「ヘーイ! アナタなんで人の部屋に勝手に上がり込んで陰気なオーラを放ってるんですカ、ユー・バスタード!」
部屋の隅で体育座りをしている赤城の頭に、ダイアナはカンペンを投げつけた。
ばらばらと音を立ててペンが散らばり、フローリングの床にごろごろ転がる。なおも微動だにせずに膝を抱える赤城に、ダイアナは中指だけを突きつけた。
「ガッデム・ボーシッ! なんとか言ったらどうなのヨ!」
「……なんとか」
「オーマイガッ! ユー・ドント・ブラッディ・キディン・ミー・スメゲー!」
「すみません、日本語でお願いします」
「“クソ食らえ”って言ったのヨ!! ワンカーッ!」
「お断りいたします……」
「ブラディ・ヘル!!」
罵声(らしきもの)を上げるダイアナをよそに、赤城は足下に山と積まれていたアメリカ製のチョコバーの包装紙を開き、なんの感慨もなさげにもりもりと頬張った。
甘いだけで、ナッツの味もいい加減。町の名物甘味処〈間宮〉のチョコパフェと比べれば、雑穀と鯛ほどの差もある代物だったが――なにか食うでもしなければやってられない。赤城はまた一つチョコバーを胃に収め、すぐに別の包みを開いた。
――あれから数日間、赤城はなんとか気持ちの整理をつけるために大学の寮にお邪魔していた。自宅には夕張の思い出が多すぎたので、家に引きこもっているのも辛かったのだ。
「だいたいアナタ、どうやって部屋に入ったんデス? キーロックだって掛かってるし、そもそも玄関で追い返されるハズでショ?」
「霧島さんに事情を話したらすんなり入れてくれました」
「ワッザ!? あのクソメガネなにしてくれてるんデス!?」
「『貸したコートを雑に扱われたから仕返しにちょうどいい』って」
「ボーシッ! トーリーボーシッ!」
「うるさいから電話は外でしてください……」
頭からシーツをかぶって塞ぎ込む赤城の前で、ダイアナはぴかぴかの携帯電話を取りだし、従姉妹のクソメガネこと霧島をスラング全開のイギリス英語でめちゃくちゃに叱責し始めた。
半分だけ日本人の彼女は英国帰りの帰国子女で、家は超大金持ちの令嬢だったが、昔から学業優秀な赤城となにかにつけて張り合おうとする――まあ言ってみればライバルのようなものだ。可愛い妹分である鳥海や夕張と違って肩肘張らずに付き合えるため、赤城はなにか決定的に嫌なことがあったときは彼女を適当にいじって気を紛らわせることにしている。
今回もダイアナを初めとする個性的すぎる女子寮の面々達のくそやかましいオーラにあてられれば少しは元気も出るのではないかと思ったのだが、
「ユー・ジャッカス! 今度このビッチを私の部屋にあげたらその眼鏡をアスホールに突っ込んでやるワ!」
「じゃかあしいわ隣の金剛! こっちはバイト帰りで気が立ってんやで、このアホ!」
「金剛じゃないデース! ダイアナだって言ってんデス、このブラッディ・フラット・チェスト! こっちだってダーリンにデートすっぽかされてるのよ!!」
「知るかゴルァ! ケツの穴に手ぇ突っ込んで奥歯ガタガタ言わせたろかい!!」
「……不幸だわ……」
膝を抱え込んでうめく赤城は、陰気で有名な知り合いの言葉を図らずも引用することになってしまった。
ここに来たのは間違いだった。たしかにうんざりするほど賑やかなのだが、『こんな頭からっぽで悩み事がなさそうな人達がこの世に存在を許されてるのに、私ときたら……』などと思ってしまって完全に逆効果というか、よりにもよって金剛が不機嫌最悪の時に上がり込んでしまったようだ。彼女は普段は気がいいのだが、逆のときはすこぶる恐い。有り体に言って非常に『厄介』な人なのだ。
「はあ……で、今回は一体なんなんデス? まさかわざわざ私にイヤガラセするために来てるわけじゃないでショ……」
隣室のエセ関西人をドロップキックでKOしてきた金剛が、これまたうんざりとした顔で戻ってきた。
「いえ、その通りなんですが……」
「シャッタ・ブラッディ・アップ! ……ったく。居座られても面倒だから、さっさとディスクリプションするネ」
「……はい。ありがとうございます金剛さん」
「次そのあだ名で呼んだら、そこのウィンドウから投げ捨てるわヨ?」
「実は私には妹同然の友達がいまして――」
青筋を立ててサムズダウンする金剛は無視して、赤城は事情を説明しだした。
最初はつまらなそうに聞いていた金剛だったが、なにせ気分屋というか人情家である。話が佳境になるにつれてみるみるうちに涙ぐみ、いつしかハンカチで目元を拭いながらうんうんと何度も頷いていた。
「なるほど……うん。つらかったねアカギ……私の胸で好きなだけ泣くといいヨ……!」
「それはまったく結構ですけど、実際どうしたらいいのでしょうか……?」
「フムム……」
赤城が冷静に金剛のハグをかわすと、金剛はなにか不思議なものでも見るようにまじまじと赤城を見た。
「どうかしましたか?」
ハグをかわされたことに不満がある、というわけではなさそうだ。
赤城がもう一度尋ねると、
「ウーン…………プロブレムはそこなんじゃない?」
眉間に皺を寄せて赤城を見つめてくる。
赤城は再三聞き返した。
「そこ……とは?」
「だから『そこ』ネ」
「いえ、だから――」
金剛は赤城を指さし、
「“イッツ・ユー”。ユー・ハブ・ワン・インポータント・プロブレム。ホワイ・ドン・チュー・ノウ?」
「『私』……ですか?」
赤城の胸をとん、とついた。心臓に小さな力が伝わってくる。
金剛はベッドに寝転びながら、赤城を困ったような目で見下ろしていた。
「イエス、アカギ。問題は“バリー”がどこかに行っちゃうことじゃないでショ。バリーがどこかに行っちゃうこと、それをアナタがどうフィーリングして、どうシンキングするかってことじゃあないノ?」
「夕張さんのことをご存じなんですか?」
赤城は目を丸くした。
バリーとは、今しがた説明した夕張のことだろうが、赤城は名前については口にしなかった。
そこで、肩をすくめて金剛が言う。
「私が何年アナタと付き合ってると思ってるノ。あなたに妹分がいることぐらい、嫌だってわかるものでショ」
たしかに言われてみればその通りだと、赤城は素直に頷いた。
「そして私にも妹分がいまス」
「比叡さんのことですか」
「そう。ちょっと困っちゃうぐらい私のことを好いてくれてる子。そのことについてアカギはどう思う?」
「どうって……」
「思ったことをそのまま言っテ。自分のことを好きでいてくれる人。悲しいときも楽しいときも、ずっと傍にいてくれた人。私にそういう人がいることに対して、アカギはどういう風に思うノ?」
「私は…………」
まるで赤城の心を見透かすような問いかけ。
赤城は少し逡巡したあと、たしかに金剛の目を見て答えた。
「……すごく、幸せなことだと思います」
金剛はにっこりと微笑んだ。
「ザッツ・ライ! そう。それはとってもハッピーなことなのヨ。そしてきっと比叡は、これからもずっと私をハッピーにしてくれる子でもある」
「ずっと?」
「絶対に、ネ」
金剛はベッドに腰掛けると、身振り手振りをまじえて言った。
「もし私が――そうネ。明日にでもブリテンに行くことになったとして、それを比叡が知ったとしマス。そうしたら、きっと比叡は悲しむワ。きっと一晩中めちゃくちゃ泣いて、ハルナやキリシマを困らせるに違いないデス」
そこでピン、と人差し指を立てる。
「でも比叡はきっと私のことを、最後までハッピーいさせてくれマス。私がいなくなることを悲しんでも、きっと最後の最後まで、私が最高の気持ちでニッポンを離れて、またここに帰ってきたくなるように、最高のお別れをしてくれる。だから私は、きっとブリテンに行ったとしても、絶対にニッポンに帰ってきマス。私の愛してる比叡は、そういう子なノ。そういうものなの。私と比叡、比叡と私は。ハートとハートで繋がってるノ。それがね、アカギ。愛し合うってコトなのヨ」
そう言って金剛はウインクし、ふいに天井の辺りを見上げた。
赤城がそれにつられて視線を上げると、壁に時計が掛けられていた。
値打ちのある骨董品だろうか。赤と黒に塗られた針と、文字盤の中心から幾何学的に引かれた線。それは古めかしい羅針盤を模した、機械式の時計だった。
「“人は船のようなもの。必ず生まれた港から海に出て征き、やがて元の港に帰る”」
赤城はどきりとした。
人を船にたとえるということ。それはまるで、自分が常日頃から見るあの夢を見透かされてるように思えた。
「……なんて。これはダーリンのウケウリだけど――」
そしてまさしく赤城の心を見透かして、金剛はなおもこう言った。
「アナタはここで、たいして重要でもない私と話をするより、するべきことがあるんじゃないノ?」
金剛に真っ直ぐに見つめられ、赤城は、水のように沈黙した。
決して言葉に詰まったわけでも、思考を止めてしまったわけでもなかった。
ただ金剛の放ったその一言は、暗い水底に沈んだように静まりかえっていた赤城の魂を、一発の砲弾のように強く、強く打ったのだ。
見る間に赤城の貌が変わった。
力なく垂れていたまなじりは上がり、強くと結ばれた唇と共に、鋼の意思を感じさせる女丈夫のような面となった。
その様を見た金剛は、心底満足そうに微笑んだ。
「きちんと心は決まったみたいネ?」
わずかな間を置いて赤城が「はい」と頷くと、金剛はにっかりと微笑んだ。
そして赤城が厳かな口調で言った。
「私の心は決まりました」
赤城は続けた。
「……もし夕張さんという船がいるとするなら――私は彼女の船出を祝福します。人がいずれは揺り籠を出て自らの道を歩むように、おそらく、きっと、夕張さんにも自らの港を出る日が来たのでしょう。ならば、私は彼女の先達として彼女を先へと送り出します。彼女がやがていつの日か、私という港に胸を張って帰って来られるように。……それが、あの日彼女という家族を授かった私の義務であり、責務であり、責任です」
「それでこそアナタよ」
金剛がびしりと親指を立てると、赤城はふっと小さく笑った。
それは先ほどまで沈み込んでいた少女とは別人としか思えない、そして赤城が本来あるべきである、誇りと自信に溢れた姿だった。
「すぐに家に帰ります。……あの子となにか話さないと」
「それなんだけド――」
「お姉さま! 大変なことがわかりました!」
一礼して部屋を去ろうとする赤城に金剛がなにかを言いかけたとき、部屋の扉が勢いよく開いた。
血相を変えて部屋に飛び込んできたのは――比叡(めずらしい名字だ)。それに霧島と榛名もいる。ダイアナの血族がそろい踏みだ。比叡はぜいぜいと肩で息をしながら霧島をびしりと指さした。
「霧島、説明!」
霧島はハリセンで比叡を叩いた。比叡はおつむの出来が平均より大幅に控えめであり、説明がものすごく苦手なのだ。
「あまり良くない事態です」
霧島は真剣な口調でそう言うと、一度ちらりと赤城を見た。そして一度息を吸い込み、
「お姉さまがお探しの方は、すでに群馬を発ったようです」
「ワッザ!?」
「金剛さん、探し人とは――」
事情は、聞いてみるまではわからない。
だがすでに赤城の胸には特大の胸騒ぎが湧き上がっていた。
「……うちにアナタが上がり込んでるって聞いたときに、比叡に裏を取らせてたのヨ。アナタは意味もなくそういうことをする人じゃアないから」
金剛が眉間を揉みながら言った。
「それはまさか――」
説明を求めようとする赤城に、霧島が苦々しげに口を開いた。
「はい。夕張さんと平賀さんはすでに群馬にはいないようです。自宅はすでにもぬけの空。交通機関の使用状況をある程度まで調べたところ、埼玉方面に向かったことが判明しています。……おそらくは秩父湾を経由して新東京国際空港に向かうのではないかと思いますが、それ以上のことは……」
「申しわけありません、お姉さま! 霧島には急いで調べるように言ったのですが!」
「はい。責めるなら人任せでこれっぽっちも役に立たない、この比叡の姉さんを責めてください」
「はい! 榛名はすべて見ておりました! さすが榛名の霧島です! 悪いのは全部比叡です!」
「……そこまで思い詰めてたなんて……」
比叡を小突き回す榛名と霧島の前で、赤城はきつく唇を噛んだ。
夕張はああ見えて繊細な子だ。姉も同然である赤城のもとを離れて遠くに行くという事実を、どうしても打ち明けられなかったことは想像するだに難くない。なんということだ。自分が無駄な時間を過ごしてさえいなければ、彼女となにか、たった一言でも話をすることができたかもしれないのに。
「とりあえず私はホテルを特定にかかります! 一軒一軒片っ端から回って聞き込みすればそのうち手掛かりが――」
「比叡だけでは不安なので榛名も行って参ります!!」
「ちょっと、埼玉にどれだけホテルと港があると思ってるのよ比叡! 榛名まで!」
「千代田さん、人を集めてください! 寮にいる人達、片っ端から!!」
比叡と榛名の二人は来たときと同じ勢いで部屋から飛び出していき、すぐに窓から見える寮の玄関から数十人の女学生達がわらわらと駅のほうに駆けだしていくのが見えた。明らかに野次馬めいたのも見受けられるとはいえ、比叡もあれで慕われてるのだ。その人望には敬服するが――どう考えても望み薄だ。
電子工学の専門家である霧島がどうやって夕張の痕跡を見つけ出したのかについてはある程度までは想像がつく。おそらくは官憲沙汰になるギリギリのところまでやったのだろう。だがそれ以上の調べがついてないのは……それを途中で断念したからだということも、また簡単に推測できる。そして海上都市である新東京を取り巻く港湾都市である埼玉は、あまりにも広い――広すぎるのだ。
「……私も港に向かいます」
だが赤城は目を伏せながらも、心折れることなく立っていた。
赤城は心を決めたのだ。あの愛しい妹が我が元を離れることが運命だとするなら、そのさだめを乗り越えることが、彼女の姉たる自分の務め。たとえなにをするべきか、どうすればいいかわからなくとも、座して終わりの時を待つぐらいなら。
――と、悲壮な決意を固める赤城の耳に、ふと不思議な音が聞こえてきた。すぐ隣で、金剛も目を丸くしている。
淡い桜色の壁紙の貼られた壁面、天井の辺りから音はしていた。
二人はまったく同時に同じところを見た。視線の先には時計があった。
文字盤の上に幾筋も置かれた白と黒のチェック模様。幾何学的な線の数々。八つの方位を示すローマ字。赤と黒に塗り分けられた大きな針。
羅針盤そっくりなその時計の針が、カリカリと音を立てて回転していた。
ダイアナだから金剛。ひどい。誰がこんなあだ名を考えたのか……
あと二話ぐらいで終わりの模様。