世界樹の迷宮 光求めし者達   作:鞍馬山のカブトムシ

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十七話.決断と抵抗

 遠吠えの距離からして、怪物の群れが間近に迫りつつあるのがわかった。腹は空き、喉は乾き、武器となる物といえば石ころ。各牢に居る者たちは石を握り、アルケミストは術式を練った。

 だが、触媒となる篭手が無い彼らは、通常より錬金術の錬成に時間を要し、篭手が無ければ、威力は従来の十分の一しかない。

 

「とうとう終わりの時が来たかな? 我らの最後の抵抗。武勇伝を歌ってくれる者がいないのは惜しい」とエドワード。

「この石で、目ぐらい潰してやるか」

 

 片手で石を弄びながらオルドリッチが言った。

 怪物の吠え声が更に接近した。きつく石を握り締める。腹を括ったとき、怪物の吠え声に混じり、人の声が聞こえた。牢の外を見ると、モリビトの少年ジェルグとサラが来た。ジェルグは彼らの身を案じてきて、サラはジェルグの身を案じて追いかけた。迫る怪物の咆哮を聞き、二人は縮こまりそうになる足を懸命に立たせた。

 ジェルグは手を振るう。

 

「オーイ! 今行くよ」

 

 ジェルグとサラはどこから調達したのか。角張った木片を幾つか嵌めて、動かし、からくりしかけの牢を解錠した。

 二人は続いて、二の牢と一の女牢を解錠した。久しぶりの外。久しぶりの仲間との対面。

 ひとしお仲間との再開の喜びを味わいたいが、おちおちゆっくりもしていれられない。

 

「急いで急いで!」

 

 ジェルグとサラは急ぐよう促した。捕虜たちは飢えた体に鞭打ち、走った。囚人広場から出る直前、怪物たちが正体を現した。

 黄色い体、蝙蝠の羽根、しっとり淀んだ緑の眼、二本の角を生やした獅子頭の怪物たち。

 怪物たちは凄まじい勢いで現れ、その勢いで牢にぶつかった。怪物たちは怒り狂い、牢を大きな顎で噛み千切り、腕の爪で引き裂き、太い腕を振り下ろした。怪物の猛攻で、牢はあっという間に木屑と化した。

 太い縄と木材でできた牢を瞬時で破壊しつくした怪物たちの怪力。謎の怪物集団の力を目の当たりにし、二人のモリビトと捕虜たちは背筋を凍らした。ベルナルドがおどけてみせた。

 

「ひえー。おっかない、おっかない。ありゃ、普通に石ぶつけても大して効果なかったな」

 

 道は広くないが意外にも整備されて、通りやすかった。広場にあった牢を全て破壊した怪物の群れは、ターゲットを逃げる一同に定めた。これが最後と、一同は全速力で駆けた。走りながら、アルケミストたちは枯れ枝を数本拾った。怪物たちが迫ると、一斉に石を投げつけた。

 ロディム、コルトンのようにただ投げる者もいれば、エドワード、カールロ、コウシチのように、上手く狙いを定め、目や開いた口に石を投げつける者もいた。投石は結果、怪物たちの怒りに余計に火を注ぎ、怪物は速度を速めた。

 ジェルグとサラがモリビト語で叫ぶ。前方には、武装したモリビトの戦士一団が待ち構えており、一団の背後には柵と杭が埋め込まれた堀で囲まれた建物の屋根が見えた。あれが、モリビトの住処。モリビトの集落であろう。集落が見えた辺りで、走る速度を人間も怪物も落とさなければならなかった。

 尖った何十本の杭が寄せ手側を向いているので、突っ込み過ぎれば、串刺しになる恐れがあった。

 追いつく直前、アクリヴィとクリィル、二人の錬金術師は拾った枝に火を付け、背後の怪物集団に向かって放り投げ、ついでに火の術式も浴びせた。最大火力で放たれたはずの術式は、基本術式程度の威力しかなかったが、効果はあり、怪物たちの先頭は一時的に歩みを止めた。

 捕虜たちは自分でも信じられないくらいの勢いで走り、村まで急接近した。やっと村に入ろうとしたとき、戦士たちの槍と剣が入村を拒んだ。

 白の衣を着たモリビトの僧侶が話した。

 

「その二人は入ってもよいが、貴様等は駄目だ。どうせ、今日までの命。援軍が到着するまでの囮になってもらう」

 

 ジェルグがモリビト語で抗議した。

 

「でも、この人たちは強そうだよ。怪物たちも沢山いるよ。今はモアの脚も借りたいほど人手は無いんでしょ? それに、武器も無い人たちに武器を向けて囮にするなんて、誇り高い森の民のすることじゃないよ!」

「黙れ! ジェルグ、サラ。お前たち二人の処罰は後だ。とっとと村に入れ! お前たちはそこにいろ。行けるものならどこへなりと行くがよい。逃げられるものならな」

 

 僧侶はお前たちのところから、地上の者にも分かる言語で言った。舌打ちしたロディムをコルトンが下がらせた。エドワードは適当に石を拾い、棒切れを掴み、村を囲む怪物の群れをキッと睨んだ。後ろのモリビトたちが口々に何かを言う。

 

「マンティコア! マンティコア! ウル・パジェヴィー! マンティコア!」

 

 モリビトたちはそれを指して、恐怖に引きつらせた声で、怪物をマンティコアと呼んだ。モリビトたちの呼びかけに応えるように、一際、途方もない鳴動が一帯を揺るがした。

 

「姿は見えぬが、遠くにこやつらの親か首領格のけだものがいるやも知れんな」

 

 沢山枝葉が付いた棒で、抜刀の構えを取るコウシチが言った。

 地上の者たちが知らないのも当然。これこそ、何千年前、モリビトたちとの覇権争いに敗れ、河から這い上がったおぞましい獣の生き残りの一種。永らくモリビトたちの天敵で有り続けた存在。

 その名も―――マンティコア。

 マンティコアの群れは警戒し、近づこうとしない。それとも、数が揃うのを待っているのか。

 戦士たちはジェルグとサラと共に、一応は安全な囲み身を隠した。外に残された地上の者たちとの間合いを、マンティコア達は徐々に詰めた。

 

「た、助けてくれー! お、俺はまだ、こんなところで死にたくない!」

 

 エドワードの顔見知りの盾持ちの衛兵が身も蓋もなく泣き叫んだ。

 冒険者とは異なり、衛兵は窮地に立たされる場面に慣れていなかった。衛兵につられて、他の衛兵もだらりと腕を下げたり、無気力な瞳を向けた。小隊長は部下たちを叱りつけ、必死に勇気づけたが、彼の声も裏帰っていた。かくいう冒険者たちも、自らの死を悟って崩れそうだったが何とか踏ん張った。

 

「おい、せめてピーピー弱音を吐く口をつぐめ。お前以外の者は皆、そうしているぞ」

 

 絶望的状況で心が折れて泣き叫ぶ衛兵の一人をオルドリッチは肩を揺さり、乱暴に立たせたら、平手打ちでけつを叩いた。正気になった盾持ちは一言済まないと謝り、他の者に倣って自身も石と砂を鷲掴みにした。エドワードは袖口で気持ち悪いを汗を拭った。喉もカラカラだ。

 騎馬民族エクゥウスのエドワード・ウォル。ここに命極まれり。長いようで短かったな。オルドリッチの言ったことを真似するわけではないが、己の身を毒と化し、喰った奴の腹を下させてやろう。石を強く握り締め、近づこうとする奴あらば、いつでも石をぶつけられる態勢を取った。

 村の中のジェルグは衛兵の悲鳴を聞いた。彼の心にあるモリビトの誇り、心ある者として弱者を見捨てられぬ憐み、戦士の勇気が燃え立った。

 ジェルグは肩を掴む戦士の腕に噛み付き、脛を蹴り、戦士が飛び退いた隙に小さな体格を生かし、大人たちの間を潜り抜け、柵を飛び越えた。柵を飛び越えたジェルグに、一瞬、全ての視線が注がれた。

 

「早く来て! 裏手からなら、何とか乗り越えられるかもしれない」

 

 集落の中にいるジェルグの親と友達、サラが呼びかけた。

 

「戻ってこい、戻ってこい、ジェルグ! 彼らを見捨てろ!」

「できないよ! だって、悪い奴がこの戦争を仕掛けたんだろ? この人たちが悪くないとは言えないけど、どっちが始めたかより、互いに殺し合った時点で同じだよ」

 

 説得するジェルグの背後にそっと近寄り、エドワードは後頭下部を打って、ジェルグを気絶させた。柵上のモリビトは槍を投げようとしたが、エドワードはジェルグを担ぎ、上のモリビトに差し出した。

 

「互いに後には引けんな」

 

 言った意味は分からないが、モリビトはエドワードの言った言葉が何となく理解できたような気がした。モリビトたちは柵の合間から手を伸ばし、ジェルグを引き上げた。

 遠く離れた首領各のマンティコアが雄叫びを上げた。攻撃命令であろう。マンティコア達が動き出した。黄色く染まった荒波が押し寄せてくる。この波間に呑まれたら、いかな者とて、助からないだろう。

 指揮者と戦士は地上の者を見た。四、五名を除き、彼らは勇敢にも素手で大群に立ち向かおうとしていた。決して、その姿に心を動かされたりはしてないが、大僧正はひとつ、危険ではあるが彼らを利用してみることにした。大僧正は防御陣に、地上の者を救うよう命じた。

 打算的な考えがある指揮者に対し、戦士たちの多くは先ほど同族の少年が見せた行動に心を打たれていた。

 モアの羽根を借りたいほど手が足りないのも本音だが、同族であるモリビトの少年が見せた行動も、彼らの心を動かした。村の囲い、捕虜たちが固まる箇所に急接近するマンティコア達。

 

「いけぇーー!!」

 

 オルドリッチが叫び、石を投げる。他の者も続いて石を投げた。しかし、囚人たちが投げた投石は明らかに数が多い。一同の頭上を越えて、大量の石と槍とブーメランが降り注ぎ、雷の矢と火炎弾がマンティコアの毛皮を焦がした。

 何本かの槍には縄が輪っかに通されており、手繰り寄せられた。

 門が解放された。「来い!」あの僧侶に言われるがまま、捕虜の一同は集落内部に雪崩れ込んだ。門が閉まると、マンティコア達が突っ込んできたが、降り注ぐ石とブーメランを前にさっと引き返した。

 戦士の一人が報告に来た。

 

「怪物たちの関所的役割をも果たす六の林村は落ちてならぬと、五と四と三の村から増援が送られてきました。何とか保つでしょう。しかし」戦士は地上の者たちを胡散臭い目で見た。「彼らを引き入れた訳は?」

「今は存亡の時。訳は後で説明するとして、この者らに、この者らが使っていた武器を渡してやれ。責任は私が持つ」

 

 戦士はさっと踵を返し、他の者も共ににすぐに武器を運んできた。

 地上の者たちが武器を持つまでの間、来たるマンティコアの群れを必死に止めたのは、地の戦士たちの怪力と戦乙女の歌と鞭、戦士たちの石や槍による遠隔攻撃であった。

 一同は自分達の武器装備が帰ってきたことに喜んだが、喜びを噛み締めている暇はない。白い衣の大僧正が杖を向けた。

 

「答えよ。ここで我らと戦って死ぬか。あの怪物の胃袋に入るかをだ。我らとあの子を失望させてくれるな」

「短刀直入に言おう」エドワードが前に出た。「俺はお前たちの刃にかかって死ぬ気もないが、それ以上に、あの獣の群れに身を委ねる気はない。代わりと言ってはなんだが、あの勇気ある少年へのせめてもの恩返しをすると決めた」

「その答えはいかような?」

 

 大僧正の問いに、「こういうことだ」とエドワードは弓矢を番えると、柵の段を上り、迫りよる黄土色の荒波に向かって長弓から矢が放たれた。毒矢はまっすぐに飛び、一体のマンティコアの額に深々と突き刺さった。

 

「続け、ホープマンズよ! モリビトとは一時休戦だ」

「最初からそう言えって」

 

 ロディムがにんまりと笑い、長柄戦斧を持って剣をたばさみ、柵上に上った。アクリヴィはコートを羽織り、錬金籠手と手袋を嵌めた。コルトンはジャンベの手を借りて、武装を整えた。マルシアは白衣を着て、槍を握り、医療用品が入った鞄を肩の向かいに提げた。ジャンベは短弓を背負い、突如、ギターを弾いた。

 負けじと、他の者たちも次々と臨戦態勢をすぐに整えた。柵上に上り、マンティコアを迎え撃つための陣形を作った。柵に上ったエドワードは少しだけ背後を見た。いざという時の逃走路や安全な場所を確保するためだ。

 入ってきたときは急いでいて気付かなかったが、ここより先に、この柵よりもっと高くて大きな柵がある。五メートルはある。門は開け放たれて、その先にも同じくらいの高さの石を石膏で塗り固めた柵があり、堀まである。手前の柵には尖った剃りが彫られ、勢い余って衝突したら、えらい目に遭う。

 今居るモリビトの集落は、例えれば、山城のような造りであった。一番奥にある石の柵が破られたら、この集落は一巻の終わりであろう。

 エドワードがほんの少し目を逸らした間にも、怪物たちは枯れ森を抜けて、どんどん押し寄せた。森の罠。乱雑に植えられた杭で少しは侵攻を食い止められているようだが、引っこ抜かれたり、刺さった味方を壁替わりにしていた。

 地上を黄ばんだ色合いに汚す雲霞(うんか)の群れをモリビトと地上の人間たちが迎え撃つ。マンティコアが蹴り出すように走る為、一面に土煙がもうもうと沸き立つ。

 波が押し寄せる度に、石が降り、ブーメランが投げられ、槍が飛び、矢が正確に急所を射抜き、火縄銃の弾丸が貫き、空気が振動する。槍は縄を巻かれて投げられて、何回も使えるように出来る限り手繰り寄せられたが、標的に深く刺さったり、引きちぎられて回収不可になる物もあった。

 僧たちは大地の力を借り、火と雷をどこからともなく召喚し、アクリヴィとクリィルも火と雷の術式でマンティコア達を蹴散らした。

 マンティコアたちは攻撃されるたびに引き返したが、引き潮の次に来る上げ潮が高く来るように、第一の柵との位置は確実に狭まり、数も増してきた。さっと数えただけで、優に数百、防御側の二倍を超えている。

 戦いが長引くと思い、射手と衛兵たちは矢と弾を残しておいた。物資と補給経路がある地上とは異なり、ここでは使い尽くせば、補給は無理である。マンティコアたちが目前まで迫った。

 

「接近戦用意!」

 

 各僧侶と大僧正が指令を飛ばし、戦士と上級戦士であるウォリアーが身構える。

 地上側も小隊長の号令下、衛兵は盾をかざし、冒険者たちは思い思いの方法で迎撃態勢を整えた。

 マンティコアの羽根は飾りではなかった。飛ぶことはできないが、跳ぶことはできる。柵を乗り越え、身の毛もよだつけだもの共が防御陣に襲いかかる。

 悪魔のようなモリビト、鱗肌に羽根を生やした地の戦士が火を噴き、剣の形をした鉤爪で顔面を切断した。その後ろのマンティコアの攻撃は防げず、地の戦士は腕を噛まれて抑え込まれた。

 その地の戦士を救う為、鬼の姿の地の戦士は拳骨でマンティコアの頭を何度も砕いた。地の戦士の腕から流血する。マルシアがさっと柵から降りて、モリビトの怪我をした腕側に寄った。

 

「動かないで」厳しい顔でそう言うと、傷口を凄い速さで縫合し、神秘的な光が腕を包んだ。モリビトの傷口から血が止まった。

「無理に動かさないでね。応急処置をしただけだよ」

 言葉は分からずとも、地の戦士はマルシアに感謝した。

 

   ****

 

 間を狭めた波は柵に到達した。

 

「最後の一兵になっても戦え!」

 

 がらがら声の小隊長の指揮に、地上の者たちはおうと応じた。柵を越えた三体のマンティコアは二人のモリビトを殺し、次の獲物にかかろうとした。右のマンティコアは右目に衝撃が走ると、視力を失った。

 

「帰んな!」

 ベルナルドは鞭を震わせて、右のマンティコアの顔側面を抉ったのだ。キアーラが呪縛を唱え、三体の動きを封じる。

「今よ」

 

 ベルナルドは右のマンティコアの心臓を一刺し、左のマンティコアはシショーの剣で体を貫かれ、角ばった大盾で頭蓋骨を陥没させた。真ん中のマンティコアは、抜刀術重視の孤自戦流を徹底的に仕込まれたコウシチの見事な抜刀で首が柵の内側に落ちた。ベルナルドがカールロにグッドサインを送る。

 

「カールロ、一体仕留めたぞ」

「俺は七体ぐらいだ。もっとも、俺とお前の仕留めた数は物の数に含まれんが。矢はもう四本しかないし」

「くっちゃべるなら手を動かせ!」オルドリッチが言った。

 

 柵に入る前に、大盾と槍で弾き返されたが、軽々と盾と槍の陣形を飛び越すのも当然いた。

 柵の防御陣は飛び越えるマンティコアを必死に防いだが、マンティコアの数は膨大であり、この小さな柵では持ちこたえられそうにない。

 司令官の大僧正がモリビトの言葉と地上の言葉で、地の戦士と僧と地上の者を集めた。

 

「地の戦士よ。火の扱いを心得る地上の者よ。筒を持つ地上の者よ。我らとそなたらの攻撃で、敵の進行を一時でも食い止め、味方を第二環状区に避難させるのだ」

 

 大僧正は僧とアルケミストと地の戦士と火縄銃の扱いを心得る衛兵を並ばせると、一斉掃射を行った。火と雷、地の戦士から投げられた巨大な岩石、鉄砲の弾。強力な一斉掃射により、マンティコアの群れは少し柵から身を引いた。

 撤退用の低い音の笛が吹き鳴らされる。地上の人間は意味が分からなかったが、身を引くモリビトを見て、先にある高い柵の裏に避難するのだと理解した。溜めに溜まったマンティコアの群れは爆発した。柵の杭を引っこ抜き、あるいは壊し、怒りをぶつけるように徹底的に破壊して最初の防御区域を突破した。

 幾人かのモリビトが波に呑まれ、五人兄弟の一人。三つ子の末妹が背中を引き裂かれた。モリビトを助けようとした隙に殺られたのだ。

 

「ジョハンナ!」

 

 助ける間もなく、白目を向いたジョハンナは無情な黄色い波間に呑みこまれた。

 唯でさえ少ない優秀な射手を失い、大変な痛手だ。ホープマンズとグラディウスは顔見しりが死んでショックを受けた。特に身内であるトゥー&スリーの面子にとって、彼女が死んだことは体の一部が失われたのと同じ心痛に襲われた。

 ダルメオとダルカスが長女トルニャと次女フィリを引き止め、最後に入門した。

 柵上のモリビトたちは石を槍を投げつけ、松明と火で燃やした石と砂をぶちまけた。妖精モリビトも微力ながら術を用いたり、吹き矢でマンティコアたちの接近を阻んだ。

 締めに、紫のモアに乗ったモリビト騎兵隊が左右の茂みから奇襲をかけた。マンティコアたちは奇襲に浮き足立ち、多くが門から離れた。マンティコアの群れが蹴散らされて、門が閉じられる。

 撃退には成功したものの、今の攻撃でモア突撃部隊人員の三分の一が亡くなった。突撃部隊はさっさと防衛線内に引っ込むと、モアを石作りの柵のほうへとやり、乗り手たちは一介の戦士に戻った。

 喉はカラカラ、腹もすかすか。飲み食いしたいが、そうしている暇はない。と、普段着姿の女モリビトや子供のモリビトが甕と柄杓を持ってきた。

 戦いを手伝おうと少数ながら居残っていた者たちもいた。女子供たちは、自分たちの出来る範囲で戦いを手伝おうとしていた。モリビトの女子供は地上の者たちにも柄杓を差し出した。

 この差し出しは大変ありがたく、彼らは喉を潤した。甕の液体はただの水ではなく、一種の強壮剤でもあり、甘酸っぱい味もした。

 地上の者は大抵、二杯も飲んだ。モリビトも彼らが丸一日と半日、絶食させられていたことを知っていたので、二杯飲んでも咎めたりしなかった。

 

「元気百倍というやつだな。これで、しばらくは動けるよ」とコルトン。

 

 彼らが英気を得たとき、彼らとモリビトの気力を摘みとろうと、遠く離れた首領格のマンティコアが三度目となる号令を発した。

「さあ、行くぞ!」エドワードに言われるまでもなく。戦える全ての者たちは段を駆けのぼり、柵下のマンティコアの群れを迎えた。

 

          *―――――――――――――――*

 

 数時間前。人が多いこともあり、ゲンエモン率いる部隊は歩みが停滞していた。理由はほかにもあり、ゲンエモンは絶対、部隊を急行させなかった。一日半かけて、一八階の広場に到着した。林まで四分の一の迫ると、部隊を分けなかったゲンエモンはようやく、ラクロワなど腕の良いレンジャーを偵察に出した。

 一時間後。偵察の者たちは、罠や敵の姿は無いと報告した。ゲンエモンは五分考えた後、三十分相手を待ち、来なければ、危険を承知で林に攻めいることにした。

 彼を知る者達はらしくないと思った。ゲンエモンは時には慎重、時には大胆な行動をする。

 彼は無謀と大胆の違いを知っており、大胆にも林に攻めいる作戦をゲンエモンらしくない。モリビトのホームタウンと考えるのが妥当であり、奥へ行けば、敵の待ち伏せや罠も大量に仕掛けてあるはず。

 三十分経つと、ゲンエモンは衛兵たちに油壺と火薬を出すよう命じた。

 

「非情な作戦だ。無関係な命まで奪ってしまうが、森を焼き払い、モリビトと怪物共を追い出す」

 

 この作戦には衛兵たちが反対した。地下世界は極力、規模の大きな破壊を禁じている。

 戦時中であれ、森を燃やすのは違法行為であり、行き場の無くなった煙でこちらにも被害が出る恐れがある。ゲンエモンは断固、森を焼き払えと命じた。

 

「はっ! 何が違法行為じゃ。勝たなければ、我らもエトリアも終わり。ごたごた抜かさず、火をつけい!」

 

 ゲンエモンは口調を荒げた。衛兵たちは渋々、油をかけ、火薬を設置した。

 礼儀正しい彼が、自分の立場を利用した強硬的な姿勢。彼らしからぬ行為の連続に、冒険者と衛兵は戸惑いを隠せない。

 彼の決意で固まった張り詰めた表情を見て、意見を言える者もいない。

 火打ち石で点火され、導火線を火が伝い、木々が燃えた。風もなく、行き場がない煙はさまようがまま揺らいだ。煙は高低差があるほうへと降りて、隠れた怪物やモリビトたちを追いやった。

 一八階を覆い尽くす森の数パーセントは完全に燃え尽き、河や荒地のある箇所。モリビトが防火用に掘った深い溝で火は食い止められた。

 

「じじい。何考えてんだか知らないが、無茶はよせよ。てめえの私事に他人を巻き込むな」

「私事ではない。勝利の為だ」

 

 口の悪いブレンダンの忠告にも聞く耳もたず。

 火が燻る頃になると、ゲンエモンは部隊の出撃命令を下した。火と大人数を前に、襲おうとする怪物はいなかった。ただ一つの存在を除き。

 部隊は北へと南下し、森を抜けた。抜けた先には樹で囲まれたちょうど良い高台のような場所があって、高さ一メートルの土台のような土壁もあり、偵察の報告でも、敵や罠の気配は一切無いようだ。近くには川もあり、水の補給地点も確保できた。部隊はここを拠点にし、しばらくはモリビトの出方を窺うことにした。

 ゲンエモンの超越権行為に訴えでた作戦は結果としては成功したものの、らしからぬ態度は周りを不安に陥れた。

 部隊の不安と不満を感じ取り、ゲンエモンは少し頭を冷やした。ゲンエモンは立ち上がり、胸を張って堂々と演説した。その姿と声には、気負いや復讐心もない。

 

「諸君の不安に思う気持ちはわしも同じ。だが、さっきも言ったように、勝たなければならぬ。わしは諸君らを生かし、勝利に導くためならば、決まり事の一つや二つを破る。我に勝機あり。どんな相手がきても、自分の磨いた腕を信じ、戦い抜け。わしと君らの技量はほぼ同格であり、モリビトの技量はわしらより劣る。これは全てに当てはまるが、戦い方さえ誤らなければ、いかな軍勢にも負けぬ。モリビトとて例外ではない」

 

 人を率いる大将の威厳を身にまとうその姿を見て、多くの者は安心した。この人の下にいれば、勝てる。

 本当のところ、ゲンエモンは無理をしていた。しかし、復讐心に駆られても、目の前で生きている者達のことを思い、無理矢理一歩引いていたが、重圧と苛立ちに押されそうであった。彼は優秀だが、一介の冒険者。自由を好むところであり、こうして大勢に話して心を動かすのは向いていても、率いるのは性に合わないと自覚していた。せめて、有能な軍師がいればなあと思っていた。

 

「動きがあれば報せにきとくれ。わしは、少し考え事がある」

 

 そう言って、一人、高台の中央で目とつむって正座した。

 律しなければ。心を。乱れは全てを悪い方向へと持っていく。ここに来た以上、こういうことは覚悟していたはず。

 赴くがままに動くのも大事であるが、そのときではない。想像で山の清流を思い描き、風光明媚な自然の光景を想像して、心を落ち着かせた。それでも、ふとすれば、親しい者たちの顔が過ぎる。特に、一人の顔は何度もちらついた。

 ……情けない。てめえなんぞ、一介の夢見がちな老いぼれ侍。手前にお鉢が回ってきたってのに、この様とはな。それこそ、亡くなった者たちも浮かばれない。非情になれ、ゲンエモンよ。焦れば、運もチャンスも逃げる。落ち着くのだ。事態が好転するようなことを考えろ。

 ゲンエモンは心を研ぎ澄ませ、余計なイメージをとっぱらい、無の世界に身を投じた。どのくらいたったか。近くに人の気配を感じ、目を開けた。

 

「どのくらい経った?」

「私の他の者の言葉をまとめたら、おおよそ一時間程度かと」答えたのは女剣士ニッツァ。

「ゲンさん、来てください。敵が迫っています」

 

 ゲンエモンは腰の紐に脇差を差し、槍を握って立った。

 高台は森から百三十メートル、火縄銃の有効範囲ギリギリのところで離れていた。森の向こうでは、こそこそと動き回る影が見て取れた。モリビトであろう。少し予想はしていたが、やはり罠か。完全に包囲された。

 

「撤退しますか?」

 

 一人の問いに、ゲンエモンはきっぱりと否定した。

 

「士道不覚悟という言葉を知っておるか? 戦わずして逃げるのは断じて許さん」

「私は絶対に逃げません。あんな連中にエトリアを汚されてなるものですか」

 

 ドナ・A・トルヌゥーアが意気込む。

 声がする。モリビトの言語で、何を言っているのかさっぱりだが、声からは決意が滲み出ていた。そして、地面が揺れた。巨大なモンスターの雄叫びか?

 モリビト独特の笛の音が何個も吹き鳴らされ、戦太鼓が叩かれる。

 モリビトたちが姿を現した。先頭を行くのはこれまで見たことが無い位、立派な装いの大きなモリビトだ。そのモリビトの背後には、紅服のモリビトや白と紫の衣を着たモリビトもいて、先頭のモリビトたちはあのモアの背に乗っていた。

 実に堂々しており、落ち着き払った姿勢を見ても、先頭のモリビトが総大将。あるいは、ここにいるモリビトの指揮を任された者かもしれない。見ておれ。この刀が折れるまで、斬って斬りまくってやろう。

 

「決戦か」

 

 他人事のように呟く。

 

   ****

 

 クロツェ大僧正は神官に報告した。

 

「神官様の予想したとおり。地上のやつばらは、あの高台に行きました。あそこの守りは鉄壁とは言い難く、離れたところで地の戦士が投石でもすれば、木々の守りなど脆くも崩れ去りましょう。……それにしても、まさか森に火を放つとは、あれには驚かされましたな」

「火を使って身を守るのは我らもすること。驚くほどのことでもない。逆に言えば、奴らもそれほどまでに追いつめられているということであろう。とはいえ、無闇に無辜(むこ)の命を奪い去る行為をした者たちを生かすわけにはいかぬ。ただちに戦士を集めよ、出撃の時だ!」

 

 戦士たちは集められた。数は優に千五百を超える。多少、強引な攻め方に出ても、この数で押せば、打ち破れるだろう。今度は地の戦士と戦乙女たちもいる。彼らの力を借りれば、どんな堅固な守りでも容易く破れ口を作るができる。モリビトは人間が森に火を点けたことに激怒し、早いとこ打って出て、地上のやつばらを切り刻みたいと勇んだ。

 戦士たちで少しずつ囲みを築き上げ、モリビトたちは高台の人間たちを囲んだ。

 戦闘開始直前、神官は戦士たちを鼓舞した。

 

「戦士よ。地の戦士よ。僧たちよ。戦乙女よ。我が同胞よ。この戦いが終わっても、戦い自体は終わらないだろうが、我らの勝利は着実に近づく。地上の者は戦える数も少なければ、戦う勇気ある者たちも少ない。

 反し、我らを見よ! ここにいない者を含め、我らは幼子から老いた者に至るまで、戦い抜く決意を秘めた勇敢なる者たちばかり。この時点で、我らと地上では大きなひらきがあった。あの高台にいる森に火を放った外道共を滅ぼし、今後来るであろう僅かな手勢を倒せば、我らの勝利。決着までもうひと踏ん張りだ。モリビトよ、立て!」

 

 全員の眼を見るまでもない。ひしと身に伝わる千の戦意。

 全員の思いが一つに収束したとき、水を差す出来事が発生した。モアに乗った農夫が軍に向かってきた。農夫は足を怪我していた。農夫はモアから降ろされ、処置を施された。大僧正が聞いた。

 

「ここは今から戦場と化す。それを理解してここに来るとは、何があったというのだ?」

「だ、大僧正様! 大変です! マンティコアが。おぞましい獣の群れが六の林村にやってきました!!」農夫の叫びは、静かな想いを秘めた戦士たちの全てに聞こえた。

「ま、マンティコアの野郎共は、いきなり現れました。俺以外にも、もう一人。ここに緊急事態を報告しようとモアに乗ってきましたが、途中で襲われてしまい」

 

 農夫は口を閉ざし、涙を流した。目の前で食われたのだろう。だが、クロツェは彼が感傷に浸るのを許さず、厳しく続きを言うよう促した。

 

「……す、すびません。とにもかくにも、凄い数です。俺自身、生のマンティコアを見るのは初めてですが、あんな膨大な数はあり得ません。現状の一九階の戦力では、とてもじゃないが持ちこたえられそうにないです」

 

 一人の農夫の報せは、腹を決めた戦士たちに動揺を与えた。静かな場がにわかに騒ぎ出す。

 神官は遠目で農夫を見ながら、占い師のおばばの言っていたことを思い起こした。

 これか! おばばの言っておった幾多の(あぎと)とは、これのことか。だが、今日来なくても良かったのに。事は自分の都合よく運ばんものよな。

 ならば、私の命日は今日なのかもしれん。それがどうしたというのだ。マンティコアであれ、地上の奴らであれ、この命、安くはないぞ。

 神官に注目が集まる。皆、彼の決断を固唾を飲んで見守った。神官は間を置かずにゆっくりと告げた。

 

「戦士たちよ、いつでも動けるようにしておけ」

「し、神官様! マンティコアの群れは凄いか……」

「黙るのだ」農夫は神官に一睨みされると、あまりの恐ろしさに顔面が蒼白となった。

「私には私の考えがある。私を信ずるのだ」

 

 農夫は引き下がるしかなかった。

 神官は森の向こう。高台の樹に隠れた者たちを見やった。そう、引き返せぬ。ジェルグが何と言おうと、仕組んだのが誰であれ。戦士たちの中には神官を殺し、家族の元に戻ろうと考える者までいたが、いざその人を前にしたら、武器を持つ手を挙げれなかった。

 

「モアに乗れ」

 

 神官は誰の手も借りずにモアに乗った。千五百のうち、約四百名がモアたちの背に乗り込んだ。

 森に入ると、下からマンティコアの首領格と思しき雄叫びが上まで届き、大地をほんの少し揺るがした。

 

「……神官殿……」クロツェは口ごもった。彼は三の林村出身。自分が出身した村を心配するのも当然であろう。

「皆よ」神官は前方を見据えたまま言った。

「私が皆を信じるように、私のこれからの判断を信ずるのだ。命令ではない。不服とあらば申せ。私を嫌い、憎むのなら、私に槍を投げよ。そして、彼を決しては咎めたりはしてはいけない。何故なら、私がそうしても良いと言ったからだ」

 

 神官を後ろ振り返らずに話した。その背は無防備で、槍どころか、近くの戦士がやろうと思えば、剣で簡単に一突きできそうだ。

 だが、できない。本来、モリビトが不意打ちを嫌うためでもあるが、神官の指導者としての威厳を前に。一人で重責を担う、大きくもどこか儚げな背中を見て、殺そうとする者はいなかった。

 

「我ら、元より覚悟の上でここに参りました。全てはあなたの仰せのままに」

 

 戦士の一人が面を上げて言った。

 

「お主の言葉をここに居る者の代弁として受け取ろう。さきも言うたが、私の判断を信ずるのだ」

 

 笛が吹かれ、どんどこと太鼓が叩かれた。

 先頭のモリビトを見て、一目で総大将格と認めたゲンエモンは、射手と鉄砲隊に先頭のモリビトを狙うよう命じた。

「好都合じゃ。大将の首を討てば、敵の士気が落ち、戦いが優勢となる」

 何十もの銃口と鏃が神官に向けられた。

 

          *―――――――――――――――*

 

「どりゃーーー!!」

 

 気合一声、ロディムは長柄戦斧で柵上に向かって跳んだマンティンコアの顔面を縦に真っ直ぐ切断した。マンティコアは剃りが邪魔をして、跳んでも足の裏や体が傷付いて勢いをなくし、そこを叩かれた。

 隣ではコルトン、アデラとブルーナが待機していた。

 ロディムはモリビトたちと一緒に何度も叫び声を上げて、跳躍してくるマンティコアたちを切り、刃の反対部分、烏のくちばしの形をした戦槌(せんつい)でぶったたいた。

 

「お見事! こんなに豪快な斧捌きは見たことないよ」

 

 アデラがロディムの手腕を褒めた。

 マンティコアの群れは高い柵を前に勢いが弱まるどころか、更に勢いが増した。口から吐く毒つばもそうだが、毒成分が含まれた棘の尻尾にも注意しなければならない。

 柵は人が横に三人並んで通れるぐらいの幅があった。一体、柵を飛び越え、柵内に立った。

 前はコルトン、後ろはアデラとブルーナが対峙した。

 マンティコアは大口開けて、コルトンを噛み付きにかかったが、コルトンは盾を横にし、つっかえ棒替わりにした。ひるんだ隙に、足元に剣を突き刺した。マンティコアはコルトンを押し倒そうとしたが、尻尾にじんとした痛みが走った。アデラが剣で尻尾を根元から落としたのだ。

 マンティコアは後ろ足で蹴り飛ばそうとしたが、アデラはさっと身を引き、中央に棘が生えたブルーナの盾で右後ろ足が貫通した。顎から盾を外し、悲鳴を上げるマンティコア。コルトンとブルーナは盾で押し出して、内側にマンティコアを落とした。

 落とされたマンティコアは、下で待ち構えていたモリビトの槍で串刺しとなり、斧で止めをさされた。

 柵の内と外にマンティコアの死体が積まれる。

 一体仕留めても、次の個体がいつくるか分からない。柵の下を覗きこみ、登ろうとするたわけたマンティコアどもを警戒した。

 

「ジョハンナの仇!」

 

 叫ぶのはダルメオ率いるトゥー&スリー。一人死に、トゥー&トゥーとなった一卵と二卵性双生児のパーティは憤怒の勢いでマンティコアを攻撃していた。

 エドワードは、カールロ、バジリオ、ジャンベ、ベルナルドと組んだ。ベルナルドを除く、弓術の扱いを心得た者たちの集まり。エドワードは穂先が折れた槍にサーベルを縄でがんじがらめにした。薙刀だなとコウシチが言ったが、武器名はどうでもいい。あれらとは、少しでも間を開けて戦いたい。

 弾丸はまだあるが、矢は尽きかけている。エドワードは二本、コウシチやカールロは一本ずつしかない。他の者も同じく。状況を見極めて射る必要がある。

 彼らは皆、秀でた練達の技を持つ射手であり、矢は一本足りとも無駄にせず、全て急所に命中させた。だが、相手は膨大で生命力も凄く、頭に一本や二本刺さってもすぐには死ななかった。

 空を飛ぶ蒼い巨体が頭上を通過した。コロトラングルだ。予断を許さないと、大僧正は早々に最高戦力を投入した。背には乗り手もいる。コロトラングルは派手に暴れた。コロトラングルは棘だらけの二本の尻尾を鞭のようにしならせ、冷気を吐きつけ、凍らした敵を砕いた。モリビトも、地上の人間も、蒼い巨体がけだもの共を蹴散らすのをしばし見つめた。

 しかし、長くはもたなかった。

 うねる黄色い波間を大きなものが強引に潜り抜けた。マンティコアは虎より一回りでかいが、普通のマンティコアより二倍近く大きな個体が数体、接近した。大きな個体は一斉にコロトラングルに襲いかかる。危うく難を逃れたものの、コロトラングルは横腹と右の羽根のようなひれを深く切り裂かれ、おまけに毒唾まで吐かれた。乗り手が笛を鳴らし、コロトラングル共々、戦線を離脱した。大僧正は判断を間違えたことに気が付いたが、既に手遅れだった。

 大僧正やモリビトだけではない。ホープマンズの面々も、例の怪物がいとも容易く撃退されたのを見て、驚きを隠せなかった。

 コロトラングルは三十体以上のマンティコアを倒した。だが、これすらも、物の数に入りそうになかった。

 これは、首領格のマンティコアの血を引き継いだ子供たちだった。首領格の子供は仲間を踏み台にして近づいてくる。アクリヴィ、クリィル。僧たちが術を唱え、地の戦士は杭と岩石を投げつけて撃退を試みたが、半数が攻撃に耐え切った。

 二体は柵上に飛び乗り、暴れ回った。もう二体は柵に突進をかました。二体分の突進は想像以上に強く、足元が激しく揺れ、台から身を乗り出していた何名かが柵の向こうに落ちて、他の個体に八つ裂きにされた。二体は厚い木の板を三枚重ねた柵を激しく攻めた。マンティコアは爪でがりがりと柵を引き千切るように裂いて、柵に穴を開けた。

 攻撃しても、他の個体が己の身を盾として庇うので、思うようにダメージを与えられない。

 エドワードは小さなを隙を見つけた。矢を番え、二体の右の方に向かって弓弦を放した。ショックオイルを塗った矢は脳天を抉り、電流がマンティコアの子供の脳内を焼いた。

 柵上の方にいる大きな個体二体の暴走を止められず、二十名のモリビトがやられてしまった。

 宙にいる妖精モリビトには毒つばを吐きかけ、尻尾ではたき落とした。毒つば吐きかけられた妖精モリビトは地でのたうち回り、尻尾ではたかれた者は即死した。

 コルトンとブルーナ、シショーと盾持ちの衛兵たち、大盾を持つモリビトは弾を装填する衛兵たちを命懸けで守った。

 

「準備オーケー」右の衛兵が叫ぶと、「こっちもだ!」と左の衛兵も答えた。

 

 四丁の鉄砲から弾丸が発射された。左の個体は心臓を貫かれ、左前足が砕かれた。右の個体は二発とも顔面に命中した。子供たちの悲痛な悲鳴が洩れる。一体、素早く柵の外に逃げた賢い子どもは吠えて、兄弟たちが開けた穴に来るよう示した。

 柵の剃りで体が傷ついても一向だにせず、破れた箇所にどっとマンティコアが溢れかえる。第二防衛線が崩落しかける。ここでまたしたも、術の扱いを心得た者たちが活躍した。

 火と雷、キアーラ渾身一滴の呪いの力が溢れかえるマンティコアを襲い、柵ごと燃やした。柵はごうごうと燃え、マンティコアたちは柵から離れた。おかげで、防御陣は全滅をまぬがれた。

 門と要所に作られた扉を通り、防御陣は最後の石で覆われた最も堅固な防衛線に引っ込んだ。エドワードたちは間一髪で間に合ったが、五人の兄弟の内双子の弟であるダルカスが亡くなり、恋人同士でもあった三つ子の長女トルニャは無謀な攻撃をしかけた為に重傷を負った。トルニャは肩から胸を裂かれた。

 トゥー&スリーは守りの要を失い、医療を心得た者も一人減った。逃げ遅れた衛兵の一人は大きなマンティコアの一撃で首がもげた。

 後悔と悲しみが混じった声で、血を吐いてトルニャはごめんなさいと涙を流した。マルシアは二人に替わり、トルニャを担いだ。

 最後の防衛線は垂直三角形の堀があり、石で覆い、柵内側の板は四枚重ねと一番分厚く強固である。

 地上の者を合わせて、四百三十人でマンティコアの襲撃を持ち堪えていた。マンティコアもざっと五分の一ぐらい倒したが、いつまでも持ちそうにない。

 地上側も三名死に、接近戦主体のモリビトに至っては百と数十人死亡した。

 彼らは疲れてきた。武器は傷付き、飛び道具も尽きかけて、盾にはへこみが目立つ。コロトラングルという最高戦力はもういない。

 モリビトと人間の気力を奪うように、首領格のマンティコアは温存しておいた勢力を動かした。

 翼がない、大地を這う緋緋金(ひひかね)の地竜。森の破壊者や三階層の赤熊と酷似しているが、あれらより大きく、とても残忍に瞳をぎらつかせた青い熊の獣人。

 その二体の周りには、四体を身辺に残し、首領格の可愛い子供たちが付いた。マンティコアは他のモンスターも従えることがある。

 この二体は地下世界の下層にいる怪物であるが、あまり強い方の個体ではなく、マンティコアの下に仕えることで生かされた。マンティコアたちが柵から離れて行った。モリビトが口々に言う。

 

「恐れをなして逃げたか!?」

「そうではない、よく見ろ!」

 

 木々を薙ぎ倒して新たに出現した存在を目の当たりにして、モリビトと地上の人間から絶望の呻きが洩れ上がる。マンティコアの群れは退いたのではない。あの二体とでかい個体を中心に、一気に最後の防衛線を突破しようとしているのだ。手が項垂れ、顔には疲労の色が滲む。

 もはやこれまでか。誰もがそう思う中、諦めず、最後まで抵抗の意志を見せる者もいた。

 

「皆さん、立って! 怪物は迫っています! 僕らはまだ死んでいませんし、負けてもいません! 立ってください」

 

 ジャンベは絶望に陥りそうになる者達を懸命に励ました。しかし、いくら呼びかけても、エドワードなど一部の者を除き、殆どの者の表情には諦念(ていねん)の観が浮かんでいた。

 ジャンベはギターを降ろすと、爪弾いた。始めはゆっくりと弾き、段々と激しく鳴らし、歌いだした。

 こんな時に何をと思ったが、ジャンベはモリビトや近くの衛兵に怒鳴られても、演奏の手を緩めない。

 ジャンベの歌と声に乗せられて、バジリオとダルメオも立ってリュートを弾いた。三人につられて、サラも歌いだした。サラに続き、何人もの戦乙女たちが合唱を始めた。

 歌は朗々と響いた。互いに意味は分からなくても、歌と音に込められた荒ぶる魂が感じられた。

 人々の心にふつふつと失われた闘志が蘇る。怪物たちは合唱を聞き、大変不気味かつ不愉快に思い、進行が鈍った。人々の心が一体化した。いさおしき者達は激しい怒りと抵抗の意志を柵の外の怪物たちに向けた。

 真のバードが紡ぎ出す、聞く者を戦いへと躍らせる曲。猛き戦いの舞曲(ぶきょく)が落ち込んだ戦士たちの心を奮い立たせる。演奏が最高潮に達したとき、怪物たちが(せき)を切ったように動き出した。同時に、人もモリビトも音のリズムに乗って動いた。

 

「青熊を狙えぃ!」

 

 小隊長の号令の下、四名の衛兵は火縄銃を青熊に向けた。

 青熊はそれで十分と判断し、アルケミストと僧たち、レンジャーと射手は緋緋金色の地竜に狙いを定めた。大きなマンティコアたち、青熊と地竜がどすどすと地鳴りを上げて接近してくる。

 二十メートル手前。小隊長が放てと号すると、火縄銃は派手に煙を巻き上げ、鉄の弾丸を発射した。弾丸は全て青熊の獣人に命中し、青熊は頭部に二発、開いた口に一発、心臓の位置に一発当たった。

 火縄銃の発射を合図に、少し遅れた地竜に射手は矢を放ち、地竜の体の柔らかい部分である目や鼻を潰した。地竜が怯んだところを、これまでとは比べ物にならないくらい規模の劫火が地竜を焼き払った。倒したと思いきや、全身が燃える地竜は跳躍した。地竜の命を懸けた攻撃! 地竜は最後に柵へと強烈な体当たりをかまして息絶えた。

 燃える塊が衝突したせいで、柵の内側の木材にも火が移り、衝突箇所が半壊した。衝撃で数名が柵の内側に落っこちた。

 狡賢い首領格の子供たちは二体を盾として、身を守っていた。

 ホッとしたのも束の間、一人が「マンティコアがいるんだぞ!」と喚起したので、慌てて撃退しようとしたが間に合わなかった。

 地竜が半壊せしめた箇所にマンティコアたちは毒つばを吐きつけ、地竜の燃える亡骸を越えて、その勢いで柵にぶちあたり、最後の防御線に一箇所の破れ口を作った。堅固な最後の防衛線はあえなく崩れた。

 防衛線の破れた箇所へ、マンティコアが殺到する。破れ口はあっという間に広がり、マンティコアがやすやすと通れるサイズができてしまった。

 一体につき、五人から十人組んで、相手をした。二人は囮役となり、後の三人が攻撃役である。首領格の子供には十人がかりで相手をした。

 ベルナルドが鞭で牽制している間、僅かにみせたお尻の死角にエドワードは薙刀を力一杯刺した。驚いて振り返ろうとしたら、ジャンベの短弓の矢が目に刺さった。ベルナルドの鞭が容赦なくマンティコアの体を引き裂く。果敢なモリビトたちが背に飛び乗り、下に向けていた槍で止めをさす。マンティコアはふらふらと足をもつれさせて、ばったりと横様に倒れた。

 防御陣の苛烈な抵抗もあり、マンティコアたちは堪らず一時撤退した。

 何とか撃退に成功したものの、代償も大きい。衛兵一名は爪で顔を抉られて、クリィルは右目に毒つばを吐かれ、コルトンは盾を持つ左腕を殴られた。医療所からマルシアが来て、暗い表情でトルニャが息を引き取ったことを告げた。モリビトも十数名が倒れ、戦死者が二百近くに上った。

 長男ダルメオと次女フィリは次から次へと兄弟姉妹が亡くなった悲しみに襲われ、既に戦う意欲を無くしていた。エドワードは二人に厳しく言い放った。

 

「兄弟姉妹が死んだばかりでむごい言い方になるが、戦えるのに戦う気がないならどこかへ行け」

「なにを言うエドワード! 私とダルメオはあの汚れた奴らを皆殺しにするまで引き下がらんぞ」

 

 フィリが涙をこぼれ落ちさせながら、気丈にも背筋を真っ直ぐにして胸を張って応えた。ジャンベは彼らを強いと思った。自分なら、泣いてばかりでしばらく動けなかった。もしも生きて帰れたならば、ダルメオと共にこれまで亡くなった者達への哀悼歌を捧げよう。

 マンティコアたちが一時身を引いている間に修復が行われた。石やら材木が重なり合う、何とも頼りない土塁。簡単に突破されるだろう。ホープマンズのメンバーがコルトンの周りに集う。コルトンは食い縛って痛みを耐えようとしたが、流れる冷たい汗がその激痛を物語っている。

 アクリヴィはマルシアに肩を担がれて来た。

 アクリヴィは立っているのもやっとの状態である。アクリヴィだけでなく、モリビトの僧たちも息も絶え絶えの有様だ。アクリヴィが申し訳なさそうに右手を上げた。口を動かすのも辛そうだ。

 

「……ご……めん。もう、術式は……打ち切り」

「ご苦労だ。コルトン、アクリヴィ、少し休め。ジャンベは二人についていろ」

 

 マンティコアが攻撃を再開する前に、ロディムとエドワードはコルトンを支え、マルシアとジャンベはアクリヴィの歩行を介助して、二人を急場建築の医療所に置いた。何十人ものモリビトたちがいた。

 コルトンの隣は顔を抉られた衛兵。エドワードが案内した盾ワン役の衛兵で、名はダミアが横たわっている。眼球と歯と顎の骨がむき出し、見るに堪えない傷を負っていた。どくどくと流れる血を止めようと、布やら彼の服で怪我をした箇所が抑えられていたが、血は一向に止まらず、ダミアは体をびくびくと震わしていた。救護に当たる衛兵はマルシアに助けを求めたが、マルシアは悲しそうに首を振った。

 

「ごめんなさい。私とオルドリッチでも、もう彼を助けられない。ここに医療器具と施設が充実していたなら、彼を助けられるかもしれないけど、傷も深くて、出血も多量で」

 

 マルシアは誤魔化さず、はっきりと申告した。衛兵は傷付いたような裏切られたような顔でマルシアを見て、涙を流してダミアを見た。

 マルシアは鞄から注射を取り出すと、ダミアの静脈に刺した。さっと注射を抜き、また使えるよう、ジャンベに注射を煮沸消毒するよう言った。衛兵は期待の眼差しでマルシアとダミアを見比べたが、マルシアは否定した。

 

「アヘンよ。痛みだけは和らぐわ」

 

 それでいいと衛兵は首を縦に微かに動かした。表情から恨みがましいものが消えた。

 四度目となる首領格の命令が響き渡り、最後の攻撃が行われるのを知った。エドワードとロディムは壁に立てかけた武器を引っ掴んだ。

 

「ここは、私とジャンベに任せて行ってちょうだい」とマルシア。

「合点承知の助だ!」ロディムがぐっと腕を上げた。

 

 防衛線に戻るさなか、エドワードは小隊長に変位磁石は無いかと聞いたが、小隊長は無いと即答した。

 

「モリビトの一人が教えてくれたんだ。逃亡を防ぐため、石はとうに叩き割ったとさ」

「とても優しくてありがたい気遣いだね」

 

 ロディムは顔を歪めて皮肉った。モリビトと人間たちは、自分達の命運が間近に迫りつつあるのを感じた。飛び道具は遂に底をつき、頼りの綱である術式を扱える者たちの力も切れた。

 

「万策尽き果てるとはこのことよな」

 

 エドワードは自分で言った言葉を嘲けるように笑った。黙って胃袋に入る気はない。まだ三日月刀(サーベル)がある。

 俺を含めて、ホープマンズのメンバーは六人いるから、最低でも同数の六体は仕留めたいな。

 ロディムも、エドワードと全く同じことを考えていた。

 エドワードはふと、足を止めて、耳をそばだてた。ロディムにどうしたと問われても、人差し指をロディムの眼前に立てて黙らせた。マンティコアの首領が吠えたけり、群れの方向を東に向かわせた。モリビトたちはどうしたと互いに目を合わせ、首を傾げた。聞こえてきた。蒸気のような笛の音。戦太鼓。遠くでモリビトが楽器を一斉に鳴らした後、聞き覚えのある音が微かに聞こえた。音は段々と高くなる。

 ロディムが「あっ!」と叫んだら、「静かに!」と黙らした。

 エドワードより一早く、その音を聞き分けている二人がいた。ジャンベとバジリオだ。

 

「法螺貝だよ!」とバジリオ。

 

 ジャンベも医療所から飛び出た。

 

「法螺貝と角笛! 地上から援軍が来たぞぉ!」

 

 援軍が来ることを知って、疑問に思う者もいた。これはどうしたことだろう。どちらか一方ならまだしも、両方から援軍の便りが来るとは。

 彼らの興奮と喜びは摘み取られ、暗く沈んだ。

 恐らく、援軍は互いを敵と認め合い、攻撃するだろう。そこへマンティコアの群れがきたら。マンティコアは敗れるだろうが、一方の軍勢も倒れることになる。下手をすれば、両軍全滅の可能性もありうる。

 エドワードとロディムと小隊長は背中を合わせた。モリビトたちも戸惑いながら、柵に向かうのもいれば、自分達に武器を向ける者もいた。ロディムがへっと、肩をすくめた。

 

「やれやれ、これからだってときなのによ」

 

 そのとき、モアに乗った二組がやってきた。モアの背にはモリビトと人間が乗っていた。彼らは声を上げて、矛を収めるよう言った。

 

「やめい! 双方、矛を納めろ! 戦いはまだ終わってはおらん。今は共通の敵を倒すことに集中せよ。神官殿のご命令だ」

 

 地上側はゲンエモンの伝令だと叫んだ。

 いまいち状況は掴めないが、伝令たちのメッセージを聞いて、エドワードとロディムはひょっとしてと顔を合わせた。

 

   ****

 

 首領格はいつまで経っても攻め落とせないことに苛立ち、自らも戦場へ身を投じることにした。後ろ足で立ち上がり、自身の巨体と恐ろしさをまざまざと見せつけた。

 とてつもない巨体が姿を現した。

 人どころか水牛すら一呑みしかねないその大きく開かれたあぎとに巨体は、人の希望や抵抗する心を奪い去るには十分であった。首領は子飼いの者たちを踏み潰すのを歯牙にもかけず、一直線に新たに出現した豊富な餌の匂いがする方角へと、木々をねじ切り押し倒して進んだ。黄ばんだ濁流が全てをのもうとひたらす突き進む。振動は全ての者の足にぴりぴりと伝わる。

 首領格が目にしたのは、小さな棒切れを抱えた見たことない者たち。その者たちの後ろや横にはモリビトが並ぶ。

 首領格は小さき者たちを嘲り、一口で全てを飲みこもうとした。

 突如、痛烈な痛みが顔中に走り、轟音がした。続いて、口の中が爆発し、液体が入った瓶が投げつけられ、雷と火が自身の顔を焼いた。

 毒息を吐こうにも、吐けば、更に火が燃えるのを理解した。このまま、小さき者たちもろとも焼き殺そうとしたが、二度目の轟音が自分の顔を直撃した。

 首領格は訳も分からぬまま、大量の餌を一口もできなかったことを無念に思いつつ、今わの際、天に向かって慟哭した。直立姿勢で伸びた首領格のマンティコアは仰向きに倒れた。ばきばきめきめきと樹が何本か巻き添えを食う。

 長年、王者として君臨していたわりには、実に呆気ない最期を遂げた。

 獣の咆哮より遥かに優る勝鬨が上がる。人間の叡智と技術の結晶が強大な怪物をいとも容易く討てたのを見て、地上軍は興奮と歓喜のるつぼに呑まれ、失われつつあった戦意と統率を完全に取り戻した。

 モリビトたちは人間たちの木筒の武器の威力に脅威と驚異に礼を込めた称賛を送った。彼らにとって、子分共の戦いは物の数ではなく、首領格の戦いこそ本番。最低でも四百人の犠牲を覚悟にしていたが、払うはずの代価をびた一文払わずに済んで安堵する者も実は多かった。

 首領格に付いてきた群れは首領が死んだことにより統率を失い、自暴自棄に陥り、混乱した。

 逃げる者あり。最初に攻撃していた地点に戻る者あり。狂って味方を攻撃する者あり。目の前の敵に向かう者あり。くぅんと哀れっぽい子犬の如き声を出す者あり。

 

「親玉を倒しただけだ。まだ終わってはおらぬ。戦士たちよ、けだもの共を二十階に追い込め!」

 

 神官とゲンエモンが攻撃命令を下した。

 千五百のモリビトと百五十の地上部隊が攻撃を開始した。追う者が追われる者へ。狩る側が狩られる側へと立場は逆転した。

 両軍は盾と槍ぶすまでマンティコアに対抗した。首領を失い、整然と並んだ大量の盾と槍ぶすまを前にして、マンティコアの群れは完全に戦意を喪失した。石とブーメラン、投げ槍と矢、火縄銃と術式が一斉に放たれる。マンティコアの群れはクモの子を散らすように逃げた。

 六の林村に居る防御陣は状況を掴めずにいたが、顔が焼け焦げた首領格が慟哭して倒れるのを目撃した。

 更に逃げまどうマンティコアの群れを見て、勝機があるのを知り、絶望は希望へと変わり、柵の内側から外の援軍へと応えるような歓喜の声が上がる。

 火縄銃が鳴り響く。ゲンエモンは白刃を煌めかせて躍り出て、近づく怪物を露払いする。山中を駆け下りる鹿のような確かな足取りで至上のモアは戦場を駆け巡り、モアに乗る神官は長い鉄の槍を振り回してマンティコアを叩きのめす。

 流れに乗った人々は餌を求める獣の勢いより強し。目的を一つにした援軍の兵士達は堰を切ったような勢いで、色んな生物を寄せ集めた姿形の醜い黄ばんだ獣の群れを撃退した。

 マンティコアは奥へ奥へと追いやられる。首領各の子供二体と子分二十体から三十体はルートから逸れた。両軍は少数は捨て置き、残りは逃がさぬよう囲んで追い立てた。

 マンティコアたちは下へと降りる道まで追いやられると、下に何が居るかも忘れて、我先にとがむしゃらに降りた。

 怪物たちは気付いてなかった。

 二十階・神鳥の広場には最後の破滅へと導く存在が待ち受けていた。

 何分もかけて下に降りると、護衛の地の戦士と戦乙女たちの歓迎を受けた。火を噴かれ、大きな石斧で引き裂かれ、拳骨で張り倒され、鞭と魔力が秘められた恐ろしい歌声で追われて、マンティコアの群れは森を抜けた先にある広場の中央へと集結した。

 突如、首領格の子供たちの間で覇権争いが勃発した。群れを率いるのは自分だと、愚かにも殺し合いを始めたのだ。

 群れは次期リーダー候補の争いを余所目で見つめていたが、群れの動きが止まったのはそれだけではない。遥か天井の上。そこから、黄金に輝く翼ある巨躯(きょく)が舞い降りてきた。群れは一歩後ずさったが、恐怖で逃げるのを忘れていた。

 神鳥(しんちょう)イワオロぺネレプの眼には激しい怒りと憎悪の炎が(たぎ)る。

 臭いがしたからだ。自らと親しき、言葉は交わせぬが、血の繋がらぬ同胞たちの血の臭いが、黄ばんだ汚らわしい毛団子共から嗅げた。

 神鳥は翼を広げた。その姿は、太古より伝えられし神々の如き威容。これまでにない危険を感じ、マンティコアの群れを本能的に動かした。

 神鳥が空に舞う。砂塵混じりの豪風が発生する。突風で身動きが思うように取れない。砂塵のせいで群れの大半は五感機能が使えなくなった。そして、神鳥の体は一層輝きを増した。体から高圧電流を放出し、岩をも砕く鉤爪でおぞましい獣共を粉砕した。

 静寂な神鳥の広場の様相は一変して、マンティコアの血肉と阿鼻叫喚で埋め尽くされた。

 降りてきた両軍はまともに顔すら上げられなかった。砂嵐が吹き荒れ、枝や石が飛んできて、とてもではないが、前を見れないし、前へ行けそうにもない。

 遠くから聞こえるのは落雷の音とマンティコアたちの断末魔。ゲンエモンはほんの少し、遠くの様子を窺い知れた。吹き荒れる砂塵の中央では、黄金の色彩を放つ神々しき怒りの化身が見えた。

 


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