世界樹の迷宮 光求めし者達   作:鞍馬山のカブトムシ

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二十話.浅く潜る

 二週間は安静するように言われたので、地上にて、仲間たちの帰り待つものの、正直いって、暇である。

 考えようによっては、二週間も好きなことができて、思う存分に体を伸ばせるのだ。有効に利用しよう。六日目辺りのこと。五階層の樹海時軸を通った日から三日目まではそう思えたものの、休みすぎたら、どういう訳かいつもより、何かをしなくてはという気持ちが焦りが生じてきた。

 人間暇すぎるとろくなことにならない。こんなのは、どうせ有閑貴族様しか判りえない感傷の類かと思いきや、自分にこの言葉の意味が理解できる日が来るとは。

 無駄にだらだらと汗ばかり流れる。季節は夏。自分の故郷では、夏でもさして暑くないが、エトリアの夏は格別に暑く、地下世界にいたほうがましだと思える。

 剣を持ち、片手で弄ぶ。次は戦棍(せんこん)。次は盾。次は兜と、きりがないので止めた。傍から見なくても、子供っぽい行動だというのは理解できる。片手でも、物は片付けられるし、洗濯物も洗える。だが、そういう日常における仕事も限度がある。ゆっくりやっても、洗濯も洗う時間を含めて、二時間で完了。

 読書という手もあるが、自分はそこまで本を読むのは好きではない。書き物もしてみるが、こうした日常では、書くことがあまりない。かといって、無駄に金を使うこともできない。大昔にはそうではない時代もあっただろうが、今の世の多くの出来事は必然的に金が要る。

 エトリアにも、実はギャンブルや娼館の類はあるにはある。それは、海外との公益拠点である港があるソロル・エトリアの他、国境境界線沿いにある幾つかの町や村で公然の秘密として運営されている。あくまで、長い船旅で欲求不満の仕事人や船乗り、国外から来るお大臣とのちょっとしたお付き合いの為、通常とは異なる娯楽もまた必要と考えられて、そういう場の存在を見逃しているだけであり、基本は公共の風紀を乱す施設の運営は許していない。

 とりあえず、体を動かそう。冒険者は休日中、荷や帳簿を整理したり、寝転がっているだけだと思う輩もいるが、冗談ではない。そういうのもするし、そういうことだけしかしない日もある。

 ただ、樹海生物と戦うだけでは、経験が足りない。実戦は何よりの修練になるが、時には、人間同士で打ち合ったり、型通りの仕草をする必要もある。とはいえ、一人で、しかも片手となれば、たかが知れているが。

 鞘に入れた剣を腰にたばさみ、いざ外へ。今日は曇りなので、さして暑さは無かった。

 外壁と街の間には、刈り込まれたやや緩やかに下る草地があり、市民の憩いの場。はたまた、衛兵たちの訓練場ともなる。最近では、後者としての役割が多い。

 左から数十メートル離れた箇所では、教官が衛兵たちを指導していた。動きもぎこちなく、兜から覗けた顔はまだ若い。新兵であろう。先のモリビトとの戦いで、数十名近くが戦死した。その穴埋めをと、エトリアは各地で新兵を募集していた。ぎりぎり届かない距離に標的となる人形を置き、人形との間には石が置かれ、突撃の際、この石を越えずに止まり、かつ、槍を最大限の力で繰り出す訓練。

 いかにして槍という武器の威力を引き出す訓練の一つだが、新兵たちは手こずっていた。教官は容赦なく叩き、無駄飯食らいの役立たずの豚どもが! 最低限、役立ってからやられろと罵る。

 衛兵の一人が挙手をして、武器だけではなく、食料や工事をするのも我ら衛兵の役目ですがと口答えしたら、当然、けつを蹴っ飛ばされた。国の方針にもよるが、正規兵は大変だなと思う。武器の扱い以外にも、屯田兵として作物を耕し、読み書きと計算をやらされて、工事にも駆り出される。だが、そういったことは一戦を退いた後の生活や仕事で役に立ち、もちろん実戦においても、戦うしか能がない臆病な半農半兵より使える。

 剣を上段から振り下ろす。左腕を負傷しているので、自然と体を庇う素振りになり、情けないぐらいへっぴり腰な振りである。肩の力を抜き、振り下ろすところから、下ろされる重さに自身の力を加える形で剣を振り下ろす。今度は空気を切る良い音がした。

 横下段。下段。再び上段。調子が出てきて、五十回振るった。そこそこ汗が流れるぐらい、体が温まったら止めた。あんまり、片方の筋肉ばかりが鍛えられるのは良くない。メインの左腕は使い物にならないが、大きい盾を持つので、自然と鍛えられる。だからといって、右腕しか使えない間、右腕ばかり無駄に鍛えたら、体の中心線というか、バランスが偏る。マルシアからの受け売りではだが、使える方ばかり使い続けたら、そこに疲れが溜まり、すぐに使えなくなってしまう。コルトンも、そこは以前から何となく理解していた。

 人間と同じだな。使える奴ばかり使えたら、益々使える奴になるが、いざというときは頼れる奴はそいつしかいなくなり、他に手がいる状況にも関わらず、手が足りない。使える奴に仕事を回しつつ、見込みがある奴、自分のように使えないとされていた奴でも、傭兵などある程度の経験を経ることにより、一応、使えるようになる奴を育てる必要がある。

 剣を鞘に収めようとしたら、声をかけられた。どちらも若々しい。一人はゲンエモンのパーティで剣士を務める、薄茶の肩にまでかかる頭髪を団子状にまとめた女、ニッツァ。

 もう一人は、ゲンエモンが着る着物を紫に染めて、麗しい茶色がかった黒髪のショートボブヘアと黒く凛々しい二重瞼の少女と見紛う武士。ドナたちのメンバーで、武人としての嗜みという訳で、他のブシドーと同じく弓の心得がある、白兵兼弓兵役のサヤ。 

 ニッツァは気軽に話しかけてきた。

 

「やあ、コルトン。調子はどうだい?」

「見れば分かるだろ。片手はこの通りだ。身近な医者にきつく言われて、後一週間と一日はこのままだ」

 

 サヤは両手をぴしりと伸ばすと、どうもと深くお辞儀した。

 

「コルトン殿。ご機嫌がよろしくてなによりでございます」

 

 年齢も冒険者としての経歴も上のコルトンに、サヤは礼儀正しく挨拶した。

 二十代後半に差し掛かるニッツァとは異なり、二十を僅かに超えたばかりで、背は低く、顔も小さめのサヤはニッツァと比較したら、少女にしか見えない。

 

「それで、女性二人がなんのようだ。俺が喜ぶようなお誘いをしに来てくれたわけでもあるまい」

「そりゃそうよ。あなたを誘うなら、エドワードとかを誘うわ」ニッツァは悪びれる風もなく言ってくれた。

 サヤはもったい付けずに答えた。「修行の為、相手が欲しかったのです」

「今の俺を見て、分からないのか? まともに武器を扱えないし、教えを受け賜りたいのなら、もっと上手な奴に聞いてくれ」

「我らは二人はコルトン殿のような、五階層に到達しうるほどの男性冒険者を探していたのです」

 

 他にあては無いのかと聞くが、今日は残念ながら、コルトン以外の五階層組の男性はいない。同パーティのメンバーと組手をしたらどうだと言ってはみたものの、違う相手としてこそ意味があると返された。完全な状態の相手もいいが、コルトンのように、怪我をしながらも、最後まで必死に戦い抜く敵を想定した上でのイメージも必要だと言われた。一理ある。常に万全な状態で戦えるとは限らない。今の怪我をした状態でも、戦わざるおえない時もあった。怪物ならまだしも、人間相手となれば、また微妙に違う動きを要求される。

 コルトンは良しと承諾した。

 初戦はサヤと条件付きで対峙をする。条件とは、サヤは素手に対し、コルトンは布を巻かれた木刀を使用するというもの。武器が無いシチュエーションで、サヤは負傷した敵意満々の兵士と遭遇する。素手はいくら何でもないが、負傷して尚、最後まで戦意を失わなかった敵や樹海生物とは何度も戦ったことがあるので、分からないこともない設定だ。

 木刀でも、自慢ではないが自分ほど力がある奴が振ったら、骨を折ってしまう。サヤを鋭く見据え、本当の敵だと思い込みつつ、ぶち当てる直前には加減できるよう心掛けておいた。

 サヤの凛々しい二重が細められる。コルトンの動きを注意深く観察する。

 左は完全な死角と隙だけど、相手もそのことは承知している。いかにコルトンの攻撃を避け、武器を奪うか。体術を仕掛けるか。この二点に絞られる。

 まずは真っ直ぐに突き。サヤは斜め右後ろにステップで後退。二三度連続で突きを繰り出すが、コルトンの力がこもった速い突きをサヤは紙一重で避わす。そして、四度目の突きが来た時、サヤは横に退くと、刃の無い刀身部分を裏拳で叩いた。コルトンの体勢がやや崩れる。その隙に、サヤに体を抱きしめられる形になる。体術をかけられるかと身構えたが、ここまでと言って、サヤは自分の体から離れた。

 

「完敗だ。参ったよ。仲間や他に親しい奴が見ていなかったのが幸いかな」

 握りこぶしを右の手の平にくっつけたら、サヤはそのまま頭を下げた。古武術とかいうものの挨拶らしい。

「いえいえ、手負いで片手を使えないのに、少し手加減までされたようやく勝てた私の方が未熟。恥じ入りたいのは私ですよ。万全な状態で繰り出されたら、避けるので精一杯でした」

 

 サヤは地面に伏せてた太刀を腰帯に括った。

 二番手はニッツァ。剣を上段水平に保ち、コルトンが剣を全力で振り下ろすとのこと。ニッツァは剣を抜き、腰を落とし、上段水平に構える。あえて、不利な姿勢から敵の一撃を受けて、そこからどう切り返せるのかを自らの課題にした。

 剣を落とさず、全力の一撃を受けても痺れず、すぐさま反撃に転じられたら勝ち。剣を落としたり、痺れて、追撃を許す暇を与えるようなら、負けとなる。

 深呼吸をすると、コルトンは両足でしっかりと地面を踏み締めて、柄を固く握り締める。

 おうと気合一声、相手の剣が折れよと言わんばかりの勢いで斬りかかる。金属と金属の激しい衝突により、火花が飛び散る。ニッツァは受けた刹那、体を沈ませることにより、少しでも衝撃を減らそうとしていた。微かにコルトンが剣を上へ上げようとしたら、ニッツァは素早く剣先をコルトンに向けた。ふぅと溜まった緊張感を出すと、一言。

 

「あたいの勝ち」

 

 練習で、負傷して片手が使えないとはいえ、二連敗はやや落ち込んだ。コルトンを慰めるようにニッツァは快活な笑みを浮かべた。

 

「まあまあ、そう気を落とすな。両手で全体重加えて斬りかかられたら、いくらあたしでもやばかったよ」

「いやぁ、二回はさすがに、な。次こそは片手で剣を落とさせてやろう」

 

 これ以上は勘弁してくれと言う。サヤとニッツァは礼を言うと、二人は思い思いの方へと去って行った。

 思いもよらず、退屈しのぎ以上のことに巡り合えた。それは良いものの、遊ばれたような気もしなくはないが気にするまい。

 夕日が暮れかかる頃、五人は帰還した。多少、語れることが今日はあるので、土産話を聞けるのがいつもより楽しみである。

 五階層二一階というか、巨大な建物の中間辺りというか。今日はようやっと、下の階の方へ行けた。特に興味を惹かれたのは、二種類のお花のくだり。

 一つ目は、崩れた壁から発光する天井や五階層世界を覆う光とは異なる光が洩れていて、計三時間かけてその部分の壁を壊して、植物と根っこをどかした所、寄り添うように群生する水晶の如き輝きを発する花畑を見つけた。証拠にと、シリカ商店には売らずに取っておいた物を置いた。手に取って確かめる。色や紙を貼ったなど、人の手を加えられた痕跡はなく、花は自然と透き通った水晶の色をしていた。木造のテーブルに置けば、若干、花は黄金色に染まった。

 シリカの話では、初めて値段の付けようが無いらしく、花の利用価値がどんな物か判明次第、お金を渡す約束をした。ついでに持ち帰った壁の材料については、既に発見済みらしく、五百グラムで一単価と計算し、一個辺りの値段は六三〇エン。二キロ分持ち帰ったので、二五二〇エンに換金された。

 他、ツルや透明色の草については、検討中。

 二つ目は、新手の怪物の話。

 二一階から降りて、すぐ右側の道は太く堅そうな植物と根がはびこっていた。そこの手前には、危険を意味する赤い印が書き殴られていた。ロディムは植物を剣でつつき、アクリヴィが火力を抑えた火の術式で根を炙ってみた所、剣先はちょびっと刺さり、根には泥水を薄っぺらに塗りたくった焦げ目とはいえない焦げ跡ができたぐらいだった。植物や根は水分をたっぷり含み、何百年か何千年の年月で鉱物に近い堅さを手に入れていた。

 危険を承知で進んだら、頭がぼうっとしてきた。

 これは不味いと思い、舌を強く噛むなり、マルシアから渡された刺激臭のする物が入ったビンの臭いを嗅ぎ、ジャンベに耳元で叫ばれるなりして正気に戻ると、天井から壁、床に至るまで大の大人ほどもある真っ赤な毒々しい花々で覆われていた。

 目の錯覚でなければ、花が動いている。大変危険と判断し、アクリヴィの火の術式で適当に花を焼き払ったら、明らかに悲鳴が上がった。

 思った通り、そこは樹海生物ならぬ樹海植物の密集地帯であり、花は恐らく、催眠効果がある甘い香りを出して、近づけば、毒で動きを止めた他の生物を食しつつ、通常の花と同じ栄養も餌にする雑食性の花であった。ロディムの足に転がった花を、エドワードは槍で突き刺した。一旦、引いてから、槍で貫いた花を解体して、アクリヴィとマルシアが花内部の構造を調べた考察。

 これも、ほれとエドワードが袋から出した。焼けた花弁と小指ぐらいある茨の棘が一本、置かれた。

 実物を見てないので何とも言えないが、花が口開いて、こんな棘を大量に見せられたら、慣れないうちはびびってしまいそうだ。

 五人が語り終えた後、コルトンも今日の出来事を語った。ただし、内容に少し花を添えて。

 

 

 

 七日目は五人が一斉に休暇を取り、コルトンを除く五人が二時間武芸にいそしんだ後、思い思いに休んだ。

 次の日はまた一人。だが、コルトンは軽装な武具で身を包んでいた。

 エドワードとマルシアに許可を貰い、特別に一階層一階の探索のみ許された。もっとも、この腕で深い所まで潜る気はさらさらない。

 人の手が加えられた、世界樹の根の中に築かれたアーチ型に作られた階段を降りて、香しい新緑豊かな一階に降り立つ。一人で、しかも一階に来るのは久しぶりだ。来たばかりの興奮を思い出し、出入り口近くにある切り株の上に座って懐かしさに浸る。地上より気温が低い分、快適であった。

 コルトンは採集や狩りを目的にしていない。あくまで、感覚を忘れないよう来ただけ。五階層は色々と超越しており、こことは似ても似つかず、樹海とは到底呼べないが、迷宮という単語なら当て嵌まる。むしろ、今までの自然がある場所よりも、五階層の方が一番、迷宮という言葉がしっくりする。どうしても避けられない限り、わざわざ、一階層探索組の獲物を横取りする気持ちは毛頭なかった。

 出入り口のある箇所を抜け、疎らな林を抜けると、最初よりも開けた場所に出た。鉤爪を垂らした茶色いモグラが一体、爪の手入れをしていた。気配を感じ、コルトンの方を向く。歯を剥いて威嚇されたら、コルトンはゆっくりとした足取りで元来た道を引き返した。相手に敵意は無いと知ったが、気持ちよく爪の手入れをしていたのを邪魔されて、警戒したモグラは不機嫌な様子で藪を掻き分けて行った。

 木の陰から様子を窺っていたが、モグラが大人しく去ったので、安心した。モグラは藪のある左前方へと行ったので、右の切り開かれた道を進むことにした。

 道なりに進んでいく。紫の森ネズミや、薄水色で鉄兜の大きさもある蝶々を何匹見かけたら、すぐに元来た道を引き返すなり、自分を何かの像と思い込み、直立不動の姿勢で生物が立ち去るのを待った。

 途中、隻眼のレンジャー・ヌナと出会った。モリビトとの戦いで三ヶ月もまともに腕が使えないと診断された彼だ。肩から巻かれた包帯で腕を支えていた。歳もそれなりに近いので、コルトンは呼び捨てている。

 

「よう、ヌナ」

「コルトンか。お前も俺と同じ動機で来たな」

 

 ヌナはコルトンの腕を一瞥して言った。

 

「ああ、そうだ。勘を鈍らせないためにな」

 ヌナはふんと皮肉っぽく鼻を鳴らした。「二週間がなんだ! 俺なんか三ヶ月……いや、もう一ヶ月近く経つか。嬉しいことに、礼儀よく療養していたので、期間は短くなったが、まだ最低でも一ヶ月は弓を握れそうにない。他の連中が先々行っているのに、情けないもんだ!」

 

 ヌナもそこまで愚かではない。大声で何かを話していたら、パーティ内の者にしか語りたくない情報や秘密をうっかり漏らしたり、怪物共に余計な刺激を与えてしまう。

 互いに語り合うこともなく、じゃあなと、最後はちらと視線を合わせたら、通り過ぎた。

 コルトンは段々と例の鬼門。一階にある花畑へと近づいて行った。ここでは、稀に下の階で見かける怪物が出現する。結構前にエドワードから聞いた話では、三階層に出現する赤熊も出現したらしい。といっても、そんなのは本当にごく稀で、大半は一階層で拝められる顔で占めていた。

 何故、鬼門と呼ばれるのかというと、ここで多くの冒険者が倒れたからに他ならない。まだまだ、冒険者への規約が整えられてなかった時代、ベテラン冒険者たちの暗黙のルールで、将来性のある生意気な新米冒険者たちの試験と称し、花畑へ行くよう命じ、樹海生物に殺させる恐ろしい手口が存在した。

 今では、花畑へは滅多に誰も近寄ろうとしない。しかし、人が寄り付かない分、一階にある採集ポイントでは希少な物が合ったりするので、手っ取り早く名誉や金が欲しい新米が命を落としたり、重傷を負う事例が後を絶たない。

 花畑へ入る道はちょうど、花畑へ人が入るのを拒むように太い木々と密集した藪があり、真っ直ぐには突き進めない。コルトンはそっと、木の間から花畑の様子を見た。成長した淡い花々に交じり、いやにでかく、左右にゆったりと何もない空間で開閉する紫色の物体。ここより一つ下の階にいる毒蝶だった。

 他からも様子を見るが、三匹の毒蝶以外の姿は見当たらない。

 コルトンは冒険ではなく挑戦することにした。あの三匹の毒蝶に挑もう。勝っても逃げても、戦い方を馴染ませることができれば良かった。負けの選択肢は無い。三匹に負けることは即ち、自分の死だ。

 足音を立てないよう、慎重に歩む。時々、毒蝶は飛ぶが、体勢を変えたり、別の花蜜を吸うための移動に過ぎない。気付かれた様子は無い。と、一匹が少々高く飛ぶ。棍棒を下ろせる姿勢で動きを止める。

 いつでも、逃げるなり、攻撃する準備はできている。毒蝶はコルトンの一歩手前の花に留まる。二匹から少々離れているが、一匹でも片すのが先決。コルトンは棘が彫られた木製の棍棒を毒蝶へ目がけて叩きつけた。毒蝶は気付く間もなく、棍棒で叩き潰された。同時に毒蝶二匹は敵の存在を感知した。

 毒蝶が飛び立つ。羽根の裏表にあるぐるぐる渦を巻いた目玉模様が忙しなくコルトンを睨む。

 コルトンは棍棒を投げ付けた。命中は期待してない。注意が逸れてくれればいい。二匹が棍棒に気を取られた間に剣を抜き払う。棍棒は木に跳ね返って落ちた。

 いつもより軽い剣である。これなら、片手でも戦える。

 二匹の毒蝶は間合いを詰めて、毒粉を撒き散らした。コルトンは大きく三歩後退して、毒粉から逃れた。コルトンは息を止めると、右腕の籠手で顔を隠して蝶二匹に突っ込んだ。二匹は慌てて樹上に逃れたが、右の毒蝶は太い腹を貫かれた。ばたつく毒蝶を剣ごと地面に叩き付けたら、鉄具足で体を踏み潰した。

 残る一匹はばたばたと急降下してきた。コルトンは地面に向けていた切っ先を返す刀で上へと力一杯切りつけた。切っ先は毒蝶の体を斜めに切った。コルトンは後ろに飛び退くと、動きが鈍った毒蝶へ止めを差した。

 深く息を吐き、吸い込む。片腕で戦うのは予想よりきつかった。行動パターンが大体分かっている相手でも、両手の時と比べて、遥かに苦戦を強いられた。万全だったら、大盾と剣を以てして、この三匹をもっと楽に片付けられたと断言したい。

 思い付きの挑戦は成功した。長居は無用だ。コルトンは毒蝶三匹との戦いを最後に、探索を切り上げることにした。一方、五人組の方はといえば。やや得をする程度の収入を得ただけで、目立った発見は無いとのこと。

 さすがに、毎日潜るのは体に良くないとコルトン本人も自覚しており、次の日は大人しく待機し、十日目にまた軽く探索に出かけたら、二日は休んだ。もっとも、その二日の内、一日半はパーティ全体で休んだ。

 十四日目。短いようで長かった療養生活最後の日。コルトンはもう問題ないような気がしたが、マルシアに、今日一日も絶対に左腕を無理に動かしたりしないでねと怖い笑顔で注意された。一応、軽い探索なら認められた。最後の調整も兼ねて、コルトンはある二人組に同行させてくれと頼んだ。

 

「構いませんよ。なっ、フィリ」

 

 ダルメオに言われて、フィリは笑顔で応じた。トゥー&スリー。男の双子二人と女三つ子という、非常に珍しい組み合わせで有名なパーティだった。第四階層でモリビトとの共同戦線にて、マンティコアなるあの獣のせいで、三つ子は二人死に、双子は片割れである弟と失った。

 今や、長男であるバード・ダジリオと侍女のソードマン・フィリしかいない。二人も当然、第五階層の時軸を通っていた。だが、この先どうするか迷っていた。二人は一先ず、行ける所まで行き、そこから新たにメンバーを募集するか。あるいは、引退をするか。二択を迫られていた。

 この二人は冒険者同士の間柄ではない。コルトン以外にも気付く者がいた。同年齢の者たちと比べても、二人の貯蓄はかなりある。実質、故郷を捨てた自分がとやかく言える立場ではないが、故郷に帰るか。技能を生かして職を持ち、エトリアに戸籍登録して、一般人として暮らす。二人にはもう、そうした生活をした方が良いと思えた。

 お主らは若く、道がある。わしぐらいになれば、引き返せん。ようく考えてくれ。コルトンより大先輩のゲンエモンは、躊躇わずに二人にこう言ったが、二人はもうしばらくと濁した。

 ダルメオとフィリは女将の依頼を受けていた。昨日、愛犬が逃げて、追いかけたら、内壁門扉の隙間を縫って、迷宮へと行ってしまった。飼い主は早速、金鹿の酒場へと駆けこむ。二人はたまたま酒場に居たのだが、成り行きで女将と飼い主は愛犬捜索を依頼した。飼い主は酒場にエール酒を卸す仕事を請け負う一人らしく、そういった繋がりもあって、女将は目の前にいた腕の良い二人に頼んだのだ。

 エトリアに住んでいるだけあって、迷宮事情は他国人よりも詳しい飼い主は、三日経っても見つからなければ、死んだものとして諦めるといった。

 今日はその捜索日一日目になる。因みに、彼ら二人だけではなく、他の一階層探索組にも情報は伝わった。人の手は多い方が良いと、飼い主が犬を見つけたら、七百エンを提供すると約束したのだ。一階層組には、七百エンは大金に等しい。目の色を変えて、冒険者が殺到した。

 ダルメオとフィリは直接頼まれた手前、もう断る訳にもいかず、犬の捜索に出ることにした。コルトンの同行を許したのも、気心が知れた相手でもあるが、仮に犬を見つけても、報酬を分ける段階で穏便に事を済ませられる。

 コルトンが加わって、三人の犬捜査班が樹海に下りた。階段を下りる前から、あちこちで犬の名前が叫ばれているのが聞こえた。

 コロポチー! 出ておいでコロポチちゃーん! 美味しい餌があるよコロポチ!

 緊急事態以外では、無駄な大声ご法度の地下迷宮でこんなにも堂々と人々が声を張り上げる日が来るとは思わなかった。深い層なら大物を呼び寄せて危険極まりないが、浅い階でそこまで強いのがいないためか、樹海生物たちはすごすごとうるさく叫ぶ連中から離れていた。

 それにしても、コロポチとは変な名前だ。コロかポチと呼んだほうがいいのでは?

 一階層組の収入源を奪う真似は控えたほうが良いと思い、三人は真剣に探さなかった。一階で全く樹海生物と出くわさなかった。二階はどうなっているのだろうと、二階にも降りてみた。一階より少ないが、こちらも中々に盛況。コロポチの名がしつこく叫ばれていた。

 適当に進んでみたが、やはり、遭遇しなかった。

 

「こんな日もあるか」

 

 半ば呆れるも、コルトンは楽しげに二人に笑いかけた。

 人々が恐怖もなく、自分の中で楽しそうに徘徊しているのが世界樹の怒りに触れたのだろうか。それとも、単にうるさすぎて、良からぬ者を呼び覚ましてしまったのか。

 遠くから途切れ途切れに悲鳴が聞こえ、森の北東が騒がしい。

 

「やばいのを呼び覚ましちゃったかしら?」とフィリ。

 

 やがて、疎らな木立から樹海生物たちが出現した。三人は戦闘態勢を整えた。樹海生物の群れはどんどん近寄ってくる。人間のうるささに耐えかねて、切れて出て来たか?

 だが、樹海生物たちは三人を無視して、西の方角へと去って行く。三人は身構えたまま、群れが去るのを待った。樹海生物の次は、一階層組の冒険者たちが登場した。皆、一様に青ざめた顔をしていた。

 

「こりゃ、やばいぜ。やっぱ、こんなにどかどかと大人数で声上げるのは不味かった。今ならまだ間に合う。犬っころなんざ放っておいて、逃げよう」

 

 一人の言ったことに全員、同意した。七百エンは欲しいが、命あっての物種。それでも、三組ほどは残って探索を続けると言う。

 しかし、すぐにこの三組も捜索を打ち切ることになる。足音がして、次いで、四人の男の声がした。同じく、北東から。今度はなんだ? 四人が何を言っているか判明した時、二階に居た者たちは満場一致で犬捜索の切り上げを決めた。

 

「きょきょ巨人だ! ばかでかいににに人間が! ごつごつした巨人が出たぁ!」

 

 何かが響く。地震ではない、一瞬の揺れ。それが継続して続く。嬉々とした捜索の声と打って変わって、やばいでか物が現れたぞと喚起が叫ばれた。継続的な揺れは続く。一階へ続く階段では、冒険者たちが泡を食ったように我先にと逃げていた。

 コルトン、ダジリオとフィリの三人はしんがりを務める形で最後に逃げた。揺れはしていたが、どうもこちらに寄ってくる気がしない。とにもかくにも、三人は駆けあがる。その三人の後を追う存在がいた。一階の者たちと合流。やれやれと首を左右に振る。一人があっと、コルトンを指した。正確には、コルトンの後ろだ。三人は咄嗟に跳躍しながら振り返ったら、その存在を見て、拍子抜けした。よくいる中型犬ではないか。ひょっとしなくても、かのコロポチであろう。

 コロポチに詰め寄る一階層組を余所に、三人はとっとと上を戻り、状況を報告しようとした。くぅんと哀れっぽく鳴くコロポチ。ある意味この騒ぎの元を作った犬に対し、コルトンは思わずざまあみろと言った。

 地上へと帰還した時、おいと呼び止められた。ひげ面の逞しい男。二階層で通称”軍隊バチ”が落とす蜜や花粉を対象に、軍隊バチの狩りを行う、軍隊バチ狩りと二階層のプロフェッショナルといっても過言ではない冒険者パスカルだ。隣にはヌナがいる。

 

「おい、お前ら。残りの連中はどうした?」

 

 コルトンが手短に説明すると、呆れた表情でパスカルは舌打ちし、ヌナはけつの青い糞ガキ共がと切れた。

 

「そんな奴ら、巨人とやらに叩き潰されちまえばいい」

 

 切れるヌナをパスカルが窘めた。パスカルは深刻な顔つきをしている。どうも、一階層の巨人騒動とは別の問題と直面したようだ。

 

 

「何が起きた?」

「歌だよ、コルトン。歌を聴いたんだ」

 

 歌? コルトン、ダジリオ、フィリの三人は首を傾げた。バードのヤルヴィネンが悟りを開いて歌ったのかと聞いたら、そんなわけあるかアホウと返された。

 

「とにかく、会う奴にいちいち伝えるより、もっと大勢が集まった状態で伝えた方が良いと判断した。お前は自分のパーティに伝えてくれ。ダジリオ、フィリ。すまんが頼み事を聞いてくれ」

 はいと二人は頷いた。

「ダジリオは他の面子を見かけたら、二階層に行くなと伝えてくれ。ついでに、夜に金鹿の酒場に来てくれとも。来るのは、パーティの代表だけでいい。フィリはサクヤ女将さんに、今日は冒険者で貸し切らせてくれないかと言伝を伝えてくれ」

 

 尊敬できる先輩の頼みとあり、ダジリオとフィリはパスカルの伝言を持って、街へと戻る。俺の整理が付くまで時間をくれとパスカルは言う。彼の表情は暗い。

 

「一つ言えるのは、姿は見えなかった。そして、綺麗な歌だった。ヤルヴィネンやバジリオ、お前らんところのジャンベよりもずっと。だけど、俺にはあれほど綺麗で美しく、禍々しさに充ちた歌はないと思えたね」

 

 二階層に関して言えば、パスカルら四人のキャリアはゲンエモンを越える。

 彼と彼のメンバーほど二階層に詳しく、恐らく、長い歳月潜ることにより、二階層の酷い環境に適した強い肉体を持つ者たちはいないと思える。本当なら、素の実力で四階層に行けるのに、そうせず彼は完全に金稼ぎを目的に二階層に入り浸っている。だから、二階層での危険を知り尽くした彼がここまで怯えるとは、一体どれほど力ある悪魔が現れたのだ。

 大分して、エドワードたちが帰還した。宿に着いた五人に、コルトンはパスカルから重要な話があるとエドワードに伝えた。コルトンもまた、自分から語れる話があると言った。

 

「あんたの顔付きからして、良からぬ報せのようだな。だが、俺たちが持ち帰ったのは朗報だ。驚くと思うぞ。これは、多分だけど、ゲンエモンさんから聞かねば分からないことだ」

 

 ゲンエモンから聞かねば分からない事とは何だろう。どうも、判別し難いことが連続して起きている。一つは朗報だと確定しているからまだしも、後の二つは良くない報せ。

 地下大戦での傷も完全には癒えてないのに、エトリアにまた、新しい嵐が到来しそうだ。果たして、今回の嵐は、来るかもしれないかのエトゥ王賊連合を上回るか。地下世界の巨人、美しくも禍々しいという謎の歌。これこそ、冒険物におけるセオリーがようやく登場したようであり、緊張の面持ちで身震いするも、聞けるのをエドワードとコルトンは楽しみにしていた。

 


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