世界樹の迷宮 光求めし者達   作:鞍馬山のカブトムシ

26 / 43
二四話.再会

 もしもだ。巨人討伐の報酬がこれだというのなら、地下大戦で奇跡的に帰還したのを除けば、今までの冒険の中でも最高で最上級の発見であり、見返りだと胸を張って言える自信がある。神や精霊の類は信じてない。だが、戦火から逃れて山中を彷徨う中で出会った狼を思い出した。狼は自分を見つめただけで、襲おうという気配は無かった。その後、無事に下山できた。あれが先祖の霊の導きによるものであるならば、きっと、今回も人の眼には見えない見えざる者たちの力が働いたのかもしれない。

 屋外。エトリアにある壁の外側へと通じる門を出て近い所で、六人の男女がいた。

 一人は杖を携えた老婆。一人は女性。一人は男。一人は判別し難い。後の二人は子供。各人、長旅の荷物を背負っていた。二頭の足が太い農耕馬と天幕付きの荷車もあった。

 一人は金髪。世の中の出来事に憂んだ瞳と生きる渇望が宿る、複雑な眼差しの女性。女性は薄茶のマントを羽織る四、五歳と思われる子供の手をしっかりと握りしめていた。一人はややくすんだ色合いな茶髪の男。肌は日光に照らされて焼けており、体格は良さそうだが、武芸に秀でてる訳ではなさそうである。金髪の女と子供、エドワードをちらちらと見比べていた。

 一人は真っ直ぐに長い青髪を下ろした者。男にも見えるが、女にも見える。太刀を携えて、侍が着る袴と呼ぶ着物を着ているのを見る限り、ゲンエモンと同じブシドーの者と思える。眼は自分や金髪の女よりも、黒味がかった青色。額にある古い刀傷が目立つ。隙が無く、いつなんどきでも刀を抜いて対処できそう。相当な部芸達者とお目見えした。

 侍はエドワードを一瞥した。切れ長の鋭い眼差し。エドワードは思わず身構えた。殺気が感じられたからだ。エドワードは侍を用心することにした。

 一人は赤毛の少女と思しき者だが、真っ黒いフードをすっぽりと頭から被り、身体にはカースメーカー特有の銀の鎖と鈴を胸元に下げている。僅かに覗かせる顔からと体つきから少女であるはず。

 老婆と女性は言わずもがな。エドワードは男の正体は何となく察しがついていたが、赤毛の少女とあの侍の存在がいまいちわからない。

 そして、もう一人。白髪交じりの女性。記憶にある顔より更に老けてみえる。苦労の連続の末に刻まれた皺から、すっかり実年齢以上に老けてしまったのが見て取れる。杖を携えてはいるが、背筋はしっかりと伸びていて、眼差しには光が失われてなかった。

 門外に居る者たちはエドワードの姿を認めて、歩み寄ろうとしたが、立ち止まった。男は早く行こうと身振りで示したが、女と老婆はどこか躊躇っていた。少女と侍は我関せずといった感じ。本に書かれる物語の多くでは、こういう場面の時、真っ先にどちらかを抱きしめて涙を流すものらしいが、自らがその場面に立ち寄ると、そうでもない。互いにかける言葉を探していた。

 まずは自分からだろと思い、エドワードは話しかけた。

 

「何故、こられたのですか?」

 

 しまったと口を閉ざす。これでは、来たことが迷惑だと言っているように聞こえる。考えた末に発した言葉とは違う事を言ってしまい、少々、気不味い。相手もえっと、顔をした。

 

「失礼。言葉を間違えました。柄にもなく緊張しているようでして」

 老婆が答えた。

「こちらこそ、いきなり訪ねて申し訳ございません。ところで。そろそろ、このような堅苦しい他人行儀は止めにしませんか? かくいう私もあなた同様、柄にもなく緊張しなくていいことで固くなっておりますが」

 

 老婆は何とか笑みを浮かべると、エドワードを改めて見て、「息子よ」と呟いた。

「ありがちなことしか言えないけど、よくぞまあ、あの生意気な武芸者気取りの子が……。ここまで、大人としても戦士としても立派に育つとは。嬉しい限りです」

「ご健在そうでなによりです、エウドラ母さん」

 

 エドワードも微かに口元を緩めた。杖こそ突いているが、母エウドラは昔と変わらない。優しくて気丈だ。エドワードは女の隣にいる男に挙手をしてみた。

 

「そして、あなたはフェドラの夫で、フェドラが手を繋いでいるのは……甥っ子になるかな」

 男は何度か頷くいたら、微かに微笑んだ。

「ええ、そうです。ヴァンと申します。ですが、あなたより少し年下なので、そんな畏まった風にしないでください」

 

 人の好さそうな笑顔である。良い家族、良い領主が居る土地の下で産まれたのだろう。男はほらと、女。妹のフェドラの横に回り、背中を押した「君も挨拶しなよ」

 十年以上の歳月が過ぎたのだ。外見は当然として、フェドラは昔より暗くなった気がする。無理もない。戦争に巻き込まれて、自分の知らない十年の月日で相当な苦労をしたのだろう。母も明るく振る舞っているが、深く刻まれた皺と杖を突く姿から、容易に察しが付く。

 少しして、意を決したのか。兄さんと言い、真正面からエドワードの目を見た。

 

「久しぶりです。楽しく英雄ごっこされて気分はどうですか?」

 

 エドワードとヴァンは目を丸くした。大げさな再開ではなく、普通に挨拶したら、後は何年の間になにが起きたか語り合うだけかと思いきや、妹の発言で一波乱がきそうだ。

 

「私たちはこの子が産まれた日から……この子の名前は長男のエリアス兄さんとエドワード兄さん、父さん、ヴァン、エウドラ母さんのそれぞれから一文字ずつ取って、エウゲドロスと名付けました」

 

 エドワードはエウゲドロスの顔を見ようとしたが、エウゲドロスは母と場の空気が変わったのを感じて、エウドラの方に歩み寄っていた。

 

「私たちはこの子が産まれた日、あなたがこのエトリアにある世界樹の迷宮で一族再興の為、冒険をしていることを知りました。しかし、私はすぐに兄さんの所へ行く気になりませんでした。頑張るあなたの足を引っ張りたくない、頼りたくないという想いがある反面、英雄ごっこにうつつを抜かしているという思いもありました。兄さんも想像以上に苦労したと思いますが、私と母も、この方。ヴァンと出会うまでは、あちこちを放浪して、物乞い以下として扱われて、酷い目に遭ったこともありました。今でも忘れません。汚いひげだらけの口が顔面に迫ってくるのを。幸い、母が助けてくれましたので事なきを得ましたが」

 

 フェドラはぶるると身を震わし、目には恐怖と嫌悪感が宿った。

 

「でも、世の中、冷たい人だけではないのですね。私が十七歳の時ぐらいでしょうか。ヴァンと出会ったのは、彼は優しい人でした。兄さんが目指す、英雄や傑物になれる人ではないでしょうが、正しい人の心を持った方でした」

 

 フェドラはヴァンの方を見た。エウドラとエウゲドロスの近くにいたヴァンは、フェドラの視線に気付くと、うんと微かに首を動かした。

 

「出会ったのは偶然でした。他の人から、そこの農家には若い独り身の男がいると聞いて、雇ってもらおうと思いました。軽蔑しないでね。私の若さを生かせばとか、そういう思いが僅かにあったのは否定できない。私と母は彼の住まう家に行き、ドアを開けた時、彼は息を呑んで私を見つめた。私がここで働かせてくださいと言ったら、彼は一つ返事で良いと言った。私は喜びました。けど、次に更なる喜びが私を待っていました」

 フェドラは頬を染めて、ヴァンの告白を語ってくれた。

 私にも当然、二親がいましたが母は幼い内に死に、父も最近亡くなりました。父は亡くなる前、予言を残しました。俺が無くなって間もない内に、生涯、お前の伴侶となる人が現れる。そのとき、その人はお前の農場で働かせて下さいと言うだろう。知っているだろうが、私がこの村に来る前は放牧民の一族だった。その人を娶れば、お前はいつか家を離れて、遊牧民として生涯を終えることになり、なって間もないうちは大変な苦労をするだろうが、必ず幸せと満足を得られるはず。こうおっしゃってました。

 そして、今、そのとおりの美しい人が現れました。お願いです。あなたを僕の妻に。生涯を共にする伴侶として、ここに迎え入れてさせてください。唐突な申し出で驚かれるでしょうが、私からすれば、あなたの申し出も唐突で他人を驚かせますよ。

「私と母は今までにないくらいの衝撃に襲われました。だって、彼の申し出は私のよりも唐突でしたもの。ですが、ええ、見てのとおり。私は彼の情熱にほだされて、そうして、私は正直に言えます。彼と出会えてよかった。彼と結ばれて、こんなにも嬉しいことはない。エウゲドロスが産まれ、こんなにも喜ばしいことはないと三人で幸せを分かち合いました。

 四年前にあの子が生まれ、二歳にまで成長した年。ヴァンはあなたの所へ行きましょうと言った。すぐにではなく、この子がもう一歳か二歳、年を重ねて、ちゃんと準備をしてから行こうと。ヴァンには遊牧民の血が流れていたからか。彼は土を耕すことより、動物たちとどこまでも大地を行くのを好んでいましたから、自然とあなたの協力したい気持ちもうまれたんでしょう。私と母は最初、乗り気ではありませんでした。今更、前の生活をしてどうする。なにより、あなたにたかるようで、それが嫌でした。結局、彼の説得に折れましたけど。

 四年目となる今年。あの子が四歳となってから、出発しようとしました。長い旅のりで、一ヶ月半もかかりました。ですが、途中で引き返そうかと全員、悩みました。あの盗賊共が狙っているのを知ったからではありません。面倒臭くなったとか、やっぱり、あなたに会うのが嫌になった訳ではありません」

 

 フェドラは話すのを一旦止めて、一息吸い、エドワードを非難がましい目で見た。

 

「エトリアの地下世界で、モリビトなる異種族と戦い、あなたが戦死したという噂を耳にしたからです」

 

 エドワードは驚かなかった。あの状況では、誰もが死んだと考えるのが妥当だろう。ようやく、妹が自分を責めるのがわかってきた。フェドラは声を荒げた。

 

「これから、やっと、母と子を除けば、生き別れた肉親に会おうというのに! 肝心の人が死んでいたのでは話になりません! 躊躇いはありましたが、何年ぶりにもなる肉親に会えるのは同時に楽しみであり、恋い焦がれるような思いもあった。それなのに、あなたに会えないのでは話にならない。戦には行くのは勝手だけど、少しは残された人たちの気持ちも考えて。せめて、花でも一つ手向けに行こうと思いました。途中、エトゥの配下と名乗り上げる数人の盗賊に襲われました」

 

 今度はびっくりした。エトゥ配下に襲われただと!?

 

「一体いつ?」

「十日前です。その時、あのお二方。刀という剣を身に付ける、あそこの青みがかった長髪の方。レンさんともう一人。呪術師と名乗るツスクルという方。あの二人に助けられました。二人がいなければ、私たちはこうして、兄さんと会うことも叶わなかった。お二人には感謝してもしきれません」

 

 レンとツスクル。合点がいった。目的こそ不明だが、とにもかくにも、あそこにいる侍と呪術師の少女のおかげで家族と再会することができたのだ。後でちゃんと礼をせねばばならない。

 フェドラは唇を噛むと、面をやや下げた。

 

「助けて頂いた後、レンさんから、あなたの兄であるエドワード氏は生きていることを告げられました。レンさんは自らの武芸を生かす場として世界樹の迷宮を目指していたらしく、道すがら情報を集めていたようです。私たちはレンさんの言葉を信じて、エトリアを目指しました。そして、あなたと会うことができました。

兄さん」

 

 フェドラは面を上げた。口元を結び、目からは涙がこぼれそうである。

 歩み寄ると、エドワードとフェドラは互いに抱き締めあった。エドワードは済まないといい、頭を撫でた。

 

「兄さん。やっと、会えるとばかり思っていたのに……私と母さんにこれ以上、悲しい思い出を作らせないで」

 

 フェドラは怒っていた。無茶をして、挙句に死にそうな目に遭い、これから会いに来ようとする者たち。残された者たちを置いて、死ぬはずだった兄に対し、怒っていたのだ。

 

「心配をかけてすまない。だが、どういわれようと、しばらくは世界樹の迷宮に留まるぞ」

 フェドラは涙を浮かべたまま、何故と問いかけた。

「お前達が来たら、そこで冒険は終わりではない。まだ、迷える者たちが多くいる。そいつらが来ても終わりではない。傷を癒し、生活を安定させる必要がある。完全にこうだと言えるまでは、俺は冒険を止めない。良いですね、母さん?」

 

 いつの間にか近くに来ていたエウドラに聞いた。エウドラはええと頷いた。

 

「私たちがここに来たのは、あなたが居るエトリアにしばらく留まり、以前の暮らしを取り戻す為、本音を言うならば、止めてほしいです。しかし、あなたには父から託された使命があり、この街に対する責務もある。そうですね、エドワード」首肯する。「そう。だから、止めません。ですが、母からの幾つかのお願いを聞き届けてくれません?」

 

 はいと即答した。

 

「エウゲドロスが生まれた事の祝福をすること。これが一つ目。二つ目はゲルを作るのを手伝うこと。三つ目はレン氏とツスクルさん、御二方の頼みを一つ聞き入れること。四つ目は、時々でもいいから、様子を見に来ること。これで最後となります。五つ目は大分先になるでしょうけど、大きくした家族用のゲルに住まい、あなたが誰かを娶るまではそこで暮らすこと。もっとも、あなたがその前に誰かを娶れば、話は別ですけど、そうなっても、来たい時には来なさい。あなたが建てた家ですもの。それでは、エドワード。母にも」

 

 エドワードは屈んで、エウドラとひしと抱き合う。別れる前は、背を伸ばして肩に届く位だったのに、今や大きさが完全に逆転してしまっている。長い歳月が過ぎたことを実感した。

 

「遅くなりましたが、あなたが無事でいて、喜ばしい限りよ」

 

 本にある家族との感動の再会と比べたら、泣き叫ぶわけでもなしに、がははと賑やかでほのぼのとした再会ではなかったが、短い時間の間、確かな繋がりのようなものと共に、まざまざと昔の記憶が思い起こされた。厳しかった父ゲロリリオン。だが、決して母を含む女性に無闇やたらと暴言を吐かず、暴力も振るわなかった。自らの力をわきまえた上で、どこで使えばいいか理解していた。武芸に熱中しすぎて危険を(かえり)みず、叱られて拳骨を食らったのも良い思い出である。

 父から最初で最後となる頼みもよく覚えている。だが、他にも印象深い言葉があったはずだが、どうもうろ覚えである。男の誇りについて語っていた。涙を見せるなとか、男は背中で語れとか、そんな陳腐な内容ではない。いや、背中がどうのついては語っていたはず。もっと深い、重みのある言葉だったはずだが、幼い頃に聞かされたきりで覚えてなかった。どうしてもなら、母に聞こうと思うが、今はよそう。聞く時間はいくらでもある。

 忘れてはならないのがもう一人。兄エアリス。正直、エアリスとの思い出はあまりなかった。物心付く頃には、エアリスはお嫁さんをもらい、他家にいたからだ。たまに来ても、関わり合う時間は少なかった。それでも、互いに親愛の情は感じていた。父ほどではないが、エドワードはエアリスを頼もしい人と見ていた。エドワードは後悔していた。もっと思い出せる思い出があるぐらい、兄と関わり合うべきであった。一番覚えているのは、武芸に付き合ってくれた事。出陣前の家族を頼むという言葉以外に、どんな状況でも狙いを定めた獲物から目を逸らすなという教えはよく覚えていた。

 積もる話はあるが、やるべきことが沢山あった。おーいと、呼びかける者たち。振り返ると、コルトン、アクリヴィ、ロディム、マルシア、ジャンベがいた。到着したというよりかは、タイミングを見て出てきたという表現が合いそうだ。

 

「あの方達は?」とエウドラ。

「苦楽を共にした仲間です」

 

 エドワードは手を振り、来てもいいと示した。本人たち自らが紹介に出た。

 

「初めまして、エドワードから話には聞いてましたよ。コルトンと言います。以後お見知りを」

 アクリヴィはジェントルマンのようなポーズを取り、挨拶をした。さすがに育ちが良い。

「お初目にかかれて光栄です。アクリヴィと申します。よろしくお願いしますね」

 打って変わって、マルシアはいつもと変わらない調子で自己紹介した。

「初めまして、こんにちわ。マルシアです。医術を学んでいるので、病気があれば相談してください」

 ロディムは少々、畏まった感じを装っていた。あろうことか、自分をさん付けで呼んだ。

「どうも、ロディムといいやす。エドワードさんにはお世話になっています」

 さん付けはともかく、下心があるように聞こえなかったので、この男なりに自分には感謝しているのだろう。ジャンベも少々、堅くなっていたが、満面の笑みたたえて挨拶をした。

「初めまして、僕はジャンベと申します。僕もエドワードさんにはお世話になっております。精々、音を奏でて歌を歌うことぐらいでしか恩を返せてませんが、宜しければ、今度聞いていただけませんか」

 

 積もる話は山ほどある。その前に、やるべきことが沢山あった。一通りの自己紹介が済んだら、早速、長鳴鶏の館に行き、一部屋貸して貰えた。レンとツスクル。二人の部屋も借りようとしたが、二人は断った(口を開いたのはレンのみ)。

 

「あなたの好意はありがたいが、断らせてもらう。あてはあるのでな。では、エドワード殿。明日の御昼前にでも、冒険者ギルドへ来てくれ。あなたの母上から聞いた、我々の頼み事を一つだけ聞いてほしい。それでは失礼する。仲間とご家族と共にごゆるりと過ごされよ」

「そうか。今更だが、母と妹、甥と婿の命を救っていただき、ありがとう」

「礼には及ばん」

 

 レンとツスクルは退館した。あの時、感じた殺気は気になるが、恐らく、そういう人物なのだろう。常に周りを警戒して、神経を尖らせている。いかなるときも、敵に気付かなかった自分が悪い。いつ刃が降りかかってきても、切り返す。心身共に一生を武に捧げることを誓った人間なのであろう。額の傷が雄弁にそのことを物語っているように見えた。

 殺気を向けられたのは、武芸に通じる者同士、感じる物があったのか。だとすれば、自分はあの侍のお眼鏡に適う程度の実力はあるということか。

 妙に嬉しく思う反面、どことなく、上手く説明できないが不気味も感じていた。それは、赤毛の少女のせいかもしれない。カースメーカー特有の、他者との共有を拒んだかのような薄くまとった嫌な空気のせいだな。修行すれば、抑えられるとキアーラなどは言っていたが、少女は未熟なのか。それとも、単に見知らぬ自分達を前に緊張しただけだろう。

 エドワードは気になることがあった。エドワード以外にも、レンと知り合った者たちは気になっていた。レンは男か、女か。そこが判別し難い。声はやや男性っぽいが、女に聞こえないこともない。外見は男に見えるが、今の武装と着物のままでも、女らしく振る舞えば、女にしか見え無さそう。男だとは思うが、自信を持ってそうだとは言えない。

 細々とした考え事は脇にやり、エドワードは今を楽しむことにした。館に許可を貰い、ジャンベが演奏して、ちょっとした宴会をやることになった。もちろん、外壁にいるティノフェ一家他、呼べる限りの人数を呼んで、宿に泊まる同業者たちも自由参加オーケーにした。

 

「エドワード、あまり身内びいきばかりは」

「母さん。毎回、俺は身内ばっかりひいきにするつもりはありませんよ。ただ、俺があなたやフェドラ、新しい家族を迎え入れた時の喜び、何かをしてやりたい気持ち、これまでしてやれなかったことへ対する思い。俺がこれからしてやれる事の一つとして、今日の宴会をさせてほしい」

 

 一時間後には宴会が始まった。初めのうちは固かったエウドラたちも、時間が経つに連れ、徐々に和らいだ表情をしてきた。一族と冒険者総出の宴会はそれはそれは賑やかであった。笑い声が数件先まで響き、本当のお酒から、酢のような安酒まで様々な杯に酌み交わされる。エウゲドロスにエドワードは話かけようとしたが、まだ警戒しているのか。残念ながら、宴会中は碌に会話できなかった。ぴったりと、祖母エウドラと母フェドラの間にくっ付いていた。

 ジャンベとバジリオが歌い、ギターとリュートが奏でられる。隻眼となったクリィルがロディムとエクゥウスの若駒の一人と肩を叩き合いながら笑い、チノスは比較的が年が近いジャンベと楽しみ、大人への一歩と言い、人生初の酒を飲んだ。コルトンは飲み比べをしていた。

 アクリヴィ、マルシア、アデラ、ブルーナ、アデラ組の女レンジャーはフェドラの隣に位置する席に座り、若い女性同士の談義に花を咲かせ、甥に年は幾つなど質問していた。甥は顔を赤らめて、エウドラの影に隠れてしまう。マルシアはフェドラに微笑みかけた。

「ふふふ。その年で随分とおませさんのようね。気を付けないとね」

 そうねと、フェドラも心の底から笑みを浮かべて返した。

 楽しい時間は瞬く間に過ぎていき、各々部屋に戻り、エクゥウスの者たちは外にあるゲルへと戻って行った。宴会の最中、全てではないが、一つ一つ、語れることを語り合い、ゲンエモンの事も教えた。ゲンエモンにも来てもらいたかったが、生憎、本人は穴掘り作業の従業員兼現場監督の重労働で無茶をしていたらしく、ぎっくり腰になったとのこと。一週間は休むよう、メディックのヘンリクに言い渡されていた。例の文字が書かれたプレートの解読はできたようなので、また暇な日にでも来てくれ。今は家族水入らずの時を過ごすがよいと言われた。

 翌日、エウドラの要望もあり、エドワードは四人を花桜の館に連れて行った。コルトンたちは、何日かの間は家族を手伝ってやれ。しばらくは俺たちだけで金を稼いでおくからと言ってくれたので、エドワードは遠慮なく好意を受け取ることにした。和洋折衷の建物を見て、四人は物珍しそうに館を見つめた。白い着物を羽織る女将のアヤネに案内されて、ゲンエモンが住まう、今は療養している部屋に入った。ゲンエモンも白い着物を着たままで、畳の和布団から起きて正座していた。

 

「遠路はるばるから来て頂いたのに、このような姿で迎えて申し訳ない」

 エウドラはいいえと首を振った。

「いえいえ、こちらこそ、あなた様の体調がよろしくない時に訪れてしまい、すみません。それよりも、私はゲンエモン様に感謝しております。この子が幼い頃から青年に至るまで面倒を見てもらい、本当にありがとうございます」

 エウドラはゲンエモンに頭を下げ、フェドラとヴァン、エドワードも母に倣って頭を下げた。頭を下げられて、ゲンエモンは慌てた。

「ああ、いや! そのようにこうべを下げないでください。私がエドワードにしたことと言えば、武芸と学問を教えて、たまに相談に乗っただけ。後の功績は全て彼自身の力と彼の仲間たちの協力によるものであり、今、彼の母であるあなたがこうして来られたのも、彼の努力の結果。私は彼に大したことはしておりません」

 

 ゲンエモンなど、彼の民族でいう謙遜をしていた。ゲンエモンがどう言おうと、今の自分があるのは師のお陰であり、実際にその通りだと思っている。大切な話があるので、エドワードは四人に館の待合室で待つように言った。ゲンエモンは察して、四つん這いの姿勢で棚に寄り、引き出しを開けた。プレートは布に包まれていた。

 

「全ては解読できなかった。だが、恐らく、これは地形を示しているはず。何故なら、我らに残された文字にこれを何かを表す文字は無かったからだ」

 

 ゲンエモンは布を解いた。掠れて黒ずんだ文字があり、中間に一文字、下段右下の文字が読めそうなぐらいだった。

 

「幸いかな。読み仮名らしき物が振って少し残っていたので、そこから、読み解くことができた」

「なんと?」

 ゲンエモンは中間の文字を指した。「まず、中間にある文字は都。言葉で言えば、みやこや都市部のと、という」今度は人差し指を下段二文字に当てた。「これには、左右端にある読み仮名が読めた。”シ”と”ン”じゃ。そこで、わしはアヤネと我がパーティの頭脳であるブレンダンとも相談し、これの読み方を推測した。恐らく、多分、いや高確率でこの新しいに宿と書かれた物は、シンジュクと読むはず」

「シンジュク!?」

 

 聞いたこともない。世界地図を丸暗記したわけでもなければ、特別に言語や歴史に通じる訳でもないが、少なくとも、どこの地図や言語、歴史にもシンジュクという文字は書かれていなかったはず。最も、自分が学者と呼べるほど物知りではない。アクリヴィに聞けば、少しぐらいわかると思いたいが、文字に通じるゲンエモンやアヤネはおろか、アクリヴィと同じく学徒であるはずのブレンダンも解らないようなら、相当歴史に通じている者に聞いても、期待できそうにない。

 アクリヴィの師、放浪の賢者ヘルメスなら知っていそうだが、ほぼ消息不明であり、生きているのも疑わしい人物を当てにはできない。

 

「シンジュクとは一体なんでしょう?」

 ゲンエモンは首を振った。

「さっぱりわからぬ。ただ、関係ありそうな事は知っている。何千何万年も昔、今はブシドーと呼ばれ、南方や東に位置するエトリアより更に遠く離れた東の国。主に黒人や褐色の肌色の者たちが住まう国であり、わしの故郷でもある。だがしかし、わしのような黄色い肌の者たちの間では、現在いる国はかつては故郷ではなかった。現在、エトリアと呼ばれる国こそ、本当の故郷だという」

 

 エドワードは唇を結び、ゲンエモンの言う口による伝承の意味を考えた。何千年の国家侵略で国を追われ、千年や数百年前の土地を還せと叫ぶ者たちは知っている。しかし、何千何万年も前は自分たちの土地だったなど、少々馬鹿げている。それとも、そうして残るほど、屈辱的な思いがあったのだろうか。エドワードは先を促した。

 

「第五階層にある古びた都から見つかった、お主が持ち帰った漢字が書かれたプレート。もし、本当なら、今はエトリアと名乗るこの国こそ、かつては我らの国、日の丸掲げていた国家になる。だが、どうして我らの先祖がここにいない? そこが疑問だ」

「全く想像が尽きません」エドワードは素直に答えた。本当を言えば、歴史の談義よりも答えを聞きたかった。ゲンエモンは失礼と言った。

「お前の家族を待たせてしまったな。すまん。ここからは、完全に想像の域なので、話半分に聞いてくれ。何故、わしの先祖がここにいなのいか? それは、住むに住めぬ事情があり、原因の幾らかは世界樹のせいではないかと思う」

 

 エトリア人が聞いたら、聞き捨てならない台詞だなと怒ること間違いなしだ。富と繁栄、栄光と平和の象徴であり、エトリア人ご自慢の世界樹が大昔には栄えた国を滅ぼした原因だなんて、認める訳がないし、ゲンエモンの想像はあまりにも突拍子ない。新しい宿と書いて、シンジュクか。ある意味、エトリアらしいかも。昔から現在に至るまで、根無し草の者たちが集まって繁栄している国だから。

 師に改めて礼を述べたら、お気を付けてと言ってエドワードは退室した。

 やるべきことは沢山あるが、ほんのひと時、数日だけでいいから、昔からの家族と新たに加わった家族と過ごしたかった。そして、甥のエウゲドロスの祝福をし、ヴァンというフェドラの婿を一つ、試さなければならない。その前に、レンとツスクルの用事を片付けておこうと考えて、四人の世話を一時、アヤネに頼み、エウドラに恩人二人の頼み事を聞いてくると断り、花桜の館を一旦、後にした。

 


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。