ソードアート・オンライン 仮想世界に降り立つ暁の忍 -改稿版-   作:鈴神

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第七十九話 世紀末の銃世界

 とあるVRMMOの舞台である仮想世界の首都。複数のプレイヤーが集まる酒場の中央に浮かんだ四面ホロパネルには、ネット放送局『MMOストリーム』の人気コーナー、『今週の勝ち組さん』が映し出されていた。現実世界でも見られる番組だが、仮想世界でも配信されており、プレイヤーの中にはそちらでの視聴を好む者も多い。特に今現在、ゲストプレイヤーとして出演している人物は、この世界の十人であり、酒場に集まる人間の数もいつもに比べるとそれなりに多かった。

 

『AGI万能論なんてものは所詮、単なる幻想なんですよ!』

 

『確かにAGIは重要なステータスです。速射と回避、この二つの能力が突出していれば強者足り得た。これまではね』

 

『しかし、それはもう過去の話です。八か月かけてAGIをガン上げしてしまった廃人さん達にはこう言わせてもらいますよ。『ご愁傷様』とね』

 

ホロパネルに映る青髪のサングラスをかけた男性プレイヤー『ゼクシード』が得意気に語る声が、店内に響き渡る。ホロパネルを眺めていたプレイヤー達は一様にブーイングを放ち、酒を煽り、ジョッキを床に叩き落として鬱憤を晴らす者までいる。また、視聴者たる客ばかりでなく、番組に出演しているもう一人のゲスト、『闇風』までもが顔を顰めていた。

 

「…………」

 

店全体が番組に出演しているゲストに対するプレイヤー達の妬み嫉みを含んだ喧騒に包まれる中、片隅に座り一人沈黙して佇む男がいた。辺りの騒ぎに混ざらないどころか、ホロパネルに見向きすらしない。数十人が屯して番組に熱中している空気の中で、この男だけは纏う空気が明らかに異質だった。

 

「けっ、調子のいいこと言いやがって。昔、AGI型最強って言いまくってたのはゼクシードの奴自身じゃねえかよ」

 

「今にして思えば、ありゃ流行をミスリードする罠だったんだろうなあ……。やられたぜ全く……」

 

 酒場でホロパネルを眺めるプレイヤー達がぼやく声があちらこちらから聞こえる。片隅で佇む男は、その言葉に僅かに反応してピクリと肩を動かすが、反応事態が動きに乏しいせいで、誰も気に止めない。

 男は目深にかぶったフードの下、被った仮面の裏側で憎悪と苛立ちを増幅させながらも、今はまだ動く時ではないと己に言い聞かせて視界端のデジタル時計を確認していた。そして、番組のトークが進行することしばらく……遂に、『開幕』の時はやってきた。

 

 

 

――さあ、『死銃』よ……

 

 

 

 ゆらりと立ち上がる影。灰色の外套を纏った男は、番組の映像に釘付けのプレイヤー達の間を突っ切って『舞台』たる中央のホロパネルの前を目指す。そして、歩み寄る途中で腰のホルスターから引き抜き、初弾を装填したハンドガンをホロパネルに映るゼクシードへと向けた。

 

「ゼクシード!偽りの勝利者よ!今こそ、新なる力による裁きを受けよ!」

 

 

 

――私が書いたシナリオ通りに動くがいい……

 

 

 

 ホロパネルに夢中だったプレイヤー達の誰もが、突如大声で叫び出した男へと視線を向ける。一体この男は何をしているのか、それが店内に居たプレイヤー全員の総意だった。画面に映る人間を銃で射撃したところで、本人には一切のダメージが及ぶことは無い。そんなことは、現実世界も仮想世界も変わらない常識である。

 そんな奇異と嘲笑のニュアンスが含まれた視線を四方八方から浴びた状況にあっても、男はまるで動じない。既に『舞台』は開幕しているのだ。今に自分を馬鹿にしているその顔は、恐怖に彩られることだろう。男はホロパネルに映るゼクシードを憎悪に満ちた視線で睨みながら――――遂にハンドガンの引き金を引いた。銃弾がホロパネルに命中することで画面が僅かに歪む。番組に出演しているゼクシードには“今は”まだ何の影響も無い。予想通り、ゼクシードに対する苛立ちに由来するブーイングに満ちていた店内の空気は一転、突如現れた謎の男の奇行に対する嘲笑が湧きあがる。だが、次の瞬間――

 

『ですからね、ステータス・スキル選択も含めて、最終的にはプレイヤー本人の能力というものが…………ぐうっ……!』

 

 突如、自分の胸を掴み、苦悶の表情を浮かべるゼクシード。立ち上がった状態からよろめき、地面に膝をつく直前で、そのアバターは消滅した。

 

『あらら、回線が切断されてしまったようですね。すぐ復帰すると思うので、みなさんチャンネルはそのまま』

 

 番組内で起こった回線切断という事態。どんなネット放送番組にもよくあるトラブルである。だが、店内のプレイヤー達はこの“よくあるトラブル”に戦慄していた。ゼクシードの回線切断による消滅を確認したプレイヤー達の視線が、銃弾を発射した男へと集中する。先程までの『嘲り』の視線から一転、男を見つめる全員の目には『恐怖』の色が浮かんでいた。

 全て思い通り……静寂に包まれた店内の空気に、男は密かに満足感に浸っていた。男はそのまま銃を翳して周囲のプレイヤー達を射線でなぞる。先程の銃撃の恐怖から「ひっ」と思わず声を上げるプレイヤーもいたことが、男にさらなる興奮を与えた。そして、ゼクシードが映るホロパネルを撃ち抜いた黒い銃を高々と掲げ、再び大声で叫んだ。

 

「これが本当の力、本当の強さだ!愚か者どもよ、この名を恐怖と共に刻め!」

 

 

 

――燃やせ……憎しみを

 

 

 

「俺と、この銃の名は『死銃』…………『デス・ガン』だ!!」

 

 

 

――踊れ……『死のダンス』を!

 

 

 

 仮想世界のアバターと現実世界の肉体。両方の身体に対し、同時に死を与える拳銃――『死銃(デス・ガン)』。実在する筈の無い、都市伝説の世界でしか存在しない筈の武器を携えた殺人者がこの日、銃と鋼鉄の仮想世界に姿を表した。しかし、これは序章でしかない。

剣の世界から銃弾の世界へと舞台を移した赤き惨劇は、『地獄の傀儡師』が描いたシナリオのままに加速していく。

舞台の名は『ガンゲイル・オンライン』――――

踊る人形(マリオネット)の名前は、『死銃』――――

その赤き瞳が見据え、銃口が向けられる次なる標的は…………

 

 

 

 

 

 

 

2025年12月7日

 

 日曜日の昼前の時刻。桐ヶ谷和人は、銀座四丁目のとある高級喫茶店を訪れていた。黒のレザーブルゾンにブラックジーンズと、上から下まで黒色の服という、SAOやALOのアバターさながらの姿は、上流階級の婦人で占められる店内の空気に対して非常に浮いて見える。そのため、普通の学生ならば入店するのにも気後れしてしまうのだが、和人は普段と変わらぬ無表情のままにドアを開いた。

 

「いらっしゃいませ、お一人様でしょうか?」

 

 入店した和人に対して礼儀正しく挨拶するウェイターに対し、和人は待ち合わせをしている旨を伝え、奥へと入っていく。途端、

 

「おーいイタチ君、こっちこっち!」

 

 和人のSAOおよびALOのアバター名を呼び掛ける声が店内に響く。上品なクラシック音楽の流れ、婦人達が楽しく会話する空気を乱すようなその声に、客達は男に非難の視線を浴びせ、和人も僅かに眉を顰める。周囲の空気を読まない、マナー違反に抵触する行為に内心で呆れる和人だが、この程度のことでこの男に苛立っていては始まらない。そう考え、和人は客の視線を無視して店内を進み、先程和人を呼んだスーツ姿の男の向かいの席に着いた。

 

「こんにちは、菊岡誠二郎さん」

 

「堅いなぁ……僕と君の仲じゃないか。ささ、ここは僕が持つから、好きに頼んで良いよ」

 

「そうですか……では、お言葉に甘えて」

 

 先程の、いきなり大声でアバター名を呼ぶと言う行為に不機嫌そうな表情を浮かべている和人に対し、しかし目の前の男――菊岡誠二郎は、飄々とした態度で接してくる。並みの人間ならばペースを乱されて話のイニシアチブを握られる可能性が高いが、うちはイタチという前世を持つ和人相手にはまるで意味を為さない。表情を変えることなく、メニューを開くと注文をしていく。

 

「ガトー・フレーズ・ア・ラ・シャンティ、コロンビエ、ビフルージュをお願いします」

 

「かしこまりました」

 

 注文を聞いたウェイターが店の奥へと向かって行ったのを視界の端に捉えた和人は、改めて目の前の人物へと向き直る。国家公務員と言う職業にある菊岡の所属は、総務省総合通信基盤局高度通信網振興課第二別室、省内での名称は通信ネットワーク内仮想空間管理課。通称『仮想課』と呼ばれるこの部署は、SAO事件発生に伴って組織された対策チームを原形として新たに作られた。SAO事件とその延長線上で起きたALO事件が解決した現在では、それらに続く第三、第四のVRワールド関連の事件が起こらないよう対処することが業務となっていた。

 そのような身分にある菊岡誠二郎が和人と初めて顔を合わせたのは、SAOクリアから間もない頃だった。場所はSAO事件に巻き込まれた経緯で入院していた院内の病室。SAO対策チームのメンバーとして名を連ねていた菊岡は、SAO事件解決に至った経緯やゲーム内で起こった出来事などについての詳細な説明を求め、和人もそれに応じたのだった。以来、和人は菊岡からの依頼を受け、新規アカウントを作成してALO以外のVRMMOの調査を行うことが多々あった。故に、今回もその手の依頼でこの場所へと呼び出されたのではと和人は考えていた。

 

(尤も、それだけではなさそうだがな……)

 

仮想世界の情報収集のアルバイトを割と高い給金で都合したり、こうして高級喫茶店でケーキを御馳走してくれている菊岡だが、腹の底では何を考えているか見通せない部分がある。前世で木の葉隠れ里の暗部、そしてS級犯罪組織のメンバーとして、世の中の闇というものを嫌という程知った『うちはイタチ』の魂を持つ和人には、目の前の男が油断ならない人物に思えて仕方が無い。今もこうして、SAOおよびALO事件解決の立役者を務める程に高い仮想世界への適性を持つ和人を仮想世界の情報収集に利用しようとしているが、その奥の奥には、もっと別の……とてつもなく大きな意図があるように感じる。だが、それは飽く迄も憶測……勘に過ぎない。これ以上菊岡の測り知れない心理を探るのは徒労になると考えた和人は、ケーキの到着したところで本題について尋ねることにした。

 

「それで、菊岡さん。俺を呼び出した理由について、そろそろ教えてもらえませんか?」

 

「せっかちだねぇ……ま、とりあえずこれを見てほしい」

 

 そう言って菊岡が差しだしてきたのは、ノート大のタブレット端末だった。和人が受け取り、画面を見てみると、そこには見知らぬ男の顔写真とプロフィールが載せてあった。内容には『死亡推定時刻』なるものがあるところから考えて、どうやら既に死亡しているらしい。なにやら物騒な展開になってきたが、和人は眉一つ動かさずに端末を菊岡へ返した。

 

「この男がどうかしたのですか?」

 

「先月、11月14日。東京都中野区の某アパートで掃除をしていた大家が異臭に気付いた。これはということで、電子ロックを解錠して踏み込んだところ……この男、茂村保26歳が死んでいるのを発見した。死後五日半だった。部屋は散らかっていたが、荒らされた様子は無く、遺体はベッドに横になっていた。そして、頭には……」

 

「アミュスフィア、ですか」

 

 フォークでケーキを切り分け、口へ運びながら、自分が呼ばれた理由を理解する和人。関連性は不明としても、一応死人が出ている事態に全く動じる様子の無い和人に菊岡はやや薄ら寒いものを覚える。だが、SAO生還者とは普通に現実世界を生きる人間とはどこか違う雰囲気を纏っていると聞いた知識から、和人はその傾向が大きく表れているのだろうと納得することにした。ともあれ、今は説明が先である。

 

「その通り。変死ということで、司法解剖が行われた。死因は急性心不全となっていた」

 

「心臓の機能停止……持病でしょうか?」

 

「生前に受けていた健康診断の結果を見た限りでは、心臓に持病を持っていたという記録は無い。それに、死亡後、時間が経ち過ぎていたし、犯罪性が薄かったこともあって、あまり精密な解剖は行われなかった。ただ……彼は二日間、何も食べないでログインしっぱなしだったらしい」

 

「コアなネットゲーマーにはよくある話です。仮想世界での食事は、一応の満腹感を与えますから、現実世界での飲食を疎かにして脱水症状や餓死に至るケースはよくありますよ。それで……ソフトは何だったんですか?」

 

 和人がやや険しい目つきで尋ねたのは、プレイしていたであろうゲームのタイトル。恐らく、菊岡が和人をこの場所へ呼び出した……この死亡事故に事件性を疑った核心があることは明らかだった。菊岡も先程までの軽い佇まいを直し、口を開いた。

 

「インストールされていたゲームは、『ガンゲイル・オンライン』。知っているかい?」

 

「ガンゲイル・オンライン……日本で唯一、『プロ』がいるVRMMOですね」

 

 VRMMOとは、突きつめればゲームであり、所詮趣味である。如何にゲーム内で強力なステータスやレベルを得たところで、それが社会的地位に反映されることは無い。だが、『プロ』と呼ばれる人間が存在するゲームはその限りでは無い。ガンゲイル・オンラインもその一例であり、ゲームコイン現実還元システムを導入されている。つまり、ゲーム内で稼いだ金額を一定割合で電子マネーに還元することができるのだ。そしてその中でも、月に二十万から三十万円に相当する額を稼ぐプレイヤーがおり、他のVRMMOとは比べ物にならない程の時間と情熱を費やしており、いることから、『プロ』と呼ばれている。

 そんな和人の言葉に首肯する菊岡も、首肯しながら口を開く。どうやら、今回の話をする上で菊岡もある程度の情報を仕入れていたらしい。

 

「最終戦争後の地球という世界設定のもと、銃を手にフィールドの生物兵器やロボット、プレイヤーを相手に戦うSF型VRMMO。通称『世紀末の銃世界』と呼ばれているゲーム。それがガンゲイル・オンライン」

 

「その通り。彼は、ガンゲイル・オンライン――略称『GGO』で、十月に行われた最強者決定イベントで優勝していた。キャラクター名は、『ゼクシード』」

 

「MMOストリームに呼ばれていた強豪プレイヤーですね。同イベントの準優勝者である、『闇風』と一緒に番組に出ていたようですが、放送中に回線切断が発生し、以来姿を見たプレイヤーはいないと聞いていました」

 

「……想像以上に情報に通じているじゃないか。既に察していると思うが、彼の死亡推定時刻はちょうど、ゼクシードの再現アバターでMMOストリームに出演していた時間帯でね。それで、ここからは未確認情報なんだが…………もしかして、君も既に知っていたりするのかな?」

 

 SAO事件を経てもなお、仮想世界との関わりを断とうとはせず、そこで起こる事象についての情報に人一倍精通している和人である。菊岡がこの場で話そうとしていた案件についても、既に知っている可能性は低くなかった。そんな、確かめるような菊岡の問いに、和人は何でもない風に口を開いた。

 

「『死銃』の噂ですか?」

 

「やっぱり、知っていたんだね……」

 

 何食わぬ顔で答える和人に、菊岡は苦笑する。目の前に居る、年下の一端の学生でしかない筈の少年には、底の知れない……得体の知れないものを感じることが少なくない。菊岡自身、表に出せない機密事項を山ほど抱えているが、和人はそれと同等以上の秘密を隠し持っているのではとすら思わされる程である。

 だが、経歴を調べた限りでは特別な家系に生まれているわけでもなく……その社会的ステータスは、成績優秀でスポーツ万能な点を除けばごく普通の一般人とさして変わらない。ここで本人に問い詰めても、何ら変わらぬ答えが返ってくるだけだろう。そう思った菊岡は、話を再開することにした。

 

「既に知っているなら話が早い。GGO世界の首都、SBCグロッケンの酒場で放送中に、発砲事件が起きた。例のMMOストリームで起きた回線切断が発生する直前に、一人のプレイヤーがおかしな行動をしたらしい。テレビのゼクシード氏に向かって、裁きを受けろなどと叫んで、銃を発射。テレビへの銃撃とほぼ同時刻に、茂村君が番組出演中に消滅したということだ。そして、その男が名乗ったプレイヤーネームが……」

 

「死銃……またの名を『デス・ガン』でしたか」

 

「そう。だが、これだけじゃない。死銃を名乗るプレイヤーによる銃撃とほぼ同時刻にプレイヤーが死亡するという事件が、もう一件あったんだ。十一月二十八日、埼玉県さいたま市某所。二階建てアパートの一室で死体が発見された。新聞の勧誘員が中を覗くと、布団の上にアミュスフィアを被った人間が横たわっていて、同じく異臭が……」

 

ゴホンッ!

 

 優雅な昼のひとときを過ごすマダムにとって、傍から聞くに堪えない話だったのだろう。わざとらしい咳とともに菊岡の方を睨む婦人に菊岡は豪胆にも軽く会釈しただけで話を続けた。ちなみに和人は、話を聞いている間中もずっとケーキを切り分け、口に運んで咀嚼し味わっていた。死亡事件の話をしていて、顔色を全く変えないあたり、菊岡以上の豪胆さが垣間見えていた。

 

「……詳しい死体の状況は省くとして、今度も死因は心不全。彼もGGOの有力プレイヤーで、名前は『薄塩たらこ』。現場は、ゲーム内のようだね。彼はその時刻、グロッケン市の中央広場でスコードロン……ALOで言えば、ギルドだね。それの、集会に出ていたらしい。そこで乱入したプレイヤーに銃撃、その後回線切断が起こったとのことだ。そのプレイヤーの言動には、裁きや力といった言葉が使われていて、同じキャラクターネーム――死銃を名乗っていた」

 

「死銃……デス・ガン。つまり、ゲーム内で射殺したプレイヤーを、現実世界でも死に至らしめる銃という意味合いでしょうね」

 

「ああ。それが僕も気になっていたことだ。だが、脳を焼き切る程の高出力マイクロウェーブを出せるナーヴギアならいざ知らず、安全面を徹底したアミュスフィアでは、そのような真似はできないと設計者達は断言していた。君は可能だと思うかね?」

 

 

 

 ゲーム内の銃撃によって、プレイヤー本人の心臓を止めることが

 

 

 

「有り得ませんね」

 

 もし実在したとするならば、ぞっとするどころの話ではない。ゲーム内の死イコール現実世界の死となるということは、SAOのデスゲームが再来することに等しい。だが、そんな恐怖すべき可能性を、しかし和人は間髪いれずに否定した。

 

「先程菊岡さんが云った通り、アミュスフィアで出力できる信号のレベルは安全重視で厳密に制限されています。心臓を止める程の信号を流すことは不可能です。例外としては、一個人が抱える強烈なトラウマを刺激する五感信号を送り込めば、ショックで心臓を止められる可能性がありますが……標的の素性を深く探らなければ、その情報を得ることはできません」

 

 これが、和人の結論だった。以前、和人は仮想世界を前世の自分、うちはイタチが使用した瞳術『月読』に似ていると考えていた。だが、月読のように人間をショック死させる程の痛覚刺激を再現できるかどうかは別問題である。SAO事件を引き起こすための凶器と化したナーヴギアや、ALO事件で須郷とその部下達が研究用に使用していたフルダイブマシンには、『ペイン・アブソーバ』という痛覚レベル操作システムが存在しており、メーターをゼロにすることで現実世界の肉体にまで影響を与える痛覚を再現することができた。だが、ナーヴギアの後継機であるアミュスフィアは、事件の影響もあって安全が何より重視されており、ペイン・アブソーバ自体存在せず、現実の肉体に影響を与えるレベルの出力は一切出せない仕様となっていた。よって、仮想世界の銃撃で現実世界の肉体を死に至らしめることは、まず不可能であるというのが和人の意見だった。

 

「……とはいっても、もう既に専門家に相談して検証済みなのではないですか?」

 

「いやぁ……分かった?」

 

「僅かでも事件性を疑っているのでしたら、俺のような素人に相談するよりも、先にそちらへ行くのが普通でしょう。それで、わざわざ専門家に相談した上で俺を呼び出したのは、第三者の意見を聞いて結論について確証を得ることだけが目的だったんですか?」

 

 この菊岡誠二郎という男は、一見するとノリが軽く、親しみやすい雰囲気と喋り方をしているが、国家公務員としての仕事はきっちりこなす人物である。そして同時に、腹に一物を抱えた一癖も二癖もあるとんでもない食わせ物である、というのが和人の菊岡誠二郎に対する評価だった。今回、一見すれば偶然の一致が引き起こしただけの死亡事故をきっかけに和人を呼び出したのも、単に意見を聞くことだけが目的ではない筈である。よって、和人はいよいよもって菊岡が自分を呼び出した真意について尋ねる。

 

「君の言う通り、既に関係各所の専門家の意見は聞いている。そして、君もまた同じ結論を出してくれたことから、改めて頼みたい。ガンゲイル・オンラインにログインして、この死銃なる男と接触してくれないか?」

 

 半ば以上予測できていた依頼内容に、和人は紅茶を一口飲むと、ほっと一息吐いて口を開いた。

 

「つまり、最後の念押しのために、死銃に撃たれてその結論を実証してこいということでしょうか?」

 

「いやぁ……まあ、そういうことになるのかな?」

 

「成程……確かに、ゲーム内の銃撃事件と現実世界の死亡事故との間に因果関係は認められません。しかし、万が一……いえ、億が一、あるいはそれ以下の可能性とはいえ、この二件の心不全による死亡が、殺人事件であると疑った上で、危険を冒せと仰るわけですか?」

 

「…………」

 

 和人の歯に衣着せぬ物言いに、さしもの菊岡も苦笑すらできず黙りこむ。そんな、ある意味追い詰められた風の国家公務員を、和人は常と変らぬ無表情で、しかし明らかな呆れの感情を交えた瞳で見据えていた。

 

「SAO事件は言わずもがな、ALO事件では、本気で生死の境を彷徨ったおかげで、妹や母親に心配をかけ……今後は絶対に無茶はするなと念押しされているのですが」

 

「そ、そう……」

 

「しかも、仮想世界ならいざ知らず、現実世界で実際に射殺されかけた俺に、銃の世界へ行き……あまつさえ、全く根拠の無い噂とはいえ、本当に死ぬ可能性のある銃弾を食らって来いと仰られる?」

 

「ぐっ…………」

 

「総務省の対策チームの方々が、もっと力を尽くしてくれれば……あんな目に遭わずに済んだのでしょうがねぇ……」

 

「……………………」

 

 常の口数の少なさはどこへやら。SAOの黒の忍よろしく、痛烈な皮肉の刃を振り翳して、菊岡のHP……或いは、MP全損に追いこんでいく和人。対する菊岡は、碌に反論することもできない。だが、彼とて仕事で和人を呼び出し、依頼をしているのだ。ここで引き下がるわけにはいかないと、どうにか口を開いた。

 

「……確かに、SAOからALOまで、名ばかりの対策チームの活動で君に壮絶な負担をかけてきたことは否定のしようがない。銃撃されたことのある君に、このような依頼をすることも筋違いだと言うことも承知している。だが、他に宛てが無い以上、君に頼るしかないんだ」

 

「……こう見えて、俺も忙しいのですがね。今も、あなたとは別の人物からの依頼で動いていることですし」

 

 秘匿事項につき、依頼人の名前は明かせないが、既に先客もいると言う。和人の身も蓋も無い対応に、しかし菊岡はなおも食い下がる。

 

「そこをなんとか……引き受けてもらえないかね?この件は、上もかなり気にしているんだ。フルダイブ技術が現実に及ぼす影響というものは、今や各分野で最も注目されている。仮想世界の影響が、社会問題となる危険を孕んでいるのではと規制を推進している派閥もある程だ。今回の一件についても、規制推進派に利用される可能性がある。その前に、事実関係を確かめておきたいんだ」

 

 仮想世界に関する法規制が為されるかどうかという問題に差し掛かれば、当然和人を含めて全VRMMOプレイヤーにとっても無関係な問題にはなり得ない。そう暗に告げる菊岡に対し、しかし和人は一向に首を縦に振らない。

 

「この通りだ……GGOを開発・運営しているザスカーなる企業は、アメリカにサーバーを置いているおかげで、僕も手が出せないんだ。しかも、この死銃というプレイヤーも、名の知れた強豪プレイヤーを襲う趣向があるらしい。かの茅場氏が見込んだ君ぐらいしか、頼める人間はいないんだ。無論、無償で引き受けてくれとは言わない。プロの相手をしてもらう以上、調査協力費としてそれ相応の報酬も出そう。GGOのトッププレイヤーが月に稼ぐ額と同程度……三十万でどうかね?」

 

 八方塞がりで困っていることをアピールして同情を引き出すとともに、報酬として支払う金額を明確化して依頼を受諾させようとする菊岡。そして、ここに至ってとうとう和人が依頼受諾に傾き始める。

 

「……分かりました。引き受けましょう」

 

「本当かい!?いやあ、本当に助かるよ!」

 

「VRMMOの規制ともなれば、協力も止むなしと割り切りましょう。ちょうど俺も、GGOのアカウントを取っていますしね」

 

「成程、道理で死銃なんてネタを知っているわけ……というか、既にGGOにログインしていたなら、銃に対するトラウマ云々は無いじゃないか」

 

「それとあなたからの依頼を引き受けるかは、別問題ですよ」

 

 しれっとした態度で答える和人に、菊岡は苦々しい表情を浮かべる。今の今まで無能と称されてもおかしくない程に何もできなかった対策チームのメンバーである菊岡としては、名目上は一般人であるにも関わらず命懸けで事件を解決に導いた和人に対して強く出られない傾向にある。殊に殺人の可能性が僅かにもある死亡事件の調査依頼ともなれば、拝み倒した上で受諾の必要性を語らなければ聞いてもらえる筈も無い。

 ともあれ、必死の説得の末に菊岡は和人に調査依頼を受諾させることに成功したのだった。だが、和人は菊岡の出した条件そのままで依頼を受けるつもりは毛頭無かった。

 

「ただし、依頼を引き受けるに当って条件があります……」

 

 

 

 

 

 

 

 菊岡との対談の末、提示した条件を呑ませた上で依頼を引き受けることに成功した和人は、喫茶店を出て家路に着いていた。その道中、ポケットに入れていたスマートホンが振動する。電話をかけてきた相手は、菊岡よりも先に依頼を引き受けた人物だった。

 

「竜崎、俺だ」

 

『こんにちは、和人君。例の事件の捜査について、新たな情報が入りました。至急、相談したいのですがよろしいでしょうか?』

 

「了解した。迎えはワタリさんだな。どこへ行けばいい?」

 

 対話の相手の竜崎に言われるまま、家路を外れて待ち合わせ場所を目指す和人。そんな中、竜崎はあることを指摘する。

 

『そういえば、和人君。今日、銀座で菊岡誠二郎と対談していたようですが、何を話していたのでしょうか?』

 

「新しい金蔓を確保していただけだ。それより……何故、お前が知っている?」

 

『監視していたのは菊岡誠二郎の方です。その過程で、休み時間を利用して和人君と喫茶店で会話していたのを確認しました』

 

 総務省仮想課に所属する公務員でしかない筈の菊岡誠二郎が、世界的名探偵のLに監視されているという。常々きな臭いと思っていた菊岡の素性が、ますます怪しくなってきた。探偵の秘匿事項に抵触するため、詳しい事情は聞けそうにないが、警戒レベルを引き上げる必要がありそうだ。

 ともあれ、今は竜崎から依頼された捜査についての打ち合わせの話を進めることが先である。

 

「そうかい……とりあえず、例の事件についての話だな。分かった、向こうに到着したら話し合おう」

 

『よろしくお願いします――『死剣(デス・ソード)』――イタチ君』

 


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