世界樹の迷宮 光求めし者達   作:鞍馬山のカブトムシ

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一話.斃れて後、已む。それぞれの旅立ち

 千年の時を経た今もなお、エトリアの繁栄は衰えをみせない。

 この物語は、そんなエトリアのある冒険者の一行にスポットを当てて、進められるお話である。

 朝日で赤く燃ゆる草原に一人、一頭の黒い雌馬を近くに侍らせた少年がいた。短く刈った金髪が風で微かになびき、緑の衣装から覗かせる腕や首は太く、筋骨逞しい。鷹のように鋭い碧眼(へきがん)は静かに羊たちの動向を眺めていた。

 東の方角。馬とは違う灰色の物体が列をなして近づいてくる。あれは―――。

 

「狼だ!」

 

 少年は叫んだ。急ぎ、口笛を吹き、家族に危機を伝えた。

 少年は狼の群れを見やった。狼は疾駆している。身で風を切り、大地を駆け抜ける様は、ある昔話を思い出させた。

 

「蒼き狼!」

 

 少年は歓喜した。

 

「蒼き狼だ! 蒼き狼が来たぞ!」

 

 危険なはずなのに、少年の顔は綻んでいた。二頭の馬が人を乗せて接近してくる。彼の父親と兄だ。少年も後に従おうとしたが、髭面の父親に母さんと妹を守れと命じられ、渋々母と妹の方に向かう。

 狼たちは二頭の馬が接近してきたと見るや、呆気なく引き返した。賢い。恐らく、群れを率いるのは、”噛み砕き”に違いない。噛み砕きはここ最近、家畜ばかりか人も襲うようになり、騎馬民族エクゥウスの悩みの種であった。

 少年は被害に遭った者達に同情はしていたが、一方で、例の狼へ賞賛の気持ちも抱いていた。

 先祖の蒼き狼と呼ばれた人物は、正にあの狼のように人々に畏れられ、敬われた。僅かにだが、その狼を見た少年の心に、失われた民族の誇りを思い出させた。

 父と兄は悔しそうに引き返してきた。父の腕前をもってしても、あそこまで離れていては、大地を駆ける狼に矢をあてるのは無理である。

 

「口惜しいが、家族と家畜。どれひとつ欠けることが無かっただけでも幸いか」

 

 仕事も終わり、ゲルの中で変わらぬ家族団欒。そのはずであったが、夜になると、戦える者達は皆集まり、会談を行っていた。子供は駄目で、少年は話に参加できないのが悔しがった。

 

「ああ。僕がもう二年早く産まれていたら、あの会談に参加できたのになあ」

 

 大人たちが子供に聞かせたくない夜の会談。それは、戦である。

 騎馬民族エクゥウスはかつて、世界を席巻した騎馬大国に属する部族のひとつ。元からその騎馬大国に属するものではなく、征服された後、忠誠を誓った者達が部族として受け入れられ、繁栄した。

 騎馬大国の者達の乗馬技術と馬の生産は世界一と謳われた。圧倒的な人数と機動力を用い、世界を一時的に支配した。そう、一時的に。

 王が亡くなると同時に部族間で、次代の王を巡る争いが勃発した。エクゥウスは中立を保ったが、彼らも争いに巻き込まれてしまった。

 人は減り、部族で袂を分かち、世界を席巻した大国は歴史の表舞台から消えた。

 それでも、このエクゥウスやもうひとつ、カルッバスという元の騎馬大国の血を色濃く受け継いだ者たちは今も生き残る。

 もっとも、自由に放牧するカルッバスと違い、エクゥウスは別の国に匿われ、土地を与えられた。以来、民族は国に忠誠を誓った。

 そして、国が大国と一戦交えることになり、エクゥウスも恩に応えるべく、参戦した。

 大国が優に十万を越すの対し、こちらはエクゥウスの五百騎を合わせても、たかが五千。国の者達は誇り高く、大国の無条件降伏を断じて拒んだ。この国以外にも、合わせて三ヶ国の国が参戦するが、ようやっと二万余に達するぐらい。

 一年後。三ヶ国は大国と干戈(かんか)を交えた。

 

   ****

 

 少年の父。名はゲロリリオン。少年は父に憧れていた。父は民族の中でも一番の射手と名高い。

 百メートル離れた動く鹿の心臓を射抜いたとも言われる。

 彼と兄は父を敬い、いつか超えるべく、絶えず修練に励んだ。

 特に、少年は凄かった。幼い頃から他の赤ん坊より一回り大きく、他の子供よりどんどん大きく成長した。ばねのような筋肉を持ち、目は鋭く、遠くまで見通せる。

 また、喧嘩っ早く、度々他の子供に怪我を負わせたりもしたが、弱い者や臆病者には決して拳を振るったりせず、困っている者がいれば、例え気に食わないと思っていても、助けた。

 彼は仕事よりも、父や大人たちから教わる武器の扱いや乗馬術の方を好んだ。

 彼は暇さえあれば、雨の日、風の日、雪の日、炎天下の日だろうと、武術の修練にひたすら励んだ。少年には夢があった。遥か遠方にある、騎馬大国の獲物から外れ、千年経った現在でも繁栄を続ける国・エトリア。

 エトリアにある世界樹の迷宮へと、いつか行きたいと願っていた。

 世界樹の迷宮には隠された財宝。太古の文明。この地上にいる怪物よりも手強い沢山の種類の怪物が生息すると聞く。誰一人、踏破をした者はいない。

 ある日、少年は時折り訪れる旅人から話を伺い、こんなことを聞いてみた。

 

「もし、僕がその迷宮の謎を明かせば、僕と僕が産まれた民族はエトリア一有名になるかな?」

 旅人は笑って答えた。

「ははは! エトリアどころか、世界で一番有名になるだろうな。きっと、更なる繁栄をもたらしてくれるに違いない」

 

 座を共にした身内の者たちは一笑に付したが、少年は信じた。自分はいつかその地に赴き、必ずや、一族を独立させるきっかけと作り上げよう。

 国の待遇は悪くないが、やはり、税を納めるなど制限がある。長らく居ついて不満を持つ者はいなかったが、少年は違うだろと考えていた。

 我々は縛られる者ではない。もっと、自由に世界の草原を駆けてもいいはずだ。少年の願いも虚しく、戦火は国を襲った。

 父など大人たちに戦う理由はと聞いた。皆、真面目な顔して、一様にこう答えた。

 

「恩義を果たすため。我らの先祖はこの国に住まわせてもらい、生き長らえた。恩義を果たすためにも、我らは勝てる見込みが薄くとも、戦わねばならん。不忠義が生き長らえることは無いのだ」

 

 少年は反論する術を持たず、うんと頷く他なかない。それでも、こう思わざるを得なかった。

 国の人たちには感謝してもしきれないが、もしも今頃、他国の民族として縛られていなければ、戦に参加する必要は無かったのだろうか? 少年は戦い自体を拒んでいなかったが、この戦いが不利だというのは子供ながら理解していた。少年は戦に行きたかったが、生憎十六歳未満と大人と認められる年齢ではなかった。

 大多数は男であるが、僅かに女性の騎手もいた。一人頭、馬二頭が宛がわれた。大国の最盛期には、一人頭馬数頭が宛がわれたというが、その栄光は遥か昔に潰えた。

 総勢、五百騎と五百頭の馬が行軍する様は壮大である。あの中に、少年の父と兄もいる。

 父は去り際、少年の顔を自身の眼に焼き付けようと、じっと覗き込んだ。父に肩を掴まれながら、言われた。

 

「だとえ国が滅ぶことがあっても、生き残れ。何をしても生き残り、一族を再興してくれ。これは、私からお前への頼みであり、皆の願いでもある」

 

 父は物を遺さず、言葉と願いを少年に託し、戦場へと赴いた。

 母と妹のミラニィ、愛馬の黒い雌馬ブケファラスと共に五百人と千頭の背を見送った。一族の繁栄とか独立はどうでもいい。今はただ、あの五百人が無事、勝報を持って帰るのを祈った。

 民族が住まう地には、たまに使いの者や戦えなくなった身の者が訪れ、身内の安否を告げた。五百人いた者たちは、今や半数を下回るという。彼らは口を揃えて、手綱捌きもさることながら、あれほどの弓術がそうお目にかからないと褒め称えた。

 エクゥウスは軽装騎兵隊の主力として最前線で働き、敵を扇動したり、斥候に出て、夜襲をかけたり、大将首を何個も討ち取るなど軽装騎兵隊は活躍していた。父と兄の悲報はまだ聞かない。何人かの話をまとめたら、黒曜石の如き黒い雄の悍馬に乗る偉丈夫はこれまで、三人の将校クラスを射殺したと聞かされ、少年はそれが父ゲロリリオンだと知った。

 人は減ったが、勝利。悪くて引き分けに終わるのではないか? そう考える者もいたが、甘くは無かった。

 初めこそ善戦していたが、圧倒的な物量質量に押され、大国が要請して別の国から二万の援軍が来たことにより、戦況は敗色濃厚へ。

 一年後。少年の十一歳の誕生日を迎えた日、大敗退の報が届いた。死者三千余名、一年間に亡くなった者の数を合わせれば、一万人を超す。

 数日が経ち、片足と右目を失った一族の戦士の一人が帰還した。彼の口から、少年の父と兄が亡くなったことを告げられた。

 一族の騎兵隊は敵に囲まれても、命乞いせず、最後まで戦った。時に黒い悍馬に乗った者は、敵の中でも高名な者と一騎打ちをして、見事に勝利した。しかし、勝利して束の間、大量の矢を浴びて死んだ。

 息子は仇を討とうとしたが、どこからか強烈な槍の一撃を受けて落馬した。

 少年は世界が停止したように思えた。世界は自分を中心に回っており、その自分がこう思ったりすれば、その通りになる。だが、実際にそんなことは到底ありえず。少年の心が停止しても、世界は残酷なまでに時を刻んでいた。

 その日、少年は久しぶりに泣いた。誰かの為、自分の為、月に向かって吠える狼のように泣き叫んだ。

 民族は長老の弟を新たな指導者として、最後まで立ち向かうか、残るかを話し合った。彼らの多くは、去ることに決めた。

 多大なる犠牲を払い、国に恩義は十分返せたはず。留まる意味は無い。しかし、一部の者は反対した。少年は、最後まで戦おうと呼びかけた。

 独立を願いながら、最後まで残って戦う。矛盾してるのはわかっているが、死んだ者たちの事を想うと、国を見捨てるのはあまりにも身勝手だ。

 大多数の意見に呑まれ、少年など一部の者の意見は封殺された。そうして、民族大移動を始めようとした日、敵国の兵士たちが領地の奥深くまで侵入してきた。

 大国は他二国を見逃す代わりに、一番抵抗した中心的な存在であった国を滅ぼすことにした。

 思ったよりも早い侵攻に、人々は恐怖で逃げ惑う。

 家は焼かれ、家畜や作物は奪われ、男は殺され、子供は奴隷や召使として連れ去られ、乙女や艶が失われてない女たちは男たちの欲望に充ちた睾丸で身を穢された。

 逃亡中。山まで差し掛かった時、遂に敵国はエクゥウスの民にも魔の手を伸ばした。分厚い鎧で身を固めた騎士団と歩兵隊が狂暴な人相を浮かべて襲ってくる。

 少年は見た。

 隣のゲルに住むおじいさんが捕まり、斧で首を切断されたのを。年上の友達であるお姉さんが押し倒され、服を引きはがされ、泣き叫びながら体を舐め回される光景を―――。その様は、決して世に謳われる華やかな英雄伝とは異なる光景だった。

 混乱のさなか、火矢で燃える馬が突進してきて、思わず母と妹の手を放してしまった。

 

「逃げろ! いいから、俺のことはほっといて逃げろ!」

 

 そう、叫んだ。母は手を伸ばそうとしたが、人波に呑まれ、手を握れなかった。少年は母の手を取らず、ブケファラスに二人の下へ行くよう命じた。

 が、馬はどこからか飛んできた矢が首に当たり、少年に向かって倒れた。少年は慌てて身を翻し、馬の下敷きになるのを避けえた。

 敵が迫ってくる。少年は二人の安否を確かめる間もなく、山へと逃げ込んだ。いつでも反撃できるよう、両手はしっかりと弓を弾ける準備をしておいた。

 自分に向かって、鎖帷子を来た兵士が斧を持って迫る。おじいさんの首を切断したものだ。躊躇いなく、矢を放つ。矢は見事に喉元に命中した。淡が詰まったような血混じりの咳を吐くと、兵士は膝を付き、どさりと樹に頭を打ちつけた。

 敵を倒した感慨も、人を殺した悲しみや苦しみもない。ただ、襲ってきたから返り討ちにしてやった。それだけのこと。

 更に山奥へ逃げる途中、小さな子供を抱えた親子連れを見かけた。親子は追われており、父親は片足を負傷していた。騎士と思しき者が手に剣を持ち、殺そうとしていた。騎士ではなく、傭兵の類かもしれないが、どちらでもいい。

 少年は静かに弓弦を引き絞った。騎士が家族を逃がそうとする父親を捕まえた時、「おい」と一声かけ、注意を逸らした。騎士が少年を佇む方を見た瞬間、鎧通しは冑の隙間を潜り、額を貫いた。

 礼を言われるまでもなく、少年はさっさとその場から立ち去った。男の子が父の下に駆け寄り、泣きながら行こう行こうと父親の袖を引っ張り、母親は父の肩を担いだ。

 男は少年の名を呟き、感謝した。

 

「さあ、早く行こう。チノスよ。もう、泣き止め。泣くのは後だ、男だろ?」

 

 チノスと呼ばれた幼子は口をきつく縛り、無理やり泣き止もうとしたが、えぐえぐとえづき、鼻水が止まらない。

 

   ****

 

 大国による徹底的な捜索と殺戮は続いた。逃げのびるために、その国に居た者たちは身分を隠す他無く、乞食に身をやつす者もいた。

 少年は山中でさまよった。声を潜め、母や妹の名を呼んだが、答えてくれる者はいない。少年はしばらく、山で一ヶ月の間、野生児の暮らしをした。元より、自然環境下に身を置いて暮らしてきた民族。山や厳しい自然で生き延びる術は身に着けていた。

 眠るときは木の上で眠った。水を飲み、汚いと思えば水をこし、木ノ実食べ、リスやネズミに鳥などを捕え、餓えを凌いだ。

 山から降りる前日。いや、山から降りるきっかけとなる生き物に出会った。

 一年前、朝日で燃ゆる草原の下で見た狼、通称噛み砕き。噛み砕きは普通の狼より一回りもでかく、人間で、武器を持つ少年を前にしても臆さず、威風堂々としていた。

 殺される。本能で悟った。少年は諦めてなるものかと、狼と睨み合った。どの位たったのだろう。狼はぷいとそっぽを向き、少年から離れた。狼が離れた方向を見た。木々の隙間から、見渡す限りの草原が広がり、町も見えた。

 そうだ、いつまでも山にいてもしょうがない。人が居る場所に行って、みんなを探さなければ。大国ももう、搜索を切り上げているだろう。

 この時、凶暴と恐れられた狼が何故、自分を襲わなかったのか。今になってもわからない。

 きっと、馬の神様と先祖である蒼き狼と父さんたちの魂が狼に宿って導いてくれたに違いない。少年はそう信じた。

 人に話したら、馬鹿げている。満腹で、食う気が無かっただけだろうと言われたりしても、少年は狼に一族の魂が宿り、自分を導いたと頑なに信じた。少年は山を下り、ある目的を持って北西から東南へと旅をした。山を下りた少年の顔には、見る者をぞっとさせる並みならぬ迫力があった。少年に一瞥された者は、彼をこう例えた。狼だと。

 少年の目的。それは、世界樹の迷宮。母と妹を探すことも考えたが、あまりにも絶望的に思えた。そこで、ならば、どこかで名誉と金を得て、自分の噂を聞きつけた民族が集まれる場所を作ればいいのではないか。少年は旅人たちから聞いた世界樹の話を思い出して、エトリアを目指し、旅をした。

 行く先々で母や妹の消息を尋ねたが、少年が滅ぼされた国の者と知るや、口をつぐむか。胡散臭い目で見られたので、その国の出身であることは迂闊に口にしないよう心掛けた。

 弓とナイフはある。少年は二つの道具を使い、生き抜いた。世界樹ではなくても、地上にも魔物と呼ぶに相応しい恐ろしい動植物が存在する。それらの存在を感知したときは、息を潜め、自らを死体と思い込ませて身を隠した。魔物以外にも、敵はいた。人間だ。

 一度ならず二度も、盗賊と遭遇しかけた。ときは夜、一度目は襲撃の帰りを目撃。一人は馬に乗り、残りは徒歩。若い娘が一人、腕を縄で縛られていた。計十一人。

 道を行くと、馬車が壊れ、馬は足や首の折れて、六人ぐらいの大人が倒れていた。金持ちだろう。雇った護衛は皆、息絶えていた。二人は矢で、一人は槍で貫かれて、一人は頚動脈をざっくりと剣で切られ、吹き出した血が一面の草木を濡らしていた。

 良い服を着た男女は、二人とも血塗れであった。斬り殺されたのだろう。普通に考えれば、先の若い女は二人の娘だと分かる。

 気配を感じ、密集した針葉樹へと逃げた。十一人のうち、九人が戻ってきた。死体の処理を命じられた九人は、適当な穴を掘り始めた。運悪く、少年が隠れた樹の下に穴を掘った。死体は雑に積まれ、土を被せられた。

 九人が去った後、少年はとっとと逃げた。助けまい。あの女性には悪いが、自分にはどうしようもない。

 それから三日後、またしても、例の一味に遭遇した。高い草むらに身を伏せたが、見つかるかもしれない。

 盗賊たちが警戒の声を発した。見つかったか! 

 恐怖で身が縮まる。しかし、盗賊たちが見かけたのは少年ではなく、きこりであった。彼らはあのきこりを消すであろう。少年は心が疼いた。この前は助けられない状況であったが、今はどうだ、きこりは恐怖で泣き叫んでいる。少年は自身が兵士たちに追われ、同胞が殺される場面を思い出した。少年は自分を嘲笑った。何が誇り高き騎馬民族だ。小汚い馬乗り共相手にこそこそ隠れるのが戦士か。もしも、ここでまた盗賊風情に逃げ出したら、目的は到底果たせない気がした。そうだ。やるのだ。一矢だけでも射て、きこりが逃げる隙だけでも作るのだ。

 少年は盗賊の最後列をこっそりと後を付けた。そして、二人がきこりを抑え、馬上の者が覆面の下で残忍な笑顔を浮かべてきこりを殺そうとした。少年は怯えた。盗賊への恐怖だけではなく、頭領の男から、人間とは掛け離れたぞっとする邪悪な気配が感じられたから。

 少年はなけなしの勇気を振り絞り、貴重な矢を使った。見事、覆面の男の顔に命中した。

 かしらぁ! という叫びに混じり、エトゥという呼び名も聞こえた気がしたが、少年の耳にその名は届かなかった。

 ここから先は覚えてない。盗賊は口々に、このクソガキが! 止まれ、てめえのような屑はぶち殺す! 盗賊は罵りながら少年を追いかけた。

 とにかく、野を越え、山を越え、命からがら逃げおおせたことしか記憶にない。それほどまでに自分もまた、あの盗賊たちを恐れていたのだ。これ以外にも、自然の脅威。怪物の脅威にも何度か遭遇した。地下世界ほでではないが、現在でも地上の世界に怪物はいる。そういう時は、穴に隠れたウサギのように、ひたすら地面に身を伏せた。

 食料が乏しくなる厳しい冬も、一期一会で心ある人達に助けてもらったりして、少年は何とかやり過ごした。

 春が来た。疲れてゆっくりと歩む道中、農場に行き着いた。一日かけて観察して、ここの農場なら良い。ここで働かせてもらって、路銀を稼ぐことにした。

 門を叩き、働かせてもらえるよう、過剰ともいえる馬鹿げた頼み方をした。剣と弓を捧げ、農場主を領主の奉るという頼み方だ。意外にも功を奏し、少年は一年間、農場で働いた。

 農場での一年は緩やかなもので、少年はともすれば、自分の気持ちが揺らぐのを感じた。そんなときは目を閉じ、自分が見たあの光景を思い出した。あまり思い出したくないが、迷いが生じた時に思い出せば、身が引き締まる。

 一年後、少年は農場主と別れ、路銀と移動用の馬を貰い、旅を続けた。もう一回、小さな町の旅籠で五日間働いて多少の路銀を稼いだ。

 そして、農場から一ヶ月と半月の旅。少年は苦難の末、エトリア領内へ到着した。

 だが、少年の心には迷いが生じていた。このまま行って、本当に達成できるのだろうか? 噂は所詮、噂でしかなく。実際はちょっとばかし大きい樹にしか過ぎないかもしれない。

 エトリアにはエピザトーティとメティルリクとの国境線が集まる箇所に地上の樹海がある。迷路のように入り組み、少なからず怪物たちも生息し、危険な動植物がうようよしている。開拓しないのはリスクが大きいのも理由にあるが、万が一の防衛ライン。引いては逃げ場にもなりうると考えられて、地上の樹海は手付かずの状態だ。樹海を避けて通り、いよいよエトリアの街が間近に迫りつつある。

 あくる朝、少年の迷いと疑問は全て吹っ飛んだ。

 エトリア本都市から伸びる、世界樹の名を冠した大木。朝日で輝く天を貫かんばかりの大樹を見て、少年の心は感動で打ち震えた。

 世界樹を見上げ、少年は固く決意した。

 どんな辛いことが待っていようと、諦めない。地獄ならもう見てきた。ここまで来て、引き返せるもんか。

 英雄になってやる、必ず! 世界樹の迷宮にどんな怪物が潜もうとも、返り討ちにしてくれる。世界樹の迷宮で人間を殺したとしても、涙は流さない。自分の目的を邪魔するものは、人や怪物、神や王であれ、容赦はしない。

 少年の顔は、見る者をぞくりとさせる鬼気迫る凄さがあった。

 

   ****

 

 エトリアの国旗が目に付く。緑に黄色で染め抜かれた世界樹の旗がひるがえる門を通り、エトリア本都市に入門した。

 少年が来た時にはまだ、脅威と呼べる存在はなく、エトリアには新米冒険者に課す試験を課す制度は制定されていなかった。一応、簡単な素行調査というか面接をして、ギルド長のもとで適当に登録を済ませば、簡単に冒険者になれた。

 隻眼のギルド長は少年の無礼とも取られかねない態度をいたく気に入り、ある武芸者へと少年を紹介した。

 少年はその人種を初めて見た。東洋出身者と語る彼らの髪は黒く、目も黒い。カルッバスの民を数名記憶しているが、彼らとどことなく似ていた。

 腰にはこれまた、見たことが無い剣を帯にぶら下げていた。刀という名称の片刃の武器で、彼ら東洋出身の武芸者の多くはこれを身に付けているようだ。

 総髪頭と同じくらい逆立つように伸びた長い髭の男。落ち着いた物腰とは裏腹に、目付きや動作には油断というか、隙がない。

 男性は源衛門(げんえもん)と名乗った。ゲンエモンの値踏みする視線にも、少年は負けじと睨み返したら、ゲンエモンはかっかと笑い、肩の力を抜けと言った。

 

「ほれ、わしと彼も名乗ったのじゃ。あんたは人から自己紹介されたら、自分は黙っていろと教えられたのか」

 

 こう言われては、少年も名乗り上げるしかない。少年が素直に本名を明かすと、男性はまたかかと笑い、手を差し出した。少年は困ったように顔をきょろきょろと動かした。

 やがて、男性の手を握り返した。男性は笑みを絶やさず、少年の頭をがしがしと撫でた。

 ギルド長は意外と思った。少年は抵抗するかと思いきや、大人しくゲンエモンに頭を撫でられていたからだ。

 少年はゲンエモンに、亡き父の面影を見た。

 ゲンエモンには他にも弟子がいて、その弟子たちと共に、世界樹の浅い階で探索をしつつ、修練に励んだ。

 彼は孤自戦流という、一対一を想定した剣術の師範代でもあった。真剣勝負という誰の助けもない孤独な中でも自らを律し、戦いの流れを制するの意から。

 当たり前であるが、ゲンエモンの修行は相当厳しく、何名か脱落する者もいた。エドワードはめげずに修行をこなした。彼にとって、ゲンエモンの厳しさもまた、亡き父に通じるものがあった。

 

「どうしようもない間違いをした者。愚かなことをした者がいれば、嫌われようとも、その者を強く叱れ。それはその者のため、引いてはお前自身のためにもなる」

 

 こう言って、ゲンエモンは世界樹の迷宮の冒険や日常生活に置いて、有頂天になった者や慢心した者を叱った。

 五年間の修行では、ただ武芸に打ち込むのではなく。礼儀作法、字の読み書き、算術や地理に歴史などの勉学、一般常識についても学んだ。ゲンエモンは侍だ。だからといって、剣術を強要したりしなかった。極めたいと望む者がいれば喜んで教えたが、そうではないという者がいても、卒なくこなせる程度に扱えられて損は無いと剣術も教えた。

 他、街で働いたりもした。何をするにも、まず金じゃ。修行とて、武器や道具を使う以上、金が入用にるなる。また、何を成すにも、人との繋がりが大切だ。

 ゲンエモンのこの教えを嫌う者もいたが、少年は成る程、現実的だなと、素直にこの教えを飲んだ。

 ゲンエモンは少年の乗馬の技術を素直に褒めた。これに関しては、ゲンエモンが逆に少年から教わることが多くあった。共に学び、窯の飯を食らい、武芸に打ち込み、世界樹の迷宮に潜る。

 悲しいことに、修行の一貫である迷宮の探索で命を落とす者が一人いた。ゲンエモンはその時、こう言った。涙は地上に上がってから流せ。目を瞑るな。逸らすな。さもなくば、涙で視界が霞んでいる隙を突いて、樹海のけだもの共に喉笛を噛み切られるぞ。

 月日は瞬く間に経ち、五年の歳月が過ぎた。

 五年の歳月で少年は心身共に大人へと成長した。ただでさえ逞しい体はより強靭になり、顔付きも更に引き締まった。見る者は彼を一目で偉丈夫と認めた。

 夏の頃、ゲンエモンは弟子たちを一部屋に集めた。

 二十人いた者は、四分の一の五人まで減った。ゲンエモンは弟子たちに朴訥な調子で語った。

 

「もう、わしから教えることは無い。一人立ちするのも良し。わしについていくのも良し。エトリアから離れ、新たなる新天地を目指すも良し。好きにせよ」

 

 二人、禿げ頭のラクロワと女剣士のニッツァはゲンエモンにお供をすると言って、頭を下げた。

 別の二人、若侍のコウシチと騎士の恰好をしたストレートロングの金髪の女性シショーは、独立すると言った。彼は迷った挙句、何事も区切りは大切だと、一人立ちを選んだ。

 少年はゲンエモンに覚悟はあるかと問われた。

 

「英雄になるとは、生半可なことではゆかぬぞ。例え英雄への道を目指さなくても、一度滅んだ一族の復興は辛く険しい。何でも受け入れるというが、人は些細なことで手の平を返す。このエトリアとて、例外ではないとわしは思う」

「承知しています。しかし、俺がやらなくても誰かがやるだろうと能天気に過ごすのは御免被りたい」

 

 およそ少年らしからぬ強固な意志にどこか怒りが同棲した表情。もしも、親がいて普通に暮らしていれば、こんな顔にはならなかっただろう。ゲンエモンは折れて、少年の行く道を見守ることにした。

 有名な冒険者の下で修業したからって、万事すぐに上手くゆく訳もなく。彼は二年間、一人で冒険者をした。誘いもあったが、誰かの下に付いての成就は拒んだ。

 二年の間、まるっきり一人ではなかった。ゲンエモンや他のパーティに協力する形で、冒険や酒場からの依頼に付き合ったりした。

 彼のパーティ、「ホープマンズ」。訳せば、希望を持つ者たち。彼のパーティが完成し、大成するのは実に数年も先の話。

 

          *――――――――――――――――――*

 

 四角く突き出た鼻以外は、これといった特徴がない、樺色頭の背の大きな青年はぼーっと田畑を眺めていた。

 ここは東山の村。本当は名など無いが、お情けで東山の村とでも名付けられた。

 青年の名はコルトン。彼は村での生活にほとほと嫌気がさしていた。皆、毎日普通に暮らせればそれでいいじゃないかと言うけど。生活は豊かではないのに、普通も糞もあるか。

 一通り仕事が澄んだら、ぼーっとする毎日。本も少なく、娯楽らしいものも殆ど無いこの村。もっとも、この時点では字は読めないが。

 居座ろうという者たちの気持ちがコルトンには分からず、逆に村の者や親戚にとって、コルトンの考え方が異端であった。

 ある時、国が戦争すると聞いた。村の大半は関係無いものと決め込んでいた。何故なら、この村は国境にあり、統治者たちからも重要視されてなかった。一人、コルトンは違っていた。村から出て行けるチャンスと喜んだ。親戚や友人たちの反対の声を押し切り、コルトンは傭兵として戦に参加した。

 だが、夢と現実の違いを思い知らされただけであった。戦は負けが込み、コルトンら傭兵たちは食うのにも困る毎日。傭兵は所詮、現物奪取。勝って、敵兵の装備や敵国の物を奪ってなんぼである。

 コルトンのような者は他にもおり、威勢良く鬨を叫んでも、戦場では及び腰で戦わせるとなると時間を要した。コルトンはそれほどでもないが、多少動ける兵なら沢山いたので、顔は覚えて貰えるはずもない。

 戦の最中、コルトンは様々な者たちから話を聞いた。

 そして、『世界樹の迷宮』の話を耳にした。エトリアという、文化的にも発達していた国は知っていたが、世界樹は初耳だ。コルトンは、これこそ自分が求めていた物に違いない。そこで、『冒険者』という職業に就こう。

 あくる日。軍が珍しく打ち勝ち、陣営は賑わった。コルトンは体格の良さもさることながら、運も良く、無傷で陣営に帰ってこられた。

 一時の勝利に過ぎないという意見の者もおり、コルトンもその意見に賛同した。

 コルトンは運良く、貴族の身分の者が身に着けていた宝石など高価な物を奪えた。コルトンは軍を抜け出ようという者に声をかけられると、あっさり応じ、軍を抜けた。

 彼らの予想は当たり、三ヶ国は次の戦いで述べ死者三千人を超す大敗退を喫した。村に帰ったコルトンんは幾らかの金や宝石を親や親戚たちの前に置くと、旅立たせてくれないかと頼んだ。

 親戚一同はコルトンの旅立ちを許可した。そして、コルトンは意気揚々に村を出た。

 コルトンは長い旅を続け、世界樹を目の当たりにしたとき、目的が変わった。

 この世界樹の迷宮でなら、豊か生活ができるところか。俗に言う、英雄にすらなれるのではないか。

 コルトンは世界樹を見て、そう思えた。

 高い水準の教育を受けた訳ではないが、それなりの礼儀を知っているコルトンは、ある事でギルド長に大変気に入られた。エトリアの冒険者としての試験期間も難なくパスして、晴れて冒険者になれた。

 

          *――――――――――――――――――*

 

 エトリアと海を隔てた大陸。その大陸の中央にある街は排他的で、肌の色で人を差別し、エトリアでは受け入れられる者たちはそこでは受け入れられなかった。

 街の貴族の子供。正確には、貴族が召使いから孕ませた子供は、たまたま人とは異なる特別な力を持ったために、迫害された。家族も、母以外は庇ってくれなかった。

 少女は負けずと、影口を叩く者や見下した目で見る者には、痛烈な嫌味を堂々と言ってやった。

 十代の時。彼女の母が亡くなり、庇う者がいなくなり、困った彼女はある高名な錬金術師が街を訪れた。彼女は錬金術師に弟子入りを懇願し、錬金術師はかなり渋って承諾した。

 見送る者もいない。彼女は街から出て、振り返ると、人差し指をぐいと突き立てた。

 そんな少女を、師は諌めた。

 

「これ、アクリヴィ。そんなことをしても、お前という人間の価値が下がるだけ。およしなさい」

 

 アクリヴィと呼ばれた、グレイブロンドの少女は挑むように師の顔を見上げながら、分かったと大げさなまでに頭を縦に大きく動かした。

 アクリヴィはもう振り返らなかった。絶対に、立派なアルケミストになってやる! そう、強く誓う。

 

          *――――――――――――――――――*

 

 牛が怒り心頭、唸りながら突進する。人々はこぞって身を避け、牛に道を譲った。牛の背には、青い髪の男の子が乗ってた。男の子は悪戯っぽい興奮した笑みを浮かべて、牛の足が赴くままに走らせた。

 大人たちは口々に男の子を糞ガキ。悪童悪鬼。人の皮を被った化け物、と野次した。

 大人は自分の子供に、あのロディムのようにだけはなるなよと言った。うんと心底そう思う子もいれば、憧れる子もいた。

 青髪という珍しい髪の色に赤茶の瞳。常に不敵に微笑んだこの少年こそ、ロディム。エトリアにほど近い、山間の寂れた村の生まれ。彼は希代の悪童と呼ばれ、牛の背に乗り、鞭打って暴れさせるなど日常茶飯事。悪いことは、大体ロディムのせいにされる。その癖、女の子に対しては異常に弱いという、何とも矛盾を抱えた少年である。

 両親と周囲は、この子がまともで普通な人生を送るのは難しいだろうなと不安に思った。両親の不安は的中し、ロディムは良い歳になっても、酒はがぶ飲みするわ。暴力沙汰を起こすわでやりたい放題。

 ロディムはとうとう、親兄弟から内心、てめえなんぞ死んじまえとなじられる始末。

 ロディムにも夢はある。世界樹の迷宮に行くという夢だ。御伽噺にしか無い、地上では今や滅多なことはでは見かけなくなったドラゴンや魔物たちが沢山潜むと聞く。

 これぞ、自分の求めていたもの。農夫になって一生を棒に振るもんか。俺はロマンを求めるぜ。

 エトリアやエトリアと隣接する発達した国に行きたいと願う者は後を絶たない。ロディムに限られた話ではない。

 

「俺さあ、世界樹に行って、一旗揚げてくるわ」

 

 ロディムが気軽な感じにこう言ったら、両親は喜んで、ロディムに路銀を渡した。態の良い厄介払いができたと喜ぶ反面、息子の旅立ちに僅かながら、母は涙を流した。

 

「しんぺえすんな。今に、斧と剣の両刀使いのソードマン・ロディムの名が轟くって」

 

 こうして、ロディムは見送られて、村を後にした。

 ロディムはギリギリ、二ヶ月の試験期間をクリアした。晴れて冒険者の身分になれたのは良いが、自分を受け入れてくれるパーティ。あるいは、新米同士で手を組むか。二つに一つ。ロディムは後者を選んだ。

 野郎ばかりのむさ苦しいパーティ。初めこそ、探索は順調だったものの、一階層のスノードリフトの群れに敵わず、探索は行き詰まった。ロディムは倒すことを提案したが、パーティは無理をしないに限るでまとまった。

 ロディムの所属するパーティは、ロディム以外は途中から、冒険に乗り気では無くなってた。更に進み、二階層に到達したものの、ここでもまた、ケルヌンノス討伐は他に任せよう。あの怪物は他に任せようと危険を冒さず、金も思ったよりも集まらない。

 夏の頃、泥酔したロディムは切れて、仲間たちと喧嘩した。きっかけはどうあれ、この喧嘩で冒険に乗り気では無くなっていたパーティのリーダーは解散を告げた。

 行き場を失ったロディム。しばらくは一階層の浅い階で日銭を稼ぐ日々。そんな日々が続いたある日、ロディムは弓を背負った大柄な金髪の男に誘われた。

 ロディムは男の誘いに飛びついた。すると、男は仲間と共に、ロディムに礼儀や勉強を学ばせた。ロディムは男にこんなことをして何になると噛み付ついたが、押し黙った。

 男の恐ろしいほど冷たい、きらりと光る鋼のような目力に押されたのだ。裏街道を渡った人間など、良くない人間とも何度か会ったりしたが、男の怖さはそれらとは別次元であった。

 どんな怪物にも恐れ知らずのロディムは、久々に人間を恐れた。ロディムは人生で二人目となる、自分に拳骨を振るう父親以外の存在に恐怖した。彼のパートナーだという、傭兵崩れの男も手強く一筋縄ではいきそうにない。諦めてロディムが大人しく学ぶと言ったら、男は相好を崩した。

 以来、迷宮を行ったり来たりしながら、礼儀や勉強を学ぶ毎日。

 俺は、ここに加入して良かったのか? そんな疑問も、半年後には大いなる喜びへと変わる。

 

          *――――――――――――――――――*

 

 綺麗に掃き清められた町。その町に住む医家の家に、一人の珠のような女の子が産まれた。

 女の子はマルシアと命名されて、大切に育てられた。

 マルシアには不思議な力があり、マルシアが手を触れて、集中すれば、小さな傷ならあっという間に治せてしまう。

 両親は、この子には錬金術師流派の「メディック」としての才能があると大層喜んだ。

 マルシアは可愛らしく、成長するにつれて、可愛いという褒め言葉は美しいへと変わった。

 十代の半ばを過ぎると益々容姿と才能に磨きがかかり、正に才色兼備。翠緑の眼はエメラルドのごとく。緩やかにウェーブとカールがかかったシルバーブロンドは高級な絹糸のような柔らかさと艶がある。桃やサクランボのように薄らと朱色がかった唇は若い男の欲情をそそり、隙あらば、かぶりつくようにその唇を奪いたいと思わせた。

 しかし、彼女はガードが固く。彼女自身、男の付き合いにそこまで興味が持てないため、二十代を過ぎても、色事に関する話は聞かない。

 両親は嬉しくも思ったが、娘が行かず後家にならないかと心配した。

 春先。彼女は突然、こんなことを切り出した。

 

「エトリアに行ってみたいと思います」

 

 両親が訳を尋ねると、更なる医療を学び、世界樹の迷宮に潜って新医薬を開発したいと語った。当初、両親は強く反対したが、娘が今までに無いくらい強く粘った。結局、両親は娘の人生だから、娘の自由にさせてやろうと折れて、マルシアが冒険者になるのを許可した。

 マルシアはもう一つ、こんなことを付け加えた。

 

「大丈夫。診療所はちゃんと受け継ぐわ。ただし、戻ってくるときは、素敵な男性というおまけも連れててね」と、悪戯っぽく微笑んだ。

 

 エトリアの二ヶ月に渡る試験期間も難なくクリアした彼女は、金鹿の酒場の女将さんやギルド長に勧められて、ある四人組のパーティに加入した。四人は諸手上げて彼女の加入を歓迎した。

 特に、青髪の男の歓喜は尋常ではなかった。

 

          *――――――――――――――――――*

 

 雑多な人通りで、二人の黒人の兄弟が演奏していた。兄はガラクタで作ったタンバリンを叩き、弟も同じくガラクタで作った弦楽器で演奏しながら歌った。兄妹の足元には蓋が無い木箱が置かれてた。素通りする者が大半であったが、たまにコインを木箱へ投げてくれる者もいた。兄弟は演奏以外でも稼いだが、上手くいけば、普通している仕事よりも稼げたので、演奏が主要の収入源だった。

 兄の演奏も巧みであるが、弟の演奏は兄より優れ、歌声はどこまでも透き通る響きがあった。

 兄弟は貧しい。幼い頃から二人で支え合い、生きてきた。親はいない。父親は病に罹って亡くなり、母親は山にまで出かけた際、山賊に襲われて死んだ。以来、二人きりで暮らしている。

 仕事が終わったら、町外れにあるボロい掘っ立て小屋で寝床を共にする。雨風を凌げるだけでもましである。小屋どころか、上着すら無い浮浪者は大勢いる。

 どんなことがあっても、兄弟で手を取り合って困難を乗り越えた。だが、少年二人が青年と呼べる年齢に達すると、あることが起きた。

 彼の兄は、良い仕事に誘われたと言った。綺麗な女性と人の良さそうな老人は兄弟に食事を与え、二人は少しの間、お兄さんを借りていくよと言った。本当は弟と誘われるはずであったが、兄は家(ボロ小屋)を開けるのは不安なので、弟は置いていくと言ったのだ。

 後にこの判断は、ある意味正しかったことになる。

 三ヶ月して、彼の兄が帰ってきた時、弟は驚いた。何故なら、兄はがりがりに痩せた栄養失調の状態で帰ってきたためだ。

 兄は病気に罹り、衰弱していた。兄は息切れしながら、弟に真実を伝えた。兄は二人に連れられ、大きな馬車に乗せられた。この時点で嫌な予感がしたが、武器を持った者達が怖く、大人しく運ばれた。

 連れてこられたのは奴隷農場で、そこではお金はおろか、休みらしい休みも殆どもらわず。鞭を持った人間とは思えない恐ろしい奴隷監督官の監視下の下、働いた。

 兄は親しくなった者達と脱走を企て、逃亡した。逃げる途中、何名か捕まった。恐らく、もう生きてはいまい。

 兄と数名は非常に運良く逃げおおせたものの、人を人として扱わない奴隷生活ですっかり体を崩し、重い病に罹った。医師に見せる金も無く、医師に見せても、治る見込みは無いと断られた。

 弟は必死に看病したが、日に日に兄の容態は悪化した。帰ってきて五日後。

 激しくひきつけを起こし、痰混じりの咳を切った。兄はそのまま眠りにつき、静かに息を引き取った。亡くなった晩の夜。弟は一晩中泣き伏せた。体に死臭が付こうとお構いなく、疲れて地面に眠りこけた。

 翌朝、近所でも親しい者達だけの間でひっそりと、葬儀が執り行われた。情けで、宗教家の者が来て、亡き兄の冥福を祈ってくれた。

 途方に暮れた弟は、これからどうしようかと迷いつつ、港に向かうことにした。近所の人が、仕事を探すなら港町に限ると教えてくれたから。

 彼はある船長のお眼鏡に適った。労働船の船長であり、演奏家兼船員として来ないかと誘った。彼は迷ったが、他に行く宛てや雇ってくれる宛ても無いので、この船長の船に雇われることにした。船は大陸を渡るという。

 彼はチャンスと捉えた。どうせ、行く宛ても身寄りも無い。行けるとこまで行って、自分の新たな道を探そうと考えた。

 自分も、兄と同じ末路を辿るのだろうか。不安に思いつつ、一ヶ月に渡る船旅が始まった。厳しい生活環境で体力だけはあるので、彼は船上で懸命に働いた。仕事は辛く、厳しいが、少なくとも、兄のように奴隷として働かされている訳でもない。食事はちゃんと与えられて、たまに休憩を貰い、その合間に歌や演奏で船員や船長の心を弾ませた。

 一ヶ月後、彼はソロル・エトリアという港に到着。船長の話しによれば、金を持っている国のようだ。彼は礼を言って船を降り、この港を自分の新たな人生の出発点にした。

 港に着いて次の日。彼は運命というべき出会いをする。黒い立派な馬に乗った馬上の人から声をかけられたのだ。馬上の金髪の人も馬に劣らず立派な装いで、興味深そうに自分を眺めた。

 彼は男に素性を聞かれ、仕方なく答えた。

 

「僕の名前はジャンベ。見てのとおり、しがない楽士ですよ。それで、僕の演奏を聞きにきたのでしょうか?」

 

 ジャンベは次に、男の口から語られたことを聞いて、驚き警戒した。だが、結局は男の誘いを受けた。兄の前例があるにも関わらず。

 今思っても、不思議だが、どう思おうとも、自分が今現在世界樹の迷宮にて、冒険者をしていることには変わりない。

 彼を迎え入れてくれた男と彼の仲間は優しかった。もっとも、始めのうちは男以外の者からは信用されなかったが、言よりも行動で示すことにより、徐々に信頼を得られた。彼に多くの知恵と戦いの技術を教えてくれた。ここに来て、初めて他人に心を許すことができた。

 エトリアの街は居心地良く、自分が今こうして、自分の故郷(ふるさと)では金持ちと言われた人達の生活がエトリアでは「普通」と言われ、自分がその「普通」の生活をしていることに驚きを隠せないでいる。

 命懸けではあるが、冒険者になれて良かったと思えた。

 




「斃れて後、已む(たおれてのち、やむ)」とは、死ぬまで努力を続け、途中でくじけず、生きている限りやり抜くことという意味の故事ことわざです。
 リアルに「世界樹」の中で人間が冒険したら。そう思って書いてみました。
 また、ゲームどおり、「君たちは・・・」な感じの探索ではつまらないと思い、本来は描かれないエトリア・他種族・他国の文化、更には合戦なども加えましたが、主眼はあくまで「世界樹の迷宮における探索・踏破」でございます。

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