世界樹の迷宮 光求めし者達   作:鞍馬山のカブトムシ

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二五話.試験

 時期によって冒険ギルドは盛況、閑古鳥が鳴いているのどちらかだが、今は閑古鳥が鳴いていた。冒険ギルドの賑わう、賑わない時期は本当にわからない。多く人が来ることもあるかと思えば、全く来ない日もある。ただ、今日は約二名が来るのは確定しているので、まだ人が来ているほうと言える。

 ちりんちりんと鳴るドアの鐘がお迎えの挨拶代わり。当の隻眼のギルド長は、嫌々退屈といった感じで書類処理の作業をしていた。運動と称し、お古の刀剣を振るったり、矢を番えずに弓弦を引っ張っている時のほうが楽しそうなのを見ると、ギルド長は役人ではなく根っからの武人、冒険者だと思わせる。

 結構な腕前のレンジャーとして名を馳せていたようだが、昔の話。片目を失い、右足も若干びっこを引いている状態では凶暴な樹海生物とまともに戦えない。

 ギルド長は一瞥すると、一言「客だ」とだけ言って書類に向かった。

 レンとツスクルは静かに椅子で待機していた。エドワードは待たせたと言うと、レンはいや、とだけ答えた。

 

「それで、俺はあなたに何をすればいい? 見てのとおり、しがない一介の冒険者に過ぎないから、大してやれることはないぞ」

「ご謙遜を。あなたの名声は聞いておりますぞ。怪物蟻共の女王を倒した事や、モリビトと呼ばれる者たちの戦においても無事に帰還を果たしたと聞いております」

 悪い気分ではない。見知らずの遠い者にまで、自分の名は届いていたのだから。レンは見たところ、旅慣れており、各地を放浪していそうだ。エドワードは一つ、レンに聞いてみることにした。

「そうですか。なら、一つお聞きしますが。私の同胞をどこかでお見かけしませんでしたか? エクゥウスの名も伝わっていれば、これ幸い」

 レンはううむと首を傾げたら、うむと思い出したように頷いた。

「そういえば、隣国であるメティルリクより更に北西の国にある鉱山で、劣悪な環境で働く者たちがいました。その中にいる者たちと一人、たまたま話をして、俺なんかが今のエドに迷惑をかけられないとか。草原を駆け巡るのは素晴らしいことだと気付いたとか、そんなことを語っておりましたな。口ぶりでは、他にも家族や友人がいるようでした。もう一組、エピザと呼ばれる国より南に位置する海岸と隣接する国でも、どことなく雰囲気が似ていて、エドワード殿とご家族と同じような金髪の者たちが数人、港のぼろ家に住んでいるらしい。たまたま、宿泊した酒場兼宿屋の所で、その内の一人と話をすることができたのですよ。彼が言うには、子供たちに以前の暮らし、特に馬に乗る素晴らしさを伝えたいけど、エトリアに行く余裕がないと語っていました」

 

 おおとエドワードは目を輝かせた。やはり、同胞たちはまだまだいて、生きていたのだ。そして、レンの話から察するに、国無き民として苦労をしているらしい。目頭が熱くなった。嬉しいのもあるが、少なくとも、彼らは一族の誇りを忘れて、自由が無い、こき使われる者たちの暮らしに馴染んだわけではないことも知り、安心した。

 手紙と送金。必要とあらば、直接出向きたいが、そこはまず、自分の家族の生活の一時安定。並びに、自らの家族を含む、他の者たちも助けてくれた恩人の用件を聞く必要がある。

 

「レンさん、あなたには感謝してもしきれません。私でよければ、協力しうる限り協力しましょう」

「それでは、私からの頼み事を明かしましょう。私とツスクルの身分証明。エトリアの冒険者資格を得る試験のパス。そして、あなたが監督官として、我々の実力を見てもらい、迷宮に挑戦しうる実力があるかどうか見極めて頂きたい」

「だそうだが、許可願えるかなギルド長?」

 

 いつの間にか作業の手を止めて、三人を注視していたギルド長にエドワードは申し立てた。ううむと眉をひそめて、レンとツスクルを見比べる。

 

「見た訳じゃないが、腕は良さそうだ。初対面である俺ともきちんと礼儀正しく挨拶をした。お前さんと違ってな」

 

 ことさら、お前さんという言葉強調した。初対面の時、隻眼でヤクザのようなツラの彼を胡散臭く思い、勝手に負けるものかと思い、不躾な態度を取ったのは今でも覚えている。若気の至りでと言っておいた。

 

「来る前に少し、話は聞いていた。こいつの身内の連中を助けて、例の悪漢どもを追っ払った。これだけでもう、お前さん方は強くて信用できる奴と証明したも同然。身分証明と試験パスの件は俺とエドワードが細々とした手続きを何とかしておくから、後はエド、お前はレンの強さを見てくれ」

「心得た」

「重ね重ね感謝いたします」

 

 レンは侍がする、例の両手を組み合わせた礼をした。手の平を合わせただけなので、普通の人に対する礼を表すものだった。両手を組み合す場合、互いに打ち合ったときだとゲンエモンから聞いた。

 しかし、さっきから気になることがある。ツスクルだ。レンと比べ、この少女は一言も喋ろうとしない。それどころか、フードを目深に被り、誰とも顔を合わせようとしない。たまに胸にぶら下げたカースメーカー特有の金でできた鐘の形をした鈴を弄ぶぐらい。膝には、つぎはぎだらけの呪われた感じがする兎のぬいぐるみを載せていた。ギルド長は姿勢を改めると、なあお嬢ちゃんと話しかけた。相手が幼げな女の子のためか、いつもより声音や表情は優しい。

 

「どうした、緊張しているのか? 黙っていちゃわからない。一言ぐらい喋ってくれないか? どこから来たとか、歳とか?」

「私が答えよう」とレン。

「見たとおり、ツスクルはカースメーカーだ。それも、恐らく並のカースメーカーよりも力は強い。それゆえ、不用意に人と口を聞くことを恐れている。うっかり、かけてしまわないかとな。因みに、歳はこう見えて十六歳だ」

 

 ギルド長がえっと目を開き、エドワードを見た。エドワードもギルド長と目を合わせた。十六歳には到底見えない。精々、十二歳がやっとだろう。呪術を扱うせいか、はたまた、栄養が足りなかったのか。青い長髪で長身の性別不明の侍と不気味な赤髪のカースメーカーの少女。改めて見て、奇妙な組み合わせである。

 そもそも、二人はどこでどうして出会い、ここに行き付いたのだ。

 色々と気になるが、根掘り葉掘り聞くまい。時が訪れれば、自ずと語ってくれるだろう。ほらツスクルと、レンはツスクルの頭を撫でた。レンのツスクルを見る表情と頭を撫でる手の仕草はどことなく女性的ではあるが、鍛えられた太い手首と顔つきを見たら、男っぽく見える。眉毛を剃っているせいで、余計に。

「ん」と、ようやく、ツスクルはエドワードとギルド長に小さく会釈した。会釈する際、目深に被るフードから顔を覗かせてくれた。

 不思議な金色の(まなこ)。目の周りは睡眠不足のようなクマで覆われている。色白肌で鼻筋も通っているが、全体的に険しさと影があり、睨むような警戒している目付きで近寄りがたい印象。ただ、にっこりと笑えば、同い年ぐらいの男子の心ならば射止めてしまいそうな魅力はある。

 エドワードとギルド長は微笑んでみせた。ツスクルは拒むようにフードを被った。私が心を開いているのはレンだけ。無言でそう言っている気がした。

 レンは準備は出来ていると言ったので、早速、第一階層に向かうことにした。ギルド長は一旦、店仕舞いすると告げたら、エドワードに話があるから、二人に外へ出てくれと言った。ギルド長はエドワードを手招きすると、声を潜めた。

 

「例の輩共がきたこと。どう思う?」

「この国に直接来た訳じゃないが……偵察とか?」

「家族を助けられて、信用するお前さんの気持ちはわかる。俺も奴らのことはよくわかっちゃいねえが、そこまで悪人には見えない。だがな、こんな時代だ。一応、気を付けるこった。二人とのお付き合いが終わったら、二人ではなく、身内の誰か一人を連れてきてくれ。詳しい証言を取りたい」

 

 出身国ではないが、今や彼もエトリアの国民に属する一人であり、各冒険者たちをまとめる立場の一人。国の先行き、冒険者たちの行く道を憂い、守ろうと動くのは当然と彼なりの責任と想いを抱いていた。来て間もなく、しかも知っている者が誰もいない他国の二人を警戒する気持ちも理解できる。しかし、家族を助けられたエドワードにとっては、ギルド長ほど二人を疑えなかった。

 ほれと、ギルド長は証印が押された紙を一枚押し付けた。

 軽い密談を済ませたら、とっとと世界樹の迷宮へと向かう。何か聞かれるかと思ったが、ツスクルは当然として、レンもさほど興味が無さそうに、ギルド長との話については特に聞いてこなかった。トルヌゥーア内壁を守る衛兵には、ギルド長から許可を頂いた旨を伝えたら、あっさりと通してくれた。ギルド長も街ではそれなりの地位にあることを思い出させてくれる、数少ない場面だなと実感。

 外で待つレンとツスクルと共に世界樹へ向かう。ツスクルはもちろん、レンもエドワードに、ギルド長と如何な話をしていたかとは聞かなかった。

 週に二回、周辺地域から卸売に来た農民と港の者たちが集まる大規模な(いち)の日であり、野菜に果物、肉に魚類のかごを抱えた老若男女と道をすれ違う。たまに同業者の姿もちらほらと見受けられた。すれ違う者たちは、三人を見ても特にどうと思わなかった。ただし、エドワードは名と顔が通っているので、たまに会釈やどうもと声をかける者はいた。

 トルヌゥーア内壁の門に着いたら、守備兵たちに事情を言い、ギルド長の証印を見せたらあっさりと通してくれた。姿勢よく起立して笑顔で送る彼らを見て、レンは一言、エドワードに申した。

 

「あのような態度で大丈夫なのか?」

「同じ国の者でも基本、態度は変わらん。レンさんがあの場で刀を抜いたら、話は別だがな。彼らは即座に剣に槍、最終的には鉄砲を持ち出して、あなたを討ち取ろうとするだろう。少々話は変わるが、この国における冒険者の立場は食客に近い。つまり、活躍して金を落とせば持て囃されて地位も上がり、逆に大して活躍しなければ、邪魔な無駄飯ぐらい。家の部屋取り野郎。エトリアの冒険者に対する態度はこうだと俺は感じた。あくまで俺個人の感想だし、例外もあるが」

「助言痛み入る。参考とさせていただく」

 

 迷宮に入る前、レンが一つ言わせてくれと言った。

 

「私のことはさん付けしなくていい。例え、私がエドワード殿よりも年上だとしても、レンと呼び捨てくれて構わん」

 うんと頷いたら、エドワードもそれならばと、「俺も殿なんて付けなくていい」と返した。

「心得た。エドワードど……エドワード」

 

 迷宮に一歩足を踏み入れた途端、緩やかな表情だったエドワードの顔が厳しく引き締まった。ここは、地上とは異なる世界。例え、いくら通い慣れているからといって、油断しすぎれば、呆気無く紫の毒蝶の餌食になってしまう。エドワードはレンとツスクルの方を見てみた。レンは先ほどと表情こそ変わらないが、歩き方には一分の隙もない。ツスクルはわからない。カースメーカー特有の力があるので、多分、大丈夫だろうと思った。

 活き活きとした緑の光景が広がる。第一階層、別名”翠緑(すいりょく)ノ樹海”

 樹海に挑戦する上で必然的に最初に到達する階であり、基本ともいえる場所。人の出入りも多く、地上に近いため、さして入り組んでもおらず、出現する生物もその気になれば、武装した子供が何とか倒せるぐらいのもいる。比較的安全と呼べる。ただし、たまに深層の生物が出現して、思わぬ被害をもたらすことがあるので用心に越したことはない。

 エドワードは二人にこう説明した。

 ツスクルの膝頭近くまである大きさの森ネズミ二匹を鞘に収めたサーベルで軽く追っ払う。いくら実力を測るといっても、こんな弱いのでは話にならない。

 二組のパーティとすれ違うものの、これといった物が出てこない。鋭利な爪を持つモグラが一頭出てきたが、こちらの数が多いと見るや、さっさと藪のほうへ引っ込んだ。

 手頃な物がいないかと探していたら、四人ひと組のパーティが慌てて通り過ぎた。一人が気を付けろと声をかけた。四人が逃げてきた二階へ通じる道へ行くと、三体の甲殻類と一頭の角鹿がいた。互いに相手を牽制しあっていて、縄張りを主張しているのが窺える。いずれも新米駆け出し冒険者が相手をするには荷が重い相手。

 もっとも、一回り小さく、角鹿の角は左右に二股別れているのを見る限り、奇妙で耳障りな雄叫びを上げる凶暴な方の角鹿ではないのは良かった。あちらの角鹿は大型の角鹿並の大きさもあり、しかも強くてしつこい性格。一度狙われたり、攻撃をしかけたら、そう簡単には逃がしてくれない。

 レンとツスクルの実力を計るには絶好の相手である。二人も察したのか、エドワードの前に出た。

 

「危なければすぐに射る」

 

 レンは無言で頷いた。ツスクルは相変わらず反応すらない。

 レンはわざとざっざっと、足音を出した。角鹿が振り返り、唸る。レンは歩くのを止めない。新手の相手が歩を止めないのを見て、角鹿は目標を切り替え、足を踏み固め、胸を逸らして自身の強さと大きさを見せつけたら、どんと一直線にレンに向かって突進した。頑丈な鎧で全身を覆っているのならともかく、そうでなければ、人体など軽く貫いてしまう角鹿の突進力と角の硬さ。

 レンは腰の刀に手を付けて、来るのを待つ。鹿が直前まで迫るや、レンが軽い身のこなしで横に跳んだ時、どさりと角鹿の首が落ちた。胴体から大量の鮮血が流れ出し、緑の地面を血で覆う。翠緑の森がいつまでも健康でいられる要素の一つに、これら生きたものの血と臓物があちこちで肥料代わりとなっているのを否定できなかった。

 続いて、ツスクルのお手並み拝見。ツスクルは角鹿の死体に立った。血の匂いを嗅ぎつけて、三匹のハサミを持つ甲殻類三匹が歩み寄る。かつかつとハサミを打ち鳴らし、どかなければお前も食らうてやろうかと言わんばかり。ツスクルはぶつぶつと、エドワードには全く意味不明な言霊を唱えたら、鈴を何度か鳴らした。

 鈴が鳴るたびに一匹ずつの動きが止まる。計三度鳴らしたら、三匹ともぴくりと動かなくなった。これで終わりかと思いきや、ここからが本番であった。

 三匹はハサミを振り上げて、味方同士で突如、殺し合いを始めた。しかし、奇妙である。本気で打ち合っているのは間違いないが、まるで、お人形劇の剣戟みたいに無理矢理戦いを興じさせられているようだ。

 やがて、三匹とも互いの首近くの関節を切断しあい、最後には力を込めて甲羅の隙間にハサミを潜り込ませて、肉と鉱物を切断する気持ち悪い音が耳に届いた。カースメーカーの戦いをあまり見たことはないが、いつ見ても、良い気分にはなれない。離れた所から相手の意思を奪い、操り、命を自らの手の平で思うがままにころがす様は恐ろしいの一言に尽きる。カースメーカーを好んでパーティに入れようとしない者の気持ちもわかる気がした。

「如何かな?」とレンが聞く。

 短い攻防だったが、二人の実力は十分測れた。エドワードは素直に告げた。

 

「合格だ。その腕前なら、二階層どころか三階層。いや、四階層の怪物たちとも渡り合えるはず。他の武技は知らないが、剣の実力なら俺の知っている剣士立ちの中でも五指に入るぐらいかも」

 

 エドワードは二人の実力を知った。

 レンの剣術。ツスクルの呪術。一見、水と油と思えた二人の技能だが、意外とマッチしていた。二人の腕もさることながら、言葉には表さない絆で結ばれていた。少々メンバーが足りない気がするが、おいおい同志を募るつもりなのだろう。

 こと、剣術に関しては、エドワードはレンに敵わないと思った。全力でこられたら、こちらは受けるか避わすかの二択を迫られる。とにかくレンとの約束を果たした。後はギルド長に教えて、推薦でもなんなりしてもらえばいい。

「行こう」とエドワードが言う。三人は無言で帰路に着いた。

 

「ギルド長にあんたら二人は強かったと言っておくよ」

 

 レンは手を組み合わせてお辞儀をした。侍が武芸者に対して行う礼の一つをすることにより、レンはエドワードを認めたと表していた。エドワードも一つ、頭を下げた。

 エドワードは一つだけ聞いておくことにした。

 

「これからどうするつもりだ? 仲間がいるのなら、俺も探そう」

「しばらくは二人で行こうと思っている。あるいは、一時的にどこかのパーティに身を寄せようかと。機会があれば、その時にでも頼もう。では、さらば。あなたの道に光があらんことを!」

 

 エドワードはレンとツスクルと別れた。あの二人なら大丈夫だ。色々と気になること、聞きたいことはあるが後にしよう。組合に行き、ギルド長に自らの見た事を率直に告げたら、花桜にて待つ新しい家族の一人、ヴァンに言わなければならないことがある。

 

 

 

 戻ってくるや、ヴァンと二人きりで話すといい、半ば強引にエドワードはヴァンを連れ出した。フェドラは不安気な面持ちでエドワードに言った。

 

「乱暴はしないでね兄さん」

「そう暗い顔をしないでくれ、フェドラ。すぐに終わると思うから」

 

 エドワードとヴァンが行き、途方に暮れたフェドラの肩にエウドラが手を置いた。

 

「多分、あの子は自分の気持ちにけりを付けるためにもやろうとしているのよ」

 

 何をと聞かれても、エウドラは答えなかった。しかし、何となく解る気がした。実に十年ぶりに家族と出会った。しかも、自らの肉親である妹が結婚して、見知らぬ男まで連れていた。いくら、妹が信頼できるといっても、すぐには納得できないし、嬉しいやら、何を勝手にという理不尽な怒りを抱いているのだろう。実際、エドワードのヴァンを見る目は値踏みするようであり、僅かに疑わしく見ている感じだった。

 彼は父親ではないが、実の兄として、父であるゲロリリオンが生きていたら、きっとやっていたことをしようとしていた。母エウドラからもっと強く信頼できると言ったとしても、エドワードはヴァンを試そうとするはずだし、夫もそうしたはず。エウドラはエドワードとヴァンを信じることにした。

 エドワードはヴァンを連れて街の外にまで行き、森に入った。森は涼しく、夏の暑さも気にならない。多少、叫び声がしても、聞こえにくいと思える箇所まで来たら、草が生えた地面に座り込んだ。戸惑うヴァンに、まあ座れと促した。ヴァンは仕方なく、座り込んだ。

 ヴァンはエドワードが地面に置いたサーベルを見た。自分と話すだけなら、武器は要らないだろうに。嫌な予感に冷や汗が流れた。

 

「一体、私に何の用があるのでしょうか?」

 エドワードは微笑んでみせた。ただし、目元は全く笑っていなかった。恐らく、エドワードを自分を試そうとしているのだとヴァンは気付いた。いきなり剣を抜かれても、驚かないようヴァンは顔を引き締めた。

「まあ、そんなに固くならないでくれ。本当にちょっと、話をしたいだけなんだ。ところで、ヴァン。君はフェドラのことをどう思う?」

 ヴァンは素直に言った。

「苦労の連続で少し擦れているところもありますが、強くて、根は優しい家族想いの女性です。一目見た瞬間、この人しかいないと思いました。意味とか、そんなのはどうでもいい。ただ、生涯を共にする相手は彼女においてほかならない。フェドラが死んだら、自分の身内以外にはもう、あそこまで愛せない。もしも、あの時、フェドラに断られたら、二度と女とは付き合うことはなかった」

 

 ヴァンは淡々とせず、強い想いを込めて語った。エドワードはなんの反応も見せず、黙って聞いていた。

 ヴァンのフェドラへの想いを打ち明けさせた後、エドワードは少しの間、黙っていた。やがて、口を開いたが、ヴァンの予想していたことを言い出した。

 

「君のフェドラへの想い、確かに聞いた。言葉には重みがあり、嘘はないと思う。だが、人の気持ちは風化しやすい物。母とフェドラ、幼い甥はともかく、君が新しい生活に慣れそうにない。悪いことは言わん。故郷へ帰れ。一族以外の者がフェドラと結ばれるのは許さん。仮に私が許しても、他の者が許さんだろう」

 

 エクゥウスのこと、エドワードのことをフェドラとエウドラ、アヤネからある程度は伺い知っていた。

 誇り高く意地っ張りだが、心中は誠実で、思うことも行うことも高潔。エドワードのやろうとしていることはそこから来ているのだろうし、立派だと思う。しかし、やはりというか、そういう民族にありがちな血統主義的なところに拘る人ではなかろうかと思ったりすることもあったが、このエドワードはそういう人に当て嵌まる人だった。

 基本、争いごとは好きではない。命の代わりに金目の物を寄越せと言われたら、喜んでそうする。だが、自分の命、それ以上に自らの大事と思う者たちまで差し出せと言われたら、敵わない相手でも立ち向かうつもりである。例え、明らかに自分より意志と力が強い、自分の最愛の人の兄が相手だとしても。

 ヴァンは断固とした口調で言い放った。

 

「できません。あなたがどう言おうと、義母(はは)エウドラに言われて、あなた以外の何十何百人から彼女の元から去れと言われても、私は去らない」

「では、フェドラがお前を要らないと言ったらどうする? 嫌だと言えば?」

 

 君からお前と呼び方が変わり、語気にドスが利き、射殺すような眼差し。幼年時代には逃げる為に相手を殺め、現在では世界樹での戦に参加したと聞く。ヴァン一人を殺すぐらい訳なかった。

 自分とは違う世界を生きている人間を相手にヴァンは臆したが、逃げるわけにはいかなかった。

 

「その時は話し合います。それでも、彼女が僕を拒むのなら、僕は彼女を幸せにできるだけの力量が無かっただけでしょう。ですが、これだけは言えます。僕と彼女は互いに愛し合っている。僕はこれを絶対に真実と言える自信があります」

「根拠は?」

 ヴァンは声を荒げた。

「ありません! 目には見えなくても、あるからあるとしか言えません!」

 

 ヴァンはすっくと立ち上がった。

 

「話の途中で申し訳ありませんが、帰らしてもらいます。そして、エトリア以外の土地へ行きます。もちろん、フェドラたちと共に」

「お前の言葉に耳を貸すと思うのか?」

「エドワードさん、あなたのしていることは立派ですし、何年も付き合った訳ではないですが、周りにあなたは尊敬されていると思う。ですが、一族の血がどうとか、そんな目先の小さなことに囚われている愚かな人とは残念だった。そんな人の下では、フェドラは幸せに暮らせない」

 

 森から出て行こうとするヴァンに、エドワードは二度、待てと呼び止めた。

 

「断じて許さん。一族の者は一族で暮らせばいい。お前のような馬の骨には理解できんだろうし、譲れん。どうしても行くというのなら、エウゲドロスを殺す」

 

 ぴたりとヴァンは足を止めた。一呼吸整えたら、ヴァンは挑むように振り返った。本来の大人しさはなりを潜め、彼なりの冷たい部分が滲み出た声で応えた。

 

「どういう意味だ」

「どうもこうも、部外者の血を引いた雑種の価値などない。浄めて、フェドラには新しいちゃんとした血を入れる必要がある。ただそれだけだ。どのみち、十年以上も会いたいと思う者たちを俺から横取りしたお前に情けはかけん」

 

 話はこれまでだと逆に行こうとするエドワードに、今度はヴァンが待てと呼び止めた。

 

「待て! フェドラにも、エウゲドロスに手を出すのは許さない。実の兄だからといって、やって良い事と悪い事がある。あなたは笑顔を取り戻しつつあるフェドラをまた、地獄に落とすつもりか! 絶対に許さん!」

 

 聞く耳持たず、エドワードは来た道とは別の方へと行く。そちらから行ったほうが近いのだろうが、そんなのはどうでもいい。エドワードの表情からして、彼は本気だ。このままでは、エウゲドロスの命が危ない。  なんとかしたいが、相手は武芸に通じている。素手でも、ましてや帯刀する相手にどう勝つ?

 臆病者めと罵り、話し合っていた方へ戻ると、サーベルが置き忘れられていた。エドワードもかっかして、うっかり置き忘れたに違いない。ヴァンは震える手で剣の柄を握りしめた。

 これで、斬るのか。人を、彼女の兄を。

 禄に喧嘩もしたことがないヴァンにとって、サーベルの重みはずしりと来た。それが、多くの命を奪ってきた物になれば、それらの命が宿り、余計に重たく感じた。

 あの男を殺さなければ。後から斬りかかれば、殺せるはず。しなければ、自分ばかりかエウゲドロス、下手をすれば、フェドラも危ない。興奮と恐怖が入り混じり、ぶるぶると手と体が震える。エドワードの背は遠ざかって行く。

 背を見つめるうちに、段々と呼吸が落ち着いてきた。エドワードはどこか、隙があるように見えた。自分が実力的に劣る相手と知り、油断しているのかもしれない。剣を一心に見つめたら、ヴァンは意を決し、父と母、フェドラと息子、エウドラとエドワードへの謝罪の意を呟いた。

 

「神よ、私はこれから恐ろしいことをする。しなければ、私の大切な者が奪われてしまう。どうか、私の罪を許したまえ」

 

 ヴァンは思う限り、慎重に、早い足取りでエドワードを追いかけた。途中、牽制に仕えるかもと石を二個拾った。

 木々の間を進み、エドワードに少しずつ追いついてく。太い二本の木々に挟まれた藪があり、そこに隠れる。エドワードが立ち止ったからだ。エドワードは首を傾げ、思い出したように舌打ちした。サーベルが無い事に気付いたのだ。戻られたら不味い。自分の敵意を知られてしまい、警戒される。

 周りは木々に囲まれ、はびこる根と植物のせいで地形が歪んでいる印象がある。奇襲にはもってこいだ。

 ヴァンは剣を握りしめ、夏の暑さ以外で流れる汗も物ともせず、息を潜めて相手を待ち伏せした。やらなければ。フェドラと息子を守らなければ。一族の復興がどうのとかは、自分が責任を以てなそう。

 近づきつつある。藪から木の背後に回り、来るのを待つ。エドワードが背を見せた時、ヴァンは息を止めて、真っ直ぐにエドワードの背後へと切りかかった。獲れたと思った。だが、エドワードは軽く避けて、おまけに足を引っ掛けられた。転びそうになるヴァンの剣を持つ手を取り、力任せに剣を奪い取った。

 ヴァンはかろうじて両手で受け身を取れたが、絶望した。ちょんちょんと固い鋭利な物で後頭部を突かれる。ゆっくりと見上げたら、感情のない眼でエドワードが見下ろしていた。

 

「何をするつもりだった」

 悔しさと恐怖で震えながら、ヴァンは大声で帰した。

「お前を殺す為だ!」

「何故?」

「フェドラとエウゲドロス、家族を守る為だ! 兄だろうと、家族に手出しをする者は絶対に許さない」

「そんな状態でよく言えるな」

 

 エドワードは剣を上げた。おしまいだ。刺されるのか、斬られるのか。どっちだっていい。不甲斐なさで涙を流した。

 ヴァンは覚悟をして、身を固めたが、いつまで経っても凶刃が振り下ろされなかった。死ぬ間際は時間を長く感じるというのは本当だったか。

 ヴァンの予想を裏切り、剣ではなく手が伸ばされた。ヴァンは掴まず、草を土ごと握り締めたが、エドワードは掴めと言った。

 

「大丈夫か。どこも怪我はしていないか?」

 

 先ほどとは打って変わって、エドワードの声は優しかった。手を掴もうとないヴァンを、エドワードは無理矢理起こした。

 ヴァンは混乱していた。混乱するヴァンに、エドワードは微笑んだ。今度は目元も笑っていた。エドワードは笑みを引っ込めると、真剣な顔つきになり、申し訳ないと詫びた。

 

「俺が言える立場ではないが、数々の非礼と暴言を許してほしい。すまない」

 

 ヴァンは目をぱちぱちさせた。エドワードはヴァンを座らせて、正面に向かい合う形で座り込んだ。

 

「混乱するのも無理はない。一つ言っておくが、全て俺の独断したことだ。確かめたかったのだ。君が本当にフェドラに相応しいのか」

 

 まだ頭がぐるぐるとまわっていたが、ヴァンはようやく理解できた。

 全てエドワードの芝居。自分が妹であるフェドラの夫に、男としての度胸があるか試されたのだと。ヴァンは胸の鼓動に押されながらも、なんとかうんと首を振り、続けてと言えた。最初から尾行に気付いてたのかぼやくと、最初から最後まで知っていた、下手過ぎて途中でアドバイスをしたくなったぐらいだとエドワードは答えた。

 

「そんなことより、本当に済まない。俺は馬鹿な奴でな。頭では理解していても、いきなりフェドラの男だといい、家族の大黒柱扱いされている君を気に食わない思いがあったのを認めよう。俺の想いや苦労は何だったのだ。こいつは本当に、真実まっことに! フェドラと暮らしていく気はあるのか。俺たちの暮らしを共ににできるのか。そう思ううちに、居ても立ってもいられなくなり、今回、君を試した訳だ。とはいえ、やり過ぎたことは事実。もう一度、謝ろう。ごめんなさい」

 

 エドワードは一歩分身を引いたら、両手を付いてヴァンに頭を下げた。ヴァンは慌てて、頭を上げて下さいと言った。

 

「エドワードさん、止めてください。あなたのフェドラと家族に対する重みはよく解ります。逆の立場だったら、僕も同じことをしたかもしれません」

「いや、させてくれ。そうしなければならない事をした。なによりも、是非とも言わせてほしいことがある」

 ヴァンはまた、どきどきした。さっきとは違い、胸に期待を膨らませて。

「これからも、フェドラのことをよろしく頼む。お前という男なら、任せられる」エドワードはすっと立ち上がり、経を唱える神父のごとき口ぶりになった。「ヴァン、お前に荒ぶる力と包み込む心がこれからも有り続けるのを願う。そして、蒼き狼の導きにより、我が甥エウゲドロスに人と馬、両方の友が生まれんことを望む」

 

 さあと手を伸ばし、ヴァンはエドワードの手を取り、立った。ヴァンもエドワードに詫びた。

 

「僕もあなたのことを誤解していた。あなたを勝手に頑固な血統主義に拘る人だと思っていた」

「気にするな。誤解するなというのが無理な話。それよりも、俺は自信がついたよ。これからやろうとしてることもできそうだ、上手く演じられるだろうとな。何をやろうとしてかは聞くな」

 エドワードはヴァンの言いたいことを読み取り、先んじて言った。

「俺は血統がどうのかは気にしない。気にする奴もいるだろうが、少なくとも、一族の者にそう拘る者はいなかった。大事なのは血ではなく、心だ。やろうという意志、先人たちの大切に想う者を引き継ぎ、守ったり、より昇華させていく心さえあれば、誰でもいい。さもなきゃ、侵略した行く先々で他国の女を抱く気にはならない。物語によくある、あれの血を引く者でなければ使えない物だとか、入れない神聖な場所なんてありやしない。そうでなければ、身分が低い一戦士の子供にしか過ぎない俺がここまでやれるわけない」

 

 これを聞いて、ヴァンもようやく笑顔をみせた。

 そうして、来た時とは違い、和やかな空気に包まれて、二人は会話をしながら帰った。

 


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