世界樹の迷宮 光求めし者達   作:鞍馬山のカブトムシ

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九話.再び三階層

 今日は二つの依頼を金鹿の酒場から承った。

 冒険者と市民の間には僅かながら隔たりがあり、冒険者の大半は遠方の地の出身者で、彼らの堅気とは言い難い雰囲気が自然と冒険者と市民が集う場所を自然と分ける。例を挙げれば、シリカ商店がその代表になるだろう。

 そんななか、金鹿の酒場は数少ない市民と冒険者が集う憩所(いこいどころ)

 多くの市民はこの店で、執政院などには頼めないような事柄を女将に話し、女将は内容を帳簿にまとめる。女将は仲介人としてこれとを思う冒険者に帳簿に記した頼み事を明かし、冒険者はその頼みを引き受ける。

 

 

 

 一つはシリカ商店からの依頼で、大亀の甲羅を所望。二つ目は高級服飾店からの依頼で、鰐皮を所望。いずれも原価に千エン足した報酬金が支払われる。今日請けた依頼品の持ち主たちは、いずれも三階層における強敵として挙げられる。農耕牛より一回りでかい大亀は、口から身を凍らせる冷気を吹き付ける。鰐は四本足と二本足でも恐るべき速度で迫り、獲物を大顎と爪でズタズタに引き裂く。

 その恐ろしさたるや、体験した者にしか分かり得ない。これらの強敵と対峙するにあたり、接近戦を得意とする者のみでは勝率は低い。腕利きのレンジャー・アルケミスト・カースメーカーの誰か一人は必要不可欠である。

 樹海生物とは基本。戦いを避けるのが前提であるが、冒険者とエトリア人には付き合いという物があり、他国人である自分達が食う物や寝床はエトリアが提供しなければ野垂れ死に、武具装備も得られない。エトリアも彼らの稼ぎが無ければ、経済が滞る。切っても切れぬ関係。

 今日はレンジャーが欠けているが、若くして匠の腕前を持つアルケミストがいるので安心だ。

 

「さあ行こう」

 

 コルトンが号した。彼とアクリヴィは今日、二人で一行の代理リーダーを務める。

 小舟のパーツを持たずの探索で、その点は楽だった。

 コルトンは顔を覗かせた冑を被り、大盾を背負う。ロディムは背に長柄の斧を、腰のベルトには短い柄の片刃の斧と両刃の剣をたばさみ。ジャンベはいつもの青いベストと楽器、短弓と矢筒。アクリヴィとマルシアは普段通り。そして、各自太いナイフを携帯した。

 時軸を通り、いざ三階層へ。

 もう何十回目になる蒼い世界が視界に飛び込んできた。安定した涼やかな冷気が身を包む。

 コルトンが先頭に立ち、二番目に重装備のロディムはしんがりへ、ジャンベは後列から二番目、マルシアは真ん中に行き、アクリヴィはコルトンの背後を歩いた。パーティは整ったいるように見えるが、当人たちの感想は違った。完成間近のジグソーバズルの残り一ピースが欠けて、いくら探しても見つからなくて落ち着けない感覚。

 そのピースとは、エドワードであろう。

 ジャンベは耳がいいし、ロディムも決して目は悪くないが、しんがりを務めるのはエドワードこそ一番の適任者だと理解していた。ロディムも肌でそれを感じ、何糞負けてたまるものかと目を凝らした。

 げーこぉ! げーこぉ! 喉を震わせて鳴く声。カエルだ。

 始めはゆっくりと間を開けて鳴き、次第に一行を包囲するようにげこげことやかましい大合唱と化した。各自の獲物を手に取る。アクリヴィの篭手から錬金術の薄い光が洩れる。

 カエルたちの大合唱が止んだが、周りの草や樹の裏からはひしひしと気配を感じる。

 

「どっちに集まっているかわかる?」

 アクリヴィはロディムとジャンベに聞いた。

「こう音が反響しては、何匹いるのか検討がつきません。少なくとも、コルトンさんが歩いて十歩先の左の居丈草からは五匹います。後は判じかねます。多分、何十匹といるでしょう」

 

 ジャンベが声を潜めて答えた。アクリヴィはロディムを見た。アクリヴィと視線が合ったロディムは無言で首を振った。視力が良くても観察眼が無ければ意味がない。ロディムにはその観察眼がやや欠けていた。

 カエルはあまり強敵の部類ではないが、こうも数が多ければ厄介だ。

 アクリヴィがコルトンより前へ出て、ジャンベの指示した箇所へと氷の術式を放った。三階層を包む冷気を超える、極めて寒冷の強い風が居丈草を直撃。げぇ! という小さな声が重なり、居丈草と地面の一部は氷で覆われた。

 この寒さでカエルの群れは逃げるか。決意改めて襲いかかってくるか。

 あちこちで慌しく草を踏み付けたり掻き分ける音がした。カエルの群れは急激な気温低下に驚き逃げ出した。

 カエルの群れが去ったあと、コルトンはメイスで草をかち割り、草越しを覗いた。ジャンベの言った通り、子牛ほどもある五匹のカエルが固まり、薄く氷で覆われて灰色の体は白くなっていた。

 五人はカエルを草から引きずり出し、コルトンとロディムがナイフでそっと頭を刺して息の根を止めた。

 五人で作業に当たり、凍りついた岩サンゴや頬の皮などをナイフで剥ぎ取った。その後、続々と樹海生物が出現した。クイーンアントの残党、一つ目の全身が粘液で覆われた青や赤のワーム、例のカエル。コルトンは剣で蟻の頭部を貫き、盾でもう一匹の頭を砕いた。アクリヴィは氷の術式で蟻を氷漬け。マルシアは短槍でカエルを刺し、ジャンベの矢はカエルの眉間に当たる。ロディムは両手に剣と斧を持ち、二匹のワームをそれぞれ一太刀で屠る。

 三度に渡って樹海生物の襲撃は行われたが、ホープマンズの堅固な陣形の前に、尽く返り討ちに遭った。

 歩き続けて一時間、一つ目の依頼の品物を持つ怪物が現れた。

 

 

 

 それが一歩踏む度、地面にはくっきりと足跡が刻まれる。のんびり、気怠そうに棘を生やした岩が揺れる。

 岩からは太く長い四肢が伸び、同じく太く長い首を伸ばし、唇の上顎に位置する部分は尖がっていた。あの口で挟まれたら腕など簡単に千切れてしまいそうだ。

 コルトンとジャンベが囮として大亀の気を惹き付けている間、物陰に隠れたアクリヴィが大亀の首を凍らせ、一時的に身動きが取れなくなった大亀の首目がけてロディムが長柄戦斧を振り下ろす。マルシアは後方で待機。大亀が縄張りを一周する頃を見計らい、コルトンとジャンベが飛び出した。大亀は歩を止め、二人をじっと見下ろす。

 大亀は野太い咆哮を上げた。腹と喉が膨れる。来る!

 刹那。膨らんだ大亀の喉腹が縮んだ。大亀の後ろ左足に槍が突き立っていた。マルシアが投げつけたのだ。

 背後を取られた大亀は首を右、アクリヴィとロディムが隠れた切り立った丘の方に首を曲げたとき……身を切るような冷風が大亀の首を襲う。コルトンとジャンベは薄目を開けて、大亀の首右半分が凍りついたのを見届けた。

 ロディムが躍り出て、長柄戦斧の刃広い刃が頭を抉り、抜き払った長剣で首の凍った側面を深々と刺した。

 これで最期かと思いきや、大亀は右足でロディムを蹴飛ばすという抵抗を見せて事切れた。蹴飛ばされたロディムは切り立った丘に叩きつけられ、鎧ががしゃりと盛大に音を立て、丘の一部が崩れた。

 四人は大亀に目もくれず、真っ先にロディムに駆け寄り、コルトンやアクリヴィが手を貸そうとしたら、手を払って立ち上がり、ロディムは冑を外して目を眩ませながら後頭部をさすった。

 

「あつつ……あんにゃろ。思いっきり蹴りいれやがって。鎧が無きゃ危なかった」

「ほかに痛みはないのか」とコルトン。

「ん? ああ、まあ、痛いといえば痛いが。動けないほど痛いというわけでもねえぜ」

「でも、万が一という場合もあるし、ちょっと鎧を脱いでみて」

 

 マルシアの言うことにロディムは素直に従い、鎧を脱いだ。コルトンはアクリヴィを見て、アクリヴィは肩を小さくすくめた。私たちの手は払うが、お姫様の意見には従うか。二人の考えていることを読み取ったのか、ロディムは言い訳した。

 

「勘違いするなよ。俺は別に意図してしたわけじゃない。てっきり、野郎がまた生きていて、脚を伸ばしたように見えたんだ。ほんとだぜ?」

 

 コルトンは片手をひらひらさせて「わかったわかった、ほら診察してもらえ」と苦笑混じりに言った。

 ロディムがマルシアに診察されている間、アクリヴィが見張りに立ち、コルトンとジャンベは作業にあたった。コルトンは右、ジャンベは左に回り、甲羅の隙間にナイフを差し込み、刃を小刻みに何度も上下させて少しずつ甲羅と甲羅を繋ぐ肉と骨を絶った。

 途中から診察を終えたロディムとマルシアも加わった。ロディムは腹に僅かな痣を除き、致命傷になるような傷は無かった。

 二人は大亀の尻尾側から作業を始めた。適当な木の棒で大亀の甲羅の裏側に引っ付く余分な肉を落とし、土をスコップで投げて血肉で濡れた部分を固め、三十分で作業は終了。戦闘自体はあっさり済んだが、後処理に時間を要した。アクリヴィとマルシアの二人が甲羅を縄で括り、甲羅の裏側を背負う。甲羅はごつい見かけに反して意外に軽く、二人は普通の女性より鍛えているためこの程度の重さは苦にならなかった。

 配列は変更無し、一行は十二階に降りた。

 鰐は太古の時代のいつか、三龍の目を監視を運よく掻い潜って樹海に移り住み、たった数千年の歳月で樹海の環境に適応して巨大に進化した。

 全長十メートル近くの鰐が大口を開けて接近してくる様は、探索に慣れた者でも例えようがない恐怖に陥れる。

 また、非常に狡賢く、眠っていると見せて襲いかかったり。一頭が水面から尻尾を出して引き付けているうちに、もう一頭が獲物の息の根を止めるといった連携プレイもみせる。

 

「でも、私たちは背後に関しては安全ね。これ背負っているしね」

 

 アクリヴィは自らの背後を歩くマルシアを茶化した。マルシアは、ええそうねと軽く微笑んでみせた。

 アクリヴィの腹側の甲羅で、マルシアは背中側の尖った部分がある甲羅を背負っていた。マルシアの背はメンバーの中では一番低く、いざという時は背負った甲羅ですっぽり身を覆い隠せそうだ。樹に止まって一行を見下ろすヤンマをアクリヴィが電撃で脅すと、ヤンマは右方向へと飛び去った。それ以外、特に敵らしいのは見当たらなかった。他のパーティとも一回しか会わなかった。

 そのパーティはホープマンズより平均年齢は上で、彼らのリーダーが言うには、今日は厄日だと。

 何を根拠に厄日なのかはまでは語らず、今日の三階層は奥まったところに行くのは避けたほうが賢明だと忠告した。

 彼らは彼の忠告に一応耳を傾けて、鰐の目撃例が多い十三階に降りた。地図からして、四分の一まで進んだとき、コルトンは前を睨んだままジャンベに話しかけた。

 

「ジャンベ、何か気付くか?」

「いいえ、何も」

「お前はどうだ、ロディムよ」

 

 ロディムも何もと答えた。何回も怪物と戦うこともあれば、一回も怪物と戦わずに階下へ行けることもある。なのにどうであろう、十三階では一度たりとも、生き物の影も形を見てない。

 コルトンは見えない誰かに背中を押されたような衝撃が走った。冷や汗。

 鰐は巨体のくせして、意外にも音を立てずに移動する。エドワードが一番目がよく、レンジャーとして気配を感知する能力にも長けているが今はいない。ジャャンベはエドワードより耳はいい。今は彼の探知能力に頼るしかない。 

 何かがいる。だが、その何かはとはなんだ。そもそもいるのかどうかさえ分からないが、彼らの長年築き上げた冒険者の勘が危険を知らせていた。コルトンとロディムが右を何となく見た時、ジャンベが正しい方向を告げた。

 

「音がしました。左です。小枝を踏みしめる音です。小枝全体を踏み締める感じの音だったので、多分、人間ではありません」

 

 小枝全体を踏み締めるぐらいの巨体。その情報だけで十分だった。一行は先を急ぎ、浅瀬がある視界が遮る物がない道にまで進んだ。小さな支流が流れ、全体的に道はぬかるんでいる。十二階は運が良かっただけであろうが、十三階は異なる。十三階で他の生物と遭遇しなかった訳は単純明快、自分たちを位が上の捕食者が狙っているからだ。

 鰐は決して諦めない。こちらの忍耐力が確かめられる。

 アクリヴィが誘いをかけようと提案し、一行はアクリヴィの案に乗った。甲羅を木の棒で立てかけ、一行は比較的固い場所に座った。肉を取り出し、棒切れに刺したらアクリヴィの火の術式で焼いた。肉の焼ける良い匂いが漂う。

 うめぇうめぇと、ロディムはがははと笑いながら肉を頬張る。

 のそりのそり。樹を押しのけ、薄紫の二対の小山が地面を這いつくばる。一つは甲羅の腹側、一つが甲羅の背後に回ろうとした時、攻撃が開始された。

 甲羅を左右に押し倒し、アクリヴィの両籠手から今日一番の威力の氷の術式が形を伴い放たれた。術式は白いもやっとした球体状の塊となって鰐に向かった。鰐は身を捻ったが、横腹から足の付け根にかけて凍りついた。

 もう一体の鰐は、甲羅が押し倒されたと同時にファイアオイルの瓶を幾つも投げつけられた。

 鰐は不愉快そうに頭を振り、無駄な足掻きをする獲物を一飲みしようとした。マルシアは点火しておいたマッチで火薬を詰めた小瓶の布に火を灯し、迫る鰐の大口へと果敢に瓶を放り投げた。毒を塗ったナイフもくれてやった。

 鰐が吐き出そうとした瞬間、火薬が炸裂し、体にかかったファイアオイルにも引火した。鰐は呻き、泥を跳ねあげ、体を激しく回転させて火を消そうとした。泥の飛沫が一行と相方の鰐にも降りかかる。

 一行の行動は早かった。マルシアが小瓶を投げたのを確認すると、一行は前に回ろうとした鰐から離れ、アクリヴィが凍りつかせた鰐と対峙した。

 白く濁った鰐の目は怒りで不気味な光を湛えていた。小細工なしで真っ向から大口を開けて接近してくる鰐に、またしてもアクリヴィの術式が炸裂! 鰐の右目や下顎と舌が凍り、鰐が苦しげに口を動かしたら、舌がぼきりと折れた。凍った舌肉の断面がうかがえる。

 苦しげに喘ぐ鰐の背に盾を捨てたコルトンが素早く飛び乗り、振り落とされまいと体にしがみつき、必死に脳天に剣を何度も突きたてた。そのうち、鰐は淡が詰まったような咳を出して、横たわった。コルトンは頭から降りて、念には念を入れて最後にもう一突き、剣の柄に達するまで深く刺し入れた。

 一方、もう一体の鰐は問題なかった。何故なら、最初の奇襲で目や舌に鼻など五感機能の大半を奪うのに成功して、鰐は瀕死に陥っていた。

 泥塗れの顔を所在無げに動かし、鰐は哀れっぽくか細い声を上げた。アクリヴィが介錯に、先ほど放った特大氷の術式で頭部を凍りつかせ、今度はロディムが頭に上り、斧で頭を砕いた。

 粉雪と化した頭部の一部が地面に飛散した。いずれ、泥の一部になるだろう。

 泥で汚れた一行は作業に移った。

 マルシアとアクリヴィは甲羅の回収と点検。男三人は鰐皮の採取。残念ながらアクリヴィの背負っていた甲羅はひび割れていたが、マルシアの甲羅は泥を被っただけで、無傷で済んだ。男三人は要所要所で鰐皮を切り取り、一人頭一メートル分、計三メートル分の鰐皮を背負った。

 

「あの。今度は私から提案があるのだけど。いいかしら?」

 

 マルシアがおずおずと手を挙げた。アクリヴィが先を話すよう促した。

 

「ほら、さっき会った方達のリーダーの(ひと)が言っていたでしょ。厄日だと。あの人の言うことを鵜呑みにするわけじゃないけど、最後にあの鰐さんが出した声」焼け爛れて凍りついた鰐を指して「どうも危ない予感がするのよね」

「危ない予感? それはなんだい?」

 

 ロディムが幾分礼儀正しく聞いた。ロディムの問いに、マルシアは頬に人差し指をつんと当てて首を傾げた。アクリヴィはこういう女らしさを強調した動作は嫌うが、マルシアや金鹿の酒場の女将、シリカ商店の店長娘など一部に限り許せた。

 

「さあね。ただ、もったいないと渋ったら、後で後悔するどころか、最悪死ぬかもしれないわね。あの人の勘、それと、私の女としての勘と言えばよろしい」

 

 最後の台詞を悪戯っぽく言った。ロディムはにやけ、ジャンベは半ば呆れ半ば面白がるように微笑んだ。

 反して、アクリヴィは右手を顎に当てて探るように周りを見やり、コルトンは真剣な面差しでマルシアを見た。コルトンは腰に付けた袋をまさぐり、変位磁石を取り出した。

 

「そうだな。あんたの言う通りだ。渋って死ぬぐらいなら、使った方がずっとましだ。では、皆集まれ」

 

 コルトンは石を地面に投げた。石はぬかるんだ地面に食い込み、周囲に円形の紫の光が立ち昇った。一行が去り、光の輪が消えて少し経った後、ぞろぞろと三体の元気な鰐たちが現れた。

 鰐たちは悲しむ風でもなく、仲間の死体を貪り喰った。その死体を狙い、木々の間からも沢山の樹海生物たちが鰐のおこぼれをいただこうとしていた。

 男の忠告、マルシアの女としての勘は的中していた。

 


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