと言った。
「なるほど、たしかに我々は戦い続けた。あの暁の水平線に勝利を刻むために。もうなにも失わないため、なにを失ったのかすら忘れながら、途方もなく多くのものを失いながら戦い、勝った。戦争は終わった。だが誰も償うことはできなかった。当然だ。戦争と死を人が償うことができるという傲慢さこそが、その過ちを引き起こすからだ」
赤城は震え上がった。冷たい声で人の死と罪について話す眼前の男が、水底からやって来た恐ろしい怪物に思えてならなかった。
「なら罪はいつ消えるのですか」
赤城が渇いた口で言葉を発すると藤田は、
「罪が消えることはありはしない」
気のせいだろうか。嘲笑とは違う笑みを浮かべた気がした。
「だが許すことはできる。私を戦争から解放したのが彼女達であるように。そして私自身の戦争の暁が終わった今、私は彼女達と過ごした悪くない記憶を、形として残すことにした。つまりこれは――」
「これは……?」
ショーケースを見つめる藤田に赤城は聞き返し、
「私の趣味だ。いい出来だろう」
ずるり、とコートがずり落ちた。
彼は空前絶後の仏頂面で〈赤城〉の甲板を指さした。
「甲板の塗料が肝心なのだ。明るすぎると重みが出ない。だが暗すぎると、地味だ。この色を出すのに十四通りのモデルを作った。これはその中で一番いい色だったのだ。だから今そこの空母群を作り直して……どうかしたか」
「い、いえ……今までの話はなんだったのかと思いまして」
「世間話だ」
じゅる、と脱力のあまり出てしまったよだれを拭き取る。
「そもそも最初に言っただろう。『昔、戦争があったのだ』と」
藤田はくそまじめだが、どこかのんきな口調で言うと、指先で鼻の傷を撫で上げた。
「それはそうですが……」
「そう。関係のないことなのだ。君は私の趣味の話に付き合うためにここに来たわけではないのだから」
じゃあなんで話したんだ! と赤城はもう少しで言うところだった。今の自分を鏡で見たら、顔のあちこちにくっきりと青筋が浮かんでいるのではないだろうか。脱力と呆れと怒りがせめぎ合い結局呆れる赤城をよそに、藤田はソファーの脇に置かれた工具箱の中から綺麗に折りたたまれたハンカチを取り、羅針盤の
ぷりぷりと怒る赤城がここを去る言い訳を考え始めた、まこと本末転倒な経過を歩み始めたそのとき、完璧なタイミングで藤田は言った。
「私は海軍に知り合いがいる」
赤城は一瞬、この男がまた頓痴気なことを言い出すのかと身構え――そこでようやく本来の目的を思い出した。
藤田が振り向き、赤城の目を見る。彼の目は、玄関で赤城を待ち構えていたときの、精悍な顔つきに戻っているように見えた。
「そもそも平賀博士は海軍の要人だ。国内外をなんらかの交通手段で移動するなら、暗殺、亡命といった事態に対処するために必ず当局が間に入る」
「で、では――」
赤城は期待に表情を明るくした。
「彼の、正確には夕張の居場所を知ることは造作もないことだ」
ぱっ、目の前で花火が上がったように視界が急に開けた気がした。彼がなぜ夕張や平賀博士のことを知っているのかなどどうでもよかった。
だがその期待と喜びも、次の言葉を聞くまでだった。
「しかし要人というのが問題だ。彼は航空機・ワープ航法・船舶搭乗のすべてにおいて当局の厳重な保護下に置かれる。たとえ家族同然の仲であっても――いや、実の家族であったとしても、事前照会なしでの面会はほぼ不可能だ。そして私の知る限り、彼はすでに熊谷港にいる」
「政府直轄の軍港ではないですか!」
彼はうむ、と頷いた。
「取り次ぎを頼んだのだが私は敵が多くてな。事務官の曙からは嫌がらせ同然の門前払いを食ってしまった。あとで書面で正式に苦情を――」
「そんなことはどうでもいいんです!」
ついに赤城は声を荒げた。
「私は一体どうすればいいんですか!!」
そして食ってかからんばかりの勢いで藤田に詰め寄り、きいきいと甲高い声を立てる。
だが彼はまったく動じずにこう言った。
「心配いらん。どうにでもなる」
「どうにでもなるって――」
「どうにでもだ」
あまりにもあまりな返答に唖然とする赤城。
しかしその『どうにでもなる』という言葉には――なにか凄まじい含みがあることだけは感じ取った。
藤田は羅針盤を作業台に起き、鍵の掛かったショーケースの中からよく手入れされた海軍帽を取り出し、言った。
「熊谷の守備隊は陸軍からの編入組だ。やつらにできることなどたかが知れている」
「できること、って……一体なにをするつもりなんですか」
赤城は嫌な予感がした。聞かなければよかったとも思ったが、彼は作業台の脇にある流し台の鏡を見ながら帽子をかぶり、いそいそと身支度を調えはじめた。
「君にできないことをする。それが私のするべき務めだ」
「できないこと? 務め?」
「義務であり、責務であり、責任だ」
「答えになっていません」
赤城はすっかり混乱していた。
そもそも考えてみればおかしいのだ。
赤城と藤田には接点がない。鳥海や加賀の存在は、たしかにそうと言えるかもしれない。だが直接的な繋がりは、それこそ今日できたようなものではないか。それが(できれば絶対に断じて考えたくないし関わりたくもないのだが)あろうことか政府直轄の軍港に何事かをしようとしているなど、筋が通らないにもほどがある。それはおよそ赤城の常識という常識に当てはまらない。正気の沙汰ではないとしか!
赤城はほとんどヒステリーを起こして言った。
「あなたがさっぱりわかりません、藤田さん」
「なぜだ」
「当たり前です! あなたは一体なんなんですか!? 私の父親!? 友人!? 知り合いでもない! 鳥海さんや加賀さんの知り合いだから私を贔屓しているとでも!?」
「私は人を贔屓しない」
「じゃあなんなのですか! 私にはあなたが狂っているようにしか見えません! ええ、そうです! おかしいでしょう! まだあなたが私を自分の空母だと思い込んでいて司令官ごっこをしているというほうが納得できます! いいえ! そうでなければ納得できません!」
「面白いことを言うものだ」
「私が楽しんでるように見えますか!」
「あるいは」
「~~~~~~ッ!!」
赤城は声にならない声を上げて頭を抱えた。膝から崩れ落ちたくなるが、それもできずに脳だけがぐつぐつと沸騰している。
無様だ。ヒステリーを起こして大声を上げ、ほとんど見ず知らずの男に食ってかかるなど大和撫子のすることではない。いいや、それどころではない。この赤城、人生初にして最大最後(そうであって欲しい)の汚点である。ほとんど呪わしいとも言える。果たして自分はこの男に七生に渡って人生を滅茶苦茶にされる運命にでもあるのですか仏陀よ!
耳から湯気を吹き出さんばかりに言葉なき怒りに震える赤城の前で、藤田は、そのとき、はっきりと赤城にわかる形で口元に笑みを湛えて言った。
「君は大人びているよりそうしているほうが魅力的だな」
もはや遠慮・恥・外聞もくそもなく、「はあ?」と赤城は言ってしまった。まるで人語を解する汚物を前にしたかのような侮蔑の眼差しさえも向けている。
「それでいい。人は船のようなものだ。必ず生まれた港から海に出て征き、やがて元の港に帰る。君は君の望んだところ、最初にいたところに戻ったのだろう」
「さっきから本当になにをおっしゃってるんですか?」
またしても怒りと混乱が呆れに辿り着き、赤城の声が平然となる。
「先ほどの問いに答えよう。『なぜ』と『誰か』の問いについてだ」
藤田はいま一度、赤城を見つめた。
ふと今にしてようやく気付いたが、彼の背丈は赤城よりも頭一つ以上も大きかった。
彼は赤城から視線を外すと、彼の身長よりもずっと大きなガラス張りのショーケースのロックを外した。
ケースの中には勲章だらけの海軍服を着たマネキンが突っ立っていた。
「私の目的は……赤城君。『子供達』をあるべき場所に導くことだ。なるべく間違っていない場所に。子供達自身が本心から望む場所にだ。それが、この心を決めたあの日から決して変わらない私の誓いだ。軍人の責任だからしているのではない」
藤田は軍服に袖を通した。
口元から笑みが消えたその顔は、海の男のものだった。
「それは『大人』の責任なのだ」
次で終わり。人間らしい赤城さんを書くのは楽しいです。