世界樹の迷宮 光求めし者達   作:鞍馬山のカブトムシ

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二二話.会合

 今宵は月明かりもなく、薄靄がかったような曇り空のせいでいつもより暗い夜道だというのに、真昼のような灯りと人々の賑わいを催す金鹿の酒場に着いた。

 夜にも関わらず、人で混雑し、テラスの席も殆ど埋まりかけている。座れなくてもいい、とにもかくにも話を聞けさえすればそれでいいと思い、コルトンとエドワードは入店をした。ちらりと、ゲンエモンが見えた。

 入ってすぐ左側の卓に座る顔馴染みである戦う医師オルドリッチにおいと声をかけられた。オルドリッチと同席するのは、コルトンと同じく元傭兵であり、ゲンエモンら侍とどことなく顔が似ていて、東にある日差しが強い険しい山岳に阻まれた国出身だという黒ひげを蓄えたヴァロジャが腕を組んで鎮座していた。冒険者やエトリア住民込みで数えても、彼の背を上回るのはいない。恐らく、二二〇もある巨人に大きな盾を構えられて、槍や斧を向けられたら、並大抵の者は当然、彼より小さな樹海生物ですら戦う前に怯えて逃げてしまう。

 一方、彼と比べて、オルドリッチの小さく見えること。背はそんなに低くないが優男風な人相もあり、彼の小ささとヴァロジャの巨体さがより一層比較されているが、不思議なことに、並んで座っている二人の絵は調和していた。さながら、悪党とそれを守る用心棒。知恵と力、足りない部分を互いに補い合う奇妙な幼馴染み同士に見えないこともない。

 ヴァロジャが入店した二人をそれぞれぎろりと一瞥した。見かけどおり、相当な膂力を誇るヴァロジャだが、暇潰しにやった腕相撲で何度か負けたことがある。勝敗はヴァロジャがやや優勢だが、エトリアに来てから、自分の怪力を打ち負かす者たちが何人もいるとは思いも寄らなかった。

 

「まあまあ、そう気張らずに座れ」

 

 オルドリッチは手をひらひらさせて、へらへらとした笑顔で座るよう促した。ヴァロジャに鋭く一瞥されて、思わず身を引き締めていたエドワードとコルトンは肩の力を抜き、数少ない席に座れた。

 宿も違う二人であるが、探索中にオルドリッチらが毒で身動き取れないヴァロジャ一味を助けた事があった。それ以来、友情とは呼べなくても、オルドリッチとヴァロジャの間には縁ができた。こんな威圧感溢れる巨漢に陣取られて、若い冒険者のリーダーたちの中で同席させて下さいと言える者はいなかったようだ。

 エドワードとコルトンが来て、ちらほらと数人が遅れて到着したとき、パスカルが混雑に負けないぐらいの大声を張り上げた。彼はカウンターの内側にいた。右腕を掲げるように挙げて、何故、集めたんだという余計な意見を制した。

 

「皆集まってくれてありがとう。本当なら、もっと勿体ぶった感じにお喋りして、場を盛り上げたいところだが、残念ながら今回はなしだ」

 

 そういう語り口の時点で既に無駄ではと何人か内心思い、口に出す者もちらほらいた。パスカルはわかったわかったと手の平をひらひらさせた。

 

「単刀直入に言おう。七階の毒沼中心部には絶対近づくな」

 

 そこから、パスカルは重々しく言葉を続けた。パスカルの目には、未知に対する好奇心はなく、恐れと疑問が浮かんでいた。

 

「俺は身震いした。これまで、幾度となく危険と隣り合わせで生きてきた。女王バチがいる軍隊バチの巣にも突っ込んだ。ケルヌンノスの傍を数回、通ったこともある。だが、あれは、そういう危険を遥かに越えていた。あの歌は美しかった。ぜひ聴かせたいぐらいだ。声質からして、女っぽい歌声だった。だが、俺の今までの経験と勘が激しくざわついた。もしも、このざわつきに従わなければ、俺は多分、こうして酒場で皆に語ることもできなかった。俺の勘はこう告げていた。死ぬと。歌に誘われて行けば、確実な死が待っていると俺の勘が何故かそう告げていた」

「正体は確かめたのか?」とゲンエモン。

「残念ながら、確かめる余裕はなかった。俺はダマラスたちを引っぱたいて、すぐに六階へと逃げた。美しい歌を聞いて、逃げる必要あるのかと思う奴もいるだろう。だがな、六階へと無事逃げおおせたとき、俺は汗をかいていた。暑くてかいた汗じゃねえ、冷や汗だ。あのときの汗は間違いなく、命の危機から逃げ果せた時に流れ落ちた汗だった」

 

 ゲンエモンは頃合を見て、疑問を投げかけた。

 

「気になっておったのだが、パスカルよ。さっきから聞いておれば、お主、歌は美しいや聴かせたいなど、まるで、もう一度、聴いてみたいような話しぶりではないか」

 

 確かにと顔を合わせる者もいた。パスカルは恐ろしいと言いながら、どこかその目はうっとりしていた。パスカルは重々しく頷いた。

 

「そうだよ、ゲンさん。俺たちは歌をもう一度、聴きたいと思ってしまった。だけど駄目だ、駄目なんだ。少しでも、歌に気を許したが最後、今度こそ俺たちは」

 

 パスカルは言葉を切り、自らの爪を噛み、落ち着かなさそうに足を二度、踏み鳴らして世界樹がある方向を少し見やった。その様子は、快楽を得る代償として常に薬を打たなければならないのに、わざと薬を打つ時間をずらして、打った時の快感をより一層得ようとする麻薬中毒者に見えた。

 パスカルの実力は知れている。彼が仲間と軍隊バチ以外の存在に虜になりかけているとは、にわかには信じがたいが、彼の今の有り様を見たら、信じざるをえない。

 

「正体も分からん上に具体的な対処法も分からん。ただ言えるのは、心を強く保ち、他の樹海生物を呼ぶ覚悟で大声で叫ぶなり歌い返すなり、強い刺激臭のする物を持つとか、舌を噛むなり針で刺すなりすれば、気が逸れると思う。もっとも、いざあの歌を聴けば、俺が挙げたありきたりな対処法が通用するか怪しいがな。とにかく、毒沼がある七階は厳重警戒したほうがいい」

 

 パスカルの言うことはよく聞いたほうがいいとゲンエモンも念押しした。

 大声を上げる。舌を噛む。刺激臭のする物を持つ。待ち伏せや毒の粉など、頭を使ってハンティングする樹海生物の罠に陥った時の対処法の幾つか。それらが効かないとなれば、別の方法を探すしかないが、どうやって見つけるかが問題になる。

 ざわつく中、一人、ゲンエモンとパスカルの忠告に異を唱える者がいた。オルドリッチだ。

 

「忠告は確かに聞いたが、近づく近づかないまでは自由に決めていいはずだぜ」

 

 夢から覚めたように爪を噛むのを辞めて、忠告を聞いていなかったのかと不機嫌さを窺わせて、パスカルはオルドリッチを睨んだ。

 

「遅かれ早かれ、いつかは退治する必要がある。近づくのを避けて後に犠牲を出すか、今近づいて犠牲を出すか。そういう話だろ? 頭が悪い奴のためにも、もっと判りやすく言おうか? なんもわからんまま後になって犠牲出して、びびって手をこまねいた挙句に手を打つか、今犠牲を出して対処するかだ」

「お前は歌を聴いてないからそう言えるんだ」

 

 睨み合うオルドリッチとパスカルの間にゲンエモンが入り、仲裁した。

 

「二人共熱くなるな。今は我ら冒険者、引いては地上に住まうエトリアの者たちの危機にも関わる新たな二つの脅威の正体について語り合いに来ただけ。無用な論争の為に集まったのではない」

「じいさんはどうお考えで」オルドリッチはゲンエモンを見て言った。

「わしは二人の言い分、どちらにも一里あると思う。無闇に近づくのは危険なのは確かだろうが、いつかは、この中に居る者たちか居ない者たちの誰かが倒さければいけないのも事実。近づくなというのなら近づかないが、手が欲しいというのなら、その者たちに喜んで手を貸す。わしが嫌でわし以外の者の手が欲しければ、そちらに声をかければ良い」

 

 あまりにも頼りないパスカルに替わって、ゲンエモンが話を上手くまとめた。お前の意見はどうだとコルトンに見られて、エドワードは今まで閉ざしていた口を開いた。

 

「どうもこうも、二階層は二階層の探索に当たっている連中に任せればいい。ただ、敵わないようなら、手を貸してやる。だが、相当犠牲を払ってからでないと助けの声は来ないだろうな」

 

 コルトンはこくりと首肯した。ある程度の階層に辿り着けたら、いらぬ誇りや自信がどうしても出てしまう。今もたまに、自分がとんでもなく凄いと思ってしまう時がある。戒めていてもだ。二階層を探索している者たちが他の階層を探索している者たちに助けを求めるとしたら、多くの犠牲を出していることだろう。自らの手で危険を切り開いてこそ、価値がある。望む望まざるに関わらず、付加価値として名誉や金も自然と付いてくる。それらの取り分を喜んで、他人と分け合うのは難しい。親しい者とつるんで潜り合う、個を尊重する冒険者となれば尚更だ。

 俺から話せるのはここまでだと、パスカルはカウンターから出た。お次は一階層に出現した巨人の話。

 巨人を見たという話は一階層の探索者たちが多く語ってくれた。コルトン、ダルメオとフィリも証言した。地上でも揺れを僅かに揺れを感じた者たちが多くいたらしく、パスカルの語る謎の歌姫の話よりも信憑性があり、脅威に感じられた。

 しかし、実際に見た者はそんなにいなくて、大きさもまちまち。成長した樹よりでかいと語る者もいれば、天井をこすりそうなほど巨大だったと語る者もいた。断定するのは良くないが、少なく見積もっても、天井をこするほどの大きさはないと判断したが、一階層にある成長した樹を上回る大きさの可能性はあった。二体の怪物の出現に一、二階層の冒険者たちは通夜に行く人のような顔を見せたが、深層の冒険者たちはそこまで興身が無さそうだった。上の問題は上が片付ければいいと考えていた。

 今がタイミングだと、女将がどこからともなく現れて、にっこりと一同に微笑んでみせた。

 

「皆さん、そんなに堅苦しくしていてたら、明日の冒険に差し支えますよ。一つ、リラックスしていきませんか? 今日はちょっとサービスもお付けしておくわ」

 

 重い微妙な空気が薄れ、集まった者たちはにわかに活気づいた。女将はいつもと変わらず胸もとが開いた服を着て、目元や口紅にのみ薄らと化粧をして、寂しさが同居した瞳からくるたおやかな笑みは男たちの心をほぐし、女たちには女性の魅力という物を思い出させた。

 物はついでと、エドワードとコルトンも林檎をこしたジュースを一杯だけ飲んだ。同席のオルドリッチとヴァロジャは料理を注文していた。初めから、二人は食事を取りに来るのも目的であった。とっととジュースを飲み干したら、こっそりと女将の目を盗んで退席した。彼女に目を付けられたら、更に頼んでしまいそうな気がしたからだ。

 夜道を行きながら、コルトンは顔をにやけさせて話しかけた。暗くて、エドワードにはコルトンの表情は読み辛かった。

 

「女将さんのことをどう思う?」

「親切で優しい人だな。真偽はわからんが、大分前に旦那さんが亡くなったとは聞くし、良い貰い手が見つかればいいな」

 コルトンはそうではないと首を振る。「わからんのかお前は?」

「わかるさ。あの人を女と見て抱きたいかという話だろ? 残念ながら、俺はもうしばらく嫁を貰う気はないし、その暇もない。一族がもっと安定した生活ができるようになれば、その時にでも嫁を貰うさ。四十になって始めての者もいれば、大昔、一夫多妻の時代には五十で三人目の嫁さんを貰う奴もいた。心底、欲求不満が抑えられなければ、港の売女でも買って発散すればいい」

 

 コルトンは周囲を見回した。アクリヴぃやマルシアはいない。

 彼らは別の意味で遊びに行く日が一年に一回か二回ある。もっとも、そこに行ってもロディムは手をこまねいているだけ。エドワードは裏に通じる連中と知り合うのが一番の目的であり、その手の女には関心が薄く、横に(はべ)らせても、飲食物を注がせるだけで触れることも滅多にない。経験があるのはコルトンぐらいのもの。傭兵時代にも、商売目的で来た行商人たちにそういう女たちが混ざっていれば、少なからず買った経験がある。戦場に身を投じたら、その手の行為は一切しなかったが。こんなことを自慢してもなんの意味ないだろうが、仲間内で経験があるなしで自分にだけ語れる物があるのは密かに喜ばしかった。

 ジャンベを連れて行くかで話し合ったこともある。純粋なジャンベには早すぎるし、これからも連れて行かない方が良い気がしていた。

 

「明日からは女の尻を撫で回す余裕が無いぐらい、あんたには大盾を持って働いてもらうぞ」

「ほどほどにな」

 

 そう言って、コルトンはばしりと背中を叩かれた。

 

 

 

 リハビリがてらに翌日、三階層に潜った。八月も間近。真夏で暑い地上とは異なり、三階層はひんやりと涼しかった。コルトンを先頭に一行は、適当にふらふらと当て所なくさまよい、出会って向かってくるものあらば、撃退した。一体なら、近づく前にコルトンの大盾で弾き返されるなり、剣で弾き飛ばされるなりされた。一階層とは比べ物にならな三階層の探索は、いやがおうにもコルトンの鈍りかけていた闘争本能と勘を一日で取り戻した。

 迫る鎧を身にまとう黒アリ三匹の一匹は矢で貫かれ、一匹はコルトンが盾でえいやと頭が千切れるほど強く殴りつけ、最後のは斧で上半身と下半身を切り分けられた所をコルトンの戦槌で頭をぱっくりとやられた。

 戦いっぷりを見て、コルトンが錆び付いてないのを知り、五人は一安心した。

 

「その調子なら大丈夫だろう」

 

 エドワードが何やら含んだ笑みを見せた。目尻は下がっているが、口元は微笑んでない。

 嫌な予感がして、コルトンは少し不安になった。不安になったのはコルトンだけではない、他のメンバーもだ。父との約束で一度は滅んだ一族を復興させる為とはいえ、わざわざこんな離れた地まで来たり、ジャンベをいきなり連れて来たり、最近だとモリビトと手を組むといった時として冷静に考えた末での行動とは思えない事をする。

 回数自体は数えられる物だが、中身がどれもこれも嫌でも印象に残ってしまう出来事なので、今回もまた、そういったことを企んでいるのかと思った。

 

「案ずるな。シリカ商店から金鹿の酒場への依頼だ。獲物を一体、仕留めればいい」

「獲物とは何ですか一体?」とジャンベ。

「竜骨だ」

 

 マルシアはあらあらと言い、それ以外の者は目を見開いた。最近、到達したばかりの五階層に潜む、白い骨を体に張り付けたかのような変わった風体の白い地竜。どこぞのパーティが気取ったのか、”死を呼ぶ竜骨”と呼ぶ者もいるが、長ったらしいので呼び名は以前と同じく地竜、竜骨とでも略している。

 到達したばかりのパーティが瞬時に全滅した光景を目撃されて以来、地竜の強さと狂暴性が伝わり、滅多なことではこちらから挑もうという者はいない。しかし、彼らは別である。偶然だが、彼らは一応、倒したことがある。コルトンは聞いた。

 

「儲かるのか」

「以前、モリビトとの戦いで緋緋金の地竜の一部を頂いたよな。あれから作られた武具の値段は、さすがの俺も目玉が飛び出しそうになったよ」

 

 シリカ商店など世界樹採集物の販売加工を行う五店では、店にもよるがべらぼうに高い値段を設定された。侍が着る鎧具足一式合わせて十五万エン以上、緋緋金でできた武器にも驚くほど高い値段が付いた。

 

「緋緋金ほどの価値はないが、地竜の使えそうな部分を上手く持ってきてたら、謝礼込みで一万払ってもいいそうだ」

 

 一万と聞いて、また見開いた。

 

「俺からの復帰祝いだ」エドワードは楽しげに言った。

 反して、コルトンは口を真一文字に結び、目をぎらつかせた。

「やってくれるぜ全く。大した復帰祝いだ。そんなに俺を早死にさせたいのか?」

「嫌ならちょうど五人になるから、それで行く」

「そういうときは嘘でもいいから、お前が必要なんだと言うもんだ。よし! パラディンのコルトンが大盾に賭けて誓おう。お前達を必ず、トカゲから守ってみせよう」

 

 早々に帰還し、次の日の準備を整えた。覚えている限りでは、アクリヴィの炎の術式を食らって苦しんでいたので、炎は効果があると見た。一応、ショック、フリーズオイルの瓶も一点ずつ持っていき、ファイアオイルを各自一個ずつ携帯することにした。

 エドワードは鎧通しと鎧砕きの矢をそれぞれ十本ずつの他、体に打ち込んで効果を発揮する毒矢五本、点火して毒煙を流す矢を三本準備した。毒矢の中身の半分はマルシア手製で後の半分は自前で用意した。毒矢は自分が全て持ち、他の矢は幾つかジャンベに持ってもらう。ジャンベは今回、短弓ではなくボウガンを持ってもらう。連射性は短弓と比べ劣るが、命中率と扱いやすさでは優る。

 樹海時軸を抜けて、一気に五階層へと降り立つ。三階層とは異なる空気を肌身で感じ、コルトンは全身の筋肉が改めて引き締まる思いがした。

 五階層二一階。本当は建物の何階かに位置するのだが、二つの塔が何階建てかは不明なので、五階層の二一階ということにしてある。

 二つの塔では現在、二一階に二頭。二二階にて数頭、地竜が出入りしている姿を確認された。シリカは五階層にいる地竜の話に大変興味を持ち、話を聞いているうちに頭に何かがピンと降りてきて、凄い武器を作れそうだと思い、酒場に依頼した。なんでもいいというので、樹海時軸のある塔に出没する鬱陶しいこと極まりない個体を仕留めることにした。

 真の復帰祝いが地竜退治だとは、骨が折れるどころか心の蔵が食い破れられそうだが、地竜に対する恐怖と戦いの先にある成功を手にしたときの二つの思いが重なり、体が武者震いした。ジャンベはきゅうと背筋を伸ばし、ロディムとアクリヴィは降りてから二度も入念に武装をチェックし、エドワードも一回だけ弓弦の張り具合を確かめていた。

 マルシアはいない。今回はあくまで攻撃力のみを求めた。彼女も戦いは心得ており、足手まといではないが探索ではなく純粋に戦闘をする場合、どんなに優れた医師でも治せない怪我を負わせる相手ならば連れて行くか行かないかで迷う。いざ、自分達の身に万が一のことがあれば、一番若いジャンベか、死の場面を何度か目撃している彼女が適任だと思った。彼女は医師であり、知識も豊富で容姿も良い。冒険者として引退しても、その後の人生を普通に暮らせるだけの器量と遺産はある。

 ジャンベというメンバーが入ってからは、そういう風に思われがちなのに薄々気付いているのか。私も結構、体張っているのよとアクリヴィに洩らしていた。アクリヴィはそれは話さず、自分の胸に秘めていた。

 そこらの人間の兵士より手強い樹海生物達の中でも、深層に潜む、曲がりなりにも竜の名を冠する怪物との戦いは、戦闘前から苛立ちに近いかなりの緊張をもたらした。

 以前のように、ただ倒せばいいのではないので、自分達が安全に戦えて、かつ、地竜の遺体が落っこちない場所を選ぶ必要があった。一向に開く気配がない、数字が書かれたボタンがある両開きの扉がある場所を戦地に決めた。望みは薄いが、地竜のパワーで扉をぶち破ってくれるのではないかという期待もあった。

 途中、二匹の灼熱液体生物に出くわすも、壁に寄り添いながら固くガードしていたおかげで襲われなかった。地竜の徘徊地点に近づいたら、エドワードとジャンベは忍び足で偵察に向かう。他三人は例の広場へと行く。他の怪物が襲ってくる可能性もあり、気は抜けない。人が気を使って静かに歩いているのに、馬鹿みたいに連続してずんと足音を鳴らすものあり。早速、お出ましだ。

 曲がり角からこっそりと真っ直ぐに伸びた道の様子を見たら、白っぽいトカゲ野郎が我が物顔で道の中心を闊歩していた。

 目でも鼻でもいい、五感のどれか一つを潰して有利に戦いたい。前に対峙したときは、手製ではなくシリカ商店に売っている中型の弓を使用した。今回使用するのは、お手製の張りが非常に強い長弓。硬い皮膚を貫ける威力はあると自負している。真正面からでは当然、警戒されて、頭を逸らされる可能性もあるので、危険だが曲がり角にて待ち構えることにした。

 地竜の足音が大分、近づいたと思う頃、毒矢を番えて弓を引き絞り、いつでも放てる用意をした。目測で大体の大きさは予測できた。ここからは、タイミングと勘の勝負。

 一定の距離に来たとき、ジャンベはおーいと大声を上げた。地竜の歩が止まる。更に何度もおーいと叫び、音も掻き鳴らす。自分という存在がいながら逃げずに叫び続ける者に興味を持ち、あわよくば捕えてやろうと思った地竜は曲がり角の方へと行く。

 地竜は叫んでいる相手が自分を恐れてないのかと思ったが、その相手は、避けられない時や莫大な報酬がでない限り、お前なんぞ好き好んで相手になどしてやるものかと思っていた。

 地竜が直前で止まる。叫ぶのを止めた為か。仕方なく、おいおいと連続で呼んでやる。地竜が動き出す。弓弦と筋肉の筋を限界まできりきりと引く。全てがゆっくりと動いていた。鼻先が見え、顎半分が見えてくる。口の裂け目が見えかけてくる。裂け目が見えかけるということは、目が見えるのも近い。そこで、ぱっと手放す。矢はびゅんと飛んでいき、ぬっと横面全体を見せかけた地竜の片目を貫いた。衝撃で顔が横に逸れる。

 地竜は吠えると、頭をぶんぶんと振り回し、激痛と片目を失ったショックで混乱していた。エドワードは全速力で地団駄を踏む地竜の前を通り過ぎ、地竜の見える目の方で自分の姿を見つけさせた。

 

「もう一つ貰ってくれ! 原価数百エンの手土産だ」

 

 顔を向けた地竜に瓶を投げつける。地竜はもう食らうまいと、目を閉じて顔をちょいと横に動かし、瓶を砕く。思っていた以上の動きをしてくれた。瓶の中身は鉄砲・大砲の火薬の源となる硫黄の材料、硫化水素液。ぶちまけられた毒素と凄まじい刺激臭は鼻と口にこびりつき、地竜は自らの首を絞める結果になった。

 悲鳴を上げる大口にもう一本、毒矢を打ち込む。地竜から三十メートル一気に離れ、罵声を浴びせつつ、鎧砕きを二本打つ。毒を持った相手と思われ、追いかけるのを躊躇われては困る。散々やられて、うるさく声を上げるのを止めず、大胆にも自分に攻撃を仕掛けるのを止めない相手に怒りを募らせた地竜は捕獲用に使う両手を床に叩きつけたら、一直線に突進した。

 手を振り上げる前に、エドワードはとうに先を行っていたが、地竜の歩幅は人間の十歩分もある。追いつかれてなるものかと、全速力で駆ける。馬ほどは無くても、エドワードの足は健脚。容易く追いつかれはしないが徐々に距離を詰められる。エドワードは角を曲がる。さきほどの事が頭をよぎるが、この勢いで突っ込んだほうが安全だろうと考え、走りながら角を曲がった途端、胸に硬い物が当たる。エドワードは分銅付きの矢を放ったのだ。しかし、地竜の厚い鎧のような皮膚にはびくともしなかった。

 相手にも余裕がないと悟った地竜は壁や通路に体や尻尾が当たろうとも気にせず、乱暴に追いかける。エドワードはもう一つ、例の広場へと通じる角を曲がる。地竜は相手の反撃など恐るるに足りずと判断し、角を曲がった途端、強烈な火炎が顔から上半身へかけて襲う。可燃性物質の硫化物もあり、火の勢いは以前より激しく地竜を燃やしている。

 待機していたアクリヴィが一番効果があると思われた火の術式を放ったのだ。今使用したのは、集団を相手にする拡散タイプではなく、単体を相手にするときに放つ真っ直ぐに伸びる火柱。利き手である左から放った次は、右に貯めておいたエネルギーも放つ。地竜を包む火の勢いが強まる。エドワードとアクリヴィは下がった。

 この時点で地竜は目鼻口耳、ほぼ全ての五感機能を失ったといって良かった。しかし、油断はできない。仕留めようとした時の獲物こそ、最も危険。しかし、それは承知。広場に入った地竜へとすぐさま、逃げ道に近い右側に待機していたロディムとコルトンが攻撃した。

 ロディムの長柄戦斧の戦槌が地竜の右足に叩きこまれる。見事に骨のような鱗と鱗の隙間を縫って、地竜の膝肉を裂き、骨を微かに傷付けた。立て続けに全身鎧のコルトンが突っ込み、両手で支えた剣でロディムの作った傷に剣を差し込む。人間と同じ赤い血が流れた。激昂した地竜は広場に出た瞬間、尻尾を滅茶苦茶に振り回した。既に離れていたエドワードとアクリヴィは無事だったが、接近担当のコルトンとロディムは間に合いそうにない。

 

「ロディム!!」コルトンが叫ぶ。ロディムはコルトンの後ろに隠れる。

 

 コルトンはくるりと前を向きながら、かなりの早業で大盾を構えた。そして、三回、地竜の鞭のようにしなる尻尾の先端を受け流し、自身とロディムの身を守った。地竜の足が震え始める。おまけにと、アクリヴィは火の術式を顔にお見舞いしてやった。

 地竜は吠え、踏み、尻尾を叩きつける。その度に足元が微かに揺れるが、何万年も植物の浸食から耐えている建物には大して傷を付けられてない。火が鎮火する頃、地竜は倒れた。息も絶え絶えの有り様。息もできないのに暴れたせいで、呼吸困難に陥っていた。コルトンの復帰祝いということもあり、止めはコルトンがした。暴れているうちに抜け落ちた剣を拾い、地竜の脳があると思しき箇所に剣を何度も突きたてる。皮膚が固くて、コルトンの剛腕を以てしても上手く刺さらない。コルトンはロディムの斧を貸してもらい、戦槌の部分で三回叩いた。これで、ようやく完全に息の根を止めた。

 

「終わったのですね」

 

 ひょっこりと現れたジャンベが言う。ジャンベの役目は声と音で地竜を惹き付ける。惹き付けた後、エドワードを追いかけると思う地竜の遥かに後ろを付いて行くよう指示されていた。いざとなれば、矢で戦うはずだったが、結局そうはならなかった。

 

「あんまり、僕が役だった感はしませんね」

 エドワードは否定した。

「人には役割がある。お前はお前に課された役割をきちんと果たした。そのことを誇りに思えばいい。さて、今回の功労賞は誰だと思う?」

 

 諭されたと同時に質問されて、ジャンベはえっと戸惑うも答えた。

 

「全員だと思います」

「良い答えだ。だが、俺はあえて、コルトンがそうだと言いたい」

 

 これには、コルトンが否定した。

 

「俺は大したことをしとらん」

「いや、あんたは地竜と戦う前、大盾にかけて誓ったはずだ。必ず守ってみせよう、と。その言葉どおり、運もあるが、俺たちは奇跡的に誰一人傷付かなかった」

 何かを言おうとするコルトンよりも早く、エドワードは言う。

「戦いでは弓兵は大盾持ちの守りがあってこそ、安心して戦える。俺にもパーティにも、あんたの盾は必要だコルトン。回りくどい言い回しはもうよそう。お帰り、コルトン。我らがパラディンよ。あんたが帰ってきたとなれば、俺は安心して弓を射れるよ」

 

 エドワードは微かに微笑でいるような表情でコルトンの肩当てを掴んだ。コルトンもエドワードの肩を掴み返した。

 

「近づく奴は俺に任せろ。離れた敵や後ろの敵はこれからも、あんたに任す。速足が要る時もな」

「俺の方が仕事多くないか?」

「リーダーだろ。小さい規模でも、人の上に立つとなれば当たり前だ」

 

 そうして、二人は怪物共よ襲いたければ襲ってこいと言わんばかりに笑った。アクリヴィ、ロディム、ジャンベは二人と地竜を見やりながら、自然と相好を崩してた。年長者であり、ホープマンズのメンバーで限定すれば最も古い付き合いであり、頼りないような頼りがいがあるようなパラディンの大男が復帰した事実。狂暴な地竜相手にほぼ無傷で勝利した奇跡的な事実。どうも曖昧としていた二つの事実がやっと、現実の物だと認識できた時の喜びはひとしお大きかった。 

 喜んでばかりもいられない。また、変なでか物や騒ぎが一段落したところを狙ってくる樹海生物が来る前に、地竜から取れる物は取っておくことにした。鱗を幾つか削ぎ、肉を落とし、緋緋金の地竜と同じく肋骨部分を取り出しにかかる。巨体だけあって、取り出すのも一苦労であり、地竜の肋骨は剣のように所々逆立っているので、作業の手は滞った。肉汁で全身を汚しながら、肉を削り出していく。

 途中、別のパーティが通ったので、今取り出そうしている肋骨以外は好きに持って行って良いのを条件に、作業に強力してもらう。屈強な男六人と女一人の手で効率ははかどり、仕留める時にかかった何倍もの時間をかけて、大木並みに太い肋骨を取り出せた。作業中、近寄るものあらば、ジャンベがギターを響かせて、それでも退かなければ、アクリヴィの術式と男性カースメーカーの呪術で追っ払った。

 人二人を覆ってしまう大きさの肋骨である。鳥のように前面は丸っこい。コルトンとロディムの二人が重点を持ち、エドワードとジャンベは支点部分と思う箇所を支えた。帰りは急いで樹海時軸に向かう。なんせ、全身あちこち肉汁と血の匂いがこびりつき、寄ってきてくださいと言っているもんな状態。先頭のアクリヴィは腰に付けた鈴を鳴らして先行し、いてもいなくても、雷と吹雪の術式を何度も撃って露払いした。

 時軸のある部屋まで間近に迫った時、鉤爪モグラ数頭と青ウサギ二頭、灼熱の液体生物が四匹も後を追って来ていた。

 アクリヴィは背後に回ると、茨状に拡散する雷の術式を繰り出して足止めをした。その間に四人は時軸に飛び込み、続いてアクリヴィも行った。これから、樹海時軸から別の階層へと行こうとした冒険者たちは、時軸を通って帰還してきた五人と巨大な汚れた骨を見て、思わず後ずさった。

 息を切らしながら、エドワードは立ち上がった。

 

「すまないが、内壁近くまで運ぶのを手伝ってくれないか?」

 

 時軸から早く退いてもらう必要もあり、やれやれと、何人かが手伝ってくれた。内壁まで運んだら、今度は彼らのみで運び出す番だった。汚れた冒険者を見るのはさして珍しくないが、大きな骨を担いでいる冒険者はあまりお目にかかれないので、じろじろと見られた。残念ながら、手伝おうという者はいなかった。

 仕留めた後の気持ちはどこへやら、コルトンはこの辛い作業を何も考えないようにしていたが、一言言わざるを得なかった。

 

「これが復帰祝いだって!? とんだ重労働だな。倒した後のことは考えてなかったのか」

「多少はな」

 

 濁した言い方をされた。口を開くだけで余計に疲れるので、その後は喋らず、黙々とシリカ商店を目指した。とはいえ、なんだかんだ報酬の事を思うと若干、浮き足立っていた。だけど、それはそれ。これはこれ。普通に乾杯でもしてくれたほうが良かったかもしれない。

 歩いている時、時折り、地面が揺れているように思えた。もしも、もっと周りの市民を見ていれば、一様に動揺しているのに気付いたはずだが、細心の注意は抱えている物に向けられており、エトリア市民をのんびり見ている暇は無かった。

 


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