始まりの夢
赤城はたまに夢を見る。
空母になった夢だった。
故郷を遠く離れたところ、見渡す限りの海原で、赤城は水兵達を乗せ、おだやかな波に自分の体を委ねているのだ。
赤城は空母など見たことがない。たぶん、聞いたことすらないはずだ。だけど赤城はどこか高みから自分の姿を俯瞰していて、大きな鉄の体をしたそれが、自分なのだと知っていた。
数えるほどしか見たことのない海も、毎日見ているように理解していた。
赤城の狭い甲板を九七艦攻が疾走し、大空に向かって飛びたっていく。とても青い空だった。
堂々と広がる入道雲に翼達は駈けてゆき、銀の羽に陽射しを受けて、水兵達の目を焼いた。南雲中将もそこにいた。彼は何人かの士官と共に水平線の向こうを見つめ、くつろいだ表情で話をしている。
船の周囲には仲間達。飛龍、蒼龍、榛名に筑摩、加賀もやはりそこにいた。
まるで壊れた映画のように、夢が出鱈目に加速していく。
波間を進む赤城の船体。緊迫した様子の海上無線。慌ただしく駆ける男達。飛来する敵爆撃機、雷撃、空戦、爆装命令、仲間たちの損害報告。
やがて四機のドーントレスが赤城の近くに飛んできた。けたたましい警報。回避も迎撃も間に合わない。プロペラが真上を通過した。風を切る音。警報。警報。なにかが甲板に落ちてきて――そこで、いつも目が覚める。
●
まぶたにやわらかな光が差し込み、赤城はゆっくりと目を覚ました。
まず感じたのは鋭い冷気だ。すうと鼻から息を吸うと、胸の奥がひんやりとする。
見えるのは、木目の天井。視線を下に動かすと、羽毛の布団と勉強机、化粧台。ここは――そう。自分の部屋だ。間違いなしに。
体を起こし、目覚ましを打つ。
時刻は午前六時半、時間ぴったりの起床時間だ。
不思議な夢を見たせいか、目は驚くほど冴えていて、障子戸の向こうから差す朝の光もさほど眩しくは感じなかった。
湯たんぽを用意していたおかげで体はしっかりと温かかった。だが空腹だけはどうにもならない。
赤城はするすると寝間着を脱いで、手際よく着物を着付け、洋服箪笥に手をかけた。赤城の一日を始める日課、食事の準備が待っている。
たすきの色は、何色にしよう。今日は……そうだ。赤がいい。たまに見るぼんやりとした夢の中で、赤城は赤いたすきをしている。だから赤いたすきをしていると、一段と気が引き締まる感じがするのだ。
窓の外で雉鳩が鳴いた。庭先から金木犀の香りが漂ってくる。特別な一日というわけではなかったが、今朝はなんだか気分が良かった。
特別な日にしたくなり、一番新しいたすきを手に取って、ぐるりと体を引き締める。
『腹が減っては戦は出来ぬ』、だ。ぐうと鳴る腹を押さえて、赤城はひっそりと笑みを浮かべた。
●
「ごちそうさんでしたぁ!」
「はい、お粗末様でした」
工員達の威勢の良い返礼に、赤城はうやうやしく会釈した。
赤城の家はガラス細工の工場だ。従業員の数も多く、売上高もそれなりにある。特に色硝子で作ったビードロは前橋の博物館に卸されるほどの出来映えで、赤城が手伝いをする事務所には、祖父の代から伝わるそうした偉業が、トロフィーや賞状の形で残されていた。
「お前もそろそろ出る時間だろう」
作業帽をかぶりながら、ぶっきらぼうに父が言った。
時計を見ると、そろそろ八時。大学で講義を受ける時間だ。
赤城が中学に通っていた頃、『工場を継ぎたい』と言った赤城に父が出した条件は、『きちんとした大学を出る』というものだった。
当時はひどく反発したし、しばらく父とは不仲になった。
父は中学を卒業したあと、すぐに工場に入ったのだと兄や母から聞いてたし、赤城も尊敬する父を追い、職人の道を歩みたかった。
女ごときに職人の仕事をさせるなど許し難いと思った父が自分を遠ざけようとしてたのだと、赤城は自分勝手に考え、悶々としながら高校へ行き、やがて考えを改めた。父の勤める工場には学のある人間が必要なのだと、いろいろな経験から学んだためだ。
大学に通うようになって、それはよりはっきりとした形でわかるようになった。
高度で専門的な機械の導入、法律や税金の扱い方、そうした知識を学ぶことで、赤城は父に貢献できる。父もそれを知っていて、そして必要としていたのだろう。面倒で頑なな父のことが、少しわかったときの思い出だった。
「行ってきます。父さん、母さん」
「気をつけてな」
「行ってらっしゃい」
鞄と弁当を持ち、両親に会釈して家を出た。
遅刻するのはまったくごめんだ。学ぶべきことはまだまだあった。
第二章はいきなり戦後ですハイ。
人が死んだりすることは一切ないので安心して読んでください。