ソードアート・オンライン 仮想世界に降り立つ暁の忍 -改稿版- 作:鈴神
ちょうど今日も、相変わらず怪しげな恰好で登場していました。
「ゼェ……ゼェ……」
「……大丈夫ですか、アスナさん。」
アインクラッド七十四層迷宮区の安全地帯。現在そこに、二人の男女プレイヤーがいた。男性が涼しい顔で周囲に目配せしながら立ち尽くしている傍ら、女性の方は息も絶え絶えといった状態にあって、必死に呼吸を整えようとしている。仮想世界におけるアバターには、心臓も肺も無く、息を整える行為には意味など無いのだが、それだけ恐ろしい事が彼女に起きたのだろう。ようやく落ち着きを取り戻した彼女は、表情を全く崩さない男性の顔を見上げると、ややきつい視線を送りながら口を開いた。
「無茶苦茶なのよっ!なんで、ボスと戦おうなんて、考えたのよっ!?」
「様子見をしようとしただけです。」
怒りを露わに喚き散らすアスナに対し、イタチはさも当然のことのように返す。
アスナが息を切らすほどに走った理由は、数分前のこと。迷宮区攻略を破竹の勢いで進めていたイタチとアスナは、昼過ぎには迷宮区二十階全てを踏破し、遂にはフロアボスの部屋を見つけるに至ったのだ。怪物のレリーフがびっしりと施された巨大な扉は、これまでの迷宮区攻略においても見慣れたものだったが、その存在感にはアスナですら圧倒されてしまう。この扉の先に待ち受けるのは、七十五層への扉を守護する強大なるフロアボスなのだ。現在、攻略組が各村に点在するクエストをこなしているが、なかなかボスの情報は手に入らない。得体のしれない強敵がこの扉を隔てた向こうにいると想像するだけで、アスナは身体に緊張が走って動けなくなりそうだった。
当初の目的だった迷宮区攻略は、フロアボスの部屋を見つけた時点で、完了している。あとは、主街区まで戻ってマッピングデータを攻略組プレイヤーたちのもとへ持って帰ればいい。だが、そこでイタチは予想外の一言を口走った。
『ボスの姿を確認したいのですが、少々よろしいでしょうか?』
できることならばボスの姿くらいは確認しておきたい。アスナと二人のパーティーでは碌な偵察などできる筈は無いが、装備一つ確認するだけでも攻略戦初期段階の攻撃パターンを予測することは可能である。そう説き伏せられたアスナは、危険を承知しながらも渋々ボスの部屋を開くことに同意したのだった。扉に手をかけ、開いた向こう側に広がったのは、深淵の暗闇。もう少し踏み込まなければボスの姿を見る事はできないのでは、と考えたイタチが先行して部屋の中へと入り、そしてアスナもまたそれに続いて部屋へと足を踏み入れた時に――異変は起きた。
部屋の中に設置されている松明に、次々に火が灯り、部屋全体を照らし出したのだ。イタチとアスナ、二人揃って見上げる先には、巨大な影がそそり立っている。青白い炎によって鮮明になったそれは、筋骨隆々とした逞しい身体に山羊の頭をもった、“悪魔”だった。大型剣を携えて立ち上がるその頭頂には、四本のHPバーと、固有名が浮かび上がっている。その名も、『The Gleameyes』――輝く瞳。定冠詞を有したこの悪魔は、紛れもない、七十四層フロアボスだった。ボスはイタチとアスナの姿を確認するや、大型剣を振り上げ、ソードスキルを繰り出そうとする。対するイタチも身構え、これを回避しようと動こうとしたが……
『きゃぁぁああああああ!!』
悲鳴を上げたアスナに首根っこを引っ掴まれ、そのままボス部屋から勢いよく引きずり出されてしまった。敏捷極振りのアスナのどこに、このような膂力があるのだろうと不思議に思うイタチの眼の前で、フロアボスの扉は静かに閉じられていった。
そして現在、逃げに逃げ続けたアスナは、イタチと共に、ボス部屋から離れた場所に位置する安全地帯へと至ったのだった。
「別に、本格的な戦闘を行うつもりはありませんでした。回避に徹し、攻撃パターンを見極めようと……」
「ボスの姿を見たら、すぐに撤退するのが普通でしょう!あれ程無茶は止めなさいって言ったのに、何をやってるのよ!?」
相も変わらず冷静に弁明する――本人からすればただの事情説明――イタチに対し、苛立ちを募らせて怒声を発するアスナ。だが、イタチがこの程度の怒りに動揺する筈もなく、アスナ自身もそれを理解しているので、落ち着きと共に冷静さを取り戻し、毅然とした態度で再びイタチに向かい合う。
「いい?あなたは、今日は私の護衛なんだから、勝手にあんな無茶な真似はしないこと。分かった?」
「……了解しました」
アスナの言いつけに、素直に了承するイタチ。感情の見えない表情に、本当に理解しているのかと不安になるが、これ以上は気にしていても仕方がない。この話はここまでにすることにした。
「ふぅ……もう三時ね。遅くなったけど、そろそろお昼にしましょうか」
アスナはそう言うと、すぐそこの壁にもたれる形で地面に座り込むと、アイテムウインドウを操作する。取り出したのは、小ぶりのバスケット。
「ほら、イタチ君も座りなよ」
「……いえ、俺には護衛の務めがあります。譬え安全地帯であっても、油断するわけにはいきません」
隣に座って食事を摂るよう勧めるアスナ。対するイタチは、護衛の仕事を放棄するわけにはいかないと立ったまま周囲を警戒する。そんな融通の利かない真面目さをもって任務に臨むイタチに対し、アスナは眉を顰める。
「もう……食べないともたないわよ?」
「問題はありません」
SAOがデスゲーム化してから今日まで、イタチはまともに食事を摂った日はほとんどない。現実世界で同様の食生活を送ったのならば、間違いなく体調不良を起こしかねないが、生憎とここは仮想世界。現実世界にある身体は、医療施設にて点滴等による栄養摂取が行われており、この世界における食事は全て仮想のものである。ゲームの仕様上、食欲こそ湧くが、摂取しなかったところで現実世界の肉体にもアバターにも何ら影響は生じない。
ゲーム攻略のためにあらゆる時間を惜しんだイタチは、食事の時間を削る方針を取っていた。イタチは忍としての前世において、食事や睡眠を取れない極限状態を幾度となく経験している。故に、食欲に苛まれて思考力が低下することなど有り得ず、身体機能がもつのならば、精神力を維持できる限り活動が可能なのだ。
つまり、イタチがこの場で食事を摂らなかったところで、アスナの護衛任務には全く差し支えないのだ。だが、アスナは……
「いいから食べる!ほら、座って!」
「……分かりました」
苛立ちを露わに怒鳴り散らすアスナ。対するイタチは、護衛と言う立場上、これ以上アスナを刺激するのは得策ではないと考え、渋々従うことにした。イタチが座ったのを確認すると、アスナはバスケットからサンドイッチを取り出してイタチに差し出す。
「はい!」
「……ありがとうございます」
笑顔を浮かべて差し出されたそれに、軽く礼を述べて受け取るイタチ。パンの間に、詰められた具材を見たイタチは、少しばかり安心する。ステーキをはじめとした肉類が苦手なイタチでも、この程度の量の肉ならば、食べられないこともない。何より、イタチの好物であるキャベツに似た野菜が使われている点には好感が持てた。昨日の夕食に端を発した過剰な満腹感が未だに残っており、食事をするのは億劫だったが、取りあえず一口食べる。
「!」
途端、口の中に肉の香ばしい香りと共に、独特の風味が広がる。それは、現実世界で味わって以降、ここ二年間は口にした事のない調味料の味。
「……これはもしや……醤油?」
「フフン……凄いでしょ?」
サンドイッチのソースの味に僅かながら驚愕するイタチに、アスナは今までにない、得意気な表情を浮かべる。今まで自分に対して無関心だったイタチを初めて振り向かせられたという事実に、アスナは一矢報いてやった気分になっていた。
「一年の修行の研鑽の成果よ。アインクラッドで手に入る約百種類の調味料が、味覚再生エンジンに与えるパラメータを全部解析して作ったのよ」
そう言ってアスナが広げたのは、アイテムの詳細について綴られた百はあろうウインドウ。イタチはそれらを見て、さらに目を丸くする。その様子を見たアスナは、さらに勝ち誇ったような笑みを深め、バスケットに入れていた調味料を取り出し、紹介していく。合成材料には食材以外に、解毒ポーションの原料等までをも使用したらしい。醤油の他に、マヨネーズまでも作ったという。
(よくもまぁ、これほどのものを……)
楽しげに自身が作成した調味料を紹介していくアスナに、イタチは称賛八割、呆れ二割といった心情で聞き入っていた。スキルを完全習得することの難しさは、ゲーム制作に関わった身としても十分理解できる。そして、探求の末にこの世界には無い「醤油」や「マヨネーズ」まで作り出したのだ。料理に対する執念・探究心は凄まじいものがあると言えよう。
だが、完全習得したのは、前線プレイヤーでありながら、戦闘とは関わりの無い「料理」である。攻略組の指揮を預かる人物としてどうなのか、と疑問を抱かずにはいられない。
「気に入ってもらえたなら、また作ってあげるからね」
満面の笑みでそう告げるアスナに、イタチは苦笑を浮かべるばかりである。内心では、「せめて次は魚メインにしてくれ」と呟いていたのは、本人のみぞ知る秘密である。
そうして、二人の間に和やか(?)な空気が満ちた食事が終わろうとした、その時だった。
「!」
「イタチ君?」
索敵スキルに反応をキャッチしたイタチが、急に立ち上がる。安全地帯に入ってこようとしている以上は、プレイヤーであることは間違いないだろう。攻略組同士、いきなり戦闘になることはまず無いだろうが、相手の姿が確認できない内は油断できない。イタチはいつでも背中に差した剣を抜けるよう身構え、プレイヤー達が足を踏み入れようとしている出口の方を睨みつける。
そして十数秒後、イタチの索敵に掛かったプレイヤー達は、姿を現した。
「おお、イタチ!久しぶりじゃねか!」
現れたのは、野武士顔の刀使いのプレイヤーを先頭とした、十二人のパーティー。全員、イタチの見知った顔――攻略組プレイヤーである。
「クライン、お前達も来ていたのか」
面識のあるプレイヤーであることを確認したイタチは、警戒を解き、気さくに――相変わらず感情の読めない表情だが――話し掛ける。対するクラインは笑顔で接してくるが、後方に続いているプレイヤー達の反応はさまざまである。
「ったく……お前も、またソロプレイかよ。いい加減、他のプレイヤーとパーティーを組んで行動したらどうなんだ?」
「本当に素直じゃないね、カズゴは」
「オイラ達とパーティーを組まないかって誘えばいい話じゃねえか」
口の悪さの中に気遣いを覗かせて話し掛けているのは、和服の黒装束に身を包んだ大剣使いのカズゴ。それに続いて口を開いたのは、カズゴやイタチと同じくベータテスト出身者にしてお馴染みのプレイヤー二人、アレンとヨウ。この三人は、ベータテスト以来のプレイヤーであり、ビーターであるイタチを嫌悪しない、仲間と呼べる面子だった。尤も、幾度となくイタチをパーティーに誘ったものの、全て断られてしまったが……
「カズゴ、そうかっかするな。今回はそうでもないみたいだぞ」
「だな。まさか、その子と組んでの攻略とは……流石の私も恐れ入ったぞ」
嫌味を口にするカズゴの、ソロプレイ指摘に異議を唱えたのは、さらに後方に控えていた二人の男女プレイヤー。金髪の男性プレイヤー――ゼンキチの言葉に、紺色の長髪を靡かせた容姿端麗の女性プレイヤー――メダカが同調する。この二人は、攻略ギルド「ミニチュア・ガーデン」のリーダーと庶務である。
視線の先には、イタチの隣に座る女性プレイヤー――アスナに向けられていた。
「へぇ……お前がパーティーを…………」
イタチの連れという珍しい存在を初めて認識したクラインだったが、アスナの姿を見た途端、硬直する。そんなクラインに構わず、イタチはアスナを紹介する。
「攻略会議で既に見知っている筈だが、一応紹介しておく。血盟騎士団副団長の、アスナさんだ。今日は、攻略組を指揮する身として、俺の実力を評定するためにパーティーとして同行……どうした?」
アスナを紹介している最中、イタチは眼前でクラインが口を開けたまま固まっているのに気付く。声をかけるも、やはり反応は無い。訝しげな顔をするイタチが肩に手を置いて揺すると、ようやく再起動したが……
「ここ、こんにちは!クライン、二十四歳、独身、恋人募集中です!」
「…………」
突然、アスナに右手を差し出すと共に頭を下げ、そんなことをのたまい始めた。そんな暴走気味のクラインに対し、イタチは沈黙するばかり。何を期待しているのやら、と思考の奥で呆れを抱いているイタチだったが、自身と共に硬直しているアスナをフォローするべく、口を開く。
「落ち着け、クライン。アスナさん、こちらは攻略ギルド「風林火山」のリーダーのクライン。後ろに控えている六人は、そのギルメン…………」
『アスナさんじゃないですかぁー!!』
イタチが紹介をしている最中、今度はギルメン六人が動きだした。無視してアスナのもとへ駆け寄り、我先にと自己紹介を始める。イタチは再度落ち着くよう促す。
「アスナとお前がパーティーを組むとは……一体、どんな心境の変化があったんだ?」
「別に……単に、ボス攻略のために必要な情報として、俺の実力を評定するために組んでいるに過ぎない」
興味深そうな顔をして横合いから問いを投げかけてきたメダカに、イタチはにべもなく返す。ゼンキチを含めた他の四人も、意外そうな顔をしていたものの、今度はどこか嬉しそうな表情を浮かべていた。
風林火山のメンバーを押さえ込んでいるイタチのもとへ、今度はアスナが歩み寄ってきた。
「しばらく、この人とパーティーを組むことになったので、よろしく」
その言葉に、風林火山の面々は一瞬目を丸くし、次の瞬間には一斉にどよめいた。代表としてクラインが、イタチに詰め寄る。
「どういうことだよ、イタチ?」
「何度も言う様にだな……」
額に手を当て、心底頭が痛いと言わんばかりの表情で、再度説明をしようとするイタチ。だが、その時だった。
イタチの索敵スキルが、新たなプレイヤー反応を捉えたのだ。先程までの疲れた様子から一転、イタチはクライン達が入って来た場所の入り口に鋭い視線を向ける。他のメンバーも、イタチの様子の変化に、同じ方向を向いて身構える。数秒後、十四人のプレイヤーの目の前に、大人数のプレイヤーが現れた。
全員お揃いの黒鉄色の鎧に、濃緑色の戦闘服を纏った十二人の男性プレイヤー。前線の盾持ち六人の武装には、特徴的な印章が施されている。このSAOをプレイしている人間ならば、知らぬ者などいない、最大ギルド、アインクラッド解放軍のメンバーである。
「解放軍が、何でこんな場所にいるんだ?」
「確か、二十五層攻略時の事件以降、連中が攻略の場に姿を現すことは無かったよな」
突然の軍の出現に、各々疑問を口にするクラインとカズゴ。無理も無い。二十五層における、レッドプレイヤーの暗躍による大規模MPKによって、軍は攻略における過去最大の被害を受けたのだ。以来、当時の軍の代表格だったディアベル、キバオウ両名を中心とした軍攻略組は攻略最前線から撤退。活動方針を組織強化に切り替え、自分達の仇たるオレンジ・レッドプレイヤーを取り締まるべく、治安維持に奔走しているのである。
攻略最前線に属していた強豪プレイヤー達が治安維持に移行し、それを抽んでた指揮官適性を持つディアベルが指揮してくれたお陰で、犯罪者を取り締まるためのインフラを整えるまでには然程時間はかからなかった。
今では、各層の主街区に拠点を設けて、犯罪者プレイヤー関連の情報収集を行い、治安維持に努めていると聞いている。しかし、攻略最前線に出てくることなど、ここ一年半ほど無かったのだ。何故今になって、攻略に乗り出そうなどと考えたのか、アスナやクライン達には理解不能だった。誰もが疑問符を浮かべる中、イタチだけが冷静な面持ちで口を開く。
「アルゴからの情報によれば、解放軍は近々前線復帰のために攻略への参加を表明するつもりだったそうです」
「だが、そんな話はまだ聞いてねえぞ。動き出すのが早すぎるんじゃねえか?」
「軍は長いこと前線を退いていたからな……いざ参加攻略戦に参加したとして、隅に追いやられる可能性が高い。先遣隊を使って有用な情報を得て、攻略本番で大活躍して手柄を立てることが目的だろう。成功すれば、今後の攻略でそれなりの影響力を得ることができる筈だ」
イタチの説明に、成程と得心する一同。前線を退いているとはいえ、解放軍はアインクラッド最大規模のギルドである。返り咲きに成功すれば、血盟騎士団や聖竜連合に匹敵する発言力を得られる公算も高い。
だが、それは同時に危険な発想でもある。これまでの攻略でも、功を焦ったばかりに、多くのプレイヤーが命を落としているのだ。軍が二十五層でレッドプレイヤーに騙されたのも、他の攻略ギルドに手柄を奪われることを恐れたことに端を発している。そして今また、返り咲きを狙っての急な攻略参戦を考えているとなれば、不安しか浮かばない。
「ヤバいんじゃねえか?あいつらを攻略に加えれば、絶対に碌なことにならねえと思うぜ」
「ゼンキチに激しく同意だな。私としても、連中の気概は買うが、こうも急な参戦はどうにもな……」
「そもそも、これってディアベルの指示なのかな……それとも、またキバオウが暴走したのかな?」
「少なくとも、それは無い」
二十五層の大事件の発端となった人物の名前を出したアレンの考えを、しかしイタチは否定した。
「元攻略組のディアベルとキバオウは、現在は五十層の拠点を中心に犯罪者プレイヤーの取り締まりを行っている。あの部隊は、恐らく第一層の本拠から派遣された部隊だろう」
「ってことは、シンカーの指示なんか?」
「それも一概には言いきれない。最高責任者のシンカーは、治安維持や街のプレイヤーへのリソース分配に重きを置いた活動には精力的だが、攻略に関与したことは一度も無い」
アインクラッド解放軍の本拠は、第一層はじまりの街の、黒鉄宮にある。元攻略組メンバーが、プレイヤーが多く集まる中層にて犯罪を取り締まっている一方で、本拠であるはじまりの街に常在している最高責任者のシンカーは、犯罪者収容施設である黒鉄宮の管理と、街に住まうプレイヤー達への配給を行っている。
鼠のアルゴからの情報によれば、シンカーの性格は非好戦的な穏健派であると聞いている。となれば、考えられることは……
「恐らく、シンカーの指揮力が低下したことで、勝手に攻略に乗り出す連中が現れたということだろう」
「そんな……アインクラッドで最大規模のギルドが、そんなことで良いの?」
「良くないでしょうね。しかし、我々は部外者……軍内部の問題に干渉することは許されません」
攻略組の指揮を預かる身として、アスナは解放軍の動向には不安を抱かずにはいられない。だが、血盟騎士団副団長といえど、今の段階では方針に口を出す事はできない。何らかの不祥事――恐らくは、大量の犠牲者が出る――が起きてからでなければ動けない現状に、アスナはもどかしさを感じていた。
と、その時だった。解放軍の前線進出について議論していたイタチ等攻略組プレイヤーのもとへ、解放軍側から近づいてくるプレイヤーが現れたのだ。よく見てみれば、そのプレイヤーだけ他のメンバーとは鎧の装飾がやや異なっている。恐らく、この部隊を指揮していた人間だろう。攻略組十四人の中心に立っていたイタチに向かい合うと、威圧するように口を開いた。
「私はアインクラッド解放軍所属、コーバッツ中佐だ」
「イタチ。ソロです」
明らかに見下した口調に、しかしイタチは常の如く動じない。周囲のプレイヤーは、コーバッツと名乗った男性プレイヤーに対して不快感を露にしているが、当人は全く気にすることなく自身の用件を口にする。
「君達はもうこの先も攻略しているのか?」
「……いいえ。俺達もちょうどここへ到着したところです」
コーバッツの問いに対し、否定で返したイタチの言葉に、アスナは驚きの表情を浮かべる。自分とイタチは、先程まで迷宮区の最奥まで攻略を進め、ボス部屋まで辿り着いた筈が、その事実を隠匿しようとしているのだ。
イタチが自分たちよりも奥へと攻略を進めていることに気付いている他のメンバーの反応も同様である。ただ一人、メダカだけはすっと目を細め、イタチの意図を悟った様子だった。
「そうか……ならば、こちらに用は無い」
期待外れとばかりに、落胆の色を一切隠さないコーバッツ。そんな横柄な反応に、イタチの周囲の攻略組メンバーは、眉を顰める。
「おい、オッサン。仮にこいつが、この先の攻略をしてたら、どうするつもりだったんだよ?」
「無論、マッピングデータを提供してもらうつもりだった」
カズゴの苛立ち交じりの問いに、コーバッツは当然のことのように答えた。対する攻略組メンバーは、そんな傲岸不遜な物言いに、驚きとともに怒りを露わにする。
「タダで提供しろだと!?手前ェ、マッピングする苦労分かって言ってんのか!?」
「我々は一般プレイヤーに情報や資源を平等に分配し、秩序を維持すると共に!一刻も早くこの世界からプレイヤー全員を解放するために戦っているのだ!
故に!諸君が我々に協力するのは当然の義務である!」
傲然たる態度を崩さずクラインに言い返すコーバッツに、他の攻略組プレイヤーは全く良い顔をしない。
「あなたねぇ!」
「手前ェ……!」
コーバッツに怒り心頭の攻略組メンバー達。クラインやカズゴに至っては、今にも殴りかかりそうな勢いである。そんな一同を、イタチが手で制した。
「持っていないものについて論議しても仕方あるまい。それに、プレイヤー同士の争いほど不毛なものは無い」
そう言ったイタチの言葉に、クライン達は若干クールダウンする。持っている筈のマッピングデータを敢えて提供しないイタチの対応が、軍の思い通りにさせなかったことも、一同の溜飲を下げる要因となった。
「フン……諸君等は精々、我々の邪魔にならないよう攻略を進めたまえ」
そう言うと、コーバッツはイタチ等攻略組プレイヤーに背を向けて、部隊メンバーのもとへ戻っていく。「お前にだけは言われたくない」と、その場にいた全員が思ったものの、口にするだけ無駄と判断して、各々眉間に皺を刻む、歯ぎしりするなどに止まった。
「まだこの先を攻略するのなら、一度撤退した方が良いと思いますよ。あなたの仲間も、消耗している様子ですし」
「それは私が判断することだ。それに、私の部下はこの程度で音を上げるような軟弱者ではない!」
イタチの忠告に、しかしコーバッツはやはり聞く耳を持たない。すぐそばで座り込んで休んでいた部下十一名を立たせると、すぐさま安全地帯を出発し、彼等にとっては未攻略の場所へと足を進めていた。
ゲームの仕様上、HPが満タンであればアバターの行動には支障は無いが、幾度となく行った戦闘による精神的な疲労は簡単には解消できない。そして、そんな状態で戦闘を繰り返せば、命の危険だって引き起こしかねない。何より、ここからさほど遠くない場所には、フロアボスの部屋もあるのだ。手柄を欲する軍が、無茶をして命を落とすのではと、イタチは不安を抱いていた。
(マッピングデータが無ければ、下手に動かないと考えたが……どうやら、無駄だったようだな)
軍の行動を制限するために、情報を敢えて渡さなかったが、あのコーバッツというプレイヤーは想像以上に無鉄砲なようだ。攻略組への復帰に異常なまでの執念を燃やしている軍に、イタチはさらに危機感を募らせる。このまま放置すれば、犠牲者も出かねない。そう考えたイタチの行動は、決まっていた。
「……アスナさん、先に街へ戻っていてもらえますか?」
「イ、イタチ君!?」
イタチの突然の要請に、アスナは驚いた顔をする。対するイタチは、相変わらずの無表情で、しかし目線は軍が向かった方向を向いていた。
「護衛任務を引き受けましたが、目的は達成しました。あとは転移結晶を使用し、主街区へ戻ってください」
「ちょ、ちょっと待ってよ!……なら、イタチ君はどうするのよ!?」
「あなたには関係の無いことです」
すでにイタチが何をするつもりなのかは直感していたものの、半ば確認の意味を込めて問いかけるアスナに、しかしイタチは答えようとしない。確定だ、とその場にいた全員が思った。
「軍の人達を、追いかけるつもりでしょう。そんなこと……あなた一人にやらせると思うの?」
「……俺の任務は、迷宮区攻略に伴うアスナさんの護衛です。解放軍の救助は、任務の範囲外です。よって、アスナさんには……」
「なら、追加で依頼をさせてもらうわ」
軍の後を追うことに危険を感じ、アスナに主街区帰還を要請するイタチに、しかしアスナは皆まで言わせなかった。
「私はこれから、解放軍の動向を調査しに行きます。彼等は攻略組復帰を目指して行動している以上、指揮を預かる身として、彼等が本当に前線で戦う資格を持つかどうかを確かめる必要があります。攻略に必要な活動である以上、あなたには引き続き護衛をしてもらいます」
「…………」
アスナの言動に、沈黙するイタチ。まさか、自分の機先を制して、依頼という名目で自身と行動を共にしようとするとは、思ってもみなかった。護衛を依頼する口実も、理に適っている。反論の余地の無いイタチは、沈黙をもって同意するしかなかった。
「それから、俺達も一緒に行かせてもらうぜ」
「そうだな……攻略組に関わることとなれば、我々も無関係ではあるまい。まさか、断わりはするまいな?」
クラインとメダカをはじめとする他の攻略組プレイヤーも、動向を申し出る。攻略組として、イタチと付き合いの長い彼等も、頑なにソロプレイを貫くイタチが、どうすれば同行を断われないのかを熟知している。
嘆息したイタチは、十四人という大所帯での迷宮区探索と解放軍の動向監視に出向くほかなかった。